今日開演された「奥’ロック」が、2014、2015、2016年の3年間、会場として使っていた「美坂高原」に向かうためJR只見線を利用して三島町を訪れた。
「奥’ロック」こと、奥会津ロックフェスティバルは2012年8月から始まり、今年で6回目を迎えた。2012、2013年が只見町(季の郷 湯ら里)、2014~2016年が三島町(美坂高原)、そして今年は今日、柳津町(道の駅 会津柳津)で開演された。
私は「美坂高原」をこの「奥’ロック」で知った。「奥’ロック」に行ったことはなかったが、ラジオからCMが頻繁に流れていて、会場となった『高原でロックとは、いいかも知れない』と思っていた。今年も「美坂高原」で開催されるなら行ってみようと思っていたが、今回それは叶わなかった。
「美坂高原」は町営(大石田)一ノ原牧場から1982(昭和57)年に観光施設に転換された。只見線・会津西方駅から5kmほどの場所に位置していることから、乗客がどのように楽しめるか、現場を訪れてその可能性を探りたいと考えていた。
今日は折り畳み自転車を輪行。会津西方駅から「美坂高原」を目指し登坂し、現地を見て回り、その後、大林ふるさと公園経由で会津宮下駅周辺に向かう。途中、桐の里倶楽部で日帰り温泉につかり、駅前の双葉食堂で昼食を摂る、という予定を立てた。
福島県内は、お盆前からぐずついた天候が続き、低温注意報が出る日まであった。この土日は夏空が見られるとの予報だったが、郡山駅上空は厚いねずみ色の雲に覆われていた。
今朝の朝刊に記載されていた天気予報では、県内三地方(浜通り、中通り、会津)とも“朝は曇りか雨、昼から夜は晴れ”だった。
駅頭で自転車をたたみ、輪行バッグに入れてから切符を購入し、自動改札を通り1番ホームに向かう。磐越西線の始発に乗り込んだ後、列車は定刻の5時55分に出発。
切符は、土曜日ということで「小さな旅ホリデーパス」を選択した。郡山から只見線を利用し日帰り旅行するには最高の一枚だ。
福島や新白河からのアクセスを改善すれば、福島県内の約6割の人口を占める中通り地方の県民に“只見線の旅”を容易に提案できる環境になる。磐越西線は列車が約1時間毎に走っているため、只見線の7時37分発の列車の後、2時間以内にあと1本増発されれば午前中に只見まで到着することができる。現在は13時07分発まで5時間30分も列車が無いという状況だ。
列車が磐梯熱海に近づく頃に雨が降り出し、標高の高い中山宿に到着すると大降りとなっていた。
沼上トンネルで中山峠を越え、郡山市から猪苗代町に入る。
川桁手前から見えだした「磐梯山」は、猪苗代を過ぎて正面に見えだすが、薄い雲がかかり、頂上付近だけは雲の塊で覆われていた。
7:09、列車は定刻に会津若松に到着。改札を抜け、駅舎の正面に出るが、小雨が降り続いていた。
買物を済ませ、再び改札に入り、連絡橋を渡り、只見線の4番線に行き喜多方行きの同型キハ40形と並ぶ列車に乗り込んだ。
この二種の緑と白のカラーリングはJR東日本の東北地域本社色と言われているが、“会津色”といってもよいくらい、会津の自然や景観に融和していると思う。
7:37、列車は乗車率4割程度で会津若松を出発。
七日町、西若松で部活に通うであろう高校生を乗せ、阿賀川(大川)を渡ると、会津平野の田園の中を列車は進む。雨は止み青空が顔を出すようになった。天気予報の精度に感心する。おそらくこれから晴れるだろうと思う。
会津坂下を出発して間もなく、ディーゼルエンジンの音が車内に響き渡る。右に大きくカーブしながら七折峠への登坂を開始する。
車内の様子。会津坂下で会津農林高校の野球部員など、多くの高校を降したため、私の乗る二両目は20人に満たず、土曜日のこの利用状況にまた暗たんたる思いがした。
8:45、会津柳津に停車。
「奥’ロック」の会場である道の駅 会津柳津は、ここから徒歩20分ほど。開始時間11時00分に間に合うためには、この列車に乗っていなければならない。何人ぐらい降車するのかと思い見ていたが、6人だけだった。大量輸送に威力を発揮するはずの列車が、コンサート(奥’ロック)で利用されないとは、衝撃だった。会津若松と郡山からはシャトルバスも運行されているため、そちらの利用が多いのだろうか。
