只見町「ソロキャンプ@奥会津ただみの森キャンプ場」 2020年 盛夏

「只見町青少年旅行村いこいの森キャンプ場」から施設など新設・改修し、名前を変えて昨年4月にリニューアルオープンした「奥会津ただみの森キャンプ場」。JR只見線で只見町入りし、お盆休暇を利用し3泊4日で逗留した。

 

「奥会津ただみの森キャンプ場」は、只見町が設置した施設で、会津ただみ振興公社が指定管理者になっている。町は「自然首都・只見アウトドア拠点整備事業」を策定し、2017(平成29)年度に町の北西に接する新潟県三条市に本社を置く、世界的なアウトドアメーカー㈱スノーピークスに「アウトドア拠点整備基本計画」の作成を委託。 *記事出処:福島民報 2017年10月16日付け紙面


その後「青少年旅行村いこいの森キャンプ場」の整備(解体撤去・改修・新設)計画をすすめ、昨年4月に「奥会津ただみの森キャンプ場」としてリニューアルオープンさせた。この整備計画の背景と、整備内容は町の広報誌に詳しく記載されている。 *出処:只見町「広報ただみ」(2019年6月号 No.589) p2-p5

  

只見線の只見駅から「奥会津ただみの森キャンプ場」までは約2kmの距離で、歩いて行けない距離ではない。また、キャンプ場直前までは急な坂は無いため、自転車でも無理なく移動できる。 ㈱スノーピークスとの連携で、当社製品のレンタル用品も充実しているため、食材以外は手ぶらで訪れる事も可能だ。 私は、このような状況から、只見線の利用者でも十分楽しむ事ができる環境にあると感じていた。 

今回は「奥会津ただみの森キャンプ場」に3泊4日滞在し、その間、ここを起点に西接する新潟県魚沼市の「権現堂山」を登るなどの計画を立てた。

 

 

「奥会津ただみの森キャンプ場」は、“観光鉄道「山の只見線」”を実現する中で、大きな役割を担う観光コンテンツの一つだ。実際に滞在する事でその可能性を考えたいと思い、ソロキャンプを行うため当地に向かった。

 *参考: 

・福島県:只見線ポータルサイト

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」 

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日) 

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF) (2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF) (2017年6月19日)

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線沿線の宿/キャンプ場ー / ー只見線の夏

 

 


 

  

秋田県での「リゾートしらかみ」の旅を終え、11日夜に帰福。12日の朝、磐越西線の始発列車の乗るために郡山駅に向かう。青空が見えていた。

 

輪行バッグを抱え駅舎に入り、ホームに向かい最後尾の車両に乗車。

5:55、会津若松行きの列車が出発。


列車が進むにつれて青空が消え、沼上トンネルをぬけ会津地方に入ると上空は厚い雲に覆われた。「磐梯山」も裾野の一部しか見えなかった。

 

 

7:11、会津若松に到着。

 

駅舎内のコンビニで買い物をした後、改札を通り連絡橋を渡り、只見線のホームに向かう。喜多方行きの最新ディーゼル車両GV-E400系と、只見線のキハE120形が並んで待機していた。

7:41、会津川口行きの列車が会津若松を出発。

 

只見までは片道1,690円(郡山~只見間は片道3,080円)。今回は3泊4日の長期滞在なので致し方ないが、只見線を使った1泊2日の旅に対応できるような、“只見線ふくしま県民パス”を3,000円で企画して欲しいと、私は思っている。

 

 

 

列車は、七日町西若松を経て阿賀川(大川)を渡る。

 

会津本郷を経て、会津美里町に入り、会津高田を過ぎると大きく右に曲がり、真北に進路を取った。

 

 

根岸新鶴を経て、若宮から会津坂下町に入り、会津坂下では上り列車とすれ違いを行った。

 

 

会津坂下を出ると、会津平野(盆地)と奥会津の境界となる七折峠に向かって登坂を開始した。

  

塔寺手前、登坂途上に木々の切れ間からは、緑の田んぼに囲まれた会津坂下町を見下ろす事ができた。

 

 

会津坂本を過ぎて柳津町に入ると、列車の進む方向が明るくなっていた。

  

会津柳津を出発し、“Myビューポイント”を眺める。「飯谷山」(783m)にわずかに雲が掛かっていたが、白い雲だったので、奥会津地域の天気はそれほど悪くないと思った。

