「JR只見線 復旧工事状況」 2021年 初冬

平成23年7月新潟・福島豪雨」の被害を受け、部分運休が続いているJR只見線は、工期延長された復旧工事も終わりが近づき、“来秋11年振りに全線再開通”という報道がなされるまでになった。奥会津が雪に閉ざされる前に、不通区間(只見~会津川口)27.6kmの様子を見たいと、現地を巡った。

 

只見線は2011年夏の豪雨で、「第六橋梁」「第七橋梁」の主要部流失、「第五橋梁」の一部橋桁流出、「第八橋梁」の路盤洗堀などの甚大な被害を受けた只見~会津川口間27.6kmが、福島県が土地や鉄道施設を保有しJR東日本が運行を担うという、国内史上初の、自然災害による部分的官有民営(上下分離)方式で列車が運行される契約のもと、復旧工事が進められている。

今年6月末に福島県とJR東日本は、この上下分離方式に必要な鉄道事業許可申請を国土交通省に行っていた。*記事出処:福島民友新聞 2021年7月1日付け紙面

 

そして、先月末にJR東日本を「第二種鉄道事業者」(“上”)、福島県を「第三種鉄道事業者」(“下”)とする許可が下り、只見~会津川口間27.6kmだけが、法律上切り離され、上下分離方式で運行できるようになった。*出処:国土交通省「JR只見線(只見~会津川口)の鉄道事業許可 ~豪雨被害からの運転再開に向けて、運行と施設保有を分離します~」(2021年11月29日)

 

この決定を受け、翌日の地元二紙は、一面で“只見線、来秋再開(通)”を報じた。*出処:福島民報 2021年11月30日付け紙面/福島民友新聞 2021年11月30日付け紙面

 

今回は、流出鉄橋の再架橋など大掛かりな工事は全て終わり終盤を迎えているという、只見線の復旧工事の様子を只見駅から会津川口駅に向かって見て回る事にした。 

今日の天気予報は曇りで、この時期にしては高い気温が続いた事もあり雪も解けているということで、安心して運休区間に自転車で走り出す事ができた。

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)復旧工事の完了時期について」(PDF)(2020年8月26日)

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線復旧工事関連ー / ー只見線の冬

 

 


  

  

昨夜は、只見町内に泊まった。只見駅から徒歩5分ほどの場所にある「旅館 みな川」にお世話になった。

  

玄関を入ると、広いロビーがあり、大型ソファーが置かれていた。

 

電源開発や公共工事などのビジネス利用も多いためか、ロビーにはパソコンや複合機が置かれていた。また、館内にWi-Fiルーターが設置され、アクセスポイントも複数あり、全ての部屋で利用可能になっていた。

 

 

受付を済ませ、女将さんに2階の部屋に案内された。“2名での利用”と勘違いされていたようで、10畳の広い部屋に通された。

  

風呂は、洗い場が4箇所あり、浴槽は大人3人がゆったり入られる広さ。利用時間は5時から23時ということだった。

   

 

夕食は18時30分から。1階の大宴会場が食事会場になっていて、畳の上にテーブル席が設置されていた。 夕食のメニューは、豚肉のしゃぶしゃぶがメインで、只見町でよく食べられているという鯉コクも並んでいた。

 

全て旨かったが、特に煮物は良かった。

  

途中で、只見町の魚であるイワナの塩焼きや、会津馬刺しが給仕された。馬刺しはサシの入っていない“会津モノ”で、真っ赤な赤身を辛子味噌をといた醤油をつけていただいた。

  

〆は炊き込みご飯となめこの味噌汁。炊き込みご飯は、めっぽう旨く、腹が膨れていたが、おかわりをしてしまった。

   

 

今朝、天候が心配されたが、雨は降っておらず、青空は出ていなかったが明るい空だった。


 

 

朝食は、焼鮭や納豆など“定番”の品々が多く並んでいた。ほどよく炊きあがっていた新米のご飯は旨く、おかわりをした。

「旅館 みな川」は、いい旅館だった。民宿的な、アットホームな雰囲気で、落ち着けた。今回は曇っていてたが、晴れていれば部屋から田子倉ダム方面の、新潟県境に連なる山々が見え良いだろうと思った。

