ゴールデンウィークを利用した奥会津長期逗留の最終日。“観光鉄道「山の只見線」”沿線の「会津百名山」登山は、金山町の沼沢湖の外輪山「高森山」である(1,099.7m)を選んだ。登頂後は、JR只見線の列車に乗って奥会津を後にした。
「高森山」は、活火山「沼沢」のカルデラ「沼沢湖」の南東にあり、沼沢湖の外輪山となっている。*参考:気象庁 東北地方の活火山「沼沢」/国立研究開発法人 産業技術総合研究所「沼沢火山 -概要と地形-」
*上掲図出処:気象庁 日本活火山総覧(第4版)Web掲載版 「37.沼沢 Numazawa」(PDF)
「高森山」は「会津百名山」の第58座で、「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社)では以下の見出し文で紹介されている。
高森山<たかもりやま> 1,100メートル
沼沢火山の外輪山の一角にある二等三角点の山。沼沢湖が木々の間から見え、ブナの原生林の中の登山道を行く。[登山難易度:中級]*出処:「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社)p144
また、「新編會津風土記」の大石組沼澤村の項に、「高森山」を指すと思われる“大高森山”の記述がある。
大高森山
村南一里餘にあり、頂まで十七町 西は多良布村玉梨村に界ひ、南は間方村と峯を界ふ
*出処:新編會津風土記 巻之八十三「陸奥國大沼郡之十二 大石組 沼澤村」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第33巻」p133(コマ72) URL:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179220)
「高森山」の登山口は、北に「沼沢湖畔」登山口と、その途上にある「林道松出山線」登山口、南に「玉梨牧場」登山口がある。北の登山口は急登のヒモ場が連続することから、「会津百名山ガイダンス」の他、多くの山行録では南の「玉梨牧場」登山口が勧められている。但し、現在「玉梨牧場」登山口は、接する広域基幹林道玉梨・沼沢線が、落石‣倒木・崖崩れのため通り抜けできないため、注意が必要だ。
只見線の列車を利用して「高森山」に登る場合は「沼沢湖畔」登山口が最寄りで、早戸駅(三島町)で下車し、国道ー町道を県道を“「沼沢」登山”をした後、沼沢集落の東端まで向かう事になる。標高差約230m、距離は4.3km、徒歩で約1時間の道のりだ。二次交通は無い。
今回は、昭和村「奥会津 昭和の森キャンプ場」を出発するため、「林道松出山線」登山口から「高森山」に登り、下山時に「沼沢湖畔」登山口までの登山道をたどる計画を立てた。
今日の予定は、以下の通り。
・「奥会津 昭和の森キャンプ場」をチェックアウト
・自転車で、国道400号線を玉梨地区まで進み、広域基幹林道玉梨・沼沢線に入る
・上ノ沢集落の手前で、林道松出山線に入り、登山口に向かう
・「林道松出山線」登山口から、「高森山」登山を開始
・「高森山」山頂から下山し、「林道松出山線」登山口で自転車を担ぎ、登山道を進み「沼沢湖畔」登山口に向かう
・「沼沢湖畔」登山口から沼沢湖周辺を散策
・沼沢湖畔から只見線の会津宮下駅(三島町)に向かい、列車に乗って帰宅の途に就く
*参考:
・福島県:只見線ポータルサイト
・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF) (2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)
・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線沿線の“山”(登山/トレッキング)ー / ー只見線の春ー