 

 

 

列車は、郷戸滝谷を過ぎ、滝谷川橋梁を渡り三島町に入り、会津桧原を出発し桧の原トンネルを潜り抜けた後に「第一只見川橋梁」を渡った。東北電力㈱柳津発電所・ダムが作り出す湖面上には、うっすらと川霧が見えた。

 

車内が空いていたため、向かい側の席に移動し、上流側を見る。駒啼瀬の渓谷の川霧は均一に厚みがあり、綺麗だった。

 

 

 

会津西方を出発直後に「第二只見川橋梁」を渡る。上流側の川霧は、少し乱れていた。

 

下流側は、駒啼瀬渓谷に向かって霧が川面を綺麗に覆い、美しかった。


 

列車は減速しながら、大谷川橋梁を渡った。


会津宮下に停車すると、会津若松行きとすれ違いを行った。


 

列車は、会津宮下を出ると、東北電力㈱宮下発電所・ダムの直側を駆け抜ける。宮下ダム湖にも川霧が発生していた。

 

 

その後、しばらくして「第三只見川橋梁」を渡る。下流側は、うっすらと川霧が湖面を覆っていた。


上流側は、界川が落ち込む周辺、蛇行部分に川霧が分厚く発生していた。

 

 

 

列車は、滝原・早戸の両トンネルを潜り抜け早戸に停車。只見川の対岸を見ると、2艘の渡し船が船頭だけを乗せてゆっくりと上流方面に移動していた。

 

早戸を出発すると、金山町に入り、細越拱橋(めがね橋)を渡る。この付近の川霧は少なかった。

 

 

会津水沼を出発してまもなく「第四只見川橋梁」を渡る。川霧は、上流側の中央部に、目を凝らせばかすかに見える程度だった。

  

「第四」橋梁を渡り、架道橋を潜り抜けると、右下に国道252号線の拡幅工事現場が見られる。

私はこの工事に合わせて、電柱と電線を地中化し、この先、視界を塞いでいる枝木を伐採し、この只見川の流れと連なる低山が見られる車窓からの景観を改善して欲しいと思っている。

 

 

会津中川では、2人の客に続いて、親子が降りた。娘と思われる子に手を引かれて降りる母親の姿が印象的だった。東北電力奥会津水力館「みお里」に行くのだろうかと思った。

 

 

林道の上井草橋が見え、車内には、終点を告げる車内放送が流れ、列車は減速した。

  

ここで、振り返って大志集落を見る。複雑な紋様の雲が覆う低山を背景に、濃緑青色の只見川に浮いたように見える光景は、美しかった。“観光鉄道「山の只見線」”を代表する景色の一つであることは間違いない。

  

列車はさらに速度を緩め、ポイントを通過し進んでゆく。


 

 

9:40、終点の会津川口に到着。この先、只見までが「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で運休となり、現在復旧工事が進められている。

  

10:20、ラッピング車両の代行バスが只見からやってきた。7名の客が降りた後、運転手の合図を待って、私はバスに乗り込んだ。

10:25、只見行きの代行バスが会津川口を出発。客は私を含め3名だった。 

  

 

代行バスは国道252号線を進む。

西谷地区に入ると「第五只見川橋梁」が右手に見えた。右岸の橋脚と橋桁の復旧工事は終了しているが、次の工事はされていないようだった。

 

  

本名を過ぎると、「第六只見川橋梁」の工事現場の脇を通過。再架橋工事に使われる左岸の鉄塔が聳え立っていた。

 

右岸、本名トンネル上部の工事では、ケーブルを支えるアンカーの基礎が見え、前回よりも足場が増えていた。

 

  

“湯倉温泉入口”、会津越川会津横田を過ぎ、国道の二本木橋上から上流側に目を凝らすと、「第七只見川橋梁」が見えた。下弦材の設置が終わり、斜材の組み上げ途上のようで、復旧工事が順調に進んでいる事が分かった。


 

会津大塩(大塩体育館前)に到着。高齢のご婦人が降り、先に小さく見える会津大塩駅方面に向けてゆっくりと歩いていった。

  

