乗り納め(全線乗車 会津若松⇔小出) 2023年 年末

今年もお世話になったJR只見線。2023年最後の23回目の乗車は、全線135.2km(会津若松~小出間)を往復で乗り通した。

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書(PDF)(令和2年3月) 「復興事業に係る事務の執行について」 p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業

 

 


 

 

昨夜は会津若松市内で宿泊。今朝、只見線の始発列車に乗るため未明の会津若松駅に向かった。

 

天井に会津木綿が吊るされた改札横の展示スペースには、赤べこ「ぽぽべぇ」が凛々しい袴姿で中央に立っていた。凛々しさと愛嬌が共存するこの“袴ぽぽべぇ”を私は気に入っていて、この姿を見る事から只見線の旅が始まるのが習慣となった。

 

切符に検印入れてもらい只見線のホームに向かう。連絡橋から見下ろすと、時間が早いせいか、ホームには磐越西線の下り始発列車(新潟行き)が入線していた。

ホームに下りると、既に6人が並んでいた。「青春18きっぷ」が使える冬休みということで、混雑を予想し早めに宿を出たが、上には上がいるものだと思った。

 

5時40分過ぎ、列車が入線してきたが、何とキハ110東北支社色の単行(1両)だった。並ぶ人は増え、この時には20名を優に超えていた。

私は、目当ての1×1BOX席を確保できず2×2BOX席の窓側に座った。客は次から次にやってきて、私が座ったBOX席も含め、発車の20分前にはロングシートも含め満席となり、席に座らず立つ客も出始めた。

 

6:08、小出行きの列車が会津若松を出発。車内は“通勤列車”のように混雑し、立り乗り客が20名を越えていた。会津若松~小出間を乗り通す場合、立客にとって4時間33分という乗車時間は過酷だと思い、『JR東日本よ、2両編成にはできなかったのか?』と言いたい気持ちになった。

年末年始は、“学校や企業の休暇+青春18きっぷ利用期間”ということで、この始発列車を単行ではなく、2両編成にしているのかと思ったが、違った。この列車が小出発の最終列車になり平時は“空気を運んでいる”という状態であるため、コストと車両の運用を考慮し、またJR東日本は只見駅を境界に、管轄が東北本部と新潟支社が分かれるということもあり、単行にせざるを得ないのだろうと考えた。

 

 

列車は、暗闇の中を進んだ。七日町西若松の市街地の駅を経て、大川(阿賀川)を渡り会津平野の田園に入ると、灯りはほとんど無くなった。

車窓は、車内の人いきれも重なり、全面が曇り、拭いたそばから直ぐに曇るを繰り返した。夜明け前で景色は見られないため、この時は気にならなかったが、この先不安になった。

観光鉄道「山の只見線」”の実現と定着のためには、車窓の透明度維持と結露防止も必要な対応だと私は考えている。

只見線を生活鉄路から観光鉄路に位置づけを変え、災害運休区間(会津川口~只見)を上下分離方式で保有し、運行費用など年3億円を負担し続けることになる福島県を中心とする沿線自治体は、観光乗車客の満足を高め、『また乗りたい』と思わせることでリピーター需要を定着させる必要がある。

車窓には、観光乗車客と列車の周辺に広がる景色を結び付ける大きな役割があり、その車窓が汚れ曇っていたのでは、客と景色は分断され旅の満足度は下がり、『また乗りたい』と思わせないばかりか、好意的な口コミも得られない可能性がある。

福島県が中心となって進める「只見線利活用計画」は現在第2期で、様々な施策が勧められているが、JR東日本と話し合いを持ち、まずは週末や長期休暇期間、そして紅葉期や降雪期の只見線の“観光力”が増す時期に、列車の車窓の透明度維持と結露防止がなされるようになって欲しい、と改めて思った。

 

 