「奥会津 昭和の森キャンプ場」逗留最終日。
今朝は、朝から快晴! 上空には4月29日から見られていた鼠色の雲は無く、天気予報にも雨マークは無かった。テント撤収には申し分ないが、チェックアウトの日に最高の天候というのは残念だった。
太陽の光を有効に使い、片付けを開始。途中で、朝食を摂った。余っていた缶詰「スパム」を小さく切り、ネギをぎざみ、炒めた。
大量に事前購入した食材で、残ったのは缶詰3種(タイカレー、コーンビーフ、シーチキン&コーンビーフ)と乾うどん。毎夜雨が降り、“焚き火をしながら酒を呑む”事がかなわず、ツマミや〆となるものが余ってしまった。日中は晴れが多く、登山は無事にできたが、今滞在中の夜の悪天候は想定外だった。
乾かしている備品を眺めながら、ゆっくり食べた。私のテントの前に居たキャンパーも含め、意外と多くの客が撤収していた。
朝食後、大半の荷物は、宅急便のドライバーが集荷をする管理棟まで運び、片づけていった。余った薪は管理棟に持って行き、管理人に預けた。
2時間ほどで、テント撤収と道具の片づけを終え、設営場所は“空き地”になった。前面の見通しが良く、良い場所だったと、改めて思った。
背後のふれあい広場のテントも、半数以上が減った。
テントの撤収を終えると、管理棟に移動し、荷物をパッキングした。食材は減ったが、ゴミもあるため、隙間なく詰め込み、160サイズの段ボールに入らないものは、宅急便の袋に詰め、40分ほどで終了。着払い伝票を貼り、玄関脇のベンチの上に2つの荷物を置かせてもらった。
管理人からは『集荷依頼の連絡はこちらでしておきます』と言われ、5泊6日利用のお礼を伝え「奥会津 昭和の森キャンプ場」を後にした。
「奥会津 昭和の森キャンプ場」は土地の形状を活かした、“森の中”のキャンプ場だった。夜の天候には恵まれなかったが、緑に包まれ、良い空気と静けさが味わえ、満足の時間を過ごさせてもらった。
只見線の最寄り、会津川口駅(金山町)からは路線バスが利用でき、入口の目の前で停車してくれることから、キャンプ道具をカートに載せて訪れることも不可能ではない。テント等道具のレンタル、毛布の貸し出しもあるので、持ち込みと組み合わせれば、手軽に利用することも可能だ。
“観光鉄道「山の只見線」”の実現のためには、キャンプというアクティビティー、宿泊場所も欠かせないと思う。
昭和村には只見線が通っていないが、駅から公共交通の利用が可能で、会津百名山は8座(村内5、村町境3)あり、野尻川沿いの中心部は山里の良い雰囲気で、“観光鉄道「山の只見線」”の周知・浸透、そして誘客に欠かせない自治体だと、今回の長期逗留で実感した。国道401号線の博士トンネルが開通することで、車での訪村客が増えるだろうが、只見線を利用した客も増えて昭和村が“只見線沿線の村”として認知されて欲しい。
11:21、リュックを背負い、自転車にまたがり「奥会津 昭和の森キャンプ場」を出発。村道から右に曲がり国道401号線に入り、今回、登る事ができなかった「大仏山」(994.3m、会津百名山90座)を正面に見ながら坂を下った。
喰丸郵便局のある交差点を左折し、国道400号線に入り北西に進むと、前方の村町境の山並みの向こうに、冠雪した山が見えた。昨日、登頂を断念した「貉ヶ森山」(1,315.1m、会津百名山46座)と、その北にある「日尊倉山」(1,262.1m)だった。
さらに国道400号線を進み、阿久戸地区では初日に登った「高館山」(847.7m、会津百名山78座)の山頂が見えた。
12:12、野尻地区に入り、野尻川と並行する区間を走る。
岩本橋を渡る直角のカーブの手前に、(会津)銀山街道「美女峠」(800m、会津百名山85座)の入口となる、文字が消えかかった青標識と案内板があった。新型コロナウイルスの影響で2019年から中止になっている「美女峠ウォーキング」は、今年開催されるのだろうかと思った。*参考:三島町観光協会
