運休区間・走り納め / 只見線代行バス・乗り納め 2022年 晩夏

次の土曜日、10月1日に11年2か月振りに全線運転再開するJR只見線。区間運休中に会津川口駅~只見駅間を自転車で走り、代行バスに最後の乗車をしようと列車に乗って金山町に向かった。

  

平成23年7月新潟・福島豪雨」(2011年7月27日~30日)で、只見線は大きな被害を受け、会津坂下駅~小出間(113.6km)が運休となった。*下掲載記事:福島民報 2011年7月30日付け

 

JR東日本は復旧を進め、同年8月7日には会津坂下駅~会津宮下間(23.8km)、同年8月11日には大白川駅~小出駅間(26.0km)、同年12月3日には会津宮下駅~会津川口駅間(15.4km)、翌2012年10月1日には只見駅~大白川駅間(20.8km)を再開させた。復旧費用は会津坂下~会津川口間が約5億円、只見~大白川間が約2億円とされ、JR東日本が負担した。*出処:東日本旅客鉄道㈱「只見線について」(2013年5月22日) p8 URL:https://www.jreast.co.jp/railway/pdf/20130522_tadami.pdf

しかし、3本の鉄橋が流出するなど被害の大きかった会津川口駅~只見駅間(27.6km)が復旧されぬまま残り、代行バスが運行された。*上掲図出処:東日本旅客鉄道㈱「只見線について」(2014年4月)、同「只見線について」(2014年8月) 


その後もJR東日本は、同運休区間(会津川口駅~只見駅間)が管内屈指の赤字区間であることなどから、鉄路での復旧より『代行バスの運行継続が望ましい』との考えを示し続けた。*下掲載記事:福島民報 2016年6月19日付け

 

このため、JR東日本は福島県など関係自治体に対して、運休区間をバス運行に転換した場合の提案をした。*下掲図出処:東日本旅客鉄道㈱「只見線の状況について」(PDF)(2016年11月30日・12月1日) URL:https://www.jreast.co.jp/railway/pdf/20161130-1201tadami.pdf

 

提案の中では、会津川口駅と只見駅でバス乗換がスムーズにできるような駅舎改修まで踏み込んでいた。*下掲図出処: (同上)

  

最終的に、この提案は2017年6月19日の“只見線復旧合意”により実現されなかったが、福島県を中心とする沿線自治体の「上下分離(官有民営)方式」と運行経費負担という、相当踏み込んだ歴史的決断がなければバス運行に転換され、今頃これら提案が実行に移されていた可能性は高かった、と私は思っている。*下掲載記事:福島民報 2017年6月20日付け

  

このように、バス運行転換と鉄路復旧の議論が錯綜する中で、代行バスは11年間走り続け、只見線を一本につなぎ続けてくれた。この功績は大きく、最後の別れをしなければならないと思い、今回の旅を企画した。

 

今日は、まずは会津川口駅から只見駅まで輪行した自転車に乗って運休区間を見てまわり、27.6kmを体にしみ込ませ復旧費用81億円の重さを忘れないようにしたいと考えた。そして、只見駅から代行バスに乗り、最後となる車窓からの景色を焼き付けたいと思った。

現地の天気予報は晴れ。走り納めと乗り納めには絶好の日和に感謝し、只見線の列車に乗って金山町に向かった。

*参考:

・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)

・福島県:只見線ポータルサイト/「只見線の復旧・復興に関する取組みについて

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線復旧工事関連ー / ー只見線の夏

 

 


 

 

全線復旧(再開通)を控え、只見線に関する沿線の物産展などのイベント開催が増え、メディアへの露出も多くなってきている。地元紙・福島民報では、先月22日から隔週で組まれた特集「つながったレール -なつ-」が、今月も3度紙面を飾っていた。

9月4日は会津大塩駅(金山町)近くで開かれる農産物直売所を運営する「大塩おばちゃん会」、9月11日は会津塩沢駅(只見町)そばに花壇を整備し環境美化を行っている「塩沢地区と十島地区の老人会」をそれぞれ紹介。そして9月18日は『準備着々“再開”間近』と題して、新調された路盤や再開区間の試運転の様子、そして運行を終える代行バスの走行風景などの写真を掲載していた。*上掲載紙面:福島民報 2022年9月4日(日)10面、2022年9月11日(日)13面、2022年9月18日(日)11面

 

そして、今日の福島民友新聞では一面で元国鉄マン、第二社会面(22面)では只見線愛好会会長を取り上げ、それぞれインタビュー記事を掲載していた。*下掲載紙面:福島民友新聞 2022年9月25日

 

 

今朝、磐越西線の始発列車に乗るために郡山駅に向かい、輪行バッグを抱え1番線の列車に飛び乗った。

5:55、会津若松行きの列車が郡山を出発。

 

 

中山峠を越え会津地方に入っても、しばらくは曇り空が続いたが川桁手前で青空が見え会津百名山18座「磐梯山」(1,816.2m)が黄金色の田園越しに綺麗に見えた。

しかし、猪苗代手前で列車はガスに包まれ、その後「磐梯山」見えなくなってしまった。 

 

 

 

 

7:11、会津若松に到着。買い物をするために、一旦改札を抜け駅頭に出てみると、只見線全線運転再開を祝う幟が数多く立てられていた。

 

