「只見Shu*Kura」 乗車記 2019年 紅葉

新潟県内を走っている観光列車「越乃Shu*Kura」号が、「只見Shu*Kura」としてJR只見線内(小出~只見)を走る事になり、色づく沿線の紅葉を見ながら新潟から只見まで乗車した。

  

「越乃Shu*Kura」号は2014年4月から始まったJR東日本「新潟デスティネーションキャンペーン(DC)」に合わせて、“新潟県の銘酒・銘品を楽しむ新しい列車“”というコンセプトで作られた。列車の名は、新潟の旧国名「越後」と、日本酒、酒蔵から取られたものだ。*参考:JR東日本 新潟支社「越乃Shu*Kura

    

この列車には来年に乗ろうかと思っていたが、「只見Shu*Kura」として只見線に乗り入れる事を今年の8月に知った。

「只見Shu*Kura」は、一般乗車はできず、旅行商品購入者による団体専用列車ということだった。絶対乗らなければと思い、私は1号車に乗車できるJR東日本の旅行商品(びゅう)の発売開始日時(10月2日14時から)に申込みの電話をしたが、オペレーターが取り次いだ時には売り切れてしまっていた。わずか6分での完売だった。そこで、今回は別の旅行会社が販売する3号車乗車の商品を予約して、この日を迎えた。

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」 (2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(2017年6月19日)

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー観光列車ー / ー只見線の秋

 

 


  

 

昨夜、富岡町からレンタカーで新潟市入りした。

 

今朝の新潟駅上空にはネズミ色の雲が広がっていた。

  

6:40、ツアーの待ち合わせ場所に指定された東口「忠犬タマ公」前に行くと、20人を超える客が集まっていた。平日という事もあってか、ご高齢の方が多かった。

この後、新津駅で残りの乗客を乗せ、列車の定員36名(3号車、添乗員1名含む)に達するという。 

添乗員から一通りの説明を受けた後、皆で9番線に移動を開始。駅は在来線の高架化と万代口側の駅舎改築という大規模工事中で、仮設の通路と階段を使い進んだ。 

 

ホームには、前述したJR旅行商品(びゅう)の客やスタッフが居て賑わっていた。

しばらくすると『9番線にはまもなく列車が入ります』との放送が入り、ゆっくりと「只見Shu*Kura」が入線してきた。

 

列車が停車し扉が開くと、添乗員の掛け声を受けて3号客車に入った。

 

車内の写真は事前に見ていたが、想像以上に室内空間が洗練されていて、感激した。

ゆったりと作られたリクライニングシートと上下に大きく切り取った窓、そして光沢を放った通路、柔らかな電灯色の丸いライトなど、とても改造車両の空間は思えなかった。

 

車内の端、運転席側には対面式ソファー(4人掛け×2)が置かれたフリースペースもあった。

これらシートの図柄は、伝統工芸品の「小千谷縮」に倣ったものだという。ちなみに、この「小千谷縮」に使われる苧麻(ちょま)の大半は奥会津の昭和村産だ。*参考:小千谷織物同業協同組合「小千谷の織物」 

 

7:11、団体専用列車「只見Shu*Kura」が、ディーゼルエンジンを蒸かして新潟を出発。しばらくは、住宅地と田園が交互に現れる沿線を走った。

  

車内で入手した、最新のパンフレットを見る。

「越乃Shu*Kura」号は只見線で走っているキハ40形と兄弟車キハ48形を改造した3両編成で、1・3号車が客室(全席指定、定員1号車34名/3号車36名)で、2号車がイベントスペースとサービスカウンター(売店)になっている。外観は、一見“青”に見えるが、藍下黒という青みを帯びた黒に白を組み合わせ、“新潟の風土を表現”しているという。

「越乃Shu*Kura」号は、新潟支社管内で、土日祝日を中心に運行されている。北陸新幹線の上越妙高駅を基点に十日町駅(飯山線)間を運行しているのが「越乃Shu*Kura」。この他に上越妙高~越後湯沢間が「ゆざわShu*Kura」、上越妙高~新潟間が「柳都Shu*Kura」と名を変えている

平日は、この3か所以外で運行されることもあり。それぞれ名が与えられている。今回は只見行きということで、「只見Shu*Kura」と名付けられていた。

   

10分後に、新津に停車して10名ほどの客を乗せた。

 

 

