柳津町「銀山峠」 2018年 紅葉

「銀山峠を復活させる会」が主催した「銀山峠 歩こう会」に参加するため、JR只見線の列車に乗って柳津町に向かった。

 

このイベントを知ったのは、只見川電源流域振興協議会のホームページ「歳時記の郷 奥会津」。

昨日から開催された「『第17回 ふくしまけん街道交流会』in 銀山街道・只見線 JR只見線着工記念!」の二日目の日程として組み込まれていた。私は「銀山峠 歩こう会」にだけ参加することにして、先月申し込んでいた。

 

「銀山峠」やウォーキングの出発点となる久保田地区の只見線最寄駅は滝谷になるが、送迎バスの発着場所が柳津町役場隣りにある中央公民館「やないづふれあい館」だったため、今日は会津柳津を利用した。

 

「銀山峠」は、かつて会津若松と沼田街道上にある小林(現国道289号線、只見町)を結んでいた「銀山街道」の途上にある。当時は若松城下と奥会津地域を結ぶ最短路で多くの往来があり、軽井沢銀山で精錬された銀などの物資が通る主要街道だった。 *下図出処:福島県会津若松建設事務所「会津銀山街道地図

 

「軽井沢銀山」は1558(永禄元)年に軽井沢村民の松本左文治が発見したといわれる、銀鉱山だ。

戦国期の会津領主・蘆名氏によって採掘が開始され、加藤(嘉明)家、保科(正之)家ー松平家の会津(藩)の財政を支えた。その後、1879(明治12)年に古河市兵衛らより再開され、1893(明治26)年に年産4トンを記録し全国6位の銀山となるが、金本位体制の確立を受けて1896(明治29年)に閉山された。

 

現在の「銀山峠」は、ほぼ「銀山街道」と経路を同じくする県道59号(会津若松三島)線の未成区間上にあり、車両は通行できない。福島県会津若松建設事務所では「銀山街道」の未成区間を“歩く県道”として、地元の協力を得ながら“道普請”を行っている。

  

 

今日の旅程は以下の通り。

・会津柳津駅から開会式場の「やないづふれあい館」移動

・「やないづふれあい館」からバスに乗って久保田地区に移動

・日本遺産の一部になっている「久保田三十三観音」を散策

・「銀山街道」のトレッキング

・ゴールの「軽井沢銀山の大煙突跡」で昼食+周辺散策

・バスに乗って「やないづふれあい館」に戻る

(解散後)

・名物「柳津ソースカツ丼」を食る

・柳津温泉に浸かる

・名物「あわまんじゅう」を食べる

・会津柳津駅から只見線の列車に乗って、帰途に就く

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線沿線の“山”(登山/トレッキング)ー / ー只見線の秋

  

 


 

 

磐越西線の始発列車に乗るために郡山駅に向かう。駅上空に雲はほとんどなかったが、まだ薄暗かった。空気の冷たさもあり、秋の深まりを感じた。

 

構内に入り切符を購入し、自動改札を通り1番線に向かい停車中の列車に乗り込む。

5:55、会津若松行きの列車が会津若松を発車した。

  

切符は「小さな旅ホリデー・パス」を利用。

通常、郡山~会津柳津間の往復は¥3,880で、この切符だと¥1,210もお得になる。

土日休日、郡山を出発し会津坂下から先の駅を利用し往復する場合は「小さな旅ホリデーパス」がおすすめだ。

  

列車は、郡山富田、喜久田、安子ヶ島、磐梯熱海、中山宿の郡山市内の駅を経て、沼上トンネルを抜け会津地方に入る。上空の空模様は変わらなかったが、猪苗代を過ぎて見る「磐梯山」の頂上付近には雲が掛かっていた。

  

 

 

7:09、会津若松に到着。改札を抜け、駅舎を見る。朝日に照らされた赤瓦(風)の屋根が美しく見えた。そして、今日は日曜ということで、「TRAIN SUITE 四季島」の乗客を乗せる専用バスが二台、駅頭に付けられていた。

