魚沼市「鳥屋ガ峰」ー 四等三角点「西村山」トレッキング 2023年 初冬

私選“只見線百山”候補の検証登山。今日は、新潟県魚沼市側にある山。JR只見線の魚沼田中駅を起点に二等三角点峰「鳥屋ガ峰」(681.2m)に登り始め、須原スキー場を斜面に持つ四等三角点「西村山」を経て越後須原駅に至るルートをトレッキングした。

 

“只見線百山”は“観光鉄道「山の只見線」”のアクティビティーで、乗客増や沿線振興につながるのではないかと思い、筆者が私的に選んでいる。新潟県側は、新潟百名山と二等三角点峰を中心に、27座を候補としている。

只見線沿線2市6町1村(昭和村含む)の沿線から153座の候補を挙げていて、今後、検証登山を通して、関連する複数の山を“一座”とする山も含め、私選“只見線百山”を決めたいと考えている。


「鳥屋ガ峰」の山塊は魚沼丘陵の北東部に連なり、只見線に沿って流れている破間川の右岸域(上条駅~小出駅間)で一番高い標高となっている。「鳥屋ガ峰」山頂に向かっては、南側に鳥屋ガ峰遊歩道が整備され、北側には林道鳥屋ヶ峰線が山頂まで300mという場所まで延びているので、気軽にトレッキングができる山となっているという。

また、須原スキー場がある四等三角点「西村山」を持つ山は、「鳥屋ガ峰」山塊から松坂峠付近の鞍部を経て北東にある。

ただ、四等三角点「西村山」は、只見線の列車が越後須原駅に停車するとゲレンデの上部と山頂付近が見えるが、国土地理院「地理院地図」に山の名は記載されていない。

 

 

この「鳥屋ガ峰」と四等三角点「西村山」は、只見線とほぼ平行に山稜が続き、それぞれの登山口(取付き点)が魚沼田中駅と越後須原駅に近い。そのため、今回は魚沼田中駅を起点に「鳥屋ガ峰」に登り、その足で四等三角点「西村山」を経て越後須原駅に向かうという、約11㎞の一筆書きコースのトレッキングを計画した。*下図出処:国土交通省 国土地理院「地理院地図」URL: ttps://maps.gsi.go.jp/   *「ツール」ー「断面図」で表示させたPC画面をハードコピー 

 

今日、魚沼市を含む新潟県中越地方の天気予報は晴れ。今月初めに当地に降った雪の量がどれくらいか不明だったが、「鳥屋ガ峰」に整備された遊歩道や、スキー場の頂となる四等三角点「西村山」からの眺望を期待し、只見線の列車に乗って魚沼市に向かった。

*参考:

・(一社) 魚沼市観光協会:秘境を行く! JR只見線

・(公社)新潟県観光協会:にいがた観光ナビ「JR只見線

・魚沼市 だんだんど~も只見線沿線元気会議:Facebook (URL: https://www.facebook.com/dandandomotadamisen )

・BSN新潟放送公式チャンネル:【そらなび ~にいがたドローン紀行~】「第73回「只見線(魚沼市)」2020年2月29日放送」

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線の冬ー / ー只見線沿線の“山”(登山/トレッキング)

 

 


 

 

先日(12月3日)の昭和村「大妻山」登山同様、今回も只見線の始発列車に乗るために会津若松市に前泊。今朝、未明の会津若松駅に向かった。

駅構内に入ると、正面には「ぽぽべぇ」とクリスマスツリーが置かれていた。

 

切符を購入し、改札を通り只見線の4-5番線ホームに向かった。連絡橋上からホームを見下ろすと、まだ列車は入線していなかった。

ただ、ホームには人影があり、6人ほどが只見線始発列車の入線を待っているようだった。

 

ホームに降り、一両編成の後部ドアが開く停車位置に立ち列車を待っていると、小出方面のレールが照らされ、まもなくキハE120形がゆっくりと入ってきた。今日は土曜日だったが、やはり平時の運用通り単行(1両)編成だった。

列車が停車すると、私を含め並んでいた8人が乗り込み、その後旅行者と思われる出で立ちの客が席を埋めていった。


6:08、BOX席での相席も目立ち、2人の立ち客を含め24人を乗せた小出行きが会津若松を出発。9割以上が中高齢の男性だった。

明日(12月10日)から「青春18きっぷ」の冬期利用期間となり、客層はぐっと低年齢化するが、“観光鉄道「山の只見線」”が確立されるためには、まず、“思い立ったら旅ができる”時間とお金を持つ中高齢の方々の満足度を高め、リピーターとして定着させることが必要だ、と改めて思った。

 

 