駅からも徒歩圏で、只見線の利用客には好立地の宿だ。登山や輪行によるサイクリングなど、只見線を利用した観光客の町への滞在時間が延びれば、利用者はさらに増えるだろうと思った。私も、また只見線を利用し、この宿を利用したい。


 

 

 

8:10、会計を済ませ、「旅館 みな川」を出発。

  

 

 

只見駅舎の南西にある宮前踏切から、会津川口方面を見ると。レールが綺麗に延びていた。

 

8:16、只見から自転車にまたがって、会津川口駅までの運休区間(27.6㎞)巡りを開始。

   

次の駅は会津蒲生。駅間は4.5km。

 

 

 

 

上野原踏切に行く。会津川口方面を見ると、真新しいポイント設備があった。

 

   

しばらく田圃の間の道を進む。前方には、雲から頂上だけ出した会津百名山「蒲生岳」(828m)が見えた。*参考:只見町「只見四名山 蒲生岳

 

スイスの本家(4,478m)よりかなり低い山だが、“会津のマッターホルン”という愛称は納得ができる山容だ。*参考:拙著「只見町「蒲生岳」登山 2016年 初秋」(2016年10月11日)

 

 

少し進むと、レールの脇に真新しい中継信号機が立てられていた。

 

まだ使われ始めていないが、ランプが点き、水平表示で“停止”を示していた。

 

  

さらに進み、県立只見高校の脇を通った。グラウンドに雪は無かったが、全体に雪融け水が浮き、ぬかるんでいた。

 

外壁補修工事のため足場とシートで覆われた校舎を見ると、下半身のどっしりした高校球児が入ってゆくところだった。室内で練習するのだろうと思った。

福島県立只見高校は、今秋の県大会でベスト8入りし、県高野連が来春の第94回選抜高等学校野球大会の21世紀枠に推薦した。そして、昨日、日本高野連が地区候補9校を決定し、東北地区からは只見高校が選ばれた。来年1月28日の選考委員会で、東日本と西日本各1校、地域制限なし1校が選ばれるが、日本有数の豪雪地帯でありながら工夫をこらした練習で県大会ベスト8に進んだ只見高校球児が甲子園の土を踏むことを願っている。

 

 

  

  

国道252号線に入り、只見線を左に見ながら進む。まもなく、復旧工事「只見①ヤード」に到着。国道から路盤法面に向かう導入路は、まだ残っていて、重機が置かれていた。

 

路盤法面は復旧工事が終わったようで、真新しい植生シートが張られていた。

   

  

国道の緩やかな坂を上り、熊野神社参道までに自転車を停め、石段を上った。

 

1年以上前に敷設が終わっているレールが、叶津川橋梁に向かって延びていた。

 

路盤の脇、小さな沢には石籠が置かれ、増水時の減勢工が施されていた。

 

国道に戻り少し進むと、左側、只見線路盤の上斜面が崩落しているようで、ブルーシートが掛けられていた。

全線再開通まではJR東日本が復旧・保全工事を行うと思われるが、「上下分離」による現運休区間の福島県側への引き渡し後は、このような被害の対応は県が行い、県費から復旧費用は支払われることになる。

 

 

国道を進み、叶津川に架かる堅盤橋から叶津川橋梁(372m)を眺めた。只見線内で最長となる、R250曲線の美しい混成橋だ。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋集覧

 

叶津川橋梁には国道252号線を跨ぐ二つの架道橋が含まれている。会津川口側の架道橋を渡る手前、前方には会津百名山「鷲ケ倉山」(918.4m)が見えた。

 

架道橋のプレートガーター桁の枕木を見ると、木製のままだった。

 

 

国道を進み、八木沢集会場に自転車を停め、只見線の路盤法面下に行く。山側からの水を排水するため設置された側溝が、周囲になじんでいた。

平成23年7月新潟・福島豪雨」では山から只見川やその支流に向かう無数の沢が“暴流”となり、只見線の路盤などを洗堀したという。普段、わずかな水しか流れていないこのような箇所に、豪雨対応の設備を検討し設置するのは大変だったろうと思った。

 

 

