小出駅から会津若松駅まで、JR只見線の全線を乗車し、2019年の乗り納めとした。
今回は、前日に会津若松入りし、磐越西線の列車に乗り、新潟経由で小出から只見線の列車に乗車。只見で代行バス、会津川口で再び列車に乗り換え、会津若松に向かった。
今年は暖冬で、期待した雪景色は見られなかったが、地酒を呑みながら、ゆったりと只見線の旅を楽しんだ。
*参考:
・福島県:只見線ポータルサイト
・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」 (2013年5月22日) /「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(2017年6月19日)
・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)
・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線全線乗車ー / ー只見線の冬ー
今朝、磐越西線の下り列車に乗るために会津若松駅に向かう。3番ホームに行くと新潟行きの列車が停車していた。
列車の編成は5両で、来春から只見線に導入される車両キハE120形が2両連結されていた。
キハ110形に挟まれる形で、3号車と4号車がキハE120形になっていた。
JR東日本(東日本旅客鉄道㈱)は先月末に、只見線の復旧状況とともに、列車の置換えを発表していた。*下図出処:JR東日本「只見線の運転再開に向けた取組みならびに車両の置換えについて」(PDF)
JR東日本が保有するキハE120形の全8両が只見線に導入される。福島県内の水郡線で入っているキハE130形の兄弟車だ。
2008年の後半に登場したキハE120形はステンレス製の車体で、もとは“飯豊連峰のブナ林をイメージ”したというカラーリングがされていた。紅葉時期を想定したものと思われる、橙と赤のラインが引かれ、扉は黄色だった。
来春、只見線に導入するにあたり、上掲の資料のように塗装し直された。現行の東北地域本社(仙台支社)色のキハ40形とほぼ同じカラーリングだ。但し、全ての扉は何故か変更されず、黄色のままだ。
今のところ、5・6・7号車(E120-5・E120-6・E120-7)以外の5両は、この“只見線色”に塗り替えられているという。
“只見線色”になったキハE120形は、現在、磐越西線の他、新潟と山形を結ぶ米坂線で運行されているという。肝心の只見線では、既にE120-1とE120-8が会津若松~会津川口間で試運転を行っている。
列車の内装は、初めて見る事になった。
入口のステップは低く、高齢者や小さな子も乗り降りの負担は各段に減るだろうと思われた。また、車椅子の幅もあり、スロープを取り付ければ、介助者も容易な乗降が可能かと感じた。
扉(側引戸)は外内とも黄色で、ステップとともに、ユニバーサルデザインとして注意喚起を促しているという。
優先席BOXシートと2席のロングシート。車椅子の設置スペースも設けられていた。
トイレもバリアフリー対応。
座席はセミクロスシートで、クロスシートは2席+1席のレイアウトで、ロングシートは片側の一部に設置されていた。
但し、つり革がクロスシート部まで取り付けられ、通勤車両然としていて、観光鉄道「山の只見線」にはそぐわないと感じた。只見線内の最大の混雑区間である会津若松~会津坂下間でも、座席の手すりで十分だろうと思った。来春の運行開始までに、取り外す事を検討して欲しいと思った。
座席の下の暖房装置は、小型になりシート直下に取り付けられていた。
キハE120形は両運転台式で単行運行が可能で、ワンマン運転に対応できるよう、両側に運賃表示器、整理券発行器が置かれていた。
5:28、キハE120形2両を挟んだ新潟行きの列車が会津若松を出発。
乗り心地はどんなものかと思ったが、列車はディーゼルエンジンの出力を上げ、体感的には100km/hに迫るスピードで走ったため、只見線を走った場合の疑似体験とはいかなかった。また、この列車を牽引するキハ110形は“電車並みの加速性能”があると言われ、この点も列車置換え後を想像する参考にはならなかった。
8:21、列車には津川以降、多くの通勤・通学客の乗り込みがあり、私の乗る3号車も混雑し乗車率70%程で終点の新潟に到着した。
キハE120形は、高架化された新潟駅に必要な自動列車停止装置であるATS-Pが装備されていない事もあり、2018年3月のダイヤ改正を機にキハ110形との併結運転でなければ乗り入れができなくなったという。
このため、キハE120形は新潟地区から“引退”する。JR東日本の最新の気動車はGV-E400だが、只見線はこのキハE120形を受け入れる事になる。*参考:JR東日本「八戸線および新潟・秋田地区への車両新造計画について」(2017年7月4日)
