南会津町「唐倉山」登山 2021年 晩夏

観光鉄道「山の只見線」”の「会津百名山」登山。JR只見線を利用し南会津町の「久川ふれあい広場キャンプ場」入りして5日目、最終日の今日は、(自称)“古町三座”の第三峰で、“奇岩と伝説の霊山”で伊弉諾尊・伊弉冉尊が祀られていたという、修験者の山「唐倉山」(1,175.8m)に登った。

 

「新編會津風土記」(1809(文化6)年編纂完了)の古町組上十箇村の木伏村の項に、図入りで「唐倉山」の記述が、かなりの長文で記されている。*出処:新編會津風土記 巻之四十三「陸奥國會津郡之十六 古町組上十箇村 木伏村」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第31巻」p231-232 URL:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179202)

●木伏村 ○山川
○唐倉山
村の辰巳の方三十一町餘にあり、登ること十三町計、さまでの高山ならざれども勢最嶮しく峯を傳ひてわづかに一路を通ず、其間許多の奇岩あり佳觀とす、麓より登ると八町餘に鑑岩と云あり、其左に峙つを裸岩と云、鑑岩の上一町三十間餘に石柱と稱する岩あり、方四尺計にて長四間より五六間計の石三十餘枚あり、屋材を架するに似たり、故に名けり、昔は籔も多かりしが何の頃にか地震のため其半を崩せりと云、此より上に烏帽子屏風手掛衣掛等の怪岩往々に列峙す、衣掛岩より一町餘にして頂上に至る、明神岩あり、昔唐倉明神鎭座ありし所ゆえ此名遺れり、冬日滿山雪みつれども此巓のみ風烈しく積ることなし、土人は社跡の靈なりと崇敬す、また明神岩より左右の下りに籔十の怪石一町計の間に布置し累々として相仍れり、南を日光岩と云北を月光岩と稱す、此處より北に望めば飯豊磐梯等の高山遠空に浮び、南に顧れば燧嶽駒嶽近く衆峯に秀で眺望廣し、此山東北の方入小屋村に屬す


「新編會津風土記」には、「唐倉山」内に鑑岩、裸岩、石柱、烏帽子(岩)、屏風(岩)、手掛(岩)、衣掛(岩)、明神岩、日光岩、月光岩と10個もの怪岩があると記されている。これは、他山の同様の記述で突出していて、文章の長さと合わせ「唐倉山」が当時から特別な峰であったことがうかがえる。伊弉諾尊・伊弉冉尊(イザナギ・イザナミノミコト)が祀られていたためか、参拝者や修験者がかなり多く訪れたためか、「新編會津風土記」でこれほど長い記述がされる山は多くは無い。

現在、登山道には御柱岩、屏風岩、見晴岩と名付けられた岩があるが、「新編會津風土記」内の怪岩が示すものがどれに該当するかは定かではない。唯一、“頂上に至る、明神岩あり”ということから、頂上にあるのが明神岩であることは間違いないようだ。

但し、石柱については、“蛍堂伝説”が伝わっている。*出処:南会津町観光物産協会「唐倉山」URL:https://www.kanko-aizu.com/miru/mountain/1501/

「蛍堂」伝説
昔々、数人のでいたん坊(天邪鬼)が、奇岩絶壁の黒岩山の石を使い、一夜で「蛍堂」を立てようと石柱を運んでいました。一人の怠け者のでいたん坊は、石柱運びが嫌になり、岩山の影でサボっていました。しばらくサボっていたでいたん坊が、「コケコッコー」と鶏の鳴き声を真似したところ、他のでいたん坊達は、朝が来ると思い込み、大慌てで石柱を投げ出して帰ってしまいました。山をひとまたぎして石柱を運んだ足跡と、沢山の石柱が唐倉山には残されています。 唐倉山には、鏡岩・裸岩・屏風岩などの岩場があり、64本の積み重ねられた石柱連があります。 現在は数十本の石柱を残し崩れ落ちてしまいました。


