只見町「マトン・ラム焼肉」 2020年 盛夏

只見町で焼肉と言えば「マトン(羊肉)」を指し、ジンギスカンの煙が立ち上る風景は夏の町の風物詩、と言われている。「味付けマトンケバブ」は“只見のB級グルメの代表”となり、町の名物としてイベントなどで好評を得ている。現在、町内には5軒の「羊肉」の取り扱い店があり、それらを食べ比べたいと思い、4店舗を巡り、食した。

  

只見町の「羊肉」食文化は、JR只見線が全通するきっかけにもなった田子倉ダム・発電所建設で、全国から集まった多くの建設作業員が価格の低い「マトン」を食べ、それが町に広まり定着したと言われ、通説となっている。*電源開発㈱田子倉ダム・発電所:1953(昭和28)年11月工事着手/1959(昭和34)年3月ダム竣功・湛水、同5月発電所運転開始/1961(昭和36)年11月発電所全運用開始

 

  

しかし、、町の広報誌である「広報ただみ」では、それ以前の“下地”が三人の人物によって作られた事が示されている。一人は、獣医師で明和家畜保健衛生所(当時)の初代所長を務められた河嶋悟郎氏、二人目は酪農家の馬場兵一氏。そして三人目は、河嶋氏の後任所長として赴任された今野廣氏。このお三方と「マトン」との関わりについて「広報ただみ」を、以下に引用させていただく。

*出処:「広報ただみ」(2017年5月号、p13)  只見学「いま残しておきたい只見とっておきの話①ー只見でマトンが食べられるようになった理由(その一)ー」 只見町文化財調査委員会議長 飯塚恒夫

(引用)河嶋氏は、当時の西部地域の貧しい農業の現状を目の当たりにして、そこから将来に向かい農民たちを一歩でも踏み出させようと考えました。そこで所長時代に『畜産を発展させるためにー南会津西部地方においてー』を出版します。この本のなかで、河嶋氏は、西部地域の農民の蛋白質や脂肪の低い摂取実態を指摘し、「豚肉・羊肉の自家用屠殺による共同消費、簡易加工、貯蔵」を提案しています。・・・(中略)・・・緬羊を食べるには、食べ方を変えるだけではなく、簡単に処分できる環境の整備が必要でした。・・・(中略)・・・県から河嶋氏に屠殺検査員の併任辞令が出されました。それからは、西部地域の緬羊、山羊、豚を処分するには、河嶋氏が交付する切迫屠殺の診断書で済むようになりました。・・・(中略)・・・馬から牛への転換と、緬羊や山羊の飼育頭数を増やすという行政指導によって、昭和30年には、馬586頭、牛1,091頭、緬羊2,699頭、山羊540頭となりました。緬羊を処分して食べる環境が次第にできあがってきたのです。

 

*出処:「広報ただみ」(2017年6月号、p17)  只見学「いま残しておきたい只見とっておきの話②ー只見でマトンが食べられるようになった理由(その二)ー」 只見町文化財調査委員会議長 飯塚恒夫

(引用)只見のジンギスカンを語るのに忘れてならない人に梁取の馬場兵一氏がいます。・・・(中略)・・・戦後いち早く、県有の種緬羊の受託飼育や貸付緬羊の斡旋、ホームスパンの羊毛刈り取りなど、緬羊の飼育と普及に深く関わっていました。そして、河嶋氏の助言を受け、先進地を訪ね歩いて試行錯誤を重ね、おいしく食べる方法を研究しました。・・・(中略)・・・この当時、専用のジンギスカン鍋は高価だったので、工事現場などではスコップを裏返したり、波トタンを鍋代わりにして肉焼きをしたという話があるほどで、広く流行していたことを物語っています。兵一氏は、その後、昭和32年に馬場食肉店を開業し、平成の初めまで店を続けていました。

  

*出処:「広報ただみ」(2017年6月号、p17)  只見学「いま残しておきたい只見とっておきの話②ー只見でマトンが食べられるようになった理由(その二)ー」 只見町文化財調査委員会議長 飯塚恒夫

