柳津町「飯谷山」登山 2020年 初冬

観光鉄道「山の只見線」”沿線の「会津百名山」登山。今日は「飯谷山」(782m)に登るため、JR只見線の列車に乗って柳津町に向かった。

 

「飯谷山」は柳津町と西会津町の境にあり、只見線の会津柳津~郷戸間で車内から全体が見え、個人的に“Myビューポイント”にしている地点から、美しい稜線を見せている山でもある。名の由来は“飯を盛った形に似ている”(新編會津風土記)からだという。

 

「飯谷山」は「会津百名山」の第86座で、「会津百名山ガイダンス」には次のような見出しが記されている。

飯谷山 <いいたにさん> 782メートル
飯谷山は低山であるが、歴史上非常に価値のある山ともいえる。慶長の大地震による山の崩落で全村の埋没と、その時誕生した白沼や受難の命日に行われている供養祭等がある。山頂からは会津盆地、新潟県境の連山が指呼の間にある。[登山難易度:初級]*出処:「会津百名山 ガイダンス」(歴史春秋社)p186


  

また、「新編會津風土記」の河沼郡の項に「飯谷山」は以下のように記されている。

飯谷山 
牛澤組野老澤村の西にあり、屈曲して登ること一里計、野澤組小杉山村其の西の半腹に在り両村の界此峯を限とす、其項六町計は其嶮なり、この山向背なく、側より望むに其形飯を盛るに似たるゆゑ名くと云、慶長十六年の地震に此山崩れ、今に其跡草木生ぜず、削り成すが如く極て崎峻なり、此邊の諸山に秀で、府下より正西に見ゆ、叉野澤の邊より望むに其形尤美なり、頂に飯谷明神の祠あり

*出処:新編會津風土記 巻之八十五「陸奥國河沼郡之一 河沼郡」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第33巻」p152(82コマ) URL:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179220)

  

 

今回は、「三坂山」登山で計画したように、山頂から只見線を走る列車を撮影しようと思った。

天気予報では、雨は未明に止み、昼頃には晴れるということだったが、列車の通過時刻は9時30分頃。期待はできなかったが、一縷の望みをかけて、「飯谷山」登山に臨んだ。


 

 

昨夜は会津若松市内に泊まり、今朝、只見線の始発列車に乗るために、未明の会津若松駅に向かった。

 

輪行バッグを抱え駅舎に入り、切符を購入し改札を通る。連絡橋からホームを見下ろすと、濃い霧の中、会津川口行きの列車が停車していた。ホームに下り、列車に乗り込んだ。

6:03、キハE120形2両編成が、会津若松を定刻に出発。私が乗車した後部車両には他1人の客だけだった。

 

 

列車は、七日町西若松を経て大川(阿賀川)を渡り、会津本郷を過ぎ会津美里町に入り、会津高田出発後に真北に進路を取る。周囲は明るくなってきたが、深い霧は晴れなかった。 

  

 

 

根岸新鶴を経て、会津坂下町に入り若宮を過ぎると会津坂下に停車。上り列車とすれ違いを行う。ホームには、日曜日にも関わらず多くの高校生が列車を待っていた。

 

 

会津坂下を出発すると、列車は七折峠に向かって登坂を始める。霧は濃いままだった。

  

 

峠の中にある塔寺、峠終わりの下り坂の先にある会津坂本を過ぎると柳津町に入り、会津柳津を経て“Myビューポイント”を通過。これから登る「飯谷山」はすっぽりと霧(雲)に覆われていた。

雨は降っていなかったが、登頂するまでに約2時間で、この雲(霧)が晴れるだろうかと心配になった。只見線の列車が走る姿を、撮影することは難しいかな...と思った。


 

 

7:14、郷戸に到着。春は桜が綺麗に咲く駅だが、それ以外は乗降客も少なく、貨車を転用した駅舎を持つ静かで地味な駅だ。

 

列車を見送り、輪行バッグから自転車を取り出し組み立てて、石段を下りた。地面は濡れていたが、雨粒は落ちてはこなかった。

7:20、自転車にまたがり、郷戸駅前を出発し、「飯谷山」野老沢登山口に向かった。 


 

