金山町「本名御神楽・御神楽岳」山開き登山 2019年 初夏

“会津”の名の由来となった神話の舞台の一つである「本名御神楽」「御神楽岳」の山開き登山に参加するため、JR只見線を利用して金山町に向かった。

  

記紀には、第10代の崇神天皇(参考:宮内庁「天皇系図」)の世に、全国を教化するために四道将軍を派遣した記されており、「古事記」には北陸道を進んだ大毘古命(大彦命)と東海道を進んだ建沼河別命(武渟川別)の親子が出会った場所が相津(あいづ)と記され、会津の名の由来とされている。

 

会津総鎮守・伊佐須美神社のホームページの由緒と社格の項には以下のような記述がある。

我が国最古の歴史書とされる『古事記』には「大毘古命は先の命のまにまに、高志国に罷り行きき。ここに東の方より遣はさえし建沼河別、その父大毘古と共に相津に往き遇ひき。かれ、そこを相津と謂ふ。ここを以ちて各遣はさえし国の政を和平して覆奏しき。ここに天の下太平けく、人民富み栄えき。」とあり、“会津”地名発祥の由来と創始を共にしております。(出処:伊佐須美神社HP URL:http://isasumi.or.jp/)

 

この大毘古命と建沼河別命の親子が相津(会津)の地で、国家鎮守の神として伊弉諾尊と伊弉冉尊を祀ったのが天津嶽、現在の「御神楽岳」と言われ、伊佐須美神社創建地とされている。

社伝によると、凡そ二千有余年前第10代崇神天皇10年に諸国鎮撫の為に遣わされた大毘古命とその子 建沼河別命が会津にて行き逢い、天津嶽(現・新潟県境の御神楽嶽)において伊弉諾尊と伊弉冉尊の祭祀の礼典を挙げ、国家鎮護の神として奉斎した事に始まると伝えられます。(出処:伊佐須美神社HP URL:http://isasumi.or.jp/) 

現在、「御神楽岳」に南接する「本名御神楽」にの山頂そばに祠が残り、その面影を残している。

  

その後、二祭神(伊弉諾尊と伊弉冉尊)は、天津嶽(御神楽岳)から博士山、波佐間山(明神ケ岳)と遷移し、第29代・欽明天皇の世に、高田南原を経て(552年)、現在、伊佐須美神社が建つ高田原に鎮座された(560年)という。


ちなみに、後に伊佐須美神社には大毘古命と建沼河別命の親子が合祀され、現在、四神が祀られている。

[伊佐須美神社 御祭神]
・伊弉諾尊 (いざなぎのみこと)
・伊弉冉尊 (いざなみのみこと)
・大毘古命 (おおひこのみこと)
・建沼河別命 (たけぬなかわわけのみこと)

  

私はこの神話を知らず只見線を利用していたが、記紀の記述とは言え「御神楽岳」が“会津”の名の由来に関わり、沿線に深い関わりがあることを知ってからは、『歴史・文化の地“会津”とそこを通る只見線を良く知るには御神楽岳に登らなくては...』と考え登山への想いが募っていた。昨年は林道の崩落で中止となっていた山開き登山だったが、今年は開催されることを知り、今日のこの日を楽しみに待っていた。

 

「御神楽岳」の福島県側の登山口は金山町の1ヵ所(霧来沢登山口)だけだ。只見線の最寄は本名駅(運休区間)で、現在は会津川口駅となっている。登山道までは10km以上離れているため車での移動が必要だ。山開き登山では、登山口の駐車スペースも限られるため、参加者は朝6時50分まで金山町役場前に集合し、バスに分乗して移動するということだった。 

 

今回、私は只見線を利用し金山町に入り、前泊して「日本二百名山」であり「下越(会越)の谷川岳」とも言われる「本名御神楽」「御神楽岳」登山に臨んだ。

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF) (2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線沿線の“山”(登山/トレッキング)ー / ー只見線の夏ー 

 

 


 

 

昨日の朝、現在住んでいる富岡町を出た。

 

6:56、富岡を出発して間もなく、車窓から東京電力㈱福島第二原子力発電所の排気塔が見えた。

震災では大きなトラブルもなく、現在は通常通り全ての核燃料が正常に冷却され続けていることもあり、富岡まではJR常磐線が復旧している。

  

切符は「小さな旅ホリデーパス」が浜通りのJR水戸支社管内では使えないため、小野新町までの切符と合わせて購入した。通常料金(¥5,620)よりは出費を抑えられるが、合計は¥4,160だ。

