柳津町「久保田三十三観音」 2017年 夏

十字架を持った観音様がある柳津町の「久保田三十三観音」を見るため、JR只見線に乗り滝谷駅に向かった。

 今から約200年前に地元一軒一軒が石を刻み建立したという「久保田三十三観音」。

その中に十字架を掲げたマリア観音がある事を地元紙で知り、行きたいと思っていた。 

 

私が「三十三観音」を知ったのは、昨年9月21日付けの地元紙・福島民報の記事。

江戸時代の文政年間に、禁教であるキリスト教の象徴である十字架を持つ観音様があるということに興味を持った。

  

 

今日は滝谷駅で下車し、輪行した自転車で移動し、会津柳津駅に向かい郡山に帰る。

旅程は以下の通り。

・JR只見線の滝谷川橋梁を渡る列車を撮る

・県道32号線沿いにある「滝谷風穴」を見る

・“日本一”の東北電力(株)西山地熱発電所に行き、PR館を見学する

・県道59号線を通り「久保田三十三観音」に見に行く

・県道53号線を通り福満虚空蔵圓蔵寺の側にある「すずや食堂」で、柳津ソースかつ丼を食べる

・会津柳津駅13:23発の列車に乗り郡山に戻る


磐越西線の始発列車に乗るために郡山駅に向かう。

天気が心配だったが青空も見えた。

気温は予報通り高く、蒸し暑い。

駅前には金曜日の夜を楽しんだと思われる方々が寝入っていた。

 

自転車を畳み、輪行バッグに収納。

駅に入り、改札を抜け、1番ホームに向かい列車に乗り込む。

5:55、列車は定刻に出発。

 

土曜日ということで切符は「小さな旅ホリデーパス」を使用。

只見駅まで往復が可能で、一日中有効の¥2,670。

旅が幅が広がる、お得な切符だ。

 

郡山富田、喜久田、安子ヶ島を過ぎ、磐梯熱海に着く手前、磐梯グランドホテル跡地で進められている「熱海町駅前市有地整備事業」の一部、フットボールセンターはピッチを囲むネット用の支柱が立てられ、それらしくなってきていた。

 

スイッチバッグの引き込み線にあった旧中山宿駅跡を眼下に見て、中山宿に到着。

発車直後に中山トンネルと抜け、峠の沼上トンネルを抜け郡山市から会津地方に入る。

 

川桁手前で右手(北側)に磐梯山が見え、猪苗代を過ぎると両裾が綺麗に見えた。

猪苗代では登山者の下車もあり、天候が持ちこたえ、頂上から眼下に広がる絶景を楽しんでもらいたいと願った。

 

7:09、定刻に会津若松駅に到着。

 

改札を抜け、駅外観を眺める。

赤瓦風の屋根は、味わいがある。

上空には青空も見え、午前中は何とか持つだろうと思った。

 

再び、改札を通り只見線のホームに向かう。

今日は土曜日。『四季島は?』と思ったが、2番線の電光掲示板に表示が無かった。 

“夏のコース”に変わって、会津若松には来ないようだ。

 

4番線に停車中の列車に乗り込む。

土曜日ではあるが、高校生以外の利用者は少なかった。残念に思う。

 

7:37、只見線の列車は定刻に出発。

七日町西若松と過ぎ、阿賀川(大川)を渡る。

水は少し濁っていたが、先日17日から18日にかけての豪雨の名残りは見あたらなかった。

 

会津本郷を経て、会津高田から北に進路を取る。

根岸新鶴若宮と駆け抜ける列車の両側、会津盆地に広がる緑稲の絨毯は、丈が伸び葉先がかすかに揺らいでいた。

会津坂下を過ぎ、列車は重いディーゼル音を轟かせながら七折峠に向かって行く。

車内の様子。

会津坂下で一気に閑散とし、塔寺を経て、会津坂本で一人の乗客を降ろすと、私を含め二人となってしまった

 

帰りに利用する会津柳津を過ぎ、私の好きな車窓の風景が現れる。

 

8:59、列車は滝谷に到着。

初めて降りる駅。

手前の郷戸と同じく“会津”が冠むらない。先に存在していた上越線の「越後滝谷」駅(1925(大正14)年に駅名改称)がなぜ“越後”を付けているのか気になる。

 

駅は、1971(昭和46)年まで貨物取扱いをしていただけに3線3ホームの堂々とした敷地を持つ。

しかし、使われているのは1線1ホーム。

 