田んぼの間を抜け、国道を横切り、東北電力㈱柳津発電所・ダムに向かう。「第一只見川橋梁」「第二只見川橋梁」の景観を創っているダムだ。今日は日曜で休工だが、福島県発注の浚渫工事が行われいているようだった。

 

ダムの本体の改修工事も行われていて、“車両通行止め”のバリケードがあったが立ち入り禁止とはなっておらず、地元の方が対岸を行き来する往来に使っていると聞いていたので、ダムの天端を自転車を押して通過した。只見川上流に目を向けると、湯の岳(729.2m)が見えた。

 

天端を渡り、対岸から全景を眺める。両岸に集落を持つ、只見川で最も“住民に身近な”発電所・ダムになっている。

  

 

県道343号(飯谷大巻)線に入り、集落から登山口に続く林道入口を目指す。柳津町中心部が見えていたが、低い雲が垂れ込めていた。

  

 

7:44、県道と林道の分岐に到着。

 

左に入り、短い坂を上ると林道野老沢線の起点となる標杭があった。

林道を進むと、まもなく急坂となり、自転車を押して進んだ。 

 

 

標高が上がるにつれて、霧は濃くなっていった。

  

林道の半分くらいで南東の方向を見ると、空に青空の一部が見えた。

  

 

  

12箇所目の大カーブを抜けると、前方に登山道入口が見えた。

  

8:11、「飯谷山」野老沢登山口に到着。林道の待避所の隅に、自転車を移動し停め、熊鈴と熊除けの笛を身に着け、iPhoneでSuperflyの楽曲選び再生し、登山の準備をした。

  

登山口前の、林道の端から麓を見ようとしたが、雲海が広がり、柳津町を取り囲む山々の稜線だけが見えた。

8:15、水分を補給し、登山を開始。

  

 

 

登山道の序盤は窪みや踏み跡がハッキリ分かる、歩きやすい道だった。まもなく、前方に平坦な空間が現れ、登山道が大きく迂回していた。

 

杉の木に取り付けられた木板には“飯谷山神社御神田跡”と記されていた。飯谷神社はかつて山の中腹にあったといわれ、登山道の途上に本殿跡があるという。

   

御神田跡を過ぎると上り坂になった。藪が密集しているため、熊除けの笛を大きく吹いてから進んだ。

  

まもなく、ひときわ大きな松が目の前に現れた。

 

根元を見ると木板があり、“休憩の松”と手書きされていた。

  

登山道には、順路を示す金属板が木々に取り付けられていた。文字や矢印が消えかかっているモノもあったが、掲げられていることで安心できた。


  

登山道は、まもなく急な下りとなり、道幅が狭くなった。

 

その先には、スギ林があり、薄暗くなった。

 

スギ林を出ると、大きく変形した一斗缶が単管に刺さっていた。熊除けで多くの方が叩いたのであろうが、そろそろ交換してもよさそうな型崩れだった。“熊除け一斗缶”は、この先点々と置かれていた。

    

斜面に鎖が取り付けられた坂を下ると、沢が見えた。

 

8:25、沢を渡る。他の方の登山記には“水場”とも“うがい場”とも記されていた。今回、私は利用しなかったが、夏場は貴重ではないかと思った。

  

沢を過ぎると、長く続く坂を直登した。

 

途中、息切れして下を向くと、落ち葉の中に青葉があった。この時期に芽吹く植物の不思議さを思い、自然の多様さをしみじみと思った。

  

 

登山道は、杉林と雑木林の境界となる。黒く腐敗しかかっている落ち葉は滑りやすく、足元に注意しながら進んだ。

 

沢の縁を歩く場所もあった。783mの低山のイメージとは違い、“登山している”と感じられる山だと思った。

  

  

8:41、登山道はブナ林の中に入ってゆく。気持ち良い空間だった。

 

大きく、見応えのあるブナもいくつかあった。

 

表皮にハート形の模様もつブナもあり、中心の穴は鳥の巣になっているのかと思った。

 

