昭和村「大妻山」登山 2023年 初冬

私選“只見線百山”検証登山。今日は、昭和村と金山町の境に聳える「大妻山」(942.8m)に登るため、JR只見線の列車に乗って会津川口駅で下車し、昭和村に向かった。

 

二等三角点峰である「大妻山」は、金山町と昭和村の境にあり、野尻川の谷底平野に集落が点在する昭和村の北の入口に聳える山。昭和村の佇まいを象徴する風景が見える「奥会津 昭和の森キャンプ場」の展望台からは、北を塞ぐような堂々とした「大妻山」の山容が目に飛び込んでくる。

 

会津藩の地誌「會津風土記」寛文年間(1661~72) に初代会津(松平家)藩主・保科正之が山崎闇斎に命じて編修)を,第7代藩主・松平容衆が1803(享和3) 年に増補改訂させ、1809(文化6)年に編纂が完了した「新編會津風土記」(全120巻)に、「大妻山」と思われる「於妻嶽」の記述がある。

●野尻組 ○松山村 ○山川 ○ 於妻嶽(オツマガ)
村より戌の方十一町にあり、頂まで十八町、玉梨村及和泉田組布澤村、大鹽組山入村と峯を界ふ、
*出処:新編會津風土記 巻之八十二「陸奥國大沼郡之十一」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第33巻」p115 URL: https://)


観光鉄道「山の只見線」”のアクティビティーとして、筆者が個人的に候補を挙げている“只見線百山”で昭和村に山頂がある山の検証登山は、先月にクマとニアミスしてしまった二等三角点「黒岩」に続き2座目。ただ、「黒岩」では三角点を見つけられなかったため、今回「大妻山」では山頂で三角点標石に触れ、スッキリとした気分で登頂を祝いたいと思った。

 

今日の昭和村の天気予報は、曇り時々晴れで、午後から弱い雨が降るというもの。「大妻山」の登山に3時間、下山に1時間30分を予定していて、終了予定の14時前まで何とか天気が持って欲しいと思い、昭和村に向かった。

*参考:

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」 *2008年放送

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)

・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ -只見線の冬- / ー只見線沿線の“山”(登山/トレッキング)

 

 


 

 

今回は只見線の始発列車に乗るため、会津若松市内に前泊。今朝、未明の会津若松駅に向かった。

自転車を輪行バッグを収納し駅舎に入ると、目の前に袴姿「ぽぽべぇ」のパネルが立っていた。

その脇には、明日から5日間に日程で行われる“トンネルの健全性を確保する「設備補修工事」”にともなう只見線の列車の運休情報と代行バスの時刻表が掲示されていた。*参考:東日本旅客鉄道株式会社「只見線「設備補修工事」に伴う列車の区間運休および代行バス輸送の実施について」(2023年10月20日) 

  

券売機で切符を購入し、改札を通り只見線の4-5番線ホームに向かい連絡橋を渡った。窓から下を覗くと、只見線の列車(旧国鉄カラーのキハE120形)が見えた。

階段を下りて、驚いた。まさかの単行(1両編成)だった。

今年10月から11月の紅葉期には2両編成だったが、落葉が進み雪景色手前の“色の乏しい”車窓の風景が広がるこの時期の始発列車は乗客が少ないこともあり、“始発は単行”という平時の車両運用に変わったのか、と一瞬思った。しかし、先月末に地元紙一面を飾った写真のように、“まだ残る色付く木々に雪”という季節の移り変わりの瞬間を見られる可能性もあり、『結構、客が乗っていて座れないかも...』と思いながら、列車に乗り込んだ。

通路に立ち、車内の光景を見て冷や汗。BOX席は全て埋まり、相席も発生している状況だった。輪行バッグを空きスペースに固定した後奥に進み、空いていたロングシートの一角に何とか座る事ができホッとすると、“只見線に乗ってみたい”と思う人がまだまだ多くいる事が嬉しくなった。

 

6:08、乗客は増え続け、最終的に30名ほどで満席状態になった小出行きの列車が会津若松を出発した。

客のほとんどが個人の旅行者と思われ、50代以上と思われる男性の姿が目立った。「青春18きっぷ」の利用期間とは異なる客層で、只見線の持つ集客力の高さと可能性を再認識した。