また、「新編會津風土記」の記述には、頂上からの眺望として“北に望めば飯豊磐梯等の高山遠空に浮び、南に顧れば燧嶽駒嶽近く衆峯に秀で眺望廣し”とあり、北から「飯豊山(連峰)」「磐梯山」、南から「燧嶽(燧ヶ岳)」「駒嶽(会津駒ヶ岳)」が見えるといい、4座とも「会津百名山」となっている。



「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社)には、以下の見出し文で「唐倉山」は第54座として紹介されている。

唐倉山 <からくらやま> 1176メートル
田島町から国道289号線を南郷村に向かい、駒止トンネルを抜け、急な坂を下ると左にひときわ高くそびえて見えるのが「伝説の山・信仰の山」と言われる唐倉山である。[登山難易度:中級]*出処:「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社)p86

 

南会津町は只見線沿線自治体ではない。只見線“最寄り”となる只見駅からも、伊南川を沿うと20kmほどに町境がある。南会津町は、中心地である旧田島町地域を走る会津鉄道(旧国鉄会津線)沿線との言われ方が一般的だ。 

しかし、かつて只見駅から南会津町の旧伊南村の古町まで、鉄道を敷設する計画があったことを考えると、只見線と南会津町は無縁ではない。また、只見駅と会津田島駅(会津鉄道)を結んでいるワゴン車(自然首都・只見号)を利用し、輪行と組み合わせれば、“古町三座”に無理なく登れると考えた。

 

 

今回の旅では、「久川ふれあい広場キャンプ場」を拠点に“古町三座”を踏破しようと計画し、一昨日に「大博多山」、昨日「尾白山」に登り、今日第三峰となる「唐倉山」に挑んだ。天気予報は晴れということで、登山道に続く岩場が濡れないということで安心し、「久川ふれあい広場キャンプ場」から自転車で「唐倉山」登山口に向かった。 

*参考: 

・福島県:只見線ポータルサイト

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」  

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日) 

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF) (2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線沿線の“山”(登山/トレッキング)ー / ー只見線の夏

 

 


 

 

只見線を利用し、「久川ふれあい広場キャンプ場」入りして5日目。最終日の今日も、朝から良く晴れた。

 

朝食はパンと目玉焼き、そして南郷トマト。初日(17日)に買った南郷トマトは、みずみずしさを失わず、実崩れも起こさず、変わらぬ旨さが続いていた。

 

 

 

 

8:10、準備をしてキャンプ場を出発。県道351号(大倉大橋浜野)線を北に進み、青柳集落の外れあたりで右折する。空気はひんやりとしていたが、空は雲一つ無い青空で、陽光が野を山を照らしていた。“古町三座”登頂が素晴らしい天候の下で終えられる事をありがたく思った。

 

青柳橋を渡る。伊南川の水は、今日も澄んで清らかだった。

 

 

 

 

国道401号線にぶつかり左折。只見方面に進み旧伊南村から旧南郷村木伏地区に入る。まもなく右に、先を鋭角に曲がり上る坂が見えた。

林道木伏椿平線だ。GoogleMapⓇストリートビュー(2018年6月撮影)ではスギの木立が、国道と林道を隔てていたが、すっかり伐採されていた。

 

林道木伏椿平線の入口に正対する、「唐倉山」登山口と書かれた標杭も立っていた。

 

 

林道を進むと、“不法投棄禁止”との看板があり、“南郷村”と書かれていた。

 

 

林道は八久保沢沿いを、東東南方面に緩やかに延びていた。大半の区間が木々に覆われ、直射日光を受けずに上る事ができ、体力的に助かった。

同時に、朝早く薄暗い場所を通るという事で熊鈴を身に着け、自転車を進める事にした。

 

 

途中、作業小屋が数棟あり、電気柵に囲まれた養蜂場もあった。

 

また、社もあった。自転車を下り、正礼し、登山の無事を願った。

 

 

 

 

