金山町「国土山」登山 2020年 初冬

観光鉄道「山の只見線」”沿線の「会津百名山」登山。今日は“藪山入門”の「国土山」(858.3m)に登るために、JR只見線の列車に乗って金山町に向かった。

 

「国土山」は福島県金山町と新潟県の境界に聳える、越後山脈の一部を為す山。会津側(只見川左岸にあった関根集落)と越後側(柴倉集落)を結ぶ生活・交易路であった「大山越」の途上、稜線の東側に「国土山」山頂がある。現在、「大山越」は東北電力㈱の高圧送電鉄塔の保守用巡視路として使われ、「国土山」登山道も9割を共有している。巡視路は刈り払いされ、踏み跡もはっきりしていることから、歩き易いと言われている。

しかし、巡視路から峠で分岐する“登山道”は藪道になっていて、踏み跡も不明瞭。さらに、山頂も藪に覆われている事から見晴らしは期待できず、山名を記す標杭もなく、三等三角点の石標が藪の中にあるという。複数の登山記で、“国土山は藪山の入門”と記されていた。

  

「国土山」は「会津百名山」の第76座で、「会津百名山ガイダンス」には次のような見出しが記されている。

国土山 <こくどやま> 858メートル
峠まで歩いて3時間ほどで着くことができて、県境稜線を北方にたどれば30分で国土山に着く。30分のヤブこぎならば苦労も少なく、低いながら奥深く、歴史の重みを感じさせる登山が楽しめる。[登山難易度:上級]*出処:「会津百名山 ガイダンス」(歴史春秋社)p162 

 

登山口は、東北電力㈱上田発電所・ダムの直下にあり、只見線・会津中川駅からは2kmほどの距離で、徒歩圏になっている。駅チカということで「国土山」は、“観光鉄道「山の只見線」”山岳アクティビティーの、有力コンテンツになる可能性がある、と私は思っている。 

  

今日は、郡山を出発し「国土山」山頂を目指し、会津若松に戻るという旅程を計画し、只見線を利用した「国土山」登山の可能性を考えた。

山頂からの展望を期待できない、とは“登山の魅力半減”だとは思ったが、天気が良いということもあり、登山途上の景色の美しさを期待し、初めての“藪山”「国土山」に向かった。

    

*参考: 

・福島県:只見線ポータルサイト

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF) (2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)/「只見線(会津川口~只見間)復旧工事の完了時期について」(PDF)(2020年8月26日) 

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線沿線の“山”(登山/トレッキング)ー / ー只見線の冬

 

 


 

 

12月に入った。

部屋に飾られたカレンダーでは“雪国サンタ”さんが、かんじき作りに勤しんでいる。『今年の“雪国サンタ”さんは、どうだろう??』といつも楽しみにしていたが、奥会津の田舎感、山間感が、温かな絵柄と構図で表現された、ほっこりできる絵になっている。 *参考:色鉛筆画家・大竹惠子(金山町大志出身)ホームページ  URL: http://heart623.web.fc2.com/index.html

   

  

昨夜は郡山に前泊。駅前のイルミネーションは、今年も綺麗に輝いていた。

 

  

  

今朝、未明の郡山駅に向かう。師走の土曜日の朝だったが、人影はほとんどなかった。例年ならば、吞み明かした若者を中心に、少なくない人の姿が見られた。新型コロナウィルスは、見慣れた光景を変えてしまっている。

    

輪行バッグを抱え構内に入り、切符「小さな旅ホリデー・パス」を購入し、自動改札を通り1番線に向かう。久しぶりの磐越西線の始発列車。その最後尾に乗り込んだ。

5:55、少しの客を乗せ、会津若松行きの列車は静かに発車した。

   

列車は暗闇の中を走り、中山峠を越え会津に入ると徐々に空が明るくなり、猪苗代を過ぎると「磐梯山」が見えるようになった。

  

会津盆地の上空には、雲の切れ間に青空が見えた。

 

 

 

7:09、会津若松着。連絡橋を渡り只見線のホームに向かう。橋上から列車を見下ろすと、右、北東にうっすらと「磐梯山」の稜線が見えた。

7:41、後部車両に乗り込んだ会津川口行きの列車は、定刻に出発。土曜日にしては高校生の乗車が少なく、車内の客は10名に満たなかった。

  

 

