会津若松市「羽黒山」「背炙山」登山 2021年 晩夏

観光鉄道「山の只見線」” 沿線の「会津百名山」登山。今日は、只見駅から代行バスと列車を乗り継ぎ会津若松市入りし、東山温泉にある「羽黒山」と山頂台地に多くの電波塔などを持つ「背炙山」、2つの山に登った。

 

「羽黒山」と「背炙山」は近接していて、2つの山で「会津百名山」の第80座に挙げられている。会津若松駅から、東に4㎞程離れた東山温泉から登山を開始すると、「羽黒山」山頂を経て、一旦下り、「背炙山」に通じる遊歩道と県道に出ることができる。

「羽黒山」と「背炙山」は、「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社)では以下の見出し文で紹介されている。

背炙山 <せあぶりま> 863メートル / 羽黒山 <はぐろやま> 645メートル
背炙山の語源は、猪苗代から会津若松を往復するとき、往きは背中に朝日を浴び、帰りは夕日を浴びて越えたのでついたと言われる。羽黒山は、古くから信仰の山であり、特に正月は初詣で賑わう。[登山難易度:初級]*出処:「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社)p166


 

「羽黒山」には羽黒山湯上神社があり、本殿は東山温泉から1,225段の石段を登った先にあり、奥之院は山道を登った藪の中にある。「羽黒山」山頂は、奥之院から藪を漕いでゆくが、三角点は無く、山頂周辺が刈り払いされているわけでもなく、ただ、ナラの巨木に手書きの山名札が取り付けられているという。

 


他方「背炙山」は山頂一帯台地状になっていて、かつてはケーブルカーやスキー場などがある一大レジャースポットだった。しかし、それぞれ廃止され、現在はキャンプ場やアスレチック施設が置かれ、関白平の緑地など穏やかに時間を過ごせる市民の憩いの場となっている。さらに南北に伸びた台地状の山頂には、各テレビ局などの放送用アンテナ、そして風力発電所(会津ウィンドファーム)等、多様な施設が置かれている。*参考:会津若松観光ビューロー 会津若松観光ナビ「背あぶり山」/林野庁「会津東山自然休養林」/コスモエコパワー「会津若松ウィンドファーム


「背炙山」山頂(863m)には三角点は置かれておらず、公園内ということで刈り払いされてはいるが、山頂の特定は難しいといわれている。「背炙」の名のついた二等三角点(823m)は、山頂から直線距離で北西に1kmほど離れた警察無線中継所の側にあるという。

  

この「背炙山」は「新編會津風土記」(1809(文化6)年編纂完了)の青木組中九箇村の院内村の項に、「冬坂峠」として記述されている。会津藩初代藩主・加藤嘉明が、城下に火災があり不吉ということで、火を連想させる背“炙”を改名し、“冬”坂峠にしたようだ。*出処:新編會津風土記 巻之三十三「陸奥國會津郡之七」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第三十三巻」p111 URL:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179202)

●院内村 ○山川 ○冬坂峠
村東にあり、登ると十六町、此を越えて原組原町にゆく、路最險し、舊背炙とて白川に往く街道なり、加藤氏の時廔火災ありければ、今の名に改め瀧澤坂の道を開きしとぞ、今は徑路となる、豊臣太閤下向の時、、此峠に茶屋をかけて憩はれしと云(原町の條下を併見るべし)



他方、「羽黒山」と羽黒山湯上神社は「新編會津風土記」に次のように記載されている。 *出処:新編會津風土記 巻之三十三「陸奥國會津郡之七」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第三十三巻」p121~124 URL:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179202)