昔は木造の駅舎だったというが、現在は建替えられている。

内部には木造のベンチが置かれていた。

この駅は春に桜に包まれる。

 

ここからは自転車で移動。

輪行バッグから折り畳まれた自転車を取り出し、組み立てる。

4ステップ、3分もかからず完成する。

 

周辺を散策してから出発。只見線の滝谷川橋梁が見える場所に移動する。

 

事前にネットで調べておいた林道に行き1kmほど進むが、道路から見える場所が1箇所しかなく、しかもわずかだった。

県道32号(柳津昭和)線に戻り、郷戸スノーシェッドの手前の撮影ポイントに移動。

ここで振り返ると、やや下から見上げるのが気になるが、滝谷川橋梁が正面に見える。

ガードレールの間から入り正面を見ると、橋桁以外に人工物が見えない絵になる。

全長155m、ワーレントラスとプレートガーターの上路式。

会津若松から出発した場合、“只見川 八橋”の露払いをすることになる橋梁だが、只見線内随一の渓谷美と鉄橋の組み合わせとなっている。

 

間もなく、この橋梁を列車が通る。

私が乗ってきた列車が3つ目の会津宮下ですれ違う会津若松行きだ。

 

9:22、鉄橋の上を通る乾いた金属音が谷にこだます。

カメラを構えシャッターに指をかけるが、ワーレントラス橋の中央に到達する前に押してしまう。

慌てて取り直すが、間に合わなかった。

また、次回紅葉の時にでも撮影したいと思い直して、県道32号線を進む。

 

間もなく、三島町に入る。

滝谷川がすぐ脇に見え始め、梅雨の合間の晴れ間の元、気持ちよく自転車を進めた。

間もなく、左前方に小さな看板が現れ、次の目的地である「滝谷風穴」に到着。

道路から2mほど内に入った上部、しかも錆びついた防護フェンスが人の出入りを拒むように屹立している。

注意しないと見落としてしまうだろう。

防護フェンスが、あまり見かけない形で内側に折れていて、人が入れる隙間を作っているが、看板が無ければここが何かは分からない。

私は地元紙の17日の記事で事前に現場の様子を知ってはいたが、この様子を見て『本当にここで良いのだろうか?』と少し不安になった。 *記事出処:福島民報 2017年7月17日付け紙面

防護フェンスの内側にある小屋を見るため、こころもとない鉄筋の“階段”を登ろうと近づくと力強い冷風が全身を包んだ。

小屋の前に立ち、この冷風の出どころを追うと、小屋の中からだった。

扉の上部が網になっていて、手をかざすと“冷たい!”と思う程の冷風があった。

先月、偶然に知った新遠路(ニトウジ)風穴(金山町)の風量とは比べ物にならない。

 

内部を覗くと、曇りガラスの向こうに、棚が設えられて蕎麦や米の半俵袋、味噌甕などが並べられているのが見えた。

前掲した記事には『...風穴小屋を利用し、玄米やみそ、日本酒、焼酎などを保存し、味の変化を調べる』という。

来年度に小屋を建替え、“風穴そば”などの特産物を生み出す計画で、この自然の稀有な冷風が何をもたらすか今後が楽しみだ。

 

この“風穴小屋”を背にすると滝谷川が見え、ロケーションも悪くはない。

落石や冬期の雪崩が心配なければ、“風穴小屋”のような保管庫にとどまらず、人が集えるような施設の設置もおもしろいと思う。

 *参考:三島町観光協会 「風穴体験と史跡見学モニターツアー開催

 

自転車にまたがり、先を進む。

次の目的地は、柳津町にある“日本一”の「柳津西山地熱発電所」。

 

まもなく、滝谷集落の中を通り抜ける。

滝谷川の清流沿いに広がる、小さな集落だ。

 

集落を抜け、県道366号線と接続するT字路が見えると、眼前には“要塞”を思わせる光景が。 

滝谷スノーシェッドの上部、T字部分にコンクリートの擁壁などの構造物がそびえる。

落雪と雪崩対策だとは思うが、それぞれどのような役割があるのか知りたい。

 

スノーシェッドを抜けると、左手の滝谷川がほぼ直角に曲がる場所の上流側にもユニークなコンクリートの構造物が見えた。

砂防用だと思うが、初めて見る河川内の躯体だ。

 