列車は暗闇の中を進んだ。七日町西若松を経て大川(阿賀川)を渡ると、上流側に見えるはずの「大戸岳」(1,415.9m、会津百名山36座)の山塊は濃い霧に覆われていた。

 

会津本郷を出た直後に会津美里町に入り、会津高田を経て“高田 大カーブ”で進路を真北に変えた列車は、根岸新鶴で停発車を繰り返した。西側の刈田には、冬支度となる風雪防護ネットの骨組みが立っていた。


6:42、若宮手前で会津坂下町に入った列車は、会津坂下に停車。ここで、上り始発列車(会津川口発)とすれ違いを行った。

 

会津坂下を出た列車は、短い刈田の間を抜け七折峠を駆け上った。登坂途中、塔寺手前で木々の間から会津平野方面を見ると、濃厚な真っ白い霧が覆っていた。

 

“七折越え”を終えた列車は、ディーゼルエンジンの出力を下げて緩やかな坂を下り会津坂本に停車。貨車駅舎に描かれた只見線のマスコット「キハちゃん」が、満面の笑みで迎え、そして見送ってくれた。*参考:会津坂下町「只見線応援キャラクター誕生!!」(2015年3月13日) https://www.town.aizubange.fukushima.jp/soshiki/2/3337.html

 

柳津町に入っても青空は見えず、天気予報、会津柳津を出て郷戸手前で“Myビューポイント”を通過。「飯谷山」(783m、同86座)も、雲が一体化した霧に遮られ、全く見えなかった。

  

 

滝谷出発直後に“只見線八橋”の前座を務める滝谷川橋梁を渡り、三島町に入った。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋検索

 

 

会津桧原を出て、桧の原トンネルを抜けた列車は「第一只見川橋梁」を渡った。上流側、駒啼瀬の渓谷は広葉樹の葉がすっかり落ち、紅葉期と降雪期の間の色の無い風景だった。*只見川は東北電力㈱柳津発電所・ダムのダム湖

カメラをズームにして、「第一只見川橋梁ビューポイント」のDポイントを見てみるが、今日は“撮る人”の姿は認められなかった。

 

会津西方を出ると、まもなく「第二只見川橋梁」を渡った。下流側は逆光が強く、景色は良く見えなかった。*只見川は柳津ダム湖

 

7:29、会津宮下に停車。上り列車との交換があり9分停車するため、ホームに下りた。新しい構内踏切が共用開始となったようで、ホームから直接下りる今までの構内踏切は撤去され、昇降口はコンクリートで塞がれていた。

しばらくすると、上り2番列車(会津川口発)がキハE120形の単行で姿を現した。

2020年3月15日に只見線を走る列車がキハ40からキハE120形に切り替わってから、同色の単行が並ぶ姿を初めて見る事ができた。

*下記事出処:福島民友新聞 (左)2020年3月14日付け (右)2020年3月15日付け

 

会津宮下を出発した列車は、東北電力㈱宮下発電所と宮下ダムの 脇を駆けた後「第三只見川橋梁」を渡った。*只見川は宮下ダム湖

 

早戸を出ると金山町入り、8連コンクリートアーチ橋の細越拱橋を渡った。

 

会津水沼に停車すると、昨日(8日)までの5日で行われた「設備補修工事」で使われたであろう軌陸用ユンボが置かれていた。*参考:東日本旅客鉄道㈱「只見線「設備補修工事」に伴う列車の区間運休および代行バス輸送の実施について」(2023年10月20日) URL: https://www.jreast.co.jp/press/2023/sendai/20231020_s02.pdf

 

会津水沼を出発すると、まもなく「第四只見川橋梁」を渡った。*只見川は宮下ダム湖

渡河後、列車は第四沼田跨線橋をくぐり、国道252号線と只見川と3者並行する場所を駆けた。

ここは国道の線形改良工事に合わせて、電柱・電線の地中化工事が行われ、車窓からの景観が良くなった場所だ。*参考:福島県会津若松建設事務所「国道252号線 水沼工区」(令和5年12月1日掲載分) URL: https://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/605132.pdf

ただこの先、車窓から東北電力㈱上田発電所・ダムのダム湖が見える区間では、同工事で電柱・電線地中化は行われなかった。ダム湖の左岸には雪食地形の山の斜面が続き、湖面の水鏡に映り込むことが多く、この場所は景観区間になっていただけに、残念だったと改めて思った。

 

 

会津中川を出て大志集落の背後を駆けた列車の前方には、林道の上井草橋が見えてきた。

ここで振り返って、只見川に突き出た大志集落を眺めた。*只見川は上田ダム湖

 

 