●湯本村 ○山川 ○羽黒山
村北にあり、雜木繁蔭し八九月の此に至れば滿山の紅葉殊に佳觀なり、頂に羽黒神社を勸請す
○神社 ○羽黒神社 境内東西五町二十五間南北山町五十九間免除地
羽黒山の頂上にあり、祭神は倉稻魂神なり、緣起に據に天平中行基此國に來り、紫雲のたなびくを見て此峰頂に尋ね登りしに忽ち三足の烏飛來り、叉軍陀利妙見正觀音の三尊其形をあらはしければ、行基其靈瑞に感じ三社權現を此所に勸請し、側に一字の梵刹を建て羽黒山東光寺と號く、其後法流の院字三百餘區ありて山下に連り、近里に滿つ(院内村は其遺名なりとぞ) 葦名直盛の時住持澄鑁をして國家の安寧を祈らしめ、本郡亦井村(原組)に於て百五十石の地を寄附す、天正十二年六月十三日盛隆當山にて舞樂遊覧あり、蒲生秀行の時其臣岡野信春と云者罪ありて當山に隠れかしかば、住儈其赦を請ひしにより社領を沒收せられしと云

  

 

今日の天候は、午後から崩れる予報が出ていた。「背炙山」からの眺望が良いと聞いていたので、登頂まで何とか晴れ間が続いて欲しいと思い、2つの山に挑んだ。

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)復旧工事の完了時期について」(PDF)(2020年8月26日)

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線沿線の“山”(登山/トレッキング)ー / ー只見線の夏

 

 


 

  

昨日、南会津町旧伊南村の「久川ふれあい広場キャンプ場」を拠点にした、「会津百名山」(大博多山、尾白山、唐倉山:“古町三座”)登山を終え、只見町に入り、黒谷地区にある「旅館 住吉屋」に宿泊した。

  

玄関を入ると、大きな暖簾が目の前に飛び込んできた。

 

廊下は光沢を放ち、大階段は風格があった。

 

スタッフに案内され、2階の部屋に通された。8帖の和室で、“鶺鴒(せきれい)”という部屋だった。2階は7室で、全て鳥の名前が付けられていた(燕、雀、鷺、鶯、鳩、千鳥)。また、2階の廊下にはWiFiルーターが設置されていて、自由に利用することが可能だった。

 

食事は、1階の広間に用意されるということだった。

 

同じく1階に浴室があり、浴槽は大きくジャグジー付きだった。シャワーの水圧も申し分なく、気持ちよく入浴することができた。

  

 

夕食は、18時30分頃に用意された。

 

焼肉や刺身は嬉しかったが、やはり地のモノは旨かった。イワナのホイル焼き。

 

甘辛い味噌をからめられた固めの焼き豆腐は、日本酒が欲しくなる逸品だった。

  

山菜の煮物も、絶品で忘れられない味だった。

  

 

部屋からは会津百名山「浅草岳」(1,585.4m)が見えた。

只見町に居る事を実感しながら、ゆっくりと体を休め久しぶりに布団でぐっすり眠った。 

  

 

今朝、一部雨予報があったが、部屋の窓から「浅草岳」方面を見ると、雲はかかっていたが、青空が見えていた。

  

6:23、朝食となるおにぎりを女将さんから受け取って、自転車に乗って旅館「住吉屋」を後にした。

   

国道289号線をしばらく進み、小川橋で伊南川を渡った。東側の上流方面は朝陽が空を明るくしていた。

このあとは伊南川の右岸に沿って延びる、県道360号(小林舘の川)線を只見駅に向かって進んだ。 

   

 

6:51、只見町の市街地に入り、只見川(写真の手前)と伊南川(写真の奥)が合流する地点に立ち寄った。双方の川幅や流量は同等に見えるが、ここから先は只見川として北上し、阿賀川に合流した後に西進し日本海に注いでいる。

   

7:03、只見駅に到着。始発の代行バスは、駅頭に横付けされていた。

 

自転車を輪行バッグに納め、駅舎に入り、窓口で切符を購入。会津若松までは1,680円。


そして、最近一緒になることが多い男性運転手に挨拶をして、代行バスに乗り込んだ。

7:10、会津川口行きの代行バスが、私一人を乗せて只見を出発。 

 

 

 

 

代行バスは国道252号線を進み、会津蒲生“駅”を経て、寄岩橋を渡った。会津百名山「蒲生岳」(828m)が雲に覆われていたが、只見川(滝ダム湖)と「第八只見川橋梁」が一緒に収まる風景は、水鏡(湖面鏡)と空気の冴えで見応えがあった。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス「歴史的鋼橋集覧」