列車は七日町西若松で乗客を増やし、大川(阿賀川)を渡る。上空に雲はあったが流れているようで、天気予報通り晴れるだろう、と思った。

 

会津本郷を過ぎ会津美里町に入り、会津高田を出発後に列車は進路を真北に変える。前方には飯豊連峰から磐梯山に続く山並みが見え、会津盆地の美しさを思った。

 

右、東に目を向けると、遠く「磐梯山」が雲海に浮いているように見えた。

 

  

列車は根岸新鶴を経て会津坂下町に入り、若宮を出て会津坂下で上り列車とすれ違いを行った。

   

会津坂下を出発すると、会津盆地と奥会津の境となる七折峠に向かう。列車は登坂に備え、ディーゼルエンジンは出力を上げた。

  

登坂途上、塔寺手前で木々の切れ間から会津坂下町を見下ろす。これから雲がどのような動きをするか気になった。

  

 

会津坂本を出て柳津町に入り、会津柳津では、“あわまんじゅうマン”が横断幕を持ち、見送りに立っていた。

  

郷戸手前で“Myビューポイント”を通過。明日登る予定の「飯谷山」(782m)は、一部雲が掛かっていた。明日の天気予報は、くもり。雨だけは降らないで欲しい、と願った。

  

 

 

列車は、滝谷を出発し三島町に入り、会津桧原を経て、檜の原トンネルを潜り抜けると「第一只見川橋梁」を渡る。今日の柳津ダム湖(只見川)の水面は冴え、水鏡になっていた。 *以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス「歴史的鋼橋集覧

  

 

会津西方出発直後に「第二只見川橋梁」を渡る。上流側の正面には、先月登った「三坂山」(831.9m)の頂上が雲の上に、ひょっこり出ていた。

   

「三坂山」頂上をよく見ると、東北電力㈱のマイクロ波反射板の姿が確認できた。

 

 

“アーチ3兄(橋)弟”の長男・大谷川橋梁を渡り、次男・宮下橋を見下ろす。完全に落葉し色を失った渓谷だったが、良い光景だと思い眺めた。 *参考:三島町観光協会(観光交流館からんころん)「『みやしたアーチ3橋(兄)弟』のビューポイント」(2013年6月16日)  

  

会津宮下では上り列車とすれ違いを行った。ホームに客の姿は無かった。

  

 

会津宮下を出発すると、列車は東北電力㈱宮下発電所と宮下ダムの脇を駆け抜ける。宮下ダム湖(只見川)の水鏡には水紋が見られ、柳津ダム湖のそれとは違かった。

  

少しだけ只見川と離れ「第三只見川橋梁」で三度目の渡河をする。下流側正面の国道252号線高見沢スノーシェッド内は撮影ポイントになっているが、何人の“撮る人”がいるのだろう、と思った。

 

  

早戸を出発し、金山町に入り細越拱橋(めがね橋、8連コンクリートアーチ橋)を渡る。上空は、雲が多かったが明るく、予報通りこれから晴れるのではないか、と期待した。

  

 

会津水沼を出て「第四只見川橋梁」を渡る。上流側正面に、「国土山」登山道の最初の取付に立ち並ぶ、高圧送電鉄塔の一部が見えた。


 

  

8:50、会津中川に到着。降りたのは私一人。終点・会津川口に向かう列車を見送り、輪行バッグを抱えホームを離れた。

  

駅頭で、輪行バッグから自転車を取り出し、組み立てて出発。駅前の緩やかな短い坂を下り、国道252号線を会津若松方面に進んだ。

  

国道を進むとまもなく、只見線の路盤法面崩落の復旧工事箇所があった。崩落し運休となったが、JR東日本は数日で復旧させた。

只見線は、現運休区間(会津川口~只見)を上下分離で福島県が保有することになり、このような災害復旧を担う事になる。おそらく、工事はJR東日本に委託することになるが、意思決定や予算措置などスピード感が必要になる。予め災害被災時の対応について福島県とJR東日本が契約を結び、復旧工事の一定金額までは契約によりスムーズに行えるようにしておくのが望ましい、と思った。 

  

 

国道252号線は、「第四只見川橋梁」から会津中川駅手前の狭隘区間で、拡張・付け替え工事が行われている。中川地区居平地区を過ぎると国道の拡張工事現場になり、前方に東北電力㈱上田発電所と上田ダムが見えた。

 

東北電力㈱上田発電所・上田ダムは、只見線の車内から見ることができるが、少し離れている。

  

