「JR只見線 復旧工事状況」 2021年 初夏

来年(2022年)度中の全線復旧(再開通)に向けて工事が進むJR只見線。「第六只見川橋梁」再架橋の大工事がヤマ場を越えたということで、全体の工事状況を見てみたいと思い、運休区間27.6㎞を自転車で巡った。

 

東日本大震災が発生した2011年7月に発生した「平成23年7月新潟福島豪雨」で3か所の鉄橋が破断するなど甚大な被害受け、27.6㎞が不通のままとなっていた只見線は、81億円もの巨費が投じられ、来年度に全線が復旧、再開通する。

本来の工事完了予定は、災害発生から10年、“只見線開通50周年”を迎える今年だったが、「第六只見川橋梁」の工事内容の変更で1年延期になっている。*参考:東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)復旧工事の完了時期について」(PDF)(2020年8月26日)

 

一部橋桁が流出した「第五只見川橋梁」は昨年の早い時期に、“全壊”した「第七只見川橋梁」は昨年終盤に下路式トラス橋の締結式が終わり、両岸がつながっていた。「第六只見川橋梁」は今年に入ってからトラス橋の組み立てが始まり、私が5月初旬に見たときには上部工の斜材の一部組み立てを残すのみとなっていた。工程変更後の工事は順調のようで、工事終了後に行われる列車の走行テストや乗員の走行訓練などが、雪が降りだす前に行われ、問題なく消化できれば、来年の早い時期に全線再開通となるのではないか、と個人的には思っていた。

 

今回は、全工事区間27.6㎞の、橋梁工事箇所と運休全6駅を中心に見てまわり、工事の進捗を確認し、個人的に全線再開通に向けた機運を高めたいと思った。

 

*参考:

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

・福島県:只見線ポータルサイト

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日) 

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線の夏ー / ー只見線復旧工事関連ー 

  

  


    

 

用事を済ませ、郡山市から磐越西線の列車に乗って会津若松市に向かった。

 

猪苗代付近で見えてきた会津百名山18座「磐梯山」(1,816.2m)は、取り囲む風景とともに初夏の景観だった。

 

 

 

13:00、会津若松に到着し、すぐに只見線のホームに向かった。連絡橋からは「磐梯山」の稜線が見えた。

ホームに下り、会津川口行き列車の後部車両に乗り込む。乗客は20名ほどで、先頭車両にも同程度の客の姿が見られた。

13:09、キハE120形2両編成の下り列車が会津若松を出発。

 

会津若松~会津川口間の運賃は1,170円。今回は2泊3日の旅程だが、2日間有効で3,000円程度の“只見線フリーパス”が「只見線利活用計画」を進める福島県によって企画され、JRに提案して欲しいと思った。

  

 

列車は、七日町で、西若松で高校生を中心に多くの客を乗せ、大川(阿賀川)を渡り市街地から田園地帯に入って行く。

 

 

その後会津本郷を出発直後に会津美里町に入り、会津高田を経て右に大きく曲がり、真北に進路を変えて進んだ。

  

線路両側の田んぼには鮮やかな緑の幼稲が一面に広がり、目と心がやすまった。

  

 

13:44、根岸新鶴を経て、会津坂下町に入り若宮から会津坂下に停車。高校生を中心に20名を超える客が降りたが、私が乗る車両には、白シャツにスラックスという服装の方を中心に14名の客が残った。久しぶりに平日に乗車したが、会津坂下駅以降に観光客以外が多い車内の光景に嬉しくなった。

この駅では上下線の大半の列車がすれ違いを行うが、この時間は先着した上り列車が只見寄りに停車し、下り列車の降車客が構内踏切を渡れるようにしている。

 

 

会津坂下を出発すると、列車は、ディーゼルエンジンの出力を上げ、会津盆地と奥会津の“境界”となる七折峠に向かった。

  

登坂途上、木々の切れ間から会津盆地を見下ろす。葉が生い茂ると眺望の範囲が狭まると実感した。「只見線利活用計画」を進める福島県は、地域住民の理解と協力を得て、車窓からの“景観創出事業”を進めて欲しいと思った。この七折峠からの眺望は、それに値すると思っている。

