この冬、JR只見線の運転再開区間(会津川口~只見)の様子を知りたいと、金山町内の駅間を歩いた。その後只見町に移動し、最終列車の出発時刻まで「只見ふるさとの雪まつり」を見る事にした。
今冬、JR只見線は雪の影響で遅延や運休が発生する日が多く、連日地元紙をにぎわせていた。*下掲記事:福島民報 2023年1月11日、19日、24日~31日付け紙面
ただ、2月に入ると、只見線に関する雪害の情報は減った。*下掲記事:福島民報 2023年2月1日~3日付け紙面
天気予報では、奥会津地域に気温の高い日も少なくなく、福島県道路画像情報ではアスファルト面が乾いた映像も多く、只見線沿線の積雪量がどうなのか想像できずにいた。
只見線沿線の奥会津5町村(柳津町、三島町、金山町、昭和村、只見町)の雪まつりについて。
雪不足や新型コロナの影響で中断を余儀なくされていた沿線の雪まつりは、今年全ての自治体で予定通り開催されることになった。*極上の会津プロジェクト協議会「奥会津5町村雪まつりを開催します!」(2023年1月27日) URL: https://gokujo-aizu.com/21397
この5つの雪まつりの中で、「只見ふるさとの雪まつり」が“只見線全線運転再開記念”と謳われているため、只見町を訪れることにした。
今日の予定は以下の通り。
・鶴ヶ城(会津若松市)で開催される「第24回 会津絵ろうそくまつり -ゆきほたる-」を見て、市内の宿に泊まる
・只見線の始発列車(小出行き)に乗る
・会津越川駅で下車し、「越川道陸神」付近で「只見ふるさとの雪まつり」のツアー客用の団体臨時列車を撮る
・列車撮影後、徒歩移動し会津横田駅と「第七只見川橋梁」を見学し、「大塩温泉 共同浴場」に行く
・浴後、会津大塩駅付近を通過する列車を撮る
・会津大塩駅から只見線の列車に乗て只見駅に向かう
・「只見ふるさとの雪まつり」を見学する
・只見線の上り最終列車に乗って会津若松駅に向かい、磐越西線の列車に乗換えて郡山市に帰る
沿線の天気予報は曇りで、列車の遅延や運休は発生しないということで安心して旅に臨んだ。
*参考:
・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)
・福島県:只見線ポータルサイト/「只見線の復旧・復興に関する取組みについて」
・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業
・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ -只見線の冬-
一昨年は規模を縮小して開催し、昨年は中止ということで、「会津絵ろうそくまつり」も3年振りの通常開催となった。
城内の雪はほとんど融けていて、雪面を灯すロウソクの火とはならなかったが、なかなかの美しさだった。
ロウソクの火は柔らかく、心が和んだ。
城内には多くのスタッフが居て、小さくなったロウソクを交換していた。
会場には1時間ほど滞在し、固い雪が激しく降り出した中を宿に戻った。
今朝、宿を出て会津若松駅に向かった。雪は降っておらず、冷え込みも緩かった。
切符を購入し、改札を通り連絡橋を渡ると只見線のホームに始発列車が入線していた。
列車は、キハ110系の2両編成だった。通常、始発列車は1両編成だが、「只見ふるさとの雪まつり」に行く客を見込み1両増やしたようだった。
6:08、小出行きの始発列車が会津若松を出発。客は先頭が10人で、後部が私を含めて15人だった。
切符は、今日中に郡山に戻るため、「小さな旅ホリデー・パス」にした。
会津坂下では、上り列車とすれ違いを行った。
列車は、七折峠を順調に駆け上がった。登坂途上、木々の間から会津盆地を見下ろすと東の空の朝焼けの光量が増していた。
塔寺を経て、“七折越え”を終えて下りに入ると、“坂本の眺め”から朝日を受けた飯豊連峰の一部が見えた。*参考:福島県 観光交流課「ふくしま30座」飯豊山
列車は柳津町に入り会津柳津を出て、郷戸手前で“Myビューポイント”を通過。会津百名山86座「飯谷山」(783m)は、山頂付近が雲に覆われていた。
滝谷を出発直後に滝谷川橋梁を渡り、柳津町から三島町に入った。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス「歴史的鋼橋集覧1873-1960」