(会津)銀山街道は「美女峠」を抜け、野尻地区を横切ると、「吉尾峠」を経て小林地区(只見町)に向かっている。
国道400号線は岩本橋を過ぎると、野尻川沿いに延び8回渡河することになる。道は緩やかに下っているため、景色を見ながら快適に自転車を進める事ができた。
松山地区下新田では、山の斜面に雪崩路が幾筋も見え、上部の新緑と、不思議な絵を創っていた。
野尻2号橋からの風景。前回は紅葉だったが、新緑のこの時期の光景も素晴らしかった。自転車だと、『おっ』と思った場所に止まり、景色を眺めることができる。
建設会社の資材置場の前を過ぎ、小綱木橋から“乞食岩”を眺める。美しい景観だった。
ただ、前回、紅葉時は気づかなかった電線が視界に入り、気になった。もったいない、と感じた。景勝地のビューポイントで、電線を視界に入れない工夫が“観光鉄道「山の只見線」”には欠かせない、と私は考えている。
12:44、スノーシェッドを抜け玉梨地区に入り、広域基幹林道玉梨・沼沢線の入口に到着(標高373.7m 出処:地理院地図 *以下、同じ)。
右折すると、さっそく“通り抜けできません”、“通行止”との看板があった。自動車が通行できないほどの落石や崖崩れなどがある、との事前情報があったので驚かなかった。
また、先に進むと、福島県が設置した“熊 出没注意”の立て看板があった。熊鈴は、昨日「貉ヶ森山」に向かう途中で紛失してしまったため、笛を首掛け、音楽を鳴らしてから、再び自転車をこいで緩やかな坂を上った。
林道は杉林の中に入り、薄暗くなった。
が、すぐに開け、この後は終点まで落葉樹の間か、片側が崖という明るい場所を通っていた。
しばらく林道は小川沿いに延び、水音を聞きながら自転車をこぎ進めることになった。気温が上がってきたので、この音は心地よかった。
一の沢を渡り、しばらく進むと、倒木が道を塞いでいた。雪が崩れ落ちる際に巻き添えになったのだろうと思った。
先には、根ごとゴッソリと落ちてしまった木もあった。雪の持つパワーに畏怖した。
またしばらく進むと、前方に「高森山」らしき頂が見える場所になった(標高567m)。ここには、崖の一部が丸ごと落ちて、完全に林道を塞いでいた。この除去には重機が必要なので、チェーンソーを持ち込んだ乗用車が侵入してきても、ここで引き返すしかない。ここまでの林道は、崖側の擁壁工事も考えると、この林道の復旧には時間がかかるだろうと感じた。
林道は高度を増し、最初のヘアピンカーブを過ぎると、隙間の無い倒木が林道を塞いでいた(標高644m)。崖の反対側が沢だったら乗り越えられなかったが、右側が平場だったので、自転車を抱え通過する事ができた。
さらに進み標高(675m)が上がると残雪があり、雪崩れが枝木を道路に押し流したことがはっきりと分かる光景が見られた。
この先、西に大きく付き出たカーブを曲がり、少し進むと、林道は初めて切通しされた場所を通過した。
林道の傾斜は緩やかになり、倒木や崖崩れは見られなくなったが、久しく車などの往来がないようで、落ち葉が堆積し、枝が無数に落ちていた。
13:33、「玉梨放牧場」跡が一望できる場所に到着(標高688m)。牧場跡で鮮やかな緑を放っている白樺は、「玉梨牧場のシラカバ自然林」として「ふくしま緑の百景」に選定されている。*参考:福島の山とスケッチ(URL:http://ohkoshi.la.coocan.jp/) 「ふくしま緑の百景」 (主唱:福島民報社、福島県緑化推進委員会)
奥に見える山並みは、昨日、登頂を断念した「貉ヶ森山」と、その北隣りの「日尊倉山」のようだった。『今日のような天候ならば「貉ヶ森山」に登る事ができただろうなぁ』と思いを巡らせた。