八木沢橋梁手前の斜面の崩落跡には、復旧工事で設けられた防護壁があった。

 

 

国道を進み、八木沢スノーシェッド(SS)手前の「八木沢ヤード」跡前を通過。導入路に土が盛られ痕跡は無かったが、木々が伐採された“禿げ”た斜面が広がり面影があった。

 

八木沢SS内から、只見川を見ると、町道の五礼橋付近で右岸拡幅工事現場があった。只見川では「平成23年7月新潟・福島豪雨」以降、ダム湖浚渫の他、河川改良工事も行われている。

 

  

 

 

SSを抜け坂を上り蒲生集落に入ると、前方に見える「蒲生岳」は雲を被っていた。

 

9:05、会津蒲生駅に到着。

 

駅舎は、元の色に綺麗に塗り直されていて、積雪対策のため雪囲いの板がはめ込まれたままだった。

 

駅舎の前後には、駅名標を建てるのか、正方形の基礎が作られていた。

 

 

 

会津蒲生駅を後にして、国道の坂を上り、上蒲生集落に入り左折。復旧工事の資材置場になっていた蒲生公民館(只見小学校蒲生分校跡)の駐車場には、何も無かった。

 

そばにある墓地踏切は、運休前と同じように第一種踏切として復旧されていた。

 

真新しい遮断を見て、感慨深かった。

 

2016年9月、只見線の復旧が“バスか? 鉄道か?”で定まらなかった時、錆びた遮断機を見て『このままかぁ』と弱気になった事を思い出した。

   

 

 

墓地踏切の先、会津川口方面に200mほど進むとSSがある。「平成23年7月新潟・福島豪雨」で会津蒲生駅で待機中だったキハ40形2両編成が、行き場を失い待機させられた場所だ。

結局のこの車両は豪雨から約1年後の2012年8月29日に、大型クレーンでトレーラーに載せられ、郡山車両センターに移送されたという。

 

 

 

 

国道を進み宮原集落が終わる地点に、「蒲生ヤード」がある。鉄板か敷かれたままで、橋脚などの根固めに使用されるボトルユニットが置かれたままだった。 

 

 

 

寄岩集落に入り、その「第八只見川橋梁」を側面から眺めた。白く浮かび上がったコンクリート打ちっぱなしの擁壁や法面保護工が目立っていた。

 

「第八」橋梁は、復旧工事で最大となる約25億円もの費用が掛けられた。

 

 

国道の寄岩橋から、「第八只見川橋梁」を眺めた。ダム湖となった只見川と、雲を被る「蒲生岳」と一緒に収まった「第八」橋梁は見ごたえがあった。*ダム湖は電源開発㈱滝発電所・ダムのもの

 

「第八」橋梁の会津川口側の、新設された擁壁が際立っていた。

 

路盤脇に上り、只見方面を見た。

 

きれいなバラスが敷かれ、コンクリート製枕木の上にレールが「第八」橋梁に延びていた。

  

  

「第八」橋梁の会津川口側の拠点である「寄岩ヤード」は、鉄板はまだ残っていたが、事務所棟は撤去されていた。


 

 

 

 

 

9:31、会津塩沢駅に到着。

 

撤去されていたホーム前のレールや枕木は、新しく敷設されていた。

  

ホームから先、只見側の再利用部分には、年季の入った木製枕木と鉄杭が残っていた。

 

前回ここを訪れた時は、駅舎のガラス部分を覆う板が取り外され、内部の補修がされていたが、今回はしっかりとはめ込まれていた。他、会津蒲生駅同様、駅舎外壁が塗装され、ホームの白線などが敷かれ、準備万端のようだった。

 

 

会津塩沢駅を後にして、国道に戻り塩沢地区の住宅地の中を進み、中丸橋を越えた所で只見川(滝ダム湖)を眺めた。*ダム湖は電源開発㈱滝発電所・ダムのもの

 

このダム湖が悠然と広がる場所には、只見町の河井継之助記念館がある。この目の前に会津塩沢駅を移設して欲しいと、個人的には思っている。

河井継之助の戊辰役・北越戦争での奮闘を描いた映画「峠 最後のサムライ」がようやく公開されるが、これを機に記念館に訪れ、継之助没地が沈む滝ダム湖眺める方が増えると思うので、復旧工事に合わせて移設させて欲しかった。*参考:2020「峠 最後のサムライ」製作委員会 URL:https://touge-movie.com/

