南会津町「明神岳」登山/「宮床湿原」トレッキング 2021年 夏

観光鉄道「山の只見線」”沿線の「会津百名山」登山。今日は只見町に隣接する南会津町の旧南郷村地域にある「明神岳」に登り、「宮床湿原」を散策した。

 

南会津町には、只見線は通っておらず、只見駅からも伊南川を沿うと20kmほどに町境があり、厳密には“只見線沿線”ではない。南会津町は、中心地である旧田島町地域を走る会津鉄道(西若松~会津高原尾瀬口、旧国鉄会津線)沿線との言われ方が一般的だ。

しかし、かつて只見駅から南会津町の旧伊南村の古町まで、伊南川の河岸段丘に鉄道を敷設する計画があったことを考えると、只見線と南会津町は無縁ではない。

「鉄道敷設法豫予定線路説明」(p39) (大正9年12月)より引用
29 柳津 小出 間
本線路ハ既定線會津若松、柳津間路線ヲ延長シテ福島、新潟ノ縣界ヲ經テ上越線ノ小出二達ス此ノ延長七十哩ナリ…(中略)...經過地ハ新潟縣下ハ破間川、福島縣下ハ只見川ノ流域二屬シ豐富ナル林纊物資ヲ包藏スルヲ以テ本線路ノ敷設ヲ俟チテ天與ノ利源ヲ啓キ産業ノ發展ニ資スル…(以下、略)
  只見 古町 間
本線ハ柳津、小出間路線ノ只見ヨリ分岐シ只見川ノ支流伊南川ノ流域二沿ヒ古町ニ達ス 此ノ延長二十二哩ナリ 而シテ伊南川ノ流域ハ往古ヨリ御蔵入地方と稱セラレ豐富ナル林纊物資ヲ包藏ス 本線路ノ敷設ヲ俟チテ交通ノ不便ヲ一掃シ 沿道ニ連亙セル原生林ノ開發ヲ促シ産業ノ發展ニ資スル二足レヘシ
*出処:国立国会図書館「鉄道敷設法豫予定線路説明」URL: https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1916482


この未成鉄道“古町線”沿線には、只見町に「金石が鳥屋山」「会津朝日岳」、南会津町に「明神岳」「宮床湿原」「唐倉山」「大博多山」「尾白山」などの「会津百名山」がある。

前述したように只見駅から町境までは20㎞ほど離れているが、現在は只見駅から会津田島駅(会津鉄道)まで、只見町観光まちづくり協会が運行している「定期路線ワゴン 自然首都・只見号」という二次交通があるため、輪行すれば只見線を利用した“古町線”沿線の「会津百名山」登山は、それほど無理なく行える。“観光鉄道「山の只見線」”のコンテンツは多いほど、また関係自治体が多いほど良いと私は考え、南会津町内の“古町線”沿線「会津百名山」を登る事にした。

 

今回は、只見町との町境の旧南郷村地域にある、“古町線”が敷設されていれば“会津片貝”と“鴇巣(トウノス)”という駅ができていたであろう最寄りの、「明神岳」と「宮床湿原」の「会津百名山」に登り、散策しようと思った。 

「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社)に「明神岳」は第84座、「宮床湿原」は第87座として記載され、それぞれ以下の見出し文で紹介されている。

明神岳 <みょうじんだけ> 766メートル
南郷村虻ノ宮の集落を見下ろすように明神岳がそびえる。大蛇伝説は今も生きていて不思議な雰囲気が漂う。[登山難易度:初級]*出処:「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社)p102

 

 

宮床湿原 <みやとこしつげん> 825メートル
尾瀬と駒止湿原のようなはなやかさはないが、5月から7月にかけ、ミズバショウ・ザセンソウ・ワタスゲ・ニッコウキスゲが咲き誇り、8月にはハッチョウトンボが飛び交う。[登山難易度:初級]*出処:「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社)p108

 

 

ちなみに、「新編會津風土記」(1809(文化6)年編纂完了)には「明神岳」と「宮床湿原」の記述は見当たらなかったが、立地していた「界村」と「宮床村」の項があった。*出処:新編會津風土記 巻之四十五「陸奥國會津郡之十七」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第31巻」p250、p235) URL:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179202)

界村
此村とも堺に作る、寛文中今の字に改めき、伊南郷と伊北郷の界なる故名けりと云、府城の西南に當り行程二十里二十一町家敷三十六軒東西一町南北三町五十間、三方は山に傍ひ西に田圃あり...(略)

宮床村
府城の西南に當り行程十八里二十六町、家敷二十四軒、東西一町南北五十間、東は山に連なり西は檜枝岐川に傍ひ南北で田圃なり...(略)


 

今日の旅程は以下の通り。

・前泊した会津若松から只見線の始発列車に乗って只見に向かう

・只見駅前から「自然首都・只見」号に乗って、只見町内最後の停留所(梁取集会所)に向かう

・梁取集会所停留所から輪行した自転車で移動し、南会津町に入り「明神岳」に登る

・「明神岳」下山後に、南郷スキー場のゲレンデ内の林道を通り「宮床湿原」に向かう

・「宮床湿原」散策後に梁取集会所停留所に戻り、目の前にある「ねっか 奥会津蒸留所」を訪れる

・梁取集会所停留所から「自然首都・只見」号に乗って只見駅に戻り、駅前の宿にチェックインする

 