「玉梨放牧場」跡をあとにすると、林道はなだらかな下り坂から上りの坂に変わったが、緩やかで無理なく自転車を気持ちよく進められた。
その後、直線を上ってゆくと前方に刈払いされた空間が現れ、登山道らしき側道と、案内板が見えてきた。
「高森山」玉梨登山口に到着(標高665m)。登山道を示す看板のそばには「廣域基幹林道開通記念」と刻まれた記念碑が置かれていた。その脇には、芝生敷の広い駐車スペースがあった。
冒頭にも記したように、ネット上で公開されている「高森山」の山行録の多くには、『玉梨登山口からの方が登りやすい』『初心者には玉梨登山口がお勧め』との記述が目についた。ただ、今回は“只見線を利用して登るならば”としているため、迷わず沼沢湖畔登山口-林道松出山登山口を選択した。
玉梨登山口を出ると、林道は再び緩やかに下り、その後は林道のピークとなる高久原山(1,004m)の西端まで上り坂が続いた。気温が高く、『体力をここで消費してはならぬ』と途中から自転車を押して進んだ。
木々の切れ間から、南西の方向を見る。「大妻山」(942.8m)と916mの無名峰の背後には、冠雪した「三岩岳」(2,065.2m、会津百名山5座)から、「丸山岳」(1,820m、会津百名山17座)と思われる山並みが、うっすらと見えた。
林道は、「高久原山」の西端にさしかかり、このカーブがピークか、と思ったが違った(標高767m)。
14:25、さらに緩いカーブを三つ超えた先にあった、峠のピーク(標高785m)に到着。何の標識も無く残念だったが、何とか玉梨側の林道を上り切った。
林道のピークからは、下り一辺倒だった。道に落ちている拳大の石と枝を踏まぬよう気を付けながら、気持ちよく自転車で駆け下りた。前方に見えたのは、「高森山」の北にある992mピークのようだった。
途中、この下り区間で、唯一道を塞ぐものがあった。大きな雪崩跡だった。雪崩の向こうには、無人の会津ナンバーの軽自動車が停まっていた。
自転車を担ぎ雪崩を越えながら、ドライバーはどうしたのだろうと、右手、「高久原山」山頂方面を見ると、遠くに山菜を取る3人の人影があった。
会津ナンバーの車は、この先にも2台あり、それぞれ山菜採りに訪れたようだった。やはり、コゴミを採っているのだろうかと思った。
14:36、さらに坂を下り、左に大きく曲がると、まもなく前方にT字路が現れた(標高602m)。
正面に回ると「高森山」を示す案内板があり、この林道から分岐している道が「高森山」の登山口に続く「林道松出山線」だった。
林道松出山線は、最後まで未舗装だった。
一旦下ることになるが、そのあとは、傾斜のある坂が続き、直線と4か所のヘアピンカーブが交互に現れた。
途中から自転車を押し、息を切らしながら進むと、前方左に、先ほど見た案内板と同じようなものが見えてきた。
15:00、「高森山」林道松出山線登山口に到着。13時頃に着く予定を立てていたが、2時間も遅れてしまった。
「高森山」に関する先人方の山行録を見ると、概ね往復3時間ということだった。日が暮れれば、熊が出る可能性も高まり、下山後は、林道松出山線登山口から沼沢湖畔登山口まで、薄暗い杉林を抜けてゆくことになるので、「高森山」登山をやめたほうが良いか、一瞬と考えてしまった。
しかし、好天下での登頂断念は絶対後悔すると思い、チャレンジすることにした。
15:02、水を飲み、気合を入れ、「高森山」登山を開始。往復の目標時間を2時間30分に設定した。
杉林を抜けると、傾斜がきつくなり、ブナ・ナラの二次林になった。
一旦、平坦な場所に出るが、まもなく急坂となった。そして、急坂の半ばぐらいから、ヒモ場が現れ、足元が枯葉の堆積で不安定になっていたこともあり、ロープの助けを得ながら登った。