   

8:49、前方に杉に囲まれた一角が現れ、石塔が複数見られた。

 

「飯谷神社旧本殿」跡。崩れた石垣の土台の中心には祠があった。1980(昭和50)年に焼失し、本殿は野老沢集落付近に遷されたという。

 

石塔に刻まれた文字を見ると“嘉永五年”とあった。嘉永五年は1852年で、徳川家慶(第12代)治政の世、ペリーが浦賀に来航する一年前だ。

  

「旧本殿」の見学を終え、左手上方に延びる登山道を直登した。

 

 

8:58、尾根筋に到着し、ブナの二次林の中を進むと、左手に「飯谷山」山頂の稜線が見えた。

  

しばらく、尾根のなだらかな道を進む。前方には「飯谷山」の輪郭が見え、落葉の時期だけの光景だと思いながら、気持ちよく歩いた。

  

まもなく、登山道は急になり、直登することになったが、“頂上まで300m”という案内板に元気づけられた。

 

9:09、登坂途上、背を向けた木製の案内板があった。正面に立つと“飯谷山頂展望案内”と書かれ、麓の景色が絵で描かれていた。

この案内が、この場所から見える風景なのか、山頂から見える風景の案内なのかははっきりしなかったが、ここでは二次林に遮られ、雲が無くても良く見えないだろうと思った。おそらく、植林前に立てられ、当時はこの絵の通りの景色が見られたのではないか、と考えた。 

  

ブナの二次林の先が一面明るくなり、最後の急坂となった。踏み跡がはっきりしていなかったので、ゆっくりと直登することにした。

  

 

 

厚く積もり、濡れた落ち葉に時折足を取られながら登りきると、前方に右(西)側が切れ落ちた縁に立つ標杭が現れた。

  


9:19、「飯谷山」山頂に到着。登山口から1時間4分掛かった。この秋の登山で、初めて見る大きく立派な標杭だったので感動した。

 

「飯谷山」山頂にはは三等三角点があったが、西側斜面の崩落が進む中で無くなってしまったという。別に図根点標石があったが、倒れて、動かないほど地表面に固定されてしまっていた。

  

頂上は標杭を頂点に、急な斜面の広場になっていた。

 

北東が開け、本来ならば会津盆地越しに「磐梯山」が見られるというが、今日は雲海が広がり、「磐梯山」(と思われる)の稜線も雲に隠れて見えなかった。

 

標杭を含む頂上の西側の大部分はロープが張られていた。藪が密集し実感を得なかったが、見下ろすと垂直に近い斜面になっていた。慶長16(1611)年の会津慶長地震による崩落が、いかに大きかったかが察せされた。 

 

眺望は西側、西会津側の方が良かったが、こちらも麓や周囲の山々は雲に覆われていた。唯一、うっすらと立ち上がった虹に救われた思いがした。

 

眼下には白沼(小杉山沼)が見えた。この沼も会津慶長地震で出現したという。

 

この後、只見線の列車が、会津柳津駅付近を走る時刻が近づいたが、麓の雲は晴れる気配は無かった。また、駅の方角の眺望が得られる場所も無かったため、列車の撮影はあきらめた。

 

9:38、山を下りる事にした。南に少し進み下ると、分岐があった。

 

西会津山岳会が設置した金属板には、右が西会津に向かう小杉山コース、左が清水頭口に向かう野老沢コースと記されていた。

 

右のキハダと思われる木には、柳津町が設置したと思われる案内板がくくり付けられていた。

  

振り返って頂上付近をもう一度見て、雷神様に一礼をして下山を開始した。この石祠は、かつて三等三角点の石標とともに頂上にあったが、西会津町側が斜面が崩れ崩落しそうなところを、村人の手によってここに遷されたという。

  

清水頭口に下る道はクマザサが密集する中に続いていたが、丈が低く、踏み跡もある事から迷うことなくズンズンと進むことができた。

  