  

再び、改札を通り連絡橋で待つと「四季島」は7:30の到着時刻に合わせるように入線。こちらも朝日に照らされたシャンパンゴールドの車体が美しかった。

   

「四季島」の入線を見届け、急ぎ只見線のホームに向かう。「四季島」よりも先に入線していた2両編成の車両に乗り込んだ。

7:37、列車は会津若松を出発。車内は混んでいて、BOX席の窓際に座ることができなかった。

 

この混雑は、会津坂下で高校生を中心とする多くの乗客を降ろした後も続いた。紅葉シーズンの日曜日の盛況と思いたかったが、大半の客が観光客然としていたので間違いないだろうと思った。

ただ、この列車の先頭はロングシート車両だった。車窓からの景色がウリで、“観光鉄道「山の只見線」”として売り出しているのにも関わらず、車窓から景色を見ることに難儀するロングシート車両が使われている現実に悲しくなった。

「只見線利活用事業」を中心となって進める福島県は、せめて土日休日はロングシート車両の運行を控える運用をJR東日本に要望して欲しい。*参考:福島県「只見線の利活用」 URL: https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/rikatuyou.html

 

七折峠内の塔寺を過ぎた後、後部車両の窓からレールを眺めた。

  

 

 

  

 

8:46、会津柳津に到着。ホームには多くの客がいて、私が降りると、勢いよく車内に入っていった。

只見線“秋の風物詩”である、“第一只見川橋梁からの車窓の景色を見る”ツアー客だと思われる。列車は会津柳津を出た後、郷戸ー滝谷ー(滝谷川橋梁)ー会津桧原ー(第一只見川橋梁)ー会津西方ー(第二只見川橋梁)ー(大谷川橋梁)と進むが、ツアー客は会津宮下で降りて再び観光バスに乗って次の目的地に向かうものと思われる。

紅葉の色づきが心配だが、今日は天気も良く、車窓から素晴らしい景色を見ることができるのではないだろうか。“観光鉄道「山の只見線」”の良い思い出を持ち帰り、次は個人旅行でリピートして欲しいと思った。

  

 

駅を出ると、走った。「銀山峠 歩こう会」の開会式は9時。1.5km離れた会場まで10分で着かなければならない。ちなみに、私と同じく会場に向かう只見線利用者は見られなかった。

  

福満虚空藏菩薩圓藏寺の前を通り過ぎ、銀山川を渡り、只見川沿いに出る。国天然記念物「柳津ウグイ生息地」の魚渕を望む観月橋のたもとに着くと素晴らしい景色が見られた。

只見川に掛かる瑞光寺橋(下路式ニールセンローゼ橋、国道252号線)の朱色のアーチが遊歩道の欄干とともに、色づき始めた木々と一体化していた。

  

さらに只見川沿いの遊歩道を進み、瑞光寺橋のアーチの内側に福満虚空藏菩薩圓藏寺が入り込むビューポイントで振り返った。桜の季節も良いが、紅葉時も美しいと思った。

  

 

9:01、会場である「やないづふれあい館」に到着。すでに開会式は始まっていた。

  

私は、スタッフの話を聞きながら、受付に行き、参加費¥500を支払い、パンフレットや領収書など一式を受け取った。手提げ袋には柳津発祥の「赤べこ」が描かれていた。

  

開会式は5分ほどで終わり、参加者は2台のバスに分乗した。ざっと見たところ、スタッフを含め60~70名の総人数と思われた。

  

バスは国道252号線を進み、滝谷川を渡った直後に左折し県道32号線に入り、湯八木沢地区で再び左折し県道59号線の蛇行する坂道を上ってゆく。周りの木々は徐々に色づきを濃くしていった。

  

出発から30分で久保田地区に到着。下車後すぐに500m先にある「久保田三十三観音」に向かって歩き出した。ちなみに、ここは「銀山街道」上ではない。

  

私は去年の夏に訪れたが、綺麗に染まった森の風景は違うものに見えた。

  