この後、列車は峠の中の塔寺を経て、第一花笠-第二花笠-元屋敷-大沢の四連トンネルから下り坂になり、静かに進んだ。

 

 

会津坂本を出発し柳津町に入ると、列車は細長い田んぼの間を駆け抜けた。

  

会津柳津では、10名ほどの客が降り、半数ほどが出迎えを受けていた。只見線の列車を利用して柳津町を訪れたという事は、只見線に関する何か会合があるのだろうか、と思った。

  

会津柳津を出発すると郷戸手前で“Myビューポイント”を通過。会津百名山86座「飯谷山」(783m)の稜線ははっきり見えた。*拙著:「柳津町「飯谷山」 登山 2020年 初冬」(2020年12月6日)

  

 

列車は、滝谷を出発直後に滝谷川橋梁を渡り、三島町に入った。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋集覧

 

 

 

会津桧原を出発し、名入トンネルを抜けると「第一只見川橋梁」を渡る。只見川は、東北電力㈱柳津発電所の柳津ダム湖になり、今日の川面には水紋がなく、綺麗な水鏡が周囲の景色を映し出していた。

 

反対側の席に移動し、上流側、駒啼瀬の渓谷に目を向ける。濃い青緑の川面が際立って見えた。

 

 

会津西方出発後に「第二只見川橋梁」を渡る。会津百名山82座「三坂山」(831.9m)の稜線がくっきり見えた。*拙著:「三島町「三坂山」登山 2020年 晩秋」(2020年11月23日)

  

 

列車は減速し、“アーチ3橋(兄)弟”の“長男”大谷川橋梁を渡り、県道に架かる次男・宮下橋を見下ろし、会津宮下に停車するために減速しながら進んだ。*参考:埼玉県「福島県の土木構造物」【橋りょう】新宮下橋・JR只見線大谷川橋梁・宮下橋〔三島町〕

  

 

会津宮下を出発すると、まもなく、列車は東北電力㈱宮下発電所と宮下ダムの脇を駆け抜ける。このあたりから、細かい雨粒が落ちてきて、只見川一面に水紋が現れた。

   

 

第三只見川橋梁」を渡る。下流側を見ると、国道252号線高清水スノーシェッドの上部の山が霞んでいた。

 

ここでも反対側の席に移動し上流側を眺めると、不思議な水模様が川面に見られた。

 

 

 

「第三只見川橋梁」を渡り、滝原トンネルを抜けたところで、トラブル発生。列車が急停車したのだ。『原因調査中』とのアナウンスのあと、しばらくしてから『この先、会津川口駅周辺で大雨となっているため、次の早戸駅で待機します』と再び車内放送が入り、列車はゆっくりと動き出した。

 

早戸に停車。会津川口駅方面の空は思いのほか明るく、特別変わった様子は見られなかった。

 

ただ、スマホで雨雲レーダーを見てビックリ。会津川口駅上空は真っ赤だった。

結局列車は、10分ほど待機し、都合15分遅れで早戸を出発した。

  

 

列車は早戸を出て、まもなく金山町に入り、8連コンクリートアーチ橋「細越拱橋」を渡る。川面にはうっすらと川霧が発生していた。

  

 

会津水沼を出発すると「第四只見川橋梁」を渡る。「第四只見川橋梁」は下路式トラス橋で、復旧工事で再架橋された「第六只見川橋梁」と「第七只見川橋梁」は、上路式からこの形状に生まれ変わった。

  

 

会津中川を出発し、しばらくすると前方に林道の上井草橋が見える。上空の雲は白が勝っていて、豪雨は一時的なものだったことが見て取れた。

 

この付近で振り返ると、大志集落が見える。東北電力㈱上田発電所の上田ダム湖になった只見川の川面には雨の影響で水鏡は現れてはおらず、集落が映り込む美しい光景とはなっていなかったが、梅雨時ののどかな風景だった。

 

 

 

15:11、定刻を10分ほど遅れ、現在の終点である会津川口に到着。ポツリポツリと、小さな雨粒が落ちていた。ここから只見までの27.6㎞が、「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で約10年間部分運休している。豪雨被害前は、私が乗ってきた列車は小出行きになっていた。

  

輪行バッグを抱えホームを駅舎に向かって歩いていると、プランターがキハ40形からキハE120形に塗り直されていた。嬉しい心遣いだった。

  

