南会津町「ソロキャンプ@久川ふれあい広場キャンプ場」 2021年 晩夏

改正鉄道敷設法(大正11年)で、現在のJR只見線の只見駅から分岐する予定線とされた「国鉄古町線」。その終点と予定されていた南会津町旧伊南村地域、古町地区の周辺にそびえる3つの「会津百名山」登山の拠点とするため、「久川ふれあい広場キャンプ場」でソロキャンプを行った。

   

南会津町は、2006(平成18)年3月20日に只見川の支流・伊南川沿いの南郷村・伊南村・舘岩村と、只見川が合流する阿賀川(大川)沿いで旧国鉄会津線(現会津鉄道)沿線の田島町が合併して誕生。今回訪れた古町地区は旧伊南村の中心地で、村役場などがあった。


「国鉄古町線」は只見駅を起点に只見町から旧南郷村と、旧伊南村を流れる伊南川の広く傾斜のゆるやかな谷底平野に沿って敷設される事が想定されていたようだ。尾瀬に近い上流に位置する檜枝岐村を含めた、伊南川沿いにある豊富な森林資源を運搬するためということで、改正鉄道敷設法の説明書には、以下のように記載されている。*出処:国立国会図書館「鉄道敷設法豫予定線路説明」URL: https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1916482

「鉄道敷設法豫定線路説明」(p39) (大正9年12月)より引用
29 柳津 小出 間
本線路ハ既定線會津若松、柳津間路線ヲ延長シテ福島、新潟ノ縣界ヲ經テ上越線ノ小出二達ス此ノ延長七十哩ナリ…(中略)...經過地ハ新潟縣下ハ破間川、福島縣下ハ只見川ノ流域二屬シ豐富ナル林纊物資ヲ包藏スルヲ以テ本線路ノ敷設ヲ俟チテ天與ノ利源ヲ啓キ産業ノ發展ニ資スル…(以下、略)
  只見 古町 間
本線ハ柳津、小出間路線ノ只見ヨリ分岐シ只見川ノ支流伊南川ノ流域二沿ヒ古町ニ達ス 此ノ延長二十二哩ナリ 而シテ伊南川ノ流域ハ往古ヨリ御蔵入地方と稱セラレ豐富ナル林纊物資ヲ包藏ス 本線路ノ敷設ヲ俟チテ交通ノ不便ヲ一掃シ 沿道ニ連亙セル原生林ノ開發ヲ促シ産業ノ發展ニ資スル二足レヘシ

 

*下図出処:国立国会図書館「鉄道敷設法豫予定線路一覧」(大正期9年12月)URL: https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1916481

   

伊南川は山間にありながら、激流というわけではなく、河床勾配は思いのほか緩やかだ。国土地理院地図を見ると、古町地区の川床は約570m、只見川との合流点は約370mと200mの標高差があるが、この間の伊南川は36㎞もある。「国鉄古町線」が敷設されたならば、伊南川の広い谷底平野を有効活用し、橋梁やトンネルを極力少なくし、建設コストは大幅に抑えられただろうと思われる。“本線”である只見線の柳津~小出間には、8本の長大橋や30を超えるトンネル・スノーシェッド、斜面の擁壁や雪崩防止柵などがあり、「国鉄古町線」沿線地形との差は顕著だ。

ただ「国鉄古町線」は、沿線人口が少なく旅客需要が見込めず、また古町止まりの盲腸線になることもあってか、戦争による社会経済情勢の混乱や国鉄の財政悪化で予定線から調査線にもなることなく、構想だけの鉄路で終わってしまった。ちなみに、只見線の只見~大白川間(只見中線)は、予定線から調査線という手続きの段階を踏むことなく、一気に工事線に格上げされ建設された。これには、新潟県側の大白川を選挙地盤としていた田中角栄氏の政治力が働いたと言われている。

  

「国鉄古町線」の建設が実現しなかったとは言え、前述したように、沿線には豊富な森林資源のみならず、終点の古町が中世の“会津四家”河原田氏の城下町として繁栄していたという、鉄道敷設が予定されるだけの歴史的背景があった。*出処:新編會津風土記 巻之四十三「陸奥國會津郡之十六 古町組上十箇村 古町村」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第三十一巻」p226 URL:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179202)

古町村
天正の頃河原田盛次芦名家に従ひ伊南の地を領し、館を此所に築て居所とせし故伊南町と稱す、後青柳村に城郭を構て伊達家を拒みしが、敵退て再び還住す、因て今の名に改めしぞ、昔は毎月六度の市日あり、今は十二月二十二日廿七兩日のみなり、府城の西南に當り行程十九里、家數五十軒、東西一町南北四町東は山に倚り、西は桧枝岐川に近く南北田圃なり、中に官より令せらるゝ掟條目の制札を懸く、東一町多々石村の界に至る、其村まで一町三十間西四町二十八間、小鹽村に界ひ桧枝岐川を限とす、其村まで六町三十間餘南十二町六間白澤村の界に至る、其村まで十八町二十間北十四町十八間木伏村の界に至る、其村まで十八町二十間叉戌亥の方十四町二十間青柳村に界ひ、桧枝岐川を限とす、其村まで十六町二十間、
*ここで記されている檜枝岐川は伊南川を指す。現在は、檜枝岐村で実川から檜枝岐川に名を変え、舘岩川と合流すると伊南川と再び名を変えている。 

 

源頼朝の奥州合戦(1189年)で武功を挙げ、会津地方を下賜された「会津四家」(佐原氏(のちの葦(芦)名氏)、長沼氏、山ノ内氏、河原田氏)の中で、伊南地方を治めたのが河原田氏。下野国の河原田盛光は、伊南川の右岸の山(840.2m)の中腹に駒寄城と居館である東館と西館を築いた。ここが、伊南(ノ)町(現在の古町)で駒寄城下として栄えた。その後、伊達政宗が摺上原の戦い(1589年)で勝利し、伊南地方に侵攻するまで400年にわたり河原田氏の統治が続いたと言われている。

伊達軍の侵攻では、伊南川左岸に久川城を築き凌いだが、豊臣秀吉の奥州仕置(1590年)により河原田氏は伊南の地を追われ、蒲生氏、その後上杉氏、そして再び蒲生氏が統治することになる。

そして、蒲生忠左衛門が城代の時、久川城の本格整備が行われ、久川城下を“新町”とし伊南(ノ)町を“古町”と名を改めたという。

  

 