8:05、会津川口に停車。小出発・会津若松行きの1番列車と交換を行った。

ここでは、停車時間が10分あるため、駅構内の金山町観光協会が運営する売店に向かった。売店の入口脇には“Youはどこから?”シートが貼りだされ、台湾の欄には突出した数のシールが貼ってあった。

  

売店では、トレッキング中のエネルギー補給に柳津町「赤べこ堂」の杵つき玄米団子(こしあん)を買った。

この団子は柔らかくコシがあり、玄米のポリポリという食感を同時に楽しめる。この杵つき玄米団子が発売されてから、会津川口駅で買うのが私の習慣になった。多くの人に食べてもらいたい逸品だ。

 

 

会津川口を出発すると、しばらく只見川の左岸縁を進み、その後「第五只見川橋梁」を渡った。

 

本名を出発後には「第六只見川橋梁」を渡った。

上流側にある東北電力㈱本名発電所・ダムはゲート1門を開け、豪快に放流していた。

 

 

本名トンネルを抜けて、橋立地区に入ると只見線135.2kmの中間点を示す看板(ここが、只見線の真ん中だ!)を過ぎた。

 

会津越川を経て、会津横田に停車。待合室の改修工事が終わって、立入禁止の貼り紙は見られなかった。

半年前に会津蒲生駅で天井崩落があり、その後の点検でこの会津横田駅にも天井にひび割れが見つかり補修工事に至った。

只見線の復旧区間(会津川口~只見間)を上下分離方式で保有している福島県にとって、初めての本格的な駅施設の工事だったが、発生から時間をかけて無事に終えたようだった。開業から60年を超えた同区間では、これからも維持管理に関わる工事が発生するだろうが、そのコストが投資となるような乗客増や沿線への経済効果につなげなければならない、と改めて思った。

 

会津横田を出ると、列車は「第七只見川橋梁」を渡った。

上流側に目を向け、町道に架かる四季彩橋を眺めた。*只見川は本名ダム湖

 

 

会津大塩を出た列車は、滝トンネルを抜け只見町に入った。濃霧は、一層濃くなっているような気がした。*只見川は電源開発㈱滝発電所・ダムのダム湖

 

会津塩沢を出発後は、「第八只見川橋梁」を渡った。*只見川は滝ダム湖

只見川浚渫工事で使用される電源開発㈱寄岩泊地のドッグには浚渫船と運搬船が停泊していた。

 

会津蒲生でも、駅舎(待合室)の補修工事が終わっていた。

 

会津蒲生を出発すると、八木沢集落の背後を駆けた後、只見線最長の「叶津川橋梁」(372m)を渡った。

 

只見町の市街地が見えてくると、県立只見高校のグラウンドが見え野球部が練習していた。

 

 

9:07、列車は只見に停車。

時間調整で停車時間が23分もあるため、客の何人かは列車を下りて駅舎の方へ向かっていった。また、新たに乗り込む客は5名ほどいた。

 

只見を出発し、「第二赤沢トンネル」の手前で電源開発㈱只見ダムと田子倉ダムがある方を眺めるが、濃霧に覆われ何も見えなかった。

 

「田子倉トンネル」(3,712m)を抜けて、田子倉ダム湖にそそぐ只見沢を眺めた。

この後、列車は福島県と新潟県に県境を貫く「六十里越トンネル」(6,359m)に突入した。

 

 

 

7分ほどで「六十里越トンネル」を抜け魚沼市に入ると、青空が広がっていた。

 

「第六末沢川橋梁」を渡り、冬季通行止めになっている国道252号線に架かる茂尻橋を眺めた。真っ赤な鋼材のアーチが色の無い景色に一層目立っていた。

 

 

列車は、減速しながら末沢川が合流する破間川に架かる「第五平石川橋梁」を渡り、大白川に停車した。

  

 

大白川を出て、入広瀬手前では国道252号線新入広瀬橋越しに「守門岳」を隠すようにそびえる「藤平山」(1,144m)の山塊がはっきりと見えた。

上条を出て「第二破間川橋梁」を渡ると、右側(西)の車窓から、これから登る、四等三角点「西村山」と「鳥屋ガ峰」の山容が見えた。

 

 

 

越後須原が近付くと最後部の窓からレール越しに、「藤平山」に隠れていた「守門岳」(主峰・袴岳(1,537.3m、新潟百名山))が見えた。

 

越後須原に停車すると、2人が降車した。開かれた扉からは四等三角点「西村山」を頂に持つ須原スキー場が見えた。快晴ということもあり、山頂から見える風景に期待した。

 

 

 

