昭和村「旧喰丸小学校」 2016年 紅葉

映画のロケ地ともなった「旧喰丸小学校」。1937(昭和12)年に建てられた木造校舎とその前面に立つ銀杏を見るためにJR只見線と自転車を利用し昭和村に向かった。

 

今日の旅程は、以下の通り。

・只見線で、現在の終点である会津川口駅まで向かう

・輪行した折り畳み自転車で、国道400号線を南下、昭和村にある「旧喰丸小学校」に行く

・国道400号線を引き返し、国道401号線に入り新鳥居峠を越え、南会津町南郷地区に入る

・国道289号線から西に進み、只見駅に向かう

・只見駅から只見線の代行バスに乗り、帰路に就く

 

 

自転車での走行距離は67.6km。会津若松~郡山間の距離を優に超える。折り畳み自転車で大丈夫だろうか、と不安ではあったがチャレンジしてみた。

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・東日本旅客鉄道株式会社「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線の秋

 

 


 

 

前日、三島町の「第一只見川橋梁」を訪れた後、会津若松に引き返し宿泊した。

 

始発列車に乗るために6時前に会津若松駅に移動。駅頭の「あかべこ」のお尻越しに、これから日の出を迎える雲一つ無い空が広がりを見て、期待が膨らんだ。

  

改札を通り、只見線の4番線に移動するため連絡橋を渡る。会津川口行きの列車は入線し、北東には「磐梯山」が見えた。

 

土曜日ということもあり、車内とホームには乗客の姿がポツポツと見られた。

6:00、定刻通り会津若松を出発。

  

 

七日町を経て、西若松を過ぎて渡河した阿賀川には川霧が漂い、幻想的な風景を作っていた。

渡河後、列車は会津平野を疾走した。

  

 

 

会津坂下(会津坂下町)で高校生を降し、七折峠を越え奥会津となり、柳津町を駆け抜け、三島町に入った。

  

会津桧原を過ぎると、「第一只見川橋梁」を渡る。昨日見たばかりだが、また表情が違い、見惚れてしまった。車窓の汚れは、少し残念だったが。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館歴史的鋼橋集覧

  

 

会津宮下を過ぎると、まもなく宮下ダム(東北電力㈱宮下発電所の調整池)が現れ、列車はしばらくダム湖と平行して走る。ダム湖にはさざ波があり、“湖面鏡”ではなかったのが残念だが、両岸の紅葉は見事だった。

  

車内の乗客も、車窓を流れる景色に見入っていた。運休区間のある現在は、七折峠を越えてから会津川口まで、山間部と只見川沿いを走るこの区間は、紅葉が綺麗で車窓に釘付けになってしまう。

   

  

わずかに只見川と離れた後、列車は「第三只見川橋梁」で渡河した。

 

 

会津水沼(金山町)を出発し、まもなく「第四只見川橋梁」を渡った。下路式トラス橋のため、鋼鉄の間から景色を見ることになる。

 

 

会津中川を過ぎ、再び只見川(東北電力㈱上田発電所・上田ダム湖)に沿って走ると、上井草橋が出迎えてくれた。


 

 

 

8:04、定刻に会津川口に到着。北西の山々には雲(霧)がかかっていた。昭和村の天気が大丈夫か、気になった。

 

   

駅構内に入り、売店と併設されている金山町観光情報センターにいる町のゆるキャラ「かぼまる」に再会する。今回は衣装を羽織っておらず、“生”かぼまるだった。

 

駅舎を抜けると、駅前の花壇には、今日も綺麗な花が咲いていた。

  

 

 

 

8:38、駅頭で自転車を組み立て、さっそく出発。約70kmをこの折り畳み自転車で走る。

  

駅前を走る国道252号線から、昭和村につながる国道400号線に入る。勾配がきつく、自転車を押して進んだ。

  

坂を登り、緩やかになったところで自転車にまたがり、ペダルをこぎ始めた。

 

 

まもなく小栗山スノーシェッドが現れる。これから金山町を超え昭和村の野尻集落の手前まで11基*ものスノーシェッド**を通り抜けることになった。 (注釈) *松山スノーシェッドを3基として数える **八町ロックシェッドを含む

 

 

駅を出発してから約10分。沼沢スキー場や沼沢湖に抜ける県道237号線の分岐点に近づいたところで、強い日差しが現れ、前方に雲(霧)の上部に青空が広がった。

“青空に映える紅葉”、それが現実のものになりホッとし、ここからは陽を浴び続け自転車を走らせた。

 

 

湯元橋にさしかかると、国道400号線に沿って流れる野尻川が現れた。橋の上からは紅葉と渓谷を見る事ができ、これからの旅に期待が持てた。

 