この中世からの繁栄と「国鉄古町線」敷設計画があった古町付近には、「大博多山」「尾白山」「唐倉山」という3つ(座)の「会津百名山」があり、地図を見ると古町を中心に見事に均整の取れた立地となっている。*下掲地図出処:国土交通省 国土地理院「地理院地図」*一部文字、方位図など筆者記入

旧伊南村地域では、「大博多山」と「尾白山」に、古町から登山口まで16㎞程離れている「窓明山・三ツ岩山」を加えた3つの山を「伊南三名山」としている。「唐倉山」は旧南郷村地域にあるため、地理的には近接しているが、仲間には加えられていない。*参考:南会津町観光物産協会 「伊南山名山山開き」2019年パンフレット URL:https://www.aizu-concierge.com/wp-content/uploads/2019/05/20190426172941.pdf

  

私は、古町地区周辺の「会津百名山」である「大博多山」「尾白山」「唐倉山」を“古町三座”と名付けた。“古町三座”は近接しているばかりでなく、一等三角点(大博多山)、古町の象徴で雨乞い峰(尾白山)、修験者の岩山(唐倉山)と、個性も際立ち、“観光鉄道「山の只見線」”の山岳アクティビティのコンテンツになり得ると思ったからだ。また、古町は只見線只見駅から30km以上離れているが、峠など隔てる山地が無く、只見線の通る只見町と古町地区は伊南川でつながっているという地政的要因もある。

ちなみに伊南の“伊”は川を意味しているといい、伊南川(桧枝岐川)の南側が伊南、北側が伊北となっており、現在の只見町の大部分は1952(昭和27)年まで伊北(いほう)村を名乗っていた。伊南川で結ばれている“伊北”と“伊南”を、関連付けるのは自然だ。 

 

 

今回はシルバーウィークで“古町三座”に登頂したいと思い、伊南川を挟み古町地区の対岸にある「久川ふれあい広場キャンプ場」を拠点とした。


久川ふれあい広場キャンプ場」は、管理棟はあるが管理人が不在のキャンプ場だ。受付は無く、利用者カードに必要事項を記入し、料金と一緒に“緑ポスト”に投函するというシステムになっている。

しかし、近所の青柳地区の方々によって、洗い場やトイレの掃除やテントサイトの刈り払いなどの整備がなされており、ネットで利用者の感想を見ると、『とても無人のキャンプ場とは思えない』などの高評価を得ている。

古町地区付近には、「久川ふれあい広場キャンプ場」の他、有人で区画されたオートサイトなど設備充実の「会津高原INAキャンプビレッジ」がある。ただ、古町の市街地から2kmほど山中に入るため、“古町三座”全ての登山口から離れてしまい、自転車移動の負担が増すため今回は「久川ふれあい広場キャンプ場」を利用する事にした。

    

今日の旅程は以下の通り。

・只見線を利用し只見駅で下車。「定期ワゴン車 自然首都・只見号」に乗換え、只見町内最後の停留所となる梁取集会所前で下車

・輪行した自転車に乗って、伊南川沿い(国道289号・401号線、県道351号線)を進む 

・「なんごう直売所」で「南郷トマト」と野菜を購入

・山口地区の山田屋ストアーで、味付けマトンを購入

・「久川ふれあい広場キャンプ場」に到着後、宅急便で送っておいたテント用品を受け取り、設営する

・設営後、自転車で薪や食料、酒の調達に行く ・キャンプ場に戻り、過ごす

 

南会津町への訪問は、先月末の会津百名山「明神岳」登山と「宮床湿原」トレッキングに引き続き、今年2度目となる。 *参考:拙著「南会津町「明神岳」登山/「宮床湿原」トレッキング 2021年 夏」(2021年8月28日)


シルバーウィーク中の天気は、土曜日が台風の接近で不安定になるとの予報が出ていたが、その後は良いという。“古町三座”を好天の下で登り、夜は焚き火をしながら酒を呑めると大いに期待し、南会津町に向かった。

*参考:

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)

・福島県 生活環境部 只見線再開準備室

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF) (2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線沿線の宿/キャンプ場ー / ー只見線の夏

 

 


  

 

昨日、仕事が終わってから富岡町を出発。宿泊地の会津若松市に移動。

  

 

  

今朝、只見線の始発列車に乗るために会津若松駅に向かった。

 

切符を購入し、改札を通り、ホームに移動。連絡橋から会津盆地の“西部山地”越しに奥会津方面を見ると、空が明るく、天気は悪くないだろうと思った。

 

只見線のホームにはキハE120形が2両編成で停車していた。東には会津百名山「磐梯山」(1,816.2m)の稜線が見えた。

 

輪行バッグを抱え、後部座席に座った。只見までの料金は1,680円。 

6:03、会津川口行きの始発列車が会津若松を出発。

 

 

  

七日町西若松と市街地の駅を経て、大川(阿賀川)を渡る。

  

会津本郷出発直後に会津若松市から会津美里町に入り、会津高田を出ると、列車は右に大きく曲がり、西から真北に進路を変えた。

 

青みが残る稲田越しに「磐梯山」を眺める。東の空が明るみ、陽光が会津盆地を覆う雲に陰影を作っていた。

  

根岸を出て左側の車窓から西部山麓を眺める。会津百名山「明神ヶ岳」(1,074m)を頂点に稜線が良く見え、その上空に朝陽を受けたまだらな雲がひろがっていた。

 

  

新鶴を出て、会津坂下町に入り若宮を経て、会津坂下に到着。金曜日ということもあり、反対側のホームには上り列車を待つたくさんの高校生が居た。 列車は、後からやってきた会津若松行きが出発した後、発車した。

 

 

列車は市街地を抜け、短い田圃の間を走った後、七折峠に向かって登坂を始めた。一旦息をひそめたディーゼルエンジンは再び咆哮を上げ、車内には音が響いた。

 

振り返って、5日後に帰ってくることになる会津盆地を眺めた。

   

登坂途中に木々の間から、会津盆地を見下ろした。

   

 

塔寺を過ぎ、“四連トンネル”手前で登坂を終え、会津坂本を出て柳津町に入る。 会津柳津では高校生一人を乗せた。

   

郷戸手前の“Myビューポイント”から、会津百名山「飯谷山」(783m)を見る。稜線がはっきり見え、名の由来となった、“飯を盛ったような”頂上の形が現れていた。

 

 

列車は、滝谷を出て三島町に入り、会津桧原を出発し、桧の原トンネルを抜けると「第一只見川橋梁」を渡った。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋集覧

 

反対側の席に移動し、上流側、駒啼瀬の渓谷を眺めた。今朝の東北電力㈱柳津発電所・柳津ダムの水は濃緑で、湖面の水鏡も冴えていた。

  

