10年振りの全線復旧を目指して工事が進むJR只見線。新たな橋に生まれ変わる「第七只見川橋梁」の再架橋工事の進捗状況が見たいと思い、列車に乗って金山町に向かった。
「第七只見川橋梁」は、2011年夏に発生した「平成23年7月新潟・福島豪雨」により破断・流出した。JR東日本は豪雨などの水面上昇で再び被害を受けないよう、下部構造が“厚い”上路式トラス橋から、下部空間を確保した下路式トラス橋に変更し、復旧案として公表した。
その後、2017年6月19日に只見線の運休区間27.6kmの全区間鉄路復旧が決定すると、この案に依って復旧されることになり、現橋のコンクリート製の橋脚や22.3mの橋桁の撤去などが行われた後、再架橋工事が開始され、今年度内の完成を目指して作業が進められている。
私は先月、全運休区間を巡り「第七只見川橋梁」を訪れた際、作業員の方から『架橋は7月から本格化する』と聞いていた。7月も下旬となり、どこまで工事が進んでいるか見たいと思い、今回の旅を企画した。
今日は、「第七只見川橋梁」の最寄りである会津大塩駅まで只見線の列車と代行バスを乗り継いで向かい、そこから輪行した自転車で現地を巡り、会津川口駅まで戻る、という計画を立て現地に向かった。
*参考:
・福島県:只見線ポータルサイト / 只見線の復旧・復興に関する取組みについて *生活環境部 只見線再開準備室
・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF) (2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)(PDF)
・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線復旧工事関連ー / ー只見線の夏ー
今日は郡山から出発。磐越西線の始発列車に乗るために駅に向かう。西口広場は連休の中日にも関わらず、静まり返っていた。
輪行バッグを抱え、1番線に停車中の列車に乗り込んだ。強い朝陽が差し込んでいた。
5:55、会津若松行きの列車が出発。
列車が沼上トンネルを抜けて会津地方に入ると、猪苗代手前では、雲一つ掛かって居ない「磐梯山」が見えた。久しぶりに全容が見られ、嬉しかった。
7:09、会津若松に到着。駅舎上空には青空が広がっていた。
只見線のホームに向かうため連絡橋を渡る。橋上から右手、北東方面には雲が掛かり、「磐梯山」は見えなかった。
列車に乗り込むと、扉の脇に新型コロナウィルス対策のポスターが掲げられていた。
7:41、会津川口行きの2両編成の列車が会津若松を出発。乗客は、私の乗る後部車両が6人、先頭車両が10人だった。
列車は七日町、西若松を経て、阿賀川(大川)を渡った。前方には雲の塊が点在する青空が広がっていた。
根岸手前で右手(東)に目を遣ると、「磐梯山」頂上の稜線が見えた。
会津坂下を出発すると、まもなく七折峠に向かって登坂を開始した。
登坂途上、斜面の果樹園越しに会津坂下町市街地を見下ろした。
奥会津の天気予報は、午後から崩れるという事だったが、そんなようには見えなかった。
滝谷を出た直後に、滝谷川橋梁を渡り三島町に入った。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館(http://www.jsce.or.jp/library/)「歴史的鋼橋集覧」
東北電力㈱柳津発電所の柳津ダム湖(只見川)は、連日の雨の影響か、濁っていたが、水面に波が立っていないようで、周囲の景色を映しこむ水鏡になっていた。
会津西方を出発した直後に「第二只見川橋梁」を渡り上流側を見る。ここでも減速運転が行われた。
この後、列車は“アーチ3橋(兄)弟”の長男となる大谷川橋梁を渡り、県道に架かる次男・宮下橋を見下ろしながら、ゆっくり進んだ。*参考:三島町観光協会(観光交流館からんころん)「『みやしたアーチ3橋(兄)弟』のビューポイント」(2013年6月16日)