 

 

「河井継之助記念館」の奥に目を凝らすと、薄い雲に覆われた会津百名山「笠倉山」(993.7m)の山頂が見えた。

 

 

 

 

 国道を進み、豪雨被害の無い笹幹沢橋梁の脇を通る。

 

自転車を停め、支承の台座をよく見ると、白く浮かび上がっていた。新しいコンクリート台座に変えたようだった。

今回の復旧工事は、当該区間が資材運搬の「電源開発田子倉発電所建設用鉄道」として開業したため、現在の旅客用認可基準に適するような改修も合わせて行ったという。この支承台座がそのためのものかは不明だが、只見線復旧工事は橋梁の再架橋という大工事以外に、数多くの手を入れなければならなかった事を知った。

 

 

 

 

また国道を進むと、滝トンネル出入口に踏み跡ができていたので、上ってみた。

ところどころ、コンクリート製枕木に交換されている他、トンネル壁に真新しい端子箱があったりするなどの手が加えられていた。

 

振り返って、塩沢地区方面を眺める。トンネルから出た下り列車から見られる風景だ。トンネルの直後、「蒲生岳」の背後に会津百名山「浅草岳」(1,585.4m)が見える事を、今日初めて知った。

 

国道に戻り、塩沢SSに入り、柱の間から塩沢地区を眺めた。

 

代行バスが通るSSの中からだと、「浅草岳」が比較的長く見られる。今日は、冠雪し、雪庇のようなものも見られ、美しい山容だった。

 

 

 

 

塩沢SSを抜け、町境に近づく。滝ダムに向かって蛇行する只見川を眺めた。只見線は滝トンネルを通っているので、この景色は、代行バス運行終了で見納めになる。

  

只見線・滝トンネルがある、只子沢上流を見る。さきほど見た滝トンネルが、この沢床から約8m下に通っているとは、いつ見ても思えない。いずれ、只子沢沿いを上り、滝トンネルの真上に行ってみたいと思う。 

 

 

 

 

10:03、只子沢橋を渡り、只見町から金山町に入った。

 

国道252号線滝トンネルと滝SSを抜け、滝沢炭酸場の前を通り抜け、前方に只見線・滝沢架道橋を見て滝沢地区に入る。

 

 

 

 

 10:16、国道の坂を上り側道に入って、まもなく会津大塩駅に到着。

 

ここも、前2つの駅同様、壁が綺麗に塗りなおされ、ガラス戸に板が張られていた。

 

 

 

会津大塩駅を後にして、町道を通り大塩踏切に行く。今から3年前、復旧工事起工式当時と比べても、仕上がりとの差があり、ここでも感動してしまった。

  

 

町道を進み、四季彩橋の手前で、路盤に下りて、再架橋された新「第七只見川橋梁」に延びる、新たに敷設されたレールを見させてもらった。

 

約5年前、復旧が決まる前の有れた状況を見た時、『橋が架かり、レールはまたつながるのか...』と希望が失せてしまった事をを思い出した。

 

復旧を強く望んでいたものの、JR東日本管内ワーストの営業係数だったこの運休区間が、このように綺麗に復旧された事を目の当たりにすると、『(復旧に要した巨費は)ムダ金にしないよう、乗客や駅で降りて周遊・滞在する客を増やさなければならない』と強く思わざるを得なかった。

 

 

 

 

町道に戻り、四季彩橋から新「第七只見川橋梁」を側面から眺めた。 

 

7年半前、旧橋が架かっていた場所を見た時には、同じ上路式の方が良いと思ったが、新橋の下路式曲弦トラスも風景に溶け込み、悪い印象は受けなかった。あとは、乗って見た時、どのように感じるかだ。

 

 

四季彩橋を渡り、会津川口側から「第七」橋梁を眺めた。

 

こちら側からも、あたりまえだが、綺麗にレールがつながっていた。

 

 

 

 