 

会津西方に停車。向かい側の窓を見ると、ススキが見え、秋を感じた。 

  

会津西方出発直後に、「第二只見川橋梁」を渡る。会津百名山「三坂山」(831.9m)の稜線がまだらの曇り空に、くっきりと見えていた。

 

  

列車は減速し、“アーチ3“橋”弟”の長男・大谷川橋梁を渡り、県道に掛かる次男・宮下橋を見下ろしながら進んだ。 *参考:三島町観光協会(観光交流館からんころん)「『みやしたアーチ3橋(兄)弟』のビューポイント」(2013年6月16日)  

  

  

会津宮下では、会津若松行きの列車とすれ違いを行った。上りホームには2人の客の姿が見られた。

  

 

会津宮下を出ると、東北電力㈱宮下発電所と宮下ダムの脇を通る。ダム湖は深緑の水をたっぷり湛えていた。

 

 

その後、「第三只見川橋梁」を渡り、下流側を眺めた。国道252号線高清水スノーシェッドを取り囲む木々は、これから色付きを始めるような様子だった。

 

反対側の席に移動し、上流側を眺めた。人工物がほとんど見えないこの空間が、色付く季節が待ち遠しくなった。

 

 

列車は、渡河後に滝原と早戸の二つのトンネルを潜り抜け、早戸に停車。 


  

早戸を出発すると、三島町から金山町に入り、8連コンクリートアーチの細越拱橋を渡る。

   

 

会津水沼を出発後、下路式トラス橋の「第四只見川橋梁」を渡る。現運休区間(会津川口~只見)に架け替えられた「第六只見川橋梁」と「第七只見川橋梁」は開放的な上路式から、この「第四」と同じ下路式に変わっている。

 

 

列車が会津中川を出発し、終点が近付き減速する頃、振り返ると大志集落が見えた。青空ではなかったが、東北電力㈱上田発電所の上田ダム湖が創る水鏡は冴え、綺麗に景色を映していた。

 

終点を告げる車内放送が流れる中、ゆっくりと林道の上井草橋をくぐった。

  

 

 

8:06、現在の終点となっている会津川口に到着。

  

県立川口高校の生徒を中心に10名ほどの客が降りた。

   

ここから先、只見までの27.6㎞が「平成23年7月新潟福島豪雨」の被害を受け運休しているが、来年度に約11年ぶりに復旧する。*参考:東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間) 復旧工事の状況について」(PDF)(2021年7月28日)

    

駅舎を抜けると、駅頭に代行バスが停車していた。駅舎には“祝、只見線開業50周年”の垂れ幕が掛かっていた。

8:15、代行バスが出発。客は私一人だった。代行バスは只見線に沿い、交わって延びる国道252号線を走った。 

 

 

本名“駅”を出て、国道を進むと、本名バイパス工事現場となり、前方に真新しい本名架道橋の橋桁が見えた。

 

国道の左直角カーブを曲がり、東北電力㈱本名発電所・本名ダムの天端(本名橋)を渡り、新「第六只見川橋梁」を見下ろした。右岸のケーブルエレクション工のアンカー撤去の、大型クレーンが目立っていた。

 

 

会津越川“駅”、会津横田“駅”を経て、二本木橋を渡り、橋上から上流側に目を向け、架け替え工事が終わった新「第七只見川橋梁」を眺めた。旧橋と同色の鋼材トラスは風景に溶け込み、真新しいコンクリート製の橋脚が際立っていた。

  

 

会津大塩“駅”を出て、滝トンネルを抜け、只子沢を渡り金山町から只見町に入る。只子沢橋から電源開発㈱滝発電所の滝ダム湖を眺めた。

只見線はこの付近は滝トンネルになっていて、復旧後はこの景色が見られなくなる。滝ダムにむかって大きく蛇行したこのロケーションは、“観光鉄道「山の只見線」”にとって捨てがたい。ダム湖ではカヌーやハサップ、河岸ではキャンプなどのアクティビティができる環境が整備できないものだろうか、と私は思っている。

   

塩沢スノーシェッドを抜けると、会津百名山「鷲が倉山」(918.4m)が滝ダム湖に綺麗に映っていた。

 

会津塩沢“駅”を出て、寄岩橋から会津百名山「蒲生岳」(828m)を背景に「第八只見川橋梁」を眺めた。擁壁新設工事の仮設は撤去されていたが、多くの作業員が路盤上で作業していた。

  

会津蒲生“駅”手前、宮原集落を過ぎのカーブの先から会津百名山「浅草岳」(1,585.4m)を眺めた。只見線が復旧すれば、少し高い位置から、この構図の風景が見られるはずだ。

 

只見線最長の橋梁、叶津川橋梁(372m)を潜り、叶津川に架かる堅盤橋から橋梁全体を眺めた。ここを列車が走る姿が楽しみだが、黒煙を勢いよく噴き出して駆け抜けるSLだったら絵になるだろうな、と思った。

 

 

 

9:05、只見に到着。

  

代行バスを降りると、まもなく「定期ワゴン 自然首都・只見号」が駅頭に付けられた。

9:10、「自然首都・只見号」が、私一人を乗せて出発。

 

 

 

 

 

9:39、「自然首都・只見号」は伊南川沿いに延びる国道289号線は順調に進み、只見町内最後のバス停である梁取集会所前に到着。さっそく自転車を組み立て、出発した。

 

 

9:53、「自然首都・只見号」と同じルートとなる国道289号線を進み、南会津町に入った。

 

片貝地区を進んでいると、先月登った会津百名山「明神岳」(766m)と、南郷スキー場を挟んで、同じく会津百名山「宮床湿原」(825m)がある山間の窪みが見えた。

 

界地区の国道401号線との交差点を過ぎ、伊南川の左岸に連なる山々を眺めると、今回の旅で登る予定の会津百名山「大博多山」(1,314.8m)の頂の一部と、前衛峰が見えた。

  

 

10:16、JA会津みなみ「西部グリーンセンター」に到着。旧南郷村の特産品「南郷トマト」の選果所になっていて、直売所「なんごう直売所」が併設されている。今回のキャンプでは「南郷トマト」を食事の主役と考えていたため、立ち寄った。

 

国道沿いには小屋が二つあり、手前は「南郷トマト」だけのものだった。ほとんどが青く、とりあえず小ぶりだが赤いものを手に取った。地元の方と思われる方は、何のためらいもなく青トマトを手にしていたのが、この時は不思議だった。

 