驚いたのが、「ふたたび、はじまる。再開、只見線」(URL:http://saikai-tadamiline.jp/)の幟。只見駅に停車する列車(キハE120形)の行き先表示が“会津若松”になっていた。

現在、運休区間(会津川口~只見)では試運転が行われているが、その際行き先表示には“試運転”と表示されている。この写真のために、わざわざ“会津若松”と表示させたJR東日本の仕事の質の高さに感心した。

買い物を済ませ改札に向かうと、その前には只見線ワンマン化(会津若松~只見間)を知らせるパネルが立てられていた。

無人駅が多い線路とはいえ、只見線より収益率の高い磐越西線の郡山~会津若松間で既にワンマン化が行われている事を考えれば、遅い決定だと思った。

 

改札を通り、階段に描かれた「ふたたび、はじまる。再開、只見線」の広告を見ながら連絡橋に向かった。

 

橋上にも、“只見線全線運転再開”に関するパネルが多く掲示されていた。

 

まもなく、列車到着の放送が流れ、会津川口からやってきた上り列車が入線した。橋上から見下ろすと、停車位置が変わっていて、一両分階段から離れていた。理由は分からなかった。

 

前回(8月29日)みかけた車両の“只見線開通50周年”のものは剥され、一部に「ふたたび、はじまる。再開、只見線」の丸いステッカーが貼られていた。

 

 

 

 

7:41、会津川口行きの下り列車が会津若松を出発。私が乗り込んだ後部車両には5人、先頭車両には2人の客の姿があった。

列車が動き出して、車両の両端の上部取り付けられたディスプレイを見ると、次の停車的が案内されていた。ワンマン運転に備えたもので、おそらく運賃表示もされるのだろうと思った。

 

列車は、七日町西若松で数名の客を乗せ、大川(阿賀川)を渡った。曇り空は変わりなかったが、一部に青空も見え、雲は陽を透過していた。良い天気になりそうな空模様だった。

 

列車は、会津本郷を出て、会津若松市から会津美里町に入り、会津高田を出発直後に右大カーブを経て、進路を真北に変え、黄金色の広大な田園の間を進んだ。窓を開けると、稲の香ばしい香りがした。

 

只見線は会津本郷~会津坂下間の大半の場所で、両側を奥行きのある田園に挟まれている。

この車窓から見える田園風景は、奥会津(柳津町・三島町・金山町・只見町)の山岳風景とは趣を大きく変え、只見線の“観光力”を思い知らせてくれる。新潟県側、魚沼市内の山岳・田園の風景も違うので、是非多くの方に、只見線全線を通して乗車して欲しいと思っている。

 

 

根岸新鶴を経て会津坂下町に入り、若宮を出た列車は会津坂下で停車中の上り列車とすれ違いを行った。キハ110形+キハE120形の編成だった。

 

会津坂下を出発した列車は、短い田園区間を駆け、七折峠に向かって登坂を始めた。ディーゼルエンジンの音が、車内に大きく響いた。

 

途中、木々の切れ間から会津坂下町の市街地を眺めた。

眼下の田んぼの一画にショッピングセンターができる計画(2022年11月オープン)があるが、移転新築された坂下厚生病院の隣に建てられるようで、建築が進んでいた。懸念された景観への悪影響は無いように思われた。

 

 

列車は、峠内にある塔寺を経て会津坂本に停車。貨車を転用した駅舎は、“キハ40形”色に塗り直されていた。駅舎の只見側には、只見線のマスコット「キハちゃん」が描かれているという。只見線全線再開通に向けての準備が沿線全体で進められていると思った。*参考:会津坂下町「只見線応援キャラクター誕生‼

  

列車は柳津町に入り、只見川の河岸段丘上の細く伸びた田んぼの間を進んだ。青空の面積が広くなり、強い陽射しが照り続けるようになった。天気予報通りで、安心した。

 

会津柳津を出て“Myビューポイント”から、会津百名山86座「飯谷山」(783m)を見る。雲は浮んでいたが、山容全体が現れ、今日は登山日和だろうと思った。*参考:拙著「柳津町「飯谷山」登山 2020年 初冬」(2020年12月6日)

 

列車は郷戸を経て滝谷を出発直後に滝谷川橋梁を渡り、三島町に入った。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋集覧1873-1960

 

 

会津桧原を出て、桧の原トンネルと抜けると只見川(ダム湖)の“橋梁区間”に入り、「第一只見川橋梁」を渡った。昨日までの雨の影響を心配していたが、水面は少し茶色い程度で、水鏡は冴え、周囲の風景と秋空を映し込んでいた。*ダム湖は、東北電力㈱柳津発電所・ダムのもの

 

反対側の座席に映り、上流の駒啼瀬の渓谷を見る。逆光だったが、こちらも見ごたえがあった。

 

前方の鉄塔の下に向かってカメラのズームをすると、「第一只見川橋梁ビューポイント」のDポイントに4名の“撮る人”の姿があった。*参考:極上の会津プロジェクト協議会「JR只見線第一橋梁撮影スポット

 

 

列車は名入トンネルを抜け、会津西方を出発後に「第二只見川橋梁」を渡った。上流側にそびえる会津百名山82座「三坂山」(831.9m)の稜線が青空に浮かび上がっていた。*参考:拙著「三島町「三坂山」登山 2020年 晩秋」(2020年11月23日)

