金山町「貉ヶ森山」登頂断念 2021年 春

観光鉄道「山の只見線」”沿線の「会津百名山」登山。今日は、金山町にある一等三角点を持つ「貉ヶ森山」(1,315.1m)に登ろうと、JR只見線の会津川口駅から、自転車で林道本名室谷線に入り登山口を目指した。

 

「貉ヶ森山」は金山町と新潟県阿賀町の境にある、一等三角点の山。「会津百名山」の第46座で、「会津百名山ガイダンス」には、次のような見出しで紹介されている。

貉ヶ森山 <むじながもりやま> 1,315メートル
低いながらも会越国境の奥深い山の魅力を感じさせ、山頂からは北方に御神楽岳、そして前衛峰の前ヶ岳の岩壁を一望できる。[登山難易度:中級]*出処:「会津百名山 ガイダンス」(歴史春秋社)p138 

 

また、「新編會津風土記」にも「貉ヶ森山」と思われる記述が、大沼郡大鹽組瀧澤村の項にあった。

猩々森山 ショウジョウモリヤマ
村北四里十八町にあり、高二百九十五丈、一に十二嶽と稱ふ (近頃村民狸ヶ森と稱ふ字體の近きに因て訛れるなるべし、) 遠く望めば郡山の上に秀出し、積翠空に浮び、御神樂嶽と並峙つ、又西に續て馬尾瀧と云山あり、共に奥越二州に跨て峯を限り、蒲原郡に界ふ

*出処:新編會津風土記 巻之八十四「陸奥國大沼郡之十三 大鹽組」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第33巻」p141(コマ76) URL:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179220)

   

 “猩々森山”という名は上掲の「会津百名山ガイダンス」にも記述がある。

『日本山嶽志』(明治39年 高頭式編 博文館刊)には『猩々森山(しょうじょうもりやま)』と誤記され、食目から霊長目に化けて、最初に人に広く紹介された。

 ムジナ(貉)とタヌキ(狸)についての記述も「会津百名山ガイダンス」にあり、“ムジナは昔から知られた動物であるが、タヌキと見誤られて来たようである”と掲載されている。

 

「貉ヶ森山」は、ショウジョウ(猩々、架空の動物)・タヌキ(狸)・ムジナ(貉)と頭の漢字が定まらなかったようだが、どの段階でどのような経緯で「貉ヶ森山」に落ち着いたのか興味が湧く。柳津町「黒男山」(会津百名山67座)の名の由来にあったように、三角点を設置した陸軍陸地測量部(現国土地理院)の当時の記録があるのであれば知りたいと思った。

  


今回の「貉ヶ森山」登山の旅程は以下の通り。

・「奥会津 昭和の森キャンプ場」を出発し、路線バスで会津川口駅に向かう

・駅前から輪行した自転車で移動

・「かねやまふれあい広場」で大志集落を背景に只見線の列車を撮る

・只見線「第六只見川橋梁」の再架橋工事現場を見る

・国道252号線から林道本名室谷線に入り、登山口のある塩ノ倉峠に向かう

・塩ノ倉峠から「貉ヶ森山」山頂を目指す

今春は暖かい日が続いていたため、「貉ヶ森山」が雪深い越後山脈に属しているといえども、融けているだろうと考え、残雪は気にしていなかった。

 

今日も、西からやってくる低気圧の影響で、午後から天気が崩れる予報が出ていたが、朝の天気が良かったので、大きく崩れないことを願い「貉ヶ森山」に向かった。 

*参考:

・福島県:JR只見線 福島県情報ポータルサイト 

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF) (2013年5月22日)

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線沿線の“山”(登山/トレッキング)ー / ー只見線の春

 

  


   

 

今朝の昭和村奥会津 昭和の森キャンプ場」。雨は未明に止んだが、灰色の雲の大きな塊が次から次に流れ続け、太陽の光をさえぎっていた。

  

始発のバスに乗るため時間が無く、パックごはんと「めんたいツナかんかん」でおにぎりを作り、朝食と山で食べる昼食にすることにした。

 

 

6:55、「奥会津 昭和の森キャンプ場」を出発。上空には青空が広がってきて、このまま良い天気が続く事を祈った。

会津川口駅に向かう路線バスは乗降自由で、キャンプ場入口に面する村道でも乗る事ができるが、バス代を節約するため、麓のバス停に向かった。

  