隣りの小屋に行き、他の野菜を見た。ピーマンとネギを選んだ。

会計をするため奥の建物に行き、『トマトがほとんど青いんですが...』と聞くと、店員の方から『置いておくと、赤くなりますよぉ』とサラッと言われた。地元では、青トマトが日常なのだと思い、郷に入っては郷に...という言葉に納得した。

会計を済ませ、再びトマト小屋に行き、大きな青い「南郷トマト」を一袋手に取り、レジに舞い戻った。

 

  

買い物を済ませ、自転車にまたがり国道を進んだ。上から強い陽射しが照り付け、汗がどんどん噴き出してきた。

 

10:38、旧南郷村の中心部・山口地区に入る。只見町と南会津町西部地区、檜枝岐村を担当する県山口土木事務所がある。

梁取集会所前で降りた「自然首都・只見号」はこの山口地区から東南に進路を変える国道289号線を進み、会津鉄道会津田島駅に向かう。ここに「自然首都・只見号」の停留所があったら良いとは思うが、只見町が運営しているためか、南会津町内は、会津田島駅の他、県立南会津病院にしか停留所は無い。

 

国道289号線と分岐し、重複区間を終え名え変えた国道401号線を直進し、山田屋ストアーに立ち寄った。

  

味付きマトンを200g購入。店員に聞くと、何gでも、希望の量を分けてくれるという。

 

 

南郷橋で伊南川を渡り、国道から、交通量の少ない左岸に延びる県道351号(大倉大橋浜野)線に向かった。流れは清々しく、渕は深い青だった。

 

この後、県道にも大きな起伏は無く、陽射しが遮られた木々の間を、快適に自転車を走らせた。 

  

 

キャンプ場のある青柳地区に入る。日本遺産「御蔵入三十三観音」の 第26番札所である「青柳観音堂」が右に見えてきた。正面に自転車を停め、参拝した。 *参考:日本遺産「会津の三十三観音めぐり」 御蔵入三十三観音

    

「青柳観音堂」から集落の中を通り700mほどで、久川に掛かる久川橋を渡った。

  

橋を渡った直後、右角にキャンプ場を示す縦看板があった。右に曲がり、久川沿いに延びる林道を進んだ。

  

すると、前方に“久川里の碑”と刻まれた巨石が現れた。

  

手作り感満載のターゲットバードゴルフ場の脇を通り過ぎ、法面を刈り払いしている地元の方々に挨拶をし進むと、久川の支流・滝倉川が見えてきた。

 

滝倉川橋の先一帯がキャンプ場になっていた。

 

  

 

11:11、「久川ふれあい広場キャンプ場」に到着。只見町の梁取集会所前停留場から 1時間10分で到着。管理室は施錠され誰もおらず、敷地にテントは一つもなかった。

   

テント設営前に、まずは、敷地を見て回った。想像以上だったのが、テントサイト以外も刈り払いされた敷地全体。事前の情報通り、地元の方の手で守り維持されている事を実感した。 

広場には、木製のベンチや机が置かれ、使えるかどうか不明だが机には炭火用の鉄網が置かれていた。

  

敷地の奥に進んだ。

  

突き当りは滝倉川左岸の護岸壁上部だったが、ここまでは刈り払いされていなかった。

  

突き当りから振り返って、敷地を眺めた。砂利車道の両脇もフリーサイトとになっていた。

  

山側は杉が間伐され、密にはなっていなかった。これならば、熊はキャンプサイトまで近づけないだろうと思った。側溝も綺麗にされていて、よく管理されている事が分かった。

  

滝倉川沿いのフリーサイトは、少し広めだった。

  

管理棟は焼き板風の外観だった。 

 

施錠されている管理室内は、使用感があり、定期的に地元の方が出入りされているのだろうと思った。

  

場内の設備には、新型コロナウイルス対策についての張り紙があり、消毒液も設置されていた。入口には、大きな看板が立てられていた。管理されている青柳地区の方々の、常在でなくてもやるべきことはやる姿勢に、頭が下がった。


施設の利用案内は、トイレに壁に大きく掲げられていた。受付については、看板にぶら下がっている利用者カードに必要事項を記入し、ポストに入れるようだった。

 

肝心の利用料金は、テントサイト利用料500円/24Hで使用料200円/1人1日、ということで、敷地の整備状況や水場の清潔感などを考えれば破格の設定だ。この料金は、管理棟中央に立つ緑ポストに投函し会計が済む仕組みだ。利用者の善意に依る料金受領の方法で、不払いもあるという。残念だ。

   

トイレは管理棟の左側にある。男女別で、スロープがあり多目的トイレが別途設けられていた。

 

土足利用ということで床の汚れが少しあったが、男子トイレは、大小別で、水洗だった。

 

大用は洋式で、ペーパーの予備も置かれていた。

  

  

炊事棟は一つ。

 

洗い場は対面式で、蛇口はそれぞれ3つあった。

 

焼き場は洗い場に背を向ける形で設置されていた。炭捨て場はなかった。ちなみに、ゴミ箱も無く、『ゴミは持ち帰ってください』という事だった。

  

「久川ふれあい広場キャンプ場」の敷地図は、以下の通り。

 

  

一通りキャンプ場を見て回って、テントの設営をした。

荷物は、宅急便で“久川ふれあい広場キャンプ場管理棟付け”、“本人受け取り”、“本人不在時、置配達可”で、午前中指定で送っておいた。私がここに到着した時には、既に管理室横のベンチ上に置かれていた。 

  

160サイズの段ボールを抱え移動し、それを広場中央のベンチに置き、テント設営場所を探した。

今は晴れているが、今夜から明日が台風14号の接近で雨風が強くなる可能性があったため、木立のそばが良いと敷地を見て回った。 

 

せっかく川が流れている事もあり、結果、滝倉川と林の間に決めた。

  

林は、広場の北側にあるスギとクリの混成林で、設営場所は、スギの大木の前。

  

   

晴れていたので、段ボールを明け、荷物をベンチに広げ、ゆっくりと設営。40分ほどで全て終えた。

 

台風一過後は、気温も上がるとの予報だったので、木陰も得られ、良い場所だと思った。

  

今回のキャンプでは、枕をもう一つ用意した。圧縮タイプで、広げると分厚くなった。

  

 

テント設営後は、買い出しに行った。

まずは、薪の調達。事前に、近所にある森林組合に連絡すると『〇㎥の販売』『(南の旧舘岩村にある)舘岩支所ならキャンプ用の薪を束で販売している』(スギ:300円/束、ナラ:400円/束)と言われたが、自転車で移動している事を伝えると、ありがたいことに『舘岩支所から持ってきて用意しておきます』と言われていた。

