全線乗車(会津若松⇒小出) 2017年 冬

東京に行く用事ができたため、JR只見線経由で上京する事にし、約8年ぶりに会津若松から小出までの全線に乗車した。


昨日16時からの夜勤を終え一旦帰宅し、準備を済ませ郡山駅に向かう。

今週火曜日に降った雪は融け、今日は一段と気温が高かった。

これから向かう会津地方の天気予報は曇り時々雨。気温は下がらないようだ。

 

駅舎に入り、自動改札を通り1番線に停車中の会津若松行きの電車に乗り込む。乗車率は6割程度。長身の欧米人のグループも見られた


11:39、列車は定刻に出発。

列車が出発して間もなく、激しい眠気が襲ってきた。喜久田を過ぎた辺りで、我慢できず目を閉じ、終点まで、ほとんど目を開ける事無く、寝入ってしまった。

 

12:59、定刻通り会津若松に到着。駅周辺は雪が残っていた。

 

さっそく連絡橋を渡り、只見線のホームに向かい、会津川口行きの列車に乗り込む。

この列車は、2011年の「平成23年7月新潟・福島豪雨」での運休以前は小出行きになっていた(17:42着)。

 

13:07、キハ40系2両編成は5割を超える乗車率で、定刻に会津若松を出発。

 

眠気は残っていたが、車窓の風景を見ようとこらえた。

 

七日町西若松と過ぎ、大川(阿賀川)を渡る。

会津本郷会津高田を過ぎると列車は大きく右にカーブし、会津平野を北上する。

右側の車窓からは、雪原が美しく広がっていた。

根岸手前の空には一部青空が見えた。雪と青空は相性がいい。

新鶴では10名ほど降車客があった。私の乗る車両から大半が下り、車内は少し静かになった。

車内で耳に入った会話から、この新鶴で只見線関連の集まりがあるという。

 

会津坂下町に入り、若宮を出発し湯川村方面を見る。

春は水が張られ、夏は緑稲の絨毯がそよぎ、秋は首を垂れる穂に満たされ、そして冬は平坦な雪原となる会津盆地の田んぼ。只見線はこの会津盆地をUの字に走り、長い時間車窓からその田園風景を楽しめる。

この先の山間部の橋梁と水鏡の景観と合わせると、只見線は国内無二の車窓の風景を持つ鉄路である事を改めて痛感した。

 

会津坂下を出発し、平地が終わろうとすると、キハ40系は重いディーゼル音を鳴らしながら七折峠へと向かってゆく。

 

塔寺会津坂本会津柳津の各駅に停車し、郷戸手前の新田街道踏切を過ぎて間もなく“Myビューポイント”でシャッターを切る。

ここから見る空の様子から、会津川口、只見方面の天候を予想している事にしているが、今日は青空が見え、雨は降らないだろうと思った。

 

滝谷を出発し、滝谷川橋梁を渡る。

只見線橋梁区間の前座を務める、渓谷美豊かな鉄橋だ。

今日は雪量が少なく、美しさは今ひとつだったが、一見の価値はあった。

 *以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館(http://www.jsce.or.jp/library/archives/index.html)「歴史的鋼橋集覧

 

 

国道252号線の滝谷スノーシェッドをまたぐと、建設会社の敷地に設けられた材木市場の脇を通り抜ける。積み上げられた丸太が雪を被り、かわいらしかった。

 

まもなく会津桧原に到着。

ここから先は、「第一」から「第八」の橋梁区間(運休区間を含む)となる。

 

桧の原トンネルを抜けた直後に「第一只見川橋梁」を渡る。

窓に正対し、日向倉山を右前方に見る。

ここも雪量が少なく、美しい雪景色とは言い難かったが、冬の入口の景色としては申し分ないと思った。

 


「第一橋梁」を渡った直後に名入トンネルに入り、潜り抜け会津西方に停車。

発車してまもなく「第二只見川橋梁」を渡る。

やわらかな西陽が車窓からの風景を包み込む。

 

会津宮下に近づき減速すると、列車は大谷川橋梁を渡り県道の宮下橋を見下ろす。

大谷川には国道の新宮下橋も架かっていて、これらは“”アーチ3兄(橋)弟として埼玉県のホームページにも紹介されている。

 *埼玉県:文化・教育 福島県の土木構造物「新宮下橋・大谷川橋梁・宮下橋

 

 