天気は晴れで、気温もそれほど上がらないという予報が出ていたため、気持ちよくサイクリングと登山ができるだろうと期待し、南会津町に向かった。

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)復旧工事の完了時期について」(PDF)(2020年8月26日)

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線沿線の“山”(登山/トレッキング)ー / ー只見線の夏

 




 

昨日、富岡町から常磐線、磐越東線、磐越西線と乗り換え会津入りする。猪苗代では車窓越しに会津百名山18座「磐梯山」(1,816.2m)が はっきり見えた。

 

会津若松駅前の宿の自室からは、今年6月に登った会津百名山89座「奴田山(青木山)」(723.3m)も見えた。

  

 

 

今朝、始発列車に乗るために、輪行バッグを抱え駅に向かった。上空には雲が広がっていた。

 

駅頭には、明日開業50周年を迎える只見線を祝う幟が複数立てられていた。

 

改札を通り連絡橋を渡り、只見線のホームに向かった。橋上からキハ120形2両編成を見下ろしたが、空一面に雲が広がり、右奥にある「磐梯山」は見えなかった。

6:03、会津川口行きの列車が会津若松を出発。先頭に2名、私が乗った後部車両には他1名で、合計4名という乗客数だった。

土曜日の下り始発列車の乗客は、コロナ禍以前もそう多くは無かったが、始発列車で見られる車窓の風景の価値を考えると満席でも不思議ではない、と私は思っている。「只見線利活用計画」の事業を進める福島県は、只見線の列車に乗る楽しみを周知し、車窓からの景色に外れの少ないこの始発列車の乗客を増やす取り組みをして欲しいと思う。

 

今日は只見町内に泊まるため、只見までの切符を購入。片道1,690円。

  

 

 

列車は七日町西若松と市街地の駅を経て、大川(阿賀川)を渡る。会津盆地は全体を雲に覆われていたが、列車が向かう奥会津は天候が違う事もあるため、青空に期待した。

  

会津本郷の直後に会津若松市から会津美里町に入り、列車は会津高田を出ると右大カーブを駆け抜け、真北に進路を変え田園の間を進んだ。 

 

根岸の手前で反対側の席に移動し、会津百名山61座「明神ヶ岳」(1,074m)に連なる西部山地を眺めると、所々に青空が見え、更に西の方、奥会津方面は雲が少ないように見えた。

  

  

列車は新鶴を出て、若宮手前で会津坂下町に入り、まもなく会津坂下に到着。上り列車を待つ高校生を中心とした多くの客の姿があった。

上り列車が出発した後、私の乗る列車も会津坂下を出た。客の乗り降りは無く、車内は閑散としたままだった。

  

 

短い田園区間を過ぎると、列車はディーゼルエンジンの出力を上げ、会津盆地と奥会津の境となる七折峠に向かった。

 

登坂途上、木々の切れ間から会津盆地を見下ろした。分厚い雲の様子が分かった。

列車は、峠の中の塔寺を経て、登坂を終えて会津坂本を出発すると奥会津の入口、柳津町に入る。 

  

 

会津柳津を出て、郷戸手前の“Myビューポイント”では、会津百名山86座「飯谷山」(783m)の山頂から雲が北に抜けてゆく途中のようだった。この先、列車を照らす太陽の光が強さを増していった。 

  

 

滝谷を出発した直後に滝谷川橋梁を渡り、三島町に入った。只見線の福島県側随一の美しさを持っている渓谷に、陽が差し込み、緑の陰影が作り出され綺麗だった。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋集覧


 

 

 

列車は会津桧原を出発し、桧の原トンネルを抜けると「第一只見川橋梁」を渡った。東北電力㈱柳津発電所の柳津ダムが作り出している、下流側の湖面(川面)の“水鏡”は波一つ無く、冴えていた。

 

反対側の席に移動し、上流側の“駒啼瀬渓谷”を眺めた。ここには、川面に小さな波が見られた。狭隘部ということで、川床の形状などが影響しているのだろう。

   

 

次駅の会津西方を出発直後には「第二只見川橋梁」を渡る。上流側には会津百名山82座「三坂山」(831.9m)の稜線がくっきりと見えた。

  

列車は減速し“アーチ3兄(橋)弟”の次男・宮下橋を見下ろしながら、長男・大谷川橋梁を渡った。*参考:三島町観光協会(観光交流館からんころん)「『みやしたアーチ3橋(兄)弟』のビューポイント」(2013年6月16日)  

  

 

会津宮下に停車。上り列車とすれ違いを行った。駅員一人と客一人が、会津若松行きの列車を迎えていた。

   

 

列車は会津宮下を出ると、まもなく東北電力㈱宮下発電所と宮下ダムの脇を通り抜ける。朝の強い陽射しが、ダム湖と両岸の木々を照らしてた。

   

 

列車は「第三只見川橋梁」を渡る。下流側の河岸の中腹には、国道252号線のスノーシェッドが監視窓のように見えていた。

 

反対側の席に移動し、上流側を眺めた。こちらは、高圧送電鉄塔が微かに見えるだけで、人工物の存在が気にならない。

 

  

 