 

駅舎を抜け、さっそく駅頭で輪行バッグから自転車を取り出し、組み立て。ウィンドブレーカーと帽子を身に着け、駅前を通り、ほぼ只見線と並んで走っている国道252号線に出て、西に向かってペダルをこいだ。

   

まもなく、野尻川河口に架かる只見線の野尻川橋梁が見える。この橋梁には、ホームを入れ替える際の引き込み用として部分運休後も列車が乗り入れている。

  

旧道に入り、只見線の路盤を見る。ここにもホーム入れ替えで列車が入ってくるためか、夏草は生えておらず、使用感があった。この先には、車両止めが置かれていた。

 

 

国道に戻り、坂を上り、下りに変わった少し先にある復旧工事の「第5ヤード」前で停まる。バリケードが置かれ、ヤード内にも車両や人影はなかった。

 

「第5ヤード」の前を少し進んで、「第五只見川橋梁」全景を眺める。新しい2本の橋桁にレールの敷設も終わり、作業はほぼ終わっている。豪雨被害を免れた下路式トラスの錆や塗装落ちが目立っていて、復旧工事を機に塗り直されると思ったが、未だのようだった。鋼材の保護という面もあると思うので、ぜひ塗装し、一体感のある「第五只見川橋梁」にして欲しいと思う。

   

「第五只見川橋梁」をよく見ると、会津川口駅側の切通し斜面がむき出しだった。崖は高くなく、崩落の危険も一見感じられないが、擁壁工事はするのだろうかと思った。

  

 

国道を進み、西谷集落を抜け西谷橋を渡ると、「袖の窪山」(952.8m)を背景に「第六只見川橋梁」の再架橋工事現場が見えた。

  

西谷橋を渡り切り、少し進むと「本名ヤード」がある。「第六只見川橋梁」工事の拠点だ。車両が並び、事務所には明かりが点いていた。

   

15:36、国道から右に入り、本名集落の中に入り、本名に到着。前回の訪問から大きな変化はなかった。

  

 

国道に戻り、反対側の側道を下り、只見川左岸に行き、堤防から「第六只見川橋梁」を見上げた。吊索は見られず、旧橋と変わらぬ薄黄色の鋼鉄橋が、両岸の橋脚の載り自立していた。『本当に、橋が架かったんだ』と感慨深かった。

 

前回の訪問で途中だった曲材の組み上げ作業は終わったようで、これから、接合部の、ボルト本締めと塗装に進んでゆくのだろうと思った。

 

ケーブルエレクション工のクレーンは止まっていた。レールは送り出され敷設されると思うが、あとは仮設材の回収で稼働するのだろうかと思った。

 

 

国道に戻り、先に進む。国道の本名バイパス工事が行われているため、片側交互通行になっている。平日ということで、ダンプなどの作業車両を中心に、長い車列が作られていた。

  

通行可能となり自転車を進めると、まもなく一新される只見線の本名架道橋が掛かる空間になり、コンクリート製の橋脚とその両脇の擁壁工事は終わっていた。「第六只見川橋梁」のレール敷設に合わせて橋桁が載せられ一体的に工事が完了するのだろうと思った。

 

本名架道橋の隣の広い敷地には、「第六只見川橋梁」橋梁架橋のためのケーブルエレクション工のアンカー(左岸)の巨大なコンクリート台座があった。架橋が終わると撤去されるこの仮設の重厚さに、「第六只見川橋梁」工事の規模の大きさと関わる人員の多さを実感した。

  

 

国道の坂を上り、ほぼ直角に左折し、東北電力㈱本名発電所・本名ダムの天端となっている本名橋を進み、「第六只見川橋梁」を見下ろした。工事完了、特に険峻な右岸斜面に設置された鉄塔や仮設の撤去終了まで、豪雨などの災害が発生せず、無事に竣工することを願った。

  

 

「第六只見川橋梁」の見学を終えダム本名橋を少し引き返し、先月の「貉ヶ森山」登山でも使用した、林道本名室谷線に入り只見川(本名ダム湖)沿いを進んだ。本名橋の先の国道は狭隘な本名スノーシェッドで、通行量が多いと自転車がダンプなどの車両のすれ違いの障害になってしまうからだ。