会津桧原を出ると、『トンネルを抜けますと、第一只見川橋梁を渡ります』と車内放送が入った。そして、桧の原トンネル内で速度を下げ“観光徐行”した列車は、ゆっくりと「第一只見川橋梁」を渡った。 *只見川は東北電力㈱柳津発電所・ダムのダム湖
この後、只見川に架かる各橋梁では渡河前の車内放送と “観光徐行”が行われた。
会津西方出発直後には「第二只見川橋梁」を渡った。上流側に見える会津百名山82座「三坂山」(831.9m)は、頂上だけを雲に隠していた。 *只見川は柳津ダム湖
列車は速度落としながら「アーチ3橋(兄)弟」の大谷川橋梁を渡った。*参考:三島町観光協会(観光交流館からんころん)「『みやしたアーチ3橋(兄)弟』のビューポイント」(2013年6月16日) https://blog.goo.ne.jp/mishimakankou/e/e93620f5690ee4e3adf6d1124b2f46e5
7:29、会津宮下に停車。上り列車とすれ違いを行った。
乗客の一部はホームに降りて、会津若松行きの単行のキハE120形にスマホやカメラを向けて出迎えた。
列車は早戸を経て、会津水沼を出ると「第四只見川橋梁」を渡った。*只見川は宮下ダム湖
「第四只見川橋梁」を渡り、しばらく国道252号線と並んで進むと、東北電力㈱上田発電所・ダムとダム湖が見えてきた。
会津中川を出て只見川が近付く頃に列車は減速。右に曲がる大きなカーブで振り返って只見川に突き出た大志集落を眺めた。*只見川は上田ダム湖
8:05、会津川口に到着すると、小出発会津若松行きの始発列車がすれ違いを行うため、停車していた。
会津川口を出て西谷信号場跡の空地を通過すると、復旧工事で橋桁(二間)と橋脚(一脚)を新設した「第五只見川橋梁」を渡った。*只見川は上田ダム湖
本名を出ると、新しく生まれ変わった「第六只見川橋梁」を渡った。上流側に見える東北電力㈱本名発電所・ダムは、ゲートが閉じられ放流していなかった。
8:24、“只見線のヘソ”になる、「民宿 橋立」の駐車場に立つ看板前を通過。
8:32、会津越川に到着。先頭車両の前の扉に移動し、乗車していた車掌に切符を見せてアスファルトのホームに降りた。乗降は、私一人だった。
列車を見送った。
しばらく、ホームに立ち周囲を景色を見ていると、青空が現れて除雪面が陽光に照らされ綺麗に見えた。
撮影する臨時列車の通過まで2時間ほどあるため、待合室で時間を潰すことにした。
通常ダイヤでは、次にこの駅にやってくるのは6時間36分後の会津若松行きだ。
下調べをせずに、初めて会津越川駅に降り立った観光客は、上下各3本のみの時刻表と、駅の周辺に店や観光施設の無いロケーションに途方に暮れる事が容易に想像できるダイヤだ。“観光鉄道「山の只見線」”になるためには、日中帯にあと上下線3本の列車が必要だと思う。
待合室内の壁には「思い出ノート」なるものが掛けられていた。中を見ると、列車に乗ってやってきた方ばかりでなく、車でやってきて立ち寄ったという方のメッセージも多かった。
待合室に暖房は無くベンチも冷たかったが、気温がさほど低くなく、時折陽が差し込んできたため、凍えることなく過ごす事ができた。
10:30、列車の撮影ポイントに向けて、待合室を出た。
金山町は各駅に観光案内を設置しているが、ここは会津越川駅の場所に“現在地”と記され、駅周辺の地図が吹き出しで載っていた。
国道252号線に出て右折し、本名方面に向かった。道路に雪は無かったが、路側帯までは除雪されておらず、車に注意しながら歩き進んだ。
20分ほどで、伊北街道(≒沼田街道)の一里塚があったとされる「越川道陸神(道祖神)跡」付近の撮影ポイントに到着。只見川に落ちてゆく「深入山」(898.1m)の尾根の荒々しい斜面を背景に、列車が駆け上ってくる様子が見られる場所だ。階段を作り道脇の雪の上に載って、列車の到着を待った。
11:11、汽笛が聞こえ、坂を上る列車の姿が徐々に見えてきたが、車両はキハ110だが塗装が違ったもので『おやっ??』と思いながらシャッターを切った。
見覚えがあり、乗った事もある列車だったが、過ぎ去る車両正面の“奥の細道”と側面の“Mogami-gawa Line”いう文字を見て思い出した。