列車は滝原・早戸の二つのトンネルを潜り抜け、早戸に到着。只見川(宮下ダム湖)の河岸に立つ駅だ。上流側を見ると、綺麗な青空が広がっていた。

 

下流側に目を向けると、活火山「沼沢」の外輪山がくっきりと見えた。この壁のような山の向こうに沼沢湖がある。

  

 

早戸を出発すると、三島町から金山町に入り細越拱橋(8連コンクリートアーチ橋)のゆるやかな左カーブを渡る。

  

 

会津水沼を出ると、まもなく東北電力㈱上田発電所・上田ダムの下流域近くにある「第四只見川橋梁」を渡った。

 

「第四只見川橋梁」は「第一」~「第三」と違い、下路式トラス橋であるため、鋼材の間から外の景色を眺めることになる。

  

 

会津中川を出て、しばらくして木々の間から振り返ると、東北電力㈱奥会津水力館「みお里」が見える。1,000m級の山々を背景に、切妻屋根の建物が風景に溶け込んでいた。

  

列車は減速し、前方の上井草橋がゆっくりと近づき、車内には終点を告げるアナウンスが流れた。

  

振り返って大志集落を眺めた。上田ダム湖の“水鏡”は冴えわたり、周囲の風景をくっきりと映し出していた。只見線の始発列車から見られる屈指の風景だ。

  

 

 

8:06、現在の終点、会津川口に到着。10名ほどの客が降りた。ここから先、只見までの27.6kmが「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で不通になっていて、来年度に11年振り復旧する。

 

ホームには、会津若松駅で見かけた『おかげさまで 只見線開通50周年』の幟が置かれていた。 

  

輪行バッグを抱え、ホームから駅舎を抜け、駅頭につけられた代行バスに乗り込んだ。

 

駅舎には、町が用意したという巨大な垂れ幕が掲げられていた。

  

 

8:15、代行バスが6名の客を乗せて出発。国道252号線を進んだ。

本名を出て、しばらくすると新設工事が進む本名架道橋をくぐった。「第六只見川橋梁」と同じクリーム色だった。

 

東北電力㈱本名発電所・本名ダムの天端となっている本名橋を渡ると、眼下に新「第六只見川橋梁」が見えた。両岸のケーブルエレクション工の鉄塔は撤去され新橋である下路式トラスが、自立して両岸を繋いでいた。約10年振りに、只見線が会津若松から小出まで再び一本につながった事を実感し、感慨深かった。

この後、代行バスは会津越川会津横田会津大塩の各駅となっているバス停で停発車を繰り返し、金山町内を駆け抜けた。 

  

 

国道252号線滝バイパス・滝トンネルを通過し、只子沢橋を渡り只見町に入る。橋上から電源開発㈱滝田発電所・滝ダムのダム湖を眺めると、美しい景色が見られた。

  

塩沢スノーシェッドを抜けると、前方に会津百名山83座・只見四名山「蒲生岳」、その奥に会津百名山29座・只見四名山「浅草岳」が見え、周囲の山々とともに滝ダム湖に映り込んでいた。

 

塩沢地区が近づくと、無名峰(570.7m)の後ろに、会津百名山71座「鷲が倉山」(918.4m)の両裾と頂上が見えた。

  

 

会津塩沢会津蒲生を出て、叶津川が見えると、中心に「浅草岳」の遠景を据えたビューポイントになった。


 

 

9:05、只見に到着。会津百名山91座・只見四名山「要害山」が青空の下、背後にそびえていた。 

  

駅頭には、明日の「只見線開業50周年記念式典」に備えて飾り付けがされていた。

 

今夜お世話になる駅前の旅館に余分な荷物を預けて駅に戻ってくると、「自然首都・只見」号が駅頭に付けらていれた。

9:10、早速乗り込むと、私一人を乗せて、ワゴン車は出発した。

 

 

 

9:39、梁取集会所前停留所に到着。途中、客の乗降は無かった。

 

「自然首都・只見」号の時刻表を見る。上下2便ずつのダイヤだ。

  

9:54、軽く準備運動をし、自転車を組み立てて出発。強い陽射しが降り注ぐ中、国道289号線を東に向かった。

 

途中で左折し、伊南川に架かる和泉田橋を渡ると、釣り人の姿が見られた。ちなみに伊南川の鮎釣りは、“全国で一番遅い鮎釣り解禁”だと言われている。*参考:南会津西部非出資漁業協同組合「伊南川の釣り」URL: http://www.inagawafish.org/ /「伊南川の釣り blog」URL: http://blog.livedoor.jp/inagawafish/

 

 

田圃の間の農道を進み、県道361号(大蔵大橋浜野)線に入り、小野島集落を右に見て左折。伊南川に架かる鹿島橋を渡ると、前方に「明神岳」の全容が見えた。

  

鹿島橋を渡り国道289号線に入る。左に曲がると鹿島神社がある。

○鹿島神社(境内東西九間南北二十四間免除地)
端村虻宮にあり、天養元年の草創にて棟札に奉勸請鹿島大明神天養元年甲子十一月吉祥日、天下大平国家豊饒民安全願主敬白とあり、何人の勸請せしとを知らず、旱際諸の山川にて雨を祈るに驗なきときは此社及び二間在家若宮八幡宮梁取村観音堂の境内に聚り、祭禮の時獅子踊を法樂に供ぶべしとて祈誓すれば必應ありと云、祭禮七月二十日なり △石鳥居 兩柱の間一丈 △本社 一間四面西向 △幣殿 二間に一間半 △拜殿 五間に二間 *出処:新編會津風土記 巻之四十五「陸奥國會津郡之十七」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第31巻」p251 URL:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179202)

