国の重要無形民俗文化財に指定されている“サイノカミ”が複数立ち、炎に包まれるという「雪と火のまつり」を見に行こうと、JR只見線の列車に乗って三島町に向かった。
「サイノカミ」は、全国各地で行われる“どんと焼き”同様、小正月の火祭り。東北や北陸地方で伝承されていて、会津地方では“歳の神”と記載されることが多いようだが、“塞ノ神”や“斉の神”と表記される地域もあるという。
「三島のサイノカミ」は五穀豊穣・無病息災・村中安全などを祈願するために、毎年1月15日頃に三島町の各地区で行われている。各地区それぞれの作法があり、“サイノカミ”の形が違うのが三島町の特徴だという。この「三島のサイノカミ」は、2008(平成20)年年3月に国の重要無形民俗文化財に指定されている。*参考:文化庁 文化遺産オンライン「三島のサイノカミ」
今年町内では、宮下・桑原・大登・川井・桧原・滝谷・浅岐・名入・滝原の各地区と、大谷地区で3ヵ所、西方地区で7ヵ所、合計19ヵ所で1月12日から15日かけて行われたという。*参考:三島町「令和2年「三島のサイノカミ」実施地区一覧」(PDF) / 三島町観光協会「平成28年 サイノカミ(川井地区)」
*上掲記事出処:双方とも2020年1月16日付け紙面より (左)大登地区の様子を伝える福島民報、(右)川井地区の様子を伝える福島民友新聞
三島町は福島県の重要無形民俗文化財を33件有する事も重なり、同年に文化庁の「文化財総合的把握モデル事業」(全国で20の市町)に選定された、山間の歴史文化が色濃く残る町でもある。「サイノカミ」はこの歴史文化財の中心となっている。*参考:「文化財総合的把握モデル事業」委託先の選定について(平成20年8月29日)、三島町「三島町歴史文化基本構想」(平成23年3月)(PDF、138p)
私は「三島のサイノカミ」を見たいと思っていたが、「雪と火のまつり」で複数の“サイノカミ”が立つことを知り、祭りが開催される今日、三島町を訪れる事にした。
今日は、「雪と火のまつり」会場から近く、東京オリンピックの聖火リレーのコースにもなっている「第一只見川橋梁ビューポイント」で、橋梁を通過する列車も撮影することにした。
*参考:
・福島県:只見線ポータルサイト
・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」
・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)
・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線沿線のイベントー / ー只見線の冬ー
今朝は亡父の墓参りの後、郡山から磐越西線の列車に乗って只見線の旅を開始。
すると、引き込み線にディーゼル機関車に牽引されたキハ40形を見つけ、6番ホームから撮影した。
このキハ40形の塗装は東北地域本社(仙台支社)色で只見線限定ではないが、郡山駅構内で見かけた事が無く幸運だった。
この車両は、行き先表示通り、会津若松まで牽引されていった。
郡山上空では晴れていたが、磐越西線の磐梯熱海付近から雪雲が覆われ始め、沼上トンネルを抜け、会津に入ると雪がしっかりと降っていた。猪苗代では、雪で視界が悪くなり、磐梯山もまったく見えなかった。
会津若松に到着し、改札に向かうと、昨日と今日の両日で開催されている「絵ろうそくまつり」の展示があった。今年は、起き上がり小法師の燭台が置かれていた。
会津若松駅舎の上空は薄い雲があったが、晴れていた。気温も高く道路などの地面は露出し、今年は雪が少ない事を実感した。
駅近くのスーパーで昼食を調達し、再び改札を通り、只見線の4番線に向かう。観光客を中心にホームに人が増え始め、列車が入線する頃には行列を作っていた。
列車は2両編成で、先頭はラッピングされたクロスシート車両、後部はロングシート車両だった。
私が乗った先頭車両から客が席を埋めてゆき、両車両とも賑やかな車内になった。
13:07、会津川口行きの列車が定刻に会津若松を出発。
列車は、七日町、西若松でも多く客を乗せ、大川(阿賀川)を渡った。
会津平野の田園地帯に入り、会津本郷、会津高田を経て、列車は真北に進路を取り、うっすらと雪に覆われた刈田の中を進んでいった。
列車は会津坂下を出発した後、会津と奥会津の境界になる七折峠に向かって登坂を開始。ディーゼルエンジンの音が、床から重く響き始めた。
登坂の途上、塔寺手前では、木々の切れ間から、会津平野の景色を見る事ができた。
