金山町「田代山(高森山)」登山 2023年 晩夏

私選“只見線百山”候補の検証登山。今日は会津越川~会津横田間に架かる良々子沢橋梁から、鋭角の稜線を車窓から見ることができる「田代山(高森山)」(830m)に登ろうと、JR只見線の列車に乗って金山町に向かった。

 

「田代山(高森山)」は、旧大鹽村の小名である田代集落の三方を囲む山で、高く鋭角で目立つ事から「田代山」と呼ばれていたと推察されるが、国土地理院地図には「高森山」と記され、「日本山名事典」(三省堂)にも「高森山」との記載がある。

たかもりやま 高森山 (高)830m
福島県大沼郡金山町。只見線会津越川駅の北西2km。貉ヶ森山(むじながもりやま)から南に派生する尾根にある。
*出処:「日本山名事典 <改訂版>」(三省堂、p632)

“高森山”は全国に44峰もあり、福島県には全国でもっと多い8峰(岩手、山形も同数)があり、会津地方に集中している。会津百名山にも「高森山」(1,100m、58座)があるが、「田代山(高森山)」の西12kmの金山町内に聳えている。*参考:拙著「金山町「高森山」登山 2021年 春」(2021年5月4日)


また、同事典には「田代山」が全国に14峰となっていて、福島県には山頂に湿原を持つ有名な1,971m峰(南会津町と日光市の境)と、八十里越街道沿いにある1,135m峰(只見町と魚沼市・三条市にまたがる)が記されている。


ちなみに、会津藩の地誌「新編會津風土記」(1809(文化6)年編纂完了)の大鹽組大鹽村の小名田代や端村土倉の項には、“田代山”の記述は無かった。

●大鹽組 ●大鹽村 ○小名 ○田代
本村より丑寅の方十九町にあり、家數三軒、東西二十間南北一町、三方は山に傍ふ、西は田畝なり、
○端村 ○土倉
本村の東十六町三十三間にあり、家數八軒、東西一町三十間南北二十五間、北は山に傍、南只見川に近し、

*出処:新編會津風土記 巻之八十四「陸奥國大沼郡之十三」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第33巻」p140 URL: https://dl.ndl.go.jp/pid/1179220/1/76)

 

今日は、会津若松から会津川口止まりの只見線の列車に乗って、レンタルサイクルを利用し登山口に向かい、「田代山(高森山)」登山後に、レンタルサイクルをワインウェイ返却し会津横田から再び列車に乗るという計画を立てた。

登山計画は、今回も「福島登高会」のハイキングレポートを参考にさせてもらった。*参考:「福島登高会」ハイキングレポート 「田代山(高森山)」 URL: https://www.ftk-ac.net/01_hik/2012_hik/4711_tasiro/4711_tasiro.html

 

金山町を含む奥会津は、晴れ後曇りの予報で、登山口までのアクセスや登山道の状態、各所からの眺望などを十分に検証できると思い、「田代山(高森山)」登山に臨んだ。

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線沿線の“山”(登山/トレッキング)ー / ー只見線の夏

 

 


 

 

今朝、磐越西線の始発列車に乗るため郡山駅に向かった。駅舎上空には鼠色の雲が広がっっていた。

 

改札を通り1番線に向かい、停車中の列車に乗車。

5:55、会津若松行きの列車が定刻に郡山を出発。

  

列車が進むにつれ雲の間に見える青空が広くなり、沼上トンネルを抜け会津地方に入ると陽の光が注ぐようになった。川桁を出て長瀬川を渡ると、右の車窓に「磐梯山」(1,816.2m、会津百名山18座)が見えた。

 

  

7:11、会津若松に到着。只見線のホームに向かうため連絡橋に上ると北東に「磐梯山」の山影が見えた。

 

4-5番線ホームに降りると、まもなく列車がやってきた。キハ120形+キハ110の2両編成で、折返し会津川口行きとなり、私は乗客の降車を待って後部車両となるキハ120形に乗り込んだ。

7:41、両車両とも10人ほどの客の乗せ、列車が会津若松を出発。

 

 

七日町西若松で部活動に行くと思われる高校生を乗せ、列車は大川(阿賀川)を渡った。上流側に見えるはずの「大戸岳」(1,415.9m、同36座)の山塊は雲に隠れていた。

  

会津本郷を出発直後に会津若松市から会津美里町に入った列車は、会津高田に停車。県立会津西陵高校の生徒が降りると、車内は閑散とし、私が乗る車両は5人だけとなった。

終点・小出まで行かない全線を乗り通せない列車とは言え、朝方の空気の澄んだ中、車窓から美しい景色が見られる列車としては寂しい客数だった。“観光鉄道「山の只見線」”の魅力の周知は緒に就いたばかりだと再認識した。