10:48、町道を進み、横田地区の集落の中を進み、会津横田駅に到着。 

 

この駅には、保線用の引き込み線があったが、2011年7月の運休前にはすでに使われなくなっていた。今回の復旧工事で、ポイント部分が取り外され、その付近はコンクリート製枕木に変わっていた。

 

駅舎は今まで見てきた駅と同じ、塗装済み+ガラス戸に板。

 

 

国道に戻り先に進み、「平成23年7月新潟・福島豪雨」で氾濫した只見川河岸に築かれた堤防を見た。7年半前は真っ白だったコンクリートは、変色し風景に同化していた。

只見線の復旧工事で築かれたコンクリート構造物、特に「第八」橋梁の擁壁などは、今のところ白く周りから浮いているが、いずれこのように同化し、景観を邪魔しない存在になるだろうと思った。  

 

 

さらに国道を進み、越川地区に入り四石日付近で、只見線が通る山の斜面にまっすぐのびる畦道があった。自転車を置き、そこを歩き、法面についた踏み跡をたどって上り、只見線の路盤を見た。新しいバラスが敷かれ、間隔を空けて枕木はコンクリート製に交換されていた。会津川口方面にあるスノーシェッド内も、同じようだった。

 

 

国道に戻り、少し進むと、前方に東北電力㈱伊南川発電所が見えた。

 

近づくと、勢いよく水が只見川に落ち込み、建屋内からはタービンが回るような重厚だが、小気味よい音が聞こえていた。

 

 

 

 11:12、伊南川発電所に近い、会津越川駅に到着。

 

ここも、塗装され、板がはめ込まれ、駅の状態は前の4駅と同じだった。

 

 

そばに建つ青いトタンの大屋根家屋を見ると、その左奥に、小さく「浅草岳」が見えた。

 

 

 

会津越川駅近くの国道の脇には、巨大な浚渫土置場(本名ダム・越川狭さく部(上流)土砂排除地点)がある。ダム本来の貯水量を得るには、浚渫工事が欠かせず、「平成23年7月新潟・福島豪雨」で甚大な被害を受けた只見川沿岸の住民にとっては重要な施設だ。*参考・東北電力㈱「地域の安全確保に向けた取り組みについて」(PDF)(2014年7月8日)

会津越川駅の次は本名駅。六十里越の県境区間(只見~大白川)を除けば、只見線最長駅間となる6.4kmの距離がある。

 

 

 

 

 

 

黙々と自転車を漕いで、本名SSを抜け、直角カーブを左折し、東北電力㈱本名発電所・ダムの天端(本名橋)から「第六只見川橋梁」再架橋工事現場を見下ろす。右岸の巨大な仮設台には何も載っておらず、これから撤去作業が行われるのだろうと思った。 

 

左岸では軌陸型バックホーがあり、本名架道橋を経て坂瀬川橋梁に向かうレール敷設などの工事が、途中のようだった。

 

 

本名橋の真ん中に進み、新「第六只見川橋梁」を見下ろした。

 

「第七」と同じく下路式曲弦トラス橋に変わり、景観から浮いてしまうのではと、橋が無くなった空間を見て思っていた。しかし、旧橋と同じクリーム色で組み上げられた新橋は違和感を感なかった。

 

「第六」橋梁の反対、下流側からの眺め。順光で、橋梁が浮かび上がるように見え、斜材の文様が綺麗だと思った。

 

橋梁上にはレールも敷かれていた。あとは、足場などの仮設を撤去して終わりではないだろうか。

 

 

 

本名橋を渡り坂を下ると、「第六」橋梁の左岸工事ヤードの前を通り、工事が終わりまもなく開通を迎える国道252号線本名バイパスに合流した。

 

本名バイパスの本名トンネル出入口脇は、まだ雑然としていて、「第六」橋梁のケーブルエレクション工で使われたアンカー土台が、覆土されずに一部見えていた。この左岸のアンカーは、復旧工事終了が約1年延びた象徴だ。

   

バリケードが無かったので、ここから只見線の路盤に上らせてもらった。

本名架道橋から「第六」橋梁方面、反対の坂瀬川橋梁方面とも路盤整備とレール敷設が終わっているように見えた。

 