更に上ってゆくと、大きなカーブの突端に古めかしい石碑が建ってた。“林道改修記念 大宮村”と書かれていた。大宮村は1889(明治22)年に木伏村や山口村、宮床村など8村が合併して生まれた村で、1955(昭和30)年に北接する富田村と合併し、南郷村になり、そして南会津町の誕生で消滅している。

 

ここから、少し上ってゆくと、八久保沢に大きなコンクリートの構造物があった。八久保沢堰堤(昭和57年竣工)だった。

 

 

 

 

8:47、分岐に到着。林道木伏椿平線は左に曲がり国道289号線に延びてゆくが、分岐する民有林道木伏線に入り、「唐倉山」登山口に向かった。

 

民有林道木伏線の右端には、「唐倉山」登山口を示す標杭が経っていた。まもなく林道は急坂になり、自転車を下りて押して進んだ。また、未舗装区間も一部あった。

  

途中、林道脇に軽トラが一台停まっていた。周辺に畑は無く、林業関係者か、キノコ狩りの方か分からなかった。

 

 

 

 

坂の傾斜が一段と急になり、息が切れかかった頃、前方が大きく開け、「唐倉山」と思われる山容が見られた。道端には「唐倉山」登山道の案内標杭があり、道の先をよく見ると、分岐になっていて左に鋭角に曲がる道があった。

 

先に進み振り返って見ると、平場のような場所に続く短い坂だった。この坂を上った。

 

 

 

 

 

  

9:00、「唐倉山」登山口に到着。広場は、車を50台は停められるほど広かった。登山口からは「唐倉山」の大部分が見え、昭和村の会津百名山「御前ヶ岳」登山を思い出した。 *参考:拙著「昭和村「御前ヶ岳」登山 2021年 春」(2021年5月1日)

 

登山口の脇には案内板があった。

奇岩と伝説の霊山「唐倉山」
唐倉山は、奇岩と伝説の山で古くはイザナギ・イザナミノミコトが祀られていたと伝えられ修験者や参拝者が盛んに上った霊山です。登山道は、中腹から山頂まで急峻で細い尾根づたいを通りますので危険箇所があります。

 

その裏、すこし歩くと水場があった。一部、他の方の山行記には“飲むのは止めた方がよいかも”とあったが、コップも置かれていたため、ペットボトルに注ぎ飲んだ。ほどよく冷たく、旨かった。ペットボトルに満たしてもゴミなどの浮遊物も見られず、問題ないだろうと思った。


登山の準備をする。自転車を広場の隅の木陰に置いて、“「唐倉山」は岩場が続く”とあったので軍手をズボンのポケットに入れ、いつでもはめられるようにした。

 

 

 

 

9:12、「唐倉山」登山開始。登山口には、見慣れた案内標杭が立っていた。

  

 

登山道は、しばらく、車の轍がある作業道だった。右の分岐は、下山時に出てくる場所。

 

正面に「唐倉山」を見ながら、緩やかな上り坂を進んだ。

 

 

 

 

「唐倉山」が見えなくなり、しばらくすると登山道は左に直角に曲がり、徐々に森の中に延びていった。「大博多山」「尾白山」で見かけた、白地に赤枠の道標板が、初めて出現した。

 

車の轍も無くなり、道幅は狭まり、登山道の様態になった。

 

足元は岩が転がっていはいたが、不安定というほどでもなかった。

 

ブナやナラの森を上ってゆくが、「大博多山」「尾白山」とは違い、枝木越しに薄っすらと尾根筋が見えた。

 

 

登山道は木の根が露出するようになった。

 また、ピンクテープも数多く残り、木に赤いスプレーで矢印を表示させているものもあった。踏み跡は明瞭で、ロストするようには見えないが、人が歩いたのであろうと思うと、山中一人でも、心強かった。

 

 