 

切符は「小さな旅ホリデー・パス」を利用。金山町や只見町、魚沼市(追加運賃が発生)への只見線の旅がお得になる一枚だ。

 

 

キハE120形は軽く響くディーゼルエンジンの音を響かせながら、未明の会津平野を進んだ。七日町西若松を経て大川(阿賀川)を渡って会津本郷直後に会津若松市から会津美里町に入り、会津高田を出発し“高田 大カーブ”で進路が西から真北に変わる頃に明るくなってきた。根岸に停車すると、刈田は濃霧に覆われていた。

 

 

6:42、新鶴を経て若宮から会津坂下町に入り、会津坂下に停車。停車していた会津川口発・会津若松行きの一番列車すれ違いを行った。

先に、会津若松行きが出発。後部車両はキハ110のキハ40形カラーだった。

 

 

会津坂下を出た列車は、七折峠に入り登坂した。塔寺手前の木々の間から会津平野を見下ろすが、霧に覆われ何も見えなかった。

 

“七折越え”を終えた列車は会津坂本に停車。朝陽を受けた薄い雲を背景に、「キハちゃん」が満面の笑みを浮かべていた。*参考:会津坂下町「只見線応援キャラクター誕生!!」(2015年3月13日) https://www.town.aizubange.fukushima.jp/soshiki/2/3337.html

 

温泉地・柳津町に入った列車は会津柳津で旅行者らしい4人の客を乗せ、郷戸手前で“Myビューポイント”を駆けた。「飯谷山」(783m、会津百名山86座)は、すっぽりと雲に覆われていた。

 

 

滝谷を出発直後に滝谷川橋梁を渡り三島町に入り、会津桧原を出発すると『列車はこれから只見川に架かる八本の橋を渡ります』との車内放送が流れた。そして、桧の原トンネルを抜ける直前でスピードを緩めた列車は、「第一只見川橋梁」を渡った。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋検索

只見川の水鏡は冴え、下流側では青空が見え始めた空と、朝陽を浴びた山肌の一部を映し込んでいた。*只見川は、東北電力㈱柳津発電所・ダムのダム湖

 

上流側、駒啼瀬の切り立った山の斜面の上部、右岸上方にある鉄塔の「第一只見川橋梁ビューポイント Dポイント」にカメラをズームにすると、3つの“撮る人”の人影が見えた

 

 

名入トンネルを抜け会津西方を出た列車は、「第二只見川橋梁」を渡った。ここでも“観光徐行”が行われ、左岸のコンクリート製護岸に映り込む列車の影が撮る事ができた。

 

 

7:29、列車は会津宮下に停車。ここでも、上り列車とのすれ違いを行った。

会津若松行きの“二番列車”は、キハ110のタラコカラーの単行だった。

また、会津宮下駅では、工事が進められていた構内踏切が供用されていた。会津坂下駅と同じく両端はスロープになっていて、列車の通過に合わせて遮断機が下りるというしっかりとした設えだった。

 

 

9分の停車後に会津宮下を出た列車は、東北電力㈱宮下発電所と宮下ダムの脇を駆け「第三只見川橋梁」を渡った。*只見川は宮下ダム湖

ここでも“観光徐行”が行われ、客の大半は、「第一橋梁」と「第二橋梁」同様に車窓から景色を眺めていた。

 

早戸を出た列車は、細越拱橋を渡った。

 

会津水沼て停車すると、ホーム前の広場に軌陸車と軌陸ユンボが置かれていた。明日から始まる「設備補修工事」で使われるのだろうかと思った。

 

会津水沼を出た列車は、下路式トラス橋「第四只見川橋梁」を渡った。“観光徐行”は行われ、この後「第八橋梁」まで続くのだろうと思った。始発列車では珍しいが、車内を埋める旅行者を見て判断されたのだろうと思った。

 

会津中川を出て、大志集落の背後を駆けた列車は只見川に沿って右に大きく曲がった。振り返ると、只見川に突き出た大志集落の様子が見えた。*只見川は東北電力㈱上田発電所・ダムのダム湖