10:25、魚沼田中に到着、乗降は私一人だった。

今回、切符は「小さな旅ホリデー・パス」とエリア外(只見~魚沼田中)を別途購入した。

 

初めて降りた駅で、待合室の掲示物を見た。時刻表には、6時台に小出行きが1本、18時台と20時台に大白川止まりがそれぞれ1本と、新潟県側の通学者のためのダイヤが記されていた。

 

 

10:45、準備をして魚沼田中駅を出発。駅前に通る道(六十里越街道)を少し北に進んだ。

今回も、国土地理院の「地理院地図」(断面図入り)を印刷してきた。「鳥屋ガ峰」と四等三角点「西村山」を経て、越後須原駅近くの「玉川酒造」まで約11km。列車の発車時刻は16時34分ということで、「玉川酒造」で酒蔵見学をしても十分間に合うと考え、トレッキングに臨んだ。

 

歩き出してすぐに、田中構内踏切から“守門山塊”が綺麗に見えた。

六十里越街道から左折し県道345号(細野魚沼田中停車場)線を進み、国道252号線を横断した。

 

市道に入り、緩やかに上る坂を西に向かった。

まもなく、前方にスギ木立が見え、その足元には複数の石塚(庚申塚、二十三夜塔)が置かれていた。

 

市道をさらに進み左手(南)に目を向けると、中央に小さく「中ノ岳」(2,085.1m)を挟むように、鋭角の「越後駒ヶ岳」(2,002.7m)、丸みを帯びた「八海山」(1,778m)の“越後三山”(三座とも新潟百名山)が見えた。

 

 

11:04、国道352号線の古峰シェルター出入口手前を横断。

まもなく、菅原神社が見えてきた。手前を右折すれば「鳥屋ガ峰登山口」になるが、神社に参拝した。

正面に回り、石段を登って境内に参拝し、トレッキングの無事を願った。

その後、境内から東に延びる小径を進み、「鳥屋ガ峰」小平尾登山口に立つ標杭前に出た。 

 

 

11:07、熊鈴を身に着け、笛を首からぶらさげて、「鳥屋ガ峰」を経て四等三角点「西村山」に向かうトレッキングを開始した。

歩き出し直後、国道352号線の切土に設えられたような、古峰シェルターを跨ぎ進んだ。

 

2つヘアピンカーブを抜け、3つめのカーブを曲がると、未舗装道の先に畑が広がっていた。

未舗装道の先は突き当りになり、北北東の崖上に道が延びていた。

崖の上からは、平成23年6月に竣工した新潟県が管理する広神ダムが見えた。治水と発電を行う、多目的ダムだ。

 

道の先は石段が現れた。古峯神社の参道として整備されているようだった。

石段の先の道は傾斜が増し、登山道らしくなってきた。

 

少し歩くと、登山道は崖の縁を通った。崖上からの眺望は良く、広神ダムが青空の下、白い躯体を色の無い谷間に浮んでいた。

 

息を切らしながら、登山道を進むと前方に頂らしい空間が見えた。

 

11:20、古峯神社に到着。御堂は小さいが、板壁に傷みは無く、雪囲いもされていた。地元がしっかりと管理しているようだった。

古峯神社は高台に立ち、木々の間から“越後三山”が見えた。

 

登山道は古峯神社の脇に延びていた。

緩やかな坂を上り進むと、前方に「鳥屋ガ峰」の南裾にあるピークが見えた。

 

この後、登山道は緩やかな下り坂となり、藪の間に延びていた。無葉で見通しは悪くなかったが、念のため熊鈴を意図的に鳴らし、笛も吹いて進んだ。葉が生い茂る時季は、クマの存在が気になる場所だと感じた。

途中、右前方に目を向けると「守門岳」の東に、同じように冠雪した「浅草岳」(1,585.4m、会津百名山29座)を含む山塊と、「守門岳」の一部が見えた。

 

登山道はしばらく藪の間に延び、緩やかなアップダウンを繰り返した。

そして。登り返しを終える頂には、なぜか“一本木”があり、アクセントになっていた。

 

 

11:29、登山道は作業道にぶつかった。

ここで振り返ると、“越後三山”が藪の上に見られるようになった。

 

 

11:31、作業道を100mほど進むと「一本杉」に到着した。

「一本杉」からは、東側に連なる山々の眺望が得られた。

特に目を引いたのは、冠雪により荒々しい山肌を浮きだたせた、「毛猛山」(1,517m、新潟百名山、マイナー12名山*)を最高点とする“毛猛山塊”。

  

11:32、「一本杉」を後にする。

登山道は、ひらべったい斜面に続いた。

 