出発後しばらくすると車内放送が、2号車でジャズの生演奏が行われる事を伝えた。 

さっそく2号車に行くと、フルート、(電子)ピアノ、ベースの演奏者が格子窓を背に並んでいた。フルート奏者の挨拶で演奏は始まり、“A列車で行こう”の軽やかなリズムが流れた。

 

2号車は左右非対称で、私は開放的な大きな窓に付けられたカウンターを背にして演奏を聴いた。

演奏は“ルパン三世のテーマ”や“上を向いて歩こう”などと続き、“茶色の小瓶”では客が卵型のマラカスを振り、車内は笑顔に包まれた。演奏は合計7曲、約30分に及んだ。

 

列車の中、しかもディーゼル車内での生演奏に、正直期待していなかったが、大きく裏切られた。電子ピアノの音色は先入観が恥ずかしいほど良く響き、ベースの重低音は体感でき、フルートは心地よく空気を震わせていた。良かった、とても良かった。これを聴くだけでも元が取れると思ったが、何ともう一度生演奏があるという。このお得感は、リピーターを増やすだろうと感じた。

  

 

このイベントホールを持つ2号車には、この列車の肝というべき日本酒を提供するサービスカウンター(売店)「蔵守(くらもり)」がある。

 

メニューには利き酒5種とビールやおつまみなどの他、デザートや柏崎名物の「鯛茶漬け」が記されていた。

 

お土産品として、巾着入りのお猪口などの物販もしていて、ライト付きのガラスケースに綺麗に陳列されていた。

  

 

二回目の演奏は、日本酒を飲みながら聴きたいと思い、利き酒コーナーから3種を選んだ。

 

プラスチック製のお猪口が、注文した銘柄の印刷箇所に載せられて提供された。これは、ユニークで素晴らしいサービスだと思った。

 

利き酒は季節ごとに変わるといい、10~12月は①越後桜(純米大吟醸、越後桜酒造)、②越の寒中梅(純米吟醸、新潟銘醸)、③大洋盛(純米吟醸、大洋酒造)、④新潟しゅぽっぽ(純米吟醸、今代司)、⑤新潟しゅぽっぽ(純米吟醸、越後鶴亀)となっていた。

 

つまみは「鮭の焼漬け」を選んだ。

  

 

8:35、二回目の演奏が始まる。日本酒を酒樽を模したスタンディングテーブルに置き、ちびちびと呑みながら聴いた。

演奏は、乗客が書いたリクエストカードをもとに行われた。中にはピアノだけで演奏せざるを得ない曲もあり、3種の楽器が同時に使わる機会は少なかったが、先の演奏とは違った雰囲気で良かった。

 

今回はベースの近くで聴いたため、その音が曲で果たしている効果がいかに大きい事を実感した。生演奏の醍醐味だった。

演奏は大いに盛り上がり、終わった。1号車の乗客は、復路でまた聴く事ができると思うと羨ましくなった。

  

 

自席に戻り、しばらくすると信濃川の支流・魚野川に沿うように進み、列車はスピードを落とした。

  

 

9:20、小出に到着。只見線の終点であり、新潟県側の起点となっている。「只見Shu*Kura」はここでスイッチバッグを行い、進行方向を変えて只見線に入ってゆく。

 

車内では、客が立ち上がり、座席の回転させて向きを変えた。

  

 

9:25、「只見Shu*Kura」が小出を再出発。魚野川橋梁を渡り只見線の旅が始まった。

 

列車は、しばらく草の生えた刈田の間を進んだ。

  

出発後5分ほどで、車内放送が入った。「Shu*Kura」号のもう一つのイベント、地酒の振舞いが行われるという。 

さっそく2号車に移動すると、生演奏を超える多くの客の姿があった。振舞うのは地元・魚沼市にある「玉川酒造」の風間さん。

「玉川酒造」は只見線沿線にあり、最寄りの越後須原駅とは500mの至近距離だ。只見線を利用した酒蔵巡りも可能だ。 

今日、用意されていた酒は3種類。

・吟醸「十八代 玉風味」
・雪中貯蔵大吟醸原酒「越後ゆきくら」
・純米吟醸「イットキー (IT’S THE KEY)」 

「イットキー」はワイングラスでおいしい日本酒アワード2017メイン部門で最高金賞を受賞した逸品で、女性客に人気だった。

 