県道は急な坂で、自転車をしばらく押して進む。 

上りきって下り、次の緩やかな上り坂で再び柳津町に入る。

この坂の頂にある湯八木沢トンネル(279m)と両端につけられた湯八木沢スノーシェルターを潜り抜ける。

坂を下ると湯八木沢地区に入る。

県道に架かる新湯八木沢橋から滝谷川の渓谷を見る。

右手(北側)の緑に包まれた「湯の岳」(729m)沿いの流れが綺麗だった。

 

橋を通り過ぎた先にあった案内板には“柳津西山地熱発電所3.7km”とあった。

今日の最終目的地「久保田三十三観音」へも3.7km。

地熱発電所を見終えた後、引き返してきて、ここを左折することになる。

 

ここからまた坂を登り、西山スノーシェッドを通り抜けると、「西山温泉郷」への分岐となるT字路にさしかかる。  

この先を直進すると西山大橋を渡るが、その眼下には西山温泉郷が広がっていた。

引き返し、T字路を左折し町道に入る。

西山温泉郷に向って下り、温泉街から外れ、再び坂を上る。

陽射しが強く、時折自転車から降りて押しながら進む。

すると間もなく「西山温泉 山村公園 せいざん荘」が現れた。 

当初はここで日帰り温泉を楽しもうと思ったが、今日は会津柳津駅13:23発の列車に乗らなければならないため、今回は場所を確認するだけにして通り過ぎた。

 

また、坂を下り、上ると右手に広い駐車場と事務所が現れた。

門壁には「奥会津地熱株式会社 西山事業所」という銘板。

 

調べてみると、これから行く「柳津西山地熱発電所」に蒸気を売る会社で、三井金属鉱業の100%子会社だ。

 

奥会津地熱㈱の資料には東北電力(柳津西山地熱発電所)との役割分担が分かりやすく載っていて、奥会津地熱㈱は蒸気採取と(熱)水の地中への還元、東北電力㈱は発送電と復水の冷却を担っているという。

 *出処:東北大学大学院環境科学研究科震災フォーラム講演 (2011年7月7日)

     奥会津地熱㈱ 安達正畝氏

     「柳津西山地熱発電所への 地熱蒸気供給の概要と 今後の展望

 

発電用タービンを回す蒸気を別会社から供給を受けてるという事実に驚いた。

 

さらに森の中の緩やかな登り坂を進む。

ペイントがはがれた“地熱発電 あと1km”の看板が見えた。

道が下りになって前方に、何やら管が見えた。

事前にGoogle Earth®を見て地熱発電所の周辺に配管があるとは知っていたが、異様な光景だった。

さらに進むと、直角の管が現れた。

 

しばらく進んで、管を見ると“蒸気”とあった。

地熱発電所の施設だが、一般人が立ち入れられる場所に発電関連施設が“むき出し”で設置されていることに驚いた。

 

猿倉沢に架かる千石橋から右前方を見上げると、赤茶の構造物の一部が見えた。

地熱発電所は近いと思い、最後の上り坂を必死に登り、やっと正門前にたどりついた。

 

10:14、只見線の滝谷川橋梁の“ビューポイント”から8.2kmを52分かけて、「東北電力㈱柳津西山地熱発電所」に到着した。

無料開放しているPR館があるためか、ゲートは無く、守衛の姿もなかった。

 

「東北電力㈱柳津西山地熱発電所」は発電用のタービンを一つしかもたない単基ユニットで、これが“日本一”の出力を持つ。

地熱発電所の出力日本一は、2号機を持つ「九州電力㈱八丁原発電所」となっている。

 *参考:日本地熱協会 「日本の地熱発電所

  

構内に入って、巨大な構造物を見上げる。

冷却塔だ。

 

さらに進み、駐車場の隅に自転車を停める。

8月末までの予定で発電所はメンテナンス工事中で、大きなクレーン車が設置され、動いていた。

停止中であるめ、冷却塔から吐き出される蒸気を見る事は出来ない。

 

PR館に向かう。

さっそく中に入り女性スタッフと挨拶を交わし、内部を見学する。

 

冷却塔から勢いよく噴き出す蒸気の様子が分かる写真が掲示されていた。

展示物で目を引いたのは「曲げ掘り用掘削機器」。

トリコンビットを持つ先端部。

これが1,560~2,699mの深度まで掘削したということか。

 