11:35、沢コースとの分岐となり、右に進んだ。

分岐後、登山道はスギ林の中に延びた。

少し進み右の開けた場所からは、“権現堂山”山塊の「下権現堂山」(896.7m)のどっしりとした山容が見えた。

 

スギ林を抜けると、登山道に残雪が現れた。今月1日に降った時のもののようで、雪上には動物の足跡があった。動物の種は、特定できなかった。

この先、山道は低灌木の間に延びた。

 

登山道が東側に折れると、前方に「守門岳」と「浅草岳」が見えた。

この辺りの登山道は、アップダウンは多かったが鞍部前後の傾斜は緩く、大きな負担にはならなかった。

 

 

11:47、ピークの先に送電鉄塔が見えた。

鉄塔の手前に、“沢コース”との2箇所目の分岐があり、右側に進んだ。

 

11:49、鉄塔の足元に到着。

ここでも分岐になり、倒れた案内板もあったが、目指す尾根が見えたので迷わず左側に進んだ。

 

 

この後も、登山道は変わらず藪の間に延びていた。

熊鈴を鳴らし、時折笛を吹いて、淡々と進んでゆくと、斜面の下に着いた。ブナの太い木が根曲りしていて、斜面からの雪圧で曲がったのだろうと思った。

この斜面は、結果最難関となる急坂で、長く続いた。

登坂終盤、尾根の肩の上空には青空が広がっていた。

 

11:57、肩に乗り振り返ると、只見線の終点・小出に延びる破間川の谷底平野の美しい様子が見えた。

陽が昇ったおかげで、カメラをズームにすると“越後三山”の山容が見て取れた。そして、その手前には先月周回登山をした「笠倉山」も控え、『当日晴れたのなら山頂から“越後三山”の圧巻の眺望が得られただろうなぁ』と思った。

また、破間川右岸の300m級の台地に、上原高原や越後ゴルフコースも確認でき、会津地方とは違う地形に“観光鉄道「山の只見線」”の多様な山岳形状の可能性を感じた。

  

この先、登山道は背丈の低い籔の間に延びて、適度な付加のかかるアップダウンになった。残雪に足を取られることもあったが、青空を背景に気持ち良く歩けた。

“権現堂山”も「上権現堂山」(997.7m、新潟百名山)も姿を現し、その奥には「唐松山」(1,079.4m )も見え、“三つ子山”のような山容だった。*参考:拙著「魚沼市「権現堂山」登山 2020年 盛夏」(2020年8月13日)

私選“只見線百山”の候補に挙げている「唐松山」には、“猫岩”の様子も見られ、早く登ってみたいと思った。

 

 

12:06、少し進むと、登山道は、東側に切れ落ちる斜面の上に延びるようになった。

お陰で眺望も良くなり、「守門岳」山塊から東に連なる山の稜線を見る事ができた。

「毛猛山」の山塊も、よく見えた。

 

12:08、禿げた斜面が現れた。

ここにでは、180度の大パノラマが見られた。

 

この先、短い区間だったが、登山道は急に傾斜が増し2箇所のカーブを作っていた。

途中、振り返ると、先ほどより高度を増した視点で、破間川の谷底平野を眺められた。

 

 

12:16、前方に合流点が見え、倒れた案内板を見ると沢コースから上ってくる道だった。右に曲がり先に進んだ。

直後、崖崩れが発生したと思わる、ロープが張られた場所になった。

斜面は急だったが、藪が繁る場所までの距離が短く、『落ちたら奈落の底ぉ~』という感じではなかった。

この崖崩れ箇所からの眺望も良かった。雲一つない快晴の空は続き、さらに陽が昇っていることもあり山々はより冴えていた。

北には「浅草岳」山塊。福島県側のそれとは異なる全体の稜線や山襞が見えた。

東は“権現堂山”、「唐倉山」、「毛猛山」山塊。

そして、南は「荒沢岳」(1,968.6m、新潟百名山)や“越後三山”が、起伏に富んだ山肌や複雑な稜線を見せていた。

 

 

この先、登山道は傾斜が増し、少し高い負荷を感じるトレッキングコースとなった。

途中、左(西側)が切れ落ちてる場所を通り、登山道の面も斜めになっていた。歩き辛く、先ほどの崖崩れ箇所より注意すべき場所ように思えた。

  

 

12:20、肩に乗った。

そして、少し先に進み、「守門岳」山塊と「浅草岳」山塊を眺めた。結果的に、この眺望が「鳥屋ガ峰」から見える最後のものだった。

「守門岳」の山頂尾根は、かなりの積雪があるようだった。今冬も、“東洋一の大雪庇”が現れることは間違いないと思った。

「浅草岳」には、福島県側から見られる“鬼面の眺め”とは違った、なだらかな稜線が見られた。

 

