只見町「会津塩沢駅 周辺」 2020年 晩秋

個人的に移転した方が良いと思っているJR只見線の会津塩沢駅(只見町)。「鷲ヶ倉山」登山を終え、周辺の施設を訪れ、その可能性を考えた。

  

現在の会津塩沢駅は、田んぼに挟まれた土地にポツンと建っている。

  

しかし、駅から北東に直線距離で約600mほど離れた場所には「河井継之助記念館」があり、塩沢集落もその間に密集していて、駅はどちらからも遠くなっている。

   

只見線が“観光鉄道「山の只見線」”を目指し、観光路線化に舵を切った事を考えると、私は「河井継之助記念館」前に駅を移設すべきだと思っている。

 

 

この只見町塩沢地区には、日曜のみ営業から「河井継之助記念館」の開業日に合わせた営業に移行した蕎麦屋、真新しい喫茶店など、観光客が滞在できる施設が増えた。 

また、会津塩沢駅から2kmほどの距離にある「十島ビューポイント」からは、蒲生岳の麓で只見川(滝ダム湖)沿いに架かる不渡河橋「第八只見川橋梁」を走る列車が眺望(撮影)でき、只見線が復旧すれば観光客(撮り鉄諸氏)の下車が期待できる。

 

さらに、「会津百名山」の「鷲ヶ倉山」(918m)と「笠倉山」(994m)があることで、登山客が会津塩沢駅を利用する可能性もある。

  

只見線が動き出せば、住民の利用も復活すると思が、潜在需要は観光客の方が圧倒的だと思う。そう考えると、中心的な観光施設である「河井継之助記念館」の前に駅を移設し、ここを観光・撮影・登山客の拠点とすることは合理的だと私は考えている。

  

今日は「鷲ヶ倉山」登山の後に、具体的な可能性を探りたいと思い、周辺の施設を巡った。

*参考: 

・福島県:只見線ポータルサイト 

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」 

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線の秋

 

 


 

 

「鷲ヶ倉山」登山を終え、まずは昼食を摂るため「そば処 しおさわ庵」に向かう。店舗は、国道から少し北側に入った、高台に建つ。会津塩沢駅からは、東に歩いて250mほど、3分程の位置になる。

 

店主は「民宿いわぶち」を営む傍ら、“観光客に昼食を提供したい”と蕎麦屋を開いたという。

玄関の引き戸には“民宿いわぶち”の文字が。

  

玄関に入ると、内装は外観からイメージされた通りのものだった。

席は全て埋まっているようで、3名の客が待っていた。順番を待つ間、「鷲ヶ倉山」を登ったと店主と話をしたところ、オロナミンCを差し入れてくれた。

  

15分ほど待って、客席となる居間に通された。テーブルは4つあり、奥の大テーブルはアクリル板で区切られていた。客はマスク姿で注文した品待ち、食事を終えた客も早々にマスクをしていた。この光景に奥会津で目の当たりにして、新型コロナウィルスの影響の大きさを改めて思った。

   

メニューは写真入りだった。天ぷらセット(並盛)と決め、注文をした。

   

10分ほどで品が運ばれてきた。蕎麦は均等に切られ、良い香りが立った。

天ぷら盛り合わせもボリュームがあり、鯖の天ぷらには驚き、お腹が満たされた。  

ゆっくりと蕎麦を食べ、蕎麦湯を味わいながら飲み、「鷲ヶ倉山」登山の疲れを癒した。

 

食事を終え会計を済ませると、新しい客が玄関から入ってきたが、店主が『今日は蕎麦が終わちゃったんですよ』と頭を下げていた。玄関を出ると、扉の脇には“蕎麦完売”を示す札が貼られていた。

「そば処 しおさわ庵」が人気店であることを知り、嬉しい思いがした。

  

「そば処 しおさわ庵」の北東には「河井継之助記念館」がある。距離は約700m、歩いて5分ほどの至近距離だ。かつて正面にあった民家は解体され、現在は駐車場になっている。

  

館内に入るのは3度目。入場券350円を窓口に支払い、“万が一新型コロナウィルスの感染者が出た場合の対応のため...”必要ということでノートに氏名と住所、連絡先を書いてから入場した。

  

館内には多くの客がいて、賑わっていた。河井継之助が臨終を迎えた旧矢沢邸(一部)を移設展示する事を考えて作られたため、体育館のような造りで、この邸宅を囲むように資料の展示がなされている。


河井継之助像。家老でありながら軍事総督として臨んだ、戊辰役・北越戦争時の正装姿だと言われている。

  

展示物は、まずは、河井継之助の生誕からの歴史を示す年表などが、階段を上りながら見られるように設置されている。

 

上りきると、河井継之助が“獨立特行”実現のために、当時国内に3門しかなかった内の2門を購入したといわれるガトリング砲(模型)が置かれ、他に戊辰役・北越戦争の模様示す品が展示されている。

  

ショーケースには河井継之助の名を世に知らしめ、彼の評価を押し戻した司馬遼太郎氏の小説「峠」の文庫版が置かれていた。私も、これを読んで、彼の存在を知った。

  