ただ、ダム湖は幅が広く周囲の風景と相まって、沿線屈指の景観を作っている。只見線の車窓からは木々や電線が邪魔しているので、車内からこの風景が見られるように“景観創出事業”で対応してもらいたいと思っている。

  

只見川の東北電力㈱のダム式水力発電所5か所のうち、宮下発電所を除く4か所(片門柳津、上田、本名)は、戦後復興の立役者の一人である白洲次郎氏が東北電力㈱初代会長が就任(1951(昭和26)年5月)してから建設された。この4つの発電所・ダムには氏の言葉が刻まれた記念碑が立っている。

   

 

「国土山」登山道入口は、上田ダム直下只見川の左岸にある。「大山越」の会津側の集落・関根があった場所だ。一般通行可能になっている、ダムの天端を通り対岸に渡る。

 

天端上から、送電施設の下流側にある、登山道入口を眺める。東北電力㈱の高圧送電鉄塔に沿って、「国土山」登山道(巡視路)もはっきり見えた。

   

「国土山」登山道入口に到着。自動車も10台以上停められる広い空間があった。自転車を柵のそばに停めた。

  

 

 

9:58、熊鈴と熊除けの笛を身に着け、iPhoneで音楽をかけ、登山を開始。

  

登山道は、序盤から特異だった。電力会社の巡視路ということだろうか、単管でしっかりと組まれた仮設通路が現れた。

  

右手直下に只見川を見ながら歩くと、激しい水の流れが聞こえ、先に進むと、勢いよく只見川の落ち込む北の湖川の滝があった。

  

少し進むと、前方に北の湖川を渡る鋼材の吊り橋が見えた。

  

吊り橋を過ぎると、直後は上り坂になった。

  

登山道は、土留めされ、整備されていた。排水の溝などがなく一部ぬかるんでいたが、歩きやすく、巡視路兼用部分は“藪山”のものとは思えない登山道だった。

 

樹脂製の階段もあった。

  

 

2系統の送電鉄塔が設置されているため、分岐も多かったが、踏み跡の状態などから、迷うことはなかった。

  

徐々に登山道の傾斜が増し、背後が開ける。景色の変化が見たくて何度も振り返った。

上田ダムの全景が見えるようになると、良い景色だと思い見入った。正面から左に掛けて、只見線の路盤も見えた。 

 

 

10:23、登山道は広い平場になり、熊笹が生い茂っていた。ここも整備され、刈払いされた通路を進んだ。熊笹は背丈ほどあったので、熊除けの笛を吹いてから足を進めた。

  

熊笹群生を過ぎると、登山道は再び取付になる。ここから、23番鉄塔まで砂礫、岩場の急坂が続いた。

 

途中、松林があり、平場になっていたため、適度に休憩が取れて良かった。“根曲がり松”は見事だった。

  

見上げると、二列に並ぶ高圧送電鉄塔が視界に入ってきた。ここが巡視路であることを実感した。

2系統の送電線は新潟幹線(新潟変電所-本名変電所)と鹿瀬線(鹿瀬発電所-本名変電所)で、新潟県内から只見線「第六只見川橋梁」の下流側まで延びている。新潟県が東北電力管内であることを示す、眺めだった。 

  

登山道の岩場は、足が掛けられるよう穿かれているように見えた。

  

 

10:40、高度が増し、開かれた場所で振り返る。すっかり晴れわたり、上田ダム湖を中心に、奥会津、只見川沿いに重なる低山の美しい稜線が見えた。

      

登山道から左に目を向けると、鍋倉山(1,137m)-談合峰(1,039m)-沼ノ峠山(1,020m)と続く、県境の稜線がくっきり見えていた。

 

 

10:45、取付登坂が終わり、“23番”鉄塔に到着。

 

この先は平場で、心地よいアップダウンの道が続いた。

  

日陰には、数日前に降った雪が、融けずに残っていた。

 

苔むした倒木の残雪に、冬の入口を感じた。

  

登山道には、二箇所の長く続く坂があった。落ち葉が積み重なり、中が濡れていることもあって、何度か足を滑らせた。

 

第一の長坂で左を見ると、森の中に藪の無い“広場”があった。“熊の遊び場”には相応しい、とこの時は気楽に考えた...。

  

  

10:52、先を進むと、初めて「国土山」山頂が見えた。

   