 

20分ほどで、南会津町森林組合伊南支所・伊南林業総合センターに到着。

薪は玄関に用意されていて、担当の方に今回のお礼を言い、会計を済ませカートに固定した。今回は火持ちするナラを選び、3束購入した。

 

自転車に固定して、ゆっくりと漕ぎだし、森林組合を後にした。

  

  

食料品の買い出しの前に、地元紙(福島民報、福島民友)に写真付きで掲載されることもある「古町大イチョウ」を見に、旧伊南小学校に向かった。

 

まだ色づいてはいなかったが、幹は太く、枝葉は茂り、立派な木だった。

 

「古町大イチョウ」は河原田氏の重臣宅の庭樹で、“乳の神”として信仰を集めていたという。福島県指定記念物で、「ふくしま緑の百景」にも選ばれている。*参考:「福島の山とスケッチ」URL:http://ohkoshi.la.coocan.jp/fukusima100/fukusima100.html

 

 

「古町の大イチョウ」を後にして、次は伊南村役場だった南会津町伊南総合支所に向かった。

 

古町への鉄道敷設計画や桧枝岐川と伊南川の名称の違いについて尋ね、丁寧に応対していただいた。『詳しい事を知りたい場合は、田島地区にある「御蔵入交流館」に居る文芸員に聞いていただければ』、と言われ用件は済んだ。役場の方すべてが地元の歴史に詳しいはずもなく、余計な事に時間を取らせてしまった。

 

 


役場を出て食品の買い出しに行く。キャンプ場から最も近いフクエストアーに入った。 

店内には食料品の他、「花泉」を中心に南会津町や会津地方の日本酒が並び、ご婦人用を中心に衣料品も並べられていた。 フクエストアーでは、氷とビール、「花泉」辛口の四号瓶、卵などを購入した。

  

 

     

「久川ふれあい広場キャンプ場」に戻り、入手した食料などを整理した。「なんごう直売所」で手に入れた野菜を眺め、4泊5日の献立を考えた。

 

落ち着いたところで、買ってきたビールを開け、本日最初の一杯を呑んだ。旨かった。

  

  

キャンプの初食事となる夕食は、赤くなっている小ぶりの「南郷トマト」と、山田屋ストアーで入手したマトンでバーベキューにした。

マトンは、柔らかく、タレもまろやかで旨かった。ピーマンと一緒に食べると、良く合い、ビールも進んだ。

  

〆は、焼きトマト。丸ごと炭火で、じっくり焼いた。甘味が増し、デザート感覚で旨かった。

 

キャンプ場には、他男性2人組が二つのテントを設営し、キャンプ場を独占とはならなかったが、静かな夜になった。

 

明日は、雨予報のためキャンプ場で一日過ごす予定。明後日からの「会津百名山」“古町三座”登山を思い描き夜を過ごした。

   

 


 

 

[ 追記(9月18日)]
久川ふれあい広場キャンプ場 二日目

 

今日は雨予報だったが、朝は未だ雨は降らなかった。

 

この日は、台風14号接近が予測されていたので、登山をせずに過ごす予定を立てた。

 

朝食は、たっぷりのオリーブオイルでピーマンを炒めてから、「南郷トマト」を入れて、スクランブルエッグを作った。

 

カットした「南郷トマト」と一緒に、ゆっくりと食事を摂った。

    

  

日中、雨は降ったが、本降りにならなかったため古町市街地に出かけた。国道沿いにある若松屋ストアーで、スライスチーズと蚊取り線香を買ってきた。昨夜は、両膝下を中心に50箇所以上蚊に刺されていたため、どうしても蚊取り線香が必要だった。

虫刺され用の塗り薬も欲しかったが、古町を含む旧伊南村地区の薬局は無くなってしまい、田島地区まで行く必要があると言われた。車が無ければ生活に支障が出てしまう、山村地域の現状を目の当たりにした。

  

  

場内には、テントが2組分増えていた。

 

 

夕食は、このキャンプを計画する際に作りたいと思っていた、「南郷トマト」のステーキ。

昨日、「なんごう直場所」で手に入れた青トマトのうち一つが赤くなっていた。このトマトを分厚く輪切りにして、熱したオリーブオイルの上にのせた。

 

塩と胡椒で味をつけ、両面を中火でじっくり焼いて、火を止める直前にスライスチーズをのせて完了。皿に移してバジルを振りかけた。

旨かった。「南郷トマト」の特徴か、持ち上げても中の実は外に出ず、肉厚で旨味のある果肉に焦げ目がつき風味が増し、噛む度に酸味と甘み、チーズの濃厚さは想像以上に相性が良く、たまらなく旨かった。

結局、都合3切れを全てステーキにして食べた。

 

 

夜は、細かい雨粒が落ちた時間もあったが、それ以上は降らず、焚き火をすることができた。

南郷トマトのステーキの後は、日本酒を呑むことにして、ツマミはサンマとイワシの缶詰にした。

 

それぞれネギをのせバーナーで温め、「花泉」の辛口と合わせた。今年のGWに「奥会津昭和の森キャンプ場」で天候不良でできなかった“焚き火を見ながらチビチビ”をすることができ、嬉しく心地よい夜になった。

 

呑みながら、スマホの地図アプリを見て、只見線から遠く離れた位置に自分が居る事を確認した。

  

 


 

 

[ 追記(9月19日)]滞在三日目
久川ふれあい広場キャンプ場→ “古町三座” 大博多山 登山 

*参考:拙著「南会津町「大博多山」登山 2021年 晩夏」(2021年9月19日) 

〇キャンプ場(発)9:03→「大博多山」登山口(着)9:40:距離4.4km/所要時間37分

 

一等三角点峰で、登山口は一つ。尾根上(1,062m)までは急登でヒモ場が連続した。

 

〇「大博多山」登山口(750m)→「大博多山」山頂(1,314.8m):所要1時間28分

 

キャンプ場に戻ると、連休の中日ということもあってか、多くのテントが張られていた。夜も華やかで、賑やかだった。

 

 


  

 

[ 追記(9月20日)]滞在四日目

久川ふれあい広場キャンプ場 →“古町三座” 尾白山 登山 

*参考:拙著「南会津町「尾白山」登山 2021年 晩夏」(2021年9月20日)

〇キャンプ場(発)9:11→「尾白山」登山口(着)9:51:距離4.6km/所要時間40分

 

登山口は二つ(小塩口、宮沢口)で、標高874mで合流。1,179m峰に達した後は、南裾が見通しのよい低木・灌木帯で“空中散策”を楽しめた。

 