会津宮下を出発して2kmほど進むと、水路式の東北電力㈱宮下発電所の調整池である宮下ダムの直側を通り過ぎる。

只見線でダム躯体との距離が一番近い場所だ。

 

列車は、宮下ダム湖(只見川)と県道237号線の間の狭い場所を、阿寺沢拱橋や第一左靭橋梁などの複数の橋を駆け抜け、金山トンネルと二つのスノーシェッドを潜り抜ける。

この区間は、走りながら水鏡を楽しめるが、明かり区間でも木々が邪魔をして宮下ダム湖(只見川)の全体を見通せる場所は限られている。

 

只見川は一旦大きく蛇行し視界か消えるが、まもなく「第三只見川橋梁」の下に現れる。

やや後方を振り返り、シャッターを切る。

雪があると、崖の中腹にある国道252号線のスノーシェッドがはっきりと分かる。

難工事であったであろうといつも思ってしまう、急峻な山肌の中腹にある構造物だ。

 

列車は「第三橋梁」で只見川を渡河した直後に滝原トンネルに入り、250mほどの明かり区間(早戸俯瞰)を通り過ぎて早戸トンネルを潜り抜ける。


トンネル内で減速し、抜けた直後に早戸に到着。

ここでは5名ほどの降車客があった。早戸温泉に向かうのだろうか。

 

早戸を出発すると金山町に入り、八連コンクリートアーチの“めがね橋”こと細越拱橋を左にゆるやかなにカーブしながら通過する。

次駅・会津水沼を出発し1kmほど進むと、「第四只見川橋梁」を渡る。

下路式曲弦トラス橋であるため、橋上から撮影する場合鋼材が映り込んでしまう可能性が高い。

但し、列車のスピードはあまり出ていないので、鋼材の間から景色を楽しむ事はできる。

 

この「第四橋梁」の上流1kmほどの場所に東北電力㈱上田発電所と上田ダムがあり、国道252号線と只見線を隔てる杉並木が途切れると右手に見る事ができる。

この付近の車窓からは鉄路脇の木々の枝や電線が目につき、上田ダム湖が良く見えない。

枝打ちや電線地中化で景観を創出できれば、低い山ながらアバランチシュートが見える山肌を背景に良い景色を楽しむ事ができる。

 

列車は、中川地区越しに薄陽を見ながら減速する。

会津中川に到着。情緒ある木造駅舎だ。

以前は見かけなかった灰色の倉庫が置かれていた。除雪機保管場所だろうか。

 

会津中川を出発し、大志集落の脇を通り抜けて、前方に上井草橋を見ながら終点到着を告げる車内放送を聞く。

14:56、現在の終着駅である会津川口に到着。ホームに雪はほとんどなかった。

ここから先が只見まで不通区間になり、ほぼ鉄路に沿っている国道252号線を代行バスが走っている。

 

線路を渡り駅舎に入る。

すると大きなホワイトボードが目に入った。

会津三島駅でも見られた“Where are you from?”(どこから来ましたか?)と尋ねシールを貼ってもらう大型模造紙が掲示されていた。

会津宮下駅同様、台湾からのインバウンドが圧倒的に多かった。また、ここではフィリッピンなど国旗が増えていた。

 

ちなみに、売店に金山町のゆるキャラ・かぼまるの姿はなかった。残念。


駅舎を出る。表では除雪された雪の撤去作業が行われていた。

駅周辺を歩いた後、再び駅舎に入りストーブが焚かれた待合室で待っていると、只見駅発の代行バスがやってきた。

扉が開くと、次から次へと乗客が下り、その数は30名ほどだった。

今月10日(日)から「青春18きっぷ」が利用開始となった効果だろう。そのほとんどが旅行客と思われた。

この代行バスに乗る事で“首都圏起点・日帰り普通列車一周旅”が可能となる。

 

15:35、代行バスは折り返し只見駅に向け出発。乾いた路面の国道252号線を快適に進む。

 

まもなく、一部橋脚が流失した「第五只見川橋梁」を右(北)に見る。

「第四橋梁」と同じ、下路曲弦トラス+上路プレートガーターの組み合わせだが、ダム(上田)が近いため水深があり、水鏡が期待できる。

 

本名”駅となっている郵便局前で停発車する。以後、代行バス区間は、乗客が居ようと居まいと各“駅”で必ず停車してゆく。鉄道区間の代行バスの役割を黙々とこなしている。

 

