昭和村「大仏山」登山 2022年 春

今年最初のJR只見線沿線の「会津百名山」登山は、昨年“二度”断念した「大仏山」(994.3m)に再々挑戦するため、列車に乗って会津川口駅で下車し昭和村に向かった。

 

「大仏山」は、昨年の5月は足のケガで登山そのものを取りやめ、11月は尾根の取付きがある喰丸峠まで行ったが、意外なほど多くの雪が降り気温も下がったため登頂を断念した経緯がある。*参考:拙著「昭和村「大仏山」登頂断念 2021年 初冬」(2021年11月27日)


「大仏山」は「会津百名山」の第65座で、「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社)では以下の見出し文で紹介されている。 

大仏山 <だいぶつやま> 994メートル
大沼郡昭和村の中程、佐倉と喰丸両集落の中間から北奥に大きな岩を持った山が見える。この山が大仏山である。山名の由来は定かではない。ただ、山腹にある大岩が村から見ると大仏の姿に見えるようだ。[登山難易度:上級(登山道無)]
*出処:「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社) p146

 

また、「新編會津風土記」(1809(文化6)年編纂完了)の野尻組の項に、「大佛(仏)山」の記述がある。

●佐倉村 ○山川 ○大佛山
村より寅の方二十五町にあり、頂まで九町、喰丸村と峯を界ふ
*出処:新編會津風土記 巻之八十二「陸奥國大沼郡之十一 野尻組」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第33」p117-118 URL:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179220)

(ちなみに、「会津百名山」には二座の「大仏山」があり、他方は喜多方市の「大仏山」(708.2m)で、こちらは毎年山開き登山が開催されている。*参考:喜多方市「令和4年度 大仏山山開きの開催について」URL:https://www.city.kitakata.fukushima.jp/soshiki/kanko/29646.html )


 

「大仏山」の登山口は、喰丸峠口の他、「会津百名山ガイドブック」で採られた熊野神社口-桑袋沢口があるが、目にしたネット上に山行記が無かったため、移動距離が長くなるが今回も喰丸峠口を利用することにした。 

また、「大仏山」は藪山で登山道が無く山頂からの眺望も得られないという事で、『残雪期ならば、より快適快調に登山ができるのではないか』と思い今回の時季を選んだ。

 

今回の旅程は、以下の通り。

・前泊した会津若松市から只見線の列車に乗車

・会津川口駅で降り、路線バスで昭和村に向かう

・村内の喰丸下バス停で降り、「観光施設 喰丸小学校」で登山の準備をする

・「観光施設 喰丸小学校」から自転車に乗って、喰丸峠入口(昭和村側)に向かう

・喰丸峠入口に自転車を置いて、「大仏山」登山を開始

・「大仏山」から下山後、「観光施設 喰丸小学校」に戻り休憩

・「観光施設 喰丸小学校」から、今夜の宿、民宿 「朝日屋」(金山町)に向かう 

 

今日の天気予報は、昨日からの雨が午前中残り、午後から曇り時々晴れ、というもの。雨が少しでも早く上がる事を願い、“三度目の正直”となる「大仏山」山頂を目指した。

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)復旧工事の完了時期について」(PDF)(2020年8月26日) 

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線沿線の“山”(登山/トレッキング)ー / ー只見線の春

 

 


  

 

今年の富岡町の桜は、先週末に満開を迎えた。東京電力福島第一原発事故後に指定された帰還困難区域のうち、特定復興再生拠点区域(復興拠点)の立ち入り規制が解除された夜ノ森地区の桜並木には、多くの観桜者の姿が見られた。*参考:福島県「復興情報ポータルサイト」避難区域の変遷について-解説- URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/site/portal/cat01-more.html

 

 

昨日、富岡町から、宿泊地となる会津若松市内に移動した。

 