  

会津塩沢“駅”を出て塩沢スノーシェッドを抜けると、ダム湖が大きく湾曲し、幻想的な景観を創り出していた。*ダム:電源開発㈱滝発電所・ダム

 

只子沢を渡り只見町から金山町に入ると、会津大塩“駅”を経て、会津横田“駅”で二人の客を乗せ、会津越川“駅”を出て、湯倉臨時バス停で高校生一人を乗せ、本名“駅”から終点に向かった。 

  

 

西谷地区の坂を上る途中で、左に目を向けると「第五只見川橋梁」が、ダム湖の冴えた水鏡に映し出されていた。*ダム:東北電力㈱上田発電所・ダム

 

 

 

 

8:00、川口高校前臨時バス停で二人の高校生を降ろした後、まもなく会津川口に到着。

 

駅前の加藤商店で買い物をし、駅舎を抜けホームに向かうと、キハE120形2両編成が静かにディーゼルエンジンを蒸かし、停まっていた。

 

ホームに立ち、「平成23年7月新潟・福島豪雨」被害で運休となっている只見方面を眺めた。まもなく復旧工事は終わるようで、来年度には11年振りに列車が走ることになる。

 

ホームには、“おかげさまで 只見線開通50周年”の幟が残されていた。国内屈指の赤字ローカル線が、真新しい二基の鉄橋が掛けられ復旧する幸運を、我々福島県民は活かさなければならないと思った。

 

  

後部車両に乗り込み、一息ついてから、旅館「住吉屋」で作ってもらったおにぎりで朝食にした。おにぎりは二つともの梅干入りで、焼き鮭ときゅうりの浅漬けがおかずとして載せられ、ヤクルトもあった。

8:41、会津若松行きの列車が会津川口を出発。客は全体で、10名ほどだった。 

 

 

 

 

まもなく、大志集落が見えてきた。ダム湖の水鏡は、ここも冴えて集落を包む山々と木々、そして青空を綺麗に映しこんでいた。*ダム:東北電力㈱上田発電所・ダム

   

 

会津中川を出発すると、「第四只見川橋梁」を渡り橋梁区間に入った。下流側を眺めた。上田ダムに近い下流域であるため、浅瀬で水紋はできやすく、次の宮下ダムの水深が得られるまでつづく。

 

 

会津水沼を出て、細越拱橋(コンクリート8連アーチ橋)を渡り金山町から三島町に入った。只見川(ダム湖)に水紋や波は見られず、水鏡になっていた。*ダム:東北電力㈱宮下発電所の宮下ダム

 

 

早戸を出て「第三只見川橋梁」を渡る。下流側を眺めた。

  

  

会津宮下を出て、大谷川橋梁を渡る。

 

 

会津西方の手前で「第二只見川橋梁」を渡る。只見川(ダム湖)の水面は、ここも冴え、美しい水鏡になっていた。*ダム:東北電力㈱柳津発電所・ダム

 

 

名入トンネルを抜け、「第一只見川橋梁」を渡る。下流側を眺めると、冴えたダム湖の水鏡に、周囲の景色がそっくり映り込んでいた。*ダム:東北電力㈱柳津発電所・ダム

 

  

会津桧原を出て、滝谷川橋梁を渡り、三島町から柳津町に入る。

 

 

郷戸を出てまもなく、“Myビューポイント”を通過。振り返ると会津百名山「飯谷山」(783m)が、田園越しによく見えた。

 

 

列車は、会津柳津を出て会津坂下町に入り、会津坂本を過ぎて七折峠越えを行う。塔寺手前で下り坂になって、列車は静かに走った。

木々の間から会津盆地の様子が見られた。雲も少なく、午後から雨予報だったが、登山中の晴れ間に期待した。

 

 

列車は七折峠越えを終え、前方に会津百名山「磐梯山」(1,816.2m)を見ながら、5日ぶりに会津盆地に入った。

 

この後列車は、会津坂下を出発すると、若宮を出て会津美里町に入った。 

 