列車は、会津本郷の直後に会津若松市から会津美里町に入り、会津高田から“高田 大カーブ”で進路が真北に変わった後に根岸に停車。東の空を見ると、雲の隙間から曙色の空が見えた。

 

 

6:42、新鶴を経て若宮から会津坂下町に入った列車は、会津坂下に停車。上り1番列車(会津川口発)とすれ違いを行った。

 

会津坂下を出た列車は右に大きく曲がりながら、七折峠に入った、登坂途中、塔寺手前で木々の切れ間から見下ろすと、会津平野は雲と一体となった分厚い霧に覆われていた。

 

 

 

会津坂本を出発後に柳津町に入った列車は、外壁が真っ白に塗られた会津柳津に停車。

駅舎は、JR東日本から柳津町に無償譲渡され、現在改修工事が進められている。

*下掲:(左)改修前の会津柳津駅 / (中央)福島民報 2023年4月13日付け紙面 / (右)柳津町・東日本旅客鉄道㈱「只見線会津柳津駅駅舎譲渡に伴う調印式の実施について」(2023年4月5日)URL: https://www.jreast.co.jp/press/2023/sendai/20230405_s03.pdf


会津柳津を出た列車は、郷戸手前で“Myビューポイント”を通過。「飯谷山」(783m、会津百名山86座)は、鼠色の雲に覆われ、全く見えなかった。

 

 

 

列車は滝谷を出て、“只見川八橋”の前座を務める「滝谷川橋梁」を渡り、三島町に入った。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋検索

 

会津桧原を出て、桧の原トンネルと抜けた列車は、「第一只見川橋梁」を渡った。車内放送による観光案内はなかったが、“観光徐行運転”は行われ、低速で走行してくれたため、ゆっくりと景色を見る事ができた。*只見川は東北電力㈱柳津発電所・ダムのダム湖

 

会津西方では4人の客が降りた。大きなカメラが見えた事から、「第一只見川橋梁ビューポイント」に向かう観光客のようだった。

会津西方を出てまもなく、「第二只見川橋梁」を渡った。ここでも“観光徐行”が行われ、結果、「第八」までの“只見川八橋”全てで“観光徐行運転”が行われた。*只見川は柳津ダム湖


 

列車は減速し、「アーチ3橋(兄)弟」の次男・宮下橋を渡りながら、長男・大谷川橋梁を渡った。*参考:三島町観光協会(観光交流館からんころん)「『みやしたアーチ3橋(兄)弟』のビューポイント」(2013年6月16日) URL: https://blog.goo.ne.jp/mishimakankou/e/e93620f5690ee4e3adf6d1124b2f46e5

7:29、会津宮下に停車。列車交換のため9分停車するため、ホームに降りて西に目を向けると、「三坂山」(831.9m、同82座)の山頂が見えた。

ホームに降りた客は多く、新設された構内踏切で立ち止まり、列車を撮影する方も居た。

しばらくすると、構内踏切の遮断機が下り、上り2番列車(会津川口発)が、“タラコ”カラーのキハ110系の単行でやってきた。

この列車にも、多くのカメラが向けられた。

 

 

会津宮下を出た列車は、東北電力㈱宮下発電所の背部と宮下ダムの脇を駆けて、「第三只見川橋梁」を渡った。*只見川は宮下ダム湖

 

 

 

早戸を出て金山町に入ると、会津水沼を出てまもなく「第四只見川橋梁」を渡った。シャッターを切るタイミングを悪かったため、鋼材が写り込んだ。*只見川は宮下ダム湖

列車は国道252号を潜り抜け、線形改良工事に合わせ“無電柱・無電線化”が行われた区間を進んだ。東北電力㈱上田発電所・ダムの直下の只見川の清流を見られる場所で、短い区間ではあるが、“無電柱・無電線化”の効果は高いと改めて思った。

 

  

会津中川を出た列車が大志集落の背後を駆け抜けると、まもなく、前方に林道の上井草橋が見えた。

ここで振り返って、只見川に突き出た大志集落を眺めた。上田ダム湖の湖面鏡は冴え、上下対象の味のある風景が見られた。

 