久保田地区自慢の棚田から久保田集落、そして湯の岳(729m)を見下ろす景観も、一段と良いものになっていた。 *参考:NHK「ふくしまに恋して」:Vol.16柳津町「集落の力で景観と米作りを後世に残す」

  

「久保田三十三観音」に到着。今回の「歩く会」の案内人であり、主催者「銀山峠を復活させる会」の代表である佐藤長八さん(久保田在住)が皆の前で説明をされた。

「久保田三十三観音」は今から200年前、文政元年(1818年)に久保田地区の一軒一軒が石を刻んで作り上げた石像を、501mの山(観音山)に運び安置した33体の観音菩薩群を指す。

“安産祈願”の観音様と言われ、当時久保田地区に医者や産婆が居らず、約20km離れた高田に行かなければならなかったため亡くなってしまう妊婦が多く、安産と健康を願うために村人が設けたという。本来33回巡って祈願したというが、33人が1回巡っても同じ効果があるという話も聞かれた。   

 

説明後、よく整備された遊歩道をゾロゾロと一列になって進んだ。

 

この「久保田三十三観音」を含む会津地方にある“三十三観音”が2016(平成28)年4月に「会津の三十三観音めぐり ~巡礼委を通して観た往時の会津の文化」として日本遺産に登録された。構成文化財は「久保田三十三観音」を含め54にのぼる。

     

観音様が置かれている場所までは急な階段で、第四 番千手観音様までその途上にある。第五番 千手観音様の前でようやくなだらかな斜面となり、時計回りに巡っていった。

   

まもなく、第七番 マリア観音様の脇を通る。右手に十字架を持ち、高く掲げている。江戸期の禁教下で、隠れキリシタンである村人が作ったのだろうか、その背景が気になる観音様だ。

  

第十四番 如意輪観音様から第三十三番 聖観音様まで平坦な参道が続く。参加者の流れは止まることがなかったので、私は目礼しながら列に続いていった。

300mのコースを約20分で巡り、「久保田三十三観音」を後にした。 *参考:拙著「柳津町「久保田三十三観音」2017年 夏」(2017年7月22日)

  

「久保田三十三観音」から、県道59号線を少し歩き閉校された柳津町立久保田小学校の側にある集会所に向かい、トイレ休憩となった。久保田小学校は1873(明治6)年に分校として開校し、2005(平成17)年に132年の歴史を閉じたという。校舎の東端には閉校記念碑が設置されていた。

 

 

 

  

 

10:47、トイレが一つしかないようで、25分後に出発。ここから「銀山街道」を通り、「銀山峠」を経て、「軽井沢銀山の大煙突跡」を目指して歩いてゆくということだった。

 

久保田集落では空き家も目立ってはいたが、その立派さに利活用の可能性を感じた。

  

集落を抜け県道59号線をしばらく進んだ後、側道に入り「銀山街道」を進んだ。

  

圃場整備された棚田の脇を上り、林を抜け松ノ下集落の畑の中を通ってゆく。

 

先に進むとT字路となり、花に囲まれた道祖神と道標があった。

  

 

松ノ下集落に入り、北東に50mほど県道59号線を進み、T字路を直進し再び「銀山街道」に入った。

 

左に上ってゆく道の手前には“銀山峠入口”とあり、道祖神も置かれていた。

  

参加者は林の中を進んで行く。潰れた廃屋を右手に見ながら大きく曲がり、緩やかな上り坂を進む。街道には落ち葉が積み重なり、時折、ぬかるみがあったものの、程よく柔らかで歩きやすかった。

  

綺麗に色づいた紅葉の林の中を進むと、木々には緑も残り、季節の移り変わりを感じた。

  

しばらく進むと列が詰まり、“渋滞”となった。大きな崩落箇所で、わずかに残った平面を慎重に進むことになった。

  

またこの先では、参加者が斜面を登っていた。明らかに道ではなかった。

 

