三島町「サイノカミ」(大登地区) 2022年 冬

毎年1月15日は、国の重要無形民俗文化財に指定されている「三島のサイノカミ」の実施日。今年は土曜日開催となった事から、今でも当日中に全ての作業が行わる大登地区で「サイノカミ」を見たいと、JR只見線の列車に乗って三島町に向かった。

 

「サイノカミ」は、全国各地で行われる“どんと焼き”同様、小正月の火祭り。「三島のサイノカミ」は2008(平成20)年年3月に国の重要無形民俗文化財に指定され、“五穀豊穣や無病息災、厄落としなどを祈願して行われる”という。*参考:文化庁 文化遺産オンライン「三島のサイノカミ」/三島町「三島町歴史文化基本構想」(平成23年3月)(PDF)138p

「三島のサイノカミ」は“町のシンボル的な年中行事”とされ、町内16地区中11地区で行われている。各地区独自の作業法が採られ、藁に巻かれた御神木(サイノカミ)の形状も違うと言われている。

 

今年、三島町町内の7地区14箇所で「サイノカミ」が行われるということで、町のホームページには新型コロナウィルス感染防止対策から、各地区の見学可能な作業と開始時刻が掲載されていた。

令和4年「三島のサイノカミ」実施一覧【1/12現在】
(URL:http://www.mishima-kankou.net/20220112-2/)
◆宮下地区:1月15日(土) 9:00~サイの神つくり(燃え草集め、馬場踏み、ご神木立て)/18:30~点火
◆大登地区:1月15日(土) 9:00~御神木迎え、わら集め、御神木立て/19:00~点火
◆川井地区:1月15日(土)19:00~点火
◆桧原地区 *今年は実施いたしません。
◆滝谷地区:1月15日(土)8:00~御神木立て準備など/19:00~採火式、のち点火
◆大谷地区(地区内の3か所(鳥海・中際・本村)にて実施):1月15日(土)18:00~点火
◆名入地区:1月15日(土)8:30~準備開始/17:00~点火
◆西方地区(地区内8カ所にて実施)
・隣組8・9組と10組:1月15日(土)8:30~準備開始/17:30~点火
・隣組4組,7組,11組,14組:1月15日(土)9:00~準備開始/17:00~点火
・隣組12組:1月15日(土)9:00~準備開始/18:30~点火
・隣組13組:1月15日(土)10:00~準備開始/17:00~点火

 

大登地区の「サイノカミ」は、前述の「三島町歴史文化基本構想」内で『特に「大登のサイノカミ」は著名で、伝えによれば四百年間一度も中断なしに続けられている』と記されている。今回、「三島のサイノカミ」を見学する計画を立てた時、只見線最寄りの会津宮下駅に近い川井地区と大登地区のどちらにしようと思ったが、“四百年間一度も中断なし”に惹かれ大登地区に行くことを選択した。


 

会津藩の地誌「會津風土記」(初代会津(松平家)藩主・保科正之が寛文年間(1661~72) に山崎闇斎に命じて編修させた)を,第7代藩主・松平容衆が1803(享和3) 年に増補改訂させ、1809(文化6)年に編纂が完了した「新編會津風土記」(全120巻)に、「大登村」の記述がある。

●大登村
府城の西に當り行程八里二十九町、家數三十一軒、東西二町二十五間南北二町三間、南は山に倚り、三方に田圃あり、東十二町五間小野河原村の界に至る、其村は辰に當り二十九町、西八町二十八間宮下村に界ひ、大谷川を限とす、其村まで九町五十間餘、南五町四十六間宮下村に界ふ、北六町十六間河井村の界に至る、其村まで六町四十間餘
○神社 ○多加於呂志神社
境内東西三十間 南北十二間免除地 村西五十間にあり、祭神及鎮座の年月詳ならず、鳥居・幣殿・拜殿あり、砂子原村三浦大隅が司なり