会津宮下に停車し、上り列車とのすれ違いを行った。
これから見る事になる「第七只見川橋梁」は、第一~第三と同じ開放的な上路式から、このような下路式トラス橋に架けかえられる。外観だけでなく、車窓からの景色が一変する。
列車は、会津中川を経て終点に向う。前方の林道上井草橋の影が川面(湖面)にはっきりと映っていた。
振り返って大志集落を見る。上田ダム湖も濁っていたが、水鏡(湖面鏡)は冴え、集落を含めた周囲の山々や木々をはっきりと映し込んでいた。
只見線は観光路線化を目指すにあたり、“観光鉄道「山の只見線」”を掲げている。この水鏡(湖面鏡)は四季を通して見られる可能性の高い現象で、「山の只見線」として国内の他路線に対して差別化できる資源だと私は思っている。
8:39、終点の会津川口に到着。10名をわずかに超える客が降りた。
ここから先が運休区間。只見までの27.6kmが、「平成23年7月新潟・福島豪雨」被害で、約9年間不通となっている。来年度の全線再開通に向けて、復旧工事が進められている。
駅舎に入ると、金山町観光情報センターに併設された売店の前には、町のゆるきゃら「かぼまる」が“新しい生活様式”を呼びかけるポスターが掲げられていた。
しばらく待っていると、只見からやってきた代行バスが駅頭に付けられた。金山町と只見町の“名物”が描かれたラッピング車両だった。
10:25、只見行きの代行バスが会津川口を出発。乗客は私を含め2人だった。
10:48、“会津大塩駅”となっている、大塩体育館前に到着。代行バスを見送った後、自転車を組み立てた。
会津大塩駅は、大塩体育館前から歩いても2分ほどの、近距離の場所にある。
「第七只見川橋梁」まで駅から約1km離れ、自転車で5分程で着くが、寄り道をした。
まずは先月開業した「ゲストハウス かくじょう」。築二百年以上の古民家を改修したものだ。 *参考:facebook「古民家ゲストハウスかくじょう」
オープンを知らせる新聞記事が、先月19日付けの地元紙に掲載されていた。 *下記事出処:福島民報 2020年6月19日付け紙面
次に向かったのが「大塩炭酸場」。
昨年の事故で全面が塞がれた炭酸水井戸は、新型コロナウィルスの影響で汲み口も施錠され、完全閉鎖だった。
私は、炭酸水を井戸脇の流水口からペットボトルに注ぎ入れ、大塩炭酸場を後にした。
「第七只見川橋梁」に向かうと途中、国道252号の脇の畑に、「かぼまる」のイメージのもとになった赤カボチャが実っていた。
国道252号線を渡り、田の間を抜けて行くと、前方に「第七只見川橋梁」の工事ヤードが見えてきた。約2年前に復旧工事起工式が行われた場所だ。 *参考:拙著「JR只見線 復旧工事起工式」 2018年6月15日
大塩第一踏切から「第七橋梁」の再架橋工事現場を眺める。今日はスポーツの日で休日だったが、重機の音が聞こえ、作業が行われている事が分かった。
「第七橋梁」は旧橋の建設も「ケーブルエレクション工法」で架橋かれたが、鉄塔は基礎を含め26.15mだった。現在の再架橋は、上部に曲弦トラスを持つ下路式であるため、より高い鉄塔になっているのだろうと思った。 *下図出処:「田子倉発電所建設用専用鉄道 工事誌」(編纂:日本国有鉄道 新橋工事局、発行:昭和33年3月)
「ケーブルエレクション工法」は、橋の下が谷や川でベント(仮設支柱)が設置できない場所で、両岸に鉄塔やアンカーブロックが設置できる場合に用いられる、高い技術が要求される架橋法と言われている。“直吊り”と“斜吊り”があり、主に橋梁の形状によって選択されるようだが、「第七橋梁」のように下弦が平坦な下路式トラス橋の場合、“直吊り”が選択されているようだ。 *参考:日本橋梁建設協会「適用工法フローチャート(陸上部架設)」/「ケーブルエレクション(CE)直吊り工法」
町道を進み四季彩橋から「第七只見川橋梁」の全景を眺めた。下弦の下部材が組み上げられ、9年振りに両岸が繋がっていた。