15:29 、急坂を登りきると、開けた場所が現れ、「山ノ内七騎党」居城の一つである「丸山城跡」に到着した。
「丸山城跡」は、沼沢湖が見える位置にあると言われていたが、二次林が視界に入り、よく見えなかった。葉が茂ると、さらに見えなくなってしまうだろうと思った。
「丸山城跡」の先は、徐々に上り坂になった。
そして、岩場に木が生える、奇妙なピークを登ることになった。
ここもヒモ場になっていて、安心して登ることができた。
岩場を登りきると、踏み跡がはっきりした、ヤセ尾根の登山道となり、左手前方に山の稜線が見えた。「高森山」かっ⁉、と一瞬思ったが、こんな早く着くわけがないと考え直した。
登山道は鞍部となり、ヒモの助けを借りながら下った。その後、直ぐに上りとなり、緩やかな斜面を登った。
ヤセ尾根を進むと、前方のピーク(標高992m)が大きくなってきた。
開けた場所から、このピークを見ると、手前にもピーク(標高921m)があり、綺麗な稜線を見せていた。
また、振り返ってみると、沼沢湖が俯瞰できた。エメラルドグリーンの湖面も、美しいと思った。
右に目を移すと、冠雪した飯豊連峰がはっきり見えた。午前中、空気が澄んだ晴れの日ならば、もっとくっきりと見えて、さらに美しいだろうと思った。手前の山は先月登った「黒男山」(980.4m、会津百名山67座)、その手前は「高畑」(830.6m)。
先に進む。登山道は一旦、ヤセ尾根を外れ、右側の斜面に延びていた。
手前のピークにも、ヒモ場があり、ヤセ尾根の斜面だったが、安心して登られた。
15:58、手前のピーク(921m)に到着。歩きやすい、幅広の尾根が続いていた。
その先には、稜線通り、鞍部が待ち構えていた。落ち葉に足を滑らせぬよう、慎重に下った。
木々の切れ間から北に目を向けると、双耳峰「洞厳山」(1,012.9m)山塊の西側のピークから只見川に下りてゆく尾根の向こうに会津盆地の一部が見えた。
先に進むと、やせ尾根に関わらず、登山道を塞ぐようにナラの巨木があった。見ごたえがあった。
この先、992mピークの斜面に取り付くと、思いのほか、急で長い坂になった。ヒモ場で不安はなかったが、息が切れた。
途中、“根こそぎ”崩落した場所があった。
16:14、992mピークに到着。やはり「高森山」山頂ではなく、南に延びるヤセ尾根の登山道の先に、更に高い頂が見えた。『高森山はこれかっ⁉』と期待したのだが...。
頂の尾根に取付く。斜面には残雪が多くあった。
踏み跡が不明瞭な登山道を進むと、太い倒木が目立つようになった。中には、チェーンソーで切られた倒木もあり、登山道から除かれていた。
踏み台のように切れ込みを入れられた倒木もあった。多く設けられたヒモ場と合わせ、「高森山」登山道に人の手が入り、整備されていることを実感した。
尾根の傾斜角は増してゆき、それに合わせるようにヒモ場が現れた。落ち葉が堆積し、足元が不安定だったこともあり、トラロープを握りながら歩みを進めた。
登る途中、“キュウ、キュウ”という音を何度も聞いた。『熊の鳴き声かっ!!』と思ったが、音は一定で、甲高く、動物の鳴き声ではないと思い直した。周囲を見ると、残雪の方から聞こえてきた。固まった雪が、融けだすことで擦れ合う音だろうかと考えた。
16:39、『高森山はこれかっ⁉』と期待したピークは、やはり違った。
踏み跡不明瞭な登山道の先に目を向けると、ここよりも高い頂の稜線が見えた。『これが間違いなく高森山‼』と思い、踏み跡を探しながら先に進んだ。
尾根は藪に覆われ、どこに踏み跡が...と右(西)側の斜面に出ると、やや不明瞭な登山道が、緩やかな上り坂となって延びていた。
登山道は、ピークに近づくにつれて尾根筋になり、しばらく進むと、杉の木が立つ平場が見えてきた。その先には、新たなピークは無く、ここがゴールだと確信した。