 

8:05、会津川口に到着。上り3番列車となる、小出始発の“1番”列車とすれ違いを行った。上空の青空の部分が多くなり、明るさが増していた。

10分の停車時間があるため、ここでも多くの客がホームに降り、写真撮影などをしていた。

 

 

会津川口を出た列車は、しばし只見川沿いを走った。水鏡の冴えは続き、周囲の景色を映し込んでいた。

西谷信号場跡の広場を抜けると「第五只見川橋梁」を渡った。*只見川は上田ダム湖

 

本名を出発し、国道252号線を跨ぎ「第六只見川橋梁」を渡った。上流側直近にある東北電力㈱本名発電所・ダムはゲートが閉じられ、落水は全て発電所側のタービンを回しているようだった。

 

本名トンネルを抜け、橋立地区に入った列車は、民宿「橋立」の駐車場脇に立つ、“只見線中間標”を脇を駆けた。シャッターを切るのが早く、『ここが、只見線の真ん中だ!』を捉えられなかった。


会津越川会津横田を経て「第七只見川橋梁」を渡った。*只見川は本名ダム湖

 

 

会津大塩を経て、滝トンネルを抜けると只見町に入った。*只見川は電源開発㈱滝発電所・ダムのダム湖

 

会津塩沢で出発してまもなく、「第八只見川橋梁」を渡った。湖面に浮んでいた水鳥たちが、列車が近付くと、対岸の方に向かて移動しはじめ、多くの水紋が見られた。*只見川は滝ダム湖

 

会津蒲生手前の右カーブでは、陽光に照らされた蒲生原の雪原が見られた。

 

会津蒲生を出て八木沢地区に入ると、遠方の雲の間に只見四名山「会津朝日岳」(1,624.3m、同27座)の山頂が見えた。

この後、列車は左に曲がりながら、只見線最長(372m)の「叶津川橋梁」を渡った。

「叶津川橋梁」の渡橋を終えると、左側(北東)に只見四名山「蒲生岳」(828m、同83座)の“会津のマッターホルン”に相応しい山容が見えた。


 

 

9:07、列車は只見に到着。空には雲を割るように青空が見えた。

ここでは23分もの停車時間があり、多くの客が降りて、写真を撮ったり駅前の「只見線広場」などに向かっていた。私は、国道252号線沿いの松屋まで足を延ばし、買い物をした。

 

駅に戻ると、駅舎周辺で散策を終えた多くの客が、長い連絡道を歩き列車に向かっていた。

 

 

9:30、列車が只見を出発。まもなく、宮道踏切の前には列車に向かって手を振る方が現れた。もちろん、「駅前旅館」の女将の姿もあった。


列車が上町トンネルと4基のスノーシェッドを抜け、第二赤沢トンネル手前の明かり区間で、左側(南)に電源開発㈱只見発電所・ダムの洪水吐と、そのはるか後方に山間を塞ぐ電源開発㈱田子倉発電所・ダムの巨大な堰堤が見えた。

 

 

列車がディーゼルエンジンを蒸かし坂を駆け上がり、田子倉トンネルを抜け余韻沢橋梁を渡ると、左側(南)に田子倉ダム湖の“只見沢入江”と、その先には湖の中心部が見えた。


スノーシェッド内の田子倉駅跡を通過すると、降雪期通行止めとなっている国道252号線の只見沢橋が見えた。

 

 

国道252号線と交差した列車は、六十里越トンネル(6,359m)に突入した。

六十里越トンネルの序盤は上り坂で、ディーゼルエンジンの重低音が列車内に響いたが、福島県と新潟県の境を通過する頃に下り坂となり、列車は軽やかに進んだ。

 

 

7分ほどで六十里越トンネルを抜け新潟県魚沼市に入ると、青空が大きく広がっていた。

雪の量は、田子倉ダム湖周辺と変わらないようだった。

 