  

しばらく砂利道を進み、本名バイパス本名トンネルの湯倉口が見えると分岐があり、左に入り坂を下り、鋼製吊橋・霧来沢橋を渡った。

 

橋の上から只見川を見ると、豪雨の影響を受けた霧来沢の濁り水が、勢いよく流れ込んでいた。

  

 

湯倉集落を抜け只見川に架かる湯倉橋を渡り、国道252号線に戻り本名バイパスの接続工事と只見川の築堤工事が進む橋立集落の中を進んだ。小さな雨粒は落ちていたが、空は明るくこれ以上強くは降らないだろうと思った。

  

橋立スノーシェッドを抜け、大布蟹・小布蟹古戦場の前を通り、しばらくするとヤードがあり、バリケードで閉ざされていた。


ここは、路盤整備のヤードで、コンクリート製の枕木が積まれ、軌陸車が入退場できるようになっていた。以前立てられていた産業廃棄物保管置場を示す標識が無かったので、枕木の交換は終わり、このヤードは復旧工事最後の総点検で使われるのだろうかと思った。


  

国道の長い坂を上り、越川道祖神跡を通過し、緩やかな下り坂に変わった少し先に車両の退避スペースで停まる。踏み跡を進み林の中に延びる路盤を眺めた。

 

この辺りは豪雨被害を受けずレールも路盤もそのまま残っていたが、緩やかだがカーブが続く場所で負荷が掛かるためか、林の中で湿度が高く木製枕木を全交換した方がよいと考えたのか、目に入る範囲はコンクリート製に変えられ、新しいバラスが敷かれていた。

安全とコストについて、合理的な判断がなされ復旧工事が進められている事を考えさせられた。復旧工事が進められている27.6㎞は“上下分離”で福島県が保有し、保守をJR東日本に委託することになる。費用を税金で負担することになる福島県の関係者は、JR東日本の保守に対する思考や文化を共有し、必要に応じて県民に説明できるようにしておいて欲しいと思った。 

  

 

越川地区に入り、集落の路地を左に入る。前方に作業小屋と作業車があった。只見線復旧工事のものかはわからなかった。

 

第2越川踏切は第四種踏切で、踏切警標は真新しいものに変わっていた。

 

16:22、会津越川に到着。本名~会津越川間は只見線内で、六十里越を含む県境をまたぐ只見~大白川間に次ぐ、2番目に長い駅間距離(6.4km *大白川~入広瀬間も同じ)になっている。

 

  

国道に戻り先に進むと、東北電力㈱伊南川発電所が現れる。この発電所は只見線が開通する前から稼働(昭和13年10月) していて、3本の水圧鉄管を跨ぐ只見線の「伊南川発電所橋梁」の設置工事には苦労があったという。*参考:拙著「金山町「東北電力㈱ 伊南川発電所」2017年 初夏」(2017年6月24日)

 

伊南川発電所では、只見町小林地区で取水された伊南川の水が、9.5㎞の導水管でたどりつき、標高差約120mを活かして、建屋内の立軸フランシス水車を回した後、只見川に激しく落ちている。只見線沿線では自然(水流と地形)に人間の手を加え、豊富なエネルギーが生み出されている事を改めて思った。

 

 

16:38、さらに国道を進み横田地区に入り、側道を経て会津横田に到着。

 

待避線用のポイントがあった付近は、ゴッソリと枕木がコンクリート製に交換されていた。

この駅で雨が強くなってきたので、駅近くの倉庫の屋根下で雨宿りをした。

   

10分ほどすると雨脚が弱くなってきたので、行軍を再開。町道を進み鉱山第2踏切を渡る。只見方面を見ると夏草が生い茂っていたが、所々にコンクリート製の枕木が見え、新しいバラスが全面に敷かれていたので、付近の工事は終わっているようだった。

 

 

しばらく町道を進んでゆくと、水色の四季彩橋(町道)の手前に、只見川から立ち上る川霧の中、ぼんやりと茶色の橋梁が見えた。

   

新しい「第七只見川橋梁」に到着。竣工したようで、周囲には工事関係の物資は何も見られなった。

  

レールも綺麗に敷設され、只見川の両岸を繋いでいた。旧橋の破断からまもなく10年。実際に繋がっているところを見ると、身震いがした。

  