会津若松市に到着し、宿でテレビを見ていると、今春の第94回選抜高校野球大会に出場した福島県立只見高校に関する特集がNHKで放送されていた。

初戦敗退という結果になったものの、選手13人が全員出場し、過去大会で準優勝をしたことのある強豪校相手に試合を作った事は素晴らしく、21世紀枠の名に恥じないプレーを見せてくれた。さらに、記録が残る第50回大会以降“史上最も遅い試合開始と試合終了”で、今季から白銀のカクテル光線からLED照明に切り替わった聖地・甲子園の“初ナイター”という記録に残る戦いでもあった。*下掲記事:地元二紙(福島民報、福島民友新聞) 2022年3月22日号外 紙面  

個人的には、豪雪期でも投球とバッティングができる室内練習場があれば、夏の大会でも勝ち上がり福島県代表になり得る基礎とプレーの形があると思った。伸びしろ大きい高校生の可能性を感じた、只見高校野球部の姿だった。

 


 

 

今朝、只見線の起点、会津若松駅に向かった。上空には鼠色の雲が広がっていた。天気予報は、雨は朝方に上がり、その後曇りのち晴れというものだった。

 

切符を購入し、輪行バッグを抱え、改札を通り只見線のホームに向かう。連絡橋から見下ろすと、会津川口行きのキハE120形2両編成が、回送列車となっていたGV-E400形と並んでいた。

 

ホームに降り、後部車両に乗り込むが、まだ誰も乗っていなかった。

6:03、会津川口行きの始発列車が会津若松を出発。結局、後部車両には他1組2人の客が乗り込んだだけだった(先頭車両は1人)。

費用の2/3に税金を投入し復旧させる現運休区間(会津川口~只見)を上下分離方式で所有し、運行経費の赤字分を税金で埋め合わせ続けることになる福島県は、『空気を乗せて列車が走っている』と批判され続けないよう、只見線に“乗る”人を増やす策を練り、注力して欲しいと思う。

 

 

列車は、七日町西若松の市街地の駅を経て、大川(阿賀川)を渡り、会津平野に向かう。

 

会津本郷を出発直後に会津美里町に入り、宮川を渡った際に左岸に立ち並ぶ満開の「宮川千本桜」を眺めた。

 

会津高田を過ぎると“大カーブ”で進路を真北に変えた。

  

根岸を経て、新鶴に停車。ホーム脇の桜は満開だった。

 

 

若宮手前で会津坂下町に入り、会津坂下に停車。上りの始発列車とすれ違いを行った。


上り列車を見て驚いた。先頭車は只見線専用ともいえるキハE120形だったが、後部車両はキハ110形だった。このキハ110形は現在只見線の小出~只見間で使われているが、会津川口~会津若松間で見るのは初めてだった。車両の故障で代車として使われているのだと思った。

 

 

会津坂下出発後は、“七折峠越え”。列車は登坂前に一時エンジンの出力を下げ、カーブの手前で、出力を上げた。車内には、ディーゼルエンジンの大きな音が響いた。

 

登坂途中、木々の切れ間から会津平野を見下ろした。

 

 

列車は登坂途中の塔寺を経て、会津坂本を出ると柳津町に入り、会津柳津に停車。駅前の桜は満開だった。

 

会津柳津を出ると、圓満山月光寺境内の桜の脇を通り抜けた。

 

“Myビューポイント”から見えるはずの会津百名山86座「飯谷山」(783m)は、厚い雲に覆いわれていた。

 

郷戸に停車。駅舎を覆う桜は、七分咲きといった様子だった。

 

  

滝谷出発直後に滝谷川橋梁を渡る。滝谷川の渓谷は雪融け直後の、春の入口の色合いだった。 *以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋集覧1873-1960

  

 

 

 

会津桧原を出て「第一只見川橋梁」を渡る。下流側を眺めると、杉峠は厚い雲に覆われ、「日向倉山」(605.4m)は、うっすらと稜線が見えた。*只見川は東北電力㈱柳津発電所・ダムのダム湖

 

反対側の席から上流側を眺める。駒啼瀬の渓谷には、新葉の木々も見られ、これからの色付きに期待が持てた。

 

 