地元(会津17市町村と福島県)が費用を搬出し復旧させ、「上下分離方式」で地元が年間維持費2億1千万円を負担し続ける以上、只見線が福島県民にとって、身近になり使用される交通出段になるよう仕掛けていかなければならない、と考えた。
列車は会津柳津を出発。新田街道踏切を過ぎた地点の“Myビューポイント”で車窓から景色を見る。青空が広がり、今日の旅は太陽の下で自転車を走らせる事ができる、と確信した。
郷戸を出て間もなく、田にははっきりとした影が映った。陽射しが強くなりそうだと思った。
9:07、列車は定刻に会津西方に到着。
下車するのは二度目。さっそく、自転車を組み立てて、出発した列車が、まだ見えるうちに終えた。
すぐに出発。駅舎を見ながら国道400号線を西南に向かい、まずは「第二只見川橋梁」を渡る列車を撮る事にする。
2分ほど自転車を進め、撮影ポイントに到着した直後に、次駅の会津宮下ですれ違いを行った会津若松行の列車が橋上に現れる。シャッターを切った。只見川上にわずかに漂う川霧が映り込んだ。今朝の一番列車ならば“川霧に包まれるキハ40”という一枚が撮れたのかもしれない、と思った。
ここから「美坂高原」に向かう。国道400号線を少し引き返した場所に、案内標識があった。
この先を右に入り、町道を登ってゆく。約5km先の「美坂高原は」標高約600m。会津西方駅の標高は約240m。これから東京タワーを超える、360m上の地点を目指した。
町道は、ゆるくもなく、きつくもない坂から始まった。私が乗る小径の折り畳み自転車(6段シフト付き)でも進める傾斜だった。しかし、陽射しは強く、あっという間に汗が噴き出した。
急カーブを右に折れ、名入スノーシェッド(1986(昭和61)年1月竣工)に入る。ここは、今日訪れる予定の日帰り温泉施設「桐の里倶楽部」の頭上に位置し、春や秋に見上げると浮き上がっているように見える面白い構造物だ。
町道に入ってから、約10分で大石田集落が見えてきた。
意外と言っては失礼かもしれないが、多くの住宅が密集していた。高齢化率は高いと思われるが、空き家は一見して見当たらず、色とりどりの屋根が見えるからか活気が感じられた。
冬、国道につながるこの町道は除雪されるので、車があれば宮下地区や柳津町へ日常品の買い物に行けるとだろうから大きな不便はないと思われた。集落にあった商店、「中酒店」は営業している雰囲気はなかった。
この大石田集落に面白いお堂があった。森の中にあったであろう階段が木々が伐採され露出したようで、斜面に真っすぐ伸び独特の世界観を創り出していた。
階段下に行き、お堂を見上げる。石柱には「福一虚空蔵大菩薩」とあったが、このお堂の名称は分からなかった。これから「美坂高原」までの登坂を考えると、この階段を上り参拝するのは気が引けた。次の機会にしようと思い、大石田集落を後にした。
集落出て、道はいったん下るが、すぐに上り坂になった。ビニールハウスがあり、大石田の方々が農地でここを利用しているのだろう。塙子沢沿いの、僅かな谷底平地で営まれてきた農業と、人々の生活の歴史を思った。
前方に、最初の大カーブが見えてきた。カーブ頂点部の標高は381m(国土地理院地図)。町道の傾斜がきつくなった。
大カーブを過ぎて、ガードレールの間から西を見ると廃田が見えた。ここまで通い、田の手入れをすることを止めてしまった事は十分理解でるが、この地点に田が作られていた事に驚いた。水を張ることができ、日照が確保できるという事だ。よく見ると、圃場は人工的な形状をしていた。日本人が田んぼにかけた人や財の資源の大きさをも考えてしまった。
また、すこし登ると“美坂高原まで あと1km”の看板が現れた。登る前は相当時間がかかると思ったが、意外とスイスイ来ることができた。
空を見上げると、綺麗な青空が広がっていた。「美坂高原」上空にも期待できる、と思った。
この辺りになると、傾斜もきつく、陽射しも強いため、時折自転車を押し二つの頂点を持つヘアピンカーブを抜け、長い直線を進んだ。