先月訪れた際は、両岸の鉄塔に部材運搬用のトラックケーブルだけが架けられ、安全仮設であるワイヤブリッジが垂れ下がっていた状態だった。
約1か月半で、受梁に載った下弦下部鋼材が片側9本ずつのハンガーロープで吊るされ、内中央部2個の受梁から伸びたワイヤーでワイヤブリッジが釣り上げられていて、大きく形状を変えていた。
「ケーブルエレクション直吊り工法」という名前が納得できた。
この“直吊り”や部材運搬用のキャリアのワイヤーの、後方策を固定するグラウンドアンカー。「ケーブルエレクション工法」の重要な設備だ。
左岸(只見方)のアンカーは只見線の路盤の両脇を掘り下げられ、コンクリートの台座が築かれていた。
右岸(会津川口方)は、只見線がカーブになっているため、正面の斜面が掘削され、コンクリート台座が設置されていた。
両岸4基の台座は、それぞれ2段になっていて、上段に運搬用のキャリアケーブルの後方策、下段に“直吊り”を支えるメインケーブルの後方策が滑車に巻かれ、端部が13~14個のワイヤクリップで止められていた。
「田子倉発電所建設用専用工事誌」の124ページには、旧橋の全体図があり、アンカーの位置も記載されていた。只見方が路盤で、(会津)川口方が橋脚根元の地面となっていて、設置部位はほぼ同じでも、鉄塔が低いためか当時はもっと手前に築かれていたようだ。
四季彩橋を進み、「第七只見川橋梁」側面を中央から眺めた。
下の写真は、「平成23年7月新潟福島豪雨」で、主桁が流出したままの「第七只見川橋梁」の姿。
「田子倉発電所建設用専用工事誌」の巻頭の写真集に、旧橋の主体となる上路式ワーレントラス橋の全景が掲載されていた。
1956年9月に架設された「第七橋梁」が、赤字路線の一部として流失しながらも、60年以上経った後に、14億円の巨費を掛け全く新しい橋に架け直されるとは...。この歴史と現実の重みを思うと、上下分離で永続的な運行経費負担を決めた福島県や沿線の自治体のみならず、県民自らが“乗って、買って、食べて、泊まって”を実践し、“観光鉄道「山の只見線」”を確立させ、下支え続けなければならない、と切実に思った。
私は、四季彩橋上で、しばらく作業風景を眺めた。ケーブルクレーンが左岸から部材を、中央部にいる作業員に運ぶ事を繰り返していた。
作業員は二人。受け取った部材をクレーンから外し、下弦下部材に取り付けているようだった。
このケーブルクレーンは、左岸に建てられた鉄塔の下流側に設けられた小屋の中で操作されいるようだった。
その小屋の、さらに下流側にはケーブルクレーンの巻き上げ装置が設置されていた。
ケーブルクレーンが動く度に、ゴロゴロゴロと乾いた音を立てながら動いているのが確認できた。
私が見ている中では、ケーブルクレーンは小さな部材しか運んでいなかったが、これから運ばれ、組み上げられるであろう部材(鋼材)がヤードに並べられていた。
仮設通路が地組みされていて、一見判別できなかったが、下弦上部、レールが敷かれる部材だと思われた。現在、下弦下部が全て繋がっている事を考えると、順当な部材だと思った。
四季彩橋を渡り、右岸のヤードに移動し、架橋工事を眺めた。
再利用される橋桁の先で、組み上げられる新橋梁の様子が見られ、復旧工事である事が一層実感できた。
工事を、ほぼ正面から見られる事で「ケーブルエレクション工法」の複雑さも分かった。
ケーブルクレーンのキャリアは、上流側と下流側それぞれのトラックケーブルに有り、私が見た部材の運搬は、その二つのキャリアからワイヤーが吊るされ、2本を一つの“キャリア”として利用しているものだった。二つのキャリアを同じ速度で動かす必要があり、強風などでは一層操作が難しいのではないかと思った。
直吊りは片側9か所で行われいたが、よく見ると、1ヵ所の受梁毎に複数のワイヤーが用いられ、どれが、どのような役割を果たしているか、素人には分からなかった。
安全と工事品質、工期、そしてコスト、全てを叶えるためには必要なのだと思った。
