吹き通る風に涼しさを感じられるようになり、JR只見線沿線の私選“只見線百山”の検証登山を再開。今日は、柳津町の二等三角点峰「湯の岳」(729.2m)に登った。
“只見線百山”は“観光鉄道「山の只見線」”のアクティビティーで、乗客増や沿線振興につながるのではないかと思い、筆者が私的に選んでいる。
“百山”としているが、「只見線沿線2市6町1村(昭和村含む)の「会津百名山」「新潟百名山」に、只見線に縁のある山々を追加し153座を候補として挙げ、今年から検証登山を行い、駅からのアクセスや、登山ルートやその状態、そして山頂などからの眺望を確認し、選定してゆきたいと考えている。
「湯の岳」は、開湯が717(養老元)年と約1,300年の歴史を持つ「会津西山温泉」を取り囲む山々の最高峰で、東北電力㈱柳津西山地熱発電所の北北西約2kmの場所にある。 *参考:拙著「柳津町「会津西山温泉」2018年 冬」(2018年12月22日)/「柳津町「柳津西山地熱発電所」2019年 紅葉」(2019年11月9日)
*上掲地図出処::国土交通省 国土地理院「地理院地図」URL: ttps://maps.gsi.go.jp/ *色別標高図
只見線の車窓から「湯の岳」は見えないが、最寄りの滝谷駅(柳津町中野地区)の名の由来ともなっている旧滝谷宿(三島町滝谷地区)にある巌谷城跡から、またダム湖により「第一只見川橋梁」の美しい景観を創り出している東北電力㈱柳津発電所・ダムの堰堤上から、それぞれ山座同定が容易な“孤立峰”として眺めることができる。
「湯の岳」は、会津藩の地誌「會津風土記」(寛文年間(1661~72) に初代会津(松平家)藩主・保科正之が山崎闇斎に命じて編修)を,第7代藩主・松平容衆が1803(享和3) 年に増補改訂させ、1809(文化6)年に編纂完了した「新編會津風土記」(全120巻)に、“湯嶽”と記された「湯の岳」の記述がある。
●湯八木澤村
府城の西に當り行程六里二十二町、家數二十八軒、東西五十間南北一町十二間、瀧谷川を夾み、山間に住す、(以下、略)
○山川 ○湯嶽
村より申の方一町三十間にあり、滿山巖石にして瀧谷川に臨めり、叉此山の西に切伏と云山あり、雜木多し、
*出処:新編會津風土記 巻之八十「陸奥國大沼郡之九」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第33巻」p95 URL: https://dl.ndl.go.jp/pid/1179220/1/50)
また、「日本山名事典 <改訂版>」(三省堂) によると、「湯の岳」は次のように記されている。
ゆのだけ 湯の岳 (高)729m
福島県河沼郡柳津町と大沼郡三島町の境。只見線会津宮下駅の南東3km。御神楽岳から伊佐須美命が博士山に移るとき、この山でしばし休んだ。この山の南東5kmにある猿倉ヶ岳に住む仙石太郎が神の前進のじゃまをしたので戦いがおこったが、伊佐須美命軍が勝利したと伝えられている。*出処:「日本山名事典 <改訂版>」(三省堂、p1074)
ちなみに、“ゆのだけ”という読みの山は全国に2座だけで、もう一方はいわき市の「湯ノ岳」(594m)だという。
今日の柳津町を含む奥会津地域の天候は、晴れ一時雨(15時頃に雷雨)。駅から登山口まで約8kmと離れているため輪行するが、往復の移動と2時間と見込んでいる登山中は何とか天候は持つだろうと考えた。登山道については、今回も参考にさせていただいた「福島登高会」HPのハイキングレポートには“道有り”と記されていたため、暑い中での夏山登山とはいえ『問題ないだろう』と思い、「湯の岳」山頂を目指した。*参考:「福島登高会」ハイキングレポート「湯の岳(猪岳)」 URL: http://www.ftk-ac.net/
*参考:
・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」 *2008年放送
・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)
・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)
・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線沿線の“山”(登山/トレッキング)ー
今朝、磐越西線の始発列車の乗るために郡山駅に向かった。駅舎上空には、雲一つない青空が広がっていた。
駅頭で自転車を輪行バッグに収納し、改札を通り1番線に停車中の列車に乗り込んだ。