*出処:新編會津風土記 巻之八十一「陸奥國大沼郡之十 大谷組」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第33巻」p102(コマ57) URL:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179220)

 

2020年2月8日に、私は複数の「サイノカミ」が立ち炎に包まれる「雪と火のまつり」に参加した。その時、最初の作業となる御神木の切り出しから最後まで「サイノカミ」を見たいと思い、土曜日開催となる今日を待った。雪の心配も無い天気予報だったので、安心して三島町に向かった。*参考:拙著「三島町「第48回 雪と火のまつり」2020年 冬」(2020年2月8日)

*参考:

・福島県 生活環境部 只見線再開準備室:「只見線の復旧・復興に関する取組みについて」

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF) (令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線沿線のイベントー / ー只見線の冬

 

 


 

 

今週の12日以降、また大陸から大寒波がやってきて、JPCZ(Japan sea Polar air mass Convergence Zone:日本海寒帯気団収束帯)の影響で只見線も13日と14日は終日運休となるなど、大きな被害を受けた。今回の旅も心配だったが、昨日、仕事が終わってから富岡町から会津若松市に移動し、会津若松駅の改札前に置かれた掲示版を見て、明日は通常ダイヤに戻るということで安心した。

 

 

今朝、始発列車に乗るために、駅前の宿を出て会津若松駅に向かった。駅周辺の積雪は60㎝ほどで、一部を除いて人や車の往来があるところの大半は圧雪されていた。

 

切符を購入し改札を通り連絡橋で只見線のホームに向かう。橋上から見下ろすと、レールに近い面に雪がまとわりついた会津川口行きの始発列車が待機していた。

6:03、キハE120形2両編成が会津若松を出発。私が乗った後部車両は、私を含め3人の客だった。

 

切符は会津宮下駅まで、明日の分と合わせて往復で購入した。会津若松~会津宮下間の運賃は860円。

 

列車は、暗闇の中、七日町西若松の市街地の駅を経て、大川(阿賀川)を渡り会津平野の田園地帯を進み、会津本郷を出発直後に会津若松市から会津美里町に入り、会津高田を出ると“右大カーブ”で進路を真北に変えた。

根岸に到着し、東の空を見ると、割れた空が明るくなり陽の光が見えた。

 

 

 

 

この後、列車は新鶴を経て会津坂下町に入り、若宮、そして会津坂下に停車。ここで上り列車とすれ違いを行った。上りホームには高校生を中心に、多くの客が列車の到着を待っていた。

  

 

会津坂下を出発し、短い田園区間を走り、列車は一旦ディーゼルエンジンの出力を落とした。そして、轟音と共にエンジンの出力を上げ七折峠に向かい、右に緩やかにカーブした。

 

“七折越え”途上、木々の切れ間から会津平野を見下ろした。

 

 

塔寺で観光客らしき一人の客を降ろし、四連トンネル(第一花笠-第二花笠-元屋敷-大沢)で登坂を終え、緩やかな坂を静かに下り会津坂本に到着。ここでも客を一人降ろした。塔寺駅と会津坂本駅で、続けて客の下車を見たのは初めてだった。

 

会津坂本を出て柳津町にに入り、列車は雪原を走る。上空を見ると、一部の雲が朝陽に照らされ曙色になっていた。

 

「柳津温泉スキー場」跡はきれいに冠雪していた。このロケ―ションは良いので、個人的にはグランピングも可能な、通年利用のキャンプ場にリニューアルして欲しいと思っている。

 

会津柳津を出発し、“Myビューポイント”を通過。曇り空を背景に、会津百名山「飯谷山」(783m)の山並みを眺めた。 



郷戸を経て滝谷を出ると滝谷川橋梁を渡り三島町に入る。周囲の木々が綿帽子を被り、風景全体が水墨画のようになり、美しかった。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋集覧1873-1960

 

 

 

 

 