14:07、会津坂本を過ぎて柳津町に入った列車は会津柳津に停車。
只見線の乗客へのおもてなし企画「おしさ満載。絶景!只見線」を盛り上げようと登場したと言われる「あわまんじゅうマン」と「ヨンマルダー」がホームに現れ、列車が発車する時には手作りの横断幕を持って見送ってくれた。
黄色の「あわまんじゅうマン」は柳津町の名物のあわまんじゅうの化身、緑色の「ヨンマルダー」はまもなく只見線から引退するキハ40形の化身、という。*参考:柳津町 柳津観光協会「あわまんじゅう」
会津柳津では、ツアー客だろうか、多くの乗客があった。乗り込んだのは日本人で、車内はほぼ満席になり、一層賑やかになった。
今日は、只見町でも雪まつり(ふるさとの雪まつり)行われるためだろうか、只見線の奥会津区間で、紅葉時以外にこれほどの乗客が見られる事は少ない。雪の観光力を再認識した。
列車は、郷戸手前で“Myビューポイント”に差し掛かった。「飯谷山」(783m)を頂点とする低山の稜線はわずかに見える程度で、降雪の影響か霞んでいた。
会津桧原を出発すると車内放送が入り、会津柳津から乗り込んだ“おもてなし企画”のスタッフが『次は第一只見川橋梁を渡ります』と車内を巡り案内し始めた。
列車が桧の原トンネルを潜り抜けると「第一只見川橋梁」を渡った。積雪は少なく、雪化粧された空間ではなかったが、只見川は深い青緑で見応えがあった。
会津西方を出ると、列車と一緒に走り出し、立ち止まってカメラを構える方が居た。
続いて、第二野尻街道踏切付近には、多くの“撮る人”々が居た。
左岸を見ると、擁壁の上、国道400号線沿いにもカメラを構える“撮る人”々が居た。
現在、只見線を走る列車、キハ40形は来月末をもって引退し、キハE120形に置き換わる。キハ40形を現役のうちに撮っておきたいと思う方が多いと実感した。 *図出処:東日本旅客鉄道株式会社「只見線の運転再開に向けた取組みならびに車両の置換えについて」(2019年11月28日)
14:34、会津宮下に到着。「雪と火のまつり」の会場である町民運動場の最寄りで、私はここで降りた。
ホームには10名を超す客が降り立った。話している言葉から、アジア系のインバウントが半数近かった。
私は駅を出て、県道237号線を歩いて「雪と火のまつり」会場に向かった。
途中、『みやしたアーチ3橋(兄)弟』のビューポイントに寄り道。 *参考:埼玉県 観光課「【橋りょう】新宮下橋・JR只見線大谷川橋梁・宮下橋〔三島町〕」
県道に戻り、“次男”の宮下橋を渡り、坂を黙々と上ってゆくと、国道との合流点に「雪と火のまつり」の案内が現れた。
15:03、駅を出て約20分で「雪と火のまつり」の会場である町民運動場に到着。2辺に屋台となる青テントが並び、会場には多くの方が居て、歓声が上がっていた。
会場の奥には、目当ての“サイノカミ”が4体、立てられていた。
手前は三島小・中学校の“サイノカミ”。大き方が中学生、小さい方が小学生の作で桧原地区の住民の協力を得て作成したという。背後は川井地区と滝谷地区の住民によるもので、滝谷地区は十字型だった。“サイノカミ”の前には、13時に会場の皆で取り付けたという「団子さし」が彩りを加えていた。
会場では、子ども達を中心とする“競技”が行われていた。
玉入れ競争。
そして、綱引き。山間に響く、子ども達の元気な姿と歓声に癒された。
列車の時刻が近づいてきたため、一旦会場を後にして「第一只見川橋梁ビューポイント」に向かった。
国道252号線を進む。除雪された雪が路側帯を塞いでいなかったので車道にはみ出す事は少なく、安心して歩く事ができた。
約20分で1.4km離れた「道の駅 尾瀬街道みしま宿」に到着。
入口には今年1月からの“Youはどこから?”の紙が貼ってあり、台湾からの圧倒的な数の訪問者を示す丸シールに驚いた。
会津宮下駅のそれよりも多く、只見線に乗らずにバスなどの車でここを訪れている方が多いだろうかと思った。
駒啼瀬歩道橋を渡り「第一只見川橋梁ビューポイント」に向かった。
まずは、最下段のBポイントから「第一橋梁」を眺めた。
車窓からの景色同様、積雪が少なく“冬らしい”ものではなかったが、濃い青緑の只見川が目立つ、どっしりと構えた見ごたえある景観になっていた。
続いて、少し道を引き返し、階段を上り中段のCポイントに行く。ここには4人の“撮る人”が居て、うち3人は三脚を設置し、カメラに手を掛けていた。