続いて、柳津西山地熱発電所の生産井と還元井の位置と、深度を示した模型(奥会津地熱㈱作成)。

地上のサイト(生産井や還元井)、地中の断層や等熱線などが細かく表現されている。

「柳津西山地熱発電所」の関係範囲の広さと深さを実感でき、地熱発電が多くの技術の上に成り立っている事を痛感した。

この様子を、Google Earth®で確認するとよく分かる。

 

10分ほどで見学を終え、PR館を後にする。 

 少し周辺を眺めてみる。

構内の人工池の向こうに、銀色の配管が見えた。

生産井(P1基地)から送られてくる蒸気の導入管だと思われる。

発送電設備や冷却塔の存在感に圧倒され、この場所が発電所の全てと勘違いしそうだが、「柳津西山地熱発電所」はそれだけではない広い範囲で地中熱を抱えた大地とやり取りをしている事を実感した。

  

構外に出て、外周を回る。

送電設備。ここから大地のエネルギーが電気として送り出されている。

 

 

「柳津西山地熱発電所」を後にする。

 

急な坂を一気に下り、滝谷川に架かる神の湯橋を渡り、一転、急な坂道を上る。

途中からは息が切れて、自転車を押す。 

 

約10分で「柳津西山地熱発電所」の“対岸”にある砂子原地区に着く。

振り返ると、発電所の一部が見えた。

冷却塔も見えるため、この辺りの住人は地上に勢いよく吹き上げる蒸気を日ごろから見ているのだろうと考える。

県道32号線に入り案内板を見る。

「柳津西山地熱発電所2.7km」と書かれている。

自転車ならば、私が通ってきた西山大橋の手前を左折した方が良い。

この砂子原地区から行く場合、滝谷川の“谷間”の急な坂を下り上る事になるからだ。

 

ここから県道32号線を一旦引き返し、「久保田三十三観音」に向かう。

西山大橋までは長い下り坂が続いた。

「久保田三十三観音」に向かう県道59号線への分岐に到着。

久保田地区には棚田もあり、“久保田観音たっしゃ村”と称してグリーンツーリズムを推進しているという。

久保田地区まで3kmほど。

県道59号(会津若松三島)線をひたすら進む。

左(北側)に山、右に東川の流れを時折見ながら、細い道を進む。

途中、“かむろば村”の案内板が現れた。

久保田地区をはじめ、柳津町は2015(平成27)年4月に公開された映画『ジヌよさらば ~かむろば村へ~』のメインロケ地となっていた。

 *参考:柳津町役場 地域振興課観光商工班 「やないづ観光 Navi」

     映画「ジヌよさらば」特集

 

しばらく進むと採石場のような場所が現れた。

「採石採取標識」を読むと、「柳津西山地熱発電所」の稼働に関わっている三井金属鉱業がパーライト(真珠石)を5,720㎥、来年11月までの予定で採取するようだ。

 

この付近の道路は整備されていた。運搬車が待機できるよう車幅も広げられていた。

採石には必要だと思うものの、あまりの立派さ違和感を感じたが、それだけのリターン(税収)があるために事業(企業)を誘致し、道路を整備したのだろうと納得した。

 

先を目指し県道を進む。

久保田地区に向かって、途中から下り坂があると思ったが、それは違った。

延々と上り坂が続く。

途中、自転車を押し、高温と陽射しに喘ぎながら進む。

小径の折り畳み自転車では、キツイだらだら続く坂道だ。

 

県道32号線の分岐から、約20分。

ようやく久保田地区に入る事ができた。

山中、傾斜に家屋が点在する集落だった。

 

空を見ると、いつの間にか雨雲が広がりつつあった。

 

“かむろば村へようこそ”の看板が出迎える。

「久保田三十三観音」の案内板はまだ見当たらなかった。

 

少し先に進むと、ようやく「三十三観音」への道順を示す看板が現れた。

県道から右に折れ、入ってゆく。

すぐに次の案内板が。

次の案内板は、消火栓の後ろに設置されていた。

“0.5km先”とある。

ここを左に折れ、坂を上ってゆく。

この道はGoogleMap®にも国土地理院地図にも記載が無い。

不安になる。

 

左(西側)に棚田を見ながら緩やかな坂道を進む。

不安を抱えながらさらに進むと、前方に二つの看板らしき物が見えた。

 