会津西方出発直後に「第二只見川橋梁」を渡る。上流側、正面にそびえる会津百名山82座「三坂山」(831.9m)には、雲が掛かっていたが山容の全体が見えた。*只見川は柳津ダム湖

 

下流側は、スーッと只見川が延びていた。

 

 

会津宮下に近づき列車が減速すると、大谷川右岸、県道237号線の脇に建っていた家が倒壊していた。

 

今年、会津地方は雪が多く、今年の1月に除雪されずに屋根に分厚く冠雪したこの家屋を見たとき、『大丈夫だろうか』と思っていたが...。この後も、何軒かの倒壊家屋を見る事になったが、奥会津地域の“空き家対策”は待ったなしという印象を受けた。

 

 

会津宮下では、上り列車とのすれ違いをした。

  

会津宮下を出ると、列車はしばらく東北電力㈱宮下発電所と宮下ダムの直側を走る。五分咲きの桜並木の向こうでは、宮下ダムが5門のゲートを開け、勢いよく放水していた。雪融け、春の光景だった。

 

宮下ダム湖(只見川)は、ゲートが開いているため水面は波立ち、動いていた。

  

 

第三只見川橋梁」を渡る。下流側、左岸の中腹を穿いて作られた国道252号線の高清水スノーシェッドがはっきり見えた。*只見川は宮下ダム湖


上流側、界ノ沢の滝は、雪融け水で水量が増し、勢いよく只見川に落ちていた。


 

早戸に停車。金山町方面の上空は明るかったが、雲の流れは速く、いつ晴れ間が見えるのか心配になった。

 

早戸を出発し、三島町から金山町に入り、細越拱橋を渡った。

 

 

会津水沼を出て「第四只見川橋梁」を渡る。ここより少し上流にある東北電力㈱上田発電所・上田ダムも放流しているようで、川幅いっぱいに、勢いよく水が流れていた。

 

 

会津中川を出て大志集落の脇を通り、終点を告げる車内放送が入り、列車は減速した。

 

振り返って只見川に突き出た大志集落を眺めた。ダムのゲート放流のためか、水面に動きがあり、水鏡が現れるような“静”の風景ではなかった。*只見川は上田ダム湖

 

 

 

 

8:06、現在の終点、会津川口に到着。

 

会津川口から先、只見までは「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で不通になっている。今期の役目を終えた除雪車の右側には、いつでも列車が営業運転できるようなレールが延びていた。復旧工事の大半は終了し、まもなく試運転が始まり、今秋約11年振りに全線が再開通する。

 

 

駅舎内に入ると、“只見線一部運休のお知らせ”が掲示されていた。『木製マクラギのコンクリート製マクラギへの交換や橋桁塗装などの「設備強化・修繕工事」を実施』するということで、只見線の“稼ぎ頭”である西若松~会津坂下間も一部列車を運休させるという、大掛かりなものだった。*参考:国土交通省 運輸安全委員会「軌間拡大による列車脱線事故の防止に係る意見について」(2018年6月28日)(PDF)

  

「只見線文庫」の脇には、駅周辺の食堂や店舗が記された案内板が新たに置かれていた。今秋の全線再開通に向けての対応だと思った。

  

 

駅頭には、只見行きの代行バスが停車していた。何度もお世話になっている代行バスの女性ドライバーに『今日は...?』と聞かれ、『今日は路線バスを利用します』と伝えると彼女は笑顔で頷いてくれた。

 

私は、駅舎に置かれたバスの停留所で待った。

 

大芦(昭和村)行きの路線バスが到着。

8:23、バスが出発。乗客は私一人だった。 

  

 

路線バスは国道400号を進んだ。途中、下中津川で高齢のご婦人が乗り込み、公民館を少し過ぎたあたりで降りていった。この路線バスは自由乗降が可能で、運転手はご婦人に細かい場所を聞いて、バスを停車した。*参考:会津乗合自動車㈱「バスの乗り方のご案内」URL: https://www.aizubus.com/rosen/howto

 

9:02、私が降りるバス停は喰丸下だったが、『喰丸小のところで降ります』と言った私に気を遣ってくれ、運転手は少し手前の「喰丸小」入口で降ろしてくれた。

 