  

 

 

 

国道に戻り少し進んで、振り返って新設された本名架道橋を見た。「第六」橋梁と同じクリーム色の橋桁は、バイパス工事で道が拡幅されたため長くなり、橋下の空間も広くなっていた。

 

 

 

 

 

11:58、国道から側道に入り、本名駅に到着。

 

ここの駅舎の状態も同じで、運休区間全5駅の外観工事は終わっているようだった。

 

 

 

 

国道に戻り、西谷地区の住宅地の間を抜け、坂を上る途中で「第五只見川橋梁」が見えてきた。豪雨被害を免れた下路式トラス部などの塗装をし直すのだろうか、と思っていたが変わっていなかった。できれば塗り直して欲しいが、只見川上の足場の設置など簡単ではない工事なので、難しいだろうか。

 

「第五」橋梁は、豪雨被害を受けたのが一部なので、旧橋からほとんど変化はない。

 

 

豪雨で流出した右岸部は、2年ほど前に復旧工事が終了(橋脚新設、橋桁架橋)している。

 

河岸から会津川口方面の長い距離にわたりレールは付け替えられたようで、コンクリート製枕木が綺麗に敷かれていた。

 

会津川口側の斜面を下りて、「第五」橋梁を眺めた。今、列車が走っていないことが不思議な眺めだった。

 

国道に戻り、西谷地区の坂を上り、下って川口地区に入った。 

 

 

 

 

 

 

 

12:21、会津川口駅に到着。運休区間27.6㎞を、“各駅停車”し寄り道するなどして、4時間5分で走破した。

 

  

5回目の只見線運休区間巡りを、無事終えた。雪解け後は、復旧工事の点検や試運転などが行われるため、今日が最後になるだろう。 

  

今回、復旧工事が進む運休区間を見て回り、一番目についたのが、ほとんどの場所に敷かれていた真新しいバラス。遠目にも分かる赤みを帯びた石ころは、復旧・安全対策で手が加えられている事を知らせていた。

このバラスが敷かれた27.6㎞は、福島県が所有することになる。JR管轄で「上下分離方式」を採るのは、全国初となる。しかも、一部区間(只見~会津川口間)という特異な形態だ。

 

来秋の全線再開通される前後では、只見線は全国の注目を浴びるだろう。この時、多くの県民・国民に『只見線に乗ってみたい』『只見線に乗って〇〇町に行こう』と思ってもらうことが、まず大事だ。先日、地元紙・福島民友新聞の社説には『訪れたくなる魅力の発信を』を見出しが付けられていた。*出処:福島民友新聞 2021年12月8日付け紙面

福島県と沿線自治体には、譲り受けた“大赤字路線(区間)”の列車運行を止めないために施設・設備の維持保全と経費捻出という責任が、只見線会津川口~只見間を運行する限り続いてゆく。JR東日本という鉄道のスペシャリストに助言を仰げるかもしれないが、施設・設備の維持保全に関して意思決定をするのは福島県を中心とする沿線自治体になる。これは、大変な事だと思う。

現状只見線には、時期日時によっては誰も乗っていないような列車が走っている。「只見線利活用」策が実を結び、観光鉄道として認知されそこそこの集客を得るまでは、『なんで乗客ゼロの列車を走らせるため、税金を払って施設・設備の維持保全をしなければならいのか?』という納税者からの疑念に向き合ってゆかなければならない。既に覚悟しているかもしれないが、県知事や各自治体の首長、担当者は只見線を復旧すると決めた時の理念を忘れずに、根気強く説明責任を果たし、乗客増・沿線観光客増に向けた努力をし続けて欲しい。

 

他方、我々福島県民は、復旧区間を含めた只見線を“おらが鉄道”(Myレール)として、定期的に利用する必要がある。県民の定期利用で、沿線に店ができ、観光客向けの設備・二次交通が整備される可能性が高まり、その実現によって魅力が高まり県外・国外からの観光客を呼び込めるからだ。現状、沿線の店舗や駅周辺の設備・二次交通は不足していると、私は思っている。

 