 

立派な構えと、手入れされた境内だった。

 

この社の狛犬が特徴的だった。“仔犬”だったのだ。こっろこっろしていて、かわいかった。

 

鹿島神社の真裏には、所々に岩肌が露出した「明神岳」が控えていた。真偽のほどは不明だが、「明神岳」山頂に置かれている社は、この鹿島神社の奥ノ院とも言われている。

  

 

国道289号線を右折し、側道に入らず進み、鹿水橋を渡った直後に左折し国道401号線に入る。前方に赤い三角屋根が特徴の南郷ホテル(埼玉県さいたま市の保養施設)が現れ、緩やかな坂を少し登るとホテルを背景に「明神岳」が見えた。

  

国道401号線から左折し再び鹿水橋を渡り、南郷荘の正面玄関側に進みT字路を左折。登山口はすぐには分からなかったが、結果、右側の一つ目と二つ目の電信柱の間に「明神岳」登山口はあった。

  

 

「明神岳」登山口。目印となる鳥居や案内板跡は木陰に隠れていた。自転車を道の端、側溝の上に置いた。

 

登山の準備をする。今回の登山に合わせて、新しい熊鈴を2つ用意した。熊型は音が響かなかったが、クマであることが気に入って買ってしまった。

  

準備を終え、側溝のグレーチングの上を歩き登山口に向かう。鳥居と大きな板があった。

この何もない板は「明神岳遊歩道案内図」の跡で、「明神岳」の由来とコース図が掲載され、距離1,367m(階段671段含む)で標高差261m、所要時間40分と記されていたという。

 

 

 

  

10:40、鳥居の前で正礼をし、登山を開始。序盤は草に覆われていたが、石段になっていて歩きやすかった。

 

鋭角に左に曲がり、次の石段を登る。山側の斜面が崩れ、メロン大の石が登山道に散乱していた。

 

次は右に曲がり、三本目の石段を登った。

 

石段は苔むしていたが、崩れた箇所は無く、しっかり作られていると思った。

  

石段の登り終えると、広い踊り場となり、登山道は左に大きく曲がった。

  

登山道は東、太陽の方に延びていた。緩やかなな上り坂だったが、日向になるにつれて夏草の量が増え、道を覆っていた。

  

夏草をかき分けて進むと、四つ目のカーブとなり、鋭角に右に曲がり、傾斜が増した。

 

ベンチが置かれるほど登山道は傾斜はきつかったが、夏草も少なくなり歩き易かった。

 

途中、大きな落石が数個、登山道に落ちていた。

 

五つ目のカーブを左に曲がると、前方に夏草の壁が現れた。次の六つ目のカーブ全体も夏草に覆われていたが、幸い足元とが安定していて、登山道の形状もはっきりしていたので、さほど難儀はしなかった。

  

六つ目のカーブを過ぎ、夏草の中を行軍し振り返ると、麓の景色が少し見えた。

    

夏草の繁茂地帯を過ぎると、少し開けた場所に出て、左手に大きな岩があった。

  

大岩の先は、夏草ではなく、灌木が登山道に生えていた。空間になっている部分を、腰を少し屈めて進んだ。

  

先に進み、日向に出ると夏草が加わり、登山道は一気に不明瞭になった。構わず直進した。

 

山側が崩れたようで、徐々に足元が斜めになり、太い灌木も登山道を塞ぐようになり、草木をかき分け、唸りながら進んだ。

  

草木が途切れ、崩落箇所が確認できた。登山道は崩れた土や石で覆われ、斜めになっていた。ただ、右手の崖は灌木で覆われていたため滑落への恐怖は感じず、足元に注意しながら進んだ。

  

少し進むと、右手が開け、眺望が得られた。石城山(986.5m)から、昭和村に抜ける国道401号線の新鳥居峠の鞍部、そして三階山(1,115.6m)へ続く稜線と南郷スキー場を抱えた伝上山(999.3m)が綺麗に見えた。

 

眺望箇所が終わると、登山道は少し西に向きを変え薄暗くなり、細い灌木群の中に延びた。足元の石に注意しながら、腰を低くして進んだ。

  

この先、左に曲がる場所があるが、登山道の踏み跡や形状は不明瞭で見つけられるか不安になった。しかし、前方にリボンが見え、このリボンの左側を見ると、登山道の形状になっていたため、安心した。このリボンは、ありがたかった。

  

登山道は南側に方向を変えたため、陽が差すようになってきた。細い灌木は続いたが、陽が差すせいで、安心できた。

 

八つ目の登山道のカーブを何とか視認し進む。踏み跡不明瞭で、確信はなかったが、足元が平らな場所を選び足を夏草と灌木をかき分け足を運んだ。

  

 

   

九つ目のカーブを曲がり、再び陽射しが強くなると、前方に草木に覆われたベンチが現れた。

 