そして、さらに踏面が圧雪された急な階段を、足元に気を遣いながら上った。下りは、ちょっと怖いと思った。
15:53、最上段のDポイントに到着。こちらには3人の方が居て、一人は一眼レフカメラを構え、ご夫婦の旦那様がスマートフォンを構えていた。
16:10、定刻を少し遅れて、会津若松行きの列車が「第二只見川橋梁」を渡った。
それから、約3分後、会津西方駅を出発した列車が、名入トンネルを抜け「第一只見川橋梁」を渡り始めた。
列車は、冬期間ダイヤで速度を落として運転しているため、じっくりを見る事ができた。
雪化粧は薄かったが、今年は見る事ができないかと思っていたので、何とか冬らしい絵となり、まずまずの一枚を撮る事ができた。
ここで聖火リレーが行われるのは来月27日(金)。猪苗代町のスキー場からやってきた聖火が、Dポイントで炎を揺らす。できれば雪化粧の中で、と思うがこの暖冬では難しいだろうか。
「第一只見川橋梁ビューポイント」を後にした。
慎重に階段を下り、「道の駅」に立ち寄った後、再び「雪と火のまつり」会場に向かうため国道252号線歩く。すると前方に、4人が歩いていた。「ビューポイント」ですれ違った東南アジア系のインバウンドだった。
会津宮下駅~「ビューポイント」間は約3km。歩けない距離ではないが、観光案内等には徒歩経路などは記載されておらず、徒歩移動を想定していない。しかし、会津宮下~「ビューポイント」間を結ぶバスは便数が少なく、定期便は1便(往路)、デマンド型は2便(復路)という設定で使い勝手は良くない。他に、駅からの二次交通は、無い。*参考:「第一只見川橋梁ビューポイント」町営バス利用説明書(PDF)
私は3kmという距離、只見線を利用した個人旅行客の需要取り込みを考えた場合、「ビューポイント」への経路に、歩ける空間を整備する必要があると思っている。
「ビューポイント」の最寄りとなる会津西方駅ならば、移動距離は約2kmとなる可能性もあり、国道252号線のような幹線道路ではないので、歩道の整備もハードルが低くなると思う。歳時記橋付近の町道と「ビューポイント」を結ぶ“けものみち”の坂を整備するれば、移動距離は2kmを切る可能性がある。
只見線の列車がキハ40形からキハE120形に置き換わる事が「ビューポイント」を訪れる観光客、撮影客にどれだけ影響するか分からないが、歩行空間整備の効果を検討する事から三島町には始めてもらいたいと思う。
屋台では、三島町にも鶏舎がある会津地鶏のメンチコロッケや焼き鳥を頂いた。肉感と同時にうま味を感じられ、とても旨かった。*参考:(一財)都市農山漁村交流活性化機構「里の物語」一流料理人達も認めた幻の会津地鶏を求めて URL: https://satomono.jp/speciality/26037/
体を温めたいと燗酒を探したが見当たらず、商工会婦人部の屋台で『燗はできますか?』と伝えたところ、ご婦人が鍋で温めてくれた。そして、燗が済むまで待たせてしまったという事で、ジャガイモの揚げ串をサービスで付けてくれた。こちらが無理を言ったのにも関わらず、多大な気遣いを受け、体も心も温まった。
ワンカップを吞みながら、点灯を待つ“サイノカミ”を眺めた。
“サイノカミ”は、御神木となる杉の木の伐り出し、わらの巻き付け、御幣(オンペイ)作り、御幣の差し込みなどの作業を経て、男衆総出で立ち上げられ、正月飾りや縁起物を付けられ完成。そして、夜の点火を待つのだという。一日仕事だが、地区によっては二日に工程を分けているようだ。
17:39、運動場の照明が落とされ、町長を先頭に“サイノカミ”の点火に使う松明の行列が入場してきた。松明の火は、別会場で行われた御神火採火式で灯されたもの。
先導の後ろ、松明と松明の間には、白い旗を持ち歌を歌う地元の子ども達が歩いていた。
子ども達が歌っていたのは、小正月の伝統行事「鳥追い」の歌。
「鳥追い」は田畑を苦荒らす害鳥を追い払い豊作を願う神事で、桧原地区に唯一残っているという。白い旗は害鳥を追い払うためのもの。現在は、1月14日の夜に、町内の子ども達が、〽今日はどこの鳥追いだ。長者様の鳥追いだ。ホヤーホヤー、と歌ながら桧原区内を練り歩く。 *参考:三島町交流センター 山びこ「豊作を祈り『鳥追い』の歌声が響く(町民記者通信)」(2017年2月17日)
この子ども達は、行進を終えると、ステージに上がり、「鳥追い」の歌を披露した。
松明を持った方々は、それぞれ“サイノカミ”の前の持ち場に就いた。見物客も、徐々に集まってきた。