バスより列車(キハE120形)の方が乗降時の段差は低いが、運休区間の全てのホームは、地上に降りるには階段があり、柵はあるが手すりと呼べるものは無い。

只見線が“観光鉄道「山の只見線」”を掲げ観光路線化するとは言え、生活利用に適うようにする最低限の対策も欠かせない。地元の客の大半を占める高齢者が安心して利用できるよう、スロープの設置が必要だ。復旧工事を進めるJR東日本の対策は万全と思うが、復旧区間が一番長い金山町には確認してもらいたい。

 

 

 

国道の滝トンネルを抜け、金山町から只見町に入り、会津塩沢を過ぎると「第八只見川橋梁」が見えた。電源開発㈱滝発電所・ダムの貯水量を減らした中で、復旧工事が進められていた。


 

 

11:15、終点の只見に到着。青空が見えたが、地面の一部には水たまりも見え、天候が少し心配になった。

代行バスは、交換のためラッピングの無い車両が、私の乗ってきた車両の後ろに付けられた。 

    

駅頭で自転車を組み立てて、まずは、キャンプ用品を受け取りにクロネコヤマトの会津只見センターに移動。

 

5分掛からず到着し、受け取った。折り畳み式のカートに160サイズの段ボールを乗せて、サドル下部にヒモで取り付け、自転車を押して出発した。

  

  

クロネコヤマトの営業所から、10分ほどで「奥会津ただみの森キャンプ場」の東側の入口に到着。

  

急な坂を上り、敷地に入った。

   

管理棟に直行し、受付を済ます。事前に予約しておいたので、早く済んだ。

利用料金は前払いで、11,700円。内訳は、入村料400円×3泊、サイト利用料2,000円3泊、AC利用料1,000円×3泊、テーブルレンタル料1,000円(1日)、椅子レンタル料500円(1日)。  

    

“枠予約”ということで、区画は指定されなかった。予約した電源サイトはAとDの二箇所だったが、よりWiFiは繋がると言われたDサイトに移動し、木陰ができていた場所を選んだ。

  

急ぎ、テントの設営を行った。キャンプ用品は、一昨年の秋に金山町「沼沢湖畔キャンプ場」で使ったものと、ほぼ変わらない。 *参考:拙著「金山町「ソロキャンプ@沼沢湖畔キャンプ場」2018年 秋」(2018年10月6日)

 

コンセントから、持参した延長コードが届く場所に設営しようと思ったが、前室が木陰に届く場所との兼ね合いで、もう一本の延長コードをつなげる事にした。

 

グラウンドシートを敷き、インナーテント本体を広げ、メインポールを組み上げて載せた。

 

インナーテントの角のポケットに、メインポールを入れて持ち上げ、ポールのもう一方をエンドピンに差し込む。この動作を二度行いメインポールを立ち上げる。その後、インナーテントの15個のフックをメインポールに掛けて完成。ここまで、10分もかからず。

  

フロントポールを組み上げてインナーテントの両サイドのエンドピンに差し込み、その後フライシートを掛け、4ヵ所のフックをテントの底部のリングに掛けて固定。その後、前部のフライシートを巻き上げて前室を開放。

フライシートの位置や、内側の固定など、細かな作業が残っていたが、ここで一旦終了。

この後、町東部の明和・朝日地区で、名物「マトン・ラム肉」の買い出しをするために利用するバスの出発時刻が迫っていた。貴重品以外の荷物をテントの中に入れて、自転車にまたがり、只見駅に向かった。


 

 

下り坂を快調に駆け下り、5分ほどで只見駅に到着。自転車を輪行バッグに収納し、駅頭に付けられていた会津鉄道の会津田島駅(南会津町)行きツアーバスに乗り込んだ。

   

ツアーバスは国道289号線を進んだ。

明和振興センター入口のバス停で降りた後、自転車で4軒の店舗を巡り、マトンを3つ、ラムを1つ入手。また、ビールや野菜、翌日以降の食材なども只見駅に近い2軒の店舗で購入。ビニール袋と保冷バッグをハンドルにぶら下げ、リュックの中もパンパンにして、キャンプ場に戻った。*詳しくは、別稿「只見町「マトン・ラム肉」2020年 盛夏 (2020年8月12日)」を参照 

 

 

 

キャンプ場に戻り、今日の自転車移動が終了したという事で、ようやくビールを飲むことができた。旨かった。 

  