(引用)今野氏も、同じくジンギスカンの普及に尽力しました。この頃はまだ只見町が合併する前であり、三地区の交流も限定的だったので、マトンの普及範囲は、明和地区を中心とした時期がしばらく続いたと考えられます。今野氏は、それまでの普及方法を一歩進めて、ジンギスカンを食う会の「明和健啖会」を結成します。・・・(中略)・・・この会は、畜産振興のために農家の廃緬羊を適正価格で購入し、ジンギスカンの普及と会員の親睦に資するのが目的でした。・・・(中略)・・・「明和健啖会」の活動は、緬羊が西部地方でほとんど飼育されなくなった昭和36、7年ころに終わりました。 (筆者注)三地区・・・只見町となる前の、明和村、朝日村、只見村


河嶋氏、馬場氏、今野氏により地産地消が進められた「マトン」などの羊肉は、その後、輸入肉に移行してしまったが、合併前の明和地区に根付いていた羊肉食文化は消滅することなく、その後、取り扱う肉店が増えたことから、全町で食べられるようになり、現在に至っている。*出処:同上(「広報ただみ」(2017年6月号、p17) )

 

 

 

以上の事から、通説である“田子倉ダム建設作業員による「マトン」食文化の広まり”と、河嶋・馬場・今野の三氏の活動との関わりをまとめると、次のようになる。

1950(昭和25)年  河嶋悟郎氏、明和家畜保健衛生所の初代所長として赴任
(時期不明)   馬場兵一氏、河嶋氏の助言を受け、羊の解体方法や食べ方を研究
1952(昭和27)年頃 河嶋氏、福島市内でジンギスカン鍋に出会い、只見で羊焼肉を広める
1953(昭和28)年  田子倉発電所・ダムの建設着手
1955(昭和30)年  田子倉発電所・ダムの着工
1955(昭和30)年  河嶋氏の指導により、西部地域の羊飼育頭数増加→羊食環境の整備進む。
1956(昭和31)年  河嶋氏、任期終了。後任に今野廣氏が赴任。
(時期不明)   今野氏、「明和健啖会」を結成しジンギスカンの普及に関わる。
1957(昭和32)年  馬場氏、「馬場食肉店」を開業。/福島県の羊飼育数、減少に転ずる。
1959(昭和34)年  田子倉ダムが竣功・湛水
1961(昭和36)年  田子倉発電所の全運用開始
1962(昭和37)年頃 西部地区での羊飼育がされなくなる。/「明和健啖会」の活動終わる。

この史実を見ると、河嶋・馬場・今野の三氏の活動の中に、田子倉発電所・ダム建設がすっぽり入り、“多数の作業員の「マトン」食により、河嶋・馬場・今野の三氏の活動により育ちつつあった只見の「羊」食文化が、一気に盛り上がり定着した”と定義できると思った。

 

  

私は只見町で「味付けマトンケバブ」を数回食べただけで、焼肉(ジンギスカン)を食べる機会は無かった。今回、お盆の長期休暇で「奥会津ただみの森キャンプ場」を利用する計画を立て、同時に「マトン・ラム」を焼いて食べたいと思った。

只見町観光まちづくり協会の「マトン販売店マップ」によると、町内には5軒の「羊肉」取扱店があるが、伊藤精肉店は現在休業中との情報があったため、今回の旅では残りの4軒を巡り、「羊肉」を手に入れる事にした。*出処:只見町観光まちづくり協会「パンフレット紹介」 只見町マトン販売店マップ(PDF) 

 

「羊肉」食文化が町東部の明和地区で発展したこともあり、4軒中3軒が町の中央から東にあるため、往路はJR只見線の只見駅からツアーバスを利用。復路は、輪行した自転車に乗りながら各店舗を巡り、「奥会津ただみの森キャンプ場」に戻るという計画を立て臨んだ。 

*参考: 

・福島県:只見線ポータルサイト

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」 

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日) 

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF) (2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日) 

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線沿線の食と酒ー / ー只見線の夏

 


 


 

 

只見線を利用し只見町に入り、「奥会津ただみの森キャンプ場」でテントの設営。

バスの出発時刻が近づいてきたため、途中で止めて自転車にまたがり只見駅に移動。駅前にはワゴン車が停車していた。自転車を輪行バッグに収納し、乗り込んだ。 

最初に向かう「目黒食肉店」は、只見町中心部から約17km離れた二軒在家地区(旧明和村)にあるため、往路はツアーバスを利用することにした。

 

