三島町「三坂山」登山 2020年 晩秋

観光鉄道「山の只見線」”沿線の「会津百名山」登山。今日は、会津西方~早戸間の車内からその姿を見る事ができる「三坂山」(831.6m)を登るために、JR只見線の列車に乗って三島町に向かった。

  

「三坂山」は町の中心部に近く、「志津倉山」と並んで三島町の代表的で、町民にとって身近な山となっている。「うつくしま百名山」」にも名を連ね、「会津百名山」では第82座に挙げられ、「会津百名山ガイダンス」には次のような見出しが記されている。

三坂山 <みさかやま> 832メートル  
古代より鵲(かささぎ)大明神由来の山といわれ、大正年間山頂で社跡が発掘された由緒ある山。[登山難易度:初級]*出処:「会津百名山 ガイダンス」(歴史春秋社)p192 


「三島町史」には、「三坂山」は伊佐須美大明神(神社)が鎮座していたので、御坂山(三坂山)と名付けられとし、天津獄(御神楽岳)に創建された伊佐須美大明神は、御坂山(三坂山)→博士山→明神ヶ岳→現在地(会津高田町)に遷ったと記されている。これは、大正年間に「三坂山」山頂で伊佐須美神社の社跡(切石の敷石や空井戸等)が発掘され確認された事に因る。

伊佐須美神社の「由緒と社格」には遷座について、天津獄→博士山→明神ヶ岳→現在地(会津高田町)と記され、「新編會津風土記」の「博士山」の項にも“西に引たる峯に伊佐須美明神の社跡あり、御神楽嶽より此山に遷座ありて、叉明神嶽に遷れりと云”とある。

真偽のほどは分からないが、「三坂山」が昔から信仰の山であることは間違いなさそうだ。

*出処:新編會津風土記 巻之七十一「陸奥國大沼郡之一 大河郡」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第32巻」p317(165コマ) URL:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179212) 


 

只見線の列車内や沼沢湖(金山町)に向かう坂からも「三坂山」を見ることができ、私にとっては身近な山だった。今秋、「会津百名山」を登ろうと決め、ようやく頂を目指すことにした。 

天気予報は曇り時々雨、と微妙だったが、せめて雨は降らないで欲しいと願い「三坂山」登山に臨んだ。


  

 

昨日は只見町の「鷲ヶ倉山」に登った後に会津若松市内に移動し宿泊。今朝、只見線の始発列車に乗るために、未明の会津若松駅に向かった。 

 

駅舎に入り切符を購入し、自動改札を通り連絡橋を渡る。ホーム上空にはまだらな藍色の空が広がっていた。

 6:03、会津川口行きの列車が定刻に会津若松を出発。後部車両の客は、私を含め3名だった。 

 

会津若松~会津西方間は860円。

 

 

列車は七日町西若松で乗客を増やし、会津本郷を経て会津美里町に入り、会津高田を出発すると進路を真北に変える“大カーブ”を進む。上空はすっかり明るくなり、雲も一部が薄くなっていた。

その後、根岸新鶴で停発車を繰り返し、若宮手前で会津坂下町に入った。

  


7:20、会津坂下に到着し、上り列車とすれ違う。日曜日ということからか、ホームには客の姿が見られなかった。

 

 

会津坂下を出ると、列車はディーゼルエンジンの出力を上げ、七折峠を向かう。

 

今朝は、レールに落ちた落ち葉が車輪を空転させているようで、止まりそうになってはエンジンが蒸かすことを繰り返しながら、列車は必死に登坂した。不幸中の幸いか、途中、会津平野をゆっくり見下ろすことができた。

 

 

列車は無事に塔寺で停発車し、その後無事に七折登坂を終え、会津坂本を経て、柳津町に入り、会津柳津を出発し郷戸手前で“Myビューポイント”を通過。「飯谷山」(783m)の頂上は雲に隠れていたが、昨日は見えなかった稜線が姿を現していた。


 

滝谷を出発直後に滝谷川橋梁を渡り、三島町に入った。木々の色はほとんど失われ、晩秋の装いだった。 *以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス「歴史的鋼橋集覧

 

 

 