新鶴を過ぎると、線路の両側の稲が綺麗に見えた。少し青み掛かっていたが、田圃はまもなく黄金色に染め上がる。会津の豊かさと力が、最も示される時期だ。

 

 

根岸を出て左(東)に目を向けると、これから登る「背炙山」の台地が見えた。複数の電波塔や風力発電(会津ウィンドファーム)の風車がうっすらと見えた。その「背炙山」と重なるように、会津百名山「奴田山(青木山)」(723.3m)に続く稜線もはっきりしていた。

  

列車が会津高田から東に進路を変えると、「背炙山」を「磐梯山」と一緒に見る事ができた。

 

 

会津本郷の手前で会津若松市に入り、列車は阿賀川(大川)を渡り市街地を進んでゆく。

 

 

 

 

10:32、西若松七日町を経て終点の会津若松に到着。輪行バッグを抱え、列車を下りた。

 

改札に向かう途中、連絡橋の端の窓から外を見ると、NTT背炙無線中継所などのアンテナ塔が立つ「背炙山」の手前に、「羽黒山」がうっすらと見えた。

 

 

 

  

10:55、改札を抜け、駅舎のコインロッカーに余計な荷物を預け、自転車を組み立てて出発。

 

 

 


駅から飯盛山に通じる市道を進み、慶山地区を通り抜け、県道325号(湯川大町)線に出て、東山温泉方面に進む。前方左には「羽黒山」が、こんもりとそびえていた。

 


陽射しが強く、気温も上昇し、マスクに息苦しさを感じながら自転車を進めてゆくと、温泉街が近付き、東山温泉の宿名が記された大きな看板が現れた。

 

 

 

 

 

 

温泉街入口で県道から右に入り、湯川沿いの市道に入りしばらく進む。「会津東山温泉 足湯処」の入口前に、“羽黒山湯上神社”と刻まれた石柱が立っていた。 


 

 

残念坂を上り、左に曲がりしばらく進むと、「羽黒山」湯上神社の巨大赤鳥居が現れた。

11:31、一休みし、自転車を輪行バッグに納め、鳥居に向かって一礼し「羽黒山」登山を開始。 

 

 

まもなく、参道は県道325号線を横切り、遙拝所を潜り、1,225段の石段が始まった。

 

 

 

 

石階段を少し登ると、“熊出没注意”の案内が木に括られていた。ここで、熊鈴を取り出し、身に着け、再出発した。


 

 

また、石段を登ってゆくと、「羽黒山」と記された扁額が掲げられた木製の鳥居があった。入口の巨大赤鳥居との大きすぎる違いに、苦笑いした。

 

 

この先、石段を直登する事になった。輪行バッグに納められた自転車は12kgだが、片掛けなのでバランスが悪く、体力を消耗した。休み休み登った。

 

 

石段の脇には、観音様が置かれていた。“三十三観音”ということだったが、数える気力は無かった。神社に仏像とは...神仏習合の影響は大きいと思った。

 

 

石段は、中盤までは損傷が無かったが、上に行くほど、割れや傾きが見られた。コンクリートで補修されている場所もあったが、傾いている場所の補修を早めにしないと、大雨や地震で崩れてしまうのではないかと気になった。

 

一部だったが、落石も見られた。

 

 

 

 

12:10、前方右に御堂が現れた。

御堂に参拝し、石段から傾斜が緩やかな参道を進んだ。

 

 

 

 

突き当り、左を見上げると、前方に「羽黒山」湯上神社本殿が見えた。石段を登り、進んだ。

  

  

途中、右に手水場があった。一部山行記には“水は飲めないようだ”と書かれていたが、水の残りがわずかだったので、いただくことにした。混入物の無い透明な水で、冷たく美味しかった。

 

12:19、本殿に到着。参拝し、「羽黒山」「背炙山」登山の無事と、コロナ禍の一日でも早い収束を願った。

「羽黒山」湯上神社の創建は天平年間(729~749)、僧・行基によって勧請されたのが始まりとされ、出羽三山(山形県鶴岡市)の羽黒神社とは密接な関係を持っているという。「羽黒山」湯上神社の主祭神である倉稲魂命は、“うかのみたまのみこと”と読み、稲荷神社の主祭神でもある。