15分ほどで、国道400号線沿いの小中津川昭和館バス停に到着。自転車を輪行バッグに収納し、バスの到着を待った。

 

まもなく、路線バスがやってきた。停車したバスの前扉から整理券を受け取り、乗り込んだ。車両、運転手とも初日に乗ったバスと同じで、乗客は誰も居なかった。

  

 

7:53、途中、下中津川バス停で一人のご婦人を乗せ、ほぼ時間通りに会津川口駅に到着した。ご婦人に続いて、私も輪行バッグを抱え降りた。

降車後、直ぐに輪行バッグから自転車を出し組み立て、まもなく会津川口駅に到着する列車が大志集落越しに通過する風景を撮ろう、と国道252号線を東に進んだ。

 

5分ほどで、「かねやまふれあい広場」に到着。3台の県外ナンバーの車が停まっていた。自転車を置き、柵に近づき景色を見る。夜半の雨のせいか、空気は澄み、良い景色だった。すると、会津中川駅を出発する列車が汽笛を鳴らし、ゆっくりとこちらに近づいてきた。

 

私はカメラを構え、構図を決め、列車が目の前を通過するタイミングを見計らってシャッターを切った。

列車の撮影後は、会津川口駅に戻り、朝食を摂った後「貉ヶ森山」登山の準備をした。 

  

 

8:49、自転車にまたがり、会津川口駅前を出発。

  

国道252号線を進み、昭和村を流れる野尻川が只見川に注ぎ込む只見線・野尻川橋梁付近を眺めた。この付近の只見川は東北電力㈱上田発電所の上田ダム湖になっているが、ダムができる前はどんな風景だっただろうかと想像した。

 

国道の坂を上ると、まもなく「玉縄城跡トレッキングコース」の真新しい案内板が見えた。「玉縄城」は室町時代に当地を治めた山ノ内家が築いた。金山町のホームページには次のように記載されている。*出処:金山町教育係「玉縄城トレッキングコース」(PDF) URL: https://www.town.kaneyama.fukushima.jp/uploaded/life/7368_73185_misc.pdf

「玉縄城」沿革
天文13年(1544)山ノ内俊清が俊甫とともに築いた城館。二の丸の端には古峰原神社が祀られ、祭日には大きな梵天が奉納された。

   

下りとなった国道から、復旧工事が完了した只見線の「第五只見川橋梁」を眺める。右岸二桁の再架橋や擁壁工事も終わったようだが、旧橋部分が再塗装されるのか不明だ。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋集覧

  

国道を進み、西谷橋から只見川上流に目を向けると、「袖の窪山」(952.8m)を背景に、工事中の「第六只見川橋梁」が見えた。

   

休止中の本名駅に立ち寄る。前方、只見寄りに「第六只見川橋梁」の工事用鉄塔(左岸)の一部が見えた。

  

国道から側道へ下り、只見川の堤防に向かい、東北電力㈱本名発電所・本名ダムの直下で再架橋工事が進められている「第六只見川橋梁」を正面から眺めた。狭隘な渓谷で行われている工事は圧巻で、下路式ワーレントラス橋は、残り6径の曲鋼材の組み上げを残すだけになっていた。

ここで用いられているケーブルエレクション(直吊り)工法は、ベント(仮の支柱)の設置が難しい深い谷部や流水部で、両岸に鉄塔やアンカー(地中岩盤への固定)が設置可能な場合に選択されるという。*参考:(一社)日本橋梁建設協会「ケーブルエレクション(直吊り)工法

  

右岸の様子。ケーブルエレクション工法の鉄塔上部に通された直吊り用ワイヤーは、本名トンネル上部の崖に打たれたアンカーで、しっかり固定されていた。

  

本名トンネルに斜材が近接。列車内からの光景は旧橋から一変する。どんな景色が車窓から見られるのだろうかと思った。

  

国道に戻り、先に進む。先に工事が進められていた本名バイパス・本名トンネル(仮称)付近には、真新しい只見線・本名架道橋のコンクリート製橋脚と、左岸のケーブルエレクション工の直吊り用ワイヤーを固定するアンカーが見られた。