夕食は、4店舗の羊肉の食べ比べ。地元の南郷トマトと会津産アスパラガスなどの野菜を添え、酒は米焼酎「継ねっか」のソーダ割りを用意した。

4種の羊肉は全て味付けで、それぞれ店の個性が出ていて、旨かった。また、“ねっかハイボール”こと、「ねっか」のソーダ割りとの相性も良く、食が進んだ。

 

慌ただしくキャンプ場に入り、テント設営、買い出しを行ったが、只見町の名物を食べ、名酒を呑み、徐々にリラックスできた。3泊4日の最初の夜、充実した時間を過ごすことができた。

 


  

「奥会津ただみの森キャンプ場」の施設について。

受付をした管理棟。大きな鋼鉄製の看板とともに、今回の整備で改修された。 

 

管理棟は施設で一番大きな施設だが、只見町の大自然に溶け込み、一体化していると感じた。

   

管理棟の内部は、木材がふんだんに使われ、落ち着いた雰囲気だった。

受付には、新型コロナウィルス対策でビニールシートが張られていた。

 

受付の向かい側には、展示スペース。

 

上がり框を持つフローリングのスペースには、㈱スノーピークのレンタル品が展示されていた。

現在、グランピングは提供していないが、スノーピーク社の製品をもってすれば可能だと思うので、スポットでイベントを企画してゆく中で需要創出をし、いずれメニューに加えてもらいたい。*参考:㈱スノーピークス「FIELD SUITE

  

棚には、只見町の魚に指定されているイワナの置物が置かれていた。


この棚の前には野菜の陳列販売。私は、トウモロコシをいただいた。

  

受付の脇には、インスタント・レトルト食品や雑貨の販売棚もあった。小型の冷凍ショーケースもあり、アイスクリームとロックアイス(1kg、230円)が入っていた。

 

虫よけスプレーや蚊取り線香、ガス缶(OD缶)、洗剤もあった。

 

珍しいものでは、加熱材+加熱袋。

実際に利用する際には、品ぞろえを事前に確認する必要がありそうだが、市街地の店舗の利用を併用すれば、不足する品は無いのではないだろうか。 

  

 

この管理棟の中や、周辺のキャンプサイトではFreeWiFiが利用可能(パスワード不要型)。市街地に近いという事もあってか、携帯電話の電波状況も良かった。

  

 

管理棟の下、1階部分には、シャワールームと洗濯・乾燥機設置スペースがあった。

 

天井が低く、身長180cmを越える方は少し屈む必要があるようだが、ここは豪雪地帯。致し方ない構造だと思った。

  

シャワールームはトイレ洗面室に併設され、奥に2室並んでいた。ここも改修部分で綺麗だった。

  

脱衣所はカゴが一つあるだけで、十分な広さがあった。シャワー室も広く、子どもと一緒に入っても支障はなさそうだった。シャンプーや石鹸などは置かれておらず、持参する必要がある。

  

シャワーはコイン式で、100円15分。水量は十分とは言えず、湯温の調節も微妙だった。今後、改善が必要だと思った。

  

シャワー室の入口の脇に、故障中のものもあったが、洗濯・乾燥機が4セット設置されていた。

 

洗濯機は4.5kg対応で、200円。洗濯時間は35分だった。

  

乾燥機は40分100円と、大型のタオルも十分乾くだろうという設定だった。私の4日分の洗濯物は厚手の靴下以外は、しっかり乾いた。


 

 

キャンプ場の構内図も新調されていて、分かり易かった。

  

トイレ棟は、同じ建物に男女別の造りになっていた。

 

毎日、定期的に清掃されているようで、綺麗だった。

  

便座はウォシュレット付き。ただ、和式便座を改修したようで、スペースは狭かった。大柄の方は、管理棟のトイレを使用した方が良いかもしれないと思った。 

  

 

炊事棟(炭場あり)。広々として、流しは子どもでも利用できるように低めに設置されていた。液体石鹸とスポンジは置かれていたが、食器用洗剤とタワシは無く、持参する必要がある。

 

ゴミ箱は炊事棟と管理棟に設置。ゴミは4種に分別。缶とビンは、内部を水で流してからそのままゴミ箱に入れる。ペットボトルやビニールなどの梱包・包装材は燃えるゴミとして袋に入れて捨てる。袋に指定はなく、受付の際にも1枚の白地のビニール袋を渡された。

 

Aサイトの東炊事棟とCサイトの中央炊事棟は新設されたもので、小ぶりだったが、照明が明るいのが印象的だった。

  