  

 

 

  

「羽黒山」湯上神社奥之院と山頂への参道(登山道)は、本殿から右に延びているとされていた。巨大倒木に向かって進むと、踏み跡があった。

  

まもなく左斜面に取付き、踏み跡明瞭な登山道を直登することになった。

 

すぐに、草や倒木が登山道を覆い、一部区間、輪行バッグを抱えながらの進行は難儀した。

 

 

 

 

しばらく進むと、“T字路”になった。地図に記載の無い“遊歩道”のようだった。

  

「羽黒山」方面と思わる左に目を向けると、“遊歩道”が続いているのが判別できた。この“T字路”に輪行バッグを置き、“遊歩道”を進んだ。

 

 

少し下った“遊歩道”が再び上りになり、頂点になった場所で右側をよく見ると、踏み跡があった。「羽黒山」湯上神社奥之院から「羽黒山」山頂に続く登山道と思い、緩やかな傾斜を進んだ。

 

ブナ、ナラ、アカマツなどの混成林を進む。踏み跡は、かろうじて視認できたが、ピンクテープがあったことで安心して進む事ができた。

 

 

 

 

12:34、「羽黒山」湯上神社奥之院に到着。祠の周囲はクマザサが茂り、荘厳さが失われていた。“遊歩道”から分岐の案内板設置を含め、導入路と「奥之院」の刈り払いは必要だと思った。

「羽黒山」山頂は、事前の情報では奥之院の左に進む、とあった。クマザサの中を歩き出しよく見ると、確かに左側に踏み跡が見えた。

 

直後に短い斜面を越え、膝下まで延びる茂みを登ってゆく。

 

 

  

 

 

すると、巨木の手前に、小木の枝に付けられた赤い札があった。手に取ってみると、“境界 見出標 前橋営林局”と書かれていた。『なぜ前橋⁉』と思ったが、これが「羽黒山」山頂を示す目印ではなく残念で、さらに先に進んだ。

巨木の脇を通り過ぎ、顔の付近まで伸びた一面の藪に入ってゆく。しかし、踏み跡も無く、“山頂という人がやってくる場所がこれほどまでに荒れているか?”と思い直し、振り返った。

 

巨木を眺めると既視感があり、目の高さほどの場所にプレートが貼られていたのを認めた。

そして、巨木に近づくと、そのプレートには“羽黒山 643m”と手書きされていた。 

    

 

12:38、「羽黒山」山頂に到着した。何とも言えない、中途半端な登頂になった。三角点峰ではないので標石は無いが、山名の標杭も無く、プレートに触れ登頂を祝うのも味気ないので止めた。

12:46、“山頂感”をほとんど味わう事なく、下山した。

   

“遊歩道”に戻り、本殿からの登山道と合流するT字路着いて、置いた輪行バッグを拾った。

 

“遊歩道”は踏み跡不明瞭で藪漕ぎの急坂になるが、すぐに藪は無くなり、歩き易い空間になった。

  

尾根を越え、下りとなった所で、自転車を押して進めると判断し、輪行バッグから取り出し、組み立てた。

  

“遊歩道”が切れ落ちた右側に目を向けると、枝木の間から「背炙山」に立つNTT背炙無線中継所の巨大なアンテナ塔が見えた。

   

踏み跡が鮮明になった“遊歩道”を下ってゆくと、左の斜面に続く細い踏み跡があり、脇のスギに“← 山”と赤ペンキで書かれていた。

他の方の山行記には「羽黒山」山頂を引き返さなくても、まっすぐ進み“遊歩道”に降りられる道がある、と書いてあったが、それの事だと思った。

   

このあと“遊歩道”は、県道のアスファルトが見えると、踏み跡幅が狭くなり、藪も密集してきた。

 

 最後の下りは、自転車を押し、藪を漕ぎながら、進んだ。

  

 