 

ここでも反対の席に移動し、眺めた。列車は橋梁上で“観光徐行運転”をしてくれたため、スーッと延びる只見川が良く見えた。

 

 

列車は次駅に停車するために徐行し、“アーチ3橋(兄)弟”の次男・宮下橋を見下ろしながら、長男・大谷川橋梁を渡った。*参考:三島町観光協会(観光交流館からんころん)「『みやしたアーチ3橋(兄)弟』のビューポイント」(2013年6月16日)

 

会津宮下では、上り列車の到着を待ち、すれ違ってから出発した。

 

列車は、国道252号線を潜ると、只見川に沿い、東北電力㈱宮下発電所と宮下ダムの脇を駆けた。

 

宮下ダム湖(只見川)には、小さな波が立ち、水鏡は出ていなかったが、水面にせり出した豊かな木々の緑が良い景色を創っていた。

 

 

少し只見川を離れた後、「第三只見川橋梁」で渡河した。

 

反対の座席から上流側を眺めた。ここは素晴らしい紅葉が見られる場所だが、今秋この緑の空間がどのように色付くか楽しみになった。

 

 

列車は、滝原と早戸の両トンネルを潜り抜け、早戸を出た。すると近くの船着き場から船頭だけが乗った和舟が出ていた。船頭は列車に手を振って見送っていた。

 

 

金山町に入った列車は、細越拱橋(8連コンクリートアーチ橋)の緩やかな左カーブを駆けた。

 

会津水沼では、一人客が降りた。久しぶりに降車客を見たので、振り返って見てしまった。

 

 

会津水沼出発後に、列車は「第四只見川橋梁」を渡った。

 

下路式トラス橋なので、鋼材と鋼材の間を狙ってシャッターを切った。運休区間で新たに架けられた「第六橋梁」と「第七橋梁」も、この下路式トラス橋に変わったので、同じような工夫が必要になる。

 

 

渡河後、列車は国道252号線と只見川に並ぶように進む。国道では改良工事が進められていたが、只見線の法面との際に配管と共同溝らしい埋設物が見られた。

ここは東北電力㈱上田発電所・ダムの直下で、雨量の少ない時期は車窓から只見川に流紋が見られる貴重な場所なので、電柱を地中化するための設備ならば、景観上素晴らしいと思った。*参考:国土交通省 無電柱化の推進「電線共同溝整備の工程

 

国道の工事区間(水沼工区)は長いが、この先の新設道の脇には「ふたたび、はじまる。再開、只見線」の幟が並び立てられていた。

 

 

列車は会津中川を経て、大志集落の背後を駆けた。大きな右カーブに入る手前で減速し、『まもなく終点...』を告げる車内放送が流れる中、振り返って車窓から景色を眺めた。

只見川(上田ダム湖)に突き出た大志集落を包む、木々の緑と雪崩・雪食地形(アバランチシュート)の荒々しい山肌を持つ新潟県境に連なる山々。それらが青空と共に水鏡に映り込み、のどかで心洗われるような風景だった。*参考:国土交通省 国土地理院「アバランチシュート

この“大志俯瞰”は、晴れた日の朝にこのように見られるが、空気と水鏡の冴え具合で都度無二の光景となる。“観光鉄道「山の只見線」”の実現のためには、この眺めを失ってはならないので、住民の理解を得て大志集落内の建築制限など、金山町には制度作りをして欲しいと思っている。

 

列車はゆっくりと林道に架かる上井草橋(154m、トラストランガー橋)を潜った。

 

只見川の水鏡は続いた。

 

9:40、終点の会津川口に到着。

 

観光客と思われる方7人が降り、それぞれホームから写真を撮り始めた。

 

3人の男の子を率いたお母さんは、子ども達を列車の前に立たせ、記念撮影をしていた。

 

会津川口駅から先、只見駅までの27.6kmが「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で運休となっているが、この列車は10月1日以降の全線運転再開後も、会津川口止まりとなっている。

  

輪行バッグを抱え駅舎に入る。時刻表を見上げると、只見方面には代行バス6便があった。10月1日からは、“代行バス”と“只見行き”の文字が消え3便(8:15、15:29、19:00)となる。窓口の脇には、代行バス運転終了日を知らせる案内が貼られていた。

 

また、掲示板には会津若松駅にもあった列車ワンマン化を知らせる大きなパネルが掲げられていた。

 

そして、構内に置かれている金山町観光情報センターの入口には、只見線全線再開通を祝う大きな寄せ書きが貼りだされ、色とりどりの祝言で埋められていた。


 

 

 

9:52、駅頭に出て、輪行バッグから取り出した自転車を組み立て、会津川口駅前を出発した。

代行バスが未だ只見方面から到着していなかった。10月1日からは代行バスが無くなるので、郡山から只見方面に向かう場合は15時29分まで待たなければならず、現運休区間の列車を使った日帰り観光は、事実上不可能となる。

私が乗ってきた会津若松7時41分発の列車が、只見まで延長運転されることは“観光鉄道「山の只見線」”確立のためには欠かせない。「上下分離(官有民営)」で現運休区間を保有し、運行経費を中心となって搬出する福島県は、観光需要創出と定着のために経費を負担するとした上でJR東日本と協議し、土日祝日と三連休以上の日に只見までの延長運転を含めた“観光ダイヤ”を実現して欲しいと思う。