小径自転車での登坂は厳しいが、重量10kg前後の自転車ならば押して歩くのは苦にならないだろう。山の豊かな自然を見ながらのトレッキングと思えば楽しめる。また、復路の下り坂を思えば、この苦痛は和らぐ。自転車旅の醍醐味だ、と思った。
前方に往路で利用する林道との分岐が見えた。事前にGoogle Mapのストリートビューで確認していたため、ゴールが近いと確信。しかし、今まであった案内標識がここで無い事を不思議に思い、標識が建っていてしかるべき場所、道路の接続部に行ってみる。
すると、案内標識が“眠って”いた。美坂高原へようこうそ”と書かれた標識が倒れたまま捨て置かれた様子を見て、私は『手がかけられていない』と思い、『それほど観光客の来ない、魅力の無い場所なのか、美坂高原は!?』と考えてしまった。
気を取り直し、分岐を左に折れ、先に進む。木々の間から東南の方向を見る。かなり登ってきたことが分かった。
ここから少し進むと、大きな舗装面が現れた。「美坂高原」の駐車場だった。
まもなく、管理棟も見えた。国道400号から町道に入ってから、大石田集落に立ち寄ったものの、約50分で「美坂高原」に到着した。
入口にはチェーンが張られていた。
A型バリケードには注意書きが取り付けられていた。
*園内は車両の乗り入れはできません。
*熊が頻繁に出没していますのでご注意ください。
*園内の事故等の責任は負いかねます。
管理担当:三島町役場地域政策課
と記載されていて、“熊が頻繁に出没”には驚いた。『場所は無料で提供しますが、あとは自己責任でご自由に』ということだろう。
10:10、自転車を押しながら中に入り、看板越しに「美坂高原」が見渡せる場所に着いた。
高原の方に進むと、素晴らしい風景が目の前に飛び込んできた。写真では何度もみた景色だったが、想像以上に素晴らしい景観にここまで自転車で登ってきた苦労が一気に吹き飛んだ。深呼吸して、うまい空気を吸い込み、しばらく高原を眺め続けた。
「美坂高原」は1,000m以下の低山に囲まれている。南には「三坂山」(831.9m)を最高点とした山々が並び、
北には「黒男山」(980.4m、柳津町)に続く“909mピーク”がそびえている。
点在する木々も、高原の雰囲気に合ったこんもりしたものが多く、絵になる光景を創り出していた。
園内には、多くの石像が所々に配置されていて、アクセントになっていた。彫刻家・三坂制氏の作品だ。
ちなみに、この広いスペースは町の資料では8面のグラウンドゴルフ場になっていたが、その面影はなかった。
南端には農地が広がり、豆だろうかジャガイモだろうか、野菜が一面に栽培されていた。
園内の施設を見て回る。現在「美坂高原」の各サービスは休止中であるため全てが閉ざされていたが、各所に充実した施設が見られた。 *参考:三島町「美坂高原」 施設概要(PDF) 、現況利用図(PDF)
入口にある管理棟。
裏には三島町所有の軽トラックが駐車されていた。一面のガラスサッシから中をのぞくと、管理用の道具や工具などが置かれ、定期的に係員がやってきている事が推察された。
管理棟南側の広場から丸太でつくられた階段を上る。
壁がふさがれた食事休憩棟(丸太小屋、1975年築)があった。
その前にはバーベキューハウス(1990年築)が5棟が並ぶ。
今すぐにでも使えそうなテーブルや椅子があり、床の掃除された形跡があったが、この夏に客が使った感じはしなかった。
バーベキューハウスの東からは山々が見えた。1,000mに満たないが、稜線が複雑に重なり、見ごたえがあった。除草をすれば、見晴らしが更に良くなり、利用価値が高まるだろう、と思った。
管理棟から南に100mほどの位置には駐輪場。50台以上は置けるだろう。
高原の北端には体験棟「百年杉の家」(1983年築)。
休憩所として使われていたようだ。
施設前にある池のほとりにはオニユリが綺麗に咲いていた。
「百年杉の家」に向かう途中には、西南にある釣り場に向かう下り坂が分岐していた。急な坂を下り、急カーブを右に折れ正面に「黒男山」の“909mピーク”を見ながら、さらに下った。