本数は1日2本。

ツアーバスは、只見駅と会津田島駅(南会津町)を結ぶために、2011年から運行開始されている。私は以前、「奥会津蒸留所」(米焼酎ねっか製造元)を訪れた際に利用した。その際は予約制だったが、昨年4月から予約無しに変更になり、停留所も大幅に増え、さらに只見町内一律200円という運賃に改定された。 便数は一日二往復と多くは無いが、只見線利用者の二次交通の役割も担っている。ただ、ツアーバスは福島県が補助を出している事業で、事業期間中の利用状況でいつまで続くか不明となっている。

今日は、コロナ禍の影響か、目的地までの利用者が私だけということで、厳しい状況が続くと思われるが、只見駅を降りた客が、「深沢温泉 季の郷 湯ら里」や国重文「成法寺」、「ねっか(奥会津蒸留所)」などの観光地に安心して訪問できる二次交通に育って欲しいと思った。

   


13:10、ツアーバスが出発し、国道289号線を南東に進む。 

 

車内では、運転手から只見線を区間運休に追い込んだ「平成23年7月新潟福島豪雨」の当時の様子や、近年の雪不足や今年の「只見ふるさとの雪まつり」の苦労話などを聞くことができた。 

  

 

13:34、明和振興センター入口に到着。トランクルームから輪行バッグを取り出し、運転手にお礼を伝えた後、さっそく自転車を組み立て出発した。

  

 

国道289号線を進み、梁取ロックシェッドを潜り抜けた直後に右折し、伊南川を渡った山里橋のたもとから、国重要文化財「成法寺」や「ねっか(奥会津蒸留所)」がある梁取地区が見えた。

 

 

県道351号(大倉大橋浜野)線を進むと、まもなく前方に青い看板が見えてきた。

 

13:50、明和振興センター入口バス停から10分ほどで「目黒食肉店」に到着。

先客が店から出てくるのを待ち、店内へ。食肉店らしくカウンターには豊富な肉が並べられていた。 その上には、“味付き マトン 100g 188円、ラム 100g 204円”と書かれた紙が掲げられ、私は女将に『味付きマトン200g』と注文するが、『500gからになってしまいます』と言われた。頭上をよく見ると“お盆期間中は500gからの注文をお願いします”と書かれた紙がメニューの脇に貼られていた。 私は『(味付けマトン)500gでお願いします』と伝えた。厨房では、店員がビニール袋にマトンを詰め、女将が手際よく新聞紙で包装してくれた。 

会計を済ませ、店を出ようとすると、次の客が入ってきて、味付けマトン1kgを注文していた。カウンターに並べられた肉の量などから、事前の情報通り「目黒食肉店」が地元の人気店である事が理解できた。

 

肉を保冷バッグに詰め、出発。次は、二軒のマトン焼肉取り扱いのある黒谷地区(旧朝日村)。移動距離は約10kmだが、自転車での移動は三度目となるため、気は楽だった。

  

 

途中、東北電力㈱伊南川発電所の関連施設を見る。

まずは取水堰と取水口。 

 

今朝の大雨の影響か、取水堰からは伊南川の水が勢いよく飛び出していた。

 

続いて、200mほど離れた沈砂施設。

 

水は導水管がある山側に向かい静かに流れていた。

  

移動を再開。町道を進むとまもなく、夕立のような強い雨が降り出し、ずぶぬれになって自転車をこいだ。荒島地区に着くころには雨は止み、強い陽射しが濡れた衣服を乾かし始めた。ここで、町道から伊南川を渡り国道289号線に入り、北西に向かった。

  

 

 

14:35、黒谷地区に入り、朝日郵便局の向かいにある2軒目の「よろずや」に到着。“焼肉 ラム”という看板が目立っていた。さっそく中に入ると、そこは肉屋ではなく、地域の小さなスーパーといった品揃えだった。

定員に『ラムはありますか?』と聞くと、『はい。ただ1,000円以上からです。量は500g、10分ほどかかりますが宜しいですか』ということだった。私は、ここも500gかぁ、と一瞬思ったが、構わず注文した。店員に聞くと、奥に厨房があるようで、そこで別の店員が肉を用意するという。

 

店外で待っていると、わざわざ店員が新聞紙に包装された肉を届けてくれた。 さっそく、保冷バッグに入れて、次の店に移動。

   

 

 