 

ここから先、登山道は597mピークに向かって、東側の斜面に延びていた。

途中、振り返ると、登山道の中心に“権現堂山、両翼に「毛猛山」山塊と“越後三山”が控え、良い眺めだった。

 

斜面に延びる登山道は、枯草に載った雪のせいもあって一層足場が悪く、何度も滑ってしまった。

  

まもなく、「鳥屋ガ峰」山頂とその手前の624mピークが見えた。624mピークへの傾斜は緩かった。

 

12:33、624mピークに到着。

ここでも、振り返って、小出方面を眺めた。

結果、「鳥屋ガ峰」から全体が見える最後の“越後三山”だった。

 

 

624mピークからは浅い鞍部を越えた。

登り返しを終えると、前方に見えるピークは「鳥屋ガ峰」山頂だけになった。

山頂を見ながら、時に雪を踏みながら登り進んだ。

 

前方が大きくひらけ、中央に三角形の構造物が見えた。

 

12:43、「鳥屋ガ峰」山頂に到着。鐘が置かれていた。

鐘の前で振り向くと、開けた場所から「越後駒ヶ岳」が見えた。

 

三角点を探しに、西側の少し高い場所に向かった。下を見ると、真新しい靴跡があった。

 

三角点標石はすぐに見つかった。先日の登った昭和村「大妻山」と同じように、石が四方に置かれ、そのほぼ中央に標石が頭を覗かせていた。

 

山頂は平場に近い形状で、山頂からの眺望は西側以外、あまり良くなかった。

東側の眺め。

南側の眺め。

北側の眺め。

  

 

三角点標石に近づき、周りの雪を払った。

標石には“二等”の文字が、確かに刻まれていた。

*「鳥屋ヶ峰」:二等三角点「鳥屋峯」
基準点コード:TR25538778801
北緯:37°19′11″.2110
東経:138°59′10″.2833
標高(m):681.16
*出処:国土地理院地理院地図「基準点成果等閲覧サービス」URL:https://sokuseikagis1.gsi.go.jp/  

 

標石に触れて、「鳥屋ガ峰」登頂を祝った。 

 

 

12:51、一通り写真を撮り、水を飲んで「鳥屋ガ峰」を四等三角点「西村山」に向かって後にした。山頂からは、足跡が続いていた。

まもなく、「鳥屋ガ峰」大倉登山口へ続く道との分岐になり、左に進んだ。足跡は、大倉方面に向かっていた。

 

分岐から先、遊歩道はまっすぐ延びていた。

まもなく防風壁が現れた。

そして、林道鳥屋ガ峰線の終点についた。山頂から3分ほどで着いた。「鳥屋ガ峰」は、無雪期ならば、ここまで車で来て数分で登頂できるお手軽な山だと分かった。

 

林道鳥屋ガ峰線を下る。まもなく、前方に「守門岳」の山塊が見えた。只見線の車窓からは伺い知れない、なだらかに傾斜する北裾が美しいと思った。

さらに下ると、旧守門村の植林一千町歩達成の歩みを刻印した、記念碑と無線中継アンテナに通じる上り坂との分岐になった。記念碑付近は展望所で、須原地区を見下ろせるようだが、今回は立ち寄らなかった。

林道は北西斜面の崩して通されているためか積雪が多く、日陰の部分は30㎝を優に超えていた。そのため、登山靴を雪に埋もれ、足を取られながら進む事になった。


林道終点から15分ほど下ると、発電所間のマイクロ波による通信設備である電源開発㈱守門中継局への分岐となった。雪がなかったため、短い坂を上り、建物に掲げられていた“保安林内作業許可証”を見てみた。

このマイクロ波は、田子倉発電所(只見町)⇔鬼面反射板(六十里越)⇔守門中継局⇔黒又川第1発電所という経路で送受信されているという。*参考:電源開発㈱「通信事業」情報通信ネットワーク

 

 

13:35、林道大倉線にぶつかり、右折した。

林道大倉線は、積雪量が少なく、自動車の轍もあったのでスイスイと歩けた。

緩やかな上りが終わる頃に、前方に「魚沼市自然科学館 星の家」と須原スキー場の山頂リフト駅の一部が見えた。

 

緩やかな坂を少し下ると分岐になり、左に曲がり、林道から市道須原スキー場線を進んだ。

分岐から400mほど進むと、前方が大きく開け、小高い山に建つ「魚沼市自然科学館 星の家」(須原スキー場開業の際は「高原レスト 北極星」)と須原スキー場の山頂リフト駅が見えた。