まもなく、前方の中心部に青空と、白い塊が見えた。よく見ると日光を受けた巨岩だった。位置からすると「屏風岩」のようだった。

このあたりで、異様な音を耳にした。風切り音ではなく、獣のの唸り声でもないような気がした。ただ、低く伸びる音で、しばらく続いた。私は熊の唸り声を聞いた事はないので、少し肝を冷やしながら、周囲を見渡し、熊鈴を鳴らし、犬の鳴き声を模し大声を上げ続けた。

 

 

 

 登山道は、さらに急な斜面が現れると左に迂回した。

 

そして、右に鋭角に曲がり「屏風岩」の下を通るようになった。

 

見上げると、青空に「屏風岩」が屹立していた。

 

 

この先、登山道には丈の短い夏草が密集した。踏み跡もすこし不明瞭になったが、土地の形状から進む方向を間違える事は無かった。

 

 

この先、左の斜面の日陰に、大きな岩が現れた。

  

「天邪鬼の足跡」と案内板がった。確かに、大きな、右足の足跡に見えなくはなかった。

 

 

 

 

この先、まもなく初めてのヒモ場になった。足元は、落ち葉の堆積のせいか柔らかく、時折、トラロープを掴みながら登る事になった。

 

「屏風岩」の案内板は、この登攀途中に、ようやく掲げられていた。

 

前方に尾根と思われる平場が見え、白い案内板が見えた。

 


 

 

9:46、「屏風岩」がある尾根に到着。

 

せっかくなので、右に延びる登山道とは反対側、1mほど高い場所にある「屏風岩」に載った。

 

なかなかの眺望が得られた。

 

 

 

  

「屏風岩」を後にして、登山道を進んだ。尾根道で、両側が幼木・低木・灌木で覆われていた。

  

 

前方が開け、複数の石柱が倒れたような岩場になった。自然なものとは思えない形状や重なり具合だった。

 

 

この先は、ヒモ場が続いた。

 

 

 

 

前方に、マツの枝越しに陽光が差す開けた場所が現れた。

 

その場に立つと、眺望が得られた。 雲一つ無い青空の下、尾瀬方面の山々が見えた。

 

 

 

  

先に進むと、尾根に大きな岩があり、その左側を歩いた。

  

登山道の左て切れ落ちているため、岩にはトラロープが這わされていた。

  

この登山道は、誰が吹き付けたか不明だが、間違いようのない場所でも木の幹に大きく矢印が記されていた。

 

 

 

 

10:02、「見晴岩」に到着。

 

その名の通り、素晴らしい眺めだった。

 

登山口の広場も全体が見えた。

 

 

 

「見晴台」を過ぎても、岩場が続いた。

一見、直進できるようでも、その先は2mほど切れ落ちていた。

 

左に進むと、こちらも切れ落ちていたが、ヒモ場になっていた。

 

 

 

 

登山道となる尾根にはアカマツが続き、巨岩も目立つことから「大博多山」「尾白山」との違いは明らかだった。

 

 

「唐倉山」と記載された案内板は、短い間隔で設置されていて、道に迷う事は無い山だという感想を持った。

 

 

 

 

 

 

尾根の両側に岩が並び、“花道”を作っている、奇妙な場所があった。

 

この先、巨岩があり、直進できるように見えたが、ピンクリボンのある場所から左を見ると、踏み跡が巨岩をそって延びていた。

 

下ると、道幅は狭く、左側はほぼ垂直に切れ落ち、灌木が疎らだった。

 

トラロープを掴みながら進み、途中で足元を見ると、吸い込まれそうだった。ここは要注意箇所だった。

 

ただ、眺望は良く、伊南川沿いの鴇巣や界など旧南郷村地域の集落越しに、会津百名山「本名御神楽」(1,266m)と「御神楽岳」(1,386.5m)が見えた。

 

 

 

 

この先も岩場が続いた。巨岩の先が鋭角になっていて、両側に降りるような場所がなかった。

 

先に進むと、巨岩の突端に鉄筋一本の足場が作られ、鎖場が続いていた。

 