5:55、会津若松行きの列車が定刻に郡山を出発。
中山峠を越えて会津地方に入っても快晴の空は変わらず、猪苗代を過ぎると「磐梯山」(1,816.2m、会津百名山18座)の山容全体が正面に良く見えた。
7:11、途中駅で多くの高校生を乗せた列車は、会津若松に到着。駅舎上空の青空は濃く、鶴ヶ城(会津若松城)の倣った赤瓦風の屋根が映えていた。
駅舎内のコンビニで買い物を済ませ、再び改札を通り、連絡橋を渡り只見線の4-5番線ホームに向かった。橋上から北に目を向けると、「磐梯山」に連なる山並みの稜線が見えた。
ホームに降りる。只見線の列車は、先頭がキハ110、後部がキハE120形の2両編成だった。
7:41、会津川口行きの列車が会津若松を出発。
七日町、西若松でそれぞれ多くの高校生を乗せた列車は大川(阿賀川)を渡った。上流には「大戸岳」(1,415.9m、同36座)の山塊が、きれいに見えた。
全ての高校生を降ろした車内は閑散とし、平日に見られる光景になった。
会津坂下を出発した列車は、七折峠に向かって登坂を開始した。
登坂途中、塔寺の手前で木々の間から会津平野を見下ろした。左端には「磐梯山」がうっすらと見えた。
“七折越え”を終え、会津坂本に停車。貨車駅舎に満面の笑みで描かれた「キハちゃん」が迎え、見送ってくれた。*参考:会津坂下町「只見線応援キャラクター誕生!!」(2015年3月13日) https://www.town.aizubange.fukushima.jp/soshiki/2/3337.html
会津坂本を出ると柳津町に入り、会津柳津をを経て、郷戸手前で“Myビューポイント”を通過。「飯谷山」(783m、同86座)は、青空を背景に山容全体を見せていた。
8:55、滝谷に到着し下車。乗降は私一人だった。
待合室の前で輪行バッグから取り出した自転車を組み立てた。今回は、登山口のある砂子原地区までが長く傾斜のある坂が大半ということもあり、ロードバイクを輪行してきた。
ロードバイクの分解・収納と組立には未だ慣れないが、折り畳み自転車より2㎏ほど軽く輪行は少し楽で、なにより車径が大きいので一漕ぎで進む距離が違い、その良さを実感している。
滝谷駅から自転車にまたがり、出発。県道32号(柳津昭和)線に入り、県道沿いにある「滝谷川橋梁ビューポイント」に立ち寄った。私が乗ってきた列車が会津宮下駅ですれ違う、小出発・会津若松行の一番列車が「滝谷川橋梁」を渡る様子を撮影するためだ。
9:24、原谷トンネルを出た列車が上路式トラス橋に載った音がしてまもなく、キハE120形2両編成が只見線内最高の桁下高をもつ「滝谷川橋梁」をゆっくりと渡った。*橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス「歴史的鋼橋検索」
「滝谷川橋梁ビューポイント」を後にし、県道32号線を下り一旦、三島町に入った。
県道の鞍部を越え、少し緩やかな坂を進むと滝谷川が横に並んだ。
さらに進むと、「滝谷風穴」前に到着。立ち寄った。
コンクリート擁壁に取り付けられた鉄筋製の階段を昇り、「滝谷風穴」小屋の左側の出入自由な体験室に入った。3度目の入室だったが、外の気温が高いせいで涼しいを通り越して寒気を感じるほど中は冷え冷えしていた。隣の貯蔵室にはワインや蕎麦(粉)などが置かれていた。
県道に戻り、自転車を進め滝谷集落に入った。かつて街道の宿駅として賑わい、現在も町割が残り、当時の面影を残していると言われている。*参考:拙著「三島町「第7回 沼田街道トレッキング」2022年 紅葉」(2022年11月5日)
「滝谷宿の繁栄と沼田街道」 *県道32号線と滝谷川の間に立つ沼田街道滝谷宿案内マップより
大沼郡滝谷組滝谷村は古くから歴史の舞台に登場し、山ノ内俊政永楽銭百貫分滝谷巌谷城の城下町として発達した中世期以来の伊北及金山谷郷の中核の地でもあった。
また、滝谷村は若松から伊南・伊北へ通じる広義の沼田街道、正しくは伊北街道沿いの要所に位置していため、早くから宿駅として繁栄した。(...以下、略)
滝谷集落の中程を過ぎると上面に岩肌の露出が多い上舘山(410m)が見えた。
滝谷集落を通り抜け、スノーシェッドに突き当り左折した。
県道32号線は、長い坂になった。急坂では自転車から降りて押すなどして進んで行くと、前方に「湯の岳」の北端が見えてきた。
9:39、再び柳津町に入った。
湯八木沢トンネル手前で登坂が終わり、抜けて自転車を快調に飛ばして湯八木沢集落を通過。