代行バスは再び国道252号線に入り、前方に東北電力㈱本名発電所と一体化した本名ダムの天端を走る。

左手(東側)に「第六只見川橋梁」を見下ろす。

この橋梁は大半が流失し、残った一部の橋脚も復旧決定を受けて撤去されていた。

この「第六橋梁」には復旧後に大きな変化が二つ待ち受ける。

①形状が開放的な上路式トラス橋から「第四橋梁」と同じような下路式トラス橋になる。
②国道の本名バイパス工事により、本名ダム天端から橋梁を見下ろす事ができなくなる。

「第六橋梁」は復旧後に一番変化する場所になる。

 

長大な本名スノーシェッドを出ると、本名バイパス工事現場付近の湯倉温泉入口に停車する。ここに駅は無いが、湯倉温泉共同浴場や旅館「鶴亀荘」があり、代行バスではバス停を設けている。

 

代行バスは“会津越川”、“会津横田”で停発車し、二本木橋で只見川を渡河した後、大塩温泉前を通り過ぎ、南南西の方向に町道のアーチ橋・四季彩橋を見ながら進んだ。

只見線の「第七只見川橋梁」はこの橋の手前(下流側)に位置している。二本木橋から上流方向に微かに見える、代行バスのルートから最も離れた橋だ。

 

会津大塩”で一人の客を降し、滝トンネルを抜け只見町に入る。

 

河井継之助記念館(冬期休館中)の前を通り過ぎ、塩沢簡易郵便局前の“会津塩沢”を出発してまもなく、“三方よし”の「第八只見川橋梁」を右(西側)に見ながら寄岩橋を渡る。

只見川に架かる最長の「第八橋梁」は不渡河橋で、“乗って・見て・撮って”よしの橋梁だ。

前方にそびえる“会津のマッターホルン”であり“只見四山”の一つ「蒲生岳」と電源開発㈱滝発電所の調整池である滝ダム湖、そこに二連トラス橋を含めた鉄路が伸びる一体感は素晴らしい。

 

会津蒲生”、叶津川橋梁の只見寄りのたもとに設置された叶津バス停でも停発車を繰り返す。

 

16:25、代行バスは終着の只見駅に到着。

 

下車し、駅周辺を歩いて様子を見る。

瀧神社に続く宮道踏切から先は除雪されていなかった。積雪は60cmほどだろうか

駅舎に入り時刻を見る。私は小出行きの最終列車(18:35発)に乗る。

時間があるため町営銭湯である「ひとっぷろ まち湯」に向かう。

 

国道252号線を横切り、国道289号線を進む。

 

除雪された歩道を進むと、軒下の雪が積み上がった場所で子ども達が大きな歓声を上げて遊んでいた。

雪を投げ合い、取っ組み合って『ギャハハ』『キャハハ』と心地よい歓声を上げ、それが町中に響いていた。

子どもはこうでなければと思わせられ、私も元気をもらった。

 

只見川に架かる常盤橋から、伊南川との合流点を見る。

雪解け水の影響か、川幅一杯に水は流れ、勢いがあった。

この合流点付近に目的地がある。


只見川沿いを歩き、駅を出発してから10分ほどで「まち湯」に到着。

三度目の訪問になる。

自動券売機に500円を入れて入浴券を購入。スタッフに券を手渡し、さっそく男湯に向かう。

脱衣所を含め、浴室も明るく清潔感にあふれていた。気持ちよく入浴できた。

正面には鉄道風景画家・松本忠氏の只見駅付近の様子を描いた「新緑に誘われて」が掛けられていた。

男性側の浴室には叶津川橋梁を渡るキハ40系が描かれた「橋上遊覧」が掲げられている。

 *参考:松本忠氏「もうひとつの時刻表」Gallery:福島県:只見線

この絵のお陰で、「まち湯」は只見線の旅人の疲れを癒すにはもってこいの入浴施設となっている。

 

1時間ほど「まち湯」に滞在し、冷たい小粒の雨が降り出した中を急ぎ足で歩いてゆく。

途中コンビニで夕食を調達し、只見駅に向かった。

 

只見駅のホームが正面に見える場所に到着。

暗闇を照らす灯りが積雪に反射し光量が増し、プラットホームに建つ駅名標が朧げに浮かび、幻想的だった。

雪が一面を覆えば、また違った景観となるだろう。

 