実はこの先は30mに渡って完全に崩落している場所で、崖を上り、この上を走る県道59号に入らなければならなかった。

この二箇所の崩落箇所について、案内人の佐藤さんは『県の道普請で治したいと思っている』と言われていた。30mの崩落箇所は相当規模の工事となるだろう。

「銀山街道」が果たした役割と、その場所を歩く事の学習効果や観光での集客能力をまとめ、広く周知することで県民の理解を得て、是非予算化を実現して欲しいと思った。

  

再び県道59号線に入ると、すぐに林道大峯線との分岐点となり、右の未舗装の道を進んだ。

 

去年の7月22日、私は県道59号線が未成線であり車両通行止めとは知らず、舗装された道を直進し林道を進んでしまった。1年3ヵ月を経て、ようやく本来の県道59号線を進むことになった。

街道は分岐点から1kmほど自動車が進めるほど広く平らに整備されていた。両脇には側溝も設けられていて、車道として“つなげよう”とした歴史に思いを巡らせた。

  

先に進むと、標高が上がったこともあり、周囲の木々は見事に色づいていた。

  

青空を見ながら、整備された道を大きく蛇行しながら進んでゆくと、カーブの先端で前方が大きく開けていた。

   

 

その場所に立つと、素晴らしい景色が目に飛び込んできた。

新潟県との境に連なる越後山脈の山々。晴れて、空気も澄んでいるせいか、かなり遠くの山の稜線も見えた。帰宅後に地図を見ると、大半が1000m級だったが、これだけ多くの頂を見ると見応えがあった。左手奥には“会津の名の由来の地”「御神楽岳」(1,386.5m)と思われる山も見られた。 

 

ここでは多くの参加者がカメラを構え、シャッターを切っていた。

  

“見晴らし箇所”を後にして200mほど進むと、分岐点となり、“整備された県道59号線”はこの先で途絶えていた。

 

左に上ってゆく側道の脇の標杭には“銀山峠 久保田登口”と書かれていた。整備道とは違い、杉林の中の急な坂道を進んだ。

 

 

11:48、分岐点から100mほど進み、「銀山峠」の最高点(652m)を通過した。

 

その後は、下り坂が続いた。こちらも傾斜があり、膝への負荷に気遣いながら進んだ。

  

しばらく歩いていると足元に“構造物が現れた。福島県会津若松建設事務所が中心となり行った“道普請”箇所だ。ここは山側(左)からの水を谷側(右)に排出するための側溝を作り(2012年)、桟橋を設置(2013年)した箇所。5年の月日が経ち、苔生し一体化していた。

 

この先には谷側(右)に丸太土留工が設置(2013年)された箇所があった。

 

福島県会津若松建設事務所の資料には、この“道普請”の様子が詳しく記載されている。 *下図出処:福島県会津若松建設事務所「歩く県道・銀山街道」地域づくりニュースVol.1(PDF)

“道普請”は「銀山街道」の「美女峠」(三島町ー昭和村)、「吉尾峠」(昭和村ー只見町)でも行われいて、関係者は総延長72kmのロングトレイルが可能な“歩ける県道”を目指しているようだ。関係者の努力に頭が下がる。是非、会津の歴史を背景とした国内有数のロングトレイルコースとなるよう期待したい。

*参考:福島県会津若松建設事務所 地域づくりニュース『歩く県道 (銀山街道)』リンク

平成23年度Vol.1(PDF)平成25年度Vol.1(PDF)平成26年度Vol.2(PDF)平成26年度Vol.3(PDF)平成27年度Vol.1(PDF)平成27年度Vol.2(PDF)平成27年度Vol.3(PDF)平成28年度Vol.1(PDF)平成28年度Vol.2(PDF)平成28年度Vol.3(PDF)平成29年度Vol.1(PDF)平成29年度Vol.2(PDF)

 

  

11:58、前方華やかに色づき、常緑樹から紅葉の落葉樹の森に入って行く。

 

見晴らしも良くなり、周囲の山々も見えるようになった。

  

会津平野を見通す事ができなかったが、会津西部山麓に連なる低くなだらかな山々の稜線が確認できた。

  