11:15、今日のメインの目的地である「久保田三十三観音」の入口に到着。

鬱蒼と茂った森の中にあるとは想像しておらず、この光景に驚く。

「柳津西山地熱発電所」を後にしてから6.8km、山道を自転車で進み約45分で到着した。

ほぼ予定通りだが、疲れた。

 

「久保田三十三観音」の案内板を読む。

冒頭に引用した記事にある“女性守る願い込め”参拝されてきた「三十三観音」は『妊婦の安産祈願の観音として深く信仰されている』とあった。

『中には十字架をもつ観音もあり隠れキリシタン信仰の関わりも考えられる』と“マリア観音”様の記述も見られた。

 

さっそく、「三十三観音」巡りをする。

この先の急峻な山裾に、三十三体もの観音様が、巡回できる230m程の空間にどのように祀られているのか、期待が膨らむ。

熊鈴は持ってこなかったが、地元の人から『(昼間にクマを見たという話は)聞いた事がねぇ』と言われた為、安心して山に入っていった。

 

すぐに目の前に急な手作りの階段が現れた。

 

事前の情報が乏しく、“まわり観音”と言われるくらいだから平地にあるのだろうと思っていたが、この階段の傾斜に唖然としてしまった。

気を入れ直し上る。

 

3分程で坂の途上にある一体目に到着。

「久保田三十三観音」の最初の一体は仏像と並ぶ如意輪観音(累計1体)。

 

これからは2~7m毎に観音様が並んでいた。

 

二体目、十一面観音(累計1体)。

三体目、如意輪観音(2)。

四体目、千手観音(累計1体)。

周囲を見渡すと、鬱蒼と茂った木々に囲まれていた。

ここからは階段を上り、少し歩く。

五体目から三十三体目まで“輪”となり参拝コースとなっている場所に向かう。

五体目に到着。

千手観音(2)だ。

ここから山の中をぐるっと回ることになる。

 

六体目、千手観音(3)。

顔面から上半身にかけて欠け落ち、隣りの仏像も頭部が無かった。

設置されてから200年の時の流れを思う。

 

七体目、お目当ての「マリア観音」が見えてきた。

石柱にも“第七番 マリア観音”と刻まれていた。

十字架が際立っている。

どんな思いで、どのような背景がありこの石造が彫られたか。

 

裏には作者の名、“佐藤宗五”と刻まれていた。

手を合わせ深く首を垂れる。

 

 

八体目、十一面観音(2)。

少し坂を上る。

九体目、馬頭観音(累計1体)。

十体目、千手観音(4)。

十一体目、聖観音(累計1体)。

十二体目、千手観音(5)。

十三体目、聖観音(2)。

十四体目、如意輪観音(3)。

十五体目、聖観音(3)。

十六体目、千手観音(6)。

十七体目、聖観音(4)。

十八体目、如意輪観音(4)。

この先は、山の中とは思えないほどの平坦な参道が続く。

幅6mほどが除草などで手入れされていて、地元・久保田地区の方々がこの観音様を大事にしていると感じた。

また文政元(1818)年から200年にわたり、山の中にこの景観が守られてきた事を考えると、文化的価値が相当高いと思った。

 

十九体目、千手観音(7)。

二十体目、千手観音(8)。

二十一体目、聖観音(5)。

二十二体目、千手観音(9)。

二十三体目、千手観音(10)。

二十四体目、聖観音(6)。

苔むし、ゆるやかに湾曲した参道に点在する観音様。素晴らしい光景だと思った。

 

二十五体目、十一面観音(3)。

二十六体目、千手観音(11)。

二十七体目、如意輪観音(5)。

二十八体目、聖観音(7)。

二十九体目、馬頭観音(2)。

三十体目、千手観音(12)。

三十一体目、聖観音(8)。

苔が侵食しつつある。この観音様だけ際立っていた。

 

三十二体目、十一面観音(4)。

三十三体目、聖観音(9)。

参道を振り返る。

この場所が、どのように切り拓かれたのか興味がわく。

 

これで、「三十三観音」の参拝が終わった。  

入口の案内板には

『聖観音11体、千手観音12体、如意輪観音5体、十一面観音3体、馬頭観音2体の石仏群が安置』

と書かれていた事を思い出した。

 