市道を更に進んでゆくと雪原の上に尖った「毛猛山」を中心とする荒々しい山容の山塊が見えた。「毛猛山」(1,517m)は“マイナー12山”ということで“只見線百山”の候補には入れていないが、この山容を眺めていると登りたくなってしまった。

 

「魚沼市自然科学館 星の家」と須原スキー場の山頂リフト駅が近付き、市道から2つの建物の間に延びる歩道を歩いた。

歩道を登りきるとアルパインコースのリフトが見え、右に曲がり、須原スキー場頂上駅の脇を通って東斜面にひろがるメインのゲレンデに向かった。

 

 

13:54、リフト山頂駅を背後にして、メインゲレンデの頂上に到着。目の前には山々の素晴らしい景色が広がっていた。

そして、地面を良く見ると、50㎝ほどの四辺のコンクリートのが見えた。

近付くと、そのコンクリートは中央の標石を取り囲むように打設されていた。少し小さい感じもしたが、周り標石は見当たらず、どうやらこれが四等三角点「西村山」のようだった。

標石に触れ、四等三角点「西村山」の登頂を祝った。「鳥屋ガ峰」山頂から、1時間ほどで到着することができた。

*四等三角点「西村山」
基準点コード:TR45539709001
北緯:37°19′52″.3540
東経:139°00′20″.9611
標高(m):548.74


北から南にかけて開けた、三角点標石付近からの眺望。

北側が一番良かった。「守門岳」山塊から「浅草岳」山塊が一望できた。

南側は太陽の位置が低く、逆光でくっきりとは見えなかった。“越後三山”は「越後駒ヶ岳」の山頂の一部と「八海山」が見えた。

 


14:03、一通り眺望を楽しんで、四等三角点「西村山」を後にしゲレンデを下った。

前方には、越後須原駅が見えた。

 

しばらくは、リフト支柱に沿って下った。

途中、ゲレンデを登ってくる1人の登山者とすれ違った。

 

10分ほど下って、振り返って頂上を眺めた。

 

ゲレンデを快調に下る。前方に見える山々の表情は刻一刻と変化し、冠雪した山は徐々に見えなくなった。

 

スキー場のセンターハウス(センターレスト)とリフト麓駅が近付いてきた。

 

 

14:28、須原スキー場センターレスト前に到着。山頂から25分で下った。

センターレストを背に、ゲレンデを眺めた。四等三角点「西村山」はかなり遠くにあるように見えた。ゲレンデの案内板を見ると“自己責任特別エリア”という表記があり、少し驚いた。

  

只見線の魚沼田中駅から「鳥屋ガ峰」山頂、四等三角点「西村山」を経て須原スキー場ゲレンデを下るトレッキングを終えた。晴天が続き、良い眺望が得られたこともあって、素晴らしい山行になった。「鳥屋ガ峰」‐四等三角点「西村山」は、セットで“只見線百山”に入れるべき山だと考えた。

また、只見線の駅から登頂し、只見線の別の駅に向かって二次交通無しでトレッキングができるという今回のコースは、標高が低いという気軽さや眺望の良さから、“観光鉄道「山の只見線」”で屈指のアクティビティになるのではないかという感想を持った。

 

「鳥屋ガ峰」の遊歩道は整備され、分岐に案内もあり、老若男女問わず初心者でも迷わずトレッキングが可能で、四等三角点「西村山」は、須原スキー場のゲレンデの急坂に気を付ければ大きな問題無く、現状で大きな課題は見当たらなかった

敢えて課題を挙げるとすれば、「鳥屋ガ峰」遊歩道上の文字が薄くなった案内板の更新と、大倉方面(東側)への分岐点への案内板の設置ぐらいか。

また、時間とおカネが掛かるが、「鳥屋ガ峰」山頂から北東に向かって延びる尾根に遊歩道を設けられれば、文句のつけようがないと思った。「鳥屋ガ峰」から四等三角点「西村山」へ向かう林道鳥屋ガ峰線では眺望が得られないためだ。

 

「鳥屋ガ峰」‐四等三角点「西村山」トレッキングは、現状でも楽しめるコースなので、只見線を利用して多くの方にに歩いて欲しいと思った。

 

「須原スキー場」を後にし、300m先にある越後須原駅には向かわず、近くにある酒蔵「玉川酒造」に立ち寄った。

5分とかからず「玉川酒造」に到着。当初の計画では、併設する「越後ゆきくら館」で酒蔵見学をして別稿で取り上げようとしていたが、運悪く案内人が不在で叶わなかった。

 

奥にある直売所に向かった。

ここでは、試飲(無料)ができるので、スタッフに冷蔵庫から四郷瓶を出してもらい呑み比べた。

 まず5種試したが、以前、只見線を走った観光列車「越のShu*Kura」号内で呑んだ「イットキー」の別種があるということで、追加で2種出してもらい、また飲み比べた。