登山道は、人がすれ違えるほどの踏み跡が続いたが、雪解け水が削り取ったようなV字型の通路が一箇所あった。

  

徐々に標高が上がると気温が下がり、残雪箇所も増えていった。

 

雪の上に足跡が見られ、往復ではなく新潟方面からやってくる一筋だけだっだので『縦走する方もいるのだなぁ...』と、この時は思った...。


先に進むとブナ林になり、天高くまっすぐ伸び、枝を多く広げたおもしろい形のものもあった。

 

 

 

11:21、さらに先に進むと、雪の上にまた足跡が見られるようになった。違和感があり、よく見ると明らかに靴跡ではなく、足指の跡が見えた。背筋が凍った。このサイズの足跡は、間違いなく、熊だ!

 

こちらに向かってきていた足跡は熊のもので、私はそれとは思わず、正対するように登山道を進んできたのだ。

 

倒木の上には、下腹を擦ったと思われる場所があり、明らかに雪の厚みが違った。

  

足跡は輪郭がはっきりしていることもあり、昨日今日のものだと察せられた。

雪が降っていることもあり、熊は冬眠していると思ったがそうではなかった。まさか“穴持たず”か?、とも思ったが、冬眠前の餌探しで歩いていたのだろうが、気が気ではなかった。

  

しばらく進むと、熊の足跡は登山道から右に外れ、藪の中に続いていた。熊はここから出てきて、登山道をノソノソと歩き、どこに向かったのだろうか、と考えた。

“熊の通り道”を過ぎても、熊への警戒は解けなかった。熊除けの笛を定期的に吹きながら、歩みを進めた。 

 

   

前方に、建物が見えてきた。

 

 

11:43、東北電力国土山避難小屋に到着。作業員用のもので、一般には解放されていないという。

 

避難小屋を背にすると、正面に「国土山」が見えた。山頂はスギ林に覆われていた。

  

分岐の目印となる石祠は、未だ先。登山道を再び進み前方を見ると、右側の鉄塔から「国土山」に向かって尾根が続いているので、この鉄塔が石祠の脇に立つものだろうと思い、再び歩き出した。

  

 

まもなく、石祠が見えてきた。

 

 

11:51、「国土山」登山道の分岐の目印となる大山祇神社の石祠に到着。ここは峠だが、「大山越」の沼越峠(鉾峠)は、ここから少し下った鞍部になっている。

 

前方、鉄塔越しに見えたのは、うっすらと冠雪した飯豊連峰。

  

「国土山」は、鉄塔越しに右(東)に見えた。

 

 

 

11:54、一休みして、「国土山」山頂を目指す。鉄塔の足元に下り前方をよく見ると、カヤトに踏み跡のような凹みがあった。

 

事前の情報では、ここが「国土山」登山道の入口になっていた。少し不安があったが、足を踏み入れた。

  

カヤトは短く、すぐに藪の中に突入。葉が無く、踏み跡もはっきりしていたため不安はなかったが、“藪山入門”ながら藪漕ぎに閉口してしまった。

 

藪には所々ピンクテープが括り付けられていた。尾根筋を進むということで迷う可能性は低いが、こんな藪の中でも他に歩いた人間がいると思うと、心強かった。

  

藪を抜けると、積雪の上に足跡が見られた。これも頂上からやってくる一筋で、『熊かっ⁉』と一瞬怯んだが、よく見ると足指跡は無く、靴跡のように見えた。

なぜ復路だけ?、と一瞬思ったが、藪道なので頂上に向かった往路は別の場所にあるのだろう、と詳しくは考えなかった。

  

 

藪を避けるため左(北)に向かうと、切れ落ちた尾根から飯豊連峰が大きく見えた。

 

 

“登山道”はスギ林の中に入ってゆく。

 

雪と風の影響か、大きく曲がった奇形のスギもあった。

  

進路を示してくれるピンクテープは、微妙に広い間隔で山頂まで取り付けられていた。

   

時折、左に目を向け山々を眺めた。三ノ倉山(1,008m)の女性的な稜線が、淡く雪化粧し美しかった。


  

尾根筋に行き、先を見ると頂上付近が近いことが分かった。

   

 

12:14、“登山道”に戻り、少し歩き前方を見ると、密集したスギ林の間が明るく見えた。ここを登れば頂上だ、と思い足を進めたのだが...。

   

 

