「志津倉山」は三島町と昭和村の境界にある。
今日は、只見線の会津宮下駅で下車し、真夏を思わせる強い日差しの下、大勢の参加者と頂上を目指した。
*参考:
・福島県:只見線ポータルサイト
・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」
・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF) (2013年5月22日)
・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線沿線の“山”(登山/トレッキング)ー / ー只見線の夏ー
前日に会津若松に入り、宿泊。
今朝、只見線の始発に乗るために会津若松駅に向かう途中、気になっている施設の建築状況を見に行った。
「会津ICTオフィス」の建築現場。
昨年の地元紙の記事でこの整備計画を知り、県立会津大学との相乗効果で会津若松のICT産業の強固な礎ができると期待した。 *出処:福島民報 2017年8月30日付け紙面より
施設は会津若松城(鶴ヶ城)から北に延びる北出丸大通り沿いにあり、通りからは天守閣も見える会津若松を実感できる場所にある。
通りに面した交流棟は木材で組上げられていて、屋根にはCLT材が使われていた。
建設事業体(特定JV)にはCLT(直交集成板)工法普及に積極的な会津土建(株)が参加しているようで、この現場を見て納得した。*参考:CLT建築推進協議会 URL:http://www.clt-kenchiku.org/wdoc/?q=grp02 /会津若松市「ICTオフィス環境整備事業」
只見線の起点である会津若松がICTを核に新たな雇用やサービスを創出する拠点となる事は、只見線のためにもなる。従業員が沿線で居住する可能性があり、通信環境が整えば沿線でのテレワークも可能だ。更に、ICTにより沿線観光地への誘客やサービスの向上が期待できる。「会津ICTオフィス」の完成が楽しみで、その後の内容ある運営に期待したい。
会津若松駅に到着。日曜日の6時前でひっそりしていた。
切符を購入し、改札を通り連絡橋を渡り只見線の4番線に向かった。
只見線利用者の集合場所である会津宮下までは840円。
6:00、只見線の始発列車が出発。
列車は七日町、西若松で停発車し、阿賀川(大川)を渡った。
向いの席を見ると、高校球児がまどろんでいた。朝早くから大変だ。私も昔を思い出した。
会津坂下で球児を含む多くの高校生を降ろし、列車のすれ違いを行った後、列車が出発すると住宅街を抜けた向こうに飯豊連峰が見えた。これから登る「志津倉山」の頂上からも見えるのだろうか、と思った。
直後に、列車はディーゼル音を徐々に高め、七折峠の登坂を始めた。
峠の中の塔寺を過ぎ、登坂を終えると“坂本”の眺め(自称)”で、再び飯豊連峰を眺めた。
滝谷に停車すると、使われなくなった待機線跡にコンクリート製の枕木が置かれていた。
赤字路線でも定期的なメンテナンスは必要で、枕木の更新などは巨額の費用となるだろう。只見線の乗客を増やし、路線の収支を均衡させるという高い目標をもってゆかなければならないと、改めて思った。
滝谷を出発すると直後に滝谷川橋梁を渡り、三島町に入る。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館「歴史的鋼橋集覧」
今日の只見川(柳津ダム湖)は緑が深かった。*柳津ダムは東北電力㈱柳津発電所の調整池
列車は名入トンネルに入り、会津西方を経て「第二只見川橋梁」で再び只見川を渡河した。
7:29、列車は大谷川橋梁を渡る手前で減速し、会津宮下に到着。登山者と思われる方2名と中華圏の親子の観光客の後に、私も下車した。
この観光客、どうやら「第一只見川橋梁ビューポイント」までの町営バスを利用するつもりだったようだが、バスは日・祝日が運行休止だった。