輪行バッグを抱え、すぐそばの「交流・観光拠点施設 喰丸小」に向かった。

 

自転車を組み立て、玄関のベンチで登山の準備をした後、降り続いていた小雨が少し強くなってっきたこともあり、空模様を見ながら「喰丸小」の玄関で雨宿りをした。


10:12、空がどんどんと明るくなってきて、雨もあがったので、「喰丸小」を出発。


国道400号線を南会津方面に進み、途中で左折し、国道401号線にバイパスする連絡道に、潰れた小屋があった。雪の重みで、倒壊したと思われた。

 

国道401号線に入ると徐々に傾斜が増し、途中で自転車から降りて、押して進んだ。

 

喰丸第2スノーシェッド(252m)に“ど根性フキノトウ”が顔を出していた。

 

 

喰丸スノーシェッド(189.9m)を抜け、左の大きなカーブを抜けると、前方に喰丸峠の入口が見えた。


 

10:42、国道401号線沿いの喰丸峠入口に到着。


自転車を防雪擁壁の内側に停めて、熊鈴を取り出す。まだ熊たちは冬眠中で、無葉の残雪期の見通しの良い森の中で彼らに出会うとは思えなかったが、とりあえず身に着けた。


11:00、「大仏山」登山を開始。峠道の入口脇に立つ「峠路とけやきの森案内図」と小さな「森の巨人たち100選」(林野庁選)の看板を読む。峠道沿いにはケヤキの古木群があり、樹齢は300~500年という。福島県のホームページには『樹高30m胸高直径1m前後のケヤキの巨木が数十本林立』と書かれている。*参考:福島県会津若松建設事務所「ふるさと回廊あいづ(名木)<峠路のケヤキ>

  

峠道の雪は少なく、積もっていても靴は2㎝ほど沈み込む程度で、せっかく用意してきたスノーシューを使う事はなかった。前回、雪に埋もれた階段も、露わになっていた。

 

ケヤキの巨木が峠道沿いにあった。

  

途中、苔むした観音様に一礼。登山の無事をお願いした。光背には“安政五”(1858年)と刻まれていた。

 

高度が上がるにつけれ、峠道の残雪は増えていったが、表面の硬さは変わらず、靴が沈むことはなかった。

 

 

喰丸峠が近づくが、様子が変だった。峠道が巨木で塞がれていたのだ。


11:24、喰丸峠のピークに到着。折れたスギの木が、切通しとなっていた峠道のピークを、ほぼ塞いでいた。雪の重みで破断し、折れた事を明らかだった。


この幹の“持ち主”はすぐに分かった。尾根側に、根元から10mほど残して立っていた。幹の中心部は黒ずみ、虫害で脆くなっていたようだが、これだけの巨木を折ってしまう、自然の力に畏怖した。

  

 

11:26、気を取り直して、「大仏山」を目指す。

前回は雪の下に埋もれ見えなかった、喰丸峠から尾根の取り付く、少し崩れかかった木製の階段を登った。

 

木製階段を登る途中、折れたスギの根元に傾いた石祠があった。山神様と思われた。一礼して、山に入る事の許しを請うた。

 

 

尾根にのると、ブナを中心とする混成林の間に道のような空間が広がっていた。

 

まもなく“見晴台”に到着。二基のベンチと標杭があった。標杭にはここから見える“鍛金山”と書かれていたらしいが、文字は消えかかり判別できなかった。頻繁に山行録を参考にさせていただく、「福島登高会」さんの「大仏山」の項には『標柱に鍵金山、館の腰山、大仏山などの彫った字が読め...』と書かれていた。*参考:「福島登高会」URL:http://www.ftk-ac.net/index.html

 

“見晴らし広場”の先に、道らしき空間が見られなかったが、丸みを帯びてはいたが、尾根がはっきりと見えていた。登山道が無いということで、木の密集度を考えると、無雪期は葉や藪に覆われ進路をとるのに難儀するだろうと思った。

 