町道を進み、四季彩橋上から「第七只見川橋梁」を眺めた。開放的な上路式の旧橋から下路式に変わり、列車内から見える車窓からの風景と、列車がこの橋を渡る風景がどんなものになるのか楽しみになった。

  

架橋時に活躍した、ケーブルエレクション工の左岸アンカーの埋設場所も埋め戻されていた。現場を知らない方にとっては、どうやって工事が進められたか想像がつかないだろうと思った。

 

一年ほど前、巨大な構造物が架橋工事を支えていた。是非、この工事の記録は広く共有し残して欲しいと思った。

 

 

町道を進む。第三種踏切の第2大塩踏切は、警報機が真新しいものに変えられていた。

 

近くにある第3大塩踏切も第三種踏切。ランプにブルーシートが掛けられた真新しい警報機が立っていた。

 

 

17:08、会津大塩に到着。駅名標は錆びついたままだった。列車が走るまで交換されるのだろうかと思った。 

   

 

会津大塩駅から国道に向かう途中、新田踏切前後の路盤を見る。目が届く範囲は、コンクリート枕木が適宜交換されているようで、バラスも薄茶色が混在した新しいものが敷かれていた。

この先、滝沢集落付近の路盤も、去年に見たところ同じよう状況だったので、「第六」橋梁の前後を除き、金山町内は全体的に路盤整備は終わったのではないかと感じた。  

  

 

国道252号線に戻り、町境に向かって進む。只見町方面の雲は少し濃く、雨が心配になった。

   

途中、滝沢炭酸場で給水。自転車を停め、坂を下りペットボトルに天然炭酸水を入れた。

 

 

 

滝スノーシェッドから滝バイパス滝トンネルに入り、長く傾斜のある坂を上り、町境となる只子沢を通過し只見町に入った。雨は降っていなかった。

  

只子沢橋上からは、電源開発㈱滝発電所・滝ダムのダム湖(只見川)が創る綺麗な景色が見られた。只見線は滝トンネルを通過するため、車窓からこの風景は見られない。


只見線は只子沢の上流、約1㎞の地下を走っている。「田子倉発電所建設用専用鉄道工事誌」(日本国有鉄道新橋工事局)によると沢床からトンネル工事の地表面下施工面までは14.5mで、トンネルの頂上部までは8.55mだという。

    

 

国道を進み、塩沢スノーシェッドの終盤で会津百名山71座「鷲ヶ倉山」(918m)を眺めた。この山は、見る角度によって惹かれる容姿を見せてくれる。 *拙著:「只見町「鷲ケ倉山 」登山 2020年 晩秋」(2020年11月22日)

 

塩沢スノーシェッドを抜け、前方に広がる塩沢地区の風景を眺めた。只見線は、ちょうど滝トンネルの出入口になり、高さは違うが、ほぼ同じ光景を車窓から見ることができる。

 

唯一、会津百名山83座「蒲生岳」(828m)の北側の背後にある、同じく会津百名山29座「浅草岳」(1,585.4m)は、角度の関係から只見線の列車内から見ることができるかは微妙な位置になっている。

 

 

  

河井継之助記念館」前に到着。戊辰役・北越戦争で奮闘した越後・長岡藩家老で軍事総督の河井継之助が、長岡城を奪われ(会津)若松城下を目指して敗走する途上で、亡くなり荼毘にふされたのがこの塩沢地区(旧塩沢村)。記念館は、彼が亡くなった場所を見下ろす高台に建っている。

  

私は、記念館前に会津塩沢駅を移転して欲しいと思っている。狭い場所だが、一面ホームと垂直擁壁上に駅舎を設ければ設置可能だと思っている。また、その規模であれば“1駅10億円”といわれる建造費用も大幅に圧縮されるのではないか。

 

「河井継之助記念館」前から見られる只見川(滝ダム湖)の様子。大きく右に蛇行した只見川と取り囲む低い山々が、四季折々、多様で無二の景色を創り出している、また、河井継之助は村医・矢沢宗益の家で息を引き取ったが、その場所はこの川底に沈んでいる。