 

列車は、末沢川に架かる16本の橋を渡り、減速しながら末沢川が注ぎ込む破間川に架かる「第五平石川橋梁」を渡り大白川に停車した。*かつて、破間川は、源流から旧大栃山村と旧穴沢村の境界(黒又川合流点付近)までを平石川と呼んでいたため、橋梁名にその名残がある。

 

大白川出発後は、破間川と並んだり交差しながら進んだ。「第四平石川橋梁」を渡る際、下流側の右岸に沿って美しい曲線を描く国道252号線の柿ノ木スノーシェッドの真っ赤な鋼材を眺めた。

 

「第一平石川橋梁」を渡る際は、振り向いて水路式の東北電力㈱上条発電所の取水堤を眺めた。今日は、豪快に堤を越水していた。

 

国道252号線の新入広瀬橋越しには、「守門岳」(1,537.3m)の主峰・袴岳を隠すように「藤平山」(1,144m)が見えた。

 

 

10:08、列車は復路で途中下車する予定の入広瀬に停車。

 

次駅・上条を出て、しばらくすると、右前方に先月登った「西村山」(三等三角点の名称)と「鳥屋ケ峰」の山塊が見えた。

 

越後須原に停車すると、斜面に須原スキー場のゲレンデを持つ「西村山」が正面に見えた。

 

列車が魚沼田中越後広瀬を経て、藪神が近づくと、真っ白に冠雪した、越後三山の「越後駒ヶ岳」(2,002.7m)が見えた。

 

 

 

列車は、減速しながら「魚野川橋梁」を渡った。

   

10:44、終点・小出に到着。向かい側には、会津若松行きの2番列車(13時12分発)が待機していた。

ホームの南端からは、雲一つない快晴の空の下、越後三山や昨年11月に登った“魚沼アルプス”の山々が見えた。

また、連絡橋を渡り改札口のあるホームに行くと、只見線の列車越しに“権現堂山”(「下権現堂山」(896.7m)、「上権現堂山」(997.7m))が綺麗に見えた。


改札を抜けると入口の脇に、今回の旅で利用した「青春18きっぷ」のポスターが貼ってあった。

この後駅舎を出て、少し早い昼食を摂ろうと、目当ての食堂に向かった。

 

途中、魚沼川に架かる小出橋から、雲一つない青空を背景にした越後三山と“魚沼アルプス”の山々を眺めた。今日、ここまでの好天に恵まれるとは思わず、“観光鉄道「山の只見線」”の新潟県側を代表する美しい山並みが見られたことに感謝した。

 

 

小出駅から歩くこと10分ほどで、小出病院が見えてきた。

そして、病院の駐車場の向かいにある「丸川屋」に到着した。

引き戸を開けると、すでにカウンター席と座敷にそれぞれ客が居た。昼時ということもあり、この後は、次から次に客がやってきて、「丸川屋」が人気店であることが分かった。

 

私は厨房が目の前にあるカウンター席に座り、メニューを見た。「丸川屋」はラーメンの他、蕎麦もうどんも扱う麺処で、魚沼名物の「へぎそば(うどん)」もメニューに載っていた。

年越しに蕎麦、とも一瞬考えたが、事前の決めていたものを注文し、三世代と思われるスタッフが忙しく動き回る目の前の厨房を見ながらしばし過ごした。


注文の品は、思いのほか早く給仕された。「チャーシューメン」と「ライス」。「ライス」は丼で、炭水化物コンビは見た目に迫力があり、胃袋を刺激した。

「チャーシューメン」。

魚介系の柔らかな香りが立ち上り、自家製チャーシューが全体を覆い、その上に定番のメンマや海苔、ネギが載り、中央の蒲鉾が特徴的だった。

まず、スープから飲んでみる。口当たりは意外と柔らかかったが、出汁のベースに醤油の風味が合わさり、鼻を抜ける香りも心地よく、旨いスープだった。

麺は中太の玉子麵で、ゆるい縮れにスープがまとわり食べられた。何より、店の看板に“熟成麺”と掲げられているように、麺ののど越しは柔らかく、濃厚な味わいを感じられた。並盛と中盛が同じ料金という事が信じられないクオリティーで、記憶に残る旨い麺だった。