会津桧原を過ぎ、桧の原トンネルを抜けると「第一只見川橋梁」で濃緑の只見川を渡河した。下流側には「日向倉山」(605.4m)の稜線が見えていた。両岸の木々は、最後の色付きを見せていた。

 

反対側の席に移動し、上流側、駒啼瀬の渓谷を眺めた。

 

 

 

7:25、名入トンネルを抜け、会津西方に到着。私の他、観光客と思える2人が降りた。私はさっそく自転車を組み立て、駅舎の前を通る国道を東に進んだ。

  

7:38、私が乗ってきた列車が、次駅・会津宮下ですれ違いを行った上りの会津若松行きが、「第二只見川橋梁」を渡る姿を撮影した。雲や霧が晴れていれば、これから登る「三坂山」山頂から、この姿が見られる予定だ。 

  

 

 

7:35、頂上の一部が霧に隠れた「三坂山」を正面に見て、国道から登山口のある美坂高原につながる町道を進む。雨が少し強くなってきた中、右斜めに延びる坂を上った。

  

大石田集落が正面に見えると、一旦、道の傾斜は緩やかになる。集落の入口を左方向に進んだ。

   

7:50、“美坂高原まで4km”の標識前を通過。

   

7:59、“美坂高原まで2km”の標識前を通過。

 

徐々に傾斜がきつくなり、町道は大きくカーブした。ここで自転車から下り、押して進む事にした。

   

8:21、急坂をゆっくり上り、林道との分岐に到着。

 

分岐を左に進み、大きな駐車場を通過。

  

この先には管理棟とバーベキューの炊事棟があり、現在は閉鎖中という事もあり人影は無かった。入口のゲートは倒れていた。私は、自転車を押して、中に入った。

 

 

 

8:27、美坂高原に到着。前回は真夏に訪れて良いロケーションに感心したが、今回は晩秋だが、赤茶けた高原の風景も良いものだと思った。*参考:拙著「三島町「美坂高原」 2017年 夏」(2017年8月26日)

 

前回の訪問では無かった、台湾の“伝説の歌姫”テレサテンの訪問の様子を伝える「歌姫音路」という案内板が立てられていた。

 

彫刻家・三坂制(1949-2013)氏による作品が、美坂高原の各所に置かれている。

  

登山道は、美坂高原管理棟から1kmほど離れている。自転車に跨り、舗装された道を南南西に向かった。並んで敷設されている細い舗装道はサイクリングロード。

  

8:30、緩やかな下り坂ということで自転車は快調に進み、あっという間に、美坂高原登山口に到着。山々の稜線ははっきりとしていて、正面の奥に「三坂山」山頂が見えた。

 

登山道は、この分岐の左に延びていた。途中まで、登山道は自動車走行可能な東北電力㈱の保守路と共有している。

 

 

 

8:32、自転車を登山道の脇に停めて、熊鈴と熊除けの笛を身に着け、熊除けの音楽を鳴らし、「三坂山」登山を開始した。

   

登山道(保守路)は砂利道だったが、落ち葉が分厚く重なり足への負担が軽減されて、歩きやすかった。

 

傾斜は緩やかで、快調に歩みを進めることができた。両側の藪丈も低く、この辺りでは熊の存在は気にならなかった。

  

8:40、保守路の脇に建っていた高圧送電鉄塔から麓を見る。雨は降り続いていたが、空に明るさがあり、霧も薄くなっていることから、頂上に着くころはもう少し改善するのでは、と期待したのだが...。

  

さらに登山道(保守路)を進む。案内板も所々に設置されていて、安心して進むことができた。

  

 

8:44、保守路から「三坂山」登山道が分岐する地点に到着。


案内板には『入山される方へ!』と、熊が中心に大きく描かれていた。気を引き締めた。

   

保守路と分かれ、左斜めに延びる細い登山道に入る。藪が深くなることもあり、ここで熊除けの笛を勢いよく2度吹いた。

 

登山道はアップダウンがあるものの、傾斜は緩やかで、歩きやすかった。右側に、保守路が時折現れた。

  

二箇所目の分岐。案内板があり、迷う事は無かった。左側に進んだ。

  

枝にピンクのテープが見られたが、登山道の視認性を考えると、積雪時に東北電力㈱の保安員がこの道を歩く際のものだと思われた。

  