12:55、県道374号(東山温泉)線に到着。通ってきた“遊歩道”に対する案内板は、何も無かった。

 

県道の脇へは、石山遊歩道が分岐していたが、テープで規制線が張られ、立ち入り禁止になっていた。理由は書いていなかったが、この後、石山遊歩道の終点で分かった。

 

 

 

 

 

 

13:00、ひと休みして、自転車にまたがり、県道を「背炙山」山頂に向かって進む。前方左には、山裾を迂回するように県道が延びている事が分かった。

日向と日陰が入れ替わる県道を進む。途中の急坂では自転車を押した。

  

  

13:26、前方にNTT背炙無線中継所のアンテナ塔が見えた。

  

そして、左の開けた場所に目を向けると、会津若松の市街地が見えた。その先、蛇行する磐越道の先には、新潟県境にある会津百名山「土埋山」(696.4m、一等三角点峰)が、うっすらと見えた。

   

 

また、少し進むと、石山遊歩道の出入口があり、ここも規制線の黄色いテープが張られ、“立入禁止 熊出没”の看板が立っていた。「羽黒山」下山時に県道合流後に見た、遊歩道侵入禁止の理由をここで知った。

 

県道は徐々に傾斜が緩やかになり、「背炙山」山頂の平場に入った。

 

 

県道から側道に入り、レストハウスに立ち寄った。自動販売機でジュースを購入し、一気に飲んだ。旨かった。

  

レストハウス内には“背炙山公園”に関する様々な資料が掲示されていた。

 

  

レストハウスを後にして、「背炙山」山頂に向かった。

 

山頂に向かう林道にはチェーンが張られ、自転車も侵入禁止ということで入口脇に置いた。ここは、キャンプ場利用者がいる場合などに都度チェーンが外され、車が通行できるという。

13:48、「背炙山」山頂に向けて、出発。 

 

 

導入路は、ナラが主な混成林の中に延びていた。

 

 5分ほどで、前方が開けた。

 

少し進むと、“背炙山スキー場”の使われなくなって久しい、全体が錆びついた第一リフトが見えた。

 

 

 

第一リフトの脇を通りスギ、左に目向けると、刈り払いされた小高い場所があり、案内板が立っていた。斜面を登り、その案内板の脇に進んだ。 

 

 

 

 

13:55、「背炙山」山頂に到着。「磐梯山」と猪苗代のの一部が見える眺望が得られた。三角点標石が無い事は分かっていたが、山名標など、山頂を示すものは何も無かった。

 

「背炙山」は台地の中にあるので、見下ろすような眺望は得られなかった。 

 

 

 

 

山頂のキャンプ場に続く道の周辺も刈り払いなど手入れされていて、気持ち良い空間だった。

 

キャンプ場付近に、猪苗代湖が見下ろせる場所があったが、湖全体が見渡せず『展望台があれば...』と思ってしまった。

  

そばには、“大展望台”が屋上に設けられた物販所の廃墟(立入禁止)があった。この建物を補強し、展望台として復活させるか、もう少し高い展望台を新設し眺望を得られれば、観光客は増えるのではないかと思った。

   

キャンプ場からは、風力発電の風車(会津ウィンドファーム)が見えた。今回は時間がなく、近くに行く事ができなかった。

 「背炙山」山頂付近を一通り見て回り、下山することにした。

 

 

 

 

 登りで通った導入路を、自転車を置いた場所まで歩いた。

 


今回の「羽黒山」「背炙山」登山も、二つの熊鈴のおかげで、熊に出くわす事はなかった。熊鈴だけで熊を遠ざけるとは思わないが、動きに合わせて勝手にリンリン、ガラガラと鳴る鈴はありがたい。

 


自転車にまたがり、坂を下る。県道に入り、すぐに自転車を停め、西に目を凝らすと会津百名山であり伊佐須美神社の山岳最終遷座地「明神ヶ岳」(1,074m)の稜線が見えた。

 

 

県道の崖下には、整備された「関白平」が広がっていた。奥州仕置で会津入りした関白・豊臣秀吉が、会津盆地を見渡せるこの場所を絶賛したという。「関白平」は綺麗で、趣きがある庭園だった。 