14:52、10分とかからず3軒目の「たつみや」に到着。一見、田舎でよくみかける店だった。ここには白地に“焼肉 マトンあります”という看板があった。

中に入ると、奥に大型の冷蔵庫があり、肉が並べられていた。女将に『マトンが欲しいんですが、量はどのくらいから注文できますか?』と聞くと、『いくらでも』と笑顔で言ってくれた。私は『じゃぁ、200gをお願いします』と伝えると、女将は店の奥に消え、2分ほどで新聞紙に包装された肉を持ちレジに戻ってきた。 

ここも500gを覚悟していただけに、「たつみや」の200gは助かった。 肉を保冷バッグに入れて、次の店のある只見町市街地に向け出発した。 

   

 

15分ほどで只見川に掛かる常盤橋を渡り、市街地に入る。

  

 

15:19、4軒目の「駅前ストア」に到着。コンビニという店構えで、何度か見かけていたが、利用するのは今日が初めてになった。この看板は大きく“只見名物 味付きマトン”と書かれていた。

店内に入り、女将に『マトンはありますか?』と尋ねると、『ありますよ』と冷蔵の陳列棚に案内された。そこにはパック詰めされた500gのマトンが並べてあり、冷凍されていた。私が思案していると、女将が奥の厨房に行き『すぐに食べるんだったら、凍っていないのがありますよ』とパック詰めされたばかりのマトンを手に持ち言ってくれた。私は礼を言い『それをいただきます』と応えた。

ここでも500gのマトンで、食べきられるだろうか、と先行きが心配になったが、女将の好意が嬉しく、不安は少し和らいだ。 

この「駅前ストア」は野菜も豊富にあり、私は玉ねぎやピーマン、南郷トマト、会津産アスパラなども併せて購入した。また、ペットボトルの水を合わせてレジに持って行ってゆくと、女将から、只見の水の旨さを伝えられた。ある東京圏からキャンプに来た家族連れが『水道の水が、冷たく美味しくびっくりした』との話を引き合いに、只見の水は山間から沢の水が直接来るから冷たくおいしいということだった。女将は『沢の水で育った米も旨いから、機会があったら食べてみて』と勧めてくれた。


「駅前ストア」を後にして、はす向かいにある酒の豊富な「只見松屋」で焼酎やビール、炭酸水などを購入し、「奥会津ただみの森キャンプ場」に戻る事にした。 

 

 

  

キャンプ場に到着し、“駆け付け一杯”のビールを呑み干し、一休みしてから、テントの仕上げをした。


その後、焼肉の準備を開始。 炭を熾し、野菜を切り、4店舗の「羊肉」の食べ比べに臨んだ。

 

一緒に呑む酒は、ビールではなく、“地酒”である米焼酎「ねっか」のソーダ割り、“ねっかハイボール”にした。瓶入りの既製品もあったが、今回は河井継之助をラベルに載せた「継ねっか」を炭酸ソーダで割る事にした。

 

口直しには、地元産の南郷トマトを用意した。

  

 

 

4店舗の「羊肉」の食べ比べを開始。購入した順番に食べる事にした。 

まずは、「目黒食肉店」の味付けマトン。

 

濃い赤の肉だった。

 

炭火の上に網を置き、焼いて食べた。肉厚が薄いため、すぐに焼きあがった。

味は 、オーソドックスなマトン肉で、只見名物「焼肉マトンケバブ」で使われている肉に近いと思った。タレはニンニクが効いていたが、私は少し用意した別のタレを付けて食べた。「目黒食肉店」ではラム肉も販売していて、それぞれタレ付き・無しも選べる。

 

 

続いて、「よろずや」のラム肉。ラム肉ということで、「目黒食肉店」とは対照的で色は白く、味が付いているか判別できなかった。 

 

焼いて食べる。肉厚は「目黒食肉店」と同等だったが、柔らかいということで、さらに直ぐに焼き上がった。

食べてみると、ラム肉というだけあって、柔らかかった。しかも、想像以上の柔らかさで、箸が止まらない感覚だった。味は付いていて、こちらも薄味だったが、柔らかいだけあって、薄味でも抵抗なく食べ進められた。

  

 

次に、「たつみや」のマトン肉200g。小さな肉の塊に、ホッとした。

 