駅舎は雪囲いされているため、入口の照明が際立っていた。

これから向かう東京駅との対比は鮮明だろうと思う。

 

駅舎に入り、待合スペースのストーブの前に座り雨に濡れ冷えた体を温める。

 

18:25頃、列車の汽笛の音がしたためホームに通じる通路への扉を開けて小出側を眺める。

まもなく新潟支社色のキハ40系二両編成がやってきた。折り返し、小出行きの最終列車となる。

列車がホームに停車し、駅員から『乗車OK』の声を掛けられ、通路を歩き出す。

途中、すれ違った降車客は一人。しかし車内には二人の女性が残っていた。

「青春18きっぷ」の季節に多い“乗り鉄”諸氏であろうか。

 

小出側の先頭車両(キハ48系)はラッピングされた「只見縁結び列車」。

「公益財団法人福島県青少年育成・男女共生推進機構 ふくしま結婚・子育て応援センター」のホームページには、“小出 「 こい(恋)で 」 と会津 「 あい(愛)づ 」を結”ぶ列車と紹介されている。運行は今年3月までの予定となっていたが延長されているようだ。

 

ホームの端から、運休区間となっている会津若松方面を見る。

4年後にこの先から列車がやってくる。

長いようだが、只見線の集客・振興策の準備には足りない時間かもしれない。

まずは土日休日、休暇期間で全てのBOX席に一人以上の乗客が座るような乗車率が達成され、『空気を運んでいる』と揶揄されないような努力が必要だろうと思う。

 

会津若松寄りの二両目の車両に乗り込む。乗客は私一人だったが、終点の小出まで誰も乗り込む事はなかった。

 

18:35、小出行き最終列車は定刻に只見を出発。

鉄路脇の雪を車内灯で照らしながら、快調に進んで行く。国道上の街灯が只見町の市街地をわずかに照らしていた。

短いトンネルやスノーシェッドを通り、赤沢トンネル、田子倉トンネル(3,712m)を抜け、余韻沢橋梁上で田子倉ダム湖を見通せる貴重な明かり区間を走るが、漆黒の闇に包まれ湖上を見通す事はできなかった。

 

直後に田子倉駅跡を通過。スノーシェッド内にあるため、積雪は無い。

列車は福島県最後の明かり区間を駆け抜け、只見線内最長の六十里越えトンネル(6,359m)に向かってゆく。

「六十里越」は福島県と新潟県を結ぶ街道の呼称で、毎日新聞に分かりやすく説明されている。

(引用)魚沼市大白川と福島県只見町田子倉とを結ぶ約6里(約24km)の峠道。地誌「越後野志」(1815年)には「人跡絶たる大行路難の地故、一里の行程を十里に比べ、当六里の道を六十里と称す」と記されており、道のりが10倍に感じるほどの難所として、江戸時代には既に呼び名が定着していた。

 *出処:毎日新聞(2017年1月7日) 「田中角栄・光と影/5止 JR只見線・六十里越トンネル「袋小路の村」に風穴 県境越え、住民の夢実現/新潟

 

この「六十里越」には国道252号線も通っているが、降雪時期は閉鎖されていて、福島県から新潟県中越地方に抜けるには只見線が唯一の交通手段となっている。このため、只見線は廃止対象路線から除外された経緯を持つ。

国道252号線は先月20日から閉鎖されている。

 *参考:

 ・只見町観光まちづくり協会【来春まで通り抜け不可】国道252号線冬季通行止めについて

 ・福島県山口土木事務所 「国道252号線通行止め区間の現地調査」(2017年2月28日)

 

 

列車はトンネルのほぼ中央で新潟県に入り、約8分を掛けて潜り抜けた。

 

その後、末沢川の渡河を繰り返し、複数のスノーシェッドとトンネルを潜り抜けてゆく。

 

19:04、大白川に到着。一駅区間に約30分を要した。積雪量は只見駅周辺と変わらなかった。

その後、末沢川が合流した破間川に沿うように列車は快調に進む。

入広瀬上条越後須原魚沼田中越後広瀬の各駅では乗降客の姿はほとんど見られなかった。

 

破間川に架かる八つの橋を渡り、終点の一つ手前の藪神に到着。

私が昨年の12月17日に小出からの全線乗車を試みて、大雪による運休(大白川~只見間)で引き返す事になった思い出深い駅だ。

 