現場には十一面観音が4体あった。

マリア観音は、おそらく聖観音として数えられているとしても10体だった。

そう考えると案内板は

『聖観音9体、千手観音12体、如意輪観音5体、十一面観音4体、馬頭観音2体、マリア観音1体の石仏群が安置』

と改めたほうが良いだろう。

 

最後に“番外”の縁結観音。

 

時間が無いため、駆け足で一回りし、10分で参拝を終えた。

 

この「三十三観音」の位置は、只見川電源流域振興協議会が運営するホームぺージ「奥会津 -歳時記の郷-」にあるパンフレットに詳しい。

 

急な階段をゆっくりと降りる。

 

入口には「日本遺産」の看板も併設されている。

 

この「久保田三十三観音」を含む会津地方の各地にある“三十三観音”が2016(平成28)年4月に「会津の三十三観音めぐり ~巡礼委を通して観た往時の会津の文化」として日本遺産に登録された。

地元紙・福島民報は一面で“県内初の日本遺産”として報じていた(2016年4月26日付け)。

 

構成文化財は54あり、「久保田三十三観音」は48番目に上げられている。

 

なぜ会津の三十三観音が日本遺産に?、なぜ三十三?、などの疑問は日本遺産ポータルサイトにある“申請書”に詳しい。

 

*出処:文化庁 日本遺産 ポータルサイト 「会津の三十三観音めぐり」 詳細PDF

(前略) 東北地方で唯一古事記にその名を残す会津は、四周を深い山々に囲まれた辺境の地でありながらも、日本海側と太平洋側からの文化が出会う場所として、また東北地方への入り口として、地政学的な要衝であった。古墳時代にはすでに中央国家との交流があったことから、仏教伝来と同時期に開かれたという高寺伝承に見られるように、会津は仏教文化の 流入も早かった。 (中略) 会津へ伝わった仏教は、平安初期、奈良の東大寺や興福寺で学んだ僧・徳一が、山の神、磐梯明神を守護神として会津磐梯山の麓に開いた慧日寺によって会津一帯に広められた。慧日寺は、自然崇拝を素地とする会津の磐梯山信仰を受け継ぎ、仏教的に組み替えることで会津の信仰の中心となった。さらに徳一は会津五薬師ほか多くの寺院を開いて、人々の素朴な信仰を仏教、薬師・観音信仰に取り込んでいった。こうしたことにより会津は、今も勝常寺の薬師如来坐像をはじめとする平安初期から中世、近世の仏像や寺院が多く残り、東北地方でいち早く仏教文化が花開いた地として「仏都会津」と呼ばれる。その中でも三十三観音巡りは、娯楽と一体となったおおらかな信仰の姿を今に残し、広く会津の人々に親しまれている。 (中略) 三十三の姿に身を変えて衆生を救うといわれる観音信仰から、平安時代に始まったとされる三十三観音巡り。本家西国三十三観音の成立以後、坂東三十三観音など全国各地にさまざまな三十三観音がつくられた。 会津の三十三観音巡りは、会津藩祖保科正之により始まった。寛政20年(1643)、会津に入封した保科正之は、3代将軍徳川家光の異母弟として生まれ、家光と4代将軍家綱を支え江戸幕府の基礎を築いた名君として知られる。 保科正之が入封した当時は、徳川幕府の成立により治安や経済も安定し、参勤交代のための街道の整備も進んだため、全国的に伊勢参りや熊野参詣、西国三十三観音巡りなどが盛んであった。これは遠く離れた会津の領民の間でも同じで、片道ひと月、往復二月以上かかる大旅行に多くの人が出かけていた。この様子をみた殿様は、巡礼のために多額の費用が領外に流れることを案じて巡礼を禁止した。しかし巡礼は、観音様のご利益を願う民衆の信仰に基づくものであり、また諸国を観光する娯楽の側面もあったことから、単純に押さえつけることはできない。そこで代わりに会津三十三観音を定めたのである。領民の不満を募らせずに、資金、労働力の流出を防ぐ、名君の采配であった。  (中略) その後会津には、南山地域の領民の発願より始まった御蔵入(奥会津)三十三観音や、城下町の寺を巡る町廻り三十三観音、小高い丘陵の中腹に地区の人が願いを込めて一戸一体刻んだ三十三体の観音像が安置されている久保田三十三観音など、さまざまな三十三観音がつくられ今に残る。 (中略) 会津に三十三観音が定められてからは、体力的にも費用的にも身近なものとなり、人々は田畑の仕事が一段落した頃、三十三か所それぞれの「御詠歌」を唱えて霊場を巡礼した。 (以下、省略)