 

 

会津高田を出発した列車は、“高田 大カーブ”を右に大きく曲がり、進路を真北に変えた。

そして、根岸新鶴を経て会津平野の黄金色に近づきつつある稲田の間を駆けた。

 

 

若宮手前で会津坂下町に入った列車は、すれ違いの列車が待つ会津坂下に到着。

会津坂下を出た列車は、会津平野と奥会津を隔てる七折峠に向かった。短い田園の間を抜けると、ディーゼルエンジンの出力を上げ、右に大きく曲がり登坂を始めた。

登坂の途中、木々の間から会津平野を見下ろした。

   

峠の中の塔寺を経て、第一花笠-第二花笠-元屋敷-大沢と続く四連トンネルの手前で登坂を終えて、列車は会津坂本に到着。「キハちゃん」が満面の笑顔で出迎えてくれた。*参考:会津坂下町「只見線応援キャラクター誕生!!」(2015年3月13日) https://www.town.aizubange.fukushima.jp/soshiki/2/3337.html

  

会津坂本を出て柳津町に入った列車は、細長い稲田の間を進んだ。

 

列車は、ホーム屋根が撤去された会津柳津に停車。

町に譲渡された駅舎の改修工事は、今月20日から始まるという。奥会津の只見線と「越後三山只見国定公園」の入口に相応しい、観光客がたくさん集う場所になって欲しいと思った。*参考:拙著「「只見柳津県立自然公園」国定公園に編入へ」(2021年6月29日)

 

会津柳津を出た列車は、郷戸手前で“Myビューポイント”を通過。「飯谷山」(783m、同85座)の山容が良く見えた。

 

 

 

滝谷を出発直後に滝谷川橋梁を渡り、列車は三島町に入った。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋検索

 

会津桧原を出て、桧の原トンネルで“観光徐行”で減速した列車は、町花「桐の花」の色(紫)の上路式トラス橋「第一只見川橋梁」を渡った。

下流側の水鏡は冴えて、くっきりと映り込む上空の雲が印象的だった。また正面には“只見線百山”の候補としている「日向倉山」(605.4m)も良く見えた。*ダム湖は、東北電力㈱柳津発電所・ダムによるもの

上流側の駒啼瀬の渓谷も、少し逆光気味だったが、綺麗に見えた。

カメラをズームにして、正面上方の鉄塔下にある「第一只見川橋梁ビューポイント」の最上部Dポイントを見ると、“撮る人”が数人居た。

鉄塔を囲むフェンスまでが整備された場所だが、最近では、その上方まで“撮る人”は登っている。少しでも良い写真を撮りたいという姿に、『体力が要る趣味なんだなぁ』と思った。


会津西方を出発直後に、“只見線百山”の検証登山第一号として、今年三月に登った「洞巌山」(1,012.9m)の山塊が見えた。*参考:拙著「三島町「洞厳山」登山 2023年 早春」(2023年3月20日)

この後、列車は「第二只見川橋梁」を渡った。上流側には「三坂山」(831.9m、同82座)が見えた。

下流側は、只見川がスウーッと延び、冴えた水鏡には、周囲の風景が映り込んでいた。*只見川は柳津ダム湖

 

 

列車は減速しながら、「みやしたアーチ3橋(兄)弟」の次男・宮下橋を下流側に見ながら、長男・大谷川橋梁を渡った。*参考:三島町観光協会(観光交流館からんころん)「『みやしたアーチ3橋(兄)弟』のビューポイント」(2013年6月16日) https://blog.goo.ne.jp/mishimakankou/e/e93620f5690ee4e3adf6d1124b2f46e5

 

9:07、会津宮下に停車。まもなく、小出からの1番列車とすれ違いを行ったが、車内を見ると混雑していた。今日は「青春18きっぷ」の夏季使用期間最終日に日曜日が重なったため、小出発が5時36分にも関わらず多くの客が乗ったのだろうと思った。

 

会津宮下を出た列車は、東北電力㈱宮下発電所の背後を抜け、宮下ダムの脇を過ぎるとダム湖の縁を駆けた。空の“青”を映す、静謐な水面は美しかった。

 そして、まもなく「第三只見川橋梁」を渡った。下流側は水面も含め、一面緑色だった。 

上流側は、只見川の水鏡に空と奥行きのある山容が綺麗に映っていた。*只見川は宮下ダム湖

 

 