会津塩沢駅を移転すれば、この景色をホームから見られる。また、擁壁上に駅舎を設置すれば線路越しにこの風景を見ながら、長い列車の待ち時間を過ごせる。観光施設にもなり得るので、駅舎建設には公費投入も可能ではないだろうか、と私は思っている。 

戊辰役・北越戦争での河井継之助を描いた映画「峠 最期のサムライ」は、2度の延期を経て、来年に上映が決まった。只見線の復旧と合わせて、気運を盛り上げて、会津塩沢駅移転を実現して欲しいと思う。*参考:2020「峠 最後のサムライ」製作委員会 URL: https://touge-movie.com/

 

 

復旧工事の現況。「河井継之助記念館」付近の枕木は、間隔を置いてコンクリート製に交換され、バラスも新しいものが敷かれ、工事は終わっているようだった。

    

「河井継之助記念館」の前後には2基の鉄橋がある。小塩沢橋梁は只見寄りの色が違っていた。


近づいてみると、雪の重みでひしゃげていた欄干が直され、現橋と同じ色に塗装されていた。交換されたのだろうかと思った。

 

   

国道の緩やかな坂を上り、頂点付近の路地を右に入り、駅に向かう。田んぼの背後に、ポツンと建っていた。

  

17:45、会津塩沢に到着。ホーム付近のレールは取り外されたままだった。近くで「第八只見川橋梁」の工事が行われていることもあって、「第八只見川橋梁」の路盤整備+レール敷設に合わせて作業をするのではないだろうかと思った。

   

また、ホームの東端近くに水路があり、水が勢いよく流れていた。おそらく、初夏にかけて雪融け水で増水するため、その影響が少ない夏場以降に作業をするため路盤整備が後回しになっていることもあるのではないかと考えた。

  

 

国道に戻り、坂を下るとと、まもなく「寄岩ヤード」が右手に見えてくる。「第八只見川橋梁」の拠点ということで、作業員の姿は見られなかったが、稼働中の様相だった。

   

国道の坂を下りきると、寄岩橋のたもとから「第八只見川橋梁」の擁壁工事の様子が見られた。

 

200mほどにわたって型枠が組まれ、路盤とレールを守る垂直のコンクリート擁壁を作っているようだった。ここは只見川が右カーブしているため、増水時の流勢による洗堀を防ぐ工事のようだ。

復旧工事は、次の災害をも想定して行わている。一見被害が少なかった「第八只見川橋梁」は、「第六只見川橋梁」「第七只見川橋梁」の再架橋工事よりも高額な25億円もの費用が掛けられているが、約1㎞にも及ぶ区間なので、“強靭化”という面では妥当なのだろうと思った。 

 

寄岩橋を進み、橋の中ほどでの「第八只見川橋梁」全体を眺めた。前方の「蒲生岳」は雲に隠れていたが、只見川から立ち上る川霧が橋梁を覆い、幻想的な光景だった。“乗って・見て・撮って”、三方よしの「第八只見川橋梁」は“観光鉄道「山の只見線」”屈指の観光コンテンツだと、改めて思った。

 

 

国道を進み蒲生橋で只見川を渡河し、上蒲生集落を抜けて、右カーブの途中で自転車を停め風景を眺めた。中央の「浅草岳」は雲に隠れ、通り雨の影響で蒲生川は濁っていたが、良い景色だと改めて思った。

 

今年、まだ雪が多く残る時に眺め、『良い景色だなぁ』と気づいた。見る高度が違うが、只見線の列車が再び動き出せば、車内からも見ることができる。

  

国道の坂を下り、途中、案内板が立てられた路地を右に入った。100mほど進むと「蒲生岳」の下にたたずむ駅舎が現れる。

  

18:04、会津蒲生に到着。

  

この付近の路盤も整備され、コンクリート製の枕木が目立っていた。通信用のケーブルが格納されていると思わる真新しいコンクリート製のケースも路盤の端に延びていた。

  

 

国道に戻り、蒲生川を渡り、八木沢スノーシェッドをぐくり、八木沢集落を抜けると、前方に只見線最長の「叶津川橋梁」(372m) が緩やかな曲線を見せていた。

 

橋上をよく見ると、丈のある草は無く、新しいバラスが敷かれ、通信用のケーブルが新しい黒い筒を通され欄干に固定されていたい。コンクリート製の枕木とレールは確認できなかったが、「叶津川橋梁」がいつ列車が走ってもよい状態だということが察せられた。