現場では、JVの施工管理者が左岸と右岸を行き来し、作業を見守っていた。
私は、右岸で工事を下から監視していた管理者に、ヤードから出るところで話を聞くことができた。
工期は順調で、9月には部材の組み上げが終わり、その後にボルトの本締め、塗装を行い、今年中には完成し、工事ヤードを引き払えるだろう、という事だった。塗装は、旧橋と同じ“環境色”である濃茶になるという。
お盆を挟みながら、あと2ヵ月足らずで組み上げが終わる事に驚いたが、大半の部材は、安全設備(仮設)とともに地組みして、ラフタークレーンで移動、ケーブルクレーンで組み上げられるので、部材の多さの割に早く進むのだと、担当者は説明してくれた。
「第七只見川橋梁」の再架橋工事現場を、1時間ほど見続けた。上弦部の斜材や曲材の組み上げがこれからということで、橋の形状が、この景色の中でどのように存在感を示すのか楽しみだ。
作業が安全に進み、無事に完成する事を祈り、現場を離れた。
「第七只見川橋梁」を含む、現運休区間27.6kmは、国鉄只見線として建設されてはおらず、現在の只見駅の南、約6kmほど離れた場所に建設中だった電源開発㈱田子倉発電所・ダムの資材運搬のための「田子倉発電所建設用専用鉄道」(1957(昭和32)年開通、会津川口~宮渕、32,3km)として建設された。ただ、工事は旧国鉄が請負ったため、前述した「田子倉発電所建設用専用鉄道 工事誌」は日本国有鉄道(新橋工事局)によって編纂された。
この工事誌には、「第五」から「第八」の各橋梁工事の情報が、写真付きで詳細に掲載されている。
「第七只見川橋梁」も橋脚などの下部工事と、「ケーブルエレクション工法」による橋桁架設工事が別章で記載され、当時を伺い知る事ができた。
「ケーブルエレクション工法」に関する“歩掛表”もあり、当時の作業員の動きが想像できた。
この(流出した)旧橋の工事費用(1957(昭和32)年当時)は以下の通り。
・下部工事(ヤード設置、地盤整備、橋梁設置など):12,322,330円
・橋桁架設工事:9,898,689円
私は大規模な再架橋工事となる「第七」と「第六」の現場は、全線再開通後の集客につながると思い、金山町が、建設会社の協力を得て、ライブ中継すべきだと思っている。
実現される事無く残念に思っていたが、今日、JVの監視用カメラが四季彩橋に取り付けられているのを見た。
四季彩橋は町道で、金山町の許可を取って設置されていると思われるので、これからでも遅くないので、JVから架橋工事の映像の提供を受け、町のホームページなどで公開して欲しいと思った。 *参考:金山町「只見線関連情報」JR只見線の状況 第五・六・七鉄橋の現状
会津川口駅に戻るために、国道252号線を自転車で進む。途中、昼食を摂るために横田小学校の側にある食堂に立ち寄った。
「ひょっとこ亭」。かつては夜も営業していたが、現在はランチの時間帯だけオープンしているという。
店内は混んでいたが、全てのテーブルに設置されたアクリル板が目に飛び込んできて、驚いた。
会津地方では、未だ新型コロナウィルスの感染者は居ないが、国道沿いの食堂ということもあってか、厳格な徹底ぶりだった。座席の家族は、アクリル板越しに向かい合い食事をしていた。この現実に接客業を取り巻く厳しい環境を慮った。
「ひょっとこ亭」は定食も提供する食事処だったが、メニューを見るとラーメンだけだった。目当てのメニューはあったので、さっそく注文した。
しばらく待つと、“名物ゴローチャー麺”が運ばれてきた。想像以上に大きな角切りのチャーシュー(ゴロチャー)が目につき、胃袋が鳴った。
ゴロチャーは、一旦、スープの中に潜らせ柔らかくすることにし、醤油スープを一口すすって、麺を食べた。モチモチした太縮れ麺で、のど越しも良く、旨かった。そして、スープの中からゴロチャーを取り出し、頬張る。全体に浸み込んだタレの味もさることながら、肉感が素晴らしく、食べ応えは充分だった。4個目のゴロチャーを口に入れる頃には満腹感があり、少々辛かったが、完食した。