早戸に停車すると、前方に山肌に岩が剥き出しに現れた雪食地形が見え、奥会津らしい良い山岳風景だった。*参考:只見町ブナセンター 公式Youtbeチャンネル「雪食地形」 URL: https://www.youtube.com/watch?v=JBzi_I7g7S4

只見川の下流側に目を向けると、2艘の観光和舟が客を乗せ浮かんでいた。

 

 

早戸を出て国道252号線と交差し、列車は三島町から金山町に入り、8連コンクリートアーチ橋「細越拱橋」を渡った。

 

 

会津水沼を出て、下路式トラス橋「第四只見川橋梁」を渡った。

渡河後、国道252号線と交差し、道路改良工事で電線・電柱地中化され、車窓からの眺めが良くなった区間を進んだ。

この先、東北電力㈱上田発電所・ダムのダム湖と左岸の全体に見える雪食地形の山肌が見える区間があるが、ここは同工事で電線・電柱地中化されなかった。今日も、この景色を眺めながら『惜しい!』と思った。

 

 

会津中川を出発後、大志集落の背後を駆けた列車は右に大きく曲がり減速した。車内では終点と告げる放送が流れ、前方に林道の巨大なトラスドランガー橋・上井草橋が徐々に近づいてきた。

ここで振り返って、只見川(上田ダム湖)に突き出た大志集落を眺めた。良い眺めだった。*参考:福島県生活環境部自然保護課 ふくしまグリーン復興構想「大志集落俯瞰とかねやまふれあい広場からの大志集落」URL: https://www.pref.fukushima.lg.jp/w4/fgr/outline/

 

 

列車はゆっくりと只見川の縁を走り、駅に近づいた。

  

9:40、終点の会津川口に到着。

 

降りた客の中には、シニアのご夫妻が数組いて、観光案内図を見ながら『これからどうしようか?』などと話をされる姿も見られた。

 

駅舎に入り、金山町観光協会の売店の入口に張られた“Youはどこから?”シートを見ると、やはり台湾からの客が突出していた。一国だけのインバウンドに頼るのは危険だとも思うが、ここまで圧倒的だと今はやむを得ないなと考えてしまった。

この売店でレンタルサイクルの受付をして、駅頭で準備ができるまで待った。

 

先客が居て、売店のスタッフが“ワンオペ”でレンタルサイクルの準備をしていたので時間が掛かったが、20分ほどで自転車の整備や利用規約の手交を終えた。車両は、「貉ケ森山」登山でもお世話になったパナソニック社製の電動アシスト付きの「SW」で、沿線のレンタルサイクルで唯一『借りたい』と思える車種だ。

10:20、レンタルサイクルにまたがり、会津川口駅前を出発し国道252号線を進んだ。

 

坂を越えて西谷地区に入ると、復旧工事で会津川口方の橋桁を付け替えた「第五只見川橋梁」のビューポイントになった。

 

西谷橋を渡る際には、前方に“只見線百山”候補の「袖の窪山」(952.8m)を背後に「第六只見川橋梁」が見えた。

 

 

国道252号線を進み橋立地区に入った。旧湯倉橋にはバリケードが設置され通行不可になっていた。

旧湯倉橋は「平成23年7月新潟・福島豪雨」で増水した只見川を漂流した木などが激突し主桁の鋼材が変形したが、補修し使用を継続していた。しかし、2022年1月の本名バイパス開通により湯倉橋の名は下流側50mほどの場所に架かったPC(プレストレスト・コンクリート)橋にその名を譲った。そのための通行禁止だと思うが、対岸には「旅館 鶴亀荘」と「湯倉温泉 共同浴場」があるので、橋への負担が極端に少ない歩行者や自転車は、当面は通行できるようにして欲しいと思った。

 

この旧湯倉橋から200mほど先(南)にある「民宿 橋立」の、駐車場端に立つ只見線(135.2km)中間点を示す看板(只見線側に「ここが、只見線の真ん中だ!」の文字)を見ながら国道を進んだ。

   

会津越川駅付近を通り過ぎると、東北電力㈱伊南川発電所が見えてきた。

放水路に架かる歩道橋から、只見川への落水の様子を見た。9.5kmほどの水路トンネルを経て、有効落差109mの水勢でタービンを回し発電する、自然エネルギーの強力さを実感した。

 

 

 

 

11:05、良々子沢橋に到着し、橋上から「田代山(高森山)」を眺めた。只見線・良々子沢橋梁は、この背後に架かっているため、ほぼ同じように車窓から「田代山(高森山)」が見える。

「田代山(高森山)」は山頂が尖り、山座同定しやすい山だ。

 

 