紅葉は見頃で、華やかな気持ちで歩を進める事ができた。

   

右手の斜面の上に祠があった。街道を行き来した旅人に、何度も拝まれたことだろうと想像した。

  

前方右手に目を向けると、麓に家々が見えた。軽井沢集落だ。

 

今日は天候に恵まれ、ほどよい秋の陽射しが紅葉する木々を照らし、最高のトレッキングとなった事を喜びながら歩いた。

  

更に進み右に目を向けると、「磐梯山」(1,816.2m)が見えた。この稜線を見ることで、ここが会津であることが実感できる。

  

 

街道両脇では、細木を中心に根元から斜面下方に向かって大きく曲がっていた。雪の圧力が創り出した形だが、雪害から街道を守っている“努力の証”ともとれる。ありがたい。

  

歩き続けると、前方の視界が大きく開け、街道の幅も広くなった。

 

街道は人為的に幅が広げられ、谷側の木々が一部土に埋もれていた。

また、地面をよく見るとキャタピラーの跡があった。小型のバックホーで山側を掘削し、道幅を広げたのだろうか。これも“道普請”の一部だとしたら、少々手荒だと思った。

 

 

坂を下り、ヘアピンカーブの先で参加者が前方を見つめ『見える見える』と言っていた。

 

私もそこに行き、まだ緑の楓の枝葉の間にレンガが欠けた物体を見た。「軽井沢銀山の大煙突」の先端だ。ゴールは近い。

  

さらに先に進む。いつの間にか、上空が大きく開放されていた。気持ちよかった。

 

再びカーブを曲がり進んで行くと、今度は前方にはっきりと煙突の形を見ることができた。

 

続いて、右奥に舗装された道路と街頭が見えた。県道59号線だ。まもなく未成区間が終わる。

 

 

 

12:15、「軽井沢峠 入口」(軽井沢側)に到着。久保田地区松ノ下の「銀山峠 入口」から1時間5分で到着した。

 

「銀山街道」はこの後、左に大きく折れて塩野集落の外れに下ってゆく事になる。

 

 

「銀山街道 銀山峠」のトレッキングが終了。このあとは昼食会場となる「軽井沢銀山の大煙突」前の広場に向かった。

  

広場にはブルーシートが広げられ、先着した参加者が昼食を摂っていた。

 

「軽井沢銀山の大煙突」。ここから見上げると、なお立派に見えた。

かつてこの広場は「軽井沢銀山製錬場」があった場所で、坑道(横抗)の入口もあったという。

  

ブルーシートの前では机が並べられ、キノコ入り豚汁とお茶が振舞われていた。私もスタッフからよそってもらい、持参したおにぎりといっしょに頂いた。

味噌と素材の香りが高い旨い豚汁だった。歩き終わった後に、このような手作りのご馳走を頂戴できるのは素晴らしいと思った。おかわりも可能だったが、私はこの後に柳津の名物を食べるために我慢した。

  

 

食後、バスの出発までに時間があったので、私は「ズリ山」を見に行く事にした。

まずは、「大煙突」の看板前に行く。去年と変化はなかった。 *参考:拙著「柳津町「軽井沢銀山の大煙突」2017年 晩秋」(2017年11月21日)

 

先端から落下する可能性のあるレンガに注意を払いながら「大煙突」の脇を通り抜け、急な坂道を登ってゆく。結構長く、途中で息が切れた。

 

5分ほどで「ズリ山」に到着。

 

ズリとは、鉱石などの採掘の際に出る捨石の事。

 

この「ズリ山」には銀採掘の副産物が、山の稜線を変える程うず高く積み上げられていた。

 

この「ズリ山」からの眺めが良いという。

 

「ズリ山」の頂に上り、「大煙突」を中心に素晴らしい景色を見る事ができた。木々が完全に色づけば、更に良い景色となるだろう。

 

足元を見る。ズリはキレイな円を描いて低木を押し潰していた。奥会津の自然豊かな山間で営まれた産業の軌跡を見る思いだった。

  