釣り場の管理棟(1993年築)が現れた。高原との標高差は60mほど。写真左に見える山型のコンクリート構造物は手洗い場で、蛇口をひねると水が出てきた。
休憩所を兼ねた管理棟の向こうには逆瀬川の浅瀬があった。
釣り場はこの下流にあるが、草が生い茂り見に行く事ができなかった。
天然の川が釣場で、周囲の雰囲気も良い。人工感が無いので、施設価値は高く、「美坂高原」の付加価値を高めると感じた。
高原に戻り、南端の農地の中には、サイロの形をした農地管理棟(1981年築)があった。隣りにある松と相まって、これまた雰囲気が良かった。
「美坂高原」のほぼ中央に位置する軽食・喫茶棟「白い鐘」(1984年築)。
素朴な作りが、高原の景観に溶け込んでいた。
周囲を除草するなどし整備すれば、小さな規模の結婚式に適うのではないだろうか、と思った。
「美坂高原」は98haと東京ディズニーリゾートとほぼ同じ広さがあるが、トイレは4ヶ所に分散されていた。
「百年杉の家」に行く途中にあるトイレ(1992年築)。
キャンプ場にあるトイレ(1992年築)。
「美坂高原」にはサイクリングロード(2km)と、自動車が走れる管理道路(4km)があった。
北に向かうサイクリングロードと管理道路。平行していた。
かつて放牧地であった丘の斜面の下、白樺の間に敷かれていた。釣り場へは管理道路がつながっているため、車が通行可能だった。
北から高原の中心部に戻る様子。左手は「自由の広場」という空間だった。
高原の西面はサイクリングロードだけだった。
日陰の路面には苔が生え、タイヤが滑って危険を感じた。路面を整備すれば、ほぼ平坦な道であるため、広々とした高原の芝生を見ながら、快適に自転車を走らせる事ができるだろうと思った。
キャンプ場付近では木立の間を走る事になり、心地が良かった。
南端の農地へもサイクリングロードはのび、西側農地の外周にも敷設されていた。サイクリングロードは少し狭いため、一方通行にすれば、意趣に富んだ景色を眺めながら快適に走る事ができる、と思った。
奥会津で、これほど気軽に自転車を楽しめる場所は無いのではないだろうか。素晴らしい場所だと思った。
約1時間、「美坂高原」を散策した。天気に恵まれた事もあってか、「美坂高原」が想像以上に素晴らしい場所である印象を持った。
「美坂高原」は、会津西方駅からもロードバイクや軽量な自転車を利用して来ることも難しい事ではない。現在、「美坂高原」ではサイクリングや夜の天体観測などのイベントが開催されているが、私はキャンプやバーベキュー、釣りなどの総合アウトドア施設としての可能性を大いに感じた。
思い切って、民間と長期の施設利用契約を結ぶのはどうだろう。民間が宿泊施設を新たに建設したり温泉を掘削するなどし、行政が風力や水力などの発電装置を設置するなどで協業すれば、観光客を呼び込めるのではないだろうか。
また、アウトドア施設としては、トレッキング面を強化し、南接の「三坂山」(831.9m)への登山道だけではなく、北接の「黒男山」(980.4m)への登山道も整備して、回遊できるような“トレッキング道”を新設すれば、「美坂高原」での楽しみ方が広がり、客の滞在時間が増すと思う。三島町と柳津町の協業が必要だが、只見線利用促進という大義があるため可能ではないか。
さらに、現在「美坂高原」は冬期に町道の除雪が行われないため閉鎖されるが、スノーモービルやクロスカントリーなどができれば、通年利用可能となり、施設の稼働率も上がる。“トレッキング道”をクロカンとの併用を想定し整備すれば一石二鳥であろう。
私は現地を訪れ「美坂高原」は、只見線沿線観光地の屈指のコンテンツになり得る可能性を秘めている、と思った。地元の三島町にとどまらず、福島県も含まれる只見線復興推進会議を中心に観光面強化の基金を作る等して、「美坂高原」という埋もれた資産の活用を検討してもらいたい。
11:10、「美坂高原」を後にする。
帰りは大林ふるさとの山を経由を予定。今年5月に訪れカタクリの群生を見た場所だ。到着は、20分後と想定していた。
町道を下り、案内板が倒れていた分岐を左折し林道に入る。