クマザサ群を抜けると、急坂を直降。尾根で迷う事はなかったが、分厚い落ち葉の上は滑りやすく、何度も足を滑らし、一度大きく尻餅をついてしまった。

この場所にロープを垂らすまでもないが、初心者でも安心して利用するためには、落葉期に登山道の積もった落ち葉を取り払う必要性を感じた。これは登山時、頂上手前の急坂でも感じた事だ。

 

 

清水頭口側にも“頂上まで300m”の案内板があり、この付近も落ち葉が積層した急坂が続いた。

 

左側は沢になっていて、その向こうには登山時に歩いた野老沢口の尾根筋が見えた。

 

 

9:53、「展望台」に到着。眼下には雲海が広がっていたが、雲が無かったら、柳津町の街並みを囲む山々のよい景色が見られるだろう、と想像できる見晴らしだった。

 

今日予定したように、只見線を走る列車を「飯谷山」から撮影しようとすれば、清水頭口側からこの「展望台」を目指すべきだったようだ。

 


先に進むと、霧が濃くなってきた。「展望台」から眼下に見えた、雲海の中に入っているようだった。

 

先に進むと、ここにも“熊除け一斗缶”があった。下山時はあまり気にしないのか、原形をとどめていた。

  

 

なだらかな下り坂になってくると、藪も密集してきた。熊除けの笛を定期的に吹きながら進んだ。

  

途中、何か所かの案内板は、文字が消えていた。踏み跡がはっきりしていたが、登山者に安心感を持ってもらうためには、付け替えるなど改修が必要だと思った。

  

 

10:12、作業道が見え、清水頭登山口に到着。

 

振り返ると“飯谷山登山道”の案内板があった。こちらから登る方も、一定程度いる事が察せられた。そして、清水頭口の滝は、左に(登山道を下ってきたら右に)2分ほど進むとあるという。


清水頭の滝方面は霧に覆われ、熊の存在も気になったので、今回は諦め下山を継続。杉林の中に続く作業道を進んだ。

下山後に知ったのだが、少し前まで、この清水頭登山口から林道長窪芝倉線に下る木段があったといい、さらに林道を横切り、清水頭の滝の水が流れる沢沿いを藪を漕ぎながら歩くと、県道343号線に出られるという。つまり、「飯谷山」は野老沢集落を起点に、一筆書きで登下山できる事になる。

  

刈り払いされたクマザサ群を200mほど進むと、前方に舗装道が見えた。

  

10:16、林道長窪芝倉線に到着。振り返ると“飯谷山登山道”の案内板が立っていた。

  

林道の上り坂を、北東に進んだ。

  

少し上ってから下ると、前方にとこざ公園の東屋が見えてきた。そして、林道野老沢線の終点、林道長窪芝倉線の起点を示す標杭が立っていた。

  

更に下り、とこざ公園から3分ほど進むと、自転車が見えた。

  

 

10:26、野老沢登山口に戻った。登山1時間4分、下山46分の山行だった。

 

今日もお世話になった、熊鈴と熊除けの笛。今年最後の登山も、熊に遭う事が無かった。感謝、感謝。

iPhoneから流す音楽と、この二つのグッズを過信しているわけではないが、間違い無く熊の耳にはいずれかの音が届き、テリトリーに入ってきた侵入者の存在に気づき、距離を取ったであろうと思った。

  

 

10:32、自転車にまたがり、快調に坂を下った。

途中、上ってくる時には気づかなかった、野老沢登山道“本道”が分岐していた。地面近くに、“飯谷山下山道”と書かれた案内板が打たれていた。

私は今回の登山前に、ネットで多くの方の登山記を拝見したが、全てが野老沢(林道)登山口付近まで車で上っていた。下山後に飯谷山・山開き登山の記録を見て、実は県道を少し入った場所に、野老沢登山口があり、ここから延びる本道を進むと、遷された飯谷神社本殿がある事を知った。

 

 

自転車を進めると徐々に霧が晴れ、田畑が現れると麓の全景が見えた。

  

10:40、林道の起点に到着。10分とかからず下る事ができた。

 