そして、チャーシューは適度な硬さで、熱いスープに浸けていても形が残り、肉感を楽しめた。


「ライス」は、もちろん魚沼産コシヒカリ。立ち上る香りやツヤ、そして風味と旨味は申し分なく、さすが魚沼と唸る米だった。

この「ライス」には、うれしいことに漬物の小鉢が付いた。

「丸川屋」のラーメンは、『また食べたい』『次は別味を食べてみたい』と思える旨いラーメンだった。小出駅から只見線に乗る、または乗ろうとする方には、ぜひ「丸川屋」を訪れて欲しいと思った。


「丸川屋」を後にし、高台から小出地区を囲む山々を見たいと、小出スキー場に向かった。

小出橋を渡り県道47号(小出停車場)線を左折し、県道372号(五箇小出)線との合流点で右の側道に入り徐々に傾斜の増す坂を上ってゆくと、左(東)が開け市街地を囲む美しい山並みが見えた。

少し先に進むと、山襞の陰影を現す越後三山が見えた。

そして、少し左(北)に目を移すと、「笠倉山」を頂点とする“魚沼アルプス”の山々も綺麗に見られ、昨年11月の周回登山を思い出した。

 

 

「丸川屋」から20分ほどで、小出スキー場に到着。第1リフト周辺には、小さな子どもを連れた家族連れを中心に賑わい、歓声が響いていた。

スキーセンター広場の端に移動し、小出地区を見下ろし、囲む山々を眺めた。

“権現堂山”(「下権現堂山」(896.7m)、「上権現堂山」(997.7m))から「唐松山」(1,079.4m )を経て、奥只見に至る山並み。

「越後三山」。

そして、「笠倉山」と「越後駒ヶ岳」。鮮明に見えた両座に、“魚沼アルプス”周回登山の際に晴れていれば、「笠倉山」山頂から冠雪したての「越後駒ヶ岳」が見られただろうに、と少し悔やんだ。

 

 

小出スキー場を後にして、小出駅に向かった。

今回も只見線全線乗車ということで、列車内で“会越の酒”を呑み比べるため、駅舎に入る前に駅前にある「富士屋」で地酒を購入した。

「富士屋」を出ると、駅前ロータリー越しに「越後三山」が見えた。何度か目を向けた方向だったが、今日は快晴で「越後三山」が際立ち、目に付いた。初めて見る光景に『只見線に「越後三山」は欠かせない』と思った。

小出駅の駅舎に入ると、停車中の列車への乗車が可能ということで、改札を通り連絡橋を渡り4番ー5番線ホームに向かった。

 

階段を下りると、4番線(右)に13時12分発の会津若松行きの(2番)列車、5番線(左)に16時12分発の会津若松行きの最終(3番)列車が、私が小出に到着した時と同じように停まっていた。

私は、4番線のキハE120形+キハ110の2両編成に乗り込んだ。車内には既に多くの客が乗り込み、全てのBOX席は相席が必要な状態だった。私は後部車両のキハ110のロングシートに座って、列車の出発を待った。

 

13:12、上越線の上り列車から、更に多くの客を乗せた会津若松行きの列車が小出を出発。両車両とも立客が出る混雑ぶりだった。

 

13:45、藪神越後広瀬魚沼田中越後須原上条の各駅で停発車を繰り返した列車が入広瀬に到着。私の他、2名の客が降りた。

 