2021年度の全線復旧以後に只見線を福島県民の“Myレール”として根付かせ、「上下分離(公有民営)」の実を得るためには“只見線県民パス”なるものを設定する必要があると私は思っている。二日間有効で¥3,000程度であれば、浜通りからの集客も期待でき、全県で只見線を支える文化が作られるのではないだろうか。福島県が主導し、JR東日本本社の協力を得て実現して欲しい。

  

いわきで磐越東線の郡山行きの列車、郡山では磐越西線の会津若松行きの乗り換えた。

  

中山峠を越えて会津地方に入っても晴天は続いていた。「磐梯山」も稜線がくっきりと見えた。

 

 

 

11:50、会津若松に到着。駅の内外は観光客と思われる多くの人々でにぎわっていた。天候も良く、楽しい旅にして欲しいと思った。

   

駅前フジグランドホテルの1Fにある「ラーメン金ちゃん」で昼食を摂る。今日は餃子2枚を先に注文し、締めにラーメンを食べた。

餃子は、やはり旨かった。野菜の歯ごたえと風味がひき肉を引き立て、一咬み毎に満足感を味わえる逸品だと私は思っている。

 

 

昼食を終え、再び駅舎に入り自動改札を通る。架橋を渡り只見線のホームに行き、入線した列車に乗り込んだ。

13:07、会津川口行きの列車が会津若松を出発。先頭がロングシート車両であるためか、私の乗る2両目は観光客と思われる乗客を中心に賑わっていた。  

 

 

七日町西若松の市街地の駅で多くの高校生を乗せ、大川(阿賀川)を渡る。

  

列車は田園の中を進んでゆく。稲の一株一株がはっきり分かるほど生育していた。

  

会津本郷を出発して間もなく会津美里町に入り、会津高田を過ぎて左に大きく曲がり真北に向かって進むと田越しに「磐梯山」が見えた

   

列車は根岸新鶴を経て会津坂下町に入り、若宮会津坂下と各駅に停車してゆく。

  

会津坂下で全ての高校生を降ろし、会津若松行きの列車とすれ違いを行い出発。まもなく七折峠の登坂を開始した。

 

 

登坂の途上、木が伐採されたのか、右側(東側)が以前より開けていた。

車窓からの景色は見やすくなったが、景観創出のためか、レールに落葉しないための措置かは分からなかった。

この七折峠は会津平野と奥会津の分岐で、只見線の車窓景観にアクセントを与えられる貴重な場所なので、福島県はJR東日本と本気になって車窓からの景観創出事業に取り組んで欲しいと思っている。*参考:福島県「只見線利活用計画」(PDF) p20奥会津景観整備PJ


 

列車は塔寺を出ると、第一花笠ー第二花笠ー元屋敷ー大沢の4連トンネル付近で下り坂となり、会津坂本を経て柳津町に入り、会津柳津を出発してまもなく、“Myビューポイント”を通過。「飯谷山」(783m)の稜線上にはほとんど雲は無く、奥会津の天気も良いと思った。

  

郷戸では3人のサイクリストが居て、列車が到着する時に写真と撮っていた。

  

 

滝谷を出発直後に滝谷川橋梁を渡り三島町に入る。 *以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館(http://www.jsce.or.jp/library/archives/index.html)「歴史的鋼橋集覧

 

 

 

 会津桧原を出て、桧の原トンネルと抜け出ると「第一只見川橋梁」を渡る。

 

只見川(東北電力㈱柳津発電所・柳津ダム湖)にはさざ波が立ち、水鏡(湖面鏡)は見えなかったが今日も違った緑の競演を見せてくれていた。

  

 

会津西方を出発直後に「第二只見川橋梁」を渡った。


 

会津宮下では観光客と思われる方が数名降り、出発後は東北電力㈱宮下発電所と宮下ダムの脇を駆け抜けた。

  

まもなく「第三只見川橋梁」を渡った。

 

 

早戸を経て金山町に入り、開放的な8連コンクリートアーチ橋である細越拱橋を、緩やかに左に曲がった。

   

  

会津水沼を出発すると、下路式トラス橋の東北電力㈱上田発電所・上田ダムの下流にある「第四只見川橋梁」を渡る。水面の波立ちが多かった。

  

 

列車は会津中川を過ぎ、只見川(上田ダム湖)沿いを進むことになると減速。前方に見える上井草橋が徐々に大きく見えてきた。

 

車窓から後ろを振り返り、大志集落を見る。初夏の風景だった。

 