「久保田三十三観音」に向かう県道52号(会津若松三島)線の分岐を通過。*参考:拙著「柳津町「久保田三十三観音」2017年 夏」(2017年7月22日)
9:53、湯八木沢集落を抜けて、緩やかな坂を上り、西山スノーシェッドを抜けて西山大橋を渡った。途中、橋上で立ち止まり滝谷川下流側(北西)に、青空の下「湯の岳」の緩やかな稜線を眺めた。
滝谷川上流側には「会津西山温泉」郷が広がっていた。
橋上からは、手前から「下の湯」「滝の湯旅館」、「旅館中の湯」が見えた。*下掲図出処:只見川電源流域振興協議会パンフレット「奥会津の歩き方」より
そして、「会津西山温泉」郷の奥のスギ林の上には、東北電力㈱柳津西山地熱発電所の水蒸気柱が見えた。
気温の高い夏場ということもあり、水蒸気柱は小さかったが、2018年12月に見た時には太く高く立ち上っていた。
沿線が“水力発電所銀座”になっているため、この柳津西山地熱発電所は目立たないが、只見線は奥会津の豊富な自然エネルギーの恩恵を学べる鉄路でもある。
西山大橋を渡ると長い坂道を上り、中ほどで砂子原地区に入る分岐になった。
分岐を右折すると、まもなく作業道が見え再び右折した。
作業道の入口には 東北電力㈱柳津西山地熱支線(滝谷川線)の送電鉄塔配置板が立っていた。
作業道を進む。舗装道は、まもなく砂利道に変わった。
作業道はスギ林の間に延びた。
作業道を登り始めて10分ほどで、前方に開けた空間が見えた。
10:08、作業道終点となる広場に到着。思いの他広く、刈払いがされているようで下草の丈は短かった。自転車を広場の端に停めて、周囲を見て回ってから登山準備を始めた。
10:20、熊鈴を大きく鳴らし、笛を吹いてから「湯の岳」登山を開始。約2時間予定の山行中、クマに自分の存在を知らせ続けなければならないと気を引き締めた。
登山道の刈り払いされた区間は続いた。
登山道の序盤は緩やかな坂で、右にスギ林が続いた。
このスギ林は官行造林地で、前橋営林局(現 関東森林管理局)の看板が立っていた。福島県の森林は、大規模な水源涵養地として、“関東の水がめ”の一部を支えているため東北森林管理局ではないようだ。ちなみに、只見線の終点駅・小出のある新潟県も、関東森林管理局の管轄下だ。*参考:林野庁 森林整備部治山課「水を育む森林のはなし」
登山道はスギ林の中に続いた。足元にはスギの枯葉が落ち、フカフカだった。
伐採適齢期を迎えたような、太く屹立した木には見惚れてしまった。
10:29、登山道は徐々に傾斜を増し、スギ林の巨木群が終わる先から急坂の直登部になった。
ふと、足元を見ると、人の歩幅の踏み跡があった。人気を感じ、安心した。
「福島登高会」のレポートに『道は尾根に一直線についている。さらに勾配は増してくる。』とあったため、覚悟はしていたが、急坂は思った以上の傾斜だった。また、スギやナラなどは疎らで、細い幹径なため強い陽射しを浴びるようになり、汗が一気に噴き出るようになった。
この急坂にはヒモ場は設けられておらず、掴む藪も無い事から、足を滑らせたら“直滑降”という場所だった。途中、振り返ると『下山時、どうなることやら』と不安になった。
急坂は続き、陽が射す場所も広くなった。息を切らしながら、慎重に直登した。
急坂を直登しはじめてから約10分、正面にアカマツの大木が見え、登山道は少し左に曲がっていた。このアカマツの前に着いて正面を見上げると、平場に祠が立っていた。
10:42、祠に到着。何の祠かわからなかったため、台座など四辺を見るが彫り字はなかった。
この祠の先から『踏み跡があるが不明瞭』ということで、さっそく一面が藪に覆われていた。
ただ、足元に目を凝らすと、踏み跡を確認でき、そこから藪に足を踏み入れた。
祠裏の藪は思いのほか短く、すぐに踏み跡明瞭な尾根に乗り、緩やかな傾斜の“道”を進んだ。
ただ、木々は少し疎らで、風通しが良い尾根ということで、足元を見るとまだ日の浅いクマのお尻からの“落とし物”があった。急坂直登の疲れで緩んだ気を引き締め、熊鈴を大きく振り、笛を吹いて進んだ。
途中、“先人”が残したピンクリボンがあり、安心した。
流紋岩のような巨石も見られ、「湯の岳」が溶岩ドームであることも感じた。
踏み跡を探しながら進むと、段々と藪が濃くなり、倒木が行く手を阻み、徐々に踏み跡を見失うようになった。
一旦、踏み跡鮮明な場所になるが...、
再び、藪に覆われ、このあたりから踏み跡を辿るのをやめ、北方向の高みを目指すようにした。
今回、“登山道有り”と思い、標高(729.2m)も低いことから地図を持たずに登山に臨んでいた。