今日も、無事に登山を終えることができた。

登山道は、山開き登山が開かれる低山ということもあり、踏み跡がはっきりし、歩き易い登山道が続き、急坂の直登で登山の厳しさも味わえる山だった。山頂の西会津町側がストンと切れ落ちた形状は一見の価値があり、眺望もまずまずで、良い山だと思った。

一部更新が必要だが、案内板や“熊除け一斗缶”が所々にあり、設備的には問題は無いようだ。唯一の課題と感じたのが、今日のような落葉期の堆積した落ち葉。急坂の直登箇所に、これがあると少し危ないので、紅葉期を過ぎた頃に除去されれば良いと思った。

 

「飯谷山」は、只見線の駅(郷戸or会津柳津)から、登山口が徒歩圏であることもあり、“観光鉄道「山の只見線」”山岳アクティビティーの有望なコンテンツだと思った。今回は、自転車を使い林道を上り下りしてしまったが、次回は飯谷神社本殿そばの登山口から、できれば一筆書きで「飯谷山」を登ってみたい。

  

 

登山の後は温泉。国道252号線の瑞光寺橋のたもとの、小高い丘にある「つきみが丘町民センター」を目指した。

  

林道の起点から、7分で瑞光寺橋に到着し、橋上から柳津町の象徴でもある「福満虚空蔵尊 圓蔵寺」を眺めた。堂々とした建ち姿に見入っていると、視界の右で、白衣を着て何かを被った人間が動いているのが気になった。

 

ギョギョギョ(魚魚魚)、なんとその人影はさかなクンだった。国の天然記念物である「魚淵」を覗き込み、3名の方々と何やら話をしていた。テレビ番組の取材ではなさそうだったが、後方では小型カメラのようなものを構えた方も居た。

以前、この「魚淵」には屋根があったが、なぜか取り払われていた。 *参考:文化遺産オンライン「柳津ウグイ生息地

  

瑞光寺橋を渡り、国道から左の脇道に入り、さらに左に曲がり「斎藤清アトリエ館」の前を通り坂を上った。

 

 

つきみが丘町民センター」に到着。4度目の訪問だ。只見線沿線(徒歩圏)の日帰り温泉施設で、私は一番気にいている。

 

自転車を入口の脇に停め、巨大な赤べこ・満子の出迎えを受けて館内に入った。

 

風除室のガラスケースの上の赤べこは、赤べこマスクを装着し、来館者にマスク着用を促していた。


受付で310円を支払い、浴室に向かい、大きな窓越しに瑞光寺橋と只見川を眺めながら、ゆっくりと湯につかった。

柳津町「つきみが丘町民センター」温泉の主な特徴
・源泉名:新柳の湯
・泉質:ナトリウム・カルシウムー塩化物温泉(等張性弱アルカリ性高温泉) 
・泉温:56.3℃ (pH7.8)


 

入浴を終え表に出ると「飯谷山」を覆っていた雲が消えようとしていて、頂上が見えた。

  

昼食は「柳津ソースかつ丼」と思い、食堂に向かう。国道252号を進むと、目当ての黄色い看板が見えた。

 

「ラーメン博」に到着。メニューに「柳津ソースかつ丼」があると聞いて来たのだが...。

 

中は昔ながらの食堂、という雰囲気。先客が一人居て、その後に2組4名が入ってきた。

 

厨房のカウンター上や、壁に貼られたメニューを見るが目当ての「柳津ソースかつ丼」は無かった。現在は女将さん一人で切り盛りしているので、メニューが変わっている可能性があるとは聞いていたが...、残念だった。

気を取り直して、名物と言われているホルモン炒めとビールを注文したが、『無い』『酒を出すは止めたの』という。ちなみに、餃子も『今日は忙しく用意できなかった...一人でやっているもんだからねぇ』ということだった。

結果、ラーメンと半チャーハンを注文することにした。

  