この「ズリ山」の“対岸”にも絶景ポイントがあるという。県道59号線工事で一部が開削された愛宕山(486m)だ。目を凝らすと、すでに参加者の一部がそこに居た。


 

「ズリ山」を後にして、約600m離れた愛宕山に向かった。

よく見ると県道脇のフトン籠工された斜面にはロープが垂らされていて、先に上っていた参加者がそれを利用しながら下りてきていた。私は“石段”を登った。ロープは使わずとも意外とスイスイと行けた。

  

山肌には階段が作られ、ロープも這わされていた。

 

頂上に着き、景色を見る。逆光が残念だったが、「大煙突」の背後に広がる山肌が色づき、良い眺めだった。午前中の早い時間ならば、陽の光に邪魔されず、素晴らしい光景を楽しむ事ができるだろう、と思った。


 

愛宕山から広場に戻ると、昼食休憩は終わりとなり、皆でブルーシートを畳んだ。そして、記念撮影のために、広場の東端に移動した。

ちなみに、上の写真の中央で両手を腰に当てているのが、「軽井沢銀山」周辺の地主である古庄さん。この「歩く会」のために土地を開放し、自宅だった家屋のトイレを利用させて下さっている。雨天時はその家屋が昼食会場になっていたという。

今日も、自宅のあるいわき市からおいで下さったようだ。感謝感謝。

  

13:40、広場に付けられたバスに乗り込み、「軽井沢銀山」跡をあとにした。

 

 

 

20分ほどで朝の集合場所となった「やないづふれあい館」に到着。案内人を務めた佐藤さんの総括で、「第9回 銀山峠 歩こう会」は終了した。

 

今日は天候に恵まれ、「銀山峠」付近の紅葉も見頃になっていて、素晴らしいトレッキングを楽しむ事ができた。全行程は約4km、1時間30分の所要時間だった。主催者の「銀山峠を復活させる会」をはじめ、運営スタッフや案内をして下さった佐藤さんに感謝申し上げたい。

また、会津の歴史を体感できる「銀山街道」のトレッキングは学習効果もあると感じた。小学生の高学年ならば歩けるコースだと思うので、是非多くの子供たちにこの歴史街道を歩いてもらいたい、と思った。

 

今後、私は銀山峠ー美女峠ー吉尾峠などを経る“銀山街道ロングトレイル”が企画されるのならば、是非チャレンジしたいと思った。

  

 

 

解散後、すぐ近くにある「道の駅 会津柳津」に隣接する「憩の館 ほっとinやないづ」に向かった。

 

芝生広場からアーチ橋を渡り「憩の館 ほっとinやないづ」に入る。

  

さっそく食堂に向かい、券売機でお目当ての名物「柳津ソースカツ丼」の食券を購入した。カウンターに食券を渡し、窓側の席に座り、待った。

 

10分程でスタッフがお膳を運んできた。みそ汁と漬物が付いた定番の構成だった。

「柳津ソースカツ丼」。ごはん+千切りキャベツ+ふわとろ卵焼き+トンカツの四層で、甘めのソースが掛かっている。これを食べるために、トレッキング後の昼食を抑えた。

 

ソースの香りが立ち、卵焼きの半熟加減が食欲を掻き立てる。

さっそく半熟卵焼きがついたカツを頂く。旨い! 厚いが柔らかい肉の触感と濃厚な卵の香りと舌ざわりに、食べに来て良かったと心から思った。この味は柳津町の味だ。

箸は止まらず、あっという間に平らげた。

私はこれで4軒の店で「柳津ソースカツ丼」を食べた事になった。それぞれに特徴があり、それぞれに旨い。残り3軒の店で、また「柳津ソースカツ丼」を食べたいと思う。

 

食後は入浴。高台にある「つきみが丘町民センター」に向かった。

 

「歩こう会」の受付後にいただいた無料入浴券を受付に渡し、階下の大浴場に移動し、日帰り温泉を楽しんだ

柳津町「つきみが丘町民センター」温泉の主な特徴
・源泉名:新柳の湯
・泉質:ナトリウム・カルシウムー塩化物温泉(等張性弱アルカリ性高温泉)
・泉温:56.3℃ (pH7.8)