19:48、只見線の終点・小出に到着。ホームは融雪水で濡れていた。

只見を出発して1時間13分で到着。会津若松からは36駅、135.2km(代行バス区間は鉄道線として換算)を3時間52分の乗車時間(所要時間は6時間41分)で走破した。

 

ここから普通列車に乗換え新潟県第二位の人口を有する都市・長岡市までは約30分で着く事ができる。

只見~長岡間は1時間40分程度で只見~会津若松までの所要時間より1時間も短いが、六十里という“壁”が立ちはだかり、活発な経済・交流圏では無いという印象がある。

全線復旧後には、今後は長岡市を含めた中越地域を中心に、新潟県から只見線沿線全域への集客・交流策が実るようにしなければならないと思う。

 

 

この時間、小出から東京に向かうためには新幹線しかない。小出から2つ先(8.3km)の浦佐で乗り換える必要がある。

ちなみに、普通列車で当日中に東京に到着する事が可能な最終列車は18:32発。2011年7月末以降の運休以前は連絡がついた(会津若松発13:08~小出着17:42)。

 

階段を上り、連絡橋を渡ると只見線の時刻表があった。

4本しかなく、13時台に一本あるものの、他は通学時間帯の設定となり高校生のための路線である事が伝わるダイヤとなっている。

只見線全線の集客・振興を図るには、新潟県側の視点も欠かせない。

 *参考:新潟日報「只見線活性化のアイデア次々 魚沼でシンポ」(2016年11月16日)

 

乗換えまで時間があるため、無人の改札を抜け、駅舎を出る。

夜見るのは初めての新駅舎(2011年4月竣工)だが、明るく落ち着いている。

駅舎の出入口には一枚板の駅銘標があった。魚沼杉が使われているという。

揮毫は俳優の渡辺謙氏。地元魚沼市出身だ。

氏は小出駅から上越線沿いの南に1.5kmにある小出高校のOBというが、只見線に乗車したことがあるのだろうか。

 

駅舎に入り、待合室に入る。天井が高くガラス張りで開放的な作りで、壁には地元の児童が列車に手を振る“只見線に手を振ろう”のポスターが掲げられていた。

 *参考:Facebook「だんだんど~も只見線沿線元気会議」

 

再び改札を通り、連絡橋を渡る。上越線の上りホーム上にある待合室で列車を待つ。

 

20:30、JR新潟支社のE129系の電車が入線。

列車はすぐに出発し、次駅・八色を経て、約7分で浦佐駅に到着。ここで新幹線に乗り換える。

只見線が浦佐まで直通運転されていた実績はあるが、レールは“直結”されておらず小出駅構内でスイッチバッグを繰り返していたため、小出~浦佐間は20分以上もかかっていた。

只見線の集客・振興に新幹線駅・浦佐への直通乗入れは必要だと私は思っている。

高所得者層やインバウンドへの訴求、ツアーを組むには必要だと考えるからだ。

しかし、小出駅構内の分岐工事には多額の費用が掛かる事は間違いない。この投資が無駄にならない策と、只見線の乗車率の上昇という実績をもって、JR東日本側に提案する必要がある。全線復旧までの課題の一つで、観光列車新造と並び巨費が掛かる振興案であるが、実現に向けた取り組みを行って欲しいと願う。

 

ホームから3階にある新幹線の高架区を見上げる。

10階建のマンションを越えるであろう高さ。

 

私は階段を上り、郡山から利用した「青春18きっぷ」を提示して改札を出た。

そして、自動券売機で東京までの乗車・特急券を購入し自動改札を通り、ホームに向かう。

 

構内は通過線をもつ広々とした作り。豪雪地帯のため、全体が屋根で覆われ、雪を見る事はできない。

 

まもなく東京行きの列車が入線。

2020年度末に役目を終える二階建車両・Maxとき号(E4系)だ。

JR東日本によると来年度から順次、北陸新幹線で主に運行されているE7系に入れ替わるという。

 

20:56、とき号は定刻に出発。

 

越後湯沢で停発車した後、国内二位の長さを持つ大清水トンネル(22,221m)を抜け群馬県に入る。

列車は高速かつ快適に走り、車窓から雪はほとんど見られなくなり、高崎、大宮と視野に入る住宅の数多くなり、明るい夜の街が目の前を通り過ぎてゆく。

上野手前で地下に入り、秋葉原付近で再び地上に出て、高層ビル群が視野に飛び込んでくる。

 