 


会津川口駅前を通る国道252号線に出て、南西に進み只見駅に向かった。

野尻川橋から、只見線の野尻川橋梁を見ると、違和感があった。青みがかった緑になり、カメラをズームにして橋梁の表示を見ると、2021年11月塗装と記されていた。

 

 

坂を越え西谷地区に入り、下り坂の途中で「第五只見川橋梁」を眺めた。只見川(上田ダム湖)の水鏡は比較的冴え、水面に“逆さ橋梁”が映り込んでいた。列車が走っていれば、良い絵になったと思った。

 

「第五橋梁」は、「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で会津川口方の橋桁1本(25.4m)と橋脚が流出し路床が無くなり、レールは宙に浮いた。*下写真出処:金山町「平成23年新潟・福島豪雨災害の記録 ~語り継ごう次の世代に~」(平成25年3月31日出版) p37

 

復旧費用の見積もりは約3億円。橋脚と橋桁が2本になった以外、大きな形状変更はなかった。*参考:福島県/東日本旅客鉄道㈱「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)

 

国道252号線を進み西谷橋を渡ると、前方に、袖の窪山(952.8m)を背後にした第六只見川橋梁が見えた。

 

西谷橋を渡ると、復旧工事の本名ヤードだった場所は空地になっていて、“おかえり只見線”とプリントされた只見線全線再開通を祝う幟がはためていていた。

 

 

10:15、途中で会津川口行きに代行バスとすれ違い、本名駅に到着。ホームの向かいには、只見線全線再開通を祝う幟が数多く立てられていた。

 

待合室の窓を覆っていた戸板は外され、ピカピカのガラスが嵌め込まれていた。入口は施錠されていて中に入られなかったが、コンクリート土間は新たに施工されたようで、木製のベンチも綺麗で、壁には真新しい運賃表が掲げられていた。

 

 

本名駅を後にして、国道252号線を横断し、坂を下り只見川左岸から“新”「第六只見川橋梁」を見上げた。旧橋の上路式ワーレントラス式から、「第四」と同じ下路式ワーレントラス式に大きく形状変更した。今日は、後方に控える東北電力㈱本名発電所・ダムのゲートが1門開放され放流していたので、絵になる眺めになっていた。

 

国道252号線に戻り、“新”本名架道橋を潜る。ここは、国道の本名バイパス施工のため旧橋全体が撤去され、橋桁は「第六橋梁」と同じ薄黄色になり、径間が広がった。

 

架道橋を潜ると、会津川口寄りの橋脚脇には堆く土が積まれていた。ここは「第六橋梁」のCE(ケーブルエレクション)法の左岸アンカー土台があった場所で、このコンクリート塊は埋められたようだった。

ここのアンカー部の地盤が想定より弱かったことで、復旧工事は約1年延びた経緯がある。ここは、只見線全線再開通の歴史で、“埋もれた”史跡になるだろうと思った。*出処:東日本旅客鉄道(株)「只見線(会津川口~只見間)復旧工事の完了時期について」(PDF)(2020年8月26日)


 

国道から本名バイパスの本名トンネルには入らず、旧道の坂を進んだ。本名第二スノーシェッドを潜り抜け、只見川の左岸から“新”「第六只見川橋梁」を眺めた。

 

この橋梁は本名ダムから放出された激流の影響を受け、下路式トラス橋全体が流出し、レールは破断した。*下写真出処:金山町「平成23年新潟・福島豪雨災害の記録 ~語り継ごう次の世代に~」(平成25年3月31日出版) p27

 

“新”「第六只見川橋梁」の只見方、本名トンネル出入口脇の仮設台は取り除かれたが、斜面上部のCE法の右岸アンカー部となったコンクリート基礎は残されていた。川床には旧橋のトラスを支えた橋桁の切断面が、陽光を受け静かに佇んでいた。

  

本名ダムの天端に進み、中央部から“新”「第六只見川橋梁」を見下ろした。

 

新橋は、約16億円と費用が見積もられ、橋長135.6m(786t)もの巨大な下路式ワーレントラス橋に生まれ変わった。*参考:福島県/東日本旅客鉄道㈱「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)

 

旧を更に進むが、本名スノーシェッド内の途中でバリケードが置かれ、通行止めになっていた。本名バイパスの建設は、このスノーシェッドの老朽化と劣化が理由の一つであったため、通行止めは当然だった。長らくお疲れさまでした。

  

本名ダム天端をUターンし、“会越林道”「本名室谷線」の未舗装道を進んだ。途中で振り返り本名ダムを眺めると、「第六橋梁」のトラスの一部が見えた。


林道を進み、本名バイパスの新霧来沢橋と、町道橋立三条線の鋼材吊橋・霧来沢橋(90.4m)を見下ろした。集落(下坪)の生活道の一部となる吊橋と真新しい幅員6mのバイパス橋が並ぶ様は、絵になっていた。

林道を引き返し、分岐する道を下り吊橋・霧来沢橋を渡ろうとするが、分岐道にロープが張られ通行止めになっていた。引き返すには距離が遠く、ロープを越えて進んでみた。すると分岐道の中間付近の路肩が霧来沢に向かって崩れていた。2mほど道幅が残っているため、自転車を押して進む事は問題なかったが、斜面に穿かれた道の形状を見ると、徒歩でも通るべきではない状態だった。