 

 

 

 

14:58、終点の会津川口に到着。10名ほどの乗客が降りた。 

 

ここから先は只見まで「平成23年7月新潟福島豪雨」被害により不通区間(27.6km)となっている。

2021年度に只見線が復旧すれば、私が乗ってきた列車は只見行きとなり、野尻橋梁を渡りこの先を進んでゆく。

 

  

駅舎を抜け、不通区間の現状を見に行く。

国道252号線の旧道を進み、振り返って会津川口駅方面を見る。レールは草に覆われていた。

 

しかし、途中から除草され路盤が露出していた。

 

県立川口高校ボート部の練習場への通路となっている坂を下り、只見線の路盤を見ると、枕木もコンクリート製のものに交換され、新しい留め具が復旧工事が進められている事を示していた。

  

  

ダメとは分かっていたが、この先の状況が知りたく、歩みを進めてしまった。

復旧工事が始まる前、あれほど茂っていた草は無くなり、とても運休区間とは思えない状況だった。

この区間は、只見川(上田ダム湖)に接していて、車窓からの景色が良い。路盤と川の間にある枝木について、法面土留めの役割を担っているもの、希少な植物であるものを調べ、それ以外は取り除くなどして車窓からの景観創出を行って欲しいと思った。

 

第二川口橋梁を渡った先には軌陸車用の導入路と思われる仮設物があり、その先はレールが取り外されていた。

 

旧西谷信号場の広いスペースにはコンクリート製枕木や撤去されたレールが置かれ、路盤には鉄板が敷かれていた。

 

この鉄板の仮設道は橋桁の一部が崩落した「第五只見川橋梁」の手前まで続いていた。ここが復旧工事「第五ヤード」となっているようだった。

 

 

 

只見線の運休区間を後にして、宿に向かった。

今回は会津川口駅から近い「橋本屋」さんにお世話になった。

  

部屋は2階で、障子戸を開けると目の前に只見線のレールと転車台が見えた。

客は他2名で、あとで分かった事だが、お二人は明日の山開き登山に参加するため、それぞれ松戸と浜松から来られた方だった。

   

 

夕食は各部屋で摂るようで、女将さんが配膳してくれた。

 

主菜は沼沢湖で採れたばかりのヒメマスの塩焼き。

やや赤み掛かった身は柔らかく、肉厚で程よく脂がのって、素晴らしく旨かった。

福島県では金山町・沼沢湖にしか生息しないヒメマスを、もっと手軽に只見線の駅近くであればどこでも食べられるような環境が整えば、“ご当地グルメ”としての認知が広まり、只見線の利用者増にもつながると私は思っている。 *参考:金山町「沼沢湖ヒメマス漁について

   

少し遅れて天ぷらの盛り合わせが運ばれてきて、そこにはヨモギの新芽があった。

青臭さなどの雑味を一切感じず、ほのかな香りが立ち、柔らかく旨かった。“山の只見線”に山菜は欠かせない一品だと、改めて思った。

 

 

 

 

 

今朝早く起きて、只見線の始発列車を見るために外出した。会津川口駅のホームには2両のキハ40形が停車していた。

 

国道252号線を歩き、5分ほどで「かねやまふれあい広場」に着き、只見線のレール越しに大志集落を見る。只見川は波が立っておらず、滑らかな水鏡が朝の幻想的な風景を映し出していた。

    

5:31、林道の上井草橋上から、会津若松行きの上り列車の出発風景を眺め、撮った。山間に静かなディーゼルエンジン音を響かせながら、只見川(上田ダム湖)に車影を映しカタコトと進んでいった。


列車の撮影を終え、宿に戻った。

途中、国道252号線沿いに御神楽登山の駐車場を示す案内板が設置されていた。

宿に着き、1Fの飲食店舗で朝食を摂った。その後、荷物を背負い昼食となるおにぎりを受け取り、女将さんの笑顔に見送られながら「橋本屋」さんを出た。

  

 

 

受付となる金山町役場に向かうため坂を上る。桐の花が咲いていた。

 

役場が見えると、数台のバスと多くの車が見え、駐車場の隅で登山客の受付をしていた。

 

送迎車両のマイクロバスが5台、中型バスが1台、他ワゴン車が数台並んでいた。既に3台のバスは登山者で満席だった。

 

私は5台目のマイクロバスに乗車した。


席に座ると、受付でいただいた登山道の案内図と裏に今日の日付が入った記念バッジを見た。

   

7:00、補助席を全て使って満席になったバスが出発。

   