インバウンドを呼び込むために積極的にPRするのは良いが、何よりも只見線に乗って訪れた目の前の観光客を失望させない必要がある。会津宮下駅には観光案内所も無いため、このような場合、“フラれた”観光客の失望は計り知れず、リピーターになるどころか、ネガティブな情報を現地語で発信するとも限らない。
“日・祝日に休み”とは観光地にはあってはならない運営だ。労務・財政事情も理解できるが、PRし露出が高まっている現状を鑑み、まずは、運休日設定を見直すべきだと思う。そして、特にインバウンドの現地での満足度を調査し、三島町の担当者を中心に観光施策に反映させて欲しいと思った。
私の乗ってきた列車はここで上り列車とすれ違いを行う。後部が“新ラッピング車”の会津若松行きには5名の乗客が乗り込んでいた。
私は駅舎を抜け、入口脇に置いていたテーブルで町職員の対応で受付を済ませた。只見線乗車の登山者は私を含め3名で、町内に住まわれている方3名と合わせて6名が会津宮下駅から登山口に向かう事になった。
裏は三島町の温泉(宮下、早戸)の日帰り入浴割引券になっていた。
7:30過ぎ、ワゴン車に乗り込み、登山口に向かった。15.4kmの道のりだ。
ワゴン車は受付を行った女性の村職員の運転で大谷川沿いの県道59号線、153号線を蛇行するように走り、間方地区を過ぎて町道に入り、約30分程で登山口に到着。スタッフを含め、30名程がすでに集まっていた。
大沢に架かるコンクリート橋を渡り、「志津倉山登山道案内図」を見る。事前に見たパンフレットの地図と、記載内容はほぼ同じ登下山の所要時間だった。登山2時間30分、下山1時間40分。
三島町町民運動場発の送迎バスが次々とやってきて、登山客が増えてゆく。100名は優に超えていると思うが、バスの台数から考えると200名前後というところか。
8:20過ぎ、開山式が始まる。三島町長と間方区長からの挨拶、主催者から登山道の説明があり、安全祈願として二礼二拍手一礼を皆で行い、簡素な式は終わった。
8:25、登山道の入口で振る舞われた御神酒をいただき、私も出発した。
入口から少し入った場所にある、志津倉山の会の堀金政喜氏を偲んで寄贈された「志津倉の鐘」が鳴らされ、登山の始まりが演出された。
強い日差しに薄緑になった木々の葉に囲まれ、登山者は一列になり登り進んだ。
最初の分岐点が現れるが、ここは下山の際に細ヒドコースと合流する場所となる。前回訪問時と変わらず、標杭はクマの攻撃を受けたままだった。
倒木も何カ所があったが、登山道整備で枝払いなど最低限の処置を施したようで、幹はそのまま横たわっていた。この倒木は貴重な栄養源となり森の代謝を促す。自然に倒れ、自然に朽ちる。自然のサイクルを感じられるのも登山、山歩きの魅力だ。
登山道はしばらく、大沢沿いを進む。心地よい水の流れが山に響いた。
山の斜面を見上げた。ブナの新緑は生命力を感じさせ、癒しを与えてくれる。空気も旨い!
沢渡りも何度かあった。水量が少なく、靴はそれぼど濡れずにすんだ。
8:48、前方が開け、志津倉山最大の見せ場が姿を見せた。
「雨乞岩」。巨大な一枚岩のスラブだ。雪渓の上部に、「志津倉山」稜線に向かって延びていた。
デイサイト貫入岩で頻回な雪崩によって沢沿いの岩が磨かれ、巨大なスラブ(一枚岩の露岩)となっているという。ほとんどの方が足を止め、見入ったりカメラのシャッターを切ったりしていた。この付近も分岐となっているが、「雨乞岩」を横に見ながら急斜面を登る「二子岩コース」ではなく「大沢コース」をそのままを進まれる方も意外と多くいた。*出処:(独)産業技術総合研究所 地質調査総合センター 「宮下地域の地質」(PDF)
私は、山開き登山で予定されている「二子岩コース」を進んだ。高度が上がる毎に見え方が変わる「雨乞岩」が気になったが、登山道が思いのほか急で、眺める余裕はなかった。
まもなく前方に印のついた岩が現れ、足踏みとなった。
この先がロープが必要な急斜面で、一人一人登らなければならないからだった。
9:10、斜面がひと段落すると「雨乞岩」展望台と続く平坦な場所に出た。
近くで見ると、その迫力に見入ってしまい、『これが一枚岩とは...』と自然の奥深さに感じ入った。