  

吊橋・霧来沢橋を渡り、下坪集落を抜け、側道から本名バイパスに入り国道252号線を進んだ。湯倉橋(219m)を渡ると、前方に只見線の路盤が見えた。

 

会津川口方面から列車でやってくると、「第六橋梁」を渡り本名トンネル(1,473m)を抜け、ここを通る事になる。運休前は比較的開放的な空間だったが、現在では本名バイパスの盛り土が迫り、電柱が只見線の路盤法面の際に立ってしまい、列車の車窓からの景観が一変する場所になってしまった。

 

 

本名バイパスの終了点付近では、「平成23年7月新潟福島豪雨」で浸水被害があった橋立地区を守るための堤防(2.5m)新設工事が進められていた。道路脇に立つ作業掲示板を見ると、右下隅余白に「ふたたび、はじまる。再開、只見線」のシートが貼られていた。これは、福島県建設業協会の若松・宮下・山口支部の取り組みで、『只見線再開通の機運を高めるため』に246枚のマグネットを用意したものの一部だと思われた。素晴らしい企画だと思った。*下掲記事:福島民報 2022年8月22日付け紙面

 

 

国道252号線を進み、山間の人気のない区間を進んだ。途中、只見線の小深入沢橋梁を眺めた。この橋は水害での被害は無く、外観上補強などの工事箇所も見られなかった。

運休区間には、被害を負った「第五」「第六」「第七」「第八」以外に19もの橋梁があるが、全てを安全確認し10月1日の再開通を迎える。「上下分離(官有民営)」でこれら施設を保有することになる福島県は、管理をJR東日本に委託するとはいえ、プラスにもマイナスにもなりうる財を背負う事になったと改めて思った。

 

 

11:11、会津越川駅に到着。ここは請願駅ということもあってか、駅周辺の広範囲にわたって除草がなされ、ホームにはプランターが置かれ苗が植えられていた。周辺住民の只見線への思いやりを感じた。

 

待合室の扉が開かれていて、内部を見る事ができた。本名駅同様、壁の塗り直しも含め、内部は美しく整えられていた。

 

運休区間の復旧費用81億円には、この待合室も含め、路盤に関わる斜面や軌道、信号設備などの復旧・整備に約23億円もの費用が見積もられた。今後、これらを保有し維持管理費を賄うのは福島県になる。

 

壁には、本名駅同様、真新しい運賃表が掲げられていた。

 

 

国道252号線に戻り、少し進むと、工事用看板に「ふたたび、はじまる。再開、只見線」のマグネットステッカーが貼られていた。 

 

そして、また先に進むと、大きな横断板が二つ立てられていた。奥には『代行バスさん 有難とうございました』の毛筆字と只見町のキャラクター「ブナりん」、手前には『待ってたよ只見線』の毛筆字と金山町のキャラクター「かぼまる」が、それぞれ描かれていた。

 

 

国道252号線を進み、東北電力㈱伊南川発電所の前を通過する際、只見線の伊南川発電所橋梁を見上げた。発電所は休止中のようで、只見川への激しい落水の様子は見られなかった。

 

 

 

越川地区から横田地区に入り、只見線の良々子沢橋梁の脇を通る。

 

橋桁に銘鈑があり、カメラをズームにして確認してみると電源開発㈱のものだった。現運休区間である会津川口~只見間は電源開発㈱田子倉発電所・ダムの建設のために敷設された「田子倉発電所建設用専用鉄道」 (会津川口駅~只見町石伏(32,3km)で、発電所・ダム完成後に会津川口~只見間を旧国鉄が電源開発社から買い上げ、只見線に組み込んだ歴史がある。


 

11:31、会津横田駅に到着。錆びついた駅名標はそのままだった。

 

待合室は施錠されていなかったので、中を見させてもらった。真新しい運賃表など本名、会津越川両駅とほぼ同じ内装だったが、ベンチだけ色が薄い茶色になっていた。

 

 

会津横田駅を離れ、「第七橋梁」に向かう。只見線と田んぼの間に延びる町道田沢上横田線を進み、途中、熊野神社の前にある大権現清水で給水した。

  

町道を少し進み、“新”「第七只見川橋梁」を只見川の右岸から眺めた。

 

旧橋のブレードガーター桁(第1~第4)が転用され、新しい橋脚で新造された下路式ワーレントラス橋と繋がっていた。「第六橋梁」と同じく、色は旧橋と変わらなかったが、それぞれ旧橋の桁を継続使用したからだと思った。

 

町道を進み、四季彩橋から“新”「第七只見川橋梁」を眺めた。

 

「第七橋梁」は豪雨で、上流の滝ダムから放出された濁流が狭隘部で嵩が増し、「第六橋梁」同様に上路式トラス桁が流出しレールが破断した。*下写真出処:金山町「平成23年新潟・福島豪雨災害の記録 ~語り継ごう次の世代に~」(平成25年3月31日出版) p10

 

新橋は復旧費14億円見積もられ、2020年9月8日に下路式ワーレントラス桁の閉合式を経て、同年中に完成した。*参考:福島県/東日本旅客鉄道㈱「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)