ゴロチャー麺には、この醤油味の他、しお味とみそ味があるので、多くの人に食べてもらいたいと思った。
「ひょっとこ亭」のはす向かいには、中世に“会津四家”と呼ばれた名門の一つ、(横田)山ノ内家の屋敷(山ノ内屋敷)跡がある。
天正17(1589)年の伊達政宗の会津侵攻に際して、善戦したと言われる(横田)山ノ内家。只見線沿線には関連史跡も多い。いずれ巡ってみたいと思っている。
国道を進み、横田地区を過ぎて右手に只見線、左手に只見川を見ながら自転車をこいで、越川地区を抜けると見慣れたブルーシートの前に重機が置かれていた。
昨年8月22日、大雨の影響で只見線の盛土が流出した現場で、ようやく復旧工事が始められたようだった。石が詰められた蛇籠が一部見られ、土留めに使われるようだった。
橋立地区に入ると、移転新築した「民宿 橋立」が営業しているようだったが、看板は無かった。一般向けの営業はしていないのだろうか、と思った。
元の「民宿 橋立」は跡形も無く解体されていた。ここは盛土され、国道288号線本名バイパスが通る事になっている。
旧「民宿 橋立」は印象的な建物だった。
「湯倉温泉共同浴場」に到着して判明。六本の杉の木などが切り倒されていたのだ。何故伐採されたのだろうかと思った。
駐車場には3台の車が停められていたが、男風呂は1名の先客が居るだけだった。
湯船は加水されず源泉のままで熱く、半身浴しかできなかったが、あっという間に汗が吹き出し、湯上りは気持ちよかった。
また、先月には無かった、ワイヤブリッジが両岸を結んでいて、架設に向けて工事が本格化した事を実感した。
坂を下り、工事ヤードを見ると、ラフタークレーンが動いていた。
その傍らには、鉄塔の上部と思われる8基の部材が並べられていた。これから取り付けられるようだった。
鉄塔から伸びるワイヤーは、鉄塔を支える仮設のようだったが、国道上を跨ぐように設けられた巨大な鋼材仮設の足元に固定されていた。
周囲にアンカーの台座を設置できるような場所はなく、おそらく左岸はこの地面に打たれた鋼材がアンカーとなり、後方策を支えるのだろうと思った。
国道252号線本名バイパスの本名トンネル入口前に設けられた、巨大な鋼材仮設はアンカーの役割とともに、“本名架道橋”再架設にも使われるのではないかと考えた。
本名トンネルは貫通してメインの作業は終わったものの、巨大仮設の右手、会津川口方面では重機が複数動き、作業が行われていた。
奥会津の地で、これほどの大型土木事業が行われている現実に、日本の財政的な体力を考えるとともに、この未来への大きな投資を無駄にしてはならないと思った。
国道を離れ只見川に下りてゆき、下流側から「第六只見川橋梁」の工事現場を眺めた。「第七只見川橋梁」より大掛かりで、厳しい工事なる事が実感された。
左岸の新しい橋脚を見ると、短い橋桁が架けれれていた。塗装されていたが旧橋の橋桁だ。新しい「第六只見川橋梁」の色は変更されず、旧橋と同じ淡いクリーム色になるようだ。
右岸では、仮設台座に載ったラフタークレーンからアームが延び、只見線の本名トンネル入口上部斜面の仮設上の、作業員に部材を渡していた。
右岸全体を見ると、鉄塔はトンネル入口の橋桁上で、アンカーがこの斜面に設置されるのではないかと考えた。本名橋上から見えた、斜面の鉄筋と型枠は、このアンカー台座の設置工事だと合点がゆき、この工事の過酷さを、改めて痛感した。
工事が安全に行われる事を祈り、現場を離れた。
左岸をよく見ると、川霧がくっきりと線を引いたように出現していて、美しかった。
蒸し暑い中、小雨が降り湿度が高まった空気が、只見川の水面で冷やされ川霧が発生したのだろう。良い光景が見られ、幸運だった。
国道の坂を上り下って駅が近づき、只見線の「野尻川橋梁」を見ると、モクモクと立ち上る川霧に包まれていた。
14:59、会津川口に到着。雨は小降りのままで、それほど濡れる事無く済んだ。