12:17、頂上と思われる平坦な場所に到着する。木々の丈が低く陽が差すためか、雪は無かった。ただ、藪が深く山頂を示す三角点の石標は見つからなかった。

やむを得ず、この先、一段高い場所にある平場に向かうと、事前にネットで登山記で見た風景と違うと分かり、すぐに元の場所に戻った。また石標を探すが、なかなか見つからなかった。雪でズボンがびしょ濡れになっていることで体が冷え、焦り始めた。『この藪山の頂上では電波が...』と諦めに近い思いでスマートフォンを取り出すと、アンテナ3本!。さっそく、参考にした登山記を読み返すと、“ピンクテープの下に石標がある”との記載。

 

 

 

12:26、写真と同じような色合いの場所で目を凝らすと、藪の中に細くなったピンクテープを見つけた。

 

その下に、標石があった。

 

三等三角点の文字。間違い無く、「国土山」山頂だった。

まさか、山頂がここまで深い藪に包まれているとは思わなかった。これでは、山頂を目指し藪を漕いだ苦労が報われない、と感じた。「会津百名山」として、最低限の“頂上感”は必要だと思うので、“藪山”の良さを損なわない程度に、1㎡ほどの刈り払いが必要だと思った。

  

頂上の眺望は無い、とは本当だった。ただ、少し北北西に進み、切り立ち開かれた尾根から新潟県側を眺めることができた。快晴ならば、遠く日本海が見られるのだろうかと思った。

   

12:30、水を一口飲んで、下山。頂上は陽が当たらず、積雪によりヒンヤリとしていたため、体が冷えてしまった。

 

下山中、北に向かう尾根を進んでしまいコースアウト。おかしいと思い、西(左)に目を向けるとピンクテープが目に留まり、慌てて引き返し、コースに戻り下山を続けた。この場所は、夏場など葉が生い茂る季節は注意すべき分岐だと思った。ここには案内板が必要だと感じた。 


 

 

12:43、鉄塔が見え、藪を抜けた。

 

体を温めようと駆け下りたため、10分ほどで“大山越分岐”に戻った。「国土山」の稜線を眺め、歩いてきた“藪道”を思い返した。

 

綿パンは全体が満遍なく濡れ、重くなっていた。カッパのズボンを持ってこれば良かったと後悔したが、まだ陽が差しているので、下山中に乾くのではないかと期待した。 

 

12:46、巡視路を進み、下山を再開した。

  

しばらく進むと、前方に黒い物体が見えた。往路で熊の足跡を見ていたこともあり、熊っ!!、と思ってしまったが...、

 

近づくと、炭化した木の根元だった。


  

巡視路はなだらかに下っていた。開放的な空間で、気持ちが良かった。

 

左に目を向けると、沼沢の「惣山」と「前山」、その左に「高森山」が見えた。それぞれ「会津百名山」に挙げられている。来年「高森山」には登りたいと思っている。 *参考:拙著「金山町「惣山・前山 トレッキング」 2017年 紅葉」(2017年11月6日)


右の麓に目を向けると、中川集落と「道の駅 奥会津かねやま」、「東北電力奥会津水力館 みお里」などが見えた。只見線のレールも確認できた。 

 

   

13:39、取付の急坂となる。開放的で高度感があったが、足元がしっかりしている事もあってか、不安なく下りる事ができた。雨が降ったならば、岩場には細心の注意は必要だろう、とは思った。

  

 

13:59、無事に取付を下りきり、北の湖沢に掛かる吊り橋を渡った。

  

 

 

 

 

14:02、登山口の駐車場に戻り、無事に下山した。一息ついてから、自転車にまたがり、会津中川駅方面に移動した。

     

上田ダムの天端を通り抜け、国道252号線に向かう途中で、後ろを振り返り登山道を眺めた。

 

外から見るとキツそうだが、実際に登ると適度な負荷が得られ、楽しい取付だったと思い返した。

 

 

今日は好天に恵まれ、充実した登山となった。熊の足跡を見て、一時はどうなることかと思ったが、“藪山入門”「国土山」を無事に、楽しく登りきった。

「国土山」は“藪山”という事前情報に違わなかったが、最後の10%程度の行程で、かつ落葉期ということもあり道迷いも短時間で済み、なるほど“藪山入門”だと実感できた。

 