 

11:53、会津大塩駅に到着。駅名標の錆びつきは変わらずで、あえて交換しなかったのだろうかと思った。

 

待合室の扉は、会津大塩駅同様開けられていた。地域住民による、換気のためのものだと思い至った。

 

内部は、本名、会津越川両駅と同じで、会津大塩駅の運賃表も掲げられていた。

 

 

国道252号線に戻り、山間部に入って行く。途中、滝沢天然炭酸水に立ち寄った。

 

坂を下り、塩ビ管から落ち続ける炭酸水をペットボトルに入れた。ここは大塩炭酸場より炭酸が弱めで、私はこちらの方が好きだ。*参考:金山町「大塩天然炭酸場

 

 

国道252号線を進み、滝バイパスの滝トンネルに入る手前で、スノーシェッドの柱の間から、電源開発㈱滝発電所・ダムの躯体の一部を見た。只見川は、ダム直下ということもあり、浅瀬になっていた。

 

 

 

 

12:13、滝トンネルを抜け、只見町に入った。

 

町境となる只子沢にかかる橋から只見川(滝ダム湖)を眺めた。只見線を走る列車は滝トンネル(1,719m)に入っているため、この景色は代行バスで見納めになってしまう。

 

 

国道252号線の塩沢スノーシェッドの終盤、柱の間から十島集落と塩沢集落を眺めた。正面に「只見四名山」で会津百名山83座「蒲生岳」(828m)が聳え、その奥に、同じく「只見四名山」で会津百名山29座「浅草岳」(1,585.4m)がはっきり見え、それらの山々が只見川(滝ダム湖)に映り込み良い眺めだった。

この景色は、「浅草岳」はほんの一部になってしまうが、只見線の滝トンネルの出入口で見られる。 

 

塩沢スノーシェッドを抜けると、只見川の対岸に会津百名山71座「鷲ケ倉山」(918.4m)の全容が見えた。*参考:拙著「只見町「鷲ケ倉山」登山  2020年 晩秋」(2020年11月22日)

 

また、少し進むと、只見線のレール越しに会津百名山66座「笠倉山」(993.7m)の山頂付近が見えた。只見線沿線の会津百名山の頂は、どこも雲に隠れることなく、今日は登山日和になっただろうと思った。*参考:拙著「只見町「笠倉山」登山 2021年 紅葉」(2021年11月13日)

  

まもなく、「河井継之助記念館」前を通過した。只見線の目の前にあり、ここに会津塩沢駅を移転して欲しいと私は思っている。*参考:拙著「只見町「会津塩沢駅 周辺」 2020年 晩秋」(2020年11月22日)

 

国道252号線を更に進むと、塩沢簡易郵便局の前に『おかえり只見線 祝 JR只見線全線運転再開』と記載された板が立てられていた。

 

そして、緩やかな坂の頂で、会津塩沢駅方面を示す、手作りの案内板が立っていた。右に曲がり、短い道を進んだ。

 


12:29、会津塩沢駅に到着。会津越川駅同様、周辺は広く除草され、花壇も整備されていた。

 

待合室の扉も開かれ、換気されているようだった。

 

内装は、他4駅と同じで、運賃表は会津塩沢のものになっていた。


ホームの向かいには、18本もの幟が立てられ、只見線全線運転再開に関するものが13本、『河井継之助 終焉の地 只見線』と書かれたものが5本だった。塩沢地区は、戊辰役北越戦争の指揮を執った長岡藩家老・河井継之助が、(会津)若松城下に逃れる途中に亡くなった地で、今年、河井継之助を主人公とする映画「峠 -最後のサムライ-」が上映された。*参考:映画「峠 -最後のサムライ-」URL:https://touge-movie.com/

 

幟の中には「塩沢老人会」のモノもあり、地域住民の只見線全線再開通に対する熱意を感じた。

 

地域住民の熱意と言えば、先日の地元紙に会津塩沢駅近くにある大型車庫に、古民家をイメージして塗装を施したという記事が載っていた。列車の車窓から見える距離なので、10月1日以降多くの乗客の目に触れて欲しいと思った。*下掲載記事:福島民報 2022年9月20日付け

 


国道252号線に戻り緩やかな坂を下り、寄岩橋から「蒲生岳」を背景に「第八只見川橋梁」を眺めた。只見川(滝ダム湖)には少し波が立っていたが、まずまずの眺めだった。

 

「第八橋梁」は豪雨で構造物の流出は無かったものの、盛土崩落や橋脚洗堀、土砂流入などの被害があり、前後合わせて1,100mにわたって安全対策を含めた復旧工事が必要とされ、費用は25億円と見積もられた。*出処:東日本旅客鉄道㈱「只見線の状況について」(PDF)(2016年11月30日・12月1日)

 

国道252号線を進み、宮原集落を抜け、蒲生原集落を見下ろせるカーブに着く。10月1日、只見線の列車の中から風景がどのように見えるか、楽しみな場所だ。

 

 

12:45、国道から路地に入り、会津蒲生駅に到着。駅名標は運休前に変えられていたもので、錆びつきは見られなかった。

 

待合室の重い扉は閉ざされていたが、施錠されていなかったため、中を見させてもらった。ベンチは薄い茶色で、内装は他5駅と変わらなかった。

 