 

 

11:30、「久保田三十三観音」を後にする。

 

棚田が見えた。

久保田観音たっしゃ村(久保田グリーン・ツーリズム推進協議会)が 棚田オーナーを募集している。

NHKでもこの久保田地区の棚田が取り上げられていた。

 *参考:NHK 「ふくしまに恋して」Vol.16

 

県道59号線に戻り、柳津町の中心部に向かう。

山の中、すれ違う人はもちろん、車さえ通らない道を進む。

陽射しはまだ強かった。

影がくっきりと地面に落ちる。

摂った水分は2Lを超え、全身は汗だくになっていた。

 

11:40、松ケ下集落を通り過ぎる。

道は下る事が無く、これが県道か?、と思えるほどの細い道が鬱蒼とした森の中にのびている。

 

11:55、右に小さいガードレールと、通行止の標識が見えた。

私は迷わず舗装された道を直進した。

しかし、帰宅後に分かった事だが、実は右に折れる未整備の道が私が進むべき県道59号線で、ここで一旦途切れ、2kmほど先、銀山峠を越えた場所で再び現れる。

ここは、未成県道(右折)と林道大峯線(直線)の分岐点だった。

  

出発前にGoogleMapで経路確認した際、この県道59号線は繋がっていた(冒頭掲載の地図)。

帰宅後に国土地理院地図を見た所、県道59号会津若松三島線が未成線(点線県道)で、銀山峠付近が整備されていない事が分かった。 

これを出発前に確認しておけば、この先不安になることもなかった。

 

直進した道路を進む。

道幅は狭く、道路標識・案内板も無く、心細い思いをしながら進む。

木々の切れ間から目を遣ると、高度があり、かなり上ってきた事が分かった。

12:00、大峯集落を抜ける。 民家は10軒にも満たない。

少し道を下った後、大きなカーブを曲がると急で長々と続く坂が現れた。

『また、上りか...』と唖然とした。

 

 

頂近くになるとスノーポールに“柳津町”の文字が見えた。

林道で当然だが、この時は、この道がまだ県道を思っていたため『県道を町が管理することがあるのか?』と考えてしまった。

 

 

また先に進むと、ようやく案内標識が現れた。

左に進むと“郷戸”とあり、この道を進めば柳津町の中心部にはたどり着けると確信した。

 

しばらく緩やかな坂を上り続けると、開けた場所に着いた。

この辺りから道の両側が開け、尾根沿いを走る事になり、気持ちよかった。

正面の山肌の一部が崩れているのは「湯の岳」(729m)。

先に通った県道32号線沿いの湯八木沢地区が東側の直下にある。

 

右手、北東方面を見ると雨雲が広がっていた。

予報通り雨が降るのだろう、と思いゴーグルを掛けて自転車を進めた。

 

すぐに、崖崩れの現場を通過。

まだ、土に表面に草が生えておらず、最近発生したものと思われた。

帰宅して調べると、今月3日の大雨の時だという。

 

ここを過ぎると小雨が降りだす。

道も下り坂が続き、県道32号線の湯八木沢の分岐から続いた坂道からようやく解放され、雨に濡れながらも快適に自転車を進めた。 

 

だいぶ高度が下がり、前方にハウスと住宅、そして田んぼが見えてきた。

 

12:20、郷戸地区石神集落に到着。

広域農道へ右折し、しばらくしてから左折。 郷戸地区の田園の間を駆け抜ける。

この圃場は、只見川や伊南川沿いに広がるものを除くと奥会津地方最大だと思ってしまうほど、広大だ。

 

田園を抜け、坂を下ると只見線の新田街道踏切を渡った。

12:30、さらに進み国道252号線にぶつかった。

過去に来たことがあるので、ここからは距離感がつかめる。

列車の発車まで約1時間。

 

「すずや食堂」に向かう。

朱色の「中の橋」のたもとに、食堂はある。 

しかし、「すずや食堂」は臨時休業だった。

残念だったが、土曜という繁忙日に休むのはただならぬ理由だろう。

 

気を取り直して、昼食を手に入れるため、国道沿いのスーパーに向かう。

 

瑞光寺橋を前方に見ながら、只見川の沿いを国天然記念物「柳津うぐい」の生息地である「魚渕」の脇を通り抜ける。

 