慎重に進むが、景色が気になって右に目を向けると、会津百名山5座「三岩岳」(2,065.2m)と、それに連なる同15座「窓明山」(1,842.5m,右(北))・「家向山」(1,526m,手前(東))が、クッキリと綺麗に見えた。

 

 

 

 

“鋭角の岩場”を抜けると、マツの幼木の間を進むが、また、岩場になった。

 

短かったがヒモ場と鎖場の、垂直に近い急坂だった。


 

急坂を越えると、巨岩の側面を、鎖を掴みながら進んだ。

 

そして、その先に急坂がありトラロープがぶら下がっていた。

連続する岩場は、“山上のアスレチックコース”とも言える区間だった。 

 

 

 

 

そこを抜けると、痩せ尾根を進んだ。

 

23箇所目となる最後のヒモ場で、急坂を登る。

 

その後、登山道は傾斜が増し、高度を上げてゆく。

 

そして、前方に明かりが見えた。

  

  

 狭い平場になり、先を進んでゆくと、標石が目に入った。

 

 

 

 



 

 

 

 

10:27、「唐倉山」山頂に到着。登山口から1時間15分掛かった。“明神岩”には山名板が掛けられていた。

  

三等三角点標石に触れ、登頂を祝った。

 

 

北側の眺望は良く、駒止峠付近に広がる台地上の山並みが見えられた。

ただ、全体的に山頂は、枝木に遮られ、この北側からだけ、周囲の山々を見る事ができた 

 

西~北~東。

 

東~南~西。ほとんど眺望は得られなかった。

 

 

 

 

 

  

10:46、「唐倉山」山頂を後にした。周回コースということで、山頂の先に続く別ルートに入った。

     

少し下って、振り返り、山頂を見上げた。逆回りで登ると、この風景が登頂直前のものとなる。

 

 

まもなく、下山ルート初のヒモ場になる。トラロープはぶら下がっていて、垂直に降りてゆくような感覚だった。

 

案内板は、下山仕様になっていて、山頂ではなく登山口を指していた。

 

垂直に下るようなヒモ場が続いた。

 

 

 

 

下り14箇所目のヒモ場に着くと、前方に太い松があり、札が掛かっていた。

 

10:58、「下りの千年松」を通過。

  

 

下りのヒモ場には急坂直降で勢い余って滑落、とならないようガードロープが両側に貼られている箇所が複数あり、手厚かった。

 

 

 

   

再び、巨大な松が現れた。「千年松」より太かった。

 

11:05、脇を通り振り返り「下りの万年松」の札を確認。

 

 

 

 


下り23箇所目のヒモ場。

 


 

少し進むと、痩せ尾根に巨大なナラが生えていた。多幹で、見ごたえがあった。

 

瘦せ尾根は、意外なほど長く続いた。

 


木々が開けた場所から右(北)を見ると、「屏風岩」が見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

下り32箇所目のヒモ場。これが最後だった。

   

 

その先は斜面を九十九折に下ってゆく。足元は斜めで、不安定だった。慎重に足を進めた。

 

 

沢が近付くと、短い藪区間になった。やや不明瞭な踏み跡をたよりに、藪漕ぎをした。

 

藪を抜けると、登山道は斜面を緩やかに上っていた。

 

 

上りが終わると、長い下りになった。適度に体が前にもってゆかれる下りで、足元もそこそこ安定していたため、楽に進むことができた。

 

 

 

  

下りが緩やかになり、右(北)に曲がる先の全体が明るくなっていた。

 

少し進むと、階段があった。

 

下って振り返ると、しっかりと作られていた。

 

 

階段を背にすると、前には轍を持つ作業道が見えた。

 

少し進み、登りの際に通った作業道に合流。右に目を向けると、雲ひとつない青空を背景に「唐倉山」が見えた。

 

作業道を登山口に向かって進む。

 

まもなく、広場と看板が見えてきた。

 

 

 

 

11:33、「唐倉山」登山口に、無事に戻ってきた。47分で下山することができた。

  

