乗り納め(全線乗車 小出⇒会津若松) 2020年 冬

今年最後のJR只見線の列車旅は、小出から会津若松まで全線135.2kmを乗車する事にした。


*参考: 

・福島県:JR只見線 福島県情報ポータルサイト

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF) (2013年5月22日)

・魚沼市観光協会:秘境を行く! JR只見線  

・新潟県観光協会:にいがた観光ナビ「JR只見線

・BSN新潟放送公式チャンネル:【そらなび ~にいがたドローン紀行~】「第73回「只見線(魚沼市)」2020年2月29日放送」

 

  


  

 

前日に、会津若松市入りし宿泊。今朝、磐越西線下りの始発列車に乗るために、未明の会津若松駅に向かう。今日は、会津若松-(磐越西線)-新津-(信越本線)-長岡-(上越線)-小出と大回りして、只見線の列車に乗る予定を組んだ。

 

今回は、久しぶりに輪行せず、リュック一つで身軽だった。

有人改札で「青春18きっぷ」に日付印を押してもらい、3番線に向かう。JR東日本の主力気動車(電気式)GV-E400が、乾いたディーゼルエンジン音を響かせ待機していた。私は先頭車両に乗り込んだ。

5:28、新潟行きの始発列車(4両編成)が出発。暗闇の中を西へ快調に進んだ。

 

 

列車は福島県から新潟県に入り、津川から乗客を徐々に増やし、五泉を過ぎると通路に立つ客も目立ってきた。今日が仕事納めということからか、高校生以外の姿も多かった。 

 


 

 

 

 

 

 

私は新津で列車を降り信越本線に乗り換え、終点の長岡で下車。上越線の乗り換え列車の発車時間まで1時間30分もあるため、駅周辺を歩いた。

長岡市は、戊辰役・北越戦争で藩兵を率いた河井継之助が生まれ、土に還った地。彼が亡くなったのは、只見線の会津塩沢駅近くで、両地に「河井継之助記念館」があるということもあり、長岡は只見線と無関係ではない。

 

 

10:34、乗り込んだ列車が長岡を出発。今日は、上越線の集中除雪工事があるため、水上行きが小出止まりになっていた。

 

 

 

 

宮内出発後に信越本線から上越線に入ると、車窓から見える雪の量が一気に増えた。

 

 

越後滝谷を過ぎると、右手には信濃川が見えてきた。


 

 

 

 

 

 

 

 

 


北堀之内から魚沼市になり、越後堀之内を出発すると、信濃川に注ぐ魚野川が近づき、列車が減速し始めると、支流・破間川の河口が見えた。

 

 

 

 

11:09、小出に到着。2・3番線のホームの雪は1mほど積み上がっていた。

  

連絡橋を渡り、改札に向かうと係員が『こ(小出)の先に行かれますか?』と降車客に尋ねていた。改札前には、“除雪作業にともなう列車運休と代行バスによる代行輸送”に関する、大型ポスターとホワイトボードが掲げられていた。

 

駅頭に、越後湯沢に向かう代行バスが2台付けられ、客が乗り込んでいたが、1台のバスに収まりきり、まもなく出発していった。

 

 

 

 

只見線の列車の出発まで、今度は約2時間。駅周辺を歩いたり、暖房の効いた待合室で読書をするなどして時間をつぶした。駅舎は、只見線が全線開業40周年を迎える3日前の2011年8月26日に供用が開始された三代目になる。

 

 

 

 

『(只見線の列車は)いつもは、12時50分頃に入線しています』と駅係員から聞いていた時刻に、連絡橋を渡りホームに向かう。

現在、小出~只見間の列車は一日3本。夕方に県境の大白川まで2本を設定されている、通学用のダイヤ設定だ。

観光鉄道「山の只見線」”となるためには、新幹線駅である浦佐からの直通列車を含む増発が欠かせない、と私は考えている。車内販売も然り。会津若松まで135.2kmの長旅で飲み物食べ物を調達できないのは、観光客には辛い。

 

 

 

 

 

 

 

 

ホームに下り、4番線で待っていると、長岡方面から列車がやってきた。

  