 

電源サイト(1日1,000円追加)は、「A」と「D」、オートサイトの一部にある。フリーサイトには無いので、私は「Dサイト」を利用した。

 

コンセントは2口。

 

私は午後の日陰を求め、テントをACコンセントから離してしまったため、2本の延長コードを利用した。5mの延長コードが必要だった。

 

 

他のサイトや固定式の施設。

林の中に新たに設けられた“森林サイト”である「Cサイト」。オートキャンプサイトで、イベント広場の東側、管理棟の目の前にある。 

  

私が利用したDサイトの東側に5棟ある「西バンガロー」。テラスが新設され、タープなどを張る事ができるようになっていた。

 

改築された「東バンガロー」。奥まった場所に5棟あり、とんがり屋根は先代と変わっていなかった。

 

東端に7棟ある「コテージ」。

 

新設された2棟のトレーラーハウス。

 

㈱スノーピークの「モバイルハウス ~住箱~」という製品だ。*参考:㈱スノーピークス「MOBILE HOUSE “住箱”

  

 

敷地の中央、管理棟の東隣にあるイベント広場(キャンプファイヤー場)。バーベキューハウスが併設されていた。

 

“駐車”されたモーターボートは余計だと感じたが、かなり広く、大人数の合宿利用にも対応できるようだった。

  

  

敷地の西端には、只見ダムの建設によって水没した石伏地区にあった古民家(山中家、目黒家)が移築されていて、宿泊可能な施設に生まれ変わっている。ここも、大幅な改修が行われたという。

 

 

4面あったテニスコートは、今回の整備で全面芝張りの「イベント広場」に生まれ変わった。ただ、進入路が分かりづらく、個人的には四方から出入りができるようにようにした方が良いと思った。

 

 

敷地の最北端、私が利用したDサイトのそばに「東屋」があった。


ここは、大きなテーブルが朽ちて倒れていた。利用者としては、安全や施設の雰囲気を壊さないという点で、撤去しておいて欲しかった。

 

「東屋」の脇には大岩があり低木にかこまれていた。よく見ると御影石がはめ込まれ、文字が刻まれていた。

 

只見町出身の作家、梁取三義(1912-1993)の歌碑だった。

 

 

周囲の状況について。

「奥会津ただみの森キャンプ場」は市街地を見下ろせる高台にあるが、周囲は木々で覆われていた。

 

西側は、電源開発㈱只見発電所・ダムがあり、洪水吐の一部が見えただけだった。ここの建屋の中には世界最大の発電用バルブ水車が置かれている。

 

東側は只見町の中心部になっている。

 

只見線の線路や、只見駅も見えた。キャンプ場には、列車が走る度に、汽笛やレールと車輪の摩擦音が、谷間で拡幅され響き渡っていた。

 

“会津のマッターホルン”「蒲生岳」(828m)も、良い姿で見る事ができた。

このように「奥会津ただみの森キャンプ場」は周囲の景色を見下ろせる好地にあるが、木々が視界を塞いでいる。私は、適度に木々を伐採し、見晴らしを確保した方が、只見町を実感できるキャンプ場になり、他施設との差別化が一層なされるのではないかと思った。山間を走る只見線の列車と市街地に近いダム、世界一の発電機が収まる発電所が見られる、というのは大きな訴求点だと私は思う。

 

 

 

他、「奥会津ただみの森キャンプ場」の気づいた点。 

徒歩や自転車でやってきた人間にとって、???と思うのは、町下橋右岸にある石段。「奥会津ただみの森キャンプ場」に通ずる道で、徒歩や自転車利用者にとっては近道になるのだが、草や苔に覆われ、その先は鬱蒼と草木が茂り、整備されていない。

客のほとんどが車やバイクの利用者である事で、この現状は理解できないでもないが、この通路を維持管理することに、それほどの人的金銭的コストが発生するとは思えない。むしろ、放っておく事による景観や印象への悪影響の方が大きいと思う。

また、只見線の利用者を誘う場合、ここが“正門”になる。今後の整備に期待したい。

 

 

「奥会津ただみの森キャンプ場」は、㈱スノーピークスとの連携によるリニューアルの影響か、全体的に明るく、快適な空間だと感じた。 

  


  

 

二日目(13日)