国道252号線を500mほど引き返し、只見川に架かる西部橋を渡った。

渡河し町道土倉西部線にぶつかり左折。まもなく通行止めのバリケードが置かれていたが、左端が開いていたため進むと、目の前に崖崩れ現場が現れた。スマホで金山町の町道等道路状況を調べると、今年6月29日から通行止めになっていて、帰宅後に新聞で確認すると只見線も一時運転を見合わせた6月28日午後4時頃の大雨による崖崩れのようだった。

まさかの事態に悩んだ。林道田代線の分岐までわずか750mだが、引き返し迂回すると4kmになるためだ。...結局、直進することにした。崩れた岩が鋼製の防護ネットと押さえされ、最下部の岩場も安定していて、乗っても全く動かなかったからだ。レンタルサイクルを抱え、20mほど崖崩れ箇所を慎重に越えた。

 

崖崩れを越えて、自転車を進めた。途中、御堂のような小さな屋根が設えられた「とちの木清水」があった。

そして、「田代山(高森山)」登山口へ続く林道田代線の分岐が見えてきた。

 

 

 

11:26、林道田代線の入口に到着。林道の右端には標杭が立ち、その脇には標石が置かれていた。

標石には「田代山登山道(高森山)」と刻まれていた。立派な石標に感心したが、夏草が掛かっているのが気になった。

 

林道に入るが、まもなく入山許可料金徴収に関する土倉共有権者会による立て看板があった。山菜やキノコ採りならいざ知らず、登山での入山料徴収は聞いた事はなかったが、念のため引き返し、分岐付近で見かけたご婦人に尋ねることにした。

立ち話していたご婦人2人に聞いてみると、『(登山なら)大丈夫だと思いますよ』と答えて下さった。ついでにクマの出没について聞くと、『このあたりは出ますよ。ただ明るいうちなら出ないかなぁ...』との事。あたりまえか、と思い、ご婦人方にお礼を言って別れた。


林道に戻り「田代山(高森山)」登山口に向かう準備をした。

まず、熊鈴を身に付けた。福島県は今月から11月末まで「ツキノワグマ出没特別注意報」発令中で、ご婦人からの情報もあり『大きく、継続的な音で、クマに自分の存在を知らせる!』と意を新たにした。*下掲記事:福島民報 2023年9月1日付け紙面

そして、前回の「湯の岳」(柳津町)登山の経験を踏まえ、地図を取り出した。定番の地理院地図と、その隣に今回も参考にした「福島登高会ハイキングレポート」上の地図も合わせて印刷してきた。*参考:「福島登高会」ハイキングレポート 「田代山(高森山)」 URL: https://www.ftk-ac.net/01_hik/2012_hik/4711_tasiro/4711_tasiro.html

林道(田代線・田代高盛線)は登山口となる終点まで約3kmで、340mほどの標高差を駆け上ることになる。*出処:国土交通省 国土地理院「地理院地図」URL: ttps://maps.gsi.go.jp/  *「ツール」ー「断面図」で筆者が作成  

 


11:32、準備を済ませ、林道の登坂を開始。林道は幅は狭かったが、舗装面が続いた。徐々に傾斜が増してきたが、電動アシストの威力は抜群で、スイスイと進むことができた。


4箇所目のヘアピンカーブを曲がると、前方に“けもの”群れが現れ、一斉に散っていった。一瞬『クマかっ!!』と背筋が凍ったが、“けもの”は小さく毛は薄茶色で直ぐにサルということが分かった。サルは200mほどの区間に散在していて、私が近付くと駆け足で茂みに入っていった。

 

11:35、電動アシスト機能付き自転車の威力は素晴らしく、快調に坂を駆け上ると、前方に延びる林道田代高盛線が見えて、分岐には「田代山(高森山)」登山口方面を示す標石が立っていた。

 

林道田代高盛線に入り、進んだ。林道は未舗装で、轍の痕跡は判別できたもの、一面夏草に覆われていた。両側の視界は更に悪くクマの存在が気になり、自転車のベルを鳴らし、笛を吹きながら勢い自転車をこいで駆けた。

 

途中、スギ林で陽射しの届かない場所の夏草は短く、一息つけた。

  

11:41、前方に、送電鉄塔が見えた。東北電力㈱の伊南川発電所と長岡変電所(長岡市)を結んでいる、送電線(越後線)を支えている鉄塔だ。

送電線を上空に見ながらヘアピンカーブを曲がると、まもなく林道田代高盛線が一旦ピーク(約530m)となった。そして、鞍部に下ると緩やかの上り坂の先に「田代山(高森山)」の山頂が見えた。

 

電動アシストを受けてで快調に林道を進んだ。林道を覆う夏草は勢いを増し、一瞬怯んだが、笛を大きく吹きペダルに力を込めて、スピードを上げて突き進んだ。

 