間もなく、道路の分岐が現れた。予期せぬ分岐! どちらに進めばよいか分からなかった。iPhoneを出すが、圏外で調べられず、賭けに出た。A型バリケードが二基置いてある、左にカーブする道を選択した。
しかし、結果この選択は間違っていた...。
道は急な上り坂になり、『美坂高原の後は下り坂』と思っていた為、違和感を覚えた。しかし、そのまま進み、峠の頂を越えた。
ここから一気に下り坂となったが、途中に草むらに隠れて看板があった。「林道 大山美坂高原線」と表示。当初の予定は「大林ふるさとの山」を経由。ここでも、私はミスを犯してしまい、大山を大林と見間違い、『この道に間違いはない』と確信し、自転車を進める事にしてしまった。
道は激しいアップダウンを繰り返し、両側から草が生い茂る場所も多かった。突然、熊に遭遇したら逃げ場がないと思い、自転車のベルを大きく鳴らしながら進んだ。
崖崩れ箇所もあり、大きな石が路上に転がったままになっていた。分岐にはA型バリケードがあったが、通行止めにはなっていなかった。しかし、この林道の荒れ具合に、また不安がぶり返してきた。
倒木もあった。
...“運命の”分岐点から約20分。前方に橋が現れ、規制線となるロープと看板が見えた。
ロープを乗り越え、正面にまわる。
ロープに取り付けられた案内を見て呆然。通行止めは、今まで通った道の状態からすぐに理解できたが、ここが西会津町である事に目を疑った。
ここでやっと、あの分岐点で選択した道が間違っていた事が判明した。すでに西方地区に到着している時刻だが、北接する隣町にやってくるとは。しかも、ここが西会津のどこか分からなかった。
とりあえず道が延びる川沿いを進んだ。
畑がある事から民家が近いと思ったが、まもなく集落が現れた。
この光景を見た時、見覚えがあった。出発前に「美坂高原」付近のGoogle Map®を見ていた時に“不動堂”という名前に興味がありこの付近をストリートビュー®で確認していたからだ。4軒の民家が並ぶ大滝集落だった。
今、自分が居る場所が分かり、安心して先を進んだ。まもなく、黒沢地区に到着。ここから、国道400号線に入る。会津西方駅前を通っている道だ。
国道400号線に入り、坂を登り続けると、間もなく大型の標識が現れた。“三島10km”という表記に疲れがどっと出たが、考える事を止めただ自転車のペダルをこぐ事にした。
西会津町と柳津町の境、杉峠と書かれた道路情報看板が見えた。杉峠は難所で、狭隘な道なためバイパス建設が進められたが、トンネル部の地質が脆く断念し、道路拡幅などの改良工事に転換した経緯がある。また、拡幅されていないようで、大型車両の通り抜けが禁止となっているようだった。
坂をひたすら上り、ようやく柳津町に入る事に。手前に「西方街道 下谷路」と書かれた案内があった。
杉峠の頂点に達した。特に、案内板などはなかった。
ここから下りになったが、すぐ脇に棚田があった。廃田は無いようで、全ての段で穂をつけ始めた稲が、ゆるやかな風に揺れていた。
九十九折りの下り坂が続いた。対向車に気を付けながら進んだが、一台の車とも出会わなかった。『バイパスは必要なのか...』と思ってしまった。
国道400号線に入ってから、約25分で県道343号線との分岐に到着。左折すると県道になり、柳津町に向かう。
ここで振り返ると、オレンジの道路情報看板が見え、その向こうに開かれたゲートがあった。この杉峠は冬期通行止めとなる。バイパスの必要性は、ここにもあったようだ。
分岐を右折し、三島町西方地区を目指し、さらに国道400号線を進んだ。柿平橋を渡り、まもなく三島町に入った。
そして直後に、コンクリートの橋脚が目に飛び込んできた。バイパスの先行工事の“遺産”。使われる事の無くなったこの橋脚などの工事に、どれだけの県費が使われたか...と考えてしまった。
...「美坂高原」を出発して約1時間。予定の20分を大幅に超えたが、無事に西方地区に入る事ができた。ここから、この周辺の観光施設を巡った。
「乙女三十三観音」が並ぶ西隆寺。*参考:極上の会津プロジェクト協議会 日本遺産 会津の三十産観音めぐり「西隆寺乙女三十三観音」
旧西方小中学校を利用している「森の校舎カタクリ」。宿泊もできる。