ただ、一般の方々、特に女性登山者を広く誘うためには、“藪山”なりの工夫が必要だと思った。

・巡視路分岐からの“登山道”内に、順路標識/標杭を設置

・“登山道”内の藪や倒木は、できだけそのままに

・山頂は、“藪山”の雰囲気を壊さない程度に、1㎡ほど刈り払い

登山道の1割に手を加えることで、「国土山」の敷居はぐっと下がると思う。


「国土山」は登山口、温泉、道の駅が徒歩圏にあることを重ね合わせれば、“観光鉄道「山の只見線」”山岳アクティビティーの中で、屈指のコンテンツだと実感した。多くの登山者に、只見線を利用して訪れて欲しいと思った。

  

  

登山の後は温泉、と思い、当初は「中川温泉」に入ろうと思った。しかし、「中川温泉」を併設する「ゆうゆう館」は、町の社会福祉法人が運営する高齢者施設が同居して、浴室もさほど広くはないため、コロナ禍ということで入浴は断念した。

      

「中川温泉」から北に5分ほど歩くと「東北電力奥会津水力館 みお里」がある。今年7月にオープンした真新しい施設だ。

 

只見線の列車内からも見ることができる裏側の様子。周囲の山々に溶け込むデザインになっている。

内部には只見川の水力発電所の紹介のみならず、休憩スペースや美術品の展示もあるので、列車の本数が少ない只見線でも、待ち時間を有意義に過ごす事ができる。*参考:拙著「金山町「東北電力奥会津水力館~みお里~」 2020年 晩夏」(2020年9月6日)

 

「みお里」を背にすると、「国土山」頂上と登山道(巡視路)が延びる尾根が見えた。

   

「みお里」に隣接しているのが「道の駅 奥会津かねやま」。

   

館内に入ると、華やかなペーパーアートが目立っていた。金山町のゆるきゃら「かぼまる」も可愛らしく作られていた。

 

館内には周辺の地形を模したジオラマがあり、遺跡などの位置を示していた。「国土山」と登山道(巡視路)も表現されていて、尾根筋に県境まで通り抜ける道が目立っていた。

 


売店では、瓶入りの味噌(青からし)と金山産の天然炭酸水を購入し、「国土山」頂上で食べようと思ったおにぎりで遅い昼食を摂った。

  

そして、列車の時間が近づくまで、休憩スペースにゆっくりと休んだ。

  

  

15:34、道の駅から会津中川駅に移動し、ホームに向かうと、会津若松行きの列車が到着。

輪行バッグを抱え、後部車両に乗車すると、まもなく列車は出発。車内には10名ほどの客の姿があった。 

  

車内では、録音による車窓からのみどころ紹介の音声が流れた。まずは「第四只見川橋梁」の紹介があった。

   

細越拱橋(めがね橋)の紹介は無かった。緩やかなカーブの開放的な空間は、他橋梁とそん色ない良い眺めだ、と個人的には思っているのだが...。

   

“二つの長いトンネルを抜けると...”と紹介されていた「第三只見川橋梁」を渡る。

   

第二只見川橋梁」は“最も気軽に撮影できる...”と紹介されていた。

   

最後に「第一只見川橋梁」で、“最も有名な...”と紹介されていた。「第一只見川橋梁」の名を知らしめた写真は、上流側の駒啼瀬渓谷の先、一番高い山の中腹にある鉄塔付近の「第一只見川橋梁ビューポイント」で撮られたものだ。



 

  

17:20、列車は快調に進み、七折峠を下り奥会津から会津盆地に入り、会津若松に到着。駅前のホテルに向かった。

  

 

ホテルで登山の汗を流した後、夕食に向かう。久しぶりに「ラーメン 金ちゃん」に向かい、まずは餃子を注文した。びっしりと詰まった野菜多めの触感豊かな餡に、薄いながらももっちり感を味わえる皮との相性は抜群で、私は好きだ。

 

餃子が残り2つとなったところで、ラーメンを注文。今日は、今までに気になっていた味噌ネギチャーシュー麺にした。

辛みの効いたネギと、薄いながら程よい脂身のチャーシューのバランスが良く、幸せな気分になった。

また、明日の「飯谷山」(柳津町)登山に向け、力をつけることができた。

 

 

(了)

 

 

・  ・  ・  ・  ・

*参考: 

・福島県 生活環境部 只見線再開準備室:「只見線の復旧・復興に関する取組みについて

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」 

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)  

  

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

 

以上、よろしくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

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