 

 

11:49、左にコンクリート擁壁が見え、林道の先に刈り払いしたような広場が現れた。

広場に先には踏み跡が続いていて、ここが「田代山(高森山)」登山口のようだった。

 自転車を広場の端に停め、食物以外の不要な荷物をカゴに入れて、登山の身支度を整えた。

 

 

 11:57、笛を大きく吹き、熊鈴を大きく鳴らしてから「田代山(高森山)」登山を開始。

登山道に踏み出し、右端に小石が纏わりついた石塊があり、立ち止まって良く見ると、林道分岐と同じような標石に、「田代山(高森山)」の方向を示す案内だった。

倒れてから久しいようで、登山道がしばらく手入れされていない事を、ここで確信し少し不安になった。

 

 

登山道を進んだ。序盤は、踏み跡がはっきりと見えた。

しかし、まもなく踏み跡は夏草に覆われた。ただ、整備された登山道の空間ははっきりと視認できたので、大きな不安は感じなかった。

クマザサが生い茂った場所もあり、登山道を踏みしめる登山者の入山がほとんど居ないことが察せられた。

 

12:03、登山道が左に折れて北進する場所に、夏草に埋もれている異物を認め、見ると登山道入口に続いて標石の案内が倒れていた。『立派な標石が...もったいない』と思った。

登山道は急坂直登となり、夏草を掻き分けながら進んだ。

 

  

12:04、分岐となるべき場所に到着。夏草は疎らだったが、右側に進む踏み跡や歩行空間が分からず、10分ほど探し続けた。


...結局、踏み跡は見つからず、探索を断念し、北西にある尾根に向かって進む事にした。

 

真西に進み、前方上方が明るくなっている斜面を見つけ、取付いてクマザサを掻き分けながら進んだ。

前方の明るさが増し、目指す尾根が近い事が分かり、斜面での藪漕ぎに気合を入れた。

 

 

12:19、なんとか尾根に乗る事ができた。尾根は踏み跡の明瞭で、ホッとした。

 

尾根は踏み跡がありながら痩せていたので、道迷いはないと思い、安心して進む事ができた。

 

途中、左側(西)が深く切れ落ちていた。注意箇所だが、右側が斜面が緩やかで尾根が見通しが良いため恐怖は感じなかった。

 


12:24、登山道の傾斜が増し、地面を見るとトラロープが垂れていた。1箇所目のヒモ場だった。

ロープを手に持ち強く引っ張ると、しっかりと固定されていた。

 

 

12:27、登山道の傾斜が、さらに増し急坂直登部になった、麓から見えた鋭角峰「田代山(高森山)」の、本領発揮となったようだった。

途中、踏み跡を覆うような夏草区間や、

行く手を覆う巨石などがあった。

巨石はこの先も点在したが、夏草に覆われていたため、威圧感は感じなかった。また、直登を困難にするほどのものでもなかった。

また、岩場には、少し短いトラロープだったが、ヒモ場(2箇所目)もあり安心できた。

 

 

12:31、前方が明るくなり、登りきると、右側が大きく切れ落ちた肩だった。

切れ落ちた場所からは、周囲の山々と、麓の一部が見えた。

カメラをズームにすると、只見線・会津越川~会津横田間のスノーシェッドが確認できた。

 

この肩を過ぎると、まもなく左側が一層切れ落ちていた。ここは、注意が必要な危険箇所だった。

  

 

少し登坂すると、再び、前方の明るさが増した。

登りきると、傾斜の緩やかな肩部が現れ、夏草が生い茂っていた。

「田代山(高森山)」の麓からの写真を良く見ると、この傾斜が緩んだ肩部が確認できた。

...夏草を掻き分け、“肩の草場”を進むと大きく躓いた。足元を見ると、巨石が無数に転がり、地面も凹み多く、気を付けて先に進んだが、これら障害は不規則で、何度も躓いたりコケたりした。意外と危険な場所だった。


 

“肩の草場”の先にはナラの巨木があり、青々と葉を茂らせていた。

このナラの巨木の根元は一段高くなっていた。

 

段差を越えた先には、はっきりと視認できる尾根筋に延びたが、木の根が張りあるき辛かった。

 

少し歩くと、右手の木々の切れ間から麓が見えた。目を凝らすと橋上から写真を撮った良々子沢橋のようで、カメラをズームにすると只見線の良々子沢橋梁も確認できた。

 

急坂を進むと、3箇所目のヒモ場になった。トラロープは長く、固定もしっかりしていた。

 

 