朝、雲の間に綺麗な青空が見えた。今日は、一日、キャンプ場で過ごす予定なので、この後の。空模様が気になった。

 

朝食は“牛乳パックホットドッグ”を作る事に。今回は、バターロールを用意した。

 

パンに切れ目を入れ、ウィンナーをはさみ、アルミホイルで二重に包んだ。

 

これを、500mlの牛乳パックに入れる。 

 

そして焚火台で火を点け、燃え尽きるまで待った。 

 

5分ほどで、火が消えた。

 

軍手をはめた手で、アルミホイルをめくり、バターロールを取り出す。少し焦げてしまったが、全体的に程よく焼け、良い香りが漂った。ウィンナーにケチャップを付けて完成。 

ウィンナーは、十分加熱され、焼け蒸されたバターロールとの相性も良く、旨かった。

  

副菜は、会津産アスパラガスをごま油で焼き、塩コショウで下味をつけ、マヨネーズを付けて食べた。

  

食事を終えた後は、管理棟にレンタル予約しておいたテーブルと椅子を受け取りに行き、テントの前室に設置した。座った際に頭がフライシートに着きそうだったが、ぴったりと収まった。

 

テーブルは天然木が使われた堅牢なモノだった。表面にはsnow peakのロゴ。

今日は一日、このテーブル上でPC作業をする予定を立てていた。

  

しかし、天候は不順で、日中は、雨が降ったりやんだりし、集中して作業ができなかった。

  

天候は、午後の遅い時間に回復し、その後、大粒の雨が降る事はなかった。場内にテントの数が増え、賑やかになってきた。

  

夕食は、昨日に引き続き「マトン・ラム」の焼肉。保冷バックに氷を入れ、保存していた。

明るい内に準備し、今日はビールを呑みながら、炭火で焼いた羊肉を食べた。 

 

 今夜は、白飯も用意し、タレを付けたラム肉を載せて食べた。旨かった。

  

日が暮れると、場内は焚火やランタン、ライトの光でほどよく照らされるようになった。一昨年、場内に一人だけテントを張って過ごした「沼沢湖畔」での夜を思い出した。

  

日中の雨模様で、『どうかな?』と思っていたが、雲が無くなり空には無数の星が見えた。

私は、700mほど離れた只見ダムの天端に移動し、星空を見る事にした。

照明は、只見発電所と田子倉発電所以外はほとんどなく、暗闇の中で星空は良く見えた。この様子を写真に収めたいと思ったが、星空の撮影を練習していなかったので、うまく撮る事ができなかった。 

 

 



 

三日目(14日)

この朝も、青空が見え、朝霧を通過した柔らかい陽射しが木々の間から漏れていた。

  

自転車にまたがり、只見ダム湖の周辺を走って見る事にした。

 

昨夜、星を見た只見ダムの天端からは、国内有数の巨大ダムである田子倉ダムを中心に、綺麗な風景が見られた。ここからは何度も景色を見えているが、この時間は初めてだった。

  

ダム湖を左手に見ながら、外周を走った。

  

万代橋を渡り、対岸に行く。この橋も「平成23年7月新潟福島豪雨」で流され、両岸の橋台を嵩上げし、再架橋された。この工事の完成で“只見ダム湖畔一周”が、再び可能になった。

 

万代橋上から田子倉ダムをみる。谷間をしっかりと塞いでいる事が分かり、かつて、ダムの先にあり、水没した田子倉集落の事を考えた。 

  

只見ダム湖右岸の山の上に渡されている送電線が、朝靄に隠れ、幻想的だった。

  

 

キャンプ場に戻り、朝食。この朝は余った野菜を茹でて食べた。

 

バターロールとウィンナーはフライパンで焼いて食べた。


朝食が終わっても、雨が降る気配は感じられなかった。

  

三日目は、県境を越え、魚沼市の「権現堂山」登山の予定を立てていた。

自転車で只見駅に移動し、小出行きの始発列車に乗った。 

 

降りたのは、終点小出の一つ手前の藪神駅。ここから、登山口まで輪行した自転車で移動。

 

強い陽射しを中、四苦八苦したものの、何とか「下権現堂山」(897m)、「上権現堂山」(998m)の2峰に登頂し、無事に下山した。

*詳しくは、別稿「魚沼市「権現堂山 登山」2020年 盛夏 (2020年8月13日)」を参照 

  