ほぼ平らな尾根を進む。全ての木々の根元は“根開き”し、春の風景が広がっていた。

  

まもなく、“先人の足跡”となるリボンが現れた。“登山道無し”という山に挑むとき、これを見ると安心する。

 

斜面には見渡す限りの“根開き”。圧巻だった。

 

 

進む尾根は、丸みを帯び続けた。

 

木が密集してくるが、雪のおかげで尾根がが丸みを帯びていても“中心”が分かり、安心して進むことができた。

 

 

927mポイントから進路が西に変わり、徐々に傾斜が増す。ただ、雪上の適度な緩さは変わらず、足を取られることも滑ることもなく、快調に進む事ができた。

 

 

傾斜が増すと、逆木が目につくようになった。

 

小枝の上に雪が載り、真上に成長することを妨げていた。このまま、横に張り出し成長せざるを得ない、木々の無念さを思った。

 

逆木群は「笠倉山」のそれよりはおとなしい感じがしたが、無雪期には、それなりに登山者を苦しめるだろうと思った。

*私の行く手を阻み続けた「笠倉山」の逆木群。『バケモノか⁉...』と唸った木は、多かった。(参考:拙著「只見町「笠倉山」登山 2021年 紅葉」) 


 

これだけの雪が残っていると、花の芽吹きには期待していなかったが、マンサクが見られた。“まずさく”というだけあって、色の無い山肌で“黄一点”だった。

 

他の木花は、蕾が圧倒的に多かった。ただ、地表に残る雪の上で、まもなく咲かんとする姿は、たくましく、そして既に美しかった。

 

 

傾斜が増し、尾根は鋭角になり、なだらかな北側の斜面だけに残雪が見られた。

 

930mポイントを通過。

 

次の940mポイントに雪は無かった

 


次第に、ガスが出てきて、小さな雨粒も落ちてきた。


ガスが出てきたことで、雪の白さが増し、幻想的な眺めになった。青空のもとでスノートレッキングを期待していたが、この予想外の素晴らしい光景を見て、今日の山行は良いものになったと思った。


950mポイントを通過。

 

 

962mピークに向けて登坂。けっこうな急坂で、雪がなく笹が密集し、灌木も濡れていたため何度も靴底が滑った。

 

12:45、少し息を切らし、962mピークに到着。一部に雪が残っていた。

 

先に進む。濡れた笹や灌木が行く手を阻み、周囲はガスに覆われ尾根筋も見えず、一時どちらに進んでいいか迷ってしまった。

 

一縷の望みをもってスマホを取り出すと、アンテナが3本立っていた。救われた、と思い国土地理院の地図を見て等高線を、コンパスで方角を確認し、進むべき先を特定した。

藪の中を少し引き返し、進路である西に目を向けるとガスに覆われ、見えるはずの「大仏山」山頂はすっぽりと隠れていた。ただ、足元に痩せ気味で急な坂となった尾根が見え、鞍部に向かって慎重に下った。

 

途中、視界の右端に淡いピンクの群生があった。イワウチワだった。去年の4月に柳津町の「黒男山」(980.4m )に登った際も、小雨降る中でイワウチワの群生に出遭った事を思い出した。

 

尾根は一時ヤセた。ここで初めて踏み跡らしき痕跡を確認した。

 

鞍部に到着するとガスが晴れ、「大仏山」山頂部分の全体がはっきりと見えた。

 

斜面に取付き、途中までは難なく登れたが、尾根の直前の傾斜が増した。登山靴で雪を削り、足場を作りトラバースしながらゆっくり登った。

 

まもなく尾根という場所で、見事な枝ぶりのブナの大木が現れた。

 

尾根にのり、山頂を目指す。また、ガスが出てきた。

 

平場が近づくと、雪が無くなり、苔むした大岩が現れた。

 

さらに少し進むと、小枝に巻かれたピンクリボンが見えた。

 

 

 

13:22、「大仏山」山頂に到着。国道401号線の喰丸峠入口から2時間22分、喰丸峠の取付きから1時間56分掛かった。

 