200gということで、全部網に載せて、焼いて食べる事にした。

「目黒食肉店」より少し肉厚で、付けダレの味は少し甘めだった。マトンながら、少し柔らかい感じがした。「たつみや」ではラム肉も販売している。

  

 

最後に、「駅前ストア」のマトン肉。パック入りで、ビニール越しに肉厚であることが分かった。

 

この肉は、肉厚にカットされているということで、箸で持ち上げると重みがあり、網に載せる段階で違いがあった。脂身も目立ち、焼いてる最中に脂が炭に落ち、炎が立ち上がった。

炭火でじっくり焼き食べると、思いの外柔らかく、旨かった。味付けも十分で、そのままでも物足りなさを感じる事無く食べられた。 「駅前ストア」のマトンは、網焼きに適した肉と思われた。

 

 

 

4店舗の「羊肉」を食べ比べ、「よろづや」のラム肉と他3軒のマトン肉との違いもそうだが、それぞれにはっきりとした違いがあり、楽しむことができた。 “ねっかハイボール”こと、米焼酎「ねっか」のソーダ割りとの相性も抜群で、大満足の宴になった。

【私感】
「目黒食肉店」はスタンダードで、王道の味付けマトン肉。
「よろづや」は柔らかいラム肉で、さっぱした味付け。
「たつみや」は少し厚めにカットされ、甘めの味付け。
「駅前ストア」は、BBQでの網焼きに適した厚みのある、食べ応えのあるマトン肉。

  

只見町観光まちづくり協会の「マトン マップ」(PDF)には「目黒食肉店」「よろづや」「たつみや」で地方発送を行ってはいるものの、これら羊肉を、只見町内で焼いて食べるには「奥会津ただみの守キャンプ場」を利用するしかない。

また、キャンプ場を利用するにしても、「駅前ストア」以外は遠く、只見線利用者が他の店の羊肉を食べたいと思っても、手間が掛かる。

只見線の利用者と町名物の「羊肉」焼肉は、現状では結びつかない。「味付けマトンケバブ」も美味しいが、ジンギスカンで「羊肉」を味わってこそ観光客は只見町を強烈に印象付けし、口コミやリピートにつながってゆくのだと思う。

 

 

企画案として、只見駅前で4店舗の「羊肉」を用意して行われるジンギスカン。2013年8月の「只見駅50周年バースデイイベント」の中で伊藤精肉店を含む5店舗の“マトン・ラムの食べ比べ”が行われたが、私が考えるイベントはジンギスカンに特化したもので、四季の集客を見込める期間に行い、5年程度続け“只見町は羊肉、ジンギスカンの町”という認知を得る、というもの。

只見町に「羊肉」食文化が広まった物語(戦後の栄養不足と戦後の電力需要の高まりによる巨大ダム建設)は、特異で他地域に差別化できる。できれば、地元で飼育された「羊肉」が良いが、これは10年単位の課題とする。“只見町は羊肉、ジンギスカンの町”と周知し定着させ、只見線を利用した“ジンギスカンツアー”など、更に企画を重ねて行けば、只見線の観光利用は増えると思う。

 

もう一つの企画案として「奥会津ただみの森キャンプ場」で町内の「羊肉」を食べ比べてもらうよう、“食べ比べセット”を企画し、買い出しを代行してもらい、キャンプ場で手軽に食べられるようにするもの。只見線利用者の場合、これはありがたいサービスになる。もちろん、車やバイクの利用者にとっても、4軒巡らずとも食べ比べができるということで高い満足度が得られ、ネットでも事前注文、事前決済であれば各店舗にとってもメリットはあるだろうと思う。買い出しの代行ということで、衛生管理面でも事業者のリスクは低減されるのではないだろうか。

 

 

只見町で焼肉と言えば「羊肉」とは聞いていたが、今回町内の4軒を巡り食べる事で実感できた。「羊食」文化の成立に地域・社会的物語を持ち、各店舗に味や食味に特徴のある「マトン・ラム」が多くの人に認知され、只見線の集客や町内経済に大きく貢献することを期待したい。 

 

 

(了) 

 

  

・  ・  ・  ・  ・ 

*参考: 

・福島県 生活環境部 只見線再開準備室只見線の復旧・復興に関する取組みについて  

 

【只見線への寄付案内】 

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。 

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

  

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。


以上、よろしくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

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