駅は無人駅だが、駅舎は「雪国観光会館」との合築で大きく、コンコースには2階に上る階段(閉鎖中もあった。

壁はショーケースがあり、国鉄時代の駅名標や歴代駅長名が書かれた木札などが展示されていた。

駅舎と出ると、正面には「藤平山」の左側(北西)に「守門岳」山塊の「大岳」(1,432.4m)の真っ白に冠雪した山頂が見えた。

 

入広瀬駅から400mほど歩き、破間川に架かるかえる橋の先に、目的地が見えた。

 

かえる橋を渡り、まもなく「寿和温泉ドリームタウン 露天風呂棟」に到着。入広瀬駅から10分ほどだった。

建物は昨年11月17日にリニューアルオープンしたため、外観も内装も綺麗だった。“露天風呂棟”とあるが、このリニューアルを機に内湯とサウナ室を増設し、独立した温泉施設になったようだ。ちなみに、「寿和温泉ドリームタウン」の内湯があったヘルスセンター棟(本館)は昨年11月15日に、温水プール棟は昨年3月31日に、それぞれ閉鎖されている。

 

玄関を入り、券売機で入浴券(700円)を購入し、受付に手渡して脱衣所に向かった。館内は明るく清潔。浴室には洗い場が5か所あり、内湯は10人でもゆったりと入られる広さで、露天風呂は内湯の6割程度の広さで木製のベンチが置かれていた。すぐそばを破間川が流れているが、塀が高く全く見えないのはもったいないと思ったが、対岸が高い位置にあり入浴風景が見られてしまう可能性があるので、やむを得ないと考え直した。

肝心の湯は、無色透明で無臭。加熱はされているようだが、やや低温で長湯ができた。湯質はやわらかく、源泉かけ流しに循環ろ過を組み合わせているようだが、新鮮な感じがした。

 

浴後は、畳敷の休憩スペースで1時間ほどゆっくりした。二辺窓の開放的な室内からは破間川も見え、気持ちよく休むことができた。

寿和温泉
・源泉名:寿和温泉第2号源泉
・泉質:ナトリウム-硫酸塩・塩化物温泉(低張性中性温泉) 
・源泉温度:41.8℃
・Ph: 6.9
・湧出量:144L/分 *動力揚湯


「寿和温泉」に2時間ほど滞在し、入広瀬駅に戻ることにした。露天風呂棟のすぐ脇には、閉鎖された巨大なヘルスセンター棟と温水プール棟が異彩を放っていた。



入広瀬駅に戻った。

「雪国観光会館」との合築とはいえ、この駅舎も含め周囲には大きな建物が目立っていた。魚沼市となる前、入広瀬村時代に建てられたものだが、合併当時(2004年)人口が2千人に満たない村で、現在ではこれら施設の維持管理は大変だろうと思った。

 

入広瀬駅は無人で、暖房もなかったが、暖かかったためホームの待合室に向かった。そして、構内の残雪の中に入れて冷やしておいたビールを取り出し、列車の到着を待った。

 

15分ほど待っていると、“入広瀬 大カーブ”を経て列車が入線してきた。小出駅に停車していた、キハ110東北支社色の単行だった。往路と同じ列車に乗って会津若松に戻る事に、不思議な感じがした。

16:46、会津若松行きの最終列車が入広瀬を出発。

 

車内では、只見線全線乗車恒例の“会越の酒”吞みを開始した。

まずは、越後の酒。今回は小出駅前の緑川特約店「冨士屋」で3種試飲し、「雪洞貯蔵酒 緑「吟醸」」を選んだ。深みのあるまろやかさで、冷えていたが、吟醸酒らしい芳醇な香りも楽しめた。

アテは、同じく「富士屋」で手に入れた、新潟で作られたわさび味のおかき。わさびが適度に効いて、旨かった。



列車は、新潟県側最後の駅である大白川に停車。会津若松発・小出行きの2番列車とのすれ違い行った。

小出行きの列車は、混雑していた。

17:01、列車は大白川を出発。人家が全く無い、漆黒の六十里越を駆け上った。静かな車内には、ディーゼルエンジンの重低音が響いた。 


 