16:46、「高森山」山頂(1,099.7m)に到着。杉の枯葉に囲まれ、白く見える三角点、少し崩れていたが、苔むした山の神の祠があった。山名標は、杉の木に括り付けられていた。
事前に調べていれば『山頂か? 山頂か?』と迷う事はなかったようで、地理院地図の等高線をよく見ると「高森山」は双耳峰とまでは言えないまでも、この山頂の北東150m手前に1,080mほどの肩があることが分かる。鋭角な山頂を持つ山以外は、等高線が細かく載った地図が必須だと思った。*下掲地図出処:国土交通省 国土地理院「地理院地図」URL:http://maps.gsi.go.jp/
二等三角点標石に触れ、登頂を祝った。
山頂の眺望は、西側は切れ落ち藪も低く、良いのだろうと思った。しかし、この時間は陽が傾いていることもあり、“遷座三峰”「御神楽岳」や「貉ヶ森山」は逆光となりおぼろげに見え、良い眺望は得られなかった。
“遷座三峰”の「博士山」「明神ヶ山」が遠方にそびえる姿が見られる東側は、灌木に覆われまったく見えなかった。
山頂には5分ほど滞在。登山に1時間44分掛かったので、下山が46分以内ならば、想定時間2時間30分となる。安全第一だが、暮れかった空が気になり、何とか日暮れ前に沼沢湖畔にたどり着きたいと思い、急ぎ足で下山した。
これから向かう沼沢湖を何度も見ながら、慎重に下った。
17:35、丸山城跡に到着。葉が生い茂るこの時期でも沼沢湖は一部しか見えないが、城があった当時は沼沢湖が一望できたのだろうか、と思った。
丸山城跡直後の急坂を、ヒモをつかみながら慎重に下り、ブナ・ナラの二次林を過ぎて、登山時より暗くなっていた杉林の中を進むと、林道が見えた。
17:41、「林道松出山線」登山口に戻る。下山時間は50分で、総時間は2時間49分だった。目標時間を20分ほどオーバーしたが、まずまずの所用時間にホッとした。
ここからは、林道を横切り自転車を抱えて「沼沢湖畔」登山口に向かった。前方をびっしり覆う杉林の中がまだ明るく、『熊の存在に怯えることもない』と安堵した。
林道から、自転車を押し、時々抱え、杉林の中を下った。杉の葉が堆積し、膝丈の藪も密集し、踏み跡は不明瞭だった。登山道をすぐに見失ってしまい、北北東に進むが踏み跡が現れず、一転西側に少し歩くと、掘り下げられたような道が現れ、前後にきれいに延びていた。自転車も無理なく押して進むことができた。
薄暗い杉林を20分ほど進むと開けた場所になり、更に進むと、前方に集落が見えてきた。
林を抜け右に曲がり、休耕田の間を進むと開けた場所になった。
18:12、「沼沢湖畔」登山口に到着(振り返って撮影)。「林道松出山線」登山口から約30分で下った。周辺は刈払いされ畦道が延びていたが、案内板等は無く、ここが登山口だとは思えない状態だった。地主の協力を得て、案内板か道標の設置が欠かせないと思った。
「高森山」の「沼沢湖畔」-「林道松出山」登山口からのルートは、ピークと鞍部が複数、急坂にヒモ場も続くが、春のこの時期は初心者に勧められるルートだと感じた。ヒモ場の足元は落ち葉が堆積している場所が大半で、ロープをしっかり掴めば不安は感じない(但し、雨の日と下山時は注意が必要だが)。他は、頂上手前の踏み跡が、尾根から西斜面に延びている事を知っておけば、登山道をロストしまう可能性は低いと思う。
何より、「沼沢湖畔」-「林道松出山」登山口からのルートは、沼沢湖一帯や、飯豊連峰を背景とした奥会津の山並みを、歩いている途中に何度も見る事ができるので、良い。沼沢湖畔から歩き出せば、近景と遠景を楽しむ事ができる。
只見線を利用した場合、最寄りの早戸駅から沼沢湖畔まで徒歩1時間の“沼沢登山”が必要になるが、「沼沢湖畔」登山口から「高森山」に登れば、それに見合うだけの景観は楽しめる。この登山ルートは“観光鉄道「山の只見線」”の敷居の低い山岳アクティビティのコンテンツだと思った。