陸羽西線(新庄~余目、愛称:奥の細道 最上川ライン)を走行しているキハ110だった。現在、陸羽西線は国道47号線のトンネル工事のため2022年5月14日から約2年の予定で、全線で運行停止/代行バス輸送が行われているため、只見線の臨時列車に充てられたようだった。
最上川と只見川ということで、川沿いを走る共通項があり、会津に立ち寄らなかった事を悔いたという松尾芭蕉の事を考えると、“奥の細道”号の運行はなかなかの選択だと思った。
撮影を終え、約8kmの徒歩移動を開始。国道252号線を引き返し会津越川駅前を過ぎると、まもなく東北電力㈱伊南川発電所が見えてきた。建屋内からは『グォングォン』とタービンが回っているような音が聞こえ、約9km先の只見町小林地区の伊南川で取水された水が、激しく只見川に落水していた。
伊南川発電所から先は歩道があり、除雪もされていた。
しばらく歩き進むと、歩道に大きな動物の“脚跡”があり、車道を横断して山側の斜面の上に続いていた。
私の足より大きなY字の“脚跡”を持つ動物が居るのか⁉...と不思議に思いスマホで調べてみると、ウサギが駆けた4本の脚跡とのことだった。
前脚より後脚のほうが長いため、飛び跳ねて移動すると、後脚が前後する前脚より先に出て、かつ揃って着地するため、Y字の一塊に見える“脚跡”となるという。この“脚跡”を見た瞬間は驚いたが、ウサギの跳ねる姿を想像すると。合点がゆく“脚跡”だった。
少し歩いて、歩道から只見川(本名ダム湖)の島にある伊夜彦神社に目を向けると、その背後に鋭角な山頂が目立つ「田代山(高森山)」(830m)がはっきりと見えた。
さらに歩道を進むと、只見線の良々子沢橋梁越しに「(横田)要害山」(546.7m)が見えた。この山は中世、源頼朝の奥州平定から豊臣秀吉の奥州仕置までこの地を治めた(横田)山ノ内家が、10代の治世時に本拠とした中丸城があった場所だ。
金山町指定重要文化財
横田 中丸城跡
文治五年(1189)源頼朝は奥州の藤原氏を征伐した。このとき従軍した山ノ内経俊はその恩賞として、金山谷・伊北郷など八百八十貫文の地を与えられたと伝えられる。しかし、実際にこの地に入部したのは、応永十年(1403)ころ十代目の子孫通俊といわれている。それより、この要害山に山城を築き、中丸城と称して中世のこの地を支配する本拠とした。
さらに、一族の領地に七騎党城、重臣に六固城と村落に51の持柵を築いた。天正17年(1589)伊達政宗の会津侵攻で。葦名氏は摺上原の合戦で滅亡したが、時の領主氏勝は中丸城や中山城、それに水窪城に拠って、翌18年まで頑固に抵抗し雌雄を決しなかったが。だが、豊臣秀吉の会津下向によって氏勝は所領を没収され、同年越後に去り彼の地で波乱の生涯を終わった(南蒲原郡下田村延命寺に氏勝の墓、三大寺に位牌が現在も安置されている)。
12:07、黙々と歩き、運転再開区間で一番品揃えが多いスーパー「ヒロセ」(滝沢商店)に到着。ここで買い物をした。
店内で女将さんに、この地の雪の状況を聞くと、『確かに雪は多かったが、気温の高い日も多く、雨の降る日さえあったので、雪はだいぶ融け少なくなっている』ということだった。
スーパー「ヒロセ」を出て、国道252号線から側道に入り駅に向かった。
駅周辺は除雪の貯留地になっていたが、ホームまでは行けるように通路が作られていた。
会津横田駅に到着。待合室の屋根の雪塊は斜面をズリ落ち、ロールケーキを巻くような形になっていた。
この駅もホームのアスファルト面は全面露わになっていて、待合室の屋根の雪塊の形状と合わせ、スーパー「ヒロセ」女将さんの話が実感できた。
町が設置した観光案内板が立てられていたが、この駅も全線運転再開に合わせ駅名標の更新はされず、運休前から使われている錆びついたもののままだった。
待合室に入ると、ここにも“駅ノート”があり、一昨日(2月9日)に記入されたページが広げられたままになっていた。
会津横田駅を出て左折し、駅前の上横田集落の間に延びる町道田沢上横田線を進んだ。
陽が差してきたこともあって、無垢の雪面が美しく見えた。
上横田集落を抜けると、田んぼの間に延びるまっすぐな道を進んだ。
両脇の雪原も未踏で、清らかな雪原が心を癒してくれた。
12:33、山中踏切に到着。ここから先は除雪されていなかった。