17:30、六十里越を越えた列車は、定刻に只見に到着。

私は、夕食を調達するため、往路と同じように国道252号沿いの松屋に買い出しに向かった。途中、停車中の列車を側面から眺めた。背後は只見四名山「要害山」だが、真っ暗でホームと列車が浮かび上がって見えた。

 

買い物を済ませ、只見駅に戻った。駅頭の“只見線全線再開通”のカウントボードは、455(日)と表示されていた。

 

駅舎を抜けて長い連絡道を歩きホームに停車する列車に乗り込んだ。

18:00、30分の停車を経て、会津若松行きの列車が只見を出発。


次駅・会津蒲生の待合室には電灯が点き、“立入禁止”の貼り紙が取り外されていた。

昨年6月に会津蒲生駅は天井壁材が落下し、その後の福島県保有区間(会津川口~只見)の同形状の5駅の点検でヒビ割れが確認された会津横田駅とともに改修工事が行われていた。*下掲記事:福島民報 2023年6月9日、同8月19日付け紙面 *赤線は筆者にて記述

 

“会越の酒”吞みを再開。会津の酒は、「会津中将 生純米原酒」を用意した。こちらは、爽やかさが感じられる香りとのど越しながら、確かな風味も感じられた酒だった。

 

列車は会津塩沢を出て只見町から金山町に入り、会津大塩会津横田会津越川本名で停発車を繰り返した。この間、押ボタン式の乗降口は開くことはなく、車内にはディーゼルエンジンの音だけが響いた。

 

18:52、会津川口に停車。小出行きの最終列車とすれ違いを行った。

ホームに降りて、この列車の中を覗くと、客は1人だけだった。

19:08、小出行きの列車が発車して8分後、会津若松行きの列車が会津川口を出発。私は、「会津中将」をチビチビと呑みながら本を読み、時折漆黒の闇の中で小さく固まった集落の灯りが過ぎるのを車窓から眺めて過ごした。


“居酒屋・只見線” 。

車窓から見える風景が魅力的な只見線は、夕方から夜に走ることになる両最終便(下り:会津若松17時発、上り:小出16時12分発)の乗客が極端に減る。最終列車は、翌朝に備えた車両回送という役割もあるだろうが、客を乗せるに越したことはない。

そこで、最終便の乗客増の策として“居酒屋・只見線”と銘打ち、会越の酒を車内で呑めるようにしてはどうかと個人的に思うようになった。酒処である福島・新潟両県の135.2㎞を、4時間も掛けて走る空間の有効活用策だ。生活利用客との同乗に問題はないか? 酒を給仕するスタッフはどうするか? テーブルやバーカウンターはどうするか? つまみは何を用意するのか?...などといった具体的なヒト・モノ・カネの問題はあるが、検討する価値は多いにあると思う。 

只見線利活用計画」を立案・実行している福島県は、車窓から見える景色や風景に映り込む列車の鉄道写真により“観光鉄道「山の只見線」”が広く知れ渡り、乗客増や沿線への経済効果を目論んでいるが、暗闇を駆けるため乗客が極端少ない最終列車に対する施策は無い。県は、新潟県や魚沼市に働きかけ、“空気を運んでいる”最終列車の乗客増に地酒の消費拡大という地域産業面での振興策を抱き合わせ、“居酒屋・只見線” を実現させて欲しい、と列車の中で酒を呑みながら思った。

 

 

 

 

20:55、列車は終点・会津若松に到着。

この後、会津若松で磐越西線の列車に乗り換えて、自宅の最寄り駅・郡山に到着。只見線沿線からは一転、駅西口広場のイルミネーションは華やかに輝いていた。

 

 

(了)

 

 

・  ・  ・  ・  ・

*参考:

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」 *2008年放送

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)

・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線の冬ー / ー只見線全線乗車

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

 ①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/


②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。


以上、宜しくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

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