そして、右に目を向けると上空が開け、山頂に到着したのでは?、と思った。

 

 

 

11:18、灌木をかき分けて進むと、東屋が見えた。なんとか「明神岳」山頂に到着する事ができた。

 

三角点標石は東屋の手前、松の枝の下に隠れていた。

 

とりあえず、四等三角点標石に触れ、登頂を祝った。

  

東屋の先には、鹿島神社の“奥ノ院”とも言われている御堂があると聞いていたが、潰れていた。

  

山頂からの眺望は、あまり良くなかった。南東側の南郷スキー場の伝上山も全体が見えなかった。

 

北から西はスギなどに覆われ、眺望は全く無かった。

 

50分ほどの山行だったが、夏草や灌木をかき分けやっとたどり着いた達成感を得られない山頂だった。東側だけでも、刈り払いし、枝木を伐採すれば、伝上山を中心に、まずまずの眺望が得られるのではないかと思った。

 

 

11:28、下山を開始。東屋を背後に、登山道に進む。夏草や灌木は密で、地面から目を離さず踏み跡を探し、藪の中を突き進んだ。

 

 

 

“救いのリボン”を通過。このリボンには助けられたが、ここには、案内板が絶対必要だと思った。

 

崩落箇所を通過。伝上山と南郷スキー場が見えた。

 

11:39、大岩を通過。

   

 

  

最期の石段を下っていると、左に南郷荘の赤屋根が見えた。

  

 

 

11:52、「明神岳」登山口に戻ってきた。

 

記念すべき南会津町の最初の会津百名山、「明神岳」に何とか登り終える事ができた。

山頂に社や東屋があり、766mの低山ということで、夏草繁茂であっても何とかなるだろうと臨野んだが、思いのほか大変だった。 他の方の山行記で『うっそうと茂る草木に阻まれ、低山ならがら引き返すことになった』とあり、まさか自分も、一瞬であっても『こりゃぁ無理かも...』と思ってしまうとは想定外だった。

「明神岳」は標高が低く、登山道の傾斜はきつくなく、直登が石段もあることから、登山道が整備されれば“会津百名山の入口”として多くの観光客やハイカーを惹きつけると思う。 

 

今日、登山道には次の対応が必要だと思った。

①夏草の刈り払い

②灌木の伐採

③崩落個所の修繕(せめて、人ひとりが通れる踏み場の確保)

④登山道に転がる大石の除去 *さほど邪魔にはならないので、優先順位は低い

今回はピンクリボンテープに助けられたが、標識等については登山道の踏み跡がはっきりと視認できるため、刈り払いがされるのならば、『(標識は)あれば尚良い』のではないかと思った。ただ、登山道入口の案内板跡は撤去するか、新しい案内図を貼るかして欲しい。

 

また、山頂は“放置感”は行き過ぎているので、整理整頓も欠かせない

①倒壊した社の撤去

②社に鹿島神社の奥ノ院などの伝承があるのであれば、社の再建

③東屋の修繕、眺望を得るための刈り払い等がなされないのであれば、東屋の撤去

④北東から南東にかけて、良い眺望があるのであれば、刈り払いや枝打ち、木の伐採

これらの作業は、イベント化し、ボランティアを募って進めてはどうだろうか?

八合目付近の東面の崩落個所を除き、危険な場所はないようなので、“「明神岳」山頂&登山道整備イベント”は可能だと思う。 作業終了後に、温泉に浸かり、地酒・花泉が飲め、地元の食材で料理が食べられれば有志は集まるのではないだろうか。

 

「明神岳」は只見町に近接する旧南郷村地域にあり、只見線を利用して南会津町入りした場合に一番最初に出会う「会津百名山」だ。また、近所には、南郷ホテルや星の郷ホテルがあり、登山は宿泊客のアクティビティになる。「明神岳」は、登山道の刈り払いを中心とした最低限の整備が行われれば、登山者が増えるのではないか、と今回の登山で思った。*参考:さいたま市保養施設「ホテル南郷」URL: http://www.sayurinosato.co.jp/hotel/ / 会津高原「星の郷ホテル」URL: https://hoshinosatohotel.jp/ 

  

 

南郷ホテルでトイレを貸してもらい、一休みした後、「宮床湿原」に向けて出発。国道401号線に出て国道289号線方面に進み、分岐を左に曲がり林道宮床界線に入った。


正面に立つと、「宮床湿原」まで3kmという案内板があった。

 

林道の坂を上って行くと、古民家があった。旧山内家住宅(福島県指定重要文化財)と旧斎藤家住宅(南会津町指定有形文化財)だ。*参考:(公財)福島県文化振興財団「旧山内家住宅」URL: https://www.fcp.or.jp/mahoron/bunkazai/436.htm

双方とも移築されたもので、旧山内家は、鴇巣村(現南会津町鴇巣)の名主をつとめた上流農家で、建築は1753年。  旧斎藤家は、界村(現南会津町界)の中流農家の代表的な曲り家で、建築は1780年代。*出処:さいたま市保養施設 ホテル南郷「周辺のご案内」URL: http://sayurinosato.co.jp/hotel/around.html

  

さらに林道を上ると、今年3月28日に営業を終了した「さかい温泉 さゆり荘」(URL: http://www.sayurinosato.co.jp/sayurisou/sayuri-net3.htm)があった。