国道252号線を進み、東北電力㈱本名発電所・本名ダムの脇を直進し林道本名室谷線を只見川沿いを進み、霧来沢にぶつかると西北に進路を変えた。眼下には先週渡った霧来沢橋と工事中の本名バイパス“霧来沢橋”が見えた。

 

バスは未舗装の林道を霧来沢に沿って、ゆっくり進んでいった。

この林道は大雨で土砂崩れや崩落などで度々通行止めになる。途中、山側から沢岸まで広範なコンクリート覆工が施されていた。初めて見る構造物に見入った。

  

 

  

7:33、山開き式が行われる林道八乙女線との分岐点に到着。次々に登山者が降りた。ここで式が行わるようだが、比較的平坦な広いスペースだった。

  

まもなく式が始まり、主催者である金山町観光物産協会と金山町から挨拶があり、町の復興課・坪井課長の神事により山開きとなった。

   

  

7:43、お神酒も振舞われる中、私は紙垂付きの注連縄の下を通り林道を進み出し、御神楽橋を渡り「本名御神楽」「御神楽岳」登山を開始した。

「本名御神楽」山頂から「御神楽岳」山頂を往復した場合、合計の所要時間は約7時間となっていた。

私は下山後に只見線を利用し、いわきまで戻らなければならないため、会津川口発15:27の列車に乗る必要がある。送迎バスは満席になった段階で出発する予定で、様々な条件を考えるとここに14時までに戻らなければならないと思い、休憩などで立ち止まらない事を覚悟して山頂を目指した。

  

まもなく前方に数台の車が見え「御神楽岳(霧来沢)登山口」に到着。車両は全て県外ナンバーだった。

  

 

 

7:50、熊の攻撃を受けたと思われる看板を見ながら、登山道を進んだ。

  

しばらくは林の中を進んだ。

 

10分ほどで、音が聞こえていた霧来沢を真横に見ながら進んだ。

 

斜面を登り、すぐに下り沢に近付いた。

  

 

8:06、八乙女滝に到着。落差は大きくないが、水流は申し分なく見応えがあった。

  

この後、高巻きの登山道を八乙女滝を見下ろしながら進むと“渋滞”になった。


この先が鎖場になっていて、一人ずつゆっくりと下りていたためだった。

   

鎖場を過ぎると再び沢沿いになり、へつるような岩場をロープを頼りに進んだ。雨が降っていたら、足元にかなり神経を使う場所だと思った。

  

沢から離れ平地に入る。草地で湿地は無く足元も固く歩き易かった。

ネットで他の方の登山記録を読むと、この場所は背丈を超える笹が茂る場所のようだった。地元の方が山開きに合わせて草刈りをしたのだろうと思った。

  

登山道には、徐々に見慣れぬ植物が増えていった。

つぼみで何の花か分からなかったが、鮮やかな紅色に足を止め見てしまった。

 

タニウツギ。淡いピンクの花びらが綺麗だった。

  

 

再び高巻きとなり、土の斜面を慎重に進んだ。

 

霧来沢に再合流。残雪も見え始めた。

   

沢をさらに進むと、長大な一枚スラブの川床が見えてきた。

 

「八丁洗板」という。沢遊びをしたくなるような空間だった。

  

 

8:36、鞍掛沢を二本の丸太橋で渡る。水量が少なく、橋は不安定ながら恐怖は感じなかった。

この後、徐々に沢と離れ、小さくなってゆく水音を聞きながら本格的な登坂となってゆく。

 

巨大なブナの脇を通る。新緑が美しかった。

   

 

8:47、二つの雪渓を横断。

 

左側に目を向けると下部に残雪を残した巨大な一枚スラブが見えた。

中腹が木々で狭まっているため志津倉山(三島町)の「雨乞岩」の見応えには及ばないが、そもそもの規模は引けを取らないと見えた。名前を付ければ『見たい』と思える景勝地になるのではないだろうか。

   

このあたりから登山道は北東に鋭角に進路が変わり、「杉山ケ崎」に続く急な取付となった。沢辺の標高が546mで、「杉山ケ崎」の頂点は948mとなる。

  

しばらく登山道は急峻だが歩き易かった。しかし、途中から木の根が不規則に露出した難儀な道が続いた。

事前の情報で“短時間で急な斜面を登る”とあり、覚悟はしていたが、凸凹がありここまで足元に注意を払うとは思わなかった。写真を撮る余裕も無く、黙々と歩き続けた。

  