 

 

国道を進み、「叶津川橋梁」の二度くぐり、熊野神社参道前で自転車を停め、鳥居の前に行く。

 

ここは、レールと枕木が全交換された場所だが、今回は、通信用のケーブルのコンクリート製ケースが設置されていた。

  

「叶津川橋梁」方面を眺める。綺麗に敷設されたレールが、美しい曲線を描いていた。

  

 

自転車に戻り、国道の緩やかな坂を下る。途上にあった「只見①ヤード」は昨夏頃に役目は終わっていたが、導入路は崩されず倒木がバリケードのように塞いでいた。

    

少し国道を進み、住宅地の中に入ると「只見②ヤード」がある。看板は撤去されていたが、斜面の中腹を走る只見線に向かう導入路には鉄板が敷かれ、2台の重機も見られた。仕上工事や手直しなどに備え、竣工まではこのような“予備ヤード”は必要なのだろうと思った。

 

 

 

 

18:34、只見に到着。会津川口駅から3時間16分掛かった。駅頭には、代行バスがつけられていた。

   

駅頭から少し移動し、会津川口側にある上野原踏切から只見駅のホームを眺めた。小出行きの最終列車(18時37分発)が出発を待っていた。のどかな眺めだった。

 

反対側の運休区間を見る。路盤に損傷は無く、夏草が少し多いように見えたが、列車本数の少ないローカル線で見られる違和感の無い状態だった。

  

只見線の運休区間(27.6km)巡りを無事に終えた。

復旧が決まる前に1度、全線復旧が決定し工事が始まってから今回を含め5度、都合6度、列車の走らない鉄道施設を見て回った。来年度、ここを列車が走ると思うと感慨深い。

ただ、住宅が少なく、行き交う方々も高齢で、空き家が増えつつある沿線を通り抜ける度、只見線復旧後に向けた課題は山積で重厚だ、とひしひしを感じるようになってきている。今回、復旧まであと1年ほどという時機に、それぞれ15億円もの巨費を掛けて再架橋された二基の巨大な鋼鉄橋を見て、その思いは深まった。

 

現在、新型コロナウイルスの影響で、インバウンドを中心に旅行客が激減し、只見線の車内や沿線に賑わいが見られない。復旧費と維持費という巨額の投資は回収するためには、コロナ終息後に、只見線を利用する乗客や沿線に降り立つ観光客が戻り、増える施策を進める必要がある。

只見線は、全線復旧が決まってから福島県が中心となって“只見線利活用事業”(PDF)を進めている。内容は観光-教育-生活-産業の4本柱を立て、9つのプロジェクトを進めるというものだが、私は只見線の利活用事業の中で、最優先事項は只見線専用の観光列車の導入だと思っている。“利活用計画”の中で『将来的には(中略)只見線ならではの企画列車の定期運行を目指す』と記述されているが、福島県はこれを前倒しし、観光列車をできるだけ早い時期に導入し、まずは乗客を増やし維持してゆく必要があると思う。

  

只見線は、昨年3月に列車が入れ替わり、キハ40形からキハE120形になっている。空調や照明、静粛性など乗り心地はよく、加速性やCO2排出など機能面でもキハ40形に勝っている。

 

しかし、キハE120形は生活利用のための列車で、保守性を高めるために画一的なデザインや設備になっている。車内には、只見線内でほとんど使用されることがない吊革が取り付けられたままで、日常感が維持されている。“観光鉄道”に舵を切り、旅の非日常感を提供しなければならない只見線にとっては致命的な“乗空間”になってしまっている(但し、高校生を中心に利用者が多い会津若松~会津坂下間では、キハE120形の機能性は多くの乗客に受け入れられているかもしれない)。

来年度の全線再開通後も、会津若松~小出間の主力はキハE120形のようだ。現状では、せめて車内の吊革を必要数以外撤去し、運行させて欲しい。

  

観光鉄道「山の只見線」”を目指していながら、“生活列車”のキハE120形が主力で走る只見線には、専用の観光列車が必要不可欠だ。ベストは、2編成を新造し、会津若松~小出間をそれぞれ1往復させる。しかし、コスト面を考えると、改造車両になると思う。参考になるのが、只見線で何度も運行されているJR東日本の「びゅうコースター風っこ」。窓は取り外し可能で、夏はトロッコ列車、冬はストーブ列車で運行するなど通年使用が可能だ。