「さゆり荘」は高台にあり、宿泊棟からの眺めは良かったというが、南郷スキー場の脇に移転新築され、来月13日に「星の郷ホテル」としてリニューアルオープンするという。風呂付きなど、多様なニーズに応える部屋があるという。多くの人に利用してもらいたいと思った。


 

「さゆり荘」の送迎バスの脇を通り、さらに林道を上る。

 

林道の勾配は徐々にきつくなり、途中で自転車を降りて押して歩いた。

  

12:38、南郷スキー場のゲレンデ区間に入る。上空には雲が広がり、陽が遮られたため、少し楽になった。

 

ゲレンデの中腹にあるロッジ前に着いて、振り返った。正面に「明神岳」が見えた。

 

さらにゲレンデの上方に延びる林道を進む。自転車は押し続けた。

  

 

13:02、林道が右に曲がりゲレンデを離れようとする手前に櫓があり、鐘が吊るされていた。「疫病退散の鐘」と記されていた。


櫓に載り、ゲレンデを見下ろす。伊南川沿いに広がる田んぼと点在する集落、それを囲む山々の良い景色が見られた。

 

「明神岳」の頂上を見ると、平場と東屋の一部が確認できた。

  

 

「疫病退散の鐘」を後にすると、まもなく林道は森の中に延びた。

 

 

13:15、森の中を進むと、前方の斜面に水場が現れた。

 

「伝上の清水」。ゲレンデ登坂後に、この冷たく旨い水はありがたかった。

  


「伝上の清水」の先には別のゲレンデが見えた。ここの中腹には「宮床湿原」から抜けてくる道があり、周回コースとして利用できる。

  

 

林道を少し進むと最高点になり、下り始めるとまもなく、前方に看板が見えた。

 

 

 

13:26、「宮床湿原」入口に到着。国道401号線の分岐から、1時間15分掛かった。

 

入口の前には、5台ほどの車両が停められるスペースがあった。

  

 

 

13:30、熊よけに笛を大きく吹き、熊鈴を身に着け「宮床湿原」に向かって出発。登山道は凹凸があったが気にならず、幅広で歩き易かった。


深く洗堀されたところもあったが、一部だった。

 

太い倒木は、登山道の上が切り抜かれていた。

 

すこしキツイ坂もあったが、足元が平らで安定していたので、苦にはならなかった。

  

平場に入ると、腰高のクマザサの茂る林になった。笛を吹き、熊鈴を手に持って鳴らしながら進んだ。

  

 

13:40、湿原の周回路に合流。左に進んだ。

 

案内図には、湿原標高850m、湿原面積80haとあり、「宮床湿原」の特徴である高層‐中間-低層の各域が色分けされ記されていた。

隣りの案内板には次のように書かれていた。

宮床湿原の植生
宮床湿原周辺は昭和五十年に福島県自然環境保全地域(普通地区)、昭和五十三年に南郷村天然記念物に指定され、昭和五十五年には湿原地域が福島県自然環境保全地域の特別地区に指定され貴重な野生動植物が保護されています。宮床湿原は十種類のミズコケをはじめとする豊富な湿原植物が生育し、低層湿原、中間湿原、高層湿原という湿原の発達段階が観察できるきわめて自然性の高い湿原です。
低層湿原の池塘には、ヒツジグサ、ミツカシワ、ハリイ等の水性植物が生育し、池辺には、ミミカキグサ、モウセンゴケ等の食虫植物が生育しています。中間、高層湿原はトキソウ、エゾリンドウ、ツルコケモモ、ワタスゲ、ミズギク、ウメバチソウ、アイバソウ、バイイヌツゲ、等が生育し、場所によってはヤマドリゼンマイ、ミカヅキグサ、ニッコウキスゲ等も生育しています。また湿原周囲の水辺にはミズバショウ、ザゼンソウ、がみられ、付近の山には希産種のヒメサユリが数多くみられます。
野生動物では日本産のトンボ科の中で最小で希産種であるハッチョウトンボをはじめ、ルリイトトンボ、キイトトンボ類の貴重な動物が生息しています。
南会津町

  

  

周回路を進む。ほとんど平らで歩き易かった。

 

小さな橋があり、小川が流れていた。“禁漁区”とあったが、魚はいるのだろうかと思った。

 

周回路を右に曲がると、木道の入口を示す案内板が見えた。

 

 

周回路との合流点から5分とかからず、木道入口に到着。

 

木道に入り、足元を見ると、半分が朽ちていた。

  

 

 

13:44、草に挟まれた木道を進むと、大きく開け、「宮床湿原」と書かれた大きな看板が立っていた。

 

熊鈴をしまい、鳥の声だけが聞こえる、静謐な空間を進む。気持ちが良かった。

  

木道の中心部からは、伝上山の頂が見えた。頂上が平らに見えるほど、「宮床湿原」の標高が高い事が実感できた。

  


夏場は少ない、とは調べていたが、本当に花などの植物は少なかった。

イヌノハナヒゲ。

 

唯一の咲き開いていた花、コウメバチソウ。点々と見られ、癒された。

 

蕾のエゾリンドウ。咲いているものは無かった。

  

 

木道の傷みは目立っていた。

 