歩くこと35分。前方が明るくなった。

 

 

9:25、「杉山ケ崎」に到着。

  

ここから尾根伝いに歩いた。右側が開けた場所があったが、灌木が多く恐怖は感じなかった。

  

 

9:32、前方に目指す「本名御神楽」山頂をはっきり見る事ができた。力が湧いてきた。

   

東側が大きく開けた岩場の上に立ち、景色を眺めた。

 

振り返ると、今登ってきた「杉山ケ崎」の尾根越しに、昭和村、南会津町に続く山々の稜線がはっきりと見えた。天候に恵まれた事を感謝した。

 

そはにはナナカマドが咲いていた。遠目には白い大きな花に見えたが、近付くと小さな花の集団だった。

    

  

「熊打場」が近づくと、「本名御神楽」の稜線がはっきりと見えた。

  

左に目を向けると、前岳の南側岩壁が県境にそってそびえていた。

   

 

9:48、「熊打場」の突き当りの鎖場に着く。一瞬、たじろいだ。

 

壁のような岩場で、遠目には怖さを感じたが、足をかける窪みも多く、頼りの鎖は太く、しっかりと据え付けられ、思いのほか安心して登攀することができた。

 

登攀途上で周囲の景色を見る。西側にはアバランチシュートと新緑、雪渓が美しく見えた。*参考:国土地理院「氷河・周氷河作用による地形」6-24 アバランチシュート

   

 

9:58、山小屋(御神楽岳管理舎)に到着。

  

山小屋から先はブッシュの中を進んだ。

 

モクレンかタムシバか、白く大きな花が目を引いた。

  

 

再び東側が開け、尾根に出ると山頂まで福島県と新潟県の県境に沿う登山道が見て取れた。

   

  

 

山小屋を出て15分ほどで前方の空が大きく開け、石標が見えた。

  

頂上の直前、伊佐須美神社の“創建の地”を示す祠があった。御神酒が備えられていた。

 

二礼二拍一礼をして前を通り過ぎた。

   

  

  

10:17、「本名御神楽」(1,266m)の山頂に到着。約2時間30分で到着することができた。

 

西には残雪の「浅草岳」(1,585m)が良く見えた。

 

360度、周囲の山々が見渡せた。

   

北には「御神楽岳」山頂へと続くの稜線がくっきりと見えた。

 

  

山頂での余韻もそこそこに「御神楽岳」に行くため、祠の前を通り登山道を下った。

  

直後は、登山道が判別できないほどの密度の高い灌木の中を進んだ。

 

尾根道に出ると左側は押し返しの強いブッシュで、右側が斜面という登山道となる。

 

登山道に薄紫のショウジョウバカマがひっそりと咲いていた。

   

足場の悪い尾根道もあったが、ブッシュ側にしっかりと体を預ければ不安は無かった。

 

白い花に目を取られる。これはタムシバか。咲いたばかりのようで、花弁が綺麗に広がっていた。

  

大きな雪渓があり、その上を通ってくる風はひんやりとしていた。心地よかった。

 

登山道にはカタクリの群生もあった。踏まれないで欲しいと思った。

  

 

湯沢の頭(1,184m)から下る水晶尾根の紋様が、なんとも言えず美しかった。

 

足元に咲く黄色く小さな花を見つけた。ミヤマダイコンソウだろうか。

   

 

「本名御神楽」山頂から歩き始めて30分。前方が大きく開けた。

 

 

 

10:53、「御神楽岳」(1,386.5m)に到着。二等三角点になっている。 *参考:国土地理院「三角点の役割

 

「御神楽岳」は孤立峰とは言えないが、この辺りでは一番高く、神話の山と言われるだけあってか、頂上は低山に囲まれた聖域といった趣きがあった。

 

東に目を向け、湯沢の頭越しに冠雪した飯豊連峰を眺めた。

両側の稜線が朧気であるが見えて、この地が神話で“国家鎮守”祭祀の地として採られた理由が分かった気がした。

 

南に目を向け「本名御神楽」を見る。

  

山頂には多くの人影があり、こちらを目指そうとしている登山者の姿も見られた。

  

「御神楽岳」でも登頂の余韻に浸ることなく、下山をした。会津川口15時27分発の列車に乗り遅れる訳にはゆかなかった。 

  

「本名御神楽」に下りてゆく途上、多くの登山者とすれ違った。往復が1時間を優に超えるとはいえ、本名御神楽-御神楽岳を同時に登頂したいと思うのは当然の心境だと思った。

 