新潟から車両基地のある新津に移動すると、私が乗車したキハE120形が引き込み線に停車し、キハ110形から切り離され車庫に入ろうとしていた。
ちょうど国鉄急行色のキハ40形が車両基地に移動するところで、キハE120形と並ぶ瞬間をとらえることができた。この国鉄急行色のキハ40形は只見線(小出~只見間)に臨時列車で乗り入れる事が多く、この光景は2021年度の全線再開通後に見られるかもしれない。
来春、只見線でこのキハE120形が走る事になる。
私は“観光鉄道「山の只見線」”を目指すのであれば、このキハE120形の運用は会津若松~会津坂下間、小出~大白川間などの通学・通勤混雑区間に限定し、キハ40形を存続させるべきだと思っている。
ただ、現状は走行する事が決まっているので、せめて黄色の扉は塗装を落とすべきだと思う。この黄色の扉はユニバーサルデザイン対応ということだが、最新のGV-E400の扉が黄色でない事を見ると、その必要性は無いということになる。最低でも外側だけでも、来春の運行までには塗り直す事を願いたい。
キハE120形の乗車と見学を終え、只見線の旅に向かった。
新津から長岡で乗換え、冷たい雨が降る小出に到着。只見行きの列車、新潟支社色(青)のキハ40系の2両編成は既に入線していた。
13:11、只見行きの列車が小出を出発。
車内は全てのBOXに誰かしらの客の姿が見られ、混雑していた。「青春18きっぷ」の使用期間中ということもあり、高校生や学生と思われる若い客が目立った。
外はかなり冷え込んできていたが、しばらく雪にはならず雨が降り続いた。
爽やかな飲み口、喉を通った後は香りだけが残り、甘ったるさを感じない旨さだった。純米酒のワンカップの必要性を、改めて感じさせてくれた“一杯”だった。
列車は、越後広瀬、魚沼田中、越後須原、上條と順調に進み、大きく右(東)に旋回し入広瀬を経て山間部に入っていった。
破間川の浅瀬と並行して走るようになると、列車は減速した。
13:57、新潟県側の最後の駅である大白川に到着。雨は雪交じりになっていた。
大白川と次駅・只見の間、“会越国境区間”は20.8kmもある。この駅間は在来線で全国7位、本州に限れば岩手県・山田線の上米内~区界間の25.7kmに次ぐ第2位となる。*ちなみに在来線の全国1位は北海道・石北本線の上川~白滝間の37.3kmとなっている。
また、大白川~只見間は並行する区間の国道252号線が冬期通行止めとなっているため、只見線が唯一の交通手段になっている。*参考:新潟県土木部「通行規制情報」
大白川を出ると破間川と別れ、列車は支流の末沢川と短い間隔で16回交わりながら進んでいった。登坂のため、ディーゼルエンジンの重低音が車内に響き続けた。
標高が上がり、内外の気温差が大きくなるにつれて窓の曇りが増し、車窓越しに写真を撮るのが難しくなった。
“観光鉄道「山の只見線」”を掲げ、集客しようとしている事を考えると窓ガラスの曇りや汚れ対策は避けては通れないと、また思った。
吹雪いてはいなかったが、周囲の山々は霞み、降る雪もハッキリと見えるようになってきた。
「六十里越トンネル」(6,359m)は“只見線最大の難所”として1970(昭和45)年9月、最後に工事を終えた。1971年8月、トンネルの供用開始とともに只見線が全線開通した。新潟ー福島の県境は、トンネルのほぼ中間にある。
国道252号線(冬期通行止め中)の架道橋を潜ると、田子倉ダム湖が見えた。水位は10m以上下がって、只見沢の川床と湖岸が顕わになっていた。
田子倉駅跡を覆うスノーシェッドを抜け、余韻沢橋梁から田子倉ダム湖の中心部を見ようとするが、霞んで見えなかった。
前述の通り、降雪期、このあたりは“立ち入り不可”区域になっていて、列車の乗客以外は人が居ないという全国でも稀な場所だ。*参考:福島県道路総室
しかも、この地域は「只見ユネスコエコパーク」に登録されていて、国際的に認められた豊かな自然環境に囲まれている。
“観光鉄道「山の只見線」”を定着させ、国内外の観光客を呼び込むために、このロケーションを活かさない手はないと思う。2013年3月に廃止された田子倉駅の復活を核に、「只見線利活用事業」を中心となって進める福島県は“六十里越ー田子倉ダム湖周辺の観光地化”を検討して欲しい、と私は思っている。
田子倉トンネル、第二と第一の赤沢トンネル、複数のスノーシェッド、そして上町トンネルを潜り抜けると町の市街地が姿を現した。
列車は減速し、駅員一人が出迎える駅に滑り込んだ。
列車を降りた観光客と思われる大半は、駅頭に付けられた代行バスに乗り込んだ。補助席を入れて、客席数28の車内は埋まった。