 

 

 

 

8:05、列車は会津川口に到着。ここで輪行バッグを抱え、降りた。隣には小出発の始発列車がすれ違いのため停車していたが、2両編成には1人の客しか居なかった。

39分の停車時間のため、途中下車し駅舎内や構外に出ている客もいるのだろうが、只見線の起点と終点である、観光地・温泉街で多様な宿泊地を持つ会津若松市と魚沼市小出地区の違いを思った。

 

輪行バッグを抱え駅舎に向かうと、構内踏切に設置された遮断機が稼働しているようだった。

 

駅舎に入り駅窓口を見ると、カーテンが掛かり室内は照明が落ちていた。不思議に思い窓口脇に掲示された貼り紙を見て呆気にとられた。なんと、一昨日(12月1日)から係員不在となり、12月の営業日は3日のみで、しかも13時から15時30分ということだった。

只見線内の最寄りの係員常駐駅は約40km離れた会津坂下駅ということで、私の感覚では利用者は相当不便に感じるだろうと思ったが、ここまでJR東日本が省力化するほど会津川口駅の窓口利用者は少ないのだろうと考えなおした。

但し、会津川口駅は昭和村への分岐点ともなる場所で、“観光鉄道「山の只見線」”の拠点として重要な役割を果たさなければならないので、運営の地元委託などJR東日本と金山町が駅の在り方を協議して観光客が困らないようにして欲しいと思った。

 

 

駅構内の売店で買い物をして、駅頭に出た。上空には青空が見え、灰色の雲も少ない事から、しばらく雨は降らないだろうと思った。

 

会津川口駅からは、昭和村大芦地区まで延びる路線バスに乗り換えた。上下3本という本数で、只見線の列車(会津若松→小出、小出→会津若松)の到着時刻に合わせた発車時刻になっている。*会津乗合自動車㈱「路線バス」山口管内「大芦 ⇒ 昭和温泉 ⇒ 玉梨 ⇒ 川口」(時刻表PDF)

 

駅頭で待っていると、バスがやってきた。

8:23、大芦行きの路線バスが、川口駅前を出発。客は私1人で、結局、私が降りるまで客の乗降は無かった。この貴重な路線バスが活かされるような、只見線の利活用も大切だと思った。

  

 

 

野尻川沿いに延びる国道400号線を進んだ路線バスが、金山町の最後の停留所・川上を出ると運賃表には昭和村の最初の停留所である松山が表示された。このバスは“自由乗降路線”なので、私は乗車時に運転手に『松山手前で降りたいです。(降りる場所が)近づいたらお知らせします』と言っていた。*参考:会津乗合自動車㈱「バスの乗り方のご案内

 

8:38、「大妻山」の取付点と考えていたスノーシェッド(以下、SS)手前で停車してもらい、輪行バッグを抱えてバスを降りた。

だが、降りた瞬間、周囲の様子が違うと思い、一つ前のSSで降りてしまった事に気付いた。ここは網木SSで、降りるべきは松山第3SSだった。

 

SS手前の空きスペースで自転車を組み立て、松山第3SSに向かった。

網木SSを抜けると、前方にこれから登ることになる「大妻山」に連なる尾根が見えた。尾根にはマツが立ち並び、壁のような圧迫感を感じた。

 

野尻1号橋を渡ると、前方に松山第3SSが見えてきた。

 

8:57、松山第3SSに到着。柱と柱の間の壁に自転車を立てかけて、登山の準備をしようとした。

ただ、この時、野尻川右岸の山の斜面から『おーい、おーい』という人の声がした。

カメラを取り出しズームにしてみると、山の斜面を横断する人の姿があった。登山とは思えず、クマ除けの声を出しながらキノコ採りでもしているのだろうと思った。

 

気を取り直し登山準備を終わらせ、野尻1号橋上に進み下流側を見上げ「大妻山」山頂を確認した。

 