 

11:26、「本名御神楽」山頂の祠に参拝し、本格的な下山行軍を開始。供えられていたお神酒は、スタッフが頂上で振舞っていた。

 

前方左に残雪の「浅草岳」、右に「守門岳」(1,537m)を見ながら下ると、尾根道に「本名御神楽」を目指す登山者の姿も少なくなかった。200名近い登山者が、思い思いの歩みで進めばこうなるのかと思った。

   

見晴らしの良い下山区間は、気持ちが良かった。

  

ヤマモミジの花。花弁よりも雄蕊の長い。こんな花もあるのだと思う。

   

往路では気付かなかった、熊の攻撃受け剥がされた樹皮があった。まだ新しい傷跡だった。

ここまでの登山道上では熊の糞と思われる物体も何度か見られ、熊鈴や声などで熊を遠ざけながら山を登る姿勢が重要である事を痛感した。

 

  

11:55、最後の登山者とすれ違った。私がここを通過してから約2時間30分が経過していた。

町の復興観光課の課長も引率に加わり、山頂を目指していった。序盤の鎖場やへつり、「杉山ケ崎」の取付などを考えれば、あり得る事だと思った。無事に山頂にたどり着けることを願った。

  

このすれ違う際、オレンジの帽子を被ったスタッフが『ここからスキー場(フェアリーランドかねやま)が見える』と言っていた。確かに、よく目を凝らすと見えた。

そして、その脇には尻吹峠も見え、只見線の撮影スポットである“大志俯瞰”の送電線鉄塔も確認できた。

  

  

「杉山ケ崎」を超えると、急な下りとなった。この取付は往路復路ともにやっかいだと、足先から腿の付け根まで痛みを感じる事で実感した。 

 

  

30分ほどで霧来沢沿いに下り、沢沿いを進んだ。

   

 

12:54、往路では降り立つことができなかった「八丁洗板」に入った。

良い空間であることを再認識したが、ここまでのアクセスを考えると、大人が楽しめる場所なのかもしれないと考えた。

   

赤い実が目についた。アオキだろうか。光沢があり、美しい赤だった。

  

 

沢の狭隘部に着く。往路では振り返る事が無かったため、ここまで岸壁が迫っているとは思わなかった。

 

ここの左岸が、登山時に渋滞していた序盤の鎖場だ。『下山で、これほどの急斜面を越えなければならないとは...』と往路では見る事がなかったこの“壁”に少し怯んだが、ここが“神話の山”との境界と思えば納得できる関門だった。

 

 

13:16、八乙女滝が見える場所になると、沢辺に下りてみた。滝ツボはさほど深くはなさそうで、夏場に遊べたら気持ちよいだろうと考えた。

 

 

杉林の中を歩いていると紫の花が登山道の脇に盛んに咲いていた。

羅城門葛(ラショウモンカズラ)とは帰宅後に知った名。この美しい花には、もっと別の名があったのでは、と思った。

 

 

 

13:29、登山道入口を通過。林道に出て、黙々と進んだ。

  

  

13:38、御神楽橋を渡り、町職員やスタッフ、バス運転手など15名程が待ち受ける山開き式会場に戻った。約6時間で終える事ができた。

 

冷えた麦茶をいただき、“おたのしみ抽選会”ということでスタッフから差し出された箱に手を入れ“ハズレ”を引き、飴玉を一つ受け取りバスに乗り込んだ。

心配だったバスの第一便はまだ出ておらず、先着した14名が椅子に座り待っていた。私を含め、あと10名で満席となり出発するということで、只見線の列車(会津川口15時27分発)には間に合うと思い、ホッとした。

 

...「本名御神楽」「御神楽岳」登山を無事に終えた。休憩・昼食をとらずに強行したためか疲れたが、待ち望んだ山に登る事ができ充実した。

 

「本名御神楽」「御神楽岳」は二箇所の急峻な鎖場、へつる岩場や沢、尾根取付から杉山ケ崎までの急こう配など決して安易な山ではないが、その困難を押してでも登る価値はあると感じた。

前岳や湯沢の頭の岸壁は、低山ながらも“下越の谷川岳”と言われる通り非日常の険しさを見せ、その中にある「本名御神楽」「御神楽岳」は“神話の山”に相応しいと思えた。大毘古命と建沼河別命の親子が伊弉諾尊と伊弉冉尊をここに祀った地と記されただけの山である事を理解した。

只見線沿線にこのようなの地があることは僥倖で、この利を活かさない手はないと痛感した。

  