「唐倉山」では、昨年9月に登山口付近で“くくり罠に錯誤捕獲された子熊を放獣しようとしたところ、近くにいた親熊(体長1.5m)に襲われ”ケガをしたという事故の他、目撃情報もあり心配していたが、今日も二つの熊鈴が熊を遠ざけてくれたようだ。感謝感謝。

  

「唐倉山」は、“奇岩多し”と言われている通りの山で、「大博多山」「尾白山」より低いが、楽しい山だった。登山初心者でも、岩場を慎重に進み、下山時に急降の勢いに任せる事をしなければ、安全に登山を楽しむ事ができると思った。ただし、南会津町観光協会のホームページにもある通り、雨の日や、登山道が乾いていないと思われる場合は、初心者は避けた方が良いかもしれない。特に岩場で滑ると、大滑落の危険がある。

登山道はよく整備され、案内板も十分だった。問題点を敢えて言えば、頂上の山名版の文字が褪せていた事ぐらいか。


「唐倉山」は、アスレチックコースのようなスリルが味わえ、岩場の上に立ち眺望が得られる楽しい山だ。「蒲生岳」よりも岩場登りや岩に触れる登坂が多く、際立つ特徴を持っている。“観光鉄道「山の只見線」”の山岳アクティビティとして、広く認知されて欲しいと思った。

 

  

「唐倉山」登頂で、“古町三座”を踏破した。「大博多山」「尾白山」「唐倉山」は、事前の情報でもそれぞれ大きな特徴があり、登る前から楽しみだったが、実際に登ってみて、その情報に違わぬ登山ができ、三座の違いは際立ち、“古町三座”をセットで登る事で思い出や印象は強く残ると思った。

一等三角点を持つ急坂続きの「大博多山」、古町の象徴とも言え空中散策を楽しめる「尾白山」、そして巨岩が連続する一筆書き登山が可能な「唐倉山」、と個性際立つ山が古町を中心に三座、しかもバランスよくそびえているのは、天啓だと思う。 

 

今回、新型コロナウィルスの影響か、“古町三座”登山では、登山口・登山道で誰一人とも会う事が無かった。「大博多山」と「尾白山」の山開き登山は来月に予定され、「唐倉山」は平日に登ったため、致し方ないとも思ったが、、“古町三座”のそれぞれの山の魅力を考えると、 もったいないと思った。


是非、“古町三座”はユニークな山岳アクティビティのコンテンツとして“観光鉄道「山の只見線」”の利活用策に加えて欲しい。

冒頭でも述べたように、南会津町は会津鉄道(旧国鉄会津線)沿線の町だが、旧南郷村と伊南村地域は、只見線とは「国鉄古町線」という縁があり、只見町から伊南川で“陸続き”ということで、只見線の観光振興策に加える事に支障は大きくないと思う。

 

“古町三座”が只見線の山岳アクティビティとしてに認識されるためには、やはり二次交通が大きな課題になる。現在、只見駅からは伊南川沿いに「定期ワゴン 自然首都・只見号」が走っているが、停留所はほぼ只見町内に限られ、南会津町内は県立南会津病院前と発着地の会津鉄道・会津田島駅だけだ。他方、会津田島駅からは古町地区に路線バスが走り、“古町三座”それぞれの登山道に続く林道の国道・県道沿いに停留所がある。 *参考:会津乗合自動車㈱ 山口営業所


今回私がしたように、輪行すれば現行のままでも問題無いが、広く観光客(登山客)を呼び込めない。そこで当面の解決法として、「自然首都・只見号」が旧南郷村山口地区内停車するようにして、①路線バスと連絡できるようにする、②レンタル自転車を設置する、事が考えられる。


これを実行するためには、まずは、南会津町の旧南郷村と伊南村の両地域が、只見線乗客の観光圏であることを認知させ、只見駅からの客の流れを作る事が望まれる。もちろん、会津田島駅から“古町三座”に登り、只見駅から只見線を利用するという流れもあり得る。そして、福島県が調整に入り、「自然首都・只見号」の“山口停留所”設置を実現して欲しいと思う。