三角点標石は4つの小岩に取り囲まれていた。小岩は苔むし、長年置かれ続けていた事が察せられた。

 

三角点標石に触れて、“三度目の正直”の登頂を祝った。

 

標石には三等の文字が刻まれていた。

 

山頂の眺望は、ほとんど無かった。

南側の様子。

 

北側の様子。

 

北側の木々の間をよく見ると、麓の風景がうっすらと見えた。


 

山頂から、踏み跡と思われる場所を西に進んだ。 

 

麓が見えた。国道400号線と思われる筋が確認できた。

 

踏み跡は下に続いているようだった。桑袋沢登山口から登ると、ここに出てくるのだろうかと思った。

  

 

 

13:50、下山を開始。962mピークとの間の鞍部に向かって下りるが、意図的に靴を滑らせると、楽に下ることができた。

 

鞍部に着くと、周囲が陽光に照らされた。“曇りのち晴れ”の予報が、やっと現実となった。

 

鞍部から962mピークに向かう急坂で、再びイワウチワの群生を眺めた。

 

962mピークの肩に到着し、振り返ると「大仏山」山頂が良く見えた。往路、これが見えれば、一時とはいえ、迷う事は無かったと思った。

 

一部開けた場所からは、南側の山々が見えた。

 

そして北東に目を向けると、山頂付近が雲に覆われた会津百名山33座「博士山」(1,481.9m)の堂々とした山塊が見えた。

 

その「博士山」山麓には奈良布集落の家々が見えた。

 

 

962mピークから、藪に覆われた斜面を下りる。笹と灌木、そして倒木は濡れ、往路同様に何度も靴底を滑らせた。

 

急坂を下りきり、振り返る。夏場、葉が茂っていると、やっかいな場所だと改めて思った。

  

 

この先は、雪に覆われた緩やかな斜面を快調に下った。

しかし、丸みを帯びた尾根の快適さに注意が散漫とし、927m分岐を真っすぐ進んでしまった。往路の雪上の足跡が無い事に気付き、100mほどロストで済んだ。無雪期だったら、間違いに気づくのはさらに遅れただろうと思った。

927m分岐に戻り、左に曲がり進路を南東に変えた。途中振り返って、927分岐から東(右)に向かう間違って進んだ尾根を眺めた。

 

この後は、問題なく下山ができた。

進路を南東から南に帰ると、右手、北西に「大仏山」山頂に向かう尾根筋が見えた。

 

 

14:57、見晴らし台を通過。

 

15:00、喰丸峠取付き口に到着。折れ落ちたスギの幹の大きさは、異様だった。

 

峠道に下り、国道に向け進んだ。

 

途中、観音様に登頂の報告と、無事に登られた事を感謝を伝えた。

 

峠道も難なく下り、国道401号線が見えてきた。

 

 

15:17、国道沿いの喰丸峠入口に到着。「大仏山」山頂から1時間27分で戻ってきた。


 

15:30、熊鈴を取り外し水を一口飲んで一休みした後、自転車にまたがり喰丸峠入口を後にして「喰丸小」に向かった。

 

15:40、「喰丸小」に戻ってきた。陽が差し続けていたようで、気温も上がっていた。

 

喰丸峠口から「大仏山」山頂に登頂し、無事に登山を終える事ができた。 

春の残雪期、適度に固い雪の上を足を滑らせる事無く、根開きした木々を眺めながら歩き進める登山は、気持ちが良かった。特に、喰丸峠から962mピーク下までは、楽しく雪上トレッキングができ、今まで体験したことのない登山となった。山頂を含め眺望はあまり得られず、962mピーク前後の鞍部に続く急坂は注意が必要だが、今回程度の残雪ならば、まったくの初心者以外は気持ちよく登山が楽しめると思った。

ただ、無雪期は本来が藪山ということで、一転上級者の山になるだろうという印象も受けた。事前に拝見した山行記の記述の通り、喰丸峠からベンチが置かれた標杭を過ぎると、木々の間を縫うように歩き進むことになり、962mピークまでは尾根が丸みを帯びていた。葉が生い茂れば、尾根筋を特定できず、踏み跡が無ければルートを外れてしまうことは容易に想像できた。