間もなく、「柳津観洸船」の乗船場が見えてきた。

桟橋にはSL風の遊覧船(12人乗り)が係留されていた。

会津柳津駅前に胴体保存されているSL(C11)にちなんで改修され、今月16日から運行を開始した。また、早ければ今秋からは約15年ぶりに40人乗り規模の屋形船を導入するという。

*記事出処:福島民報 2017年7月12日付け紙面

 

道の駅「会津柳津」前の川岸から振り返ると瑞光寺橋を通して福満虚空蔵尊圓蔵寺が見えた。絵になる光景だ。

「スーパーかねか」はここからすぐ。弁当などを購入してから、駅に向った。

 

13:10、会津柳津駅に到着。

自転車を折り畳み、輪行バッグに入れ、ホームに行き列車を待つ。

10分ほど待つと列車が入ってきた。

13:23、定刻に出発。

 

車内で弁当を頂く事に。

「すずや食堂」で食べられなかった“柳津ソースカツ丼”だ。

ソースがたっぷりかかったカツが半熟の卵焼に乗っている。

ゴハンとの間には、ちゃんと千切りキャベツも載っていた。

これで、税抜き¥288とは驚いた。

 

日本一コストパフォーマンスが高いご当地グルメ弁当ではないだろうか。

 

 

会津坂本塔寺を過ぎ、列車は七折峠を下ってゆく。

左手(東側)の林がなければ会津盆地が一望できる。

間伐や枝打ちをするなどして、景観創出をして欲しい。

 

峠を下りきり、列車は会津盆地の中を進んでゆく。

 

14:23、会津若松に定刻に到着。

連絡橋からは磐梯山が見えた。

 

15:05、郡山行きの電車に乗換える。

 

16:19、無事に郡山に到着。

 

慌ただしかったが、今日の「JR只見線+サイクリング」の旅は終わった。

折り畳み自転車で走った距離は約29km。坂が多く疲れたが、天候は思いのほか崩れず、青空の下で緑と渓谷美を見て楽しむ事ができた。 (了)

 

 

「JR只見線+サイクリング」の総括

JR只見線・滝谷駅から「柳津西山地熱発電所」までは、一部押して歩く事になるかもしれないが、折り畳みの小径自転車でも過度な負荷無く行く事ができる。

滝谷川を中心に広がる山間の景色を見ながらのサイクリングは気持ちが良い。

発電所の冷却塔から吐き出される蒸気は迫力がありそうで、これを見ようと思えば、頑張れるだろう。

 

「久保田三十三観音」へは県道32号線の分岐から3.7kmを坂を上り続けるため、小径自転車よりは軽量なロードバイクが良いだろう。

「三十三観音」から柳津町郷戸地区に向かう道は半分以上が坂で傾斜もあるため、ロードバイクでなければきつい。

 

まとめると、今回のようにJR只見線・滝谷駅から「久保田三十三観音」を経由して会津柳津駅に行く、一筆書きコースならばロードバイクを薦めたい。

JR只見線・滝谷駅から西山温泉郷や柳津西山温泉郷まで往復するのであれば折り畳みのような小径自転車でも楽しめる。

 

JR只見線+サイクリングの可能性を探り、今回も収穫があった。

今後も日帰りで楽しめるコースを組んでみたい。

 

 

 

・ ・ ・ ・ ・

*参考:福島県 「只見線の復旧・復興に関する取組みについて

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

・福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法

 

寄付金の使途は以下の通り。

・お寄せいただいた寄附金は、福島県、会津17市町村や新潟県などで 組織する「福島県JR只見線復興推進会議」で協議の上、只見線の復 旧や利活用促進のため使われます。(「只見線復旧復興基金寄附金募集」チラシより)

・ 寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、 只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 日本一と言われるロケーションだけに頼らない観光振興を推進し、 新たな観光収入の増加を図ります。 (「JR只見線企業版ふるさと納税(地方創生応援税制)の御案内」より)

 

 

よろしくお願い申し上げます。


次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっているJR只見線は、2017年6月19日に福島県とJR東日本間で「復旧基本合意書」が交わされ、2018年6月15日の復旧工事起工式を経て、2021年度中の全線再開通に向けて工事が本格化しました。ブログでは車窓の風景や沿線の見どころを伝える「乗車記」等を掲載します。

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