会津桧原を出て、桧の原トンネルを抜けると「第一只見川橋梁」を渡る。只見川(ダム湖)は濃紺だったが、水面には波が立ち水鏡にはなっていなかった。*ダム湖は東北電力㈱柳津発電所・ダムのもの

 

反対側の席から、上流側を見ると、水面に周囲の風景が映り込んでいた。まずまずの水鏡だった。

 

 

 

 

名入トンネルを抜け、会津西方を出ると、「第二只見川橋梁」を渡った。上流側に聳える会津百名山「三坂山」(831.9m)は、少しぼんやりしていた。

 

ここでも反対側の席に行き、下流側を見た。只見川がスゥーッと延び、両岸の綿帽子を被った木々が美しかった。

 

 

 

列車は減速し、「アーチ3橋(兄)弟」の次男・宮下橋を見下ろしながら、長男・大谷川橋梁を渡った。*参考:三島町観光協会(観光交流館からんころん)「『みやしたアーチ3橋(兄)弟』のビューポイント」(2013年6月16日)

 

 

 

 

 

8:29、会津宮下に到着。私の他1名の客が降りた。列車すれ違いで停車時間が長いため、2人の客は外に出て、写真を撮っていた。

 

駅舎側のホームに行くと、定刻よりわずかに遅れて上り列車がやってきた。 

 

上り列車が停車し、下り列車と並んだ。車体の着雪が今年の奥会津の雪の多さを物語っていた。上り列車には3名の客が乗り込み、下り列車より先に出発した。

 

駅舎を抜け、表に出た。駅前通りは、融雪水が道路から噴出し続けているため、積雪が無かった。

 

近くの民家の車庫前には、正月飾りがビニール袋に入って置かれていた。「サイノカミ」で燃やしてしまうものだろうと思った。

この後、荷物を置かせてもらおうと今夜の宿に向かったが、スタッフ不在のようで施錠されていたため、駅に戻り時間をつぶした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「サイノカミ」が開始される9時に現地に着くよう、駅を出発。

県道237号線を北東に進み、坂を上り国道252号線に交差し、右折。除雪されていない国道の歩道を避け車道を200mほど進むと、「サイノカミ」を見させてもらう大登地区への分岐が見えてきた。

時折、足を滑らせながら、慎重に圧雪された坂を上る。途中、表に出ていたお爺さんに、『サイノカミはどちらでやりますか?』と聞くと、『公民館に皆集まっている』ということだったので、公民館の場所を聞いてそこに向かった。

 

 

 

公民館が近づくと、20名ほどの男衆とすれ違った。私は、念のため公民館(大登生活改善センター)に向かい、誰も居ない事を確認し、引き返して男衆の後を追った。追いつき、最後尾を歩く方に『今日、サイノカミを見学させてもらいたいのですが...』と伝えると、『どうぞ』と言われ、列の後ろについて、先に進んだ。

 

9:06、町民グラウンド駐車場入口付近で男衆が足を止め、何人か林の中を指さ、声を掛け合った。御神木にする木に当てを付けているのだろうと思った。

 

そして、まもなく各人がカンジキやスノーシューをはめ、林の中に入った。私も後に続いたが、皆によって雪は踏み固められていたので、靴のままでもなんとか進む事ができた。

 

スギと竹の混成林の中で、男衆が相談を始め、あるスギの木を囲み『これでいいべ』などと声が聞こえた。どうやら、御神木となるスギの木が決まったようだった。

 

御神木とされた杉は、スゥーっと伸び、立ち姿が美しかった。御神木の前には、御神酒やスルメなどが置かれ、何かの儀式が行われるような雰囲気だった。

 

最後に、注連縄が幹に巻かれた。

 

準備が終わると、男衆は御神木を取り囲み、二礼二拍手一礼をした。

この後、御神酒が皆に振舞われたのだが、何と私にも盃が手渡され、『呑んだからには、手伝ってもらいますよ』と言われた。驚きの言葉だったが、自分にできることだったたら、やってみようと思った。

 

 