熊鈴は今回も2つで、1つはリュックサックに、もう1つは足の付け根に取り付けた。

印刷してきた断面図入りの国土地理院地図をを見て、尾根筋にそって登るルートを確認。

9:15、「大妻山」登山を開始。松山第3SSの脇を登り始めた。

松山第3SSの上部に出ると、周りの木々が切り払われたようで真新しいU字構が設置されていた。最近まで補修工事が行われていたようだった。

地図を見ながら取付き点を探し、上方にマツ木立見える場所に決めた。

取り付く。

等高線の幅狭から、急坂を想像していたが、その通りでバランスを崩したら背中から滑落してしまう恐怖を感じる斜面だった。

急坂は続き、途中から激藪も加わった。

『この取付点は、失敗だったなぁ』と思いながら、転げ落ちぬよう、藪を掴みながら慎重に登坂した。

 

10分ほどで急坂が終わり、マツ木立にたどり着いた。

マツ木立から先は緩やかな上りとなったが、痩せ尾根に、根曲りしこちらに枝を張った逆木が多く植生し、越えるのに難儀した。

 

右手が開け、「大妻山」山頂と、これから登って行く尾根が見えた。青空の面積も多く、登頂するまでは何とか天気は持つだろうと思ったが、『できれば下山が終わるまで...』と願った。

 

この先、マツが立ち並び藪が生い茂る、傾斜の緩やかな尾根筋が右に大きくカーブしていた。道迷いがなさそうな“一本道”の様相だったが、夏場などの有葉期は藪漕ぎに苦労する“登山道”だと思った。

 

少し登ると、右下に野尻一号橋と野尻二号橋の間の国道400号線のカーブが見えた。

そして、左側には野尻川と松山集落の一部が見えた。

 

尾根筋のスギの無い区間には、雪が積もっていた。一昨日会津地方を襲った寒波によって降ったもので、これくらいの積雪量は想定していた。そして、この時は山頂付近も同程度だろうと考えていた...。 

時折、激藪があり、逆木の“攻撃”を受けながら越えた。短い急坂に激藪がある場所では、逆木の“攻撃”が増し、顔を何度も枝で突かれた。

 

尾根筋からは、しばらく「大妻山」山頂が見え続けた。

 

少し進むと、痩せ尾根や短い急坂も無くなり、薄薮の平たい尾根が続いた。

藪が無けれ快適に歩けるような、なだらかで適度な幅を持った尾根筋だった。

  

 

9:58、前方の足元に標石が現れた。

国土地理院地図には、このあたりに三角点は無く、おそらく図根標石だろうと思い側面を見ると、“図根”と刻まれていた。581mの標高点を示すものではないだろうかと思った。

 

 

平尾根を進んだ。

右の開けた場所から、山頂に続く尾根を見ながら『このまま、この歩き易い場所が続くのだろうか』と思った。

 

標高が高くなるにつれて、ナラの幹に生えるキノコが目に付くようになった。ヒラタケのように見えたが、知識不足で特定できなかった。

また、歩いていると、時折陽が注ぎ、背が温かくなった。

 

マツ木立に薄薮の平尾根は続いた。

  

10:15、“馬の背”とも呼べる痩せ尾根を通過。

この“馬の背”の開けた場所から前方を見ると、「大妻山」山頂が近付いていた。

 

 

10:17、尾根は、少し傾斜が増した。

急坂を50mほど進むと岩場になり、積雪量が増えた。

枝に載った雪塊も見られ、周りの空気もヒンヤリし始めた。

 

10:29、足場も単純な平尾根でなくなり、藪や逆木により悪くなった。少し進むと、平場とは言えないまでも、波打つ傾斜の空間になった。

雪の上には、ウサギより大きくクマより小さい動物の足跡が目立つようになった。カモシカでは、と思った。


このあたりも、無葉ということで尾根筋が見え、迷うことなく進む事ができた。

ただ、途中振り返って、さきほどの広い空間を見下ろすと『下山時にルートロスするかも...』と心配した。

 

 

“広い空間”から先、尾根の積雪は一段と増し、登山靴は踏み出すごとに雪にすっぽりと埋まるようになった。

 

雪上には、カモシカのものと思われる痕跡が、一段と目立つようになった。

蹄の枯葉の上を踏みつけ、気温上昇で靴底ような形状に融けた足跡。

おしっこによるマーキング。

そして、若芽を食べるたの掘り返し。一匹によるものではなく、群れで動いているのだろうかと思った。

 