只見線を利用し「本名御神楽」「御神楽岳」に登るためには、(1)二次交通の整備、(2)列車便数の追加が必要で、(3)“会津橋立駅”の新設を望みたい。

 

(1)二次交通の整備

「御神楽岳」は登山口まで、会津川口駅から約10km、本名駅から約7kmと離れていて、二次交通が欠かせない。会津川口駅周辺から往復20kmをタクシーで移動するとなると相当な負担となり、4人グループでもなければ利用者は限られるだろう。

往路は事前予約によるマイクロバスかワゴン車を手配した場合、復路は、登山スピードに個人差があるため柔軟な対応が必要になる。復路も下山時刻に合わせてワゴン車で送迎できればベストだが、車両の運用や運転手の負担が大きい。「御神楽岳」登山は標準7時間の所要で、「本名御神楽」ー「御神楽岳」の往復の選択も考慮すると下山時刻は大いにバラける可能性が高い。下山者にGPS装置を持ってもらい、計画的にワゴン車で送迎などの工夫も考える必要があるだろう。

また、本名駅から列車に乗るとすれば自転車もあり得る。道は未舗装だが下り坂は緩やかで、スピードを出し過ぎることもない。電動アシスト付きのMTBならば、多少の悪路も上り坂も問題ない。

いずれにしても二次交通を整備する場合、只見線を利用しても「本名御神楽」「御神楽岳」に登る事ができると広く世間に思わせるような使い勝手と料金設定が望まれる。

 

(2)列車の便数の追加

只見線を利用して「本名御神楽」「御神楽岳」登山に臨むとなると、金山町に前泊する客が多くなるだろうし、その方が沿線への経済効果も高いので望ましい。ここで問題になるのが、上り列車(会津若松行き)の出発時間だ。今日の私はこれがために焦って登山をしなければならなかった。

現在、最寄の会津川口駅が15:27発だと、7:30に登山を開始した場合、往復7時間かかるとして下山後に1時間というのは忙しい。私は会津川口駅を17:30頃に発車する列車が追加されることが必要だと思う。運休(2011年7月)前の時刻表を参考にすると、以下のようになる。

只見線は単線であるため、上下線のすれ違いがあるため運行時間は概算だが、現在、会津坂下始発となっている列車を只見発16:30にすれば、ダイヤ設定も無理な無く、車両の運用も可能ではないだろうか。会津若松19:00着となれば、磐越西線の列車に乗り換え、郡山から新幹線を利用すれは東京22:00着が可能だ。また、郡山から福島方面や白河方面などへの列車連絡もつき、福島県内の客にとっても都合が良い。 

この増便は、「御神楽岳」の登山客ばかりでなく、只見線を利用し奥会津地域(只見町、金山町、昭和村、三島町、柳津町)を観光する客にとっても、現地に夕方まで居られるという事で好都合ではないだろうか。

私は今回下山後に、できれば温泉に浸かりたいと思っていたが、時間が無くそれは叶わなかった。是非、只見線復旧時にはこの増便を実現して欲しい。

 

(3)新駅“会津橋立”の設置

私は「本名御神楽」「御神楽岳」登山の最寄として“会津橋立”の新設を望んでいる。場所は現在「民宿 橋立」がある裏手、本名トンネルの直近。

上の登山道を示した航空写真をみれば分かる通り、本名~会津越川間は6.4kmと長く、駅を新設する距離的制約はない。

このような地理的条件に、神話の山への入口と湯倉温泉直近という集客要因が加われば、あとは費用の問題となる。

新駅の設置には通常10~20億円の費用が掛かると言われているが、駅舎無しの片面ホームを復旧工事に合わせて設置すれば、その費用はグッと抑えられると思う。私は“会津橋立”駅の新設のハードルは高くないと思う。

この“会津橋立”駅ができれば、「御神楽岳」登山後に温泉に浸かって只見線で帰るという、分かりやすい導線ができ客を惹きつけられる。金山町の多く良質な温泉が、神話の山「御神楽岳」と只見線と結びつき、より広く知れ渡る可能性もある。

新駅設置の新たな費用負担を合意することは福島県とJR東日本にとって容易ならざる事かもしれないが、神話の山「御神楽」を核に観光需要創出の道筋をつけて、チャレンジして欲しい。 *参考:拙著「JR只見線全線復旧 正式合意」(2017年6月2日)

   

  

14:02、24人目の登山者が乗り込むと第一便の帰りのバスが出発。

  