このアンカーを打つために必要な地盤が、想定より深くなり工期が延長したのだが、吊り上げられている「第六橋梁」の巨体と、支える両岸の鉄塔の規模を間近で見ると、見えぬ地盤が想定外で計画が変更されても致し方ないと実感した。*参考:東日本旅客鉄道株式会社「只見線(会津川口~只見間)復旧工事の完了時期について」(PDF)(2020年8月26日) 

  

国道を上り、直角に曲がり、東北電力㈱本名発電所・ダムの天端である本名橋に進み、中央付近で「第六只見川橋梁」を見下ろした。

 

右岸の、直吊り用ワイヤーを固定する斜面のアンカーの様子が良く分かった。9年半ぶりに両岸をつないだ、総重量765トンの鋼材橋が架橋された姿を見ると、両岸で支えるアンカーの強度やバランスなど、力学というものを考えさせられた。 

  

左岸のガーター橋一桁は、旧橋のものが再利用されている。橋の歴史がつながれた、と思った。

新「第六只見川橋梁」の工事によって、只見線を分断し、部分運休に追い込んだ「平成23年7月新潟・福島豪雨」で流出した3つ橋梁は、全てつながった。素人目ながら、「第六」再架橋工事は今年中には終了し、会津川口~只見間のレールも一本になるのではないかと思った。その後、信号設備やポイント、休業中の駅舎などの整備・点検などがあり、試運転という段階に進むと思うが、何とか降雪期までに終了し、除雪訓練を経て来年度早々の全線再開通を目指して欲しい。

何よりは、無事故で安全な作業を進め、死傷者を出さないことを強く願いたい。 


 

 

只見線の見学を終え、「貉ヶ森山」登山口を目指し、国道252号線から林道本名室谷線に入った。林道は、直角に曲がる国道から真っすぐに延びた未舗装道になっている。この林道は、1982(昭和57)年に峰越林道本名津川線として開通しているため、林道途上にある道標には“峰越林道”と記されている。

 

9:23、林道本名室谷線(新潟県阿賀町神谷地区まで38.979m)の起点を出発。標高は323m(出処:地理院地図、以下同じ)で、ここから17.5km先の「貉ヶ森山」登山口となる塩ノ倉峠(1,129m)を目指した。

  

本名ダム湖(只見川)の左岸を進み、右に大きく曲がるカーブに差し掛かると、ほぼ工事を終えた本名バイパスと本名トンネル(仮称)が現れた。隣には車が走行可能な鋼鉄のつり橋・霧来沢橋が並ぶ。

 

林道は未舗装のままで、緩やかな坂が続いた。ゆっくりと自転車を進めていると、関東圏のナンバーの乗用車が追い越していった。「御神楽山」の登山者だろうかと思った。

 

左下には霧来沢が流れ、垂直な高さのある崖の上を林道が通っている場所もあった。少し怖い感じもしたが、新緑と沢を流れる水面が心地よく、気持ちよく自転車を進める事が出来た。

 

林道には落石や法面が崩落している場所もあった。通り過ぎた道を振り返り見上げると、垂直のコンクリート製擁壁が屹立していた。なぜ、林道にここまでの工事が施されたのだろうと思ったが、この後、林道をさらに進むとその答えがあった。

 

 

9:46、第二長渕橋に到着。林道のアップダウンはさほど感じなかったが、いつの間にか霧来沢の渓谷は深くなっていて、見下ろすとその高さに驚いた。

  

さらに林道を進むと、霧来沢がとの高度差が縮まった。自転車に乗りながら、心地よい沢音を聞き、清らかな水面を見ることができた。

  

  

先を進むと、林道が舗装になり、開けた場所が現れた。3年前の「本名御神楽」「御神楽岳」登山ではマイクロバスに乗っていたため気づかなったが、“人里”だったような雰囲気だった。帰宅後に調べてみると、ここには三条集落があっり、小学校の分校もあった。集団移転をする際には全12軒、全て粟田姓だったという。*三条集落移転決定:1980(昭和55)年12月

 

「新編會津風土記」には、この三条集落が記載されている。

●本名村 ○端村
○三条 本村より戌の方一里十町にあり、家數九軒、東西一町三間南北十二間、山間に住し、南に菜圃を開けり

*出処:新編會津風土記 巻之八十二「陸奥國大沼郡之十二 大石組」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第33巻」p127(コマ69) URL:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179220)

  