そして、この7種の中から一つを選んで、直売所を後にした。スタッフからは『次は、是非酒蔵見学においでください』と言われ、見送られた。

 

駅前にあるスーパーで昼食を調達し、越後須原駅に向かった。

駅舎を背後に四等三角点「西村山」を眺めた。

 

駅舎に入ると、大きなガラスが嵌められた駅事務室は閉じられていた。広い待合スペースは、無人駅で客も居ないということもあり、ひんやりしていた。

越後須原駅の列車発着本数は上下各5本。只見線の新潟県側(小出~大白川間)の2便が、小出~会津若松間直中の3便に追加されている。

駅には、福島県側のそれとは違う“2022年10月1日全線開通”を祝い、列車の運行を応援するポスターやのぼりがあった。

 

一通り駅を見て回ってから、ホームで遅い昼食を摂った。まず「鳥屋ガ峰」と四等三角点「西村山」登頂の祝杯を上げた。

登ってきた「鳥屋ガ峰」と四等三角点「西村山」の稜線を、ホームから見ながら呑む一杯は旨かった。

 

食事を終え、しばらくホームで過ごしていると、小出方面から汽笛が聞こえてきた。そして、車輪がレールを駆る音がだんだんと大きくなってきて、ヘッドライトを煌々と点けたキハE120形がやってきた。

 

会津若松行きの最終列車が入線。単行(1両編成)の後部扉から乗り込むと、乗客は数名だった。

16:34、列車が越後須原を出発。切符は「小さな旅ホリデー・パス」のエリア外の、越後須原~只見間(680円)を会津若松で購入していた。

 

列車の中では、「玉川酒造」で手に入れた「イットキー」を呑んだ。「ワイングラスでおいしい日本酒アワード2017」で最高金賞を得た銘柄の“生酒 しぼりたて”を、試飲の中から選んだ。

2018年秋に運行された「只見Shu*Kura」号(新潟~只見)内で「イットキー」を呑んで、白ワインを思わせる香りや旨味に衝撃を受けたが、この“生酒 しぼりたて”は、爽やかな酸味が増しているような感じがして、また旨かった。*参考:拙著「「只見Shu*Kura」 乗車記 2019年 紅葉」(2019年10月29日)

 

つまみは、亀田製菓の新潟県限定の「サラダホープ」にして、只見線沿線で多種多様な日本酒が醸造されている事を嬉しく思いながら、ちびちびと「イットキー」を呑んだ。

 

 

16:57、列車は、陽が暮れて一気に暗くなった中を駆けて、大白川に停車。線路の脇を流れる破間川の音が山間に響いていた。


まもなく、会津若松発・小出行の2番列車(13時5分発)が入線してきた。キハE120形+キハ110の2両編成で、車内は混雑していた。

17:01、交換を終え、会津若松行きが大白川を出発。暗闇の中、沿線に民家が無くより暗さを増した六十里越に向かって、列車はディーゼルエンジンの出力を上げて駆け上がった。

 

 

 

17:30、“六十里越”越えを終えた列車が、只見に停車。

停車時間が30分あるため、駅の様子を見てみようと、長い連絡道を歩いて駅舎を抜け駅頭に出た。

“2022年10月1日全線運転再開”までカウントダウンボードとして活躍し、以後カウント“アップ”している電光掲示板が434(日)を示していた。そして、構内にはクリスマスツリーも飾られていた。

駅事務室の券売窓口を見ると、驚きの掲示が。窓口の営業時間が12時~14時40分に限定され、14時40分から翌日12時までが駅員が不在になるという。合理化は必要最低限の形態まで進み、駅(舎)管理への地域の関与は避けられないと改めて認識した。

 

駅舎から列車に戻った。新たに乗り込む客はおらず、ホームも静まり返っていた。

18:00、列車が只見を出発。ここから先はワンマン運転になるため、客2人に運転手1人という単行の車内は、とても静かだった。

 

 

 

 

20:55、暗闇の中を駆け、会津川口以降少しづつ客を増やした列車が、終点の会津若松に到着。

 

この後、磐越西線の列車に乗り換えて、郡山に戻った。駅頭のイルミネーションが綺麗だった。


 

(了)

 

 

・  ・  ・  ・  ・

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書(PDF)(令和2年3月) 「復興事業に係る事務の執行について」 p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」 *2008年放送  

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)

・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)

 

【只見線への寄付案内】

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①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/


②福島県:企業版ふるさと納税

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(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。


以上、宜しくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

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