坂を少し下った場所にある、地元の建築会社が運営している「森のしごと舎」。
先行開業している国道400号線バイパスに入り、間もなく左折すると、会津桐タンス株式会社が見えてくる。
そのハス向かいには「三島町生活工芸館」。
その向いには「三島町交流センターやまびこ」。
「やまびこ」の向かい、「生活工芸館」の隣には、レストラン「ログハウス どんぐり」があり、営業していた。会津地鶏のメニューがあるという。
これらの施設は近接し、会津西方駅から徒歩圏にある。
国道400号線を進み、会津西方駅の方に下ってゆく。駅を通過し、再び「第二只見川橋梁」の撮影ポイントに向かった。
「第二只見川橋梁」が一望できる場所に着くと、ちょうど会津若松行きの列車が通り過ぎるところだった。順光ぎみで、朝とは違った写真が撮れた。
少し進み、国道400号線沿いにある日帰り温泉施設「桐の里倶楽部」に行く。
只見川沿いの良い場所に建っている。中に入り、受付で入浴料420円を支払った際、『今日は貸し切りだよ!』と笑顔で言われる。
らせん階段を、階下に下りた。
浴室に行くと、確かに人の気配がせず、男湯には誰も居なかった。土曜日にこの入りようで残念に思ったが、1人ゆっくりと温泉につかり汗を流そうと思った。
脱衣所は、明るく清潔感があった。貴重品は、廊下にある小型の専用BOXに入れる事になっていた。
脱衣所の先には、男女兼用の休憩所があった。只見川に面して、眺めがよい。
窓際に寄り、只見川の下流に目を遣ると、「第二只見川橋梁」がわずかに見えた。
会津宮下駅寄りの一部が見えた。
湯船から「第二只見川橋梁」は見えるだろうかと思い、浴室に移動し湯に浸かる。「第二橋梁」は木の枝に遮られ見えなかったが、明るく開放的な湯船は快適だった。
「第二橋梁」は木の枝に遮られ見えなかったが、明るく開放的な湯船は快適だった。
「桐の里倶楽部」に30分ほど滞在し、会津宮下駅前にある「双葉食堂」に向かった。
途中、鮮やかな朱色に染まった町道に架かる三島大橋を渡る。ここは最近まで修繕工事が行われていたが、“全国初の国直轄工事”として話題になっていた。
橋のたもとにある石柱には、これを示す真新しい銘板が取り付けられていた。
三島大橋を渡り、坂を上り右折し県道237号線に入って、まもなく左折し駅前通りを進む。少し進み、目当ての「双葉食堂」を見ると、暖簾が掛けられていた。営業しているようで、安心した。
初めて中に入る事ができた。
メニューを見て、お目当ての「焼そばラーメン」を注文した。
これは“裏メニュー”で、お客さんの要望に応じて店主が作ったところ評判になり、メニュー表に載せたという。今では町のB級グルメとなり、この双葉食堂が発祥の地ということで、メニュー表には“元祖”と記載されていた。
注文から10分ほどで、「焼きそばラーメン」が運ばれてきた。
たちこめるソースの香りが食欲をあおる。食べると、その旨さに唸った。焼きそばを食べている気になるが、のどごしはラーメン。太縮れ麺や具にソースが染み込み、箸が止まらない。時折口にするメンマがラーメンである事を気づかせてくれるが、最後まで焼きそばを食べている気分だった。また、食べたいと思える一杯だった。
「双葉食堂」を出ると、三島町役場に向かった。途中、役場入口脇にある「あかぎ清水」でペットボトルを満たした。
三島町役場に到着。「美坂高原」に関する資料を見るため図書館(室)に行く。
役場と棟続きの公民館・町民センターに入る。玄関の直ぐ向かいに図書スペースがあったが、本の入れ替えをしているようで見る事はできなかった。係員に聞いたところ2階に資料室があるのでそちらに行ったが、該当する本はなかった。
あきらめて、次の目的地「アーチ3橋(兄)弟」“展望所”に向かう。県道237号線を真っすぐ進み、右に大きくカーブする場所から伸びる細い道を進んだ。
まもなく、「アーチ3橋(兄)弟」の“展望所”が現れた。
案内板にはこの3つのアーチ橋について詳しい記述があった。
国内唯一と言われている「アーチ3橋(兄)弟」。