まもなく、玉梨温泉を通過。今年9月25日にリニューアルオープンした町の天然炭酸温泉保養施設「せせらぎ荘」が見えた。

 

 

さらに、国道400号線を進むと気持ちの良い直線道がのびていた。

この直線の途上に「玉梨とうふ茶屋」がある。『幻の青ばととうふ』が有名な店だが、今日は時間がないため、またの機会に訪れたいと通過した。

 

 

道沿いには、紅葉を写真に収めようとカメラを構える観光客の姿も見られた。

 

 

 

玉梨スノーシェッド(746.6m)を抜けると、国道400号線は野尻川と交差するように延び、渓谷の紅葉は、見事だった。

小網木橋上から見える「乞食岩」と呼ばれる景勝地は、美しい眺めだった。看板などの案内が無い事が『もったいない』と思えた。

    

さらに、沿道には素晴らしい景観が続き見惚れてしまい、なかなか前に進まなかった。


  

 

出発から約45分。昭和村に入った。村の中心部はまだまだ先になる。


  

野尻川沿いに、色づく山肌が続いた。

 

    

松山第二スノーシェッドの出口の先には田んぼが広がっていた。

   

ここで田越しに珍しい地形が見られた。雪崩路と思われる筋が斜面に現れ、山肌を彩る紅葉にアクセントを与えていた。豪雪地帯ならではの景色だと感じた。

 

 

国道400号線は、しばらく平坦な道が続いた。 

現在の昭和村は野尻川が作り出した平地に点在した大半の村が合併を繰り返して生まれた。国道400号線を進むと、野尻川に沿って現れる平地に、各集落(旧大芦、小野川村を除く)が現れることになる。

1889(明治22)年:松山村、野尻村、下中津川村、小中津川村が合併し、新・野尻村となる
1889(明治22)年:佐倉村、喰丸村、両原村、大芦村、小野川村が合併し、新・大芦村となる
1927(昭和2)年:新・野尻村と新・大芦村が合併し、昭和村となる

  

 

山崎橋を渡り、野尻集落の中心部に入った。野尻川右岸には「寺の下清水」がある。*参考:昭和村観光協会「昭和村の湧き水

  

  

岩本橋を渡った直後、国道400号線はほぼ直角に曲がり、野尻川沿いのまっすぐな道をしばらく進んだ。

  

コンクリートの堤防から川を覗くと、カモが伸びやかに泳いでいた。

   

 

野尻集落を超えると、緩やかなアップダウンを繰り返す区間になった。右手、野尻川右岸の田は見事に圃場整備されていた。

    

  

下中津川集落に入り、ようやく道の駅「からむし織の里しょうわ」の看板が現れた。あと3.4kmで、小休止が取れると思い、気が休まった。

  

昭和村役場の前を通る。村の人口は1,322人(平成27年国勢調査確定値)。前回(平成22年)より178人減り、高齢化率は54.8%と金山町に次ぎ県内2番目に高くなっている。

   

玉川と分流し、やや細くなった野尻川を眺めていると、4人のサイクリストたちが颯爽と駆け抜けていった。ツーリング用の自転車は軽やかだ。この先、約50kmの旅程を思うと羨ましくなった。


 

 

10:27、会津川口駅を出発してから1時間50分で、道の駅「からむし織の里しょうわ」に到着。佐倉(サグラ)地区にある。

 

2015年2月22日に「雪まつり」に来て以来、約1年9か月ぶりとなる。積雪の無い敷地を、初めて見ることになった。

  

ここで小休止。会津川口駅の売店で購入したおにぎりを頬張る。買う時、製造者である地元(金山町川口)の山内さんが売店に並べていた。この「ネギみそ」は格別にうまかった。

  

 

おにぎりを食べ終え、昭和村の物産品が買える売店があり、からむし織の実演見学や体験が可能な「織姫交流館」に入る。まず目に飛び込んできたのが『糸作り実演』。「からむし織研修生」が作業をしていた。*参考:文化庁:福島県昭和村「からむし織体験生『織姫・彦星』事業」pdf

 

廊下を右に曲がり、奥の部屋(機織室2)には織機が並び、スタッフと並んで一般方がからむし織体験をされていた。

 

実は昨日、ここ「道の駅 からむし織の里しょうわ」に福島県の内堀知事が訪れて体験生と交流をもったという。今日の福島民報が伝えていた。

 

  

  

約20分ほど滞在して、道の駅「からむし織の里しょうわ」を後にした。国道400号線に戻り、旧喰丸小学校を目指す。館の腰山(962m)を正面に見ながら直線道を走った。