前方には、只見町との町界に連なる「似蕪山」(963.2m)などの山塊が、陽光に照らされ綺麗に見えた。
山中踏切の先には新しい足跡が見えた。“撮り鉄”の方のものと思われた。
ここからは、ワカンを履き雪上を歩くことにした。
山中踏切から只見線の只見方面を眺めた。除雪され2本のレールが露わになった路盤に立つと、この運休していた場所に列車が走っている事が感慨深かった。
冬にはレールの直線や曲線に合わせた綺麗な除雪面が、造形美や機能美を感じさせてくれる。さらに、これらの背景には、雪食地形やアバランチシュートなどの荒々しい山肌を持つ低い山々が連なり、奥会津特有の景観を創っている。
“観光鉄道「山の只見線」”は、この冬の雪景色が持つ訴求力を活かす「利活用」を進めて欲しいと思った。*参考:国土地理院「氷河・周氷河作用による地形」アバランチシュート / 国土交通省北陸地方整備局 阿賀野川河川事務所「雪崩によって作られる地形~奥只見」
雪上は気温の高いせいで緩く、ワカンを履いても10㎝ほど沈んだが、さほど難儀せずに進む事ができた。少し歩いて、再架橋された「第七只見川橋梁」の会津川口方を正面に眺めた。
下路式トラス橋は、この角度からは橋梁の重厚さが分かり、列車が通れば側面からとは違い鋼材に隠れる事はない。全線運転再開後「第七只見川橋梁」は、只見線に架かる下路式トラス橋で唯一このアングルで容易に列車を撮影できる貴重な場所になった。
10分ほどで、足跡の“終点”に到着。
この足跡の持ち主が、カメラを構えたと思われる方向を眺める。只見川右岸の橋桁が曲線を描いているため、「第七只見川橋梁」を通過する列車の側面がキレイに見える撮影ポイントになっている。
足跡から先は、未踏の雪原を進んだ。陽光が降り注ぐ雪面には、なめらかな曲線や陰影が現れ、自然美を見せてくれていた。
うっすらと雪に覆われたウサギの脚跡もあった。雪原を動き回った動物の姿を想像するのも、雪上トレッキングの楽しみだ。
さらに未除雪の町道田沢上横田線を進んだ。途中倒木が数本あり、今年ここには湿った重みのある雪が多く降ったのだろうと思った。
まもなく、分岐が見えてきた。
12:53、四季彩橋の右岸側に着き、対岸に渡った。
四季彩橋の中程から、「第七只見川橋梁」を眺めた。
四季彩橋を渡り切り、斜面を下りて路盤の脇から「第七只見川橋梁」を眺めた。
去年、再架橋工事を終えたものの運休中でぶ厚い雪に覆われていた事を思い返すと、除雪され二本のレールが現れている事が感慨深かった。
13:11、「第七只見川橋梁」を離れ、「大塩温泉 共同浴場」に到着。久しぶりの訪問だった。
玄関で、湯上りの一人の客とすれ違い、無人の館内に入った。階段を下り、受付カウンターに置かれた集金箱に入浴料を入れて更衣室に向かった。
しばらく湯舟を独占し、ゆっくり浸かった。加温されているが、源泉掛け流しということで、新鮮で炭酸成分が溶け込んだ湯は気持ちよく、少し長めに入浴した。 *源泉温が低く露店風呂は冬期閉鎖中
14:30、「大塩温泉 共同浴場」を後にして、上り列車の撮影をするために会津大塩駅方面に向かった。そして、大塩第1踏切手前で、再びワカンを履いて線路沿いを会津大塩駅に向かって歩いた。
レールの脇に除雪された場所が無いため、只見線の除雪面が際立ち、美しかった。
ここから会津大塩駅が見えるポイントまで移動し、周囲の風景を眺めながら列車が現れるのを待った。
14:59、小出発会津若松行の上り列車がやってきた。
直後に会津大塩駅に停車した列車は、岩肌が見える低山の斜面と水力の電源供給地を象徴する送電鉄塔が映り込み、奥会津を象徴する構図で絵になっていた。
その後、会津大塩駅を出発した列車は、私の前を通り過ぎた。この時、陽光が差していたため、キハE120形は雪原に映えた。
通過した列車を目で追うと、カメラを向けている方が居た。
そして、大塩第1踏切には4人の“撮る人”が居て、「第七只見川橋梁」に向かう列車を撮っていた。
列車の撮影を終えて、会津大塩駅に向かって雪上行軍を再開した。
陽が差していると、雪面に風雪が作ったと思われる紋様が見え、その美しさに何度も足を止めて見入った。除雪されている場所から、さほど雪上トレッキングをせずとも見られる雪の造形は、間違い無く只見線の観光資源になると再認識した。
大塩第3踏切の脇を通過。ここを横切る町道は通行量が少ないためなのか、除雪されていなかった。