呑み比べ、おかわりする客が後を絶たず、風間さんは大忙しだった。

これら試飲で出された酒は、サービスカウンター「蔵守」で購入可能ということで、多くの客が手にしていた。

  

地酒を楽しんで自席に戻ると、列車は越後須原を過ぎたところだった。

  

上条を出て、大カーブを曲がると、近付く山々の色づきも濃くなってきた。

   

入広瀬を過ぎた頃、法被を着た3人が沿線の観光案内を配り始めた。

 

只見町の袋には只見町地域創生課創生企画係が発行した「只見線 車窓ガイドブック」や、会津若松と小出が結ばれている御縁にかけた三島食品(株)の“ゆかり”のふりかけなどが入っていた。だんだんど~も只見線沿線元気会議が作成した絵葉書の種類は、人によって違っていた。

 

魚沼市の袋には魚沼市観光協会のパンフレットやポケットティッシュなどがあり...、

 

驚いた事に、真空パックの「北魚沼産コシヒカリ」新米(300g)が入っていた。

 

   

列車は魚野川の支流・破間川に近付き、並行に走りながら減速していった。

  

10:00、大白川で小出行きの列車とすれ違いを行った後に出発。

破間川を渡り、列車は“六十里越え”に臨む。振り返って見た景色は、なかなか良かった。

列車はこの橋を渡ると破間川と別れ、支流の末沢川沿いを走ってゆく。

  

大白川を出て5分ほどで、末沢川の渓谷は深まり、紅葉も見頃になってきた。

 

ただ、川幅が細くレールと交差する角度がまちまちで、さらに上り坂で列車のスピードが出ているため車窓を見続けていないと、良い景色を見過ごす事が多かった。

列車の能力の問題もあろうが、只見線の紅葉時期は、減速走行するなどのサービスが必要だと感じた。

 

末沢川第二取水口が見えた。ここから南西に5.6km離れた黒又川第二ダム(電源開発㈱)に導水トンネルで発電用に分水している。


福島県側の只見線は、伊南川発電所を除き、只見川沿いにダム式発電所だけがあるが、新潟県側は水路式ダムの施設だけが見られる。地形や水利権など、設置の経緯を含め水力発電に関して教育的材料が多いのも只見線の特徴だ。 

 

 

沿線の700~800m級の山々も見頃となる色づき加減だった。

  

 

 

 

 

10:12、列車は、新潟県と福島県境に貫かれた只見線内最長の「六十里越トンネル」(6,359m)に入った。

 

 

 

 

  

9分程で潜り抜け福島県に入ると、直後に只見沢を渡る。こちらも、紅葉は見頃になっていた。

  

国道252号線の架道橋と一体化したスノーシェッドを抜けると、右手に水鏡が冴えた田子倉(ダム)湖が見えた。ここは「只見ユネスコエコパーク」の中になっている。 

  

列車は徐行を始め、田子倉駅跡のスノーシェッドを抜けて余韻沢橋梁上では最徐行となり、素晴らしい景色をはっきりと見る事ができた。今回の旅で、一番見たかった光景は満足のゆくものだった。

 

車窓にくぎ付けになっていると、乗客から『あれ見て、トンネルに乗って撮っている』という声が上がって、後方をよく見ると“撮り鉄”諸氏が居た。

白沢スノーシェッドの中より、上部に乗ってカメラを構えている方が圧倒的に多かった。禁止行為で危険だが、そこまでして撮りたいという事だろう。この“撮り鉄”諸氏には只見線を利用して当地に来なかったのあれば、沿線のコンビニ以外で食事や買い物をして欲しいと思った。 

 

 

 

列車は田子倉トンネル(3,712m)を抜けても、良く色づいた木々の間を進んだ。

  

赤沢トンネルを抜けて、しばらくしてから振り返ると、只見ダムの洪水吐ゲートと、奥に只見ダムの躯体がうっすらと見えた。

  

 

  

最後のトンネルを抜けると、秋の風景に収まった只見の街並みが見えた。

 

列車は減速し、終点を告げる車内放送が流れた。駅では、特別な列車だけに、いつもと違った形で出迎えてもらえるだろうと思っていると、手前の広場で大勢の人が手を振っていた。シャッターが間に合わず、振り返ってその様子を捉えた。

 

巨大なエアアーチには“ようこそ「只見Shu*Kura」で自然首都・只見へ”というメッセージが記されていた。

  