   

まもなく、2本の大木の陰に、古い木造の建物が見えてきた。

 

 

10:58、旧喰丸小学校に到着。会津川口駅を出発して約2時間20分掛かった。想定よりも1時間多くかかってしまった。紅葉を見るために、ストップ&ゴーを繰り返していた為、しかたがないと思った。

    

校舎の目の前にそびえる銀杏の木。見事だった。映画「ハーメルン」を象徴する景観。一度見たら忘れられない。*参考:坪川拓史 監督作品「ハーメルン」(http://www.hameln-film.jp/)

  

  

玄関屋根を支える柱には校名板が掲げられ、「福島県大沼郡昭和村立喰丸小学校」と書かれていた。

  

しばらく、銀杏の木越しに木造校舎を眺めた。

 

どの角度からも、絵になる眺めだった。

  

時間が押していため、20分滞在で旧喰丸小学校を後にした。

これから南会津町を経由し只見町に入り、14時32分までに只見駅に到着しなければならない。現在11時20分、残り3時間12分。


 

 

国道400号線を引き返し喰丸郵便局を左折、国道401号線に入り、頂点の新鳥居井峠を目指した。

  

坂の途中、「千石沢集落」との案内。森に囲まれたこの場所に“集落”とは違和感があったが、帰ってからGoogleMap®を見ると、確かに家々があった。

 

坂は急だったが、この色づきに元気づけられた。視覚の刺激は、体力の消耗を忘れさせてくれると思った。


  

  

上り始めて約20分。キャンプ場を持つ「奥会津昭和の森」入口前を通過。

  

「奥会津昭和の森」を頂点に、道は下り始めた。“まさか峠の終わりか”と一瞬頭をよぎったが、まもなく現れた家々を見て納得。下り坂は大芦集落がある平地に向かっていた。旧大芦村の中心部だけあって、以外とは失礼だが、家が多かった。

    

しばらく進むと、ここに着く途上に建てられていた看板に記された「ファーマーズカフェ大芦家」が現れた。立ち寄りたいと思わせる佇まいで、次回は訪れたいと思った。

 

 

 

先を急いだ。畑沢川を超えるとまもなく、坂道となった。ここでも自転車を押すことにした。折り畳みの小径車輪の自転車には、きつい傾斜が続いた。

  

途中、気合を入れ、自転車をこぎ出す。緩やかなカーブが続き、正面に急が右カーブが現れ、左手に小さな看板があり「天狗の冷泉」と記されていた。立ち止まる体力がなく、通過してしまう。次の機会にしたい。

   

ここから道幅が狭くなる。自動車のすれ違いは難しいだろうと思った。この山は「大芦共有地組合」の所有のようで“入山禁止”の看板が目立っていた。

 

この先はカーブが続き、途中下り坂になった。対向自動車に注意しながら下ると、視界が開けた。青空の下、色づいた山々が連なっていた。

  

 

更に下る。太陽の光越しに見る紅葉が、華やかだった。

 

 

下り坂の終点には「玉川渓谷」があった。

 

ふくしまの水三十選」になっているという。倒れたガードレールと川に浸っている倒木が気になるが、なかなか美しかった。

  

  

「玉川渓谷」を超えると、また上り坂となる。緩やかに思えたが、途中力尽きて、また自転車を押してしまった。この峠(新鳥居峠)は、折り畳み自転車には難儀すぎると実感した。

 

 

 

藤八の滝」の直近にある奈中沢橋を渡り、ヘアピンカーブを抜け、長く伸びる坂道を上る。その突き当り、三階山の“交差点”に着く。左に行くと「駒止湿原」に向かい、この道の途中には「冷湖(ひゃっこ)の霊泉」があるという。ここも次の機会に、訪れたいと思った。*参考:昭和村観光協会「昭和村の湧き水

  

  

この先、細くなった国道401号線を進むと、ヘアピンカーブが二ヶ所続いた。その間の直線では、色づいた木々を陽の光が差していた。また、元気が出た。

   

この先のヘアピンカーブを抜けると長い直線に出た。目の前の山の稜線に、峠の終点は近いと感じた。

 

直線を抜けると、勾配のキツい3か所のヘアピンカーブになった。

 

最後のカーブから眼下を見下ろした。美しい!、と思うと同時によくこの自転車で登ってきたなと、我ながら感心してしまった。

 

 

 

12:38、国道400号線との分岐点・喰丸から約70分。ようやく昭和村を抜け南会津町(旧南郷村地区)に入り、「新鳥居峠」の頂に着いた。

 