14:29、会津川口駅前で降ろしていただき、金山町役場に向かうバスを見送った。降りたのは私1人だった。

駅前の「みんなのトイレ」で着替えなどをして、一休みした。かつては駅近くに共同浴場「玉縄温泉」があったが、只見線を区間運休に追い込んだ「平成23年7月新潟福島豪雨」で大きな被害を受けて閉鎖された。ここから一番近い温泉は共同浴場「八町温泉」や“天然サイダー温泉”こと温泉保養施設「せせらぎ荘」になるが、5kmも離れているため、只見線の利用者が登山などのアクティビティの後に浸かるのは現実的ではない。「玉縄温泉」の源泉が枯渇していないのであれば、再採掘して欲しいと思うが、町単独の事業となると費用捻出など越えるべき課題は多いかもしれない。

   

私はその後、昨日もお世話になった加藤商店で買い物をして、駅舎に入り列車の入線を待った。  

 

会津若松からやってきた列車が到着すると20名ほどの客が私の前を通り過ぎて行った。何かのイベントに参加したであろう小学生と思われる子ども達の姿もあり、出迎えていた母親と楽しそうに会話をしていた。

 

乗客の姿が無くなり、私は駅舎を抜けホームに向かい、折り返し会津若松行きとなったキハ40形2両編成の後部車両に乗り込んだ。

只見からの代行バスが到着する時刻を過ぎると、客が乗り込んできた。 

 

15:27、列車が出発。さっそく遅い昼食を摂った。まずは冷えたビールで登山の無事を祝い、今朝旅館で作っていただいた特大おむすび二つをゆっくりといただいた。コメの旨さが格別だった。

「本名御神楽」「御神楽岳」登山で、ここ最近にない疲れを全身に感じ、眠気も襲ってきたが、橋梁区間は景色を見ようと車窓に目を向け続けた。

  

会津中川を過ぎて、「第四只見川橋梁」で只見川を渡った。

  

会津水沼を出ると、右手に只見川を見ながら8連コンクリート眼鏡橋の「細越拱橋」を進んだ。

   

早戸を出て早戸・滝原の二つのトンネルを潜り抜けると「第三只見川橋梁」を渡った。

   

会津宮下では、リュックを背負った登山者と思われる方が何人か乗り込んだ。今日は志津倉山(三島町)でも山開き登山があった。只見線を利用して参加された方が去年よりも多いようで嬉しくなった。*参考:拙著「三島町「志津倉山 山開き登山」2018年 初夏」(2018年6月3日)

  

会津西方の手前では「第二只見川橋梁」を渡った。

  

名入トンネルと潜り抜けると「第一只見川橋梁」を渡り、列車は桧の原トンネルを経て会津桧原に向かった。

この後、私は少し眠ることにした。

  

 

列車が七折峠を下り、会津平野を静かに進むなか目を覚まし、車窓から景色を見た。雲が広がっていたが、西部山麓との間に広がる田園は美しかった。

  

17:19、会津若松に到着。その後、磐越西線の列車に乗り換え、郡山で磐越東線の列車に乗り換えた。 

  

21:17、いわきに到着。富岡までの列車は無いので、ここに泊まり、明日朝に移動し出勤する事にした。

   

只見線の旅、今回は浜通りを起点とした旅が終わった。

 

「上下分離(公有民営)」のため公費で運営に関わる福島県が、県民の“Myレール”として只見線を根付かせるためには浜通り住民への配慮も欠かせない。そのためには、ダイヤ(便数増加)と運賃(“只見線県民パス”など周遊きっぷの新設)が必要だと、今回の旅を終えて改めて感じた。

只見線の全線復旧は2021年度。福島県は知恵を絞り、浜通りの住民の一人でも多くが只見線を利用するような策を実行して欲しい。

 

 

(了)

   

 

[追記]

「本名御神楽」は「会津百名山」の第49座で、「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社)では以下の見出し文で紹介されている。*出処:「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社)p112

本名御神楽 <ほんなみかぐら> 1,266メートル
御神楽岳は、会越国境にあってその厳しい姿は近寄りがたい風格を持っている。その前衛峰である本名御神楽は、金山町本名集落の奥深く霧来沢源頭の県境上に位置し、名うてのスラブを擁する信仰の山である。[登山難易度:中級]

 

 

・ ・ ・ ・ ・ ・

*参考:

・福島県:只見線の復旧・復興に関する取組みについて *生活環境部 只見線再開準備室 

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

  

以上、よろしくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

0コメント

  • 1000 / 1000