水流があるところは木道が沈み、踏み込むと靴のソールより水嵩があった。

  

 木道は左(東)側に曲がり、森の中の周回路に向かっていた。

 

先に進むと、終点付近の木道は、完全に朽ちてしまったのか、取り外されてしまったのか、黒い線になっていた。

  

  

ここで、周囲を飛んでいるトンボをよく見ることにした。

今回は「宮床湿原」の植物ではなく、7月~8月に現れる、希少種であるハッチョウトンボを見たいと思っていた。しかし、一円玉ほどといわれる小さなトンボは見当たらなかった。結局、どこにでもいるようなトンボだけを観察した。

次の機会にはもう少し早く訪れ、是非見たいと思った。 *参考:長野県駒ケ根市「市の昆虫「ハッチョウトンボ」URL: https://www.city.komagane.nagano.jp/gyosei/shiseijoho/shinogaiyo/shinoshokai/2595.html

   

  

木道を引き返し、途中で立ち止まり、見渡した。一日中、ぼんやり見て過ごしたい素晴らしい景観だと思った。

 

傾いた看板を後ろから見ると、完全に倒れないうちに、直した方が良いと思った。

14:15、「宮床湿原」を後にした。 

 

 

 

下山中、案内板の前で観光客と思われる方一人とすれ違った。その後は、快調にルートを下り、10分ほどで林道に戻ってきた。

 

駐車スペースには、すれ違った方のものと思われる車が停められていた。関東地方のナンバーだった。

 

会津百名山「宮床湿原」に無事“登頂”し散策することができた。当初は、湿原が“山”というのには違和感があったが、南郷スキー場のゲレンデを登って湿原入口にたどり着き、入口からも少し山道を登ったので、“会津百名山「宮床湿原」”に違和感は無くなった。

 

「宮床湿原」は小さな湿原で、この時期は多様な植物が見られなかったものの、標高800mに盆地のように開け、鳥の鳴き声と緩やかに風が吹き抜ける音だけが聞こえる空間は心地よかった。「明神岳」とは距離が近く、低山ということで、同日に訪れることは負担ではなく、登山者の満足は高まるのではないかと思った。

 

今回、周回路を全て通ることはなく状態が分からなかったが、「宮床湿原」の登山道は林道の入口から湿原の周回路までは迷う事が無い一本道で、足元に気を取られる事無く歩くことができるものだった。周回路との合流点から木道入口までも開けた平坦な道で、ここも問題なかった。林道の入口からは、誰でも安心して「宮床湿原」にたどり着けるだろうと感じた。

ただ、湿原内の林道はそろそろ改修が必要だと思った。水流がある場所は木道が沈み込み、靴のソールが低いと濡れてしまう可能性がある。入口の“宮床湿原”という大看板とともに、木道がリニューアルされれば、ここを訪れた方々の満足度は高まるのではないかと思った。


  

14:26、自転車にまたがり、林道宮床界線を下り始めた。舗装道は少し荒れていたが、轍がはっきりしていて、車の往来が少なくないことが分かった。 

      

10分ほどで、坂を下りきり、宮床地区に入る。林道から右に目を向けると温泉のマークが見え、建物には“宮床温泉”の文字が。こんなところに温泉があったとは知らず、建物に近づいてみた。

 

しかし、窓はべニア板で覆われ、廃墟になっていた。ただ、玄関脇には温泉の成分で変色した井戸のような設備があり、わずかだったが湯が流れているようだった。触れてみると、かなりの高温だった。

この“宮床温泉跡”が復活すれば、「明神岳」から「宮床湿原」の登山後に汗を流す事でき、良いだろうと思った。施設は無人とし、温泉の維持管理費を公費や寄付で賄うことはできないだろうか。 

    

 

宮床地区から国道289号線に入り、界地区に向かう。途中、“南郷トマトの本拠地”と言われているJA会津みなみ「西部グリーンセンター」(直売所)の前を通り少し進むと、前方に「明神岳」が見えてきた。

  

国道から路地を右に曲がり、界集落に入り、左に曲がって「明神岳」を見ながら少し進むと、前方に煙突が見えてきた。

 

14:53、「花泉酒造」に到着。残念ながら、土曜日は店舗の営業していなかった。

  

国道289号に戻り、先に進むと徐々に雲が厚くなり、只見町の市街地方面には鼠色の雲も見られた。

 

15:19、只見町に入る。

  

町境から少し進み振り返ると、南会津方面は青空が大きく残っていた。伊南川越しに、南郷スキー場が見えた。

 

 

自転車を快調に進めると、梁取地区に入った。

  

15:36、「ねっか」奥会津蒸留所に到着。二度目の訪問だ。

 

「ねっか」は国内外の品評会で数々の賞を受賞している、新進気鋭の酒蔵だ。今月もフランスの「蔵マスター本格焼酎・泡盛コンクール」で2品が金賞を受賞したと、地元紙が報じていた。*出処:福島民報 2021年8月3日付け紙面より

 