〇「尾白山」宮沢登山口(670m)→「尾白山」山頂(1,398m):所要2時間7分

 

キャンプ場に戻ると、ほとんどのテントが撤去され、利用者は他2組だった。“中秋の名月”前夜の眩しいほどの月明かりが、静かなキャンプ場の夜を照らし続けた。

 

 


 

 

[ 追記(9月21日)]滞在五日目
久川ふれあい広場キャンプ場→ “古町三座” 唐倉山 登山 

*参考:拙著「南会津町「唐倉山」登山 2021年 晩夏」(2021年9月21日) 

〇キャンプ場(発)8:11→「唐倉山」登山口(着)8:59:距離5.1km/所要時間48分


登山路は一筆書き。「屏風岩」で尾根に登った後も、岩場が続き、唐“倉”山の名に違わぬ岩山だった。

 

〇「唐倉山」登山口(767m)→「唐倉山」山頂(1,175.8m):所要1時間15分

 

  

“古町三座”の登頂を終えて。

  

今回、新型コロナウィルスの影響か、“古町三座”登山では、登山口・登山道で誰一人とも会う事が無かった。「大博多山」と「尾白山」の山開き登山は来月に予定され、「唐倉山」は平日に登ったため、致し方ないとも思ったが、、“古町三座”のそれぞれの山の魅力を考えると、 もったいないと思った。

 

“古町三座”はユニークな山岳アクティビティのコンテンツとして“観光鉄道「山の只見線」”の利活用策に、是非加えて欲しい。 冒頭でも述べたように、南会津町は会津鉄道(旧国鉄会津線)沿線の町だが、旧南郷村と伊南村地域は、只見線とは“国鉄古町線”という縁があり、只見町から伊南川で“陸続き”ということで、只見線の観光振興策に加える事に支障は大きくないと思う。

 

 “古町三座”が只見線の山岳アクティビティとしてに認識されるためには、やはり二次交通が大きな課題になる。現在、只見駅からは伊南川沿いに「定期ワゴン 自然首都・只見号」が走っているが、停留所はほぼ只見町内に限られ、南会津町内は県立南会津病院前と発着地の会津鉄道・会津田島駅だけだ。他方、会津田島駅からは古町地区に路線バスが走り、“古町三座”それぞれの登山道に続く林道の国道・県道沿いに停留所がある。 *参考:会津乗合自動車㈱ 山口営業所 URL:https://aizubus.info/timetable/result/?no=654

私のように輪行すれば現行のままでも問題無いが、広く観光客(登山客)を呼び込めない。そこで当面の解決法として、「自然首都・只見号」が旧南郷村山口地区に停車するようにして、①路線バスと連絡できるようにする、②レンタル自転車を設置する、事が考えられる。 これを実行するためには、まずは、南会津町の旧南郷村と伊南村の両地域が、只見線乗客の観光圏であることを認知させ、只見駅からの客の流れを作る事が望まれる。もちろん、会津田島駅から“古町三座”に登り、只見駅から只見線を利用するという流れもあり得る。そして、福島県が調整に入り、「自然首都・只見号」の“山口停留所”設置を実現して欲しい。

 

 “観光鉄道「山の只見線」”の認知と集客に向けた只見線の利活用事業は、来年度の全線再開通に向けて種を蒔いている状態だ、と私は認識している。11年振りに復旧し、第二の全線開業が報じられ只見線の存在に触れる国内外の方々が、『只見線に乗って、会津百名山に登りたい』『伊南地区まで足を延ばし、“古町三座”に登ってみたい』と考え、現地に訪れて欲しい。

 

 


 

 

【キャンプ場周辺の主な施設】 *撮影9月18日~21日

  

(1)南会津資料館 伊南館 *南会津町観光物産協会 URL:https://www.kanko-aizu.com/miru/581/

「久川ふれあい広場キャンプ場」から約500mほど離れ、歩いてでも行ける場所にある。

 

入館料は300円。

 

内部は旧伊南村を含む、伊南地域の古代から近代までを、出土品や写真、パネルを使って展示していた。

 

近世組図を見ると、伊南地域は古町組と熨斗戸組に分かれていた。

  

館内で最も展示面積が広く、目立っていたのが久川城跡に関するもの。

 

巨大なクリアケースに納められた久川城跡のジオラマは、この山城が本格的なものであった事を伝えていた。

 

 

 

 

(2)久川城跡 *南会津町観光物産協会 URL:https://www.kanko-aizu.com/miru/567/

その久川城址は、南会津資料館伊南館の斜向かいにある。全体が城郭であったという小高い山の手前には、まだ新しいと思われる、“久川城跡”と書かれた巨大な看板が設置されていた。

 

会津藩の地誌「會津風土記」(初代会津(松平家)藩主・保科正之が寛文年間(1661~72) に山崎闇斎に命じて編修させた)を、第7代藩主・松平容衆が1803(享和3) 年に増補改訂させ、1809(文化6)年に編纂が完了した「新編會津風土記」(全120巻)のの古町組下十三箇村の青柳村の項に、「久川城迹」の記述がある。*出処:新編會津風土記 巻之四十四「陸奥國會津郡之十六 古町組下十三箇村 」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第31巻」p236~238 URL:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179202)

●青柳村 ○古蹟 ○久川城迹
村南四町にあり、東西一町南北四町、東西北三方に乾隍を廻す、北を本丸とし二丸三丸其南につづき間に堀切あり、東を追手とす、桧枝岐川其麓を浸す、北に搦手に構へ久川一條の長流を阻つ、西に山を擁し南は曠野に連なる、屈曲して登ること二町餘土人七曲と称す、古木茂り、山下の東北にも外隍の形遺れり、東の麓に升形の趾たりとて石垣猶存す、天正中河原田盛次住すと云、盛次は古町村の館にありしに伊達氏の勢攻寄すべきよしを聞き、彼地要害悪しければ新に此處に城築し據て攻守りしと云、蒲生氏の時に至りて、氏族蒲生忠右衛門某と云者居りしと云 


 

城址への入口は3箇所あると言われている。北から搦手口(青柳七曲坂)、大手口(小塩七曲坂)、林道小塩・塩ノ岐線から駐車スペースを経て南之丸跡に通じる“観光用口”。

林道小塩・塩之岐線は、県道351号(大倉大橋浜野)線を南に進むと入口がある。「尾白山」小塩登山口の入口も兼ねていた。

 

林道を進むと、刈り払いされた山城の土手が見えてきた。

 

そこから少し進むと広い空間になり、案内板が設置され、盛土された道が南之丸跡に続いていた。

 