さっそく駅頭で自転車を折り畳み、輪行バッグに入れてホームに向かった。
ホーム前面の只見川一面には、均整の取れた川霧が出ていた。
上流側、野尻川の合流附近は、流入による空気の動きがあるからか、川霧は盛り上がり、動きがあった。
乗客の多くは、この川霧に歓声を上げ、思い思いに写真を撮っていた。
今日の、会津川口駅の川霧は私が見た中では一番の状態だと思った。
15:29、会津若松行きの列車が会津川口を出発。車内は、ツアー客も含め、2両とも7割ほどの座席が埋まり賑わった。
まもなく、“おもてなし企画”による車内放送が流れ、この列車では沿線の柳津町のあわまんじゅうなど、沿線の特産品を販売するワゴンサービスが行われた。
車内販売は、会津川口~会津柳津間の、上下2本の列車内で行わる限定企画で、沿線住民がスタッフとなり運営されている。来年の2月まで、土日祝日に行われる予定だという。 *出処:福島民報 2020年7月5日付け紙面より
この先、只見川に架かる各橋梁から川霧が見られると思い、車窓を眺め続けた。
「第四只見川橋梁」で下流側を見る。前方の国道252号線に架かる水沼橋付近に、川霧が見られた。
細越拱橋では、右に並行する只見川を見る。川霧が全面を覆い、幻想的な光景が広がっていた。
早戸に停車。ここも、下流側の渓谷に向かって川霧が川面を覆っていた。
「第三只見川橋梁」から上流側を見る。川霧は均整を失い、一部が上空に向かっているような形状だった。
「第二只見川橋梁」から、下流側を見る。ここの川霧は、下流の狭隘部に向かうほど均一化されていた。
「第一只見川橋梁」から、上流側、駒啼瀬の渓谷を見る。期待した川霧の姿は見られず、橋梁下には、ほとんど見られなかった。
上田、宮下、柳津、3つのダム湖が創り出し、只見川の形状により姿を変えるが、日々一様では無い川霧の奥深さに感心した。
会津柳津では、多くのツアー客が降り、駅頭に付けられた観光バスに乗り込んでいった。
列車は奥会津を快調に進み、七折峠を下り、会津平野に入る。小雨が降り続いているようで、右の車窓から見える西部山麓は、霞んで見えた。
17:18、列車は会津若松に到着。会津坂下以降に、乗客が増えて行き、休日の観光鉄道に相応しいと思えるほど多くの客が降りて、連絡橋を渡っていった。
私は、この後、磐越西線の列車に乗り換え、郡山に向かった。
今日、「第七只見川橋梁」の再架橋工事現場を見て、順調さに安心するとともに、今後の部材(斜材、曲材)の組み立てがどのように進むのか興味が沸いた。頻繁に現地に行き見る事はできないので、全体の完成が見込まれる9月頃に、また訪れたいと思う。
その際は、両岸の鉄塔を使った「ケーブルエレクション工法」で橋梁が組み上げられているであろう「第六只見川橋梁」の再架橋工事現場も、じっくり見学したい。
復旧工事全般の安全を祈りながら、次回訪問を楽しみにしたい。
(了)
・ ・ ・ ・ ・ ・
*参考:
・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」
・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)
【只見線への寄付案内】
福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。
①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/
②福島県:企業版ふるさと納税
URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html
[寄付金の使途]
(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。
以上、よろしくお願い申し上げます。
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