少し先に進むと、道路の左下に墓が現れた。墓はこの先にもあり、双方とも苔むした墓石が多かったが、刈払いされていた。三条集落の子孫やその関係者の姿を思った。

 

  

三条集落跡を過ぎ、しばらく霧来沢と並行して林道を走っていると、前方から先ほど私を追い抜いて行った首都圏ナンバーの乗用車がやってきて、すれ違った。登山客ではなかったようで、林道本名室谷線を抜け、新潟県に出るつもりだったのだろうかと思った。

  

林道は、全面をコンクリートで覆われた緩やかなカーブになる。沢があるため、豪雨で道が洗堀さて、コンクリート覆工で復旧された。

  

 

10:32、「御神楽岳」霧来沢登山口に向かう道との分岐に到着(林道起点から3.7km、標高429m)。左方面、峰越林道を書かれた方に向かって坂を下った。 

 

平成3年11月に付け替えられた日尊倉橋を渡る。旧橋が下流側に残っていた。

 

林道は、再び上り坂となり、舗装路に変わった。進んでゆくと、前方に軽自動車が停まっていた。会津ナンバーだったが、運転席や周囲に人影はなく、山菜採りだろうと思った。

 

林道には、落ち葉が堆積し、細い倒木などがあったが、しばらく落石や崖崩れなど、通行を妨げるようなものはなかった。

  

 

しばらく進むと、周囲を取り囲んでいた杉林が途切れ、前方が開けた。左手が霧来沢に注ぐ大石田沢の絶壁になっていて、未舗装に変わった林道には凹凸が目立つようになり、大きな落石が点々としていた。正面には無名峰(1,128)が、奥会津らしい容姿を見せていた。

  

この先の、崖崩れを起こしたであろう場所には、真新しい擁壁が築かれていた。林道本名室谷線は、福島・新潟を跨ぐ基幹林道なのか、大雨などで損壊が発生すると、適宜復旧工事が行われ、不通のまま放っておかれている印象は無かった。

 

崖を穿ち林道が敷設されたような、崖が切り立つ場所の落石量は多かった。車両通行可能になったとしても、この林道は好天が続き地盤が固い状態でないと、危険だと感じた。

 

林道が、沢をトラバースし、再び大石田沢沿いに戻ろうとした先に杉の倒木があった。右側の空いた場所を、少し頭を屈め進んだ。

 

林道は未舗装に変わり、再びトラバースし杉林の中に入った。初めて、まとまった残雪が見られた。この時点では、この先に雪が多く残っているとは思わなかった。

  

 

11:01、再び大石田沢沿いに出ると、右岸の一枚スラブ岩のような場所に沢ができていた。奥会津を象徴する山肌の雪崩地形、アバランチシュートに季節限定の水流と新緑、目を奪われ見入ってしまった。

 

林道は傾斜が急なため、自転車は押して進んだ。路面は、舗装と未舗装を不規則に繰り返していた。

  

 

起点から9.3km(標高567m)、林道は大石田沢と完全に別れ、真北に進路を変え、薄暗い杉林の中に延びていた。ここからヘアピンカーブが続き、高度がどんどん増し、日陰の雪の量は増えていった。

 

途中、多くの沢があり、飲み水には不足しない林道だと思った。

 


11:38、嘴のような鋭角のヘアピンカーブを過ぎしばらく進むと、右手に、土砂が持ち込まれた工事終了まもない場所が現れた。沢水が流れ落ちる場所に、ブロック積みの擁壁が設置されていた。

 

この擁壁(標高738m)の上からの眺望が良かった。明日登る予定の「高森山」(1,099.7m)がはっきりと、「志津倉山」本峰(1,234.2m)はうっすらと見えた。この二つの山の間に見えるはずの、“遷座三山”第二峰「博士山」(1,481.9m)は山頂付近に雲が掛かっていた。

   

  

 

さらに林道を進むと、開けた場所にも残雪が多くなり、自転車を抱えて進む事が多くなった。“相棒”は塩ノ倉峠まで連れてゆきたいと考えていたが、無理かもしれないと思い始めた。 

 

雪の量は、さらに多くなり、気温の低さから『(雪が)増えることはあっても、減ることはないだろう』と考え、“相棒”を置いて先に進む事にした(林道起点から11.7km、標高784m)。ゴールデンウィークに、会越国境の林道本名室谷線を自転車で進み、「貉ヶ森山」を登るのは無謀だったか...と思い始めた。