14:34、会津川口行きの代行バスは、定刻をわずかに遅れて只見を出発。
代行バスは国道252号線を進み、会津蒲生駅、会津塩沢駅、会津大塩駅、会津横田駅、会津越川駅、本名駅の付近にあるバス停で停発車を繰り返して進んだ。
15:22、会津川口に到着。
会津若松行きの列車、東北地域本社(仙台支社)色のキハ40形2両編成は既にホームに入線していた。
只見線を象徴するようになったこの列車が、来春からキハE120形に置き換えられるということもあって、カメラを構える客が多かった。
15:27、会津若松行きの列車が会津川口を出発。車内は、代行バスからの乗り継ぎ客が加わり、新潟県側より賑わっていた。インバウンドの姿も目立っていた。
残念ながら、後部車両はロングシートだったが、こちらも、客に埋められていた。
列車が動き出してまもなく、左(西)側に見える大志集落は霞んでいた。
会津中川を出発直後に見える中川地区の大屋根は白くなっていた。
会津水沼の手前で、「第四只見川橋梁」を渡った。窓ガラスが曇り、車窓からの下流側(東側)の景色を見るが、はっきりと見られなかった。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス「歴史的鋼橋集覧1873-1960」
会津西方を出て、スピードをさほど上げないまま名入トンネルに入ると、『まもなく第一只見川橋梁を渡ります。景色をお楽しみください』と車掌による社内放送があった。
そして、トンネルを抜けると、ゆっくりと「第一只見川橋梁」を渡った。
速度が遅かった事もあり、上流(南)側の駒啼瀬峠の渓谷に続き、反対側の「日向倉山」(605.4m)の景色も見る事ができた。
列車は、郷戸、会津柳津、会津坂本、塔寺を経て奥会津地域から会津地域へ向かって行く。その境となる七折峠の下り坂の途上から、会津坂下町の市街地越しに会津盆地が見通せた。
坂を下りきると大きく左にカーブし、短い田園区間に入った。前方にある「磐梯山」には中腹から上に雲が掛かっていた。
列車は会津坂下で高校生を中心に10名ほどの客を乗せ、若宮、新鶴、根岸、会津高田、会津本郷と田園の中の駅で停発車を繰り返し、その後、大川(阿賀川)を渡り、会津若松市街地内の西若松、七日町を経て終点に向かって行く。
17:20、定刻をわずかに遅れて、会津若松に到着。ここでも、列車を撮影する方が多く見られた。
ここは二度目。ラーメンは背脂入りで適度にこってりして、このスープが中太ちぢれ麺に絡まりよく味わえた。ソースカツ丼は、柔らかい薄めの肉がカラッと揚がり、白米の上に敷かれたシャキシャキキャベツとの相性は抜群だった。
食事を終え、磐越西線の郡山行きの列車が入線するホームに向かった。まもなく、郡山からやってきた下り列車が向こうのホームにやってきて、多くの客が降りた。
大きな荷物を抱える方が多く、帰省ラッシュが始まった事を実感した。
今日は沿線の雪が少なく、少し肩透かしだったが、キハ40形のディーゼルエンジンの音色を包まれながら、ゆったりとした気分で列車旅を満喫することができた。会越地域それぞれのワンカップも旨かった。
今年、只見線の列車に乗るのは12回となった。4月から職場が双葉郡富岡町となった関係で、昨年より乗車回数は減ってしまったが、四季それぞれに乗車することができ、只見線の列車の車窓からの景色と沿線の見どころを楽しめた。
来年は春に車両の置換えという、“観光鉄道「山の只見線」”の今後を左右しかねない大きなイベントがある。それまで、キハ40形の旅を何度か経験し、キハ40形を只見線に残す事のメリット・デメリットを自分なりに考え、ここに記して行ければと思う。
今年も、お世話になりましたJR只見線!
(了)
・ ・ ・ ・ ・ ・
*参考:
・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」
・福島県 只見線再開準備室: 「只見線の復旧・復興に関する取組みについて」
【只見線への寄付案内】
福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。
①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/
②福島県:企業版ふるさと納税
URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html
[寄付金の使途]
(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。
以上、宜しくお願い申し上げます。
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