  

ゆっくりと湯に浸かり「つきみが丘町民センター」をあとにした。

 

市街地に通じる階段を降り、福満虚空藏菩薩圓藏寺を見上げながら坂を上った。

  

そして、いなばや菓子店に入り、柳津町のもう一つの名物である「あわまんじゅう」を購入した。

いなばや菓子店の「あわまんじゅう」はつぶあんが特徴で、他に白あんもある。

   

会津柳津駅に向かい、ホームのベンチに座り、まだ温かい「あわまんじゅう」を頂いた。

あわのツブツブ感と香りに甘さ控えめのつぶあんの組み合わせに、顔がほころびた。この味を求めて、また柳津町に来たくなってしまう。 

  

 

20分ほどホームで待つと、会津若松行きの列車がやってきた。

車内は混んでいて、私はセミクロスシート車両のロングシートに座った。この紅葉時期の混雑が、通年続くように願いたい。

 

16:19、列車は定刻をわずかに遅れて会津柳津を出発。

 

 

17:19、会津若松に到着。すっかり陽が落ち、駅周辺は暗かった。

会津若松からは郡山行きの列車に乗り換え、帰宅の途に就いた。


 

 

今日は「銀山峠」を初めて超え、「軽井沢銀山」の歴史を新たに学べ、柳津町の名物を頂く事ができ、充実した一日となった。

 

只見線に乗って柳津町を楽しむ場合、「銀山峠」や「軽井沢銀山」を組み込んだ方が旅に厚みが出て、滞在時間の増加が見込める。

やはり二次交通の問題だが、「軽井沢銀山」は軽量のクロスバイクか電動アシスト機能付きのマウンテンバイク等の自転車を二次交通として利用しても行き来することができる。

 

「銀山峠」は久保田~軽井沢の「銀山街道」を歩き通してその価値を実感できると思うので、団体客を見越しバスなど自動車の送迎が必要になると思う。

私は、季節ごとに“只見線乗車+銀山峠トレッキング”ツアーを企画し、企画列車を走らせ送迎バスをチャーターする方法が良いと思う。今回のような紅葉時はもちろん、新緑の頃や、積雪時もスノーシューやかんじきを履け歩いて楽しむ事ができるだろう。この場合、柳津駅構内の廃された“2番線”を復活させ、列車を待機させる必要が出て、実現するコストが膨らむかもしれないが、紅葉時に橋梁区間だけを走る臨時列車を走らせる案を同時に検討すれば、実現不可能ではないだろうと思う。

 

体験、温泉、食などで一日楽しめる場所というのは多くはない。柳津町は只見線が持つ大量輸送という特徴を観光資源に直結させ、集客し経済効果に結び付けて欲しい。私は今日「銀山峠」を歩き、それが可能であることを実感した。

 

 

只見線は紅葉の見頃を迎えた。今秋、できる限り只見線に乗り、沿線の紅葉と見どころを伝えたいと思う。

 

 

(了)

 

 


[追記]

「銀山峠」は「会津百名山」の第93座で、「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社)では以下の見出し文で紹介されている。*出処:「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社)p200

銀山峠 <ぎんざんとうげ> 652メートル
「銀山」。藩政時代から藩を支えた金属鉱山は多い。今も地名に残った金属名の金や銀そして銅は、昔日の盛んな様子を偲ばせる。[登山難易度:初級]

 

 

・ ・ ・ ・ ・ ・

*参考:

・福島県 生活環境部 只見線再開準備室:「只見線の復旧・復興に関する取組みについて」/「只見線ポータルサイト

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」 (2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(2017年6月19日)

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

 

以上、よろしくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)し、2022年10月1日(土)、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、車窓から見える風景写真を中心に掲載し、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す只見線の乗車記や「会津百名山」等の山行記、利活用事業に対する私見等を記します。

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