 

雲の動きは刻々と変化し、薄暗くなったと思ったら陽が差すなどしていた。陽光が雪面に落ちると、その光景は気持ちよく、癒された。

 


 

10:59、左(西)前方を見ると、別の尾根が「大妻山」山頂に向かっているのが見えた。

地理院地図を見ると、山頂手前で合流する尾根のようだった。

 

 

尾根の傾斜が増し、木が疎らになった場所で振り向くと、昭和村の野尻地区や下中津川地区が見えた。

 

 

積雪は更に増え、50㎝ほとになった。新雪で重みは無く、足を取られることはなかったが、進むスピードは落ちた。軽やかに駆けたであろう、カモシカの足跡を見ると羨ましくなった。

 

西側が開けた所では、幹に龍の背のように雪が吹きつけられた木があった。

東側の斜面には、風雪の荷重で倒れた木々が見られ、ここは冬場の荒天時に厳しい環境になるのだろうと思った。

  

傾斜が増した雪面を進むと、右の斜面が大きく開け「高森山」(1,099.7m、会津百名山58座)が見えた。この山は“女性的”と言われているが、近隣の山から見るとそれが納得できる山容のようだと改めて思った。

 

 

11:07、前方を塞ぐようなアオキの群生があった。

アオキの群生を苦労しながら越えると、痩せ尾根になり、マツが並んでいた。

そして、さらに痩せ尾根を少し進むと、積雪のある浅い鞍部になった。

鞍部に降りると、前方に「大妻山」山頂が見えた。

 

雪重で藪が押しつぶされた尾根を進むと、尾根が平たくなり前方に肩が見えた。

肩に乗ると、地面を掘り返し、腐葉土が散らかされた場所があちらこちらに見られた。ここでも、カモシカが餌となる新芽を求めて、必死に前脚を動かしたのだろうと想像した。

 

 

この肩の後も平たい尾根が続いた。前方に見える「大妻山」山頂が、どんどんと近づいてきた。

 

11:26、尾根に点在する岩場になった。平尾根で傾斜が緩いために、障害にはならなかった。

ただ、岩場は思いのほか長く続いた。

 

 

11:32、岩場を越えさらに緩やかな傾斜の尾根に乗ると、一時陽が差した。そして、「大妻山」山頂は目の前だった。

少し登り進み、左側の開けた場所に目を向けると、山塊が見えた。位置的に電源開発㈱田子倉ダム(発電所)の背後に聳える“寝観音様”(「猿倉山」(1,455m)から「横山」(1,416.7m)の稜線)と思われた。

 

 

 

山頂が近付いてきた。膝位置まで積もる新雪をラッセルしながら、登り進んだ。

そして、5分ほど進むと、上空が開けた。

 

 

11:41、平場になった。前方にピークは見えず、ここだ「大妻山」山頂のようだった。

山頂は一面30㎝を越える雪に覆われているばかりか、一番高いと思われる場所は、雪重で倒れた幼木に塞がれていた。 

 

さっそく、GPSを取り出し、三角点標石を探索した。

GPSが三角点標石の座標を示す場所は、倒木に覆われていた。絶対に標石を見つけたい、と小高い場所を見定め、細かく足を動かし登山靴で雪を除けながら、周辺を歩いた。

 

 

...三角点標石探索を始めて25分。登山靴のつま先に何かがぶつかり、手で雪を掻き分けて見ると、人工的に置かれた石があった。

もしやと思い、この石の左側、50㎝付近の雪を掻き分けると、同じように人工的に置かれた石が出てきた。

これは、昭和村の「大仏山」(994.3m、会津百名山65座)山頂にあった、三角点標石を取り囲む石だ、と確信した。

そして、、二つ石を結ぶ直線から、それぞれ約45度の角度で線を引くと見立て、その交点の雪を除雪すると、それは頭を出した。

 