スギ林に入ると、根曲がりの松が前方に見え、登山道が左の斜面に向かっていた。

 

意外と急だった。短い坂を登り進むと、前方が明るくなった。

   

登りきると、左にブナ林、右にスギ林という平場に出た。歩きやすく、気持ち良い空間だった。新緑や紅葉の時は、一層素晴らしいだろうと思った。

  

坂になっても、左にブナ、右にスギが続き、傾斜が緩い事もあって、快調に足を進めた。

 

9:04、三箇所目の分岐。先ほどと同じように徒歩用の保守路との分岐だったが、「三坂山」登山用の看板があり、迷うことなく左方向の斜面に進み、「三坂山」山頂“手前のピーク”に向かった。

 

保守路が合流したあとの道ということか、斜面には樹脂製の部材による階段が造られていた。ただ、これが無くても無理なく登れる傾斜だった。

  

“手前のピーク”を過ぎ、落ち葉に覆われた、クッション性のある登山道を進むと、前方にきれいな直線が見られた。位置からして、頂上に続く道を思われた。

 

 

 

しばらく、登山道を進むと反射板が見え、頂上が目の前だと分かった。 

  

 

 

9:12、「三坂山」山頂に到着。目標とした時刻より、5分ほど早く到着することができた。右に、滝原登山口に続く登山道があった。

 

「三坂山」山頂は三等三角点になっている。

  

そして、「三坂山」頂上で最も特徴的なのが、東北電力㈱のマイクロ波反射板。

 

この巨大な反射板は、「三坂山」頂上を目にする麓のいたるところで見ることができる。

  

頂上の展望は、この反射板前に広がっていた。

 

 

9:16、只見線の列車が「第二只見川橋梁」を渡る時刻になり、先に進み麓を見下ろした。しかし、濃い霧(雲)に覆われ、肝心の列車は全く見えなかった。残念だったが、次の機会の楽しみとした。

 

 

 

9:20、体が冷え始め、下山を開始。落ち葉が敷き詰められ、すぅーとのびた登山道は、心地よい空間だった。新緑、紅葉の最盛期に歩いてみたい、と改めて思った。

  

終始、登山道の両脇には深い藪はなく、視界も良かったので、熊の存在は気にならなかった。が、やはり前方に黒い塊を見ると、『熊かっ!』とドキッとした。

 

近づくと、動くわけでもなく、今回は抜け倒れた木の根っこだった。

  

 

 

9:50、転ぶ事も足を滑らす事も無く快調に下山し、自転車を置いた登山道入口に30分で戻った。

 

美坂高原登山口を起点とした所要時間は、登山40分、下山30分だった。

 

昨日の「鷲ヶ倉山」と、今日の「三坂山」でお世話になった熊鈴と熊除け用として使った笛。お陰で、熊に出遭う事はなかった。

   

自転車に跨り、「会津百名山」67座である「黒男山」(980.4m)の南東にある“909mピーク”を前方に見ながら、美坂高原から宮下地区に向かう。「黒男山」の登山道は美坂高原側には無く、西会津町からの登山者が多いという。

 

自転車置場の屋根は、取り外されていた。現在、美坂高原がどのような営業をしているか不明だが、この光景に寂しさを感じた。

  

美坂高原を出て、自転車を進める。弱い雨は降り続いたが、快調に坂を下る事ができ、往路の苦労が吹き飛んだ。

 

 

 

10:16、国道400号線に合流に到着。

 

「三坂山」山頂を見ると、ガスが晴れず、はっきりと見えなかった。

 

「三坂山」登山は天候には恵まれなかったが、無事に終えることができた。

美坂高原口登山道は、東北電力㈱保守路の共有部分と、分岐後も歩きやすく開かれた道が続き、誰もが楽しめると思った。滝原登山口も登山道は整備されているということで、「三坂山」の登山道に改善すべき課題は無いようだった。

「三坂山」は登り易く、雲や霧が掛かっていなければ、眼下に宮下地区などの眺望が得られ、“観光鉄道「山の只見線」”の気軽な山岳アクティビティーになり得るコンテンツだと、今回の登山で思った。

 