国土地理院「地理院地図」では、等高線が登山路となる尾根の右(東側)は切れ落ちているため、強い陽射しを頼りに尾根を登れば良いと分かる。*下図出処:国土交通省 国土地理院「地理院地図」URL: ttps://maps.gsi.go.jp/
誰もいない森林の中を、高い方高い方に、籔を掻き分けながら進んだ。
何度か尾根の肩を越え、その度に『山頂尾根はまだか...』と思った。
尾根の傾斜は徐々に緩やかになったが、激藪もあったため、息切れは続いた。油断して「湯の岳」に臨んだことを悔いた。
11:19、踏み跡が現れ、右(東側)が切れ落ちた山頂尾根に乗ったようで、先に陽射し受けた開けた場所が見えた。
『景色が見える』と期待して進むと、木枝の間から、わずかに集落の一部が見えるだけだった。下山後に調べると、ここ久保田集落で「久保田三十三観音」の入口となる場所だった。
山頂尾根に続く踏み跡は比較的明瞭で、木々が伐採されているのか、歩行空間が確保されていた。
途中、かなり古いが、細枝に巻き付けられたピンクテープもあった。こんな時、この“先人の痕跡”には勇気づけられた。
陽光が差す場所では、下草や藪が濃くなっていたが、歩行空間ははっきりしていた。藪漕ぎに辟易したが、『この先に山頂があることは間違いない』と安心して進むことができた。
歩行空間を進むと、前方に一段高くなった場所が現れた。
11:25、短い段差を越え、藪を掻き分け進むと、平場の中心に陽射しを受け白く浮びあがったものがあった。三角点標石だった。何とか「湯の岳」山頂に到着したようだった。
標石には“二等”と刻まれていた。二等三角点標石に触れ、「湯の岳」登頂を祝った。標石の周りは夏草が生い茂っていたものの、灌木などの藪は無く、人の手が入り整備されているようだった。
*「湯の岳」:二等三角点「猪嶽」
基準点コード:TR25639154401
北緯 37°27′26″.6056
東経 139°41′01″.7842
標高(m) 729.16
*出処:国土地理院地理院地図「基準点成果等閲覧サービス」URL:https://sokuseikagis1.gsi.go.jp/)
山頂の眺望は、まったく無かった。
東側、尾根が切れ落ちている側は陽射しが届き明るかったが、葉が密集しその先の景色は見えなかった。晩秋や早春の無葉期には、「明神ヶ岳」(1,074m、同61座)や「高尾嶺」(869m、同74座)の稜線が見えるかもしれないと思った。
西側は薄暗く、木々が密集していた。こちらは、無葉期でも山々の稜線は、同定できるほどには見えないかもしれないと思った。
11:33、山頂の眺望が無い事から、写真を撮った後水分補給し、さっそく下山した。
しばらくは、陽射しの強い、左(東側)が切れ落ちた尾根を進んだ。
しかし、途中倒木で道を塞がれ、藪も濃いため西側に少しずつ進路がずれてしまった。
そして、傾斜を下るにつれ違和感を感じ、GPSを見ると登ってきたルートを大きく外れていることが分かった。そこでGPSを見ながら真東に進み、登山ルートに戻った。
下山後に地理院地図を見ると、西に延びる尾根を下ってしまったようだった。低山でも、藪に囲まれたり、尾根が丸みを帯びていると道迷いの危険があることを、改めて痛感した。また、GPSも必需品だと思った。*下掲地図出処:国土交通省 国土地理院「地理院地図」URL: ttps://maps.gsi.go.jp/ *青線は筆者にて記入
12:04、祠の裏に到着。
この先は、急坂下り。前方に“仙石太郎の棲み処”との伝承がある、突き出た稜線の「猿倉が嶽」(906.9m)を見て、『滑落注意!』と気を引き締めて一歩一歩、慎重に下った。
12:17、急坂を無事に下りきり、スギ林のフカフカ道を快調に下ると、前方が開けた。
林道終点の広場を通り、自転車のある場所に向かった。
12:22、自転車の駐輪位置に戻り、振り向いて、木々の間に見える「湯の岳」の南端を眺めてから「会津西山温泉」に向けて移動を開始した。
「湯の岳」登山を無事に終えた。
祠までの急坂に驚き、祠から先の藪の濃さに難儀したが、滑落せずクマに遭遇せずに山行できたのは良かった。
「湯の岳」は、山頂やそこに至るまでの眺望はほとんどなく、中腹の祠が“謂れ”が不明で文化的背景も知れず、現状登るだけでは魅力が乏しいように感じた。
但し、後述する「会津西山温泉」を登山後に利用でき、「湯の岳」はその温泉の生んでいる砂子原カルデラの最高峰という背景、そして二等三角点峰という事を総合的に考えると“只見線百山”に入れるべき山ではないかとも思った。