真ん中が長男の「大谷川橋梁」(只見線)。手前が二男の「宮下橋」(県道237号線)。そして、奥が一番新しい三男の「新宮下橋」(国道252号線)。*参考:三島町観光協会(観光交流館からんころん)「『みやしたアーチ3橋(兄)弟』のビューポイント」(2013年6月16日)
ここからさらに進み、牧堀沢に架かる駒啼瀬歩道橋を渡る。
自転車を入口の隅に置き、坂を登り「第一只見川橋梁ビューポイント」に向かう。
只見川の水は濁っているが、陽の光を浴びた薄紫の橋梁と周囲の緑が綺麗だった。
ここから、時間があるので、柳津町で行われている「奥’ロック」の会場に、自転車で向かう事にした。
背後からやってくる自動車に気を遣いながら国道252号線を進む。桧原スノーシェッドを抜け柳津町に入ると間もなく、前方に吊り橋・麻生大橋が見えた。
滝谷川橋付近では、只見川の濁水と滝谷川の清流がぶつかる川面が見られた。
松倉トンネルを抜けると「奥’ロック」の会場となる道の駅「会津柳津」まで、2.0kmの大型標識が見えた。ペダルをこぐ足に力を入れた。
「第一只見川橋梁ビューポイント」を出てから、約30分で「奥’ロック」会場に到着。ベースの重低音が響いていた。
会場の隣には足湯を備えた「憩の館 ほっとinやないづ」があり、会場から自由に出入りできるようになっていた。
「奥’ロック」は多くの観客でにぎわっていた。
これが「美坂高原」で開演されている様子を思い描いた。天気に恵まれた今日、「美坂高原」で行われていれば一層良かっただろうと考えた。野外フェスは高原に似合う。「美坂高原」で見てみたい、と改めて思った。
ステージが設置された広場に面する通路のそばには奥’ロックグマ(熊)のボードと赤べこ・あいちゃんが並んでいた。赤べこは柳津町が発祥の地。ロックとべこ。なかなかの味のある組み合わせだ。*参考:柳津観光協会「赤べこ伝説」URL: https://aizu-yanaizu.com/feature/akabeko-legend/
しばしステージを眺め、地元の食が提供されている「奥会津うまいもんフェア」のテントを見て回ってから、会場を後にした。
只見川の堤防に上がり、国道に架かる瑞光寺橋越しに見える福満虚空蔵尊圓蔵寺を眺めながら、自転車を進めた。
16:05、会津柳津駅に到着。自転車をたたみ、輪行バッグに入れ、ホームで列車を待った。
16:16、会津若松行きの列車が到着。車内は、青春18きっぷの使用期間中ということもあり、混んでいた。
会津柳津を出た列車は、順調に進んだ。
塔寺を過ぎ、七折峠を下りきると、うっすらと黄金色になった田越しに「磐梯山」が見えた。
17:19、列車は会津若松に到着。ここから乗り継ぎ、郡山に向かい帰宅の途についた。
今日は、途中道を間違えたトラブルがあったが、天候に恵まれ「美坂高原」の美しさと魅力を感じ、「奥’ロック」までも見る事ができ充実した旅になった。
只見線に乗り自転車を利用した旅の楽しみ方は、まだまだあると思う。次は秋。紅葉を見ながらの“只見線+自転車旅”をしたいと思う。
(了)
・ ・ ・ ・ ・ ・
*参考:
・福島県生活環境部 只見線再開準備室:只見線の復旧・復興に関する取組みについて
・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」
・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)
【只見線への寄付案内】
福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。
①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/
②福島県:企業版ふるさと納税
URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html
[寄付金の使途]
(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。
以上、よろしくお願い申し上げます。
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