15:16、会津大塩駅に到着。
去年は雪が多く、駅全体が覆われていた
今年は1mほど降雪量が少ない事が、駅名標などからはっきりと分かった。
国道252号線と駅を繋ぐ道は除雪され、アスファルト面が見えていた。そして、会津越川、会津横田同様、ホームまで雪を割るように通路が作られていた。
ホームに行き周囲の風景を眺めていると、時折陽が差した。陽光があると、雪景色は各段に美しく見えた。
只見方面に向かう下り列車の到着まで時間があるため、待合室で待った。「大塩駅をきれいにしたい会」により椅子には真新しい座布団が敷かれ、カレンダーが掲示されるなどしているため、待合室は明るい雰囲気になっていた。
ここにもノートが置かれ、訪問者のメッセージが書き込まれていた。*一部の署名にモザイク加工
15:55、山間に汽笛が響き渡り、小出行きの列車が姿を見せた。キハE120形の2両編成だった。
列車の出発時刻が近付いた頃にやってきた、1組2名の客とともに先頭車両の後方扉から列車に乗り込んだ。予想通り、両車両とも満席で、立ち客も居た。
只見川の対岸(右岸)には会津百名山71座「鷲ケ倉山」(918.4m)も、堂々とした山容を見せていた。
会津蒲生手前のカーブを曲がり、蒲生集落を見下ろした。田んぼを覆った雪が柔らかな線形を見せていた。
会津蒲生を出て、国道252号線八木沢スノーシェッドが直下にある場所で只見川を見下ろした。列車の中から、ダム湖ではない清流の只見川が見られる貴重な区間だ。
八木沢集落を眼下に見ながら列車がゆっくり進んで行くと、前方に巨大な山容が見えた。只見四名山「会津朝日山」を頂点とする山塊で、初めて見る事ができた。
この直後、列車は只見線最長(372m)の叶津川橋梁を渡った。
叶津川橋梁を渡りきったところで振り返り、「蒲生岳」と「鷲ヶ倉山」を眺めた。只見川の両岸に聳えるこの二峰は只見町の北側の門番のように見えた。
只見町市街地が見え始め、県立只見高校越しにも「会津朝日岳」の山塊が見えた。
昨年秋、「会津朝日岳」に登った際に山頂から只見高校が見えた。この時、只見線の列車の中からこの山を見たいと思ったが、今日願いが叶った。
16:08、只見に到着。ホームに雪はなく、積雪は金山町より少し多かった。
列車から多くの客が降りたが、ここで乗り込む方も多く、駅舎から列をなしてホームに向かってくる姿が見られた。
駅頭も賑わっていた。全線運転再開前から置かれている“カウント”ボードは、“10.1”から133日目を示していた。
「只見ふるさとの雪まつり」会場は駅の南西、「只見線広場」コンテナハウスの背後にあるようだった。
駅前通りを横切ると、国道252号線との交差点付近に、雪まつりの横断幕が張られていた。
「只見ふるさとの雪まつり」の入場門は、コンテナハウスの先、駐車場の位置に設けられ、“只見線全線運転再開 記 念”と記されたボードが掲げられていた。
入口は長い雪のトンネルになっていて、壁には只見線の列車の写真が飾られていた。抜けると、総合案内の他南会津地方振興局や民芸保存会、ふるさと交流都市・柏市(千葉県)などのブースが並んでいた。
ブース通りを抜けると、只見四名山「要害山」を背景に「只見ふるさとの雪まつり」会場が広がっていた。
ステージの背後に築かれた、今年の大雪像は“叶津川橋梁を渡る只見線の列車”。列車の背後には只見四名山「浅草岳」が表現されてはいたが、その他は素っ気ないものだった。
だが、この素っ気なさはプロジェクションマッピング(P.M.)のために、あえて造形されたもので、今日は18時30分から“本来”の姿が現れるということだった。今日の地元紙の一面には「只見ふるさとの雪まつり」前夜祭の模様が取り上げられ、P.M.された雪像の写真が掲載されていた。
“橋上”を渡る列車はトロッコ列車「風っこ」号(キハ40系改造車)で、ステージ左袖に列車正面の雪像があった。
この時ステージにはお笑い芸人が居て、親子連れを中心とした見物客とのゲームイベントが行われていた。
会場には雪の巨大滑り台も設けられ、色とりどりの防寒着を身にまとったちびっ子たちが歓声を上げながら遊ぶ姿も見られた。
他、町内全学校の児童生徒が作ったミニ雪像や二つの団体による巨大かまくらもあり、「只見ふるさとの雪まつり」が全町挙げてのイベントであることが伝わった。