9:22、斧入れが始まる。計4人が御神木に切れ目を入れた。

 

そして、チェーンソーを持った方が木が倒れる方向を確認した後、御神木の両サイドに大きく斜めに切り込みを入れ、軽く押した。地区によっては、今でもノコギリで切るようだ。


すると、御神木は乾いた音を立て、雪を舞い上げながら倒れた。

 

続いて、御神木の先端に男衆が集まり、何やら話合い。『長さは?』『15m』『えっ!』『じゃぁ13mにすんべ』というようなやりとりがあり、今年の御神木の長さは13mに決まった。聞けば、長さに決まりはないようで、大登地区の過去最高は15mで、去年は12mという事だった。

御神木は、先頭を除き、全ての枝が切り落とされ、メジャーで13mが測られた後、再びチェーンソーが取り出され不要な部分が切り落とされ、根元が三角に加工された。

 

次は、樹皮剥ぎ。男衆が御神木の脇に並び、腰にぶら下げていた鉈を取り出し、樹皮と幹の間に切り入れ、水平に動かした。 鉈があてられる面が終わると、皆で御神木を回転し、次の面の剥ぎ取りをした。回転させる際、私も手伝い、ここで初めて御神木に触れさせていただいた。

 

9:44、都合4回転し、樹皮剥ぎが終わった。

 

休む暇もなく、次は御神木の運搬。根元から3mほどの場所に担ぎ上げ用のロープが巻かれ、御神木は雪の上を滑り送り出された。林の中から御神木の先頭が出てくると、手の空いた男衆が、道路側で御神木に手を掛け、慎重に引き出し道路の上に置いた。


道路に置かれると、進行方向に先頭が向くように、皆で御神木を回転させた。

 

回転が終わると、御神木の先端に男衆が集まり、作業が始まった。どうやら、林の中で採取された柴を、蔓で縛り付けるようだった。 蔓の端を持った方が声を掛け合い、締め上げていった。

 

5分とかからず、先端は箒のような形になった。 蔓は固く結ばれ、柴はしっかり固定されていた。

 

 

 

10:00、運搬になる。てっきり皆で御神木を引っ張り、会場まで移動すると思ったが、ここでも文明の利器が活用された。軽トラがバッグで付けられ、御神木が載せられた。全体は載らないので、根元の方には担ぎ上げ用のロープが付けられたまま、2人に支えられることになった。

 

途中、御神木は“ヤスメ”という架台に載せられ、根元が錘状にカットされた。この形状は男根を模していると言われている。

 

10:13、公民館(大登生活改善センター)の前を通り過ぎ、村社多賀神社の北に広がる“雪原”に到着。聞けば、ここは畑という事だった。少し待っていると、除雪車が登場し、“雪原”に「サイノカミ」会場を拓いていった。

 

途中から、カンジキやスノーシューを取り付けた男衆が“雪原”に繰り出し、雪踏み(バンバ踏み)が始まった。

 

 

 

10:40、会場が出来上がり、御神木が運び入れられた。御神木の先端部分は“ヤスメ”の上に置かれた。ここから、どうやって「サイノカミ」になるのか、この時は想像がつかなかった。

 

御神木の運び入れと同時に、藁の持ち込みが始まった。近くにある車庫の奥に重ねられていた、藁の束を皆で運んだ。私も手伝った。

 

子供達も手伝い、大量の藁が御神木の周りに置かれた。

この間、御神木の根元には穴が掘られ、二本の丸太が交差して刺さっていた。

 

穴には、スコップも差し込まれ、御神木の根元の突端がスコップの金属面に触れていた。どうやら、御神木を立ち上げた際の支点の役目のようだった。

 

御神木に鉈を落とす方がいた。聞けば、藁を巻き付ける時、抵抗になって、よく締まるように、細かく切れ込みを入れているという。

 

 

 

一旦、休憩となる。再び、御神酒が振舞われるなどした。会場に来ていた子供達は、元気を持て余し、大人達に雪玉を投げ始めた。投げらた方の大人も“反撃”し、会場は歓声と笑いに包まれた。