運賃表も、会津蒲生のものになっていた。

 

会津蒲生駅の目の前には「蒲生岳」があり、久保登山口がすぐ近くにある。適度なスリルを味わえる山なので、只見線再開通後は、是非多くの方に登って欲しい。*参考:拙著「只見町「蒲生岳」登山 2016年 初秋」(2016年10月11日)

 

 

国道252号線に戻り、先に進む。八木沢スノーシェッドの柱の間から只見川を眺める。この付近では、すでにダム湖から清流に変わっていて、只見線の車窓からの見る事ができる。私は只見線に初めて乗った時、様子の変化に戸惑い、『これが同じ只見線か⁉』と思ってしまった。

 

現在は、前方に見える町道の五礼橋も橋桁が一間延長され、付近の河岸(只見川右岸)も豪雨時の増水対策で掘削されたので、車窓から見る様子も一変しているかもしれないと思った。



八木沢スノーシェッドを経て八木沢集落を抜けると、前方に只見線内最長の叶津川橋梁(372m)が見えた。

 

更に進み、叶津川に架かる国道の堅盤橋から叶津川橋梁を眺めた。曲線半径250mの美しい鉄とコンクリートの混成橋は、美しいと思った。

 

先に進み、叶津川橋梁の只見側のたもとに差し掛かると、右前方に案内板らしきものがあり、そこから斜面に道があり、高台の広場に通じているようだった。

 

案内板に近づいてみると、「叶津川橋梁ビューポイント」とあり、管理者は「叶津川橋梁美晴らし隊」という名の団体になっていた。初めて知る場所で、団体だった。

 

さっそく、斜面の道を進み、只見線と同じ高さまで着くと側溝の蓋の上の歩き、丸太階段を登った。

 

「叶津川橋梁ビューポイント」に到着。優に10人は三脚を置けるようなスペースになっていて、叶津川橋梁全体をほぼ水平に見通せるような眺望場所になっていた。“会津のマッターホルン”の名に違わぬ稜線を見せる「蒲生岳」が見える事で、この「叶津川橋梁ビューポイント」はこれから人気の撮影ポイントになるのではないかと思った。


 

 

国道252号線に戻り、只見町の市街地に入ると、街頭に、只見線全線運転再開を知らせるA3サイズほどのフラッグが掲げられていた。

  

少し進み、国道から右に曲がり上野原踏切に行き、只見駅ホームを遠望した。後方には猿倉山(1,455m)から横山(1,416.7m)の稜線の“寝観音”様が、静かに横たわっておられた。

 

 

 

 

13:19、只見に到着。駅間(会津川口~只見)で27.6km、自転車での走行距離は約30kmを3時間27分かけて走破した。運休区間最後の自転車走行を無事に、楽しく終える事ができた。

 

 

駅頭に置かれたカウントダウンボードには6日とあり、『只見線全線開通までに1週間をきったのかぁ...』、と感慨深かった。

 

駅舎に入り、窓口の上の時刻表を見上げると、会津若松方面には7便の代行バスの記載があった。10月1日以降は、“代行バス”と“会津川口行”の文字が消え、会津若松行きの3便に変更になる。

 

また、今まで係員が常駐し、物販も行っていた観光案内所(只見インフォメーションセンター)はシャッターが下ろされ、移転を知らせる貼り紙が掲示されていた。

 

「只見インフォメーションセンター」の移転先は、駅の南側の空地に新設された「只見線広場」。

 

今日の地元紙・福島民友新聞によると、「只見線広場」は只見線の全線運転再開日である10月1日にオープンするが、「只見インフォメーションセンター」や物販、食事コーナーなどは一昨日(23日)先行オープンしたという。*下掲載記事:福島民友新聞 2022年9月25日付け


「只見インフォメーションセンター」が入る建物は只見線側がガラス張りになっていて、外にはテーブルと椅子もあることから、列車を見ながら食事ができるようだった。大型看板はまだのっぺらぼうで、10月1日に合わせて「只見線広場」という表示がなされるのだろうと思った。

  

  

代行バスの出発まで、1時間ほど時間があったので、サイクリングの汗を流そうと銭湯に向かった。

国道252号線と只見駅を結ぶ道の頭上には、只見線全線運転再開を祝う横断幕が張り出され、町役場にも同様の横断幕が2階の柵に掲げられていた。

 

5分ほどで「ひとっぷろ まち湯」に到着。

 

先客は一人で、広々とした湯舟にゆっくりと浸かり、両足をほぐした。

ここの男湯には、鉄道風景画家の松本忠氏の「橋上遊覧」(浴室)と「新緑に誘われて」(脱衣所)の大きなパネルが掲げられていて、只見線への旅情がかき立てられる。 *参考:松本忠「もうひとつの時刻表」福島県(只見線)3

  

 

 

「ひとっぷろ まち湯」を後にして、只見駅頭でしばらく待っていると代行バスが到着した。

 

 

代行バスには、2014年4月の初乗車から、只見町や南会津町への訪問や只見線全線乗車の度にお世話になった。

初めて乗ったのは、会津塩沢“駅”となっていた塩沢簡易郵便局前からだった。会津川口駅から会津塩沢駅まで運休区間を歩いて巡り、只見駅までたどり着けずに疲れ切った体で乗った記憶がある。