また、ステージ右袖の奥には、おんべ(御幣)も三体立てられていた。
そして、報道関係者の他、多くのカメラの三脚も目立った。カメラ本体は無く、P.M.や祈願花火大会を撮るために陣取っているようだった。
「只見ふるさとの雪まつり」の良さは、会場のロケーション。開放的で、周囲を囲む山々は低山ながら野趣味があり、今日は晴れていることもあり、さらに良かった。
そして、お顔は少しだけだが、「寝観音」様の稜線は夕暮れ空にくっきり浮かび上がっていた。
最終の上り列車の入線時刻が近づいたため、一旦駅に向かった。待合室にいると、駅員が扉を開けて『まもなく、会津若松行きが到着します』と告げたため、ホームに移動し待っていると、ヘッドライトを煌々と点けたキハ110系がやってきた。
列車が停車すると、空席が目立つ車内に入り席を確保して、再び雪まつり会場に向かった。
「只見線広場」の背後に築かれた雪壁には不規則にランタンが置かれ、暖かな光が灯っていた。
会場に入ると、点火された篝火が燻っているようで、煙が漂っていた。
そして、ステージ上では「厄払いの儀 おんべ」が行われていた。
今年厄年を迎えた男衆が白装束をまとい松明をもって、司会から一人一人紹介されていた。
列車の出発時刻が近づいたので、会場を後にして駅に戻った。この後、19時から「只見ふるさとの雪まつり」が一番盛り上がる花火大会が行われる。
17:55、まもなく列車が出るというタイミングで、ドンドンと大きな音がして、車内の客の一人が『あっ、花火』と言った。ホームに出て空を見上げると、確かに花火が打ち上げられていた。
花火は数発のみで、『この花火は何なのだろう⁉』と思いスマホで調べて見ると、私が乗る会津若松行きの列車の発車に合わせたものだった。事前に知らず、惜しいことをしたと思った。
18:00、上り最終列車が、定刻に只見を出た。雪まつりの客で混むだろうと思ったが、多くの観光客は町内に泊まるためか、先頭10人で後部4人とかなり少ない客だった。
車内では。車窓から景色が見えないということで、本を読みながらワンカップを呑んだ。
20:55、暗闇を駆けた列車は、定刻に会津若松に到着。
この後、磐越西線の上り最終列車に乗って郡山に戻り、無事に只見線沿線の冬景色を見る旅を終えた。
今日は陽が差す時間帯もあり、美しい雪景色が見られ、只見線沿線の雪の観光力を改めて感じた。また沿線に連なる山々は、低いために視界に収まり、斜面の雪食地形やアバランチシュートは独特の雪景色を創り、“観光鉄道「山の只見線」”の冬の訴求力は高い事を再認識でき良い旅になった。
只見線の冬景色と言えば、地元紙・福島民報の只見線特集記事「つながったレール」が、先週日曜日から“ふゆ編”に入った。*下掲記事:2023年2月5日付け一面 *一部、筆者加工
初回は、「只見ふるさとの雪まつり」の大雪像にもなった叶津川橋梁を、キハE120形の単行が雪をかき分け力強く駆け抜ける姿をとらえた写真が一面に掲載されていた。明日以降、毎週日曜日の計5回連載でどんな沿線の冬景色が掲載されるか楽しみだ。
(了)
・ ・ ・ ・ ・
*参考:
・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」
・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)
・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)
【只見線への寄付案内】
福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。
①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/
②福島県:企業版ふるさと納税
URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html
[寄付金の使途]
(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。
以上、宜しくお願い申し上げます。
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