 

 

 

11:13、軽トラに積まれた梯子が到着。『こんな多くの梯子を何に使うのだろう』とこの時は思ったが、後刻、その使われ方に感嘆してしまった。

  

梯子の到着が合図のようになり、作業が再開。いよいよ御神木に藁巻き(ドウマキ)が始まった。

両端で縄を持つ方2人、巻き付ける際に藁を支える方1人、両側で藁を渡す方2名、仮巻きされた藁を叩く方2人、という陣容だった。


まず、御神木の下に縄を置き、その上に御神木に巻く下半分の藁を敷く。そして、両端で縄を持ち上げ、藁が落ちないように御神木に密着させる。

次は、取り付けた藁が落ちないように藁を支え、上半分にも藁を巻き、縄で仮止めする。

 

更に、細い丸太を持った男衆が上と下から藁を叩き、その間に縄を両端で力強く引っ張り、藁を均等に御神木に密着させる。


最後に、縄が緩まないように力を込めて結び、一段終了となった。これが、繰り返された。御神木の中程には、藁のずれ落ち防止の縄が巻かれた。

 

11:50、午前の部は終了となり、男衆は公民館(大登生活改善センター)に行き昼食となった。“ドウマキ”は、目視で18段だった。

私は、只見線を走る列車を撮影するため、2㎞離れた「第一只見川橋梁ビューポイント」に向かった。

 

 

 

 

 

 

国道252号線に出て20分ほど歩くと、道の駅「尾瀬街道みしま宿」に到着。

 

ここで昼食を、と思ったが来月6日まで改修工事が行われているのを忘れていた。仕方なく、持参した冷たい塩むすび飯と、自販機にあった“CAN入りだし”を昼食にした。


昼食を終え、国道に沿った駒啼瀬歩道橋を渡り「第一只見川ビューポイント」に向かった。

 

階段は除雪され、最上部のDポイントまで登ることができた。 

 

8分かけてDポイントに到着。

 

先客は7名居て、列車の通過時刻には2人組を含む、3名が増えた。

 

列車の通過時刻まで、周辺の風景を見て過ごした。積雪はあるようだが、気温が高い為か木々の綿帽子は融け、全体的に雪化粧感が物足りなかった。

北西には前衛峰(909m)を含む、会津百名山「黒男山」(980.4m)の山塊がはっきり見えた。登った事のある山だと、山座同定が素早く楽しい思いでできる。

 

13:08、会津西方駅を出発した上り列車が、名入トンネルを抜け静かに「第一只見川橋梁」に渡り始めた。10台を越えるカメラのシャッター音が響き始め、私も列車が橋の中ほどに差し掛かったときにシャッターを切った。

 

 

 

撮影後は、「サイノカミ」会場に戻るため、急ぎ山を下った。ビューポイント下段のCとBポイントにも複数の“撮る人”が居たようで、私が国道沿いに下りると列をなし駐車場に向かっていた。

  


大登地区に向かって国道を進む。歩道が無く、路側帯も雪があり、大型ダンプも通る車道にはみ出て歩かざるを得なかった。

「第一只見川ビューポイント」は車利用の方の訪問が多いが、只見線の駅(会津西方、会津宮下)から歩けない距離ではなく、実際歩いてくる方も居る。駅からの導線や歩行空間を整備計画があるか不明だが、コロナ後を見据え実行すべきだろうと思う。

 

 

 

 

 


30分ほどで、大登地区に戻り、「サイノカミ」会場に到着した。“ドウマキ”はかなり進んでいた。

 

御神木の“ヤスメ”も、架台から梯子に変わっていた。

この梯子は長さがまちまちで、御神木を「支える」役割と、「持ち上げる」役割があることが分かった。

 