「沼沢湖畔」登山口からの関しての優先順位の高い課題は、
①「沼沢湖畔」登山口の案内板の設置
②「沼沢湖畔」登山口から「林道松出山」登山口 までの杉林の中は暗いため道標の設置
と私は感じた。会津百名山に共通した山頂の山名標杭が立てられれば、登山者の登頂の満足は高まり、なお良い。
ただ、現状でも、この時期に初心者が「沼沢湖畔」登山口から「高森山」に挑んでも問題なく登頂が可能なので、「高森山」は課題の少ない山だと感じた。*注)葉が生い茂る初夏から落葉前までは、登山道の状態が変化する可能性がある。
「高森山」と同じく、会津百名山である沼沢湖の内輪山「惣山」「前山」の“一周トレッキング”と合わせ、一人でも多くの方が只見線を利用し、登山を楽しみ“観光鉄道「山の只見線」”を満喫して欲しいと思う。*参考:拙著「金山町「惣山・前山 トレッキング」2017年 紅葉」(2017年11月6日)
「高森山」沼沢湖畔登山口から、沼沢湖畔に向かった。
途中、沼沢湖に注ぐ前ノ沢に、ヒメマスの産卵のための遡上用として整備された魚道堰を見に立ち寄った。河岸は整備され、真新しい案内板と説明板が設置されていた。
秋の産卵遡上期はアクリル板が差し込まれているが、今回は外され、豊富な水が勢いよく流れていた。この上流にも、同形の魚道が設置されている。*参考:福島県宮下土木事務所「ヒメマス産卵遡上のための魚道実証実験」(PDF)
3年前の秋に訪れた時は、アクリル板が差し込まれ、水槽のような魚道にヒメマスを見ることができた。
前ノ沢を進み、沼沢湖に向かう。河口までの河岸も、柵が設けられ舗装されていた。
沼沢湖に着くと、会津百名山の「前山」(835.4m)と「惣山」(816.3m)の間に陽が落ちたところだった。
湖の縁に設けられたサイクリングロードを進み、湖水浴場に向かうと、両側の「沼沢湖畔キャンプ場」には多くのテントが張られ、賑わっていた。
私が初めてソロキャンプをした場で、当時は私以外に利用者がおらず、完全な“ソロ”だったことを思い出した。*参考:拙著「金山町「ソロキャンプ@沼沢湖畔キャンプ場」2018年 秋」(2018年10月6日)
沼沢湖畔を後にして、沼沢集落越しに「高森山」を眺める。尾根筋に複数の頂があり、複雑な山だったなぁ、と山行を振り返った。
全ての予定を終えて、只見線の駅に向かった。
最初に立てた計画では、早戸温泉「つるの湯」で風呂に浸かり、早戸駅から只見線の列車に乗って帰ろうとしたが、林道走破に時間が掛かるだろうと考え、計画を変更した。今回は、三島町宮下地区にある店でビールを買って、会津宮下駅から列車に乗るようにした。
県道237号(小栗山宮下)線に出て、急な下り坂を慎重に下り、沼沢トンネルに入る。緩やかなⅤ字型のトンネルの底にある、東北電力㈱第二沼沢発電所入口を見て、坂を上った。
沼沢トンネルを抜け、さらに坂を上って行くと、前方に「三坂山」(831.9m、会津百名山82座)の稜線がはっきり見えた。
この時、崖側にあるフェンスの向こうで、ガサッ、ガサッと藪を踏み分けるような音がした。暗くはっきりとは見えなかったが、黒い物体がこちらに顔のようなものを向けていた。道の前後がフェンスに覆われていたので、怖さは感じなかったが、熊ならば初対面だったと思い、この場所去った。
坂のピーク、町境となる界の沢の手前のビューポイントから只見線の「第三只見川橋梁」を見下ろした。薄暗く、はっきりとは分からなかったが、新緑時も、多様な緑が橋梁を囲み、良い景色なのだろうと思った。
界橋を渡り、金山町から三島町に入り、坂を下り東北電力㈱宮下発電所の宮下ダム湖(只見川)の右岸にある「第一左靭橋梁」を眺めた。水面には周囲の影が映り込み、良い光景だった。
先に進み、宮下ダムを見ると、ゲート一門を開放し放流していた。