今後、「三坂山」に只見線を利用した登山客を増やすためには、やはり駅からの二次交通が問題だ。

美坂高原口は会津西方駅から安心して歩ける道が続くが、6km以上ある。この行程を登山の一部と思えばよいが、舗装された道を歩き続けるのは、見晴らしがさほど良くない事もあり、自然を求めてきた登山者には苦痛だろうと思う。また急坂が長く続くため、自転車も一般向けではない。

他方、滝原登山口は早戸駅から2.6kmと近いが、国道252号線には歩道が無い箇所もあり一般の方に徒歩移動は勧められない。国道の路側帯が狭く上り坂が続くため、こちらも自転車利用は一般向けではない。

そう考えると、各駅から登山口まで、ワゴン車などで送迎できる体制が必要だ。スマホのアプリなどで、事前予約の乗り合い制度をつくり、駅から登山口まで送り届け、下山後は再び乗り合いの自動車を利用。または、自転車(輪行orレンタル)で各個人(グループ)の登下山のペースに合わせて駅に戻る、という二次交通の形がよいのではないかと思う。自転車を二次交通にする場合、電動アシスト付き自転車など急坂登坂に適した車両を選択し、国道252号線は両脇の路側帯に自転車走行帯を示す視認性の高いカラーリングを施す必要があると思う。

 

 

冷えた体を温めるため、国道400号線を下り、温泉に向かった。が、「桐の里倶楽部」は休み、「ふるさと荘」は15時から営業、そして「保養センターひだまり」は12時から営業、ということで三連敗となってしまった。

 

体はどんどん冷えたが、最後の希望を見出し、坂を上り大谷川の河口にある「栄光館」に向かった。

旅館ということで営業はしていた。引き戸を開け、声を掛け、女将に『温泉には入られますか?』と問うと、『はい』と言われホッとした。検温を受け、受付で550円を支払い、浴室に向かった。 

先客は居ないこともあって、ゆっくりと湯につかり、1時間ほど「栄光館」に滞在した。 

「旅館 栄光館」温泉概要
・源 泉:宮下温泉 第二源泉
・泉 温:60.9℃ 
・湧出量:126.9L/min 
・泉 質:ナトリウムー塩化物・硫酸塩・炭酸水素塩温泉 

   

 

湯上り後にゆっくり休んでから「栄光館」を後した。

会津宮下駅に向かう途中に、アーチ3橋(兄)弟展望所に立ち寄って、景色を眺めた。 *参考:埼玉県「福島県の土木構造物」【橋りょう】新宮下橋・JR只見線大谷川橋梁・宮下橋〔三島町〕


  

12:02、昼食の買い物を済ませ、会津宮下駅に到着。

 

駅舎の待合室に座り、「三坂山」登頂祝いの一杯を呑んだ。ストーブはついていなかったが、温泉のおかげで体はポカポカで、ビールが旨かった。

  

 

13:00、会津若松行きの列車に乗り込み、三島町を後にした。弱い雨は降り続き、ホームから見える「三坂山」山頂は、ガスが晴れていなかった。

    

会津宮下を出発してまもなく、「三坂山」頂上から見下ろすつもりだった「第二只見川橋梁」を渡る。只見川が往路と変わらず濃緑だった。

  

会津西方を出発し、名入トンネルを抜け「第一只見川橋梁」を渡る。往路同様、木々の色付きは失せ、駒啼瀬の渓の険峻さが際立っていた。

  

  

13:40、塔寺を過ぎて七折峠を下り、会津平野を進み会津坂下に到着。下り列車とすれ違いを行った。雨は降っていなかった。

 

 

新鶴を過ぎて、西部山麓の上空を眺める。会津平野上の薄曇り空に、奥会津に掛かる鼠色の雲が“侵攻”するかのような光景だった。


 

 

14:21、会津若松に到着。会津高田以後に増えた乗客が、次々にホームに降りた。

 

私は、この後、磐越西線-(郡山)-磐越東線-(いわき)-常磐線と乗り継ぎ、20時過ぎに富岡に着き2泊3日の旅を終えた。

 

 

(了)

 

 

・  ・  ・  ・  ・

*参考:

 ・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」 

 ・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日) 

  

【只見線への寄付案内】 

 福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。


  以上、よろしくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

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