自転車を置いて、歩き出そうとした時、熊鈴が無くなっていることに気づいた。自転車のワイヤーロックに取り付けておいたが、未舗装区間が多く、通行時の振動で外れてしまったようだった。2016年7月の只見町「要害山」登山の際に手に入れた熊鈴で、愛着があっただけに、残念だった。 

 

 

12:02、小笠倉山(808.6m)の尾根に突き出たカーブを過ぎて、林道の最初のピークに到着(起点から12.5km、標高848m)。

 

小さな左カーブを過ぎると、真北に向かって、緩やかに続く下り坂になった。所々、沢水が融雪させた場所があったが、雪は固く足を取られることなく進む事ができた。このあたりから、細かい雨が降り出した。

   

林道の最北端(起点から13.2km、標高792m)の左のヘアピンカーブを過ぎると、右側が切れ落ち、林道の雪もバンクのような傾斜になってきた。滑落の可能性を思ったが、雪の表面は柔らかく、登山靴を力強く入れ込むと削れ、意外と足元の不安は無く、恐怖を感じる事無く進む事ができた。

 

この区間、右側の眺望は良く、“遷座三山”の第一峰「御神楽岳」(1,386.5m)/「本名御神楽」(1,266m)が良く見えた。*参考:拙著「金山町「本名御神楽・御神楽岳」山開き登山 2019年 初夏」(2019年6月2日)

 

  

12:23、さらに、斜面となった雪上を進んでゆくと、林道の端と思われる場所に「幻の滝群」の標識が倒れていた。「幻の滝群」は、雪解けの時期に現れる大小8つの滝だという(起点から13.4km、標高810m)。

  

さらに進むと、林道の“傾斜雪”は少なくなってきて、右側斜面の藪も濃くなり滑落への不安は、一旦消えた。前方には林道が大きく右(手前)に折れ、斜面に延びる様子が見えた。

  

 

12:48、3つのヘアピンカーブを抜け、右前方に日尊倉山(1,262.1m)を見ながら進むと、林道に積みあがる雪が、恐ろしい傾斜を作っていた。滑落すれば谷底までノンストップ、という場所だった。斜面の一番上に上り、藪につかまる事ができるような位置をとりながら、雪上に登山靴を入れ込みながら、ゆっくりと進んだ。

  

 

12:56、雪の斜面をしばらく進むと、切通しされ、林道が左に直角に曲がる場所になった(起点から15.1km、標高973m)。

 

切通しの先は開け、林道(と思われる空間)の傾斜は緩やかになった。細かい雨は降り続き、吹き抜ける北西からの風は冷たく、徐々に強くなってきた。

 

 

13:02、林道が南から西に変わり、しばらく進むと、前方に「貉ヶ森山」が見えた。

 

ようやく見えた山頂に、ホッとするとともに、気を引き締めた。

  

林道は1mを超える雪に覆われていたが、木の位置から林道の形状が判別でき、迷うことは無かった。

   

 

 

 

 

13:19、「貉ヶ森山」を見渡せるポイントに到着(起点から16.2km、標高1,042m)。会津川口駅前から、4時間30分掛かってしまった。北西の風はさらに強く冷たくなり、雨は小粒のままだったが刺すような冷たさだった。

 

止まっていると体が冷えるので、先に進もうと思ったが、この先の林道の様子を見て躊躇した。雪に覆われているのは変わらないが、上部の斜面には幾筋もの溝が見え、気温は低かったが雪崩発生の可能性を考えてしまった。

 

また、林道のこの区間を越えても、その先はカーブになり見えず、林道の状態が不明だった。

ここから歩く林道の距離は1.3kmで、雪道ということで往復2時間程度を見込み、登山口となる塩ノ倉峠から「貉ヶ森山」山頂までは無雪期で片道1時間弱で、雪道ならば往復2.5hと想定した。登頂し、ここまで戻るだけでも5時間近くになってしまう。また、ここまで来るまでに雨で全身が濡れていた事もあり、進むか引くかを考えた。

結局、「貉ヶ森山」への登頂を諦める決断をした。初めての登頂断念で、山頂を目の前に引き返す事は、悔しかった。今年は気温が高く、計画段階で、ここまで雪が残っているとは思わなかった。“登頂断念”は残念だったが、事前の情報収集の大切さを再認識し、山の怖さを実体験し、良い山行になったと思い直した。 