12:42、進路に巨岩が現れた。鋭角峰の急坂に、これほど大きな岩があるとは意外だった。

この巨岩は4箇所目のヒモ場になっていて、トラロープが垂れ下がっていた。ここも、固定はしっかりしていた。


 さらに、巨岩の先にも、大きな岩があり、岩越えが続いた。

 

 

12:47、前方がかなり明るくなり、載り上がると、右側(東)が広く切れ落ちていた。“見晴らし場”として木が伐採されたような場所だった。

眺望はまずまずで、山間に延びる只見川の谷底平野が見えた。

途中で見えた只見線・良々子沢橋梁もはっきり確認できた。

    

この眺望の先は、薄い籔道になった。

藪を抜けると踏み跡が現れ、傾斜が緩くなった道を進んだ。

    

 

 

12:50、灌木の先に頂上を思わせるような、明るい空間が見え進み出た。

先にピークらしき盛り上がりもなく『ここが「田代山(高森山)」山頂では』と思ったが、一見し山頂を示す案内もなく、さらにこの先に踏み跡が続いていたため進むことにした。

 

だが、踏み跡は30mほど続き途切れ、その先は灌木に覆われた。

 そして、山頂尾根は下りになった。『やはり先ほどの場所が山頂だった』と引き返した。

 

 

12:54、“山頂”に戻り山頂を示す印を探すと、灌木の根元に標石があった。図根標石で、ここが「田代山(高森山)」山頂とは正解だった。

「田代山(高森山)」は三角点峰ではないため、この図根標石に触れて登頂を祝った。

また、この山頂には、地元の方が設置したという“木にぶら下げられた「高森山827m」のプレートがある”(福島登高会ハイキングレポート)とのことだったが、結局このプレートは見当たらなかった。

 

山頂からの眺望。

東側は木々に覆われていたが、南が少し開けていた。

南側に2mほど下ると、その開けた場所から只見線の「第七只見川橋梁」(下路式トラス橋)とV字で並ぶ町道の四季彩橋(中路式ローゼ橋)が見えた。

 

西側全体は灌木や藪に覆われ、まったく眺望が得られなかった。

 

 

13:03、「田代山(高森山)」山頂を後にし、下山を開始した。

まもなく、山頂手前にあった東側が開けた場所、“見晴らし場”に着いた。

結局、この東側に開けた“見晴らし場”からの眺望が、今回の「田代山(高森山)」登山では一番良かった。

 

同定できた山は、平たい山頂尾根を持つ「戸板山」(957.8m、三等三角点峰)、奥に山影の「志津倉山」(1,234.2m、会津百名山50座)と「博士山」(1,481.9m、同33座)のそれぞれの山塊、そして“只見線百山”の候補に入れている茶碗をひっくり返したような山頂を持つ「深入山」(898.1m)など。

 

「深入山」(898.1m)は、橋立地区から登った場合に経由しようと考えている「三方倉山」(四等三角点737m)から、山頂に至る稜線が良く見えた。いずれ登る時に参考になると思い、良かったと思った。*稜線上の向こうに見える山は会津百名山(58座)の「高森山」(1,099.7m)

 

“見晴らし場”を後にして下山を再開。右(西)の目を向け、アカマツの枝越しに横田地区の集落と「第七只見川橋梁」を見納めの眺望とした。


 

下山は、途中まで、登山路を忠実に折り返した。

急坂では、足元に気を付けながら下った。

 

“肩の草場”では、ツタに足を取られ、踏み込んだ石も大きく傾き、不覚にも転倒してしまった。この場所は、草が一面を覆っているため“平場”だと勘違いしそうだが、実際の足元は直径30㎝は優に超える岩などが不規則に点在し凸凹だった。この“肩の草場”は、「田代山(高森山)」の要注意ポイントだと思った。

    

 

13:20、急坂を下りきり、登山時に道迷いした後に藪漕ぎし合流した、平たい尾根に到着した。

ここからは、「福島登高会 ハイキングレポート」に記されていた、正規のルートを辿る事にした。

 

平尾根が突き当たる手前、スギ林とナラなどの落葉樹林の間に空間が延び、夏草に覆われながらも踏み跡が見えた。「福島登高会ハイキングレポート」の記載通りの場所で、ここを下り始めた。

スギ林を左に巻くように進む。踏み跡はクマザサに覆われたが、延びる空間をズンズンと下った。

 

途中、一部踏み跡が不明瞭で藪に覆われた場所もあったが、踏み跡を再び見つけて進んだ。

...平尾根から下る事7分で、登山時に道迷いしたポイントより、10mほど登山口に近い場所に出た。下りてきた場所を振り返ると、踏み跡は明瞭ではなかったが切り通しのように凹んでいるように見えた。この場所には分岐を示す案内板と、踏み跡が分かるポイントまで刈り払いや倒木の除去が必要だと感じた。