テイスティング用のバーカウンターや売店がある店舗に入ると、代表の脇坂さんがいらして、対応していただいた。

おすすめの焼酎を尋ねることから始まり、せっかくの機会なので、色々と尋ね、貴重な話を聞かせていただいた。

・大学の建築学科を卒業し、建設業に就き、私も利用したことがある郡山市内の大型書店等の建設に関わった。

・ただ、会社では管理・監督業が主で、自らモノづくりをしたいと思い、奥様に縁のある南会津町の「花泉酒造」に移り、日本酒造りをした。しかし、「花泉酒造」でも管理業務が増え、再び自らの手でモノづくりがしたいとの思いが高まり、仲間と「ねっか」を創業した。

・ウィスキーを、原料となる麦から作りたい。休耕田を利用し、麦踏みはせず雪の重みで同じ効果が出せないか試行錯誤している。

・日本酒も作りたい。新たな酒造免許は下りないため、今年4月から開始した輸出に限った「輸出用清酒製造免許制度」を利用する事にし、今年5月28日に全国第1号の免許が交付された。 *参考:ねっか「全国初!交付第1号「輸出用清酒製造免許」取得。ねっかの新しい挑戦

 

脇坂さんの話は、熱帯び、『心底酒造りが好きなんだなぁ』と思った。ご本人は『酒を呑むのが好きだから...』と謙遜されていたが、地元産の水や原材料にこだわり、地域の雇用や活性化に役立ちたいと考え事業を進める姿勢は尊く頭が下がる思いで話を聞かせていただいた。「ねっか」を呑んで、他人に勧めて、応援したいと思った。

 

売店では、脇坂さんに勧められた「ねっか 雪中貯蔵酒」を購入した。この酒は「只見ふるさとの雪まつり」の雪像の中に入れていたが、今年は雪まつりが中止となっため、蒸留所周辺に雪を集めその中に寝かせたという。今夜、ゆっくり呑みたいと思った。

  

 

16:14、只見駅行きの「自然首都・只見」号が到着。客は誰も乗っておらず、運転手は若い女性だった。定刻まで少し停車した後、出発した。

乗客は私一人だったため、運転手の方と話しをさせていただいた。女の子ながら、山に出て山菜やキノコを採り、川に出てイワナやアユを釣っていたが、只見の子供たちは男女問わず、同じような遊びをしていたという。 また、高校の同級生は60名ほどいたが、地元に残ったのは10名ほどで男子が多かったという。仕事があり、カフェなど友達を楽しくおしゃべりするなどの時間を過ごせる場所ができれば、地元に残る女子も増えるのでないか、と明るく話をされる姿が印象的だった。

  

 

 

16:46、只見駅に到着。上空には鼠色の厚い雲が広がっていた。地面は濡れていたが、雨は止んでいた。

 

今回の宿は「駅前旅館 只見荘」。只見駅入口を背に右正面にある、駅最近の宿泊施設だ。

今朝荷物を預けていたこともあり、ご主人から『おかえりなさい』と出迎えを受け、部屋に通された。私は、さっそく風呂に浸かり、サイクリングと登山の汗を流した。

  

夕食後、部屋で「ねっか」で入手した「ねっか 雪中貯蔵酒」をロックでいただいた。「ねっか」のレギュラー酒とは違い、まろやかで香りも深みがあり、旨い酒だった。代表社員の脇坂さんは『その年によって味が違う』と言っていたので、来年以降も吞んでみたいと思った。

 

南会津町の「明神岳」登山と「宮床湿原」トレッキングが無事に終わった。「定期路線ワゴン 自然首都・只見」号のおかげで移動の負担が軽減され、伊南川沿いの道が緩やかな傾斜だったため自転車移動は適度な負荷となり、気持ちよく旅ができ充実した一日になった。

 

「自然首都・只見」号は只見町内一律200円で、南会津町内は南会津病院と会津田島駅の2箇所の停留所しか設けておらず、運賃も1500円に跳ね上がる。もし「自然首都・只見」号が福島県主導で運営されれば、南会津町内の界地区、宮床地区、山口地区などに停留所が追加でき、運賃もワンコイン500円という設定が可能になるのではないだろうか。

また、主要な停留所に乗り捨て可能なレンタル自転車を置けば、観光客の行動範囲が広がる。伊南川沿いを移動するのであれば、地形は緩やかなアップダウンであるため電動アシスト付きでなくともシフト付きの自転車でも構わないと思う。

 

 

これらの策は、現状「自然首都・只見」号に只見線利用の観光客はほとんどおらず、只見町民が会津田島駅から浅草方面に行くための利用になっているという事を考えると、実現のハードルは極めて高いと思う。 しかし、「只見線利活用計画」を実現させ、“観光鉄道「山の只見線」”を確立させるためには、豊富な山岳観光資源を持つ南会津町まで通じる可能性があった、未成鉄道“古町線”の歴史と物語を活かさない手はないと思う。 

まずは、来年度の只見線全線再開通に向けて、既存の「自然首都・只見」号が只見駅から南会津町方面に向かう二次交通として認知されるよう周知活動を行い、未成鉄道“古町線”にも観光客の興味がわくよう、只見町と南会津町の協力を得て、「只見線利活用計画」を進める福島県が中心となって動いてほしいと思う。

 

 

(了)

  

 

・  ・  ・  ・  ・

*参考:

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF) (2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

 ・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日) 

・福島県 生活環境部 只見線再開準備室:「只見線の復旧・復興に関する取組みについて

  

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

 

以上、よろしくお願いします。


次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

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