観光客と思われる方々のカメラの出迎えを受け、列車は静かに入ってきた。

 

現在、小出~只見間を走るのはキハ110系。只見線内では2両編成で運行されている。2020年度に予定されている全線再開通で、会津若松~小出間はキハE120系が運行されると予想されている。

 

 

 

 

ホームからは、曇り空に関わらず稜線をはっきりとさせた、"双子山"権現堂山(下権現堂山897m/上権現堂山 998m)が見えた。今夏の炎天下での山行が思いされたが、登った山を仰ぎ見るのは心地良かった。 *参考:拙著「魚沼市「権現堂山 登山」 2020年 盛夏」(2020年8月13日)

 

 

 

 

後部車両に乗り込んで、新潟限定ビール「風味爽快ニシテ」とカレーパンで昼メシを済ませた。

 

 

 

 

13:11、只見行きの列車が小出を出発。冬休みの「青春18きっぷ」シーズンで混雑するかと思ったが、各BOXに1~2人が乗り込む程度だった。新型コロナウィルスの影響は、観光事業に大きな影響を与えている事を、改めて思った。

 

列車は出発直後に魚野川橋梁を渡った。新潟県の只見線は、この渡河の後、破間川と末沢川沿いを走る。 *以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋集覧

 

 

 

 

 

 

藪神が近づくと、権現堂山の稜線が、"双子山"に見えるポイントを通過した。

残念なことに、車窓は外側がうっすらと汚れ、更にこの先標高が上がり、外気温が低下するにつれ結露してしまい、徐々にはっきりと風景を見る事ができなくなってしまった。"観光鉄道「山の只見線」"の確立に向け課題は多いが、この窓の問題は、掃除と結露防止剤の組み合わせで、低コストで対応可能ではないかと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

車内では地酒をいただいた。今回、選んだ越後の酒は「麒麟山」。長岡駅構内の「ぽんしゅ館」で手に入れた。

 

酒蔵は阿賀町の麒麟山酒造㈱。阿賀町は1886(明治19)年5月26日まで、町の大半が福島県に属していて、只見線沿線の金山町と只見町に南接し、さらに「本名御神楽」や「国土山」など「会津百名山」13座の頂を"共有"している、会津と縁の深い町だ。

味は、ラベルに書かれた『爽快でキレのある、飲み飽きしない』が納得できるものだった。"定番酒"でこの質感は、素晴らしいと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

列車は越後広瀬手前で「第一破間川橋梁」を渡った。

 

 

 

 

魚沼田中を出発すると、新潟県側、沿線唯一の藪神ダム湖の脇に架かる不渡河橋「大倉沢橋梁」を渡る。水面は深い群青色だった。

 

 

 

 

車内は数人の高校生を除き、ほとんどが観光客と思われた。車両運用上の工夫は必要だが、観光の雰囲気をそぐ吊革は外して欲しいと思った。

 

列車は越後須原上条を経て入広瀬に停車すると、高校生達が降りていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

民家がほとんど見られなくなり、破間川が狭くなり、川床に大石が現れるようになり、列車は減速した。

 

 

 

 

13:56、県境の大白川に到着。小さな雨粒が落ちていた。駅舎2階の「そば処 平石亭」は11月末から冬期休業している。 *参考:拙著「魚沼市「そば処 平石亭」 2020年 紅葉」(2020年11月14日)

 

 

 

 

列車は大白川を出発すると、末沢川を16回渡河しながら六十里越に向かう。車窓の結露は濃くなり、景色の輪郭は、はっきりとしなくなった。

 

 

只見線に沿って走る国道252号線は、現在閉鎖中。例年ゴールデンウィーク頃まで除雪されない。大雪崩沢第2スノーシェッドの出入口も、雪に埋もれていた。

 

毛猛平スノーシェッドの真っ赤な鋼材は、くすんで見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

14:06、県境の六十里越トンネル(6,359m)に突入。

 

  

 

 

 

 

 

 

  

 

14:14、8分ほどで福島県側に出て、只見町に入った。六十里越トンネルに繋がる只見沢橋梁から北を見ると、浅草岳は雪雲に覆われていた。

 