駅でもいつものような出迎えがあったが、今日は大きな横断幕が広げられていた。

 

 

 

10:33、町関係者の熱烈な出迎えを受けながら、只見に到着。

  

上空は薄曇りで、雨降りは何とか避けられた。駅周辺の紅葉は、もう少し、といった色づきだった。

 

只見より先が、「平成23年7月新潟・福島豪雨」で大きな被害を受け運休となっている。約10年振りの全線再開通に向けて、軌陸用バックホーによる復旧工事が進められていた。

 

  

乗客が降りた1号車を見させていただく。3号車と同じ天井とライティングだが、座席が全く違うため、雰囲気が違っていた。大きな窓に面した展望ペアシートは、座ってみたいと思わせられた。

 

ソファータイプのくつろぎペアシートは、一段高い位置に据えられていた。展望ペアシートの乗客を気にせず景色を見る事ができるようにという目的のようだ。

この座席は、「越乃Shu*Kura」号の正規ルートの最大の見せ場である日本海をじっくり見られるようにと配置されている。そのため、今日は、「只見Shu*Kura」の最大の見せ場だった田子倉(ダム)湖には背を向けてしまい、振り返ってみる事になった。

 

3人以上で申し込む、らくらくボックスシートは外から見た。大きな窓は変わらず、中央に大きなテーブルがありグループでの旅が楽しめそうだと思った。

この1号車の乗客の旅行商品は、只見町での観光を楽しんだ後、再び乗り込み新潟に戻るという内容になっている。

 

 

実は、この1号車と私が乗った3号車は“Made in 福島”で、郡山市のJR東日本郡山総合車両センターで改造が施された。両車両の端には銘板が貼られていた。郡山総合車両センターは、車両の改造で豊富な実績があり、業界では名が知られているという。

 

2号車も見る。左右非対称ながら、洗練されたデザインに収まっていると改めて思った。

 

逆から見る。「蔵守」(サービスカウンター・売店)のPOPが気になるが、車内空間の広さを実感させる構造は良いと思いった。

 

床も手抜きが無く、ジャズの生演奏でも雰囲気を壊さない仕上げになっていたのだと、改めて感じた。

 

外観も趣向が凝らされていた。窓枠に埋め込まれた格子など、日本酒を振舞う列車に相応しいものになっていた。この2号車は新潟トランシス(株)が改造を手掛けている。

 

 

 「只見Shu*Kura」を降りた客は長い連絡道を渡り駅舎に向かっていった。

 

駅舎前では、先ほど広場で我々に手を振っていた方々が移動し、再び出迎えてくれた。よく見ると、菅家三雄只見町長もいらした。只見町の意気込みを感じた。

 

 

駅頭には、只見町の特産品を扱うテントも設置され、しばらく賑わっていた。

  

  

私は用事が入ったため、ここでツアーから離団することになった。

この後、3号車に乗っていたツアー客は、自由行動の後に近くの旅館で昼食を摂り、観光バスに乗車し田子倉(ダム)湖を見学し、会津川口駅から只見線に乗って車窓からの風景を楽しんだ後に、再び観光バスで新潟に戻る事になる。

   

「只見Shu*Kura」乗車は、満足ゆくものだった。長躯、新潟まで行った価値があった。

今回は3号車の乗車となったが、窓は大きく、シートの座り心地も良く、ストレスなく車窓の風景を眺める事ができた。1号車のペアシートの具合は分からないが、 窓に正対して景色を眺められる事で、車窓から見える風景によってはより高い満足度が得られるのではないかと思った。ジャスの生演奏は素晴らしく、旅に彩りと感動を与えてくれた。

紅葉の色づきが八分目で曇り空だったが、それを補って余りある列車の旅となった。

  

私は、只見線に改造型の観光列車を走らせるのであれば、この列車、「越乃Shu*Kura」号が参考となる一番手だと思っていた。全国新酒鑑評会での金賞受賞数が史上初めて7年連続日本一になるなど、国内屈指の日本酒どころとなりつつある福島県の、酒蔵数が最も多い会津地方を走る列車として相応しく、只見線内を走るキハ40形を改造しているからだ。*参考:拙著「観光鉄道 “山の只見線” を目指して」(2018年8月31日)