「新鳥居峠」の案内板が神々しかった。

  

ちなみに、“新”というからには「鳥居峠」があると思い、帰宅後調べてみると、この北、高清水公園(南会津町)の北東にあった。現在、旧道の存在は確認できるが、ケモノ道でとても通れないという。*下図出処:国土地理院 地理院地図 *筆者、一部加工

  

“登頂”の余韻に浸っていたかったが、時間が押していたので、さっそく峠を下った。“青空の下に映える紅葉”を見ながら、自転車を進めた。

  

 

下りの威力は絶大、約10分で5.6km先の会津高原南郷スキー場の前を通過できた。

 

右手に鹿水(かなみず)川と対岸にあるホテル南郷(さいたま市の保養施設)の赤屋根を見ながら、坂を下りきった。

  

この先、T字路にぶつかり、右折。国道289号線に入り、只見駅を目指して自転車のペダルを漕いだ。

この南会津町の旧南郷村地区、只見町の旧明和村・旧朝日村地区は、伊南川沿いにある。国道289号線も伊南川沿いを走り、山々の間を抜けてゆく。

ちなみに、この国道289号線は福島県いわき市と新潟県新潟市を結ぶ列島横断道路の一つであるが、国内最長の“点線国道”区間を持つ。只見町叶津~新潟県三条市塩野渕(19.6km)の通行不能区間がそれ(点線国道)だ。この区間は「八十里越」(参考:新潟県三条市)と呼ばれ、当時とルートが完全には一致しないが、幕末の長岡藩家老・河井継之助が次のように詠んだ難所である。

〽 八十里 腰抜け武士の 越す峠

 

 

国道を進むと、「御蔵入三十三観音」の三十二番札所「下山観音堂」の前で、「只見」の文字が入った案内標識が現れた。*参考:極上の会津プロジェクト委員会 日本遺産「会津の三十三観音めぐり」 御蔵入三十三観音


 

まもなく、只見町に入る。町名案内標識は独自のもので、“ここから 只見ユネスコエコパーク”となっていた。


   

途中、おにぎりを食べて水を飲み一服。列車の出発まであと1時間20分。急がねば、と思った。

 

 

しばらく進むと、伊南川が一望できる場所に。立ち止まり、振り返ってシャッターを切った。

     

和泉田橋を左に見てしばらくすると、ハッとする光景に出くわした。両脇に迫る山々と、伊南川沿いに広がる平地が創るこの見晴らしは、一瞬疲れを忘れさせてくれた。

先に見える直線道のほぼ中間、右手の山の麓に御蔵入三十三観音の一番札なっている「成法寺」がある。篭岩を背にした建立500年を超える古刹で、観音堂は国重要文化財になっている。

   

明和郵便の前を通り、左カーブを過ぎると伊南川にかかる明和橋を渡った。これより先、伊南川は只見川に合流するまで、国道の右側を流れることになる。

  

 

徐々に、疲れが現れて、自転車を漕ぐ両足のだるさと両ヒザの痛みで朦朧としてきた。最後のチェックポイントとしていた只見町交流促進センター「季の郷 湯ら里」の前を通過。通過予定を13時20分にしていたが、この時13時35分。列車の出発まで57分。距離は13km。『間に合わないかも』と弱気になった。

この「季の郷 湯ら里」は温泉宿泊施設で、日帰り温泉施設「深沢温泉 むらの湯」を併設している。ここも次の機会に訪れ、ブナ林「恵みの森」のトレッキング後に泊まってみたいと思っている。 *参考 林野庁 関東森林管理局 「恵みの森 郷土の森」pdf

  

 

平坦でほぼ直線の国道を、ペダルだけに力をこめて自転車を走らせた。まもなく、前方に冠雪した「浅草岳」が見えた。只見駅は近い、そう思い気を入れ直した。列車の出発まで46分。

  

楢戸地区にある一本の木。根元には複数の塚があった。昔から街道(沼田街道)の目印になっていたのだろう、情緒ある風景だった。列車出発まで、あと28分。

 

 

 

只見町に入って二つ目のスノーシェッド「舘ノ川スノーシェッド」を潜り抜け、只見川と合流する伊南川、その向こうに柴倉山(871m)を右に見ながら、緩やかに下る。

すると常盤橋越しに、見慣れた山の稜線が目に飛び込んできた。只見駅の裏手にある「要害山」に間違いなかった。『やった! なんとか間に合った』とひとりごちた。


常盤橋から只見川上流、只見ダムと田子倉ダム方面を眺める。「只見町ブナセンター」のドームが陽の光を受け輝いていた。

 

 