車内に目を向けると、ほとんどの客が車窓にカメラを向け、シャッターを切っていた。

 

この付近には2013年3月まで田子倉駅(臨時)があったが、周辺には民家が無く、冬期は国道も閉鎖されるため、ヒト・モノの存在を感じる事の無い場所になっている。

余韻沢橋梁から見える田子倉ダム湖は「只見エコパーク」の大自然に包まれ、静謐な空間の中にあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

列車は余韻沢橋梁から田子倉トンネル(3,712m)に入り、静かに坂を下りる。第一赤沢トンネルを潜り抜けて振り返ると只見ダムの洪水吐ゲートと、その後方に田子倉ダムの躯体が見えた。*両ダムはどちら電源開発㈱の水力発電所を併設

 

 

 

 

 

 

 

 

列車は、只見町市街地の住宅地が見えると減速し、駅係員と代行バス運転手が見守る中ホームに入っていった。

 

 

 

 

14:28、只見に到着。雨や雪は降っていなかったが、濃い鼠色の雲が上空の広い部分を覆っていた。積雪は、小出より少なかった。

 

只見から先の27.6kmが「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で、発生から9年を過ぎても不通のままとなっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

駅舎を抜けると、駅頭に会津川口行きの代行バスが付けられていた。列車を降りた大半の客が乗り込んだが、15名ほどだった。通常、「青春18きっぷ」シーズンのこの時間の代行バスは、中型が用意されている。

14:32、代行バスが、馴染みの女性ドライバーの運転で只見を出発した。

 

 

 

 

 

 

代行バスは、完全に除雪された国道252号線を快調に走り、それぞれ"駅"となっている、本来の駅から近い国道沿いの、全てのバス停で停発車を繰り返した。

会津蒲生"駅"を出発し、会津塩沢"駅"手前では、曇りガラス越しに、先日登った「鷲ヶ倉山」が見えた。 *参考:拙著「只見町「鷲ケ倉山 登山」 2020年 晩秋」(2020年11月20日)

 

代行バスは会津大塩"駅"の手前、滝トンネルから金山町に入り、会津横田"駅"、会津越川"駅"、本名"駅"を経る。この間、各"駅"での乗降は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

15:22、会津川口に到着。駅頭に付けられた代行バスを降り、駅舎を抜け、出発待機中のキハE120系二両編成に乗り込んだ。雪は、只見より、グッと少なかった。

 

私が座った後部車両には誰も居なかったが、代行バスから降りた客が乗り込み、1席を除いたBOX席全てに一人ずつ座った。

 

15:29、会津若松行きの列車が出発。

 

 

 

 

まもなく、林道の上井草橋を潜ると、うっすらと冠雪した山々を背景にした、大志集落が左手に見えた。

 

 

 

 

車内では、さっそく地酒を呑んだ。選んだ会津の酒は、"定番酒"と言われる方が多い「名倉山」。最近見かけるようになった500ml瓶の普通酒だ。私も、只見線に乗るようになり、よく呑む酒で、味は間違いない酒だが、列車内でお猪口で呑むのは格別だった。

 

このお猪口の底には、赤べこ"あかべぇ"の絵が描かれている。"あかべぇ"は会津17市町村の"観光及び産業の発展並びに地域振興に寄与することを目的"としている「極上の会津プロジェクト協議会」のマスコットキャラクターだ。私は気に入っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

会津中川で二人の客を乗せた列車は「第四只見川橋梁」を渡った。東北電力㈱上田発電所・上田ダムの直下ということで、水深が浅く、川面には水紋が多く見られる場所だ。 *以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス「歴史的鋼橋集覧

 

 

 

 

会津水沼を出発後に、"めがね橋"細越拱橋を渡り三島町に入る。

 

 

 

 

早戸を出ると、早戸・滝原の両トンネルを潜り抜け「第三只見川橋梁」を渡る。東北電力㈱宮下発電所の宮下ダム湖は濃緑だった。

 

 

 

  