 

登山を終え、キャンプ場に戻り、最後の夜を過ごす。夕食は残り物で簡単に済ませ、地酒と豆腐で、締めた。

 

酒は南会津町の開當男山「純米生貯蔵酒」。香りとキレのバランスが妙で、旨かった。

 

 


  


最終日(本日) 

今朝は、雲が多かった。テントの片づけで雨は困ると思ったが、結局降る事は無かった。

  

コーヒーを入れようとお湯を沸かしていると、陽も射し、この後、晴れと曇りを繰り返した。

  

朝食を摂った後、しばらくしてからテントの撤収を行う。グラウンドシートも乾いたまま収納する事ができた。

1時間ほどかけ片付けが終了。3泊4日、お世話になりました、と一礼。

  

キャンプ用品一式は、スタッフの了解を取って、管理棟からクロネコヤマトの着払いで送る事にした。富岡町まで160サイズで2,200円ということだった。

スタッフに挨拶をして、「奥会津ただみの森キャンプ場」を後にした。3泊4日の滞在が終わった。

  

 

緩やかな町道の坂道を下り、国道289号線に入り只見川に架かる常盤橋を渡る。「奥会津ただみの森キャンプ場」が大自然に囲まれている事を、改めて思った。

  

 

只見駅に到着。代行バスが駅頭に付けられるところだった。

 

自転車を輪行バッグに収納し、乗り込んだ。乗客は多く、私を含め9名だった。

11:25、会津川口行きの代行バスが只見を出発。この後は、会津川口駅から只見線の列車に乗って、三島町の会津西方駅で下車。「西隆寺」を訪れてから、富岡町に戻る予定を立てた。

  

 

 

初めて「奥会津ただみの森キャンプ場」を利用したが、不便無く、快適に過ごす事ができた。

キャンプ用品は、自前のモノがあればクロネコヤマトを利用(荷物を送る際は要確認)し、無ければレンタル品もあるので、只見線の列車に乗って訪れても問題なく利用できる。駅にはレンタルサイクルもあるので、食材の買い出しや銭湯(ひとっぷろ まち湯)の利用も可能だ。

次は、只見線を利用し、手ぶらで「奥会津ただみの森キャンプ場」を利用したいと思った。

   

最後に、「奥会津ただみの森キャンプ場」について気付いた点は前述したが、もっと大きな(お金が掛かってしまう)提案として、2点を挙げたい。  

 

①水辺の創設

只見町には只見川と伊南川の大きな川が流れ、そこには無数の沢が流れ込んでいる。また、只見川には滝、只見、田子倉、大鳥、奥只見(管棟は魚沼市)の各発電用ダムがあり、“水のまち”でもある。この水辺をキャンプ場内に設置する事は自然で、利用客に只見町を感じてもらえる仕掛けでもある。キャンプ場は高台にあるが、場内には池があり、沢の水が流れる音も聞こえる事から、水の引き込みは困難ではないのではないか。沢の水が“かけ流し”であれば、衛生的で、イワナなどの放流も可能となり、子ども達も安心して楽しく遊べるだろうと思う。

 

②温泉の掘削

これは費用が掛かり過ぎるが、検討に値すると思う。 現在、町には、只見駅から13kmの場所に深沢温泉(湯ら里、むら湯)があるが、駅周辺には銭湯である「まち湯」があるものの温泉は無い。山間部に観光客が期待するのは温泉で、駅から遠くない「奥会津ただみの森キャンプ場」にある事は訴求効果は高いと思う。キャンプ客のみならず、国道252号線を通り抜けるドライバーやツーリング客の利用も見込める。 泉源となる地層がどれほどの深さになるかは分からず、調査掘削も含め費用は不明だが、只見線再開通、国道289号線八十里越開通などの気運を逃さず、補助金交付などの道を探り、只見町には検討して欲しいと思う。

 

 

(了)

 

 

・  ・  ・  ・  ・

*参考: 

・福島県 生活環境部 只見線再開準備室只見線の復旧・復興に関する取組みについて

  

【只見線への寄付案内】 

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。 

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

   

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。


 以上、よろしくお願い申し上げます。 

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)し、2022年10月1日(土)、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、車窓から見える風景写真を中心に掲載し、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す只見線の乗車記や「会津百名山」等の山行記、利活用事業に対する私見等を記します。

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