“道迷い点”から登山口を目指し、夏草を掻き分けて進んだ。

 

 

 

13:32、前方が明るくなり、登山口に無事に到着した。

停めておいた自転車も、クマなどの攻撃を受けずに、無事にそのままの姿であった。

「田代山(高森山)」登山を無事に終えた。所要時間は登山1時間、下山29分だった。町道の分岐から登山口まで林道を3km、標高340mもかせげたこともあり、登下山時間は短く済み体力的に余力を残し終える事ができた。

 

「田代山(高森山)」を登って感じたのは、『もったいない』だった。

地元の方によって、林道や登山道の入口など石製の案内板などが設置され、登山道にはヒモ場が設置されているのにも関わらず、「田代山(高森山)」が三角点峰でないため登山者が少ないことも重なってか、長らく未整備もまま放置されていたからだ。

「田代山(高森山)」は、只見線の列車の中からもそれと分かる鋭角な山容を持ち、登山道内でも眺望ポイントがあることから“只見線百山”の資質はあると思ったので、まずは、この既存の案内板やヒモ場を再整備する必要があると感じた。

そして、①林道(田代線&田代高盛線)の刈り払い、②山頂にあったはずの山名標の再設置、③肩の草場の刈り払いor安定した足場のルート確保、この三点を追加すれば、「田代山(高森山)」は低山ながら、歩き易い尾根、急坂、岩場、時折眺望を楽しめる登山が可能になると思った。


「田代山(高森山)」登山の只見線の会津横田駅からの二次交通について。

まず、レンタルサイクル(電動アシスト付き自転車も有)が、駅から300mほどの場所にある(横田タクシー)。電動アシスト付き自転車ならば、林道田代・田代高盛線の急坂もスイスイと進められる。

また、徒歩でも、会津横田駅から林道田代線入口まで1.6kmということで、林道から「田代山(高森山)」登山開始と考えれば心的負担はないと思う。


今回、「田代山(高森山)」では、倒れ、草に埋もれた案内板を見て、地元の方が“地域おこし”で努力しても、高齢化や人口減少で持続的な維持管理は不可能になっている現実を見た。そこで、只見線沿線の山に限定するならば、登山道やトレッキングルートの維持管理を沿線の市町村で協働して行う組織が必要だと感じた。「田代山(高森山)」のように既に案内板などの整備している山のみならず、地元の方が『あの山から見える風景はいいよ』『その山は岩場が多く、登り甲斐があるよ』という山を聞き出し、選び出して持続整備する。そうすれば、“観光鉄道「山の只見線」”のアクティビティー面での魅力は高まり、途中下車や滞在時間の増加に繋がり、経済効果の一助となるだろう。

今後、私は“只見線百山”の検証登山を繰り返し選定してゆくが、その中で“只見線沿線登山道維持管理組織”の在り方を個人的に考えてゆきたいとも思った。


 

13:36、自転車に置いた荷物をリュックに詰め、「田代山(高森山)」登山口を後にした。

 

下りは快調で、クマ対策で自転車をベルを鳴らしながら、電動アシストの力も借りながら勢いよく進み、5分とかからず林道田代線に合流した。

そして、3分ほどで町道土倉西部線に突き当たった。

 突当りを右折し、列車の時刻まで時間があるので、「大塩炭酸場」と「大塩温泉共同浴場」に行くことにした。

 

西に2kmほど離れた「大塩炭酸場」に到着。2016年9月に初めて訪ねて以来、何度も訪れている。*参考:拙著「金山町「炭酸水」 2016年 晩夏」(2016年9月2日)

炭酸水をいただこうと、昨年11月に舗装化された道を進んだ。

井戸は2019年8月に発生した事故後に網で覆われ、右隅に取水口が設けられた。新型コロナの流行以前は炭酸水を汲み上げるための薬缶が置かれていたが、今回も何も置かれていたなかった。

 

井戸の脇には“水汲み場”があり、炭酸水が流れ落ちている。この“水汲み場”の炭酸水は、脇の井戸から引かれたものではなく、近所の民家から引いているという。夏場、井戸は水量が減り、鉄分量が増えてしまうため、2018年夏にこの水汲み場は設置されたという。

何度も飲んでいる「大塩炭酸場」の炭酸水だが、今日も適度に冷えた微炭酸は旨かった。鉄分は殆ど感じず、『ハイボールにして呑みたい』と思った。

  