“観光口”の道は作業道も兼ねているようで、轍がついていた。

   

城内に入ると、木は茂っていたが、密集しておらず、また刈り払いされていたので、城の輪郭がほぼ分かるような状態だった。


案内板(標杭)もあり、安心して散策できるようになっていた。

 

刈り払いはかなり広い範囲まで行われていて、山城の形状が良く分かった。手入れ具合に、地元の方の愛着を感じた。

 

城跡は意外と高い位置にあったようで、麓の見晴らしが良かった。

伊南川の上流、右岸の山側に近づく付近のその山(840.2m)に、この久川城に移る前の駒寄城があった。
時代が下り、蒲生氏の治世で、伊南川左岸の久川城下を“新町”と名付け、右岸に残る駒寄城下(伊南ノ町)を古町と改めた事が納得できる眺めでもあった。古町は規模が大きかったため現在まで残り、“新町”は伊達襲来に対する生活より軍事を優先した急ごしらえの町だったためだろうか、現在は街の面影はなく田圃になってしまっている。

  

  

城内に建物は神社だけで、他は見当たらなかった。空堀など、土地の形状を見て回った。

 

 

一つの山が城を為している通り、城内は広く少し迷ったが、うっそうと茂ったマツ林に搦手口跡に続く青柳七曲坂を見つけ、下った。九十九折になっていて、ここから入る場合、短い登山のつもりで来た方が良いと思った。

   

搦手口跡に到着。小さな赤鳥居があり、案内板と石名標が置かれていた。 

 

 

伊南川に架かる大手門橋から、久川城跡を眺める。築城に適した天然の要害であると実感した。


 


 

 

(3)照国寺

城主・河原田氏の菩提寺で、日本遺産「御蔵入三十三観音第25番札所」になっている。

  

山門は町の有形文化財に指定されていて、1725(延享2)年(徳川8代吉宗の治世)に再建されたもので、奥会津地域最大のものであるという。

南会津町指定/有形文化財 「照国寺の山門」 平成8年1月24日指定(旧伊南村指定)
一、所有者:金光山照国寺
二、所在地:南会津町古町字小沼2025番地
この山門は、天正17(1589)年、伊達の大軍が伊南の地に入り、久川城の河原田盛次との攻防で焼失してしまった。その後、150余年に渡って山門がなかったが、寺の復興とともに延享2(1745)年に再建されたと伝えられている。現存する山門では、奥会津最大のものである  山門は、縦二間、横二間の鐘楼門で昔は茅葺であったが現在はトタン葺きに改装されている。楼上には釣鐘(全長120cm、径57cm) が下がり「金光山」の額が掲げられている 。
南会津町教育委員会

  

「新編會津風土記」(1809(文化6)年編纂完了)の古町組下十三箇村の古町村の項に、照国寺の記述がある。

○古町村 ○寺院 ○照国寺 境内東西二十四間南 北四十一間年貢地
小名遥成にあり金光山と號す、近江國蓮華寺の徒一阿と云僧を請て住せしめ、寺産許多を寄附し塔頭十餘宇ありてさばかりの梵宇なりと云、其後も河原田氏の臣芳賀守安房某と云もの及び其支族年檀越の因ありて什物も多かりしが、天正十八年の兵爨に罹り佛像及び寺寶数箇を遺し餘は悉く亡せしとぞ、寛文の頃までは猶塔頭四宇ありしと云
△鐘楼門 客殿の南にあり、三間四面金光山と云額あり、風早前大納言(諱を傳へず)の筆なり、鐘径二尺五寸、寛政七乙卯六月當山二十一世眞阿俊長再興と彫附あり

 

 

 

 

(4)古町温泉 赤岩荘 *古町温泉 赤岩荘 URL:http://www.sayurinosato.co.jp/akaiwa/index.php

露天風呂の、赤褐色の湯が特徴の日帰り温泉施設。男女別、源泉かけ流しの内風呂と露天風呂がある。現在、新型コロナウィルス感染防止から、内湯は町民だけの利用となっていた。

 

玄関を入ってすぐに受付があり、休憩室の前を通り扉を開けると、露天風呂棟の渡り廊下になった。

 

 露天風呂(男湯)の脱衣所。洗面台は無かったが、ドライヤーは置かれていた。

 

露天風呂(男湯)。二槽あり、奥は源泉が流れ込んでいるため、とてつもなく熱かった。

[古町温泉 含有成分等]
・温泉名:古町温泉
・泉質:ナトリウム-塩化物泉
・泉温:53.1℃
・水素イオン濃度 : ph6.8


露天風呂の洗い場。二箇所有り、シャワーの温度調節と湯勢は問題なかった。据え置きのボディソープとシャンプーがあった。

食堂を兼ねた休憩室は30畳と広く、ゆったり休む事ができた。他、18畳敷の休憩所もあるということだが、今回は開放されていなかった。 

 

 

 

  

(5)会津高原INAキャンプビレッジ 

伊南川の右岸側、古町の市街地から小滝川沿いを上ること2㎞ほどの場所にある。事務所兼売店の建物と、サイトの入口に受付をする小屋があった。

 

坂を下ると、小滝川の狭い河岸に連なるサイトがあった。 

 

全55のオートサイトで、芝が綺麗に刈り揃えられ上品な雰囲気だった。

 

AC電源と水道付きのサイトは23箇所。洗い物は炊事場を利用することになるという。

 

小滝川に下りられるようスロープも設けられていた。川遊びができる。

  

 


 

 

[ 追記(9月21日)]滞在五日目
“古町三座”踏破→久川ふれあい広場キャンプ場 撤収

 

朝、何度も繰り返される、異音に目を覚ます。クリの実が、地表に落下する音のようだった。

テントを出て管理棟の方を見ると、作業をするご婦人の姿があった。炊事棟の掃除や片付けから、トイレの掃除やペーパーなどの補充をされていた。どうやから、このキャンプ場を管理されている青柳地区の方のようだった。

ご婦人に近づき、話を聞いてみると、毎日訪れ、設備の汚れやトイレットペーパーなどの不足を確認し、掃除や補充をしているという。気になっていた、無人料金支払(緑ポストに利用・使用料を入れる)について尋ねると『払わない方も居るようです。また、1円玉や5円玉が入っている事がある。(税込みの料金で)端数が出る事もないので、私たちは、正規の料金を支払った上での“気持ち”として考えている』という事だった。無人ということで、料金を支払わず“タダ乗り”している残念な方がいるばかりでなく、1円や5円玉を入れるという無神経さにも腹が立った。“気持ち”を表すチップならば、1円5円ではないだろう。