只見線専用観光列車は「びゅうコースター風っこ」を参考に、3両で中間に売店とリクライニング席を設ける編成が良いと思っている。売店では会津地方の地酒を販売し、試飲できるコーナーも設けたい。この点で、参考になる列車は、JR東日本・新潟支社管内で運行されている「越乃Shu*Kura」号だ。車窓からの景色を堪能できる「風っこ」号の大きな窓と、「越乃Shu*Kura」の売店とリクライニングシートを組み合わせた、奥会津を走る只見線にピッタリの列車が作り出される事を期待したい。*参考:拙著「「風っこ 夏休み号」乗車 2017年 盛夏」(2017年8月6日)/「「只見Shu*Kura」 乗車記 2019年 紅葉」(2019年10月29日)

  

改造元となる列車はキハ40形だが、これについてはJRに無償譲渡を申し出て、粘り強く交渉し入手して欲しい。兵庫県にある第三セクターの北条鉄道は、JR東日本からキハ40形1両を250万円で購入したというが、少しでも改造費用にまわせるように無償譲渡を望みたい。改造費用は、改造され誕生した他の列車を見ると、売店やリクライニングシートを設けるということで1両平均3,000万円位になるだろうか。1編成で約1億円を見込む必要があるので、簡単ではないが、福島県が只見線の復旧基金から捻出し、年度を分けて返済充当してゆくなどすれば、可能ではないだろうか。*参考:読売新聞「北条鉄道 キハ40形購入」(2021年5月31日) URL: https://www.yomiuri.co.jp/local/hyogo/news/20210531-OYTNT50010/ 

 

改造費用の調達の他、車両の所有権やJR側の乗員人件費などの運行費用、整備費用などの細々とした無視できない課題もあるが、復旧の巨費と維持費が有効な“只見線利活用”の投資となるためには、専用観光列車の導入必要だ。只見線の“先生”ともいえる、JR五能線では改造列車の「ノスタルジックビュートレイン」号を導入し、その後キハ40系を改造した「リゾートしらかみ」号を運行させた。その後、実績を作り、現在では新造のハイブリット車両(HB-E300型)を3編成中2編成導入させ、多くの客を呼び込んでいる。同じ東北地方の五能線の成功例を学習し、関係者が知恵を絞れば、只見線専用観光列車の早期導入は不可能ではないのではないだろうか。*参考:「【参考】観光列車「リゾートしらかみ」乗車記 2020年 夏」(2020年8月10日)


現状、コロナ禍のJR東日本にとって、管内屈指の赤字路線である只見線に復旧費以外の投資をするなど考えられないので、福島県が率先しなければ事は進まない。福島県は、現在進行中の只見線利活用事業を精査し、全線復旧後のできるだけ早い時期に専用観光列車を導入することを決断し、あらゆる手を使って実現して欲しいと思う。

 

  

 

 

只見駅をあとにして、汗を流そうと「ひとっぷろ まち湯」に向かった。温泉ではないが、廊下や脱衣所、浴室に画家・松本忠氏の只見線の大きな風景画が飾られている。只見線を利用し、時間があれば立ち寄りたい銭湯だ。*参考:松本忠「もうひとつの時刻表」Gallery 福島県(只見線)

 

ゆっくりと湯に浸かり、濡れた衣類を交換し「ひとっぷろ まち湯」を出ると、夕焼けが見られた。明日の「鬼が面山」登山は天気は悪いと聞いていたが、この夕焼けを見て、青空の下でヒメサユリが見られる事を期待した。

   

夕食は、「ひとっぷろ まち湯」から近い「太郎鮨」で摂った。宿は、少し距離がある民宿だが、自転車を押して行こうと思い、南会津の酒を呑み、〆に握り寿司をいただいた。今日の疲れが癒された。

 

  

(了)

 

 

・  ・  ・  ・  ・

*参考:

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF) (2013年5月22日)

・福島県 生活環境部 只見線再開準備室:「只見線の復旧・復興に関する取組みについて

  

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。 

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

 

以上、よろしくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

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