“サイノカミ”への点火は、かつて厄年の男性により行われていたが、現在は男女を問わず厄年を迎えた方となっているという。
18:00、総合司会の掛け声があり、点火が始まった。あたりには煙が立ち上がり、徐々に炎が大きくなっていった。
滝原地区の十字型の“サイノカミ”は、下から炎に照らされ、荘厳な雰囲気になった。
炎は10分と掛からず“サイノカミ”を駆け上り、川井地区の15mの頂にある御幣も炎に包まれた。
炎は刻一刻と勢いを増し、“サイノカミ”の内部は赤々とし始め、神妙な趣きになった。
燃え上がる“サイノカミ”で会場が盛り上がる中、花火が打ち上げられた。
炎と花火の競演。綺麗だった。
炎が弱まると、“サイノカミ”の根元で「団子さし」の団子を焼く方々が輪を作った。「サイノカミ」の当日には、スルメや餅などもを焼いて食べ、無病息災を願うという。
ここまでが「サイノカミ」。雪が舞い、雪の上で見られ、とても良かった。
ステージでは、最後のイベントとして、“福々みかんまき”が始まった。みかんには番号がふってあり、この後に抽選会があるという。
私は、最終の会津若松行きの列車に乗る前に温泉に入りたいと思い、盛り上がる中、会場を後にした。
今年は、なかなか雪が降らず、川井地区の“サイノカミ”が20mから15mになるなど、関係者は気をもみ、気苦労が絶えなかったと思うが、名実ともに「雪と火のまつり」となり、ホッとしただろうと思った。素晴らしい祭を体験させていただき、ありがたかった。
20分ほどで、宮下温泉「ふるさと荘」に到着した。旅館だが、入浴だけの利用もできる。受付から内湯が近く、しかも広々とした空間でゆったりできる。
源泉は赤谷温泉で、泉質は「ナトリウム-塩化物・硫酸塩・炭酸水素塩泉 (塩化物泉)、pH6.9」。薄茶色のにごり湯で、泉温は55℃の源泉かけ流しの温泉だ。
今日は久しぶりによく歩いたので、半身浴を長めに40分ほど湯に浸かって、「ふるさと荘」を後にした。
20:01、10分ほどで会津宮下駅に到着。待合室には10名を超える客が待っていた。先ほど、国道252号線で前方を歩いていたインバウンドの方も居た。
20:06、駅員から入線を告げるアナウンスがあり、ホームに移動すると、まもなく列車がやってきた。
20:08、会津若松行きの最終列車が会津宮下を出発。私が乗った車両は、全てのBOX席に人影があり、20名ほどの乗客だった。
出発してまもなく、地酒を呑んだ。昼、若松で手に入れた猪苗代町・稲川酒造店の「生貯蔵酒 辛口地酒蔵」。つまみは無く、本を読みながら、チビチビと呑んだ。
21:30、暗闇の中をゆっくりと走り、会津若松に到着。多くの客が降りたが、大半は観光客で、やはりアジア系のインバウンドが多かった。
今日も、只見線を利用した旅を無事に終える事ができた。「サイノカミ」は見応えがあり、四体が同時に燃え上がる様は壮観だった。今回の旅で「サイノカミ」への関心は高まり、次は、御神木の切り出しから最後までを見たいと思った。
今年は19ヵ所で行われたというが、どこの地区を見に行くか、という選択ができるのも「三島のサイノカミ」の楽しみだ。来年の1月15日は金曜日なので、再来年の1月15日の土曜日に、全線が復旧されているであろう只見線の列車に乗って訪れたいと思う。それまで、どの地区にするか決めたいと思う。
(了)
・ ・ ・ ・ ・ ・
*参考
・福島県 生活環境部 只見線再開準備室:「只見線の復旧・復興に関する取組みについて」
・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」 (2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(2017年6月19日)
【只見線への寄付案内】
福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。
①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/
②福島県:企業版ふるさと納税
URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html
[寄付金の使途]
(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。
以上、よろしくお願い申し上げます。
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