今回、乗車して、その思いを強くし、只見線内に一日でも早く、「越乃Shu*Kura」号のコンセプトを体現した観光列車が走って欲しいと思った。 

課題と感じたのは、日本酒が少なく、吟醸酒に偏っていた点。利き酒が5種というのは、物足りなさを感じた。せめて10種は欲しいと思った。酒種は純米酒や本醸造などがあれば、日本酒の多様性を味わい知る事ができ、日本酒のファンを増やすという意味でも必要だと感じた。 


只見線は、「上下分離(官有民営)」方式で只見線の運休区間を保有する福島県が中心となって、福島県側の区間を中心に利活用策を進めている。ただ、現状を見ていると、2021年度の復旧工事完了までに専用の観光列車の運行は難しいようだ。

ならば福島県は、2021年度の再開通直後に「越乃Shu*Kura」号を会津若松まで運行させたり、郡山に“里帰り”して只見線経由で新潟に向かうルートを新設するなど、JR東日本の協力を得て取り組むべきだと思う。ここで、“ホスピタリティに配慮された列車で車窓の景観を楽しみながら日本酒を呑む”という需要喚起・創出をして、“観光鉄道「山の只見線」”の専用観光列車の調達に繋げて欲しいと思った。

 

 

 

只見駅では、大きな変化があった。駅舎内にあった「只見町観光まちづくり協会」と併設売店が先月移転したのだ(観光案内は継続しているという)。駅は有人だが、ひっそりしていて、寂しさを感じた。

 

その「只見町観光まちづくり協会」は、駅前通りを100mほど進んだ場所に新築されていた。

 

無料休憩所を併設しているようだったが、時間が無いため中に入るのは次の機会にした。

  

 

 

買い物を済ませ、駅に戻る。只見線のマスコット「キハちゃん」のパネルが駅頭に置かれていた。

只見線で使われているキハ40形は、新型車両の導入により今後数年で、JR東日本管内の定期便では使われなくなると言われている。

しかし、只見線にはキハ40形、特にこの「キハちゃん」の東北地域本社(仙台支社)色が相応しい。通勤・通学区間である会津若松~会津坂下間は新型車両の導入が止むを得ないとしても、会津若松~小出間を往復する列車にはキハ40形が使われる運用が継続できるよう、只見線の利活用を推進する福島県はJR東日本と協力して努めて欲しいと思った。

   

11:25、駅頭に付けられた代行バスに乗り込み、只見を出発した。

   

代行バスには国道252号線を進む。会津蒲生付近で小雨が降りだした。


会津塩沢手前では、寄岩橋上から「第八只見川橋梁」を見た。ここでも復旧工事は進めれているが、一見、作業員や車両は見られなかった。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋集覧1873-1960

対岸では、電源開発㈱による滝ダム湖(只見川)の浚渫工事が進められていた。只見川は先月中旬の大雨の影響が残ってか、濁っていた。

  

代行バスは、会津大塩会津横田会津越川の各駅に近い国道沿いのバス停で停発車を繰り返し進んでゆく。

  

本名の手前、東北電力㈱本名発電所・ダムの天端の本名橋上からは「第六只見川橋梁」の橋脚設置工事が進めれていた。左岸には真新しいT字型の橋脚が見えた。

 

 

 

12:15、会津川口に到着。

 

駅舎に入り、売店前に設置された“Youはどこから?”ボードを見る。

 

タイからのインバウンドが圧倒的に多かったが、フリースペース欄には何と日本人もTOKYO、OSAKAなどと書いていた。日本人観光客が増える事は良い事だ。是非、只見線のヘビーユーザーになって欲しいと思った。

  

 

駅舎を抜け、ホームに向かうと会津若松行きの列車が停車していた。平日のこの時間に3両編成とは驚いたが、この理由は次駅で判明した。

 

ホーム対岸の紅葉は、まだ色づきが浅かった。あと1週間ぐらいだろうか。只見川の濁りは変わっていなかった。

 

車内に入る。見慣れているキハ40形の光景。

 

「只見Shu*Kura」が同じキハ40形だったとは思えなかった。改造技術の高さと改造後の効果を思い、感嘆した。

  

 

12:32、会津川口を出発。直後に大志集落を見る。今日も絵になる光景だった。

  

大志集落の脇を通り抜け落ち着いたところで、新潟駅で買っておいた駅弁を食べる事にした。「佐渡 朱鷺(とき)めき弁当」。上越新幹線の愛称が「とき」となった事を記念して作られたという、佐渡産コシヒカリや塩イカなど佐渡の食材を使用た弁当だった。