12:21、周囲の腐葉土を除けると、二等三角点「大妻山」の標石が現れた。山頂到着から、40分が経過していた。

正面には、“二等”と刻まれていた。

*「大妻山」:二等三角点「大妻山」
基準点コード:TR25639047201
北緯:37°23′31″.6952
東経:139°32′12″.1942
標高(m):942.84
*出処:国土地理院地理院地図「基準点成果等閲覧サービス」URL:https://sokuseikagis1.gsi.go.jp/)  

 

標石に触れて、「大妻山」の登頂を心から喜んだ。

三角点標石があった場所を、除雪前の写真と比べて見てみた。積雪と倒木で一瞬探索を諦めかけたが、チャレンジして良かったと思った。

 

一息ついて、三角点標石付近で上空を見上げた。青空は見えなかったが、気持ち良かった。

 

山頂からの眺望は、木々に遮られて無かった。

西側の風景。

東側の風景。

ただ、「大妻山」山頂は、かつて鹿島神社(金山町玉梨地区)が鎮座していたという伝承がうなずけるような、かなり広い平場を持ち特徴的だと思った。

 

12:28、「大妻山」山頂を後にした。自分の踏み跡を辿り、下った。

平場の端になり傾斜を下るという時に、前方に野尻川の上流に向かって点在する昭和村の集落が見えた。無葉期だけの眺めで三角点標石からは離れるが、この場所が山頂付近から得られる一番の眺望のようだった。

  


12:38、岩場を下り始めた。

12:43、痩せ尾根を慎重に下った。

12:47、昭和村の集落が見通せる最後の場所を通過。

12:49、登山時に苦しめられたアオキの群生を越えた。

 

13:11、“広い空間”に下りた。登山時の懸念通り、一時進むべき方向を見失い、自分の足跡を探した。左の開けた方に移動したところ、自分の足跡を見つけ、下山を再開することができた。この場所は、ルートロスの可能性がある、注意箇所だと思った。

 

 

13:19、尾根に続くマツが目立つようになった。

そして、左側の切れ落ちた斜面の先を見ると、国道400号線の野尻2号橋と綱木SSが見えた。

 

13:29、標高581mの図根標石を通過。

 

13:36、取付き点まで続く、藪に覆われた急坂になった。下山時も、ここが最大の難所になった。

藪坂を下る前に振り返ると、約1時間前に居た「大妻山」山頂が見えた。

右側に目を向けると、野尻川と松山集落が見えた。

 

 

...激藪の急坂を、時に籔につかまり、時にお尻を地面に付けて、慎重に下った。下に見える国道400号線は少しずつ近づいてきた。

 

激藪を下り始めて15分ほどで、取付き点となる松山第3SSの天端が見えた。直進すると取付き点だったが、左側の斜面が緩やかだったため、こちらを下った。

  

13:55、松山第3SSの天端に下り立った。振り返ると、取付き点から50mほど手前に下りたようだった。「大妻山」の昭和村側の取付き点は、この場所が良いと思った。

SSの天端から国道400号線に下った。

 

 

 

13:57、国道400号線に無事に戻った。登山開始から4時間44分、「大妻山」山頂から1時間29分で下山した。

今日は、午後から天気が下り坂ということで、さっそく自転車を取り出し、野尻1号橋から「大妻山」を見上げてから、会津川口駅に向かって移動を開始した。

快晴とはならなかたが、下り坂の天気予報の中で崩れる前に無事「大妻山」に登頂できた。

「大妻山」は良い山だった。藪山で開けた眺望は得られなかったが、「鹿島神社」が置かれていたという広い山頂の佇まいは、趣きを感じられた。

 

“只見線百山”に「大妻山」を入れる場合は、取付き点から尾根までの整備が必要だと感じた。藪が濃い急坂は滑落の危険性が高まり、登山は一般的ではないと思うからだ。藪の刈払いとヒモ場の設置は必須だ。また、山頂に「鹿島神社」があり、移遷したのが金山郷一体を治めていた山ノ内氏ということから、山頂などに何かモニュメントを設置することで、当地の歴史が感じられ“只見線百山”としての「大妻山」の魅力は高まるだろうとも思った。

 

二次交通は、路線バス(会津バス)があり、しかも乗降自由なので、3本という少ない便数を許容するれば会津川口駅を起点とした移動は問題ない。もし、登山後に「玉梨八町温泉」に立ち寄りたい場合は、バス停(玉梨八町温泉)がある。