梯子が会場に運び込まれた時、先端に縄を結び付け踏ザンのようなものをこしらえている男衆を見て、何をしているのだろうと思っていた。実際、御神木を「支え」「持ち上げ」る時に梯子の先端を見て、納得した。

梯子の角度を問わず、御神木が縄にぴったりと取り付き、安定していたのだ。先人達の知恵や、梯子という普段使いのモノを転用する無駄の無さに感服してしまった。

 

 

 

 

14:02、御神木への藁覆いは、最終段に入った。

 

藁が二箇所止めされ、綺麗に整えられた。その後、今までとは逆向き、藁の根元を御神木の根元と同じ方向にして、最終段の取付が終わった。

 

14:11、御神木への藁の巻き付けが完了。目視で、藁は39段で、所々に、爆竹が差し込まれた。

 

ここで休憩となるが、一部の男衆が、御幣(オンペイ)と紙垂の束を会場に運んできた。

 

御幣は「サイノカミ」の核心部分で、御神木から切り離された先端の細い部分が用いられていた。この細いスギの木に竹が結び付けられ、伊佐須美神社や大山祇神社など12社の神社名が書かれ大開きとなった2つの白扇や幣束(オンべ)などが取り付けられていた。

 

 

14:31、御幣と紙垂の取付作業が始まる。御神木の両側に一番長い梯子が掛けられ、1人ずつ上って、下からモノを受け取り付けていった。

 

御神木の下に紙垂を取り付ける際には、もう1人が加わった。この間、梯子はしっかりと固定されているようで、ふらつかなかった。

 

 

 

 

14:40、御幣と紙垂の取り付けが終わると、御神木の本格的な立ち上げに入った。男衆が梯子に2・3人と付き、押し上げてゆく。皆が梯子に手をかけ、1mほど前に進み、梯子の片足を雪面に埋め込み固定する。すると、指示役を中心に、御神木のより根元に移動すべき梯子を選び、それを外して根元の方に差し込む。これを繰り返し、徐々に御神木を立ち上げていった。

私も一番長い梯子の根元に付いて、この作業を手伝った。

 

 

そして、御神木の根元が1.5mほど穴に入ると、垂直になるように傾きを調整した。

 

ほぼ垂直になると、雪中から表に出ている根元には縄が巻かれ、男衆2人が両端をしっかり握った。梯子は御神木の全方向に掛けられ、合図と同時に真上に押し上げるように指示があった。

“押し上げ”は、掛け声とともに二度試みられたが、根元が固定されてしまったのか御神木は動かず、形だけになってしまった。

その後、男衆は御神木を取り囲み、両手を上げて声を出した。立ち上げを祝う儀式のようだった。 

 

15:20、林の中から切り出してから、休憩をはさんで 約6時間で御神木が垂直に立った。

  

 

御神木の立ち上げ終了の余韻に浸る間もなく、根元には青い葉の着いたスギの枝が置かれ、その上から残った藁を重ねて山にする作業が行われた。

 

御神木が隠れるように、また“ドウマキ”に確実に引火するようにか、藁は隙間なく上の方まで置かれた。

 

 

 

15:30、大登地区「サイノカミ」御神木が完成した。完成目標としていた15時は過ぎてしまったようだが、事故なくケガをする方も出ず、良かったと思った。最後に御神木を後ろにし記念撮影をして、“御神木作成の部”は散会となった。

「サイノカミ」の火送りの開始は19時、ということで私は今夜の宿に向かった。 

 

 

 

国道252号線方面に下ってゆくと、東北電力只見川ダム管理所の前に地下歩道の入口があった。 雪の量が気になったが、1,200mの移動距離が140mに“ショートカット”されるということで、チャレンジしてみた。

 

地下歩道を出ると、雪は積もっていたが道の形がはっきり分かった。歩き始めると、積雪は30㎝ほどで楽勝かと思った...。

 

しかし、途中、腰のあたりまで積もっている場所もあり、終点の県道237号線の架道橋(只見線)に着く頃には、雪越えで少し汗をかき、普段使わない下肢の筋肉と筋に軽い痛みを感じた。