只見ユネスコエコパーク」(2014年6月登録)のラッピング車両(2014年9月21日運行開始)の、派手なデザインには驚いた。

 

2019年7月2日からは、運休区間を持つ金山町と只見町に関連するイラストのラッピング車両に変わった。金山町「かぼまる」と只見町「ブナりん」、それぞれのゆるキャラがカラーで描かれ、運休区間を走る代行バスらしく、良いデザインだと思った。

 

只見町で毎冬行われる「只見ふるさとの雪まつり」では、多くの乗客を運ぶために増車もしていた。

 

そして、只見線に最も多くの観光客が乗る「青春18きっぷ」利用期間では、中型のバスが用意され、乗り残しが無いようにしてくれた。

 

代行バスの乗客数は、決して多くなかったというが、只見線が会津若松駅から小出駅までの135.2kmが一本である事を維持してくれた。その存在は大きく、11年間の運行の軌跡は尊くありがたかった。


 

 

いよいよ、最後の乗車となった。運転手は初めて代行バスを使用してからお世話になっている三瓶さんだった。『今日が最後になります。お世話になりました』とあいさつすると、『こちらこそ、ありがとうございました』と笑顔で返された。

輪行バッグを抱え、ステップを上がった目の前の二人掛けの椅子に座った。輪行バッグを置いたため、身動きがとれないほど窮屈になってしまったが、小出からやってくる上り列車からどれほどの客が乗り込んでくるか分からなかったため、仕方なかった。

 

 

14:32、会津川口行きの代行バスが只見を出発。結局、列車の乗換客は多く、相席が出るほど車内は混雑した。「青春18きっぷ」の利用期間ではないが、代行バスが運行する最後の日曜日ということで、全員が観光客のようだった。

 

代行バスは国道252号線を進み、叶津停留所と湯倉停留所を含め各駅停車をした。叶津で1人降り、会津横田“駅”で1人降りて2人乗り込んだ。

 

代行バスは、本名バイパスの湯倉橋を渡った。全線運転再開後、只見線の列車内からは決して見られない風景で、見納めとなった。

 

 

 

 

15:22、代行バスが会津川口に到着。運転席から出てきた三瓶さんに再び挨拶をして、代行バスを写真に収め、駅舎を通り抜け、列車が待機中のホームに向かった。

15:29、会津若松行きの上り列車が会津川口を出発。先頭がキハ110形で後部がキハE120形の2両編成だった。代行バス同様、車内は混雑していた。どうやら団体のツアー客が先頭車両を中心に乗車してるようだった。

 

 

帰りは、地酒を呑みながら車窓からの景色を見て過ごすことにした。今回は豊富な会津の酒を手に入れる機会が無いと考え、郡山市内で事前に購入しておいた。

選んだのは、会津坂下町「豊国酒造」の「ひやおろし 豐久仁 純米吟醸」。少しぬるくなってしまっていたが、まろやかな香りが立ち、口に含むと濃厚な味だった。ただ、のど越しはスッキリとし、呑み飽きなかった。

テーブルが無いのが残念、といつものように思いながらも、車窓に流れる風景を眺めながら沿線の地酒を呑む時間は良かった。

只見線沿線にある、日本酒のみならず豊富で旨い地酒を列車内で呑めるようにする取り組みは欠かせないと思うが、只見線全線運転再開の機運が高まっているうちに企画し実現して欲しいと思う。

 

 

列車が、奥会津から七折峠を越え会津盆地に入ると、会津坂下町の市街地越しに「磐梯山」が見えた。

 

会津美里町に入ると、会津百名山61座「明神が岳」(1,074m)を頂点とする西部山地の稜線が見え、夕暮れ時の良い光景だと思った。*参考:拙著「会津美里町「明神ヶ岳」登山 2020年 初夏」(2020年6月7日)

 


大川橋梁を渡ると、往路では見えなかった会津若松市内最高峰で、会津百名山36座「大戸岳」(1,415.9m)の山塊が正面に見えた。*参考:拙著「会津若松市「大戸岳」登山 2022年 春」(2022年5月4日)

 

 

 

 

17:21、会津若松に列車が到着。停車位置は、やはり階段から1両分ほど離れた場所だった。会津坂下駅以降多くの乗車があり、多くの客が連絡橋に向かっていった。

この後、磐越西線の列車に乗り換え郡山に到着し、無事に帰宅した。

 

 

次の土曜日、10月1日に只見線は全線で運転を再開する。当日は臨時記念列車「再会、只見線号」が運行され、その出発式が会津若松駅で行われ、只見町では著名人を招き小学校体育館で記念式典が開かれるという。*下掲載記事:福島民報 2022年9月1日、同9月2日、同9月16日付け

  

当日は、私も運休区間を走る列車に乗って車窓の風景を見て楽しみ、盛り上がるであろう現地の様子を見て、今後の「只見線の利活用」を考えたいと思う。

 

 

(了)

 

 

・  ・  ・  ・  ・

*参考:

・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)

 ・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。 

 ①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

  

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。


以上、宜しくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)し、2022年10月1日(土)、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、車窓から見える風景写真を中心に掲載し、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す只見線の乗車記や「会津百名山」等の山行記、利活用事業に対する私見等を記します。

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