10分ほどで、料理が運ばれてきた。チャーハンが黒ずんでいるのは、チャーシューのせいだった。

注文が決まるまでのやり取りで心配したが、双方とも味は素晴らしかった。

ラーメンのスープは薄口ながらコクがあり、蓮華が止まらない旨さだった。麺は中太縮れで、湯切りが少し足りないとは思ったがそれはご愛敬で、スープをよく絡め申し分ない歯ごたえと食感だった。手作りと言われるチャーシューは柔らかく、適度な脂身に唸ってしまった。

 

チャーハンは、“半”とは思えぬ分量で、パラパラ感は言う事無しで、刻みチャーシューが風味と食べ応えを与え、こちらも蓮華が止まらない旨さだった。

これで750円! コストパフォーマンスの高い、大当たりの昼食になった。必ず、また来たい、と思わせる「ラーメン博」だった。

  

 

昼食を終え只見川の堤防に行き「飯谷山」を見ると、中腹を覆っていた雲は無くなり、その全容が現れていた。只見川(片門ダム湖)の水面は細かく波打ち“逆さ飯谷山”とはなっていなかったが、特徴的な良い光景だと思った。

   

山頂の中心が凹み、頂上で見た木々の形状と同じだと思った。

  

 

堤防を上流方向に進み、瑞光寺橋越しに「福満虚空蔵尊 圓蔵寺」を眺めた。水面に水鏡が現れれば、真っ赤なニールセンローゼ橋ともに古刹が映り込み、無二に絶景になる。

  

堤防のベンチに座り、ようやく「飯谷山」登頂祝いをする。登った山を見ながら呑むビールは、格別だった。

 

 

列車の時間が近づいたので、遊歩道を自転車を押して駅に移動した。途中、柳津名物「あわまんじゅう」と、絶品の「くりまんじゅう」を求め、「いなばや菓子店」に立ち寄った。

 

「いなばや菓子店」を出ると、緩やかな坂を上り、会津柳津駅に到着。

  

 

駅頭で自転車を輪行バッグに入れて、ホームに移動。「飯谷山」を探すと、かろうじて桜の木の間から山頂付近が見えた。

   

まもなく、会津若松行きの列車が入線。

13:23、輪行バッグを抱え後部車両に乗り込むと、列車は会津柳津を出発。

  

車内では、さっそく「いなばや菓子店」の「あわまんじゅう」をいただく。粒あんとあわの食感が良く、「あわまんじゅう」を食べているという実感がもてる逸品だ。

 

そして、「くりまんじゅう」。初めて食べた時から、柳津町を訪れたら必ず食べたい一品になっている。ホクホクした栗と、絶妙な甘さの白あん、

 

 

列車は、奥会津と会津盆地の境界となる七折峠を下り、東に進路をとる。前方に、広大な田園越しに会津坂下町の街並み、その向こうに頂上が雲に隠れた「磐梯山」が見えた。

  

13:40、会津坂下で停車。下り列車の到着を待ってから、出発した。

  

根岸を出発し、右側、会津盆地に連なる西部山麓を見る。伊佐須美神社の最後の山岳遷座地である「明神ヶ岳」の頂上を雲に隠していた。*参考:拙著「会津美里町「明神ヶ岳」登山 2020年 初夏」(2020年6月7日)

 

 

 

14:21、会津若松に到着。

 

磐越西線の列車に乗り換えるために1番線に移動すると、待機線に停められた電車の、全ての扉が全開だった。何気ない風景に違和感を与える、新型コロナウィルスの恐ろしさを思ったが、文明が進んでも単純な方法が効果を発揮するのだろうと考えた。

 

この後、郡山といわきで列車を乗り継いで、20時過ぎに富岡町に着いた。

 

 

今日の「飯谷山」登山は、登頂後に温泉に浸かり、地元の食が味わえて、素晴らしいものとなり、今年の8座登頂を、満足ゆく形で締めくくることができた。

来年も、できるだけ多くの只見線沿線「会津百名山」に登り、魅力と可能性を発信したいと思う。

  


(了)

 

 

・  ・  ・  ・  ・

*参考: 

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」 

・福島県 生活環境部 只見線再開準備室 :「只見線の復旧・復興に関する取組みについて

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日) 

  

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。 

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。


以上、よろしくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

0コメント

  • 1000 / 1000