22:28、定刻に東京に到着。

浦佐~東京間、約228.9kmを92分で駆け抜けた。

住宅密集地を走る大宮~東京間(30.3km)の最高速度が110km/hに制限されているため平均速度は低くなってしまうが、世界に誇る高速鉄道に変わりはない。

東京オリンピックの開催年に車両がE7系に置き換われば、快適性は一層高まり、旅の付加価値が上がると思う。

 

エスカレーターで1階に下りて新幹線改札を抜け、人込みの中を進む。

丸の内南口の改札を抜け、ホールを見上げる。

2012年10月1日に内外装ともに創建当時の姿に改修された丸の内駅舎。

完成後に一度見ているはずだったが、改めて天井を見上げると一層、華やかになっている気がした。

 *参考:

 ・東日本旅客鉄道㈱ 「Over The Century 東京駅丸の内駅舎保存復原

 ・鹿島建設㈱ 「東京駅丸の内駅舎保存・復元工事

 

駅舎を出て、新丸ビルなどのビル街を見る。

4時間前に居た、帳が降り静寂と雪に包まれた只見町との差に、感動すら覚えた。

同時に、只見川流域で生まれた電力が、戦後、日本の中心を急速に復興・発展させ、支え続けている歴史を重みを感じた。

 

丸の内北口に行き、駅舎外観を見る。

建築家・辰野金吾によって1914年(大正3年)に中央停車場として創建された当時の姿は、JPタワーの近代的な煌びやかさに負けぬ荘厳さがあり、この組み合わせに東京の歴史や文化、経済の底知れぬ力を感じさせた。

 

この丸の内駅舎前では2014年8月から広場の整備工事が進められ、約3年の月日をかけ、今月7日に全面供用された。

その「丸の内中央広場」の中央に立ち、駅舎を背に皇居方面を見る。

丸ビル、新丸ビルを巨大な“門柱”として、復元された4列のイチョウ並木に電飾が施された行幸通りがのび、和田倉門の先にある皇居の森までが見通せた。美しい。


行幸通りを皇居方面に歩いてから振り向き東京駅を見る。

今回の旅の最後を締めくくるであろうと想像していた風景。

多くの人々が言葉を交わし、活き活きと行き来する。ひっそりと静まり返った4時間前の只見駅周辺とは隔世の感がある。

この人の数、歩く活動の量が東京駅を中心とした東京圏3,600万人の力の源泉だ。

 

 

只見線は、東京圏から太く確実で持続する人の流れを創り出されなければならないと、改めて思った。

運よく、只見線は上越と東北、二つの新幹線に挟まれた好立地にある。この大動脈を活かし、集客できる素地が只見線にはある。

 

只見線沿線には、東京圏の方々の嗜好に適ったコンテンツが豊富にあると思う。

ただ、それが知られていない。また、二次交通や宿泊・休息施設のホスピタリティーの不足がありリピーターやファンを獲得できていない。

課題を解決し、東京圏の方々に只見線に乗車してもらい、感動・癒し・学びを提供することが、只見線の一部経営をすることになる福島県と、維持費を県税や市町村税で賄う福島県民に必要な事だと私は考えている。

 

今回の会津若松から只見線を全線乗車し小出、浦佐と経由し新幹線で東京へと至る旅の中で、その思いを一層強くした。(了)

 

 

 

・ ・ ・ ・ ・ 

*参考:福島県 「只見線の復旧・復興に関する取組みについて

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

・福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法

 

 

寄付金の使途は以下の通り。

・お寄せいただいた寄附金は、福島県、会津17市町村や新潟県などで 組織する「福島県JR只見線復興推進会議」で協議の上、只見線の復 旧や利活用促進のため使われます。(「只見線復旧復興基金寄附金募集」チラシより)

・ 寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、 只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 日本一と言われるロケーションだけに頼らない観光振興を推進し、 新たな観光収入の増加を図ります。 (「JR只見線企業版ふるさと納税(地方創生応援税制)の御案内」より)

 

 

よろしくお願い申し上げます。


次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっているJR只見線は、2017年6月19日に福島県とJR東日本間で「復旧基本合意書」が交わされ、2018年6月15日の復旧工事起工式を経て、2021年度中の全線再開通に向けて工事が本格化しました。ブログでは車窓の風景や沿線の見どころを伝える「乗車記」等を掲載します。

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