県道237号線に出て少し歩くと、雪かきをしているご婦人から『あの道通って来たの? 雪、すごがったべ』と声を掛けられた。聞けば、私が通ってきた道は、大登地区と宮下地区・会津宮下駅を結ぶ“幹線道路”で、通行量は多かったという。しかし、今では皆車で移動するようになり、ほとんど使われなくなり、冬も除雪していないのだという。

 

 

 

16:18、大登地区から、山モ斎藤商店に立ち寄り40分ほどで、今夜の宿「宮下温泉 ふるさと荘」に到着。2020年11月末に休業したものの、去年7月に新たな運営者を得て営業を再開した宿だ。

チェックインし、風呂に入り、時間までゆっくり過ごした。食事は素泊まりプランだったので、山モ斎藤商店で調達した缶詰やパンで済ませた。

 

 

 

 

 

 

18:50、宿を出て“ショートカット道”を通り、「サイノカミ」会場に到着。暗闇の中に、御神木が立っていた。

 

御神木の根元には、正月飾りなどの縁起物が置かれていた。御神木と一緒に燃やされる事になる。

 

 

まもなく、村社多賀神社の境内に火が見え、移動しはじめた。そして、火の点いた松明を持った男衆3名が会場に入ってきて、御神木を囲んだ。

19:00、『点けっつぉ~』『時間だ時間だ』『(点けて)いいがぁ』という声が交わされ、点火された。そして、すぐに藁は次から次に炎に包まれた。そのスピードに驚いた。

 

『藁だけでこれだけ炎が立ち上がるか⁉』と思えるほど、あっという間に、炎は大きくなった。

 

そして、駆けあがり、御神木はすぐに炎に包まれた。

 

爆竹の破裂音が響き渡り、先端の紙垂が舞い上がり、ド迫力の光景が目の前に現れた。

 

観客も歓声を上げながら、見入っていた。

 

 

全ての藁に火が点きはじめてまもなく、灰となった藁が上昇気流で舞い上がった。

 

炎は、短時間に強弱を繰り返し、御神木を焦がしていった。

 

 

 

 


19:18、先端の藁が下に降りてきた。その後は、炎が突然大きくなるような事は起きなかった。

   

この火の動きが分かっているようで、ライトが付けられた祭壇周辺では、ミカンまきが始まった。

 

 

ミカンまきが終わると、枝を持った方々が火の弱まった根元に集まってきた。

  

そして、枝の先に餅を差して焼き始めた。

 

金網の間に餅を挟み、長い竹の先に吊るし焼く方も居た。

 

 

 

19:30、御神木は煤で真っ黒になった姿を現し、根元の炎は弱まった。

見学者の大半は会場を去り、朝から作業を行っていた男衆の若者が残り、藁や正月飾りなどが燃え尽きるのを見守っていた。私は、男衆の一人に声を掛け、「サイノカミ」会場を後にした。 

 

 

大登地区の「サイノカミ」はとても素晴らしかった。

貴重なものを見させてもらうばかりか、参加させてもらった事で、受け継がれてきた歴史の重みを実感することができた。また、「三島のサイノカミ」が国の重要無形民俗文化財となっている事に納得した。

地区の男衆が、朝から集い、御神木を切り出し、飾り、立ち上げ、燃やすという一連の作業には、それぞれに連綿と受け継がれてきた工夫と知恵があった。また、神への感謝とともに、“村の連帯”を確かめ合い、この一年の仕事や生活に向けた区切りや活力を得られる、人間活動のエネルギーのようなものを感じた。