2階にある高台に通じる扉を抜けると、1974(昭和49)年にここを訪れた司馬遼太郎氏が、河井継之助が没した地を眺めた場所がある。 *当地は、電源開発㈱滝発電所・ダムの建設でダム湖に沈んでいて、見ることはできない。

  

館内に戻り、小説「峠」の一説を抜粋し利用したパネルを見る。長岡藩が敗退し、左足に銃撃を受け重傷を負った河井継之助が、担架に載せられて栃尾を経て会津(若松)城下を目指した際に、通った険道・八十里越で詠んだと言われる句が載せられたものもあった。 

〽八十里 こしぬけ武士の 越す峠

 

大きな八十里越の地図も掲示されていた。河井継之助が使った“古道”(赤色)、現在トレッキングコースとして利用されている“新道”(青色)が載せられていて、分かり易いと思った。 

     

正面に“八十里...”のタペストリーを見ながら階段を下りる。

  

1階に降りると、最後は「河井継之助 療養の間」を見る事になる。当時、使われたという薬缶と毛布が残されている。

  

受付の脇には、新型コロナウィルスの影響で公開延期となっていた映画「峠 最後のサムライ」ポスターが貼られていた。

小説「峠」が初めて原作となった映画だ。来年の6月、一人でも多くの方に観ていただき、河井継之助の最期の地である、只見町塩沢地区を訪れる機会を得て欲しいと思った。 *参考:映画『峠 最後のサムライ』公式サイト URL: https://touge-movie.tumblr.com/

   

「河井継之助記念館」の近くの医王寺に、彼の墓がある。荼毘にふされ、取り残された灰や細骨を村人が集め建てられたと、言われている。

  

遺骨は従者の松蔵により、一旦会津若松の建福寺に密かに埋葬された。

 

そして、戊辰役後に掘り起こされて、菩提寺である長岡の栄涼寺に納骨された。

 

 

「河井継之助記念館」の隣には「やまいちコーヒー」がある。沿線では珍しい、四角い建物になっている。今回、初めて入った。

店は新しく、2017年5月にオープンし、「そば処 しおさわ庵」と同じく「河井継之助記念館」の開館日時に合わせて営業しているという。

  

店内には先客が2組居た。テーブルが3セットで、テラスもあったが、この時期は使用しないようで、テーブルや椅子は無かった。

 

注文したのは“おすすめ”。苦味と酸味、バランスの良いコーヒーだった。

香り立つ本格的なコーヒーを、この風光明媚な奥会津の地で楽しめるというのは、大きな魅力だと思った。

  

只見線は、「河井継之助記念館」と「やまいちコーヒー」の目の前を走っている。現在の会津塩沢駅から北東(会津若松方面)に、レールを進むこと約600mの位置になる。私は、ここに駅を移転できないかと思っている。

線路と「河井継之助記念館」建つ高台の間は狭いが、擁壁を垂直にし、最小限のホームにすれば設置は可能ではないかと思う。客はホームで待機することなく待合室に居れば、狭隘なホームは許容されるのではないか。

 

そして、この待合室を、高台の上に設け、滝ダム湖(只見川)を見られるようにする。ダム湖を包み込み、四季折々の表情を見せる只見線沿線有数の景色は、列車の待ち時間を飽きさせないのではないか、と私は思っている

また、待合室と区切られたスペースを設け、空調とWiFiを整えれば、読書や仕事など長時間滞在する需要も取り込めるのではいか。この場合、別途料金を徴収し、只見線利用者には割引をするなどのインセンティブを付ける事も考えられる。

 

さらに、このような待合室をもった駅と、「河井継之助記念館」や「やまいちコーヒー」、「そば処  しおさわ庵」の相乗効果で、『只見線を利用して塩沢地区を訪れても、楽しめる』という雰囲気やイメージが創り出されれば、乗客増の効果があるのではないか。と私は考えている。そうなれば、現在冬期休業している「河井継之助記念館」の通年営業も検討の余地が生まれ、観光需要を年間通して見込め、「河井継之助記念館」は只見町の観光産業の一つの大きな柱になると思う。

  

新駅の建設には、10億円の費用が掛かるとも言われている。しかし、1面のホームだけを設置し、駅舎は観光客の休憩・滞在施設ということで行政の支援などを受ければ、JR東日本の支出は抑えられ、移設・新設の合意は得られるのではないだろうか。

例えば、復旧工事に合わせて会津塩沢駅の移設・新設工事が行われれば、仮設費用などが抑えられるだろう。そう考えると、2020年の只見線全線再開通までに開業することが合理的で、観光客等の集客にもメリットがあると思う。 

 

只見町には、会津塩沢駅の移設・新設について是非検討していただき、「只見線利活用計画」を主体となって進める福島県を巻き込んで、JR東日本を動かして欲しいと思う。


  

(了) 

  

  

・  ・  ・  ・  ・

*参考: 

・福島県 生活環境部 只見線再開準備室只見線の復旧・復興に関する取組みについて 

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF) (2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

    

【只見線への寄付案内】

 福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。 

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

   

以上、よろしくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

0コメント

  • 1000 / 1000