 

「背炙山」からは、会津盆地の美しい夜景が見られ、この「関白平」の北側の東屋付近がビューポイントだという。

「背炙山」は、ロープウェイやスキー場などがあった頃の賑わいは無いものの、立地や地形、眺望は魅力的で可能性があると思った。今回は、時間がなく、風力発電所や「関白平」などをじっくりと見る事はできなかったが、機会があればキャンプで訪れ、周辺をゆっくり散策したいと思った。

 

 

 

 

「会津百名山」88座の「羽黒山」「背炙山」登山・トレッキングを無事終えた。

「羽黒山」は1,200段超の石段と藪漕ぎ、「背炙山」は石山遊歩道閉鎖中の現在は車道登坂と山頂のレクリエーション空間、と硬軟・楽苦がセットになった2つの「会津百名山」だった。石山遊歩道が利用できるようになれば双峰の一体感が復活し、同時に登る楽しみが増すだろうと思った。

 

二つの山で、絶対実施するべきだと思ったのが、「羽黒山」神社本堂から奥乃院、山頂の登山道の刈り払いだ。

また、その他改善したほうが良いと思った点は以下の通り。

羽黒山:石段の整備(傾き、割れ箇所の補修、落石の除去)/山頂に山名標杭の設置

背炙山:山頂に山名標杭の設置/展望台の設置

 

「羽黒山」神社の参道(石段)は、特に傾き亀裂が入っている場所の点検と補修は、速やかに行われるべきだと思う。場所柄、工事は困難だと思うが、大雨や地震で完全に崩落し、長期通行止めを経て参道閉鎖にならぬようしてもらいたい。

「背炙山」への登山・ハイキングには石山遊歩道の再開は必須だ。現在は熊の出没で通行止めになっているが、定期的に人が入りメンテナンスする事か、ドローンに熊が遊歩道周辺を忌避するような行動をさせ追い払う事などを検討し、通行可能にして欲しいと思う。

 

今回は利用できなかったが、「羽黒山」「背炙山」登山後には東山温泉に浸かれるというオプションがあるので、この山は“観光鉄道「山の只見線」”の魅力的な山岳アクティビティになると、今回の山行で思った。

 

14:21、自転車を走らせ、県道374号(東山温泉)線を駆け下り、“下山”した。

 

 

 

 

九十九折の9.4㎞の道のりを19分で下りきり、東山温泉街を貫く県道325号(湯川大町)線に接続するT字路に到着した。

このT字路を右折し、会津若松駅に向かって街中を進んだ。 

 

 

14:55、会津若松駅に到着。市街地内は自転車のスピードも緩めざるを得なかったが、それでも「背炙山」から34分で駅に着く事ができた。自転車は列車旅の可能性を広げてくれる、と改めて思った。

 

この後、輪行バッグに自転車を収納し、磐越西線の列車に乗車。郡山といわきで乗り換えて、富岡に帰った。 

 

 


 

今日で、只見線を利用した「会津百名山」登山5泊6日の旅が終わった。天候に恵まれ、充実した山行になった。

 

只見線の利活用にアクティビティ(活動)の環境整備や新設は欠かせない。旅行者がアクティビティに関わる事で、滞在時間が延び地域への経済的波及効果が増し、旅の思い出や印象が深まりリピーターとなる可能性が高まるからだ。

 

観光鉄道「山の只見線」”を目指す上で、まず登山というアクティビティは分かりやすく、その入口として「会津百名山」は“会津”の知名度、“百名山”という誘客性からもってこいだと思う。

 

これから、会津の山々は色づき、紅葉の時期を迎える。この秋に何座の「会津百名山」に登られるか分からないが、只見線を利用しできるだけ多くに挑みたいと思う。 

 


(了)

 

 

・  ・  ・  ・  ・

*参考:

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日) 

・福島県 生活環境部 只見線再開準備室:「只見線の復旧・復興に関する取組みについて

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF) (2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

 

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

 

以上、宜しくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

0コメント

  • 1000 / 1000