「サイノカミ」は、後世に残すべき貴重な文化財だが、心配な面も見えた。今日の作業には小学生までの小さな子供は居たが、中高生の姿は無かった。聞けば、大登地区に中高生は数名しか居ないという。「サイノカミ」の伝承を考えれば、これは大きな問題で、他の川井、桧原、浅岐地区などの周辺地区にも言える事ではないだろうか。若い移住者を増やしてゆくことは必要だが、喫緊の課題として行政が費用を出し、各地区に縁のある家庭の中高大生などの青年を中心に、毎年「サイノカミ」に招き、技術を受け継がせるという施策の検討も必要ではないだろうか。イベントで作業衆を集めるのではなく、技術の伝承者を育ててゆくプログラムだ。例えば、文化庁では「地域文化財総合活用推進事業」で人材育成事業に補助金を交付している。三島町はこのような事業に募集をして、「三島のサイノカミ」が将来に向かって残されるようにして欲しい。*参考:文化庁「令和4年度地域文化財総合活用推進事業について」URL:https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/joseishien/chiiki_kasseika/r04_sogokatsuyo/

 

「三島のサイノカミ」は、今回訪れた大登地区の他、川井地区や桧原地区(今年は中止)でも毎年1月15日に行われているという。浅岐地区では近年復活し、地区のご婦人も作業に参加され、御神木を立てる際に縄を引っ張るという。来年の1月15日は日曜日なので、一人でも多くの観光客に「三島のサイノカミ」を見て欲しいと思う。

 

 

 

 

今夜の宿、「宮下温泉 ふるさと荘」について。

只見線・会津宮下駅から、北北東に900m歩いた場所にある。会津西方駅からは1,100m離れている。只見川(柳津ダム湖)の左岸、国道400号線沿いにある2階建てで、温泉は1階ロビーのすぐ隣にある。

ここは日帰り入浴も可能で、私は過去3回利用したことがある。湯は源泉掛け流しで、湯量豊富。広々とした浴室は雰囲気も良く、浴室の窓から景色は眺められないが、私はとても気に入っている。 


玄関は国道に面している。

 

受付の脇には、自動券売機があり、日帰り入浴客が利用するようになっていた。

 

ロビーは広々としていた。休業前から、椅子の配置などが変わっているようだった。

 

玄関脇にはカップラーメンやお菓子などが置かれ、受付で会計するようになっていた。

 

フリーWi-Fiも利用可能だったが、フロント周辺だけだった。

 

ロビーに連なる、温泉の入口。“天然の湯 湯音55度”という、一枚板の看板が目立っていた。

 

脱衣所。洗面台もあり、ドライヤーも据え付けられていた。

 

男湯の様子。扇形の湯舟は広々と感じられ、ゆったりできた。

 

温泉分析書は、令和2年2月取得のものに変わっていた。

【宮下温泉 ふるさと荘】
・源泉:赤谷温泉
・泉質:ナトリウム-塩化物・硫酸塩・炭酸水素塩泉 (低張性中性高温泉)
・泉温:54.5℃  ・湧出量:53.4l/min
・水素イオン濃度:pH7.0

 

 

客室は2階で10室あった。廊下は広く、電気ポットと電子レンジが棚の上に置かれていた。

 

部屋には植物などの名前が付けられ、私は“りんどう”だった。6畳敷だが、洗面台付きの広縁があ、椅子とテーブルも置かれていた。

 

窓からは大谷川河口の只見川が見え、なかなか良い眺めだった。全ての客室は同じ方向に窓があるため、この景色は各室共通のようだ。

 

旅館ということで、浴衣とタオルも用意されていた。タオルには現在「宮下温泉 ふるさと荘」を運営している、福島市の「飯坂温泉 伊勢屋」と印字されていた。


「宮下温泉 ふるさと荘」の営業再開は嬉しかった。現在は、利用客が新型コロナの影響に左右されるかもしれないが、只見線の利用客にとっても貴重な温泉・宿となるので、頑張って欲しい。

 


(了)

 

 

・  ・  ・  ・  ・  

*参考: 

・福島県:只見線ポータルサイト

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)復旧工事の完了時期について」(PDF)(2020年8月26日)

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日) 


【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/


②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。 


以上、宜しくお願い申し上げます。




次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

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