  

 

次の会津中川に列車が入って行くと、ホームにたくさんの子ども達が居て、停車した列車に乗り込んできた。福島県が進めている「JR只見線奥会津学習列車」に臨む児童達だ。これがために、この列車は3両編成だったのだ。定期便も利用する事があるとは思わず、少し驚いた。

 

子ども達は、それぞれ空いている席に座ると、列車の出発後に先生の掛け声で、一斉に弁当を広げた。全て会津大学短期大学部の学生が考案した「JR只見線食育弁当」だった。

 

「学習列車」は2017年11月21日に福島大学附属小学校の児童約100名が乗り込んだ団体専用列車から始まった。昨年も行われ、今年は5月16日から開始されたと地元紙が伝えていた。*出処:福島民報 2019年5月18日付け紙面

只見線の現不通区間を保有し「上下分離」で運営に関わる福島県は、2021年度の復旧工事完了・全線再開通に向けての利活用策で、教育目的の乗客を増やす目標を掲げている。「JR只見線奥会津学習列車」はそれを具体策の一つになっている。

 

 

列車は橋梁区間に入り、まずは「第四只見川橋梁」を渡った。

列車が橋梁や景観ポイントに差し掛かると、学習列車の案内役と思われるスタッフがパネルなどを持って説明していた。

  

 

細越拱橋(めがね橋)を渡ると、以前の景観が一変していた。道路と只見川の間の木々が「景観創出事業」で伐採されていたのだ。

事前の情報で知っていたとはいえ、大きな変化に驚いた。

この場所の景観創出(伐採)の必要性を私は感じていなかったが、只見川を見通せるということで、車窓から見える風景は良くなっていた。効果は感じられた。

ただ、伐採されたポイントは只見川がほぼ直角に曲がる際に“壁”の役割をしているような存在だったので、増水時などは影響がないか心配になった。*参考:金山町「奥会津景観整備プロジェクトにおける道路等景観整備事業について」(2019年10月8日)

  

 

早戸付近の只見川。紅葉が進めば、更に良い眺めとなる。

  

 

滝原トンネルを出て「第三只見川橋梁」を渡る。

 

ここでは子ども達が一番の歓声を上げ、景色に見入っていた。

  

 

会津宮下を出て「第二只見川橋梁」を渡る。

  

 

そして、会津西方を出て名入トンネルを抜けると、眼下に紫の鋼材が見え始めた。

 

三島町の花、桐の花を模した紫のアーチ橋「第一只見川橋梁」を渡る。

ここでも、児童達は歓声を上げたが、「第三只見川橋梁」ほどではなかった。

 

 

列車は会津桧原郷戸を経て、会津柳津に停車。子ども達は、横断幕を持つ方々の出迎えを受けながら、ここで降りて行った。

 

 

車内が静かになり、落ち着いたところで、只見駅近くにある三石屋(みついしや)で手に入れていた名物「なめらかはちみつプリン」をいただいた。

表面は適度に固く、中は滑らかでまろやかで、良い香りが立った。コストパフォーマンスが非常に高い、秀逸なプリンだった。只見町を訪れた際は、必ず食べたい。*参考:福島県南会津地方振興局「おいでよ!南会津」観光スポット:三石屋 URL: http://www.aizu-concierge.com/spot/2198/

  

 

 

列車は、会津坂本から七折峠に入り、塔寺を経て会津平野に下っていった。

   

このあと、列車は、会津坂下若宮新鶴根岸会津高田会津本郷西若松を経て、七日町に到着。私はここで降りた。今日は、残念ながら全線乗車とはならなかった。 

  

 

用事を済ませ、会津若松で磐越西線の列車に乗り、無事に郡山に到着。この後、高速バスとJRを乗り継いで、富岡に帰った。

 

今回の「只見Shu*Kura」乗車は、只見線内の専用観光列車の必要性を再確認した旅になった。 

 

来年は、機会をつくり、“新造ならば”この列車だと思っている「雪月花」(えちごトキめき鉄道(株))に乗りたいと思う。

  

 

(了)

 

 

・ ・ ・ ・ ・ ・

*参考:

・福島県生活交通課 只見線再開準備室: 「只見線の復旧・復興に関する取組みについて

  

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

  

以上、よろしくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

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