 

14:20、一時は弱気になり『間に合わないかも...』と思ったが、なんとか代行バス出発時間前に只見駅に到着した。

 

「要害山」は見事に色づき、今年7月20日の登山時とは全く違った趣となっていた。

  

駅頭には、只見線の不通区間(只見~会津川口)を結ぶ代行バスが横付けされていた。今までにない大きな車両だった。今日は土曜日で、紅葉シーズン真っ只中。新潟県の小出駅(魚沼市)経由でやってくる首都圏の観光客が、多く見込まれるからだろうと思った。

  

私は駅の窓口で切符を買い、バスに乗り込んだ。

14:28、小出発只見着の列車が到着すると、乗客が代行バスに次々と乗り込んできた。私は自転車を畳み、輪行バックに入れ、代行バスの最後部に座っていたが、輪行バッグが一席占有してしまった。全員乗る事ができたが、申し訳なく思った。

 

乗客が多かったためか、代行バスは定刻を5分程遅れて出発した。車内はほぼ満員で、区間不通でありながら人を惹きつける力が只見線にはあるのだと、改めて思い、喜んでしまった。

14:32、会津川口行きの代行バスが、只見を出発した。 

 

 

  

代行バスは国道252号線を北上し、まもなく隣駅の会津蒲生の付近を通過。先月11日に登った蒲生岳が、一部登山道となっている松の木立を除き色づいていた。

  

代行バスは進み、蒲生橋で只見川を渡り、再び寄岩橋で渡河。寄岩橋上から「只見川・JR只見線(現在不通)・蒲生岳」の“三点セット”を眺めた。「第八只見川橋梁」を中心としたこの景観は只見線屈指だが、私は紅葉の時期は初めて見た。格別に美しいと思った。

このあと、現在の会津塩沢“駅”となっている簡易郵便局の前に停車。3人の乗客を降した。金山町に入り、次の会津大塩“駅”では、大塩温泉共同浴場に行くという観光客を1人降ろした。

   

 

その後、会津横田会津越川本名の各“駅”と湯倉入口に停発車し、まもなく終点という地点で一部橋脚が流出した只見線の「第五只見川橋梁」が見えた。

 

 

 

 

15:25、定刻をわずかに遅れて、会津川口に到着。ほとんどの客は、3両編成の会津若松行きの列車に乗り込んでいった。私も列の後ろについて乗車した。

15:27、列車は定刻に会津川口を出発した。私は、車窓から陽が傾き始めた風景を見ながら、時間を過ごした。

 

  

 

宮下ダム湖(只見川)は、見事な湖面鏡を創っていた。

 

会津西方を過ぎ「第一只見川橋梁」を渡る。往路とは反対側、北の下流側を眺める。南側とは違った、雄大な景色が楽しめた。

   

  

列車は「第一只見川橋梁」を過ぎると、山間部を進み、七折峠を越えて奥会津から会津平野に入った。夕暮れでほんのりと染まった空気の層に、「磐梯山」が見えた。

    

 

 

 

17:20、列車は快調に進み。終点の会津若松に到着。ホームに降り立つと、ドンっドンっと腹の底に響く音。降り立った乗客の一人、小学生の男の子が『花火がここからでも見えるよ』と母親に話かけていた。どうやら、花火大会が行われているらしい。旅のフィナーレにはもったいなほどの、予期せぬ演出となった。

秋の花火。帰宅に調べてみると、「会津全国煙火競演会」の記念すべき第一回大会が開かれていたことが分かった。秋田・大曲に引けを取らない大会に育って欲しいと思った。

  

 

今日は「旧喰丸小学校」を見るまでは、素晴らしい旅だった。

しかし、その後3時間あまりで、新鳥居峠を越え、南会津から只見まで延々と国道289号線を折り畳み自転車で走破し、今回の旅程はかなり無理があると痛感した。

  

今回のような旅を、現実的なもの(多くの方が楽しめる旅)とするためには、 

 ①途中で一泊する(候補:季の郷 湯ら里(只見))

 ②ロードバイクを輪行する *参考:JR東日本「旅客営業規則 第2編 第10章 手回り品

 ③只見駅17:45発の列車に乗り、滞在時間を増やす *帰りの車窓は楽しめない!

などの方法が考えられる。

 

次回は、新緑の時期か、今回と同じように紅葉時かは分からないが、無理なく楽しるように計画し実践したい。


 

(了)

 

 

・ ・ ・ ・ ・ ・

*参考:

・福島県  生活環境部 只見線再開準備室: 「只見線の復旧・復興に関する取組みについて

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

  

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

  

以上、よろしくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

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