「湯の岳」が登るに楽しい山になるには、①祠急坂にヒモ場の設置、②祠から山頂までの登山道設置(定期的な刈り払い)、③山頂尾根の東側斜面上の眺望創出、の3点が最低必要ではないかと思った。
また、700m台の低山である「湯の岳」が『登ってみたい山』となれば、そこに抱かれた「会津西山温泉」は歴史と情緒に、アクティビティーという観光資源を加え、誘客の大きな材料になるのではないだろうか、と考えた。
“広場”から5分ほどで、滝谷川の両側にひろがる「会津西山温泉」郷に到着。
まず、まだ入浴したことがなかった「下の湯」に、滝谷川に架かる吊り橋を渡って向かった。
入口の引き戸を開けて、中に声を掛けるが全く反応が無かった。ここは、高齢のご婦人が一人で“湯守”として切り盛りされているので、聞こえないか何か別の用事をしているのではないかと思い、「下の湯」での入浴を断念し、引き返した。
「下の湯」から近い、「滝の湯」に到着。「日本秘湯を守る会」に加盟する温泉宿で、2度目の訪問だった。
立ち寄り湯の受付をして、渡り廊下を進み、階段を下り温泉棟に向かった。
浴室の扉を開けた瞬間、新鮮な温泉の香りを全身に浴びた。感動の瞬間で、「会津西山温泉」はこの一時の幸福を味わうためだけに訪れても価値があると、改めて思った。
柳津町「滝の湯旅館」内湯の主な特徴 *脱衣所掲示「温泉分析書」より引用
・源泉名:荒湯
・泉質:含硫黄ーナトリウムー塩化物温泉(硫化水素型)
・泉温:71.0℃ (pH6.5)
ご主人から『(浴槽の)上の方が熱いと思うので、かき混ぜて入ってください』と言われた通り、確かに表面は高温で、しっかりと上下の湯をかき混ぜて入浴した。湯から上がる頃に客がやってきたが、それまで新鮮な湯を独り占めした。*上掲記事:福島民友新聞「ふくしま 湯けむり探訪」2 柳津町・西山温泉(下) (2018年4月15日)
湯上り後にロビーで汗を引かせてから、「滝の湯」を後にした。
県道32号線に入り、湯八木沢トンネルを抜け下り坂を快調に下り、滝谷集落を経て「滝谷川橋梁ビューポイント」前を通過。そして滝谷駅には向かわず直進し、県道沿いにある「中野の岩清水」で給水した。冷たく軟らかい水で旨かった。
“中野”とは、この付近が旧中野村だったため。しかし、国鉄会津線(当時)の駅は所在地にちなみ“中野駅”とはならず、当時の沼田(伊北)街道の宿駅として栄え規模が大きかった滝谷村の村長の働きにより、滝谷駅になったという。
13:40、滝谷駅に戻った。自転車を分解し、輪行バッグに収納している最中に空が一層暗くなり、雨が降り始めた。雷鳴は遠く、強い雨ではなかったが、天気予報より1時間ほど早い降り出しだった。
ホームから離れた場所に立つ待合室で雨音を聞いて待ち、列車の到着時刻が近付き外に出てホームに向かった。
すると、車輪がレールを駆る音が少しずつ大きくなり、まもなくヘッドライトを点けたキハE120形が見えた。雨は、通り雨だったようで、この頃には止み始めていた。
14:18、小出行きの列車が、滝谷を出発。この後、只見線を一本につなぎ、今日開業52年を迎えた“只見中線”に往復乗車するため、大白川(新潟県魚沼市)の向かった。→詳しくは次項「“只見中線”乗車(只見線全線開業52周年) 2023年 夏」
(了)
・ ・ ・ ・ ・
*参考:
・福島県:只見線ポータルサイト
・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)
・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業
【只見線への寄付案内】
福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。
①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金
・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/
②福島県:企業版ふるさと納税
URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html
[寄付金の使途]
(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。
以上、宜しくお願い申し上げます。
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