私はこの5年ほど、春夏秋冬毎に只見線の乗ってきて、沿線の魅力を探ってきた。“絶景”と呼べる景色は季節や時間帯や気象条件に左右されるが、只見線は車窓から“良い景色が連続”で見る事ができ、国内有数の“観光鉄道”には間違い無い。また、沿線自治体には、山や川、湖、ダム湖などの景色や、それに関われるアクティビティ、そして山川の食材など、山の幸・恵みが多く“観光鉄道「山の只見線」”と謳うにふさわしい。

JR只見線の観光鉄道としての確立、乗客や沿線観光客増加への課題は多いが、まずは来秋の全線再開通に向けて福島県を中心とする行政側には効果的な施策を期待したい。私も、情報発信を通じて、只見線や沿線の魅力を伝えてゆきたい。



 

 

 

 

 

 

 

会津川口からは列車に乗って、富岡に帰る。

自転車を折り畳み、輪行バッグに入れて駅舎に入る。“時間があった”ので買い物をすることに。まず、構内の売店で色鉛筆作画家・大竹惠子氏(金山町大志出身)の来年のカレンダー(故郷の色)を購入。お世話になるのは4年目だ。


この後、駅前の店に昼食を買いに行こうとした。

12時30分、念のため時刻表を確認すると、信じられない事に列車の出発時刻は12時31分だった。すると、ホームに停車中の列車がディーゼルエンジンの出力を上げて出発してしまった。私は、列車が12時41分発と思い込んでいたのだ。やらかしてしまった。

 

次の列車は、なんと2時間58分後の15時29分発。列車や高速バスを使って、今日中に富岡には戻れないとは分かっていたので、一時絶望した。明日は4時起きで仕事があるので、できるだけ早く、しかも最小のコストで戻らなければならない。色々考えて、結果、会津若松市内からレンタカーを借りて自宅に帰り、明日、仕事が終わってからいわき市の営業所に戻す、という方法にした。トヨタレンタカーは県内の営業所であれば、乗捨て料金不要なので、24時間の車両レンタル料金だけで済むようだった。

 

 

 

 

13:55、レンタカーの予約などをしてから、時間がたっぷりあるので温泉に行くことにした。 

向かったのは、只見川の支流・野尻川沿いにある「八町温泉共同浴場 亀ノ湯」。会津川口駅から約5㎞離れ坂上りが続くことになるが、その分帰りが楽だ。再び自転車を組み立て、「亀ノ湯」に向かった。

 

国道400号線を南東に向かって進み、途中、湯元橋から玉梨温泉郷を見下ろした。

 

14:16、会津川口駅から 20分ほどで国道に面する「亀ノ湯」入口に到着。

 

細い坂道をくだり、途中、布袋尊を拝んだ。玉梨温泉郷では野尻川の両岸に七福神の石像が置かれている。

 

 

 「八町温泉共同浴場 亀ノ湯」に到着。野尻川沿いだが、浴室は川に面していない。

   

「八町温泉共同浴場 亀ノ湯」は2015(平成27)年に発生した関東・東北豪雨の影響で温泉が出なくなり、2年ほど休業していたという。2017(平成29)年8月に新たな源泉を掘り、再開された。*記事出処:福島民報 2017年12月12日付け紙面

 

入口脇には休憩・喫煙スペースがあった。

 

短い階段を降り、引き戸を開け半地下の中に入ると、正面1.5mほど先に何の仕切りも無く、浴槽が一つ出迎えてくれた。

 

先客、しかも女性が湯上り後の着替え中だったので、すぐに男性の脱衣所に入りカーテンを閉め、脱衣しながら退室するのを待った。入口脇の柱には、青い金属製の協力金箱が掛かっていた。協力金は200円からだった。

 

先客が去ったのを確認してから、浴室へ。体を洗い、湯船に入ると、適温でとても気持ち良かった。湯量は豊富で、何より新鮮な湯の香りや注ぎ口から立ちあがる蒸気が、素晴らしかった。