会津宮下を出発すると「第二只見川橋梁」を渡る。下流側を見ると、東北電力㈱柳津発電所の柳津ダム湖が細長い湖面鏡を創っていた。

 

 

 

 

 

会津西方を出発し、名入トンネルを抜けた直後に「第一只見川橋梁」を渡る。上流側、駒啼瀬渓谷はうっすらと雪化粧し、濃緑の水面との相性が良い景観だった。 

只見線と只見川との交わりはここで終わり、列車は桧の原トンネルを潜り抜け会津桧原に向かう。 

 

 

 

 

橋梁区間の"締め"は、福島県側屈指の渓谷美と、個人的に思っている滝谷川橋梁からの眺め。谷間が雪で覆われれば、水墨画のような美しさを見せてくれる。

列車は渡河後に柳津町に入り、滝谷に停車する。 

 

 

  

 

郷戸を経て、列車は会津柳津に到着。駅舎の隣には、大屋根を持つ公衆トイレの建設が進められていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

列車は会津坂本の手前で会津坂下町に入り、塔寺を経て七折峠を下り、東に進路を変え会津平野を進んで行く。上空は濃い雲に覆われていた。 

 

 

 

 

 

 

16:40、会津坂下を出発し若宮を経て会津美里町に入り、列車の進路が南に変わる。新鶴を出て根岸手前で右の西部山麓に目を向けると、一部雲が切れ、うっすらと茜色になった空が見えていた。

その後、列車は会津高田から会津本郷直前で会津若松市に入り、西若松七日町と徐々に日が暮れる中を進んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

17:18、只見線の起点となる会津若松に到着。

 

連絡橋を渡り、改札に向かう。橋上から表を見ると、駅周辺はすっかり暗くなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

一旦改札を出て、少し早かったが夕食にした。向かった先は「ラーメン 金ちゃん」。ここの餃子とラーメンで、今年の只見線の列車旅を"締め"る事にした。

 

席について、さっそく餃子とビールを注文した。野菜の食感がたまらない、絶品餃子にスーパードライ。旨い、旨い、と独り言ちた。

 

そして、ラーメンは迷った末に塩タンチャーシューメンを選択。チャーシューをスープの中に入れてから食べ始めた。

食べ慣れた平打ち縮れ麺に、コクがありながらあっさりしたスープが絡まり、野菜のシャキシャキ感との相性も良かった。薄めのチャーシューはスープの熱で程よい柔らかさと風味が出て、これまた良かった。今年の只見線乗車の"締め"は、満足ゆくものになった。

 

 

 

 

今年は23回(日)、只見線の列車の乗る事になった。内8回が登山での利用で、今までとは違った列車旅になった。「鷲ヶ倉山」と「国土山」で確かな痕跡を目にしたものの、熊自体に出遭う事も無く、事故にも遭わず無事に全ての山に登頂できたことが、何よりだった。

来年は、区切りの只見線乗車100回を迎える見込みだが、沿線の「会津百名山」登山を中心に旅の予定を組みたいと考えている。新型コロナウィルスの影響で山開き登山が行われるか分からないが、ソロでも踏破できるよう、体力と装備の準備をしたいとも思う。

 

 

只見線は飽きない鉄路だ。車窓から見える風景は、乗るたびに違う。そして、四季とその移ろいを感じさせてくれる。今年も、それらを実感した一年になった。また来年も、車窓から外を眺めながら、チビチビ呑む地酒も楽しみに、只見線に乗りたいと思う。その中で、"観光鉄道「山の只見線」"の可能性を自分なりに考え、発信したい。

 

今年もありがとう! JR只見線!

 

 

 

 


 

 


 


今夜は会津若松から移動し郡山に泊まる。駅前のイルミネーションが、濡れた路面に映え、綺麗だった。 


 

(了)

 

 

・  ・  ・  ・  ・

*参考: 

・福島県 生活環境部 只見線再開準備室  「只見線の復旧・復興に関する取組みについて

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」 

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)/「只見線(会津川口~只見間)復旧工事の完了時期について」(PDF)(2020年8月26日)

  

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。 

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/



②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。



 

以上、よろしくお願いします。




次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

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