定期的に行われいる場内の草刈りや刈り払い、掃除や備品補充のおかげで、「久川ふれあい広場キャンプ場」は管理人非常在でありながら、快適な空間になっている。しかも、利用・使用料は破格だ。

 

「久川ふれあい広場キャンプ場」が“、今後もあり続けるためには、利用者が必ず料金を支払ってくれる”という善意に依らない方法を考える必要があると思った。幸い、キャンプ場の入口は滝倉川橋一箇所なので、有料駐車場などにあるゲートを、改良した形で無人の料金受領システムを導入するのはどうだろうか。全国の他無人キャンプ場に導入されている料金受領システムがあればそれを参考に、なければ国や県が行う観光地整備事業に応募し、補助金を得て開発・設置するという道もある。「久川ふれあい広場キャンプ場」を支える青柳地区の有志の方々が、気持ちよく作業に携われるよう、南会津町には対応して欲しいと思う。

 

 

 

 

「唐倉山」登山を終えて、キャンプ場に戻る。昼食を摂った後、テントなどを乾かしながら収納し、ゆっくりと撤収作業を行った。

 

途中、昼食を摂り、2時間ほどかけて撤収作業を終えた。4泊5日、“古町三座”のベースキャンプとなった設営場所は、ただの空き地になった。お世話になりました!

 

 

荷物を詰めた段ボールを、管理棟前のベンチに置いて、帰る準備をして料金を緑ポストに入れた。4泊5日分で2,800円(サイト使用料500円×4日+利用料200円×4日)也。

 

15時前に、前日に集荷依頼していた宅急便のトラックがやってきた。管理室は無人だが、着払いならば荷送人不在でも集荷は可能との事だった。

 

 

14:59、「久川ふれあい広場キャンプ場」に別れを告げ、「自然首都・只見号」のバス停がある梁取集会所前に向かった。

 

 

 

 

県道351号(大倉大橋浜野)線を北に進んだ。大橋地区に入り、南郷橋で対岸の山口地区に渡る。橋上から伊南川上流を眺めた。

  

山口地区で用事を済ませ、大宮橋を渡り、再び伊南川の左岸に延びる県道351号線を進んだ。

 

15:51、鹿島橋を渡り、界地区から国道289号を進み、只見町に入り5日間お世話になった南会津町を後にした。振り返って、一礼。天候に恵まれ、無事に“古町三座”に登頂ができ、登山の道すがら素晴らしい景色が見られ、良い旅になった。

   

 

「久川ふれあい広場キャンプ場」は素晴らしいキャンプ場だった。

また、“古町三座”の登山口まで、それぞれ5㎞以内ということで会津百名山をまとめて攻略できる基地として利用することが無理ではない事が分かった。

この、キャンプと登山という山岳アクティビティは、“国鉄古町未成線終着駅”の観光資源ということも合わせて、只見線利活用のコンテンツとして加えて欲しいと思った。

アクセスは、今回利用した「定期ワゴン 自然首都・只見号」を、只見線利活用事業として福島県主体で運行し、南会津町旧南郷村の山口地区に停留所を設けることで、各段に改善する。

 

山口地区からキャンプ場のある青柳地区まで路線バスがあり、距離も約7㎞で伊南川沿いのほぼ平坦な道を進むということからレンタルサイクルでも無理はない。グループ利用ならば、タクシーという手段もある。

 

キャンプ場の設備について。

基本無人だが、定期的な管理はなされており、利用上大きな不足は無いと感じた。ただ、長期滞在する場合、電源やWiFi設備があれば良いとは思った。これから、県などの補助制度があれば、是非申請し整備して欲しいと思う。

 

キャンプ用品や飲食料の調達について。

宅急便(ヤマト運輸)は、行き(荷受人不在でも管理棟脇に置配OK)ー帰り(集荷OK、荷送人不在でも着払い伝票使用で発送OK)で対応してもらえた。他、佐川急便やゆうパックがどうか分からないが、伊南郵便局が近い(1.6㎞)ので、カートなどがあれば受取(発送)が可能だと思う。

 

管理人が常在でないということもあり、テントなどのレンタル用品は無いようだが、貸出時間を限定すれば対応可能ではないかと思う。タープや焚火台など、あるとキャンプの質が高まる備品のレンタル品を揃え、レンタルできれば、只見線を利用してやってくるキャンパーには助かると思う。また、ガス缶(OD缶)や薪など、地元の店では販売していないキャンプの必需消耗品も販売してもらえれば助かる。店はフクエストアー(1.6㎞)、若松屋ストアー(2.2㎞)と近いが、OD缶は取り扱っていない。薪については、今回は森林組合・伊南支所の方の好意で舘岩支所から調達していただいたが、伊南支所は㎡売りとなっている。また、伊南支所は約3㎞と離れ、薪運搬の労力を考えると、管理棟での販売が望まれる。

 

“古町三座”に登りたいが、キャンプではちょっと...という方は、民宿がある。小塩地区にある「民宿 田吾‶作」だ。「久川ふれあい広場キャンプ場」から、県道351号線を「尾白山」方面(南)に1㎞ほど進む。伊南川が目の前のということで、鮎釣りの宿としても使われているようだ。他、古町地区には「須賀屋」などの旅館もある。

  

冒頭でも記したように、当地のある南会津町旧伊南村と旧南郷村は、只見川の支流・伊南川沿いで、国鉄当時に只見駅から分岐する“古町線”敷設が考えられていた事から、観光客誘客の戦略として只見線沿線として組み込みメリットはあると思う。南会津町の一部という事になるが、史実からの物語を重視すれば、飛躍は無いと思う。こうなれば、先月登った「明神岳」「宮床湿原」に“古町三座”を加えると、五座の会津百名山が加わる事になる。ちなみに、南会津町旧南郷村地区には、昭和村にまたがる「駒止峠」-「駒止湿原」の会津百名山もある。

 

南会津町旧南郷村と旧伊南村地区の“古町三座”や「久川ふれあい広場キャンプ場」が、只見線利活用の山岳アクティビティに加わり、只見線の乗客や下車後の滞在時間の増加に役立ち、沿線の活性化につながる事を期待したい。

 

 

(了)

 


・  ・  ・  ・  ・

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)復旧工事の完了時期について」(PDF)(2020年8月26日)

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。 

 ①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

  

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

  

 以上、宜しくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)し、2022年10月1日(土)、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、車窓から見える風景写真を中心に掲載し、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す只見線の乗車記や「会津百名山」等の山行記、利活用事業に対する私見等を記します。

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