さらに、雪の下には逆木も多く見られた。急坂に逆木が密集していた「笠倉山」(只見町)ほどではないが、“登山道無し+尾根筋あいまい”ということで、逆木を越えるのに夢中になると、ルートを見失ってしまうという危険もある。 昭和村の「大仏山」は、早春の残雪期に登山することが良いのではないだろうか。

只見線を使った「大仏山」登山を考えた場合、バス停がある「喰丸小」に近い、熊野神社-桑袋沢登山口が整備されるのが望ましいと思う。喰丸峠登山口は、バス通りから2.8km歩く必要があり、少し遠い。熊野神社-桑袋沢口は「会津百名山ガイダンス」に掲載されていることもあり、ここをスタート点として標準の登山道とすることは自然だ。熊野神社-桑袋沢口が利用できれば、昭和村の「会津百名山」四座中三座(高館山、愛宕山、大仏山)がバス停近くに登山口を持つようになる。是非、昭和村には熊野神社-桑袋沢登山道の整備を望みたい。



16:08、トイレを使わせてもらい、ベンチで一休みした後、「喰丸小」を後にし、今夜の宿のある金山町小栗山地区に向かって自転車を進めた。

 


国道400号線を進むと、まもなく「大仏山」山頂がひょっこりと見えた。ここは、山頂の南端からわずかに見えた場所だった。

 

「大仏山」山頂は木が密集しているのが良く分かった。

 

 

さらに国道を進むと、陽に照らされた「大仏山」山頂と962mピークが見えた。


962mピークの西側のスギの密集と、鞍部の様子が見て取れた。

 

 


この先、国道400号線を陽光と西からの強めの風を受けながら、自転車をこいだ。

 

16:42、「昭和温泉 しらかば荘」の前を通過。日帰り温泉を利用したかったが、宿は14kmも先にあることもあり、今回は断念した。

*「昭和温泉 しらかば荘」は宿泊もできるが、休日祝日やその前日は一人での利用はできないようだった。 *奥会津からむしの里 源泉掛け流し温泉 しらかば荘 URL:http://karamushi.co.jp/shirakabasou/

 

 

野尻地区を進み、野尻川との並行区間を進む。野尻川は雪融け水で増水し、勢いもあった。

 

松山地区を抜けると、無名山(736m)の斜面に滝が見えた。水は山腹から出ているようだった。

  

 

 

17:15、昭和村から金山町に入った。

 

綱木橋上から野尻川右岸の乞食岩を眺めた。

 

17:25、前方に玉梨八町温泉郷が見えた。

 

  

小栗山地区に入ると、まもなく県道237号線との分岐に到着。県道を少し入った所に、今夜の宿が見えた。

 

17:40、民宿 「朝日屋」に到着。「喰丸小」から約20kmを、1時間30分で駆けた。“坂井の坂”以外は下り基調なので、昭和村から金山町の自転車移動はさほど苦にならない事を、今回も確認できた。

 

受付をして、2階の部屋に案内された。今回は4.5畳の部屋だった。

 

 

風呂に浸かって、まもなく18時30分となり、食事会場となる1階の大広間に向かった。客は男性ばかりで、他5組6人だった。

 

『ようやく(山菜が)出てくるようになりまして...』と御主人が言って紹介してくれたコゴミのお浸し。香り、歯ごたえ、が良く抜群に旨かった。

 

金山町特産の沼沢湖のヒメマスの塩焼き。ほんのり桃色で、肉厚の身は、これまた旨かった。

 

そして、深紅の会津の馬肉。辛子味噌に少し醤油をたらし食べた。独特の肉感は想像通りで、旨かった。



(了)


 

・  ・  ・  ・  ・

*参考:

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)

・福島県 生活環境部 只見線再開準備室:「只見線の復旧・復興に関する取組みについて」

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。 

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

 

以上、宜しくお願い申し上げます。


次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

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