また、会津川口駅には電動アシスト付きも揃えたレンタルサイクルがあり、時間に縛られずに快適に移動できる。さらに、複数で登山する場合はレンタカーで移動することもできる。

 

「大妻山」登山は二次交通も問題なく、登山後に温泉という楽しみ方もできるので、登山道の整備がなされ、私選“只見線百山”として“観光鉄道「山の只見線」”の魅力あるコンテンツになって欲しいと思った。

 

14:03、自転車を進め昭和村から金山町に入ると、雨がボツボツを降ってきた。

そして、乞食岩前を過ぎる頃には、雨脚が強くなった。

 

そこで、玉梨SSを抜けて玉梨集落に入り、空き家の軒先で雨宿りをすることにした。

10分ほどして、雨脚が弱くなったようなので、再び自転車にまたがり先に進んだ。


 

14:38、会津川口駅に到着。小栗山付近で雨は止んで、駅舎上空には青空も見えた。

さっそく、駅舎に入り上着を脱いで乾かし、駅前のみんなのトイレに行って濡れた衣類を交換した。

 

駅舎に戻って初めて気づいたのだが、待合スペース内にコインロッカーが置かれていた。大型のバッグが入るような大型のもので、荷物を取り出すと投入した100円が戻ってくるという仕様になっていた。

一息ついてから、自転車を輪行バッグに収納し、駅前の加藤商店で昼食を購入しベンチに座って食べた。列車内で、とも思ったが、間違いなく混雑していて座れない可能性があるので、ここで摂る事にした。

 

15:20、列車の到着が近付き、構内の売店で金山町出身の色鉛筆画家である大竹惠子さんの2024年カレンダーを購入してから、ホームに向かった。

 

駅舎を出ると、すれ違いのため先頭がキハ110タラコカラーの小出行きの列車が交換のため待機中で、ホームに行くとまもなく会津若松行きが入線してきた。キハ110+キハE120形の2両編成だった。

 

15:35、列車に乗り込むと、10分の停車の後、会津若松行きが会津川口を出発。車内は予想通り混雑していて、私は、キハE120形の最後部に行き立って過ごす事にした。

車内では、「大妻山」登頂の祝杯を上げた。まだ、身体は冷えていたが、冷えたビールは旨かった。

 

列車が進むと、時折小粒の雨が降ってきた。本を取り出し、時折車窓から景色を眺めながら過ごした。

 

 

17:24、七折峠を越え日が暮れた会津平野を駆けた列車は、終点の会津若松に到着。ホームにあふれた客は、連絡を渡り、駅舎や乗換のために別のホールに向かっていった。

 

私は、改札に向かい、途中下車した。そして、夕食をとろうと神明通りを歩き市街地で店を探した。

今夜は、「南京飯店」で餃子を食べる事にした。気になっていた店だった。

雨が降っていたこともあってか、店内は空いていて、BOX席に案内された。

メニューを見るが、初めて入る中華料理店では「餃子」にビール、そして「ラーメン」と決めていたので、まず「餃子」とビールを注文した。

5分ほどで、「餃子」とビールが運ばれてきた。皮のもっちり感が伝わる見た目で期待が持てた。スタッフにラーメンの追加注文をして、ビールを一口飲んでから餃子に箸をつけた。

餃子を一口。キャベツの食感が先行し、噛むと肉と野菜の旨味が口の中に広がった。そして、ビールを流し込むと、幸せな気分になった。旨い餃子だった。

この後、餃子が残り1個となったところでラーメンが運ばれてきた。シンプルな醤油ラーメンだったが、チャーシューが柔らかく旨く、一日の〆に相応しい一杯だった。

 

  

「南京飯店」で夕食を終え会津若松駅に移動し、磐越西線の列車に乗って郡山駅に到着すると、駅頭のイルミネーションは、濡れた地面に光を反射させ一層輝いて見えた。

 

 

(了)

 

 

・  ・  ・  ・  ・

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書(PDF)(令和2年3月) 「復興事業に係る事務の執行について」 p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

 ①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/


②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。


以上、宜しくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

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