この「八町温泉共同浴場 亀ノ湯」は源泉“亀ノ湯”のかけ流しだったが、湯量が減り、現在は野尻川対岸にある源泉“玉梨源泉”を引きブレンドしているという。今日、源泉“亀ノ湯”の配管を見たが、ほとんど湯は落ちていなかった。体に気泡が張り付くほどの炭酸泉は“亀ノ湯”の方なので、湯量が復活するのを期待したい。*炭酸温泉は、並びに建つ「恵比寿屋」旅館と野尻川対岸にある「金山町温泉保養施設 せせらぎ荘」内の大黒湯で楽しむ事ができる。

 

しばらく独り占めしていると、地元の高齢男性が来られた。湯上り後に、少し話をさせてもらったが、高額な協力金を支払いたい場合、国道の入口に建つ床屋か、「恵比寿屋旅館」に行くとの事。支払った後は、浴室内の壁に“協力金 金〇萬円 〇〇〇〇”と書かれた札を掛けてもらえるという事だった。

 

 

 

 

 

 

「亀ノ湯」を後にして、15分ほどで会津川口駅に戻る。自転車を輪行バッグに入れて、会津若松行きのキハE120形二両編成が待機しているホームに向かった。

 

ホームの駅名標は錆びついている。来秋の全線再開通を機に交換して欲しいと思っている。

後部車両に乗り込むと、客一人と、車内販売と観光案内をする“只見線地域コーディネーター”酒井さんが話をされていた。

 

15:29、列車が会津川口を出発。

 


上井草橋の下を抜けてまもなく、前方に只見川に突き出た大志集落が見えた。東北電力㈱上田発電所・ダムのダム湖(只見川)は穏やかで、水面の水鏡は比較的冴えていた。

  

会津川口~会津若松間の運賃は1,170円。奥会津の金山町や只見町に泊まる場合、只見線に二日間有効のフリー切符があると助かるが、もう少し乗客が増えたら検討して欲しいと思う。


 

 

 

列車は会津中川を経て会津水沼手前で「第四只見川橋梁」を渡り、細越拱橋を渡り金山町から三島町に入った。

 

 

 

 

早戸を出発し、早戸と滝原の両トンネルを抜けると、「第三只見川橋梁」を渡る。ダム湖(只見川)は東北電力㈱宮下発電所の宮下ダムのダム湖の水面は、水紋がなく水鏡は冴えていた。

車内では、乗り合わせていた酒井さんが、沿線特産品の車内販売をし、各橋梁の手前などで、車内放送を補足・補充する形で、観光案内も行っていた。 

 

 

 

 

会津宮下を出ると、「第二只見川橋梁」を渡る。東北電力㈱柳津発電所・ダムのダム湖(只見川)は、下流側には少し水紋が見られ、水面には青空がぼんやりと映り込んでいた。 

 

 

 

 

会津西方を出て、名入トンネルを抜けると、「第一只見川橋梁」を渡る。柳津ダム湖(只見川)の上流、駒啼瀬川の水面は比較的穏やかだったが、今日の只見川は全体が濃緑色だったため、空模様以外は影が映り込んでいた。

 

 

 

 

列車は会津桧原を経て、滝原手前で柳津町に入り、郷戸を出る。“Myビューポイント”で振り返って、会津百名山「飯谷山」(783m)を眺めた。濃い鼠色の空に稜線が浮かび上がっていた。 

  

 

 

列車が進むにつれ周囲は暗くなってきた。会津柳津を出て、会津坂本手前で会津坂下町に入り、塔寺を経て七折峠から会津盆地に進み会津坂下に到着。その後、若宮を出て会津美里町に入り、新鶴根岸会津高田を経て、会津本郷手前で会津若松市に入る。

  

 

17:18、西若松七日町を経て、終点の会津若松に到着。会津坂下以後、客を増やした車内から30名ほどがホームに降りた。私も、輪行バッグを抱え、連絡橋を渡って、改札に向かった。 

この後、駅からレンタカー店まで歩き、車を借りて富岡に向かい、20時過ぎに何とか帰宅する事ができた。トヨタレンタカーの乗り捨てシステムに助けられた旅になった。 

  

 

(了)

 

 

・  ・  ・  ・  ・

*参考: 

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)

・福島県 生活環境部 只見線再開準備室:「只見線の復旧・復興に関する取組みについて

 


【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。 

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。



 以上、宜しくお願い申し上げます。




次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

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