県道をさらに進み、国道252号線を交差し、山モ斎藤商店がある場所に目を向けるが灯りは点いておらず、近づくとシャッターが下ろされていた。ビールと夕食の調達が不可能となり、がっくりとした。
19:07、会津宮下駅に到着。自転車を折り畳み、輪行バッグに入れ、待合室で列車の到着を待った。
窓口で切符を購入。会津若松駅から当番で来ているという駅員に発券してもらった。会津宮下~会津若松間は860円。会津若松~郡山間は、往路で使用したWきっぷの残りを使う。この方が、少し安く郡山まで行くことができる。
19:37、駅員と私だけがいるホームに、上り最終列車がやってきた。
輪行バッグを抱え乗り込むと、列車はまもなく会津宮下を出発。私が座った先頭車両には4人の客が乗っていた。
20:57、列車は、暗闇の中を快調に走り、会津若松に到着。5分後に出発する磐越西線の列車に乗り換え、今夜の宿泊地である郡山に向かった。
5泊6日の奥会津の長旅が終わった。
過去最長の長逗留では、奥会津の春、山間部では早春の美しい景色を数多く見られて、充実した時間を過ごせた。唯一、「奥会津 昭和の森キャンプ場」の夜に雨が続き、焚き火を十分にできなかったのが残念だった。
世は新型コロナウイルスの影響で、都道府県を跨いだ移動の自粛が求められており、今春の奥会津の風景が多くの旅行者の目に映らないのが惜しい。来春には、このコロナ禍が収まって欲しいとは願うばかりだが、再来春は間違いなく平穏な日常が戻っているだろう。只見線は来年度中の全線再開通(復旧)が予定されているので、再来春には多くの客を乗せた列車が、会津若松から小出まで135.2kmを走り抜け、乗客に車窓から見える美しい春の景色を提供してくれるだろうと思う。
只見線の利活用を進め、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す福島県は、コロナ禍に耐えながら旅の計画を練っている方々が、只見線の旅を選択するよう、只見線に乗って『また乗りたい』と思ってもらえるような施策を、沿線自治体や関係者と協業し実現して欲しい。
私の“観光鉄道「山の只見線」”沿線の「会津百名山」登頂は、今回で19座となった。次は、只見線の列車に乗って只見町に行き、当地の「会津百名山」を登りたいと思う。
(了)
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*参考:
・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」
・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)
・福島県 生活環境部 只見線再開準備室:「只見線の復旧・復興に関する取組みについて」
・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)復旧工事の完了時期について」(PDF)(2020年8月26日)
【只見線への寄付案内】
福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。
①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/
②福島県:企業版ふるさと納税
URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html
[寄付金の使途]
(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。
以上、よろしくお願いします。
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