国道252号線を引き返し、案内板の立つ路地に向かって右折した。 

「大塩炭酸場」から800m、3分とかからず「大塩温泉 共同浴場」に到着した。時間があまりなかったが、階段を下り入浴料(協力金)を集金箱に入れて、浴室に向かった。

浴室には先客が複数いた。「田代山(高森山)」の汗や汚れを洗い場で落とし、内湯と露天風呂に浸かった。登山後に温泉に浸かれる只見線沿線の山は良い、としみじみと思った。 

金山町「大塩温泉」
[泉質] ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩温泉
[泉温] 38.3℃(pH値6.46)
[泉質別適応症] 切り傷、やけど、慢性皮膚病、慢性婦人病など
[一般適応症] 神経痛、筋肉痛、間接痛、くじき、痔疾、冷え性など

*参考:拙著「乗り初め(金山町「大塩温泉 共同浴場」) 2017年 冬」(2017年1月10日)

 

 

「大塩温泉 共同浴場」を後にして、国道252号線を進み只見川に架かる二本木橋を渡り、横田地区に入った。そして、まもなく前方左に横田タクシーの建物が見えた。

手前の倉庫には、会津川口駅と同じレンタルサイクルの看板が掲げられていた。

建物の正面にレンタルサイクルを停め、事務所の扉を開けて返却する旨を伝えた。


無事にレンタルサイクルを時間内に返却し、国道をはさんで向かいにあるヒロセ(滝沢商店)で、遅い昼食の買い物をした。その後、300m離れた駅に歩いて向かった。

会津横田駅に到着。この駅で乗降するのは初めてだった。

金山町内の只見線の駅には、それぞれの駅位置だけを変更した大きな観光案内板が置かれている。その案内板越しに「田代山(高森山)」が見えた。

 

会津横田駅の駅舎は、福島県が上下分離方式でJR東日本から無償譲渡を受けたものだが、今年6月に発生した会津蒲生駅の天井材崩落により行われた一斉点検で“危険有り”と診断され、今後補修工事がなされるという。

入口は施錠され、立入禁止の貼り紙がガラス戸に掲げられていた。*下掲記事:福島民報 (左)2023年6月9日、(右)2023年8月19日 付け紙面

 

待合室が使えないため、ホームで「田代山(高森山)」登頂祝いの乾杯をした。

 

 

ホームに上る階段で、ビールを呑みながら軽く朝食をとっていると、レールから軽い音が聞こえてきた。そして、荷を片付けて只見方面を見ていると、まもなく夏草に覆われたレールの上に列車が現れた。

 

入線してきた列車は、キハ110+キハE120形の2両編成だった。ホームにはもう一人客がやって来ていた。 

 

15:02、会津若松行きの列車が、会津横田を出発。車内は両車両とも立客が10名を超えるほど混雑していた。前述した通り今日は「青春18きっぷ」夏季期間最終日で、小出13時12分発のこの列車はある程度混むだろう、とは思っていたが、ここまでの混雑とは想定外だった。私は乗降扉付近に立ち、その窓から流れる景色を眺めることにした。

 

列車出発後、しばらくし良々子沢橋梁を渡ると「田代山(高森山)」の鋭角山頂が見えた。登頂後にその山を列車から見るのは良い、と改めて思った。


会津越川を出て、本名の手前で只見線(135.2km)中間点を示す看板の、今朝は見る事ができなかった“ここが、只見線の真ん中だ!”の文字を見る事ができた。

 

15:25、会津川口に停車。小出行きの列車とすれ違いを行った。両列車とも長い停車時間があるため、多くの観光客がホームに降り、写真と撮ったり駅舎内の売店に買い物に行くなどしていた。

15:35、会津川口を出発。途中「第三只見川橋梁」付近で、小雨の中を駆けた。

七折峠を越え会津平野に入ると、黄金色にかわりつつある広大な稲田の上空には、青空も見えていた。

  

 

17:00、会津高田に停車。途中下車し、少し早いが夕食を摂る事にした。

 

今回、訪れたの駅前の「喜楽屋 神龍」。二度目だが、前回気に入った「ホルモン炒め」を食べた。

 

 

18:43、「喜楽屋 神龍」での食事を終え、会津若松行きの列車に乗って会津高田を出た。

  

19:03、会津本郷の手前で会津若松市に入った列車は、西若松七日町で停発車を繰り返し終点の会津若松に到着。今日も、何事もなく私選“只見線百山”候補の、「田代山(高森山)」登山を終えた。

 

 

(了)

 

 

・  ・  ・  ・  ・ 

*参考:

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」 *2008年放送

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)

・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)

 

 【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

 ①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/


②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。


以上、宜しくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

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