 

観光鉄道「山の只見線」”の実現に向けた只見線の利活用事業は、来年度の全線再開通に向けて種を蒔いている状態だ、と私は認識している。11年振りに復旧し、只見線第二の全線開業の報道に触れる国内外の方々が、『只見線に乗って、“古町三座”に登ってみたい』と思えるような周知・環境整備事業を進めて欲しい。 


 

 

  

広場の隅に置いた自転車にまたがり、「唐倉山」登山口を後にした。 

   

林道は、未舗装区間も短く、快適に下る事ができた。

  

10分ほどで国道401号線に出た。

 

 

 

  

 国道の合流点から7分で、「久川ふれあい広場キャンプ場」に到着。

  

広場には、新たなテントが一張増えていた。陽射しは強いままで、これから行う撤収作業は、順調に進むだろうと思った。

  

一休みして、残り物で昼食を作り、食べた。「南郷トマト」、ウィンナー、卵、チーズをオリーブオイルで適当に焼いたが、旨かった。

  

 

昼食終了後、テントの撤収を開始。

フライシート、寝袋から始め、天日干しが必要なものは全て広場のベンチなどに広げ、乾いたものから段ボールに詰めていった。

  

1時間半ほどかけ、撤収作業が終了。

 

テントなどを詰め込んだ160サイズの段ボールは、着払いの伝票を貼って管理棟のベンチの上に置いた。

集荷を依頼していたヤマト運輸のトラックが、キャンプ場を出発する前にやってきて、この段ボールは無事に引き取られた。

 

 

15:00、4泊5日お世話になった「久川ふれあい広場キャンプ場」を後にした。

県道351号(大倉大橋浜野)線を北上。空には雲一つなく、天候に恵まれキャンプと“古町三座”登山を終えられた事を感謝した。 

 

 

小野島地区で、会津百名山「明神岳」(766m)を前方に見ながら鹿島橋を渡り、国道401・289号線に入り、北から西へと進路を変えた。

  

 

15:51、只見町に入る。

 

振り返って、南会津町に別れを告げた。

 

 

 

 

16:01、「定期ワゴン車 自然首都・只見号」の只見町内最初の停留所である梁取集会所前に到着。

「久川ふれあい広場キャンプ場」から約16km、1時間で到着。只見川合流点から古町付近まで、伊南川沿いは比較的平坦なので、自転車移動はそれほど負担にはならない事を、今回の旅で確認できた。

 

 

16:19、定刻から少し遅れて、只見駅行きの「定期ワゴン車 自然首都・只見号」が到着。客のいない車内に輪行バッグを抱えて乗り込むと、「只見号」はすぐに出発した。

 

 

16:36、途中、どの停留所にも止まらず、今夜の宿が近い朝日中学校前に到着。

   

 停留所から、歩いて5分もかからず、旅館「住吉屋」に到着。風情ある、建物だった。 

  

案内された2階の部屋からは、落日にうっすらと染まった空に、会津百名山「浅草岳」(1,585.4m)の稜線が綺麗に見えた。

風呂に浸かり、夕食を摂って、久しぶりに畳の上でゆったりとした夜を過ごした。

 

今日も無事に予定を終了することができた。明日は、只見駅からの始発の代行バスに乗って、列車に乗り継ぎ、会津若松市内の会津百名山「羽黒山」「背炙山」に登る予定だ。

   

  

(了)

 

 

・  ・  ・  ・  ・

*参考:

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)復旧工事の完了時期について」(PDF)(2020年8月26日)

・福島県 生活環境部 只見線再開準備室:「只見線の復旧・復興に関する取組みについて

 

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。   

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。


 

以上、よろしくお願いします。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)し、2022年10月1日(土)、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、車窓から見える風景写真を中心に掲載し、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す只見線の乗車記や「会津百名山」等の山行記、利活用事業に対する私見等を記します。

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