13:22、気持ちを落ち着かせ、下山を開始。

  

 

13:33、来た道を下り、林道が東から北に変わる場所に着いた。

  

この先は、林道が大きく迂回するのが分かっていたので、尾根をまっすぐ進み、ショートカットできないかと思い、真東に進んだ。*下掲地図:国土交通省 国土地理院「地理院地図」*矢印等筆者記入


雪が残った森の中を進む。できるだけ尾根筋を進みたい気持ちと、林道から離れすぎて迷ってはいけないと考えながら、斜面を下った。熊鈴は紛失してしまったため、時々、笛を大きく吹きながら進んだ。

  

地形を見ながら、尾根に取り付く事を繰り返すが、『この森の中で、熊に出会ったら...』とまさかを考えると、木の無い開けた方に足が向いてしまった。

しばらく木々が点在する中を進み、開けた崖の上に立つと、眼下に林道を認め、下りることにした。

  

14:08、林道に下りた。雪の上に、自分の足跡を見て安心し、南東に向けて林道を進んだ。

   

14:12、“ショートカット”で想定していた目的地に到着。私が下りた林道の位置は、250mほどの手前だった。

 

ショートカットの目的地付近を見ると、緩やかな尾根になっていた。林道の車両通行止めが続くのであれば、「貉ヶ森山」の登山口になり得るのではないかと思った。*下掲地図:国土交通省 国土地理院「地理院地図」*矢印、文字入れ等筆者記入

 

この先、下り坂が続く林道を、駆け足で進んだ。登頂を断念したのだから、早くキャンプ場に戻りたいと考え、会津川口駅15時33分発の路線バスに乗ろうと思ったからだ。

   

まもなく、自転車を停めた場所が見えてきたが、自転車が倒れていて『まさか、熊の攻撃でも受けたか!』と思ってしまった。

 

近づいて安心。付近に動物の足跡は無く、雪の表面が柔らかく、自然に倒れてしまったようだった。ここまで、雪が多く残っていると、熊は未だ冬眠を終えていないのかもしれなかった。

 

自転車を抱え、残雪のある区間を抜け、林道を下った。この先、林道を自転車で下れば、路線バスの出発までに、ギリギリ間に合うと思った。

しかし、自転車にまたがり、進み出した直後に異変に気付いた。ブレーキが効かなくなっていたのだ。タイヤに雪が取り付き、ブレーキパットが滑りやすくなっていたばかりでなく、ゴム製のブレーキパットが気温の低下で固くなり、抵抗力を失っているようだった。

結局、自転車は押して進むことになり、会津川口駅前15時33分発の路線バスに乗る事をあきらめた。

  

この後、タイヤを拭いて、比較的平坦な場所で自転車にまたがり、進んでみたが、やはりブレーキは効かなかった。

  

 

 

林道を下りきり、日尊倉橋を渡り、坂を上ると前方に林道の分岐が見えた。 

 

15:09、「御神楽山」霧来沢登山口に続く林道との分岐に戻ってきた。この先、林道は緩やかな下り坂で、急カーブも無いため、ブレーキ力が回復しつつあった自転車に乗ってゆっくりと下った。

 

 

15:49、林道が左に大きく曲がり、只見川に沿って延びる場所に着き、本名ダムを眺めた。ゲートの向こうに、陽を浴びた「第六只見川橋梁」の斜材が見えた。

  

林道を進み、国道252号線に入り、「第六只見川橋梁」を眺めた、新橋も旧橋と同じく淡い黄色になっているが、陽を浴びると輝くように見えた。

   

 

 

16:11、国道252号線を進み、会津川口駅に到着。「貉ヶ森山」の登頂断念ポイントから、2時間49分掛かった。『自転車のブレーキが壊れていなければ、路線バスの発車時刻に間に間に合ったなぁ...』と残念に思った。 

 

「貉ヶ森山」は1300mほどの山だが、“会越国界”に連なる越後山脈の只中にあるだけあって、今春登った奥会津の山とは違った。今回の登頂断念で、春登山時に融雪具合の確認と、先に進む事を断念する勇気が大事であることを痛感した。

今回は残雪が多く、「貉ヶ森山」登山口に続く林道本名室谷線の状態ははっきりと理解できなかったが、林道を歩く登山者にとって“ショートカット”道の開拓が必要だと感じた。林道本名室谷線は豪雨などで崖崩れなどが発生し、度々車両通行止めが発生していることを考えると、徒歩で林道を進み「貉ヶ森山」に挑む登山者の環境整備が必要だと思う。

「貉ヶ森山」は一等三角点の山で、只見川から霧来沢、大石田沢と続く渓谷の景色は秀逸で、訴求力の高い山だと思う。只見線を利用した場合、本名駅を起点に登山をすることもできる(二次交通の整備は必要だと思うが...)。“観光鉄道「山の只見線」”を目指す福島県にとって、「貉ヶ森山」の“ショートカット”道の開拓等の登山道整備は、検討する価値が大いにあると、今回の山行で思った。

 

残念ながら、今回は「貉ヶ森山」登頂を断念したが、できるだけ早い時期に再チャレンジし、一等三角点の山頂に立ちたいと思う。

  

 

この後は、雨に濡れて、冷えた体を温めるために温泉に行く事にした。向かったのは金山町温泉保養施設「せせらぎ荘」。会津川口駅から自転車で国道400号線を進み、20分ほどで到着した。

 

「せせらぎ荘」を訪れるのは三度目。露天風呂は無いが、内湯2つあり広々としていて、ゆったりと湯に浸かれる施設だ。“天然サイダー温泉”こと大黒湯も利用したが、短時間で汗が噴き出て、身体が芯から温まり、気分もすっきりした。

【源泉概要】
・玉梨温泉
 泉質名:ナトリウム-炭酸水素塩・塩化物・硫酸塩温泉
 源泉温度:45.9℃ 
・“天然サイダー温泉”大黒湯 (天然炭酸温泉)
 泉質名:含二酸化炭素-ナトリウム-炭酸水素塩・塩化物・硫酸塩温泉
 源泉温度:36.8℃

    

最終の路線バスの時刻に合わせて「せせらぎ荘」を出た。すっかり日は落ちていた。雨は止んでいたが、黒ずんだ雲の塊が流れ、遠方では雷も鳴っていた。

国道400号線沿いのバス停に向かい、暗闇の中で輪行バッグに自転車を収納し、バスを待った。 

  

19:11、大芦行きの路線バスがヘッドライトを煌々と点け、会津川口駅方面からやってきた。バスが停車し乗り込み。、運転手に『キャンプ場の前で降りたいのですが』と伝えると、運転手は『キャンプ場ね。わかりました』と気持ちよく答えてくれた。

輪行バッグを抱え車内を進むと、今朝、バスの中でお会いしたご婦人も乗っていた。一日3便ならば、あり得る事と思い、同時に、高齢化・人口減少地域の公共交通機関について考えさせられた。 

 

 

19:50、上両原バス停を出発した後、路線バスは村道の坂道をくねくねと進み、「奥会津 昭和の森キャンプ場」入口前に停車。次の大芦中見沢バス停までの料金1,090円を支払い、運転手にお礼を言ってバスを降りた。

 

キャンプ場には小雨が降っていた。テントに到着し、さっそくビールを呑み、今日の「貉ヶ森山」山行の終了を祝った。登頂はできなかったが、良い景色が見られ、山の怖さを改めて知り、良い一日になったと思った。

外は、雨が降り続き、気温も下がってきたので、テントのタープを閉じ、前室で遅い夕食の準備をした。キャンプ最後の夜は、缶詰「さばの水煮」のアヒージョと、缶詰「シャキッとコーン」のバター焼き、そして豆腐半丁。「さばの水煮」は、水分を切り、鷹の爪を一つ入れ、オリーブオイルで鯖を浸し、バーナーの弱火でゆっくりと加熱した。

  

今夜が、「奥会津 昭和の森キャンプ場」で過ごす最後の夜だった。『最後の夜ぐらいは、焚き火を前にゆったりと酒を呑みたかった...』と思いながら、テントをたたきつける雨音を聞き、ビールを呑んだ。 

  

 

(了) 

 

 

・  ・  ・  ・  ・ 

*参考:

・福島県 生活環境部 只見線再開準備室:「只見線の復旧・復興に関する取組みについて

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日) 

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

  

以上、よろしくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

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