登山道にはピンクのリボンがあったが、これは登山道を示すガイドの他、植物の名前の書いた名札でもあった事を思い出した。昨秋の「かしゃ猫ロードトレッキング」の際、ガイド役の“間方のおじちゃん”に教えてもらっていた。嬉しいサービスだ。
この先、登山道は歩き易い平坦な場所となった。
が、前方が開けると巨大な岩場が現れた。どうやらここを横断するようだった。岩場には志津倉山の会のメンバーが居て、登山者の通行をサポートしていた。ロープが張ってあり、足元の踏み場も比較的安定していたため、不安を感じることは無かった。
岩場の下に目を向けると『万が一、滑落したら...』とゾッとするような場所である事を肝に銘じ、油断せずの先を進んだ。
岩場を渡りきり振り返ると、見晴らしが良く、順調に登ってきている事を実感した。
岩場の直後には、ロープが垂らされた急勾配の岩壁があった。一人一人、登った。
続いて、登山道は「二子岩」を通る。コース名の由来となっている岩だ。一部が穿かれ、歩くスペースが確保されていた。
土の登山道は少しぬかるんでいて、時折滑る事もあったが、負担は感じなかった。昨日から晴れが続いて良かったと思った。
“最後の水場”が近づき、登山道は沢に下ってゆく。
「大岩コース」と合流する、この“最後の水場”では何人かの登山者が休憩を取っていたが、私はそのまま通り過ぎた。
登山道はここから再び上りとなり、しばらく進むと“渋滞”となった。15分程で“渋滞”の先頭に出て、壁のような岩場を目にする。鎖が垂らされていて、ここが“クサリ場”という事が分かった。一人づつ、鎖をしっかりと握って登った。
“クサリ場”の直後は、次は“シャクナゲ坂”となり、根が露出した坂を這いつくばるように登った。
“シャクナゲ坂”を登る途中に背後を振り返る。枯れ松の向こうに山々が見えた。「志津倉山」ならではの光景の一つかもしれない。
“シャクナゲ坂”を登ると「屏風岩」展望所になる。大きなスラブ岩が露出し屹立していた。
後ろを振り返ると、だいぶ見晴らしが良くなっていた。登った位置ごとに変わる風景は登山の醍醐味。
先をゆく登山者が『モフモフ』と言いながら歩いた、松などの枯葉が堆積した柔らかな道をしばらく進んだ。
そして「三本松」に到着。ここにも休憩できるスペースがあったが、私は先に進んだ。
標高は1,000mを超えたが、スゥーと伸びた巨木が登山道に何本かあった。
見応えがあり、木肌に触れると力をもらえるような気がした。
10:35、黙々と進むと登山道は平坦な区間となり、稜線上の「ブナ平」を進む事になった。
茂みになっているが、印が有り安心して進む事が出来た。
足元に赤頭の杭が打たれている事も多く、迷う事は無いだろうと思った。
地表にはギンリョウソウ(ユウレイダケ)が顔を出している事もあった。不気味だが透けるようなその白さに、今回も見入ってしまった。
稜線を歩いていると前方がやや明るくなり、人の声が聞こえ始めた。
前方が開け、多くの登山者の姿が、目に飛び込んできた。
10:45、「志津倉山」山頂(1,234m)に到着。2時間20分かかった。
昭和村側は木々が多く、周囲の山々を見晴らす事は出来なかった。
三島側は、山頂付近の伐採や草刈りがされていて素晴らしい眺望が得られていた。
只見線の車内からも見えていた飯豊連峰も良く見えた。
西に目を向ける会津総鎮守・伊佐須美神社創建の地と言われる「御神楽岳」(1386.5m/新潟県)と「本名御神楽」(1266m/福島県)も見えた。必ず登りたい山々だ。
山頂付近の斜面では休憩し、食事を摂る方が多かった。
皆の表情には達成感が見ら、良い光景だと思った。私も、景色を見ながら水分補給して、おにぎりを2個頬張る。コンビニ産だが、格別に美味かった。
しばらくは稜線を進み、小さなアップダウンもあった。
“下山コース”の案内があった。欠けてはいたが「細ヒドコース」が始まる。
木々の間からは、まだ飯豊連峰を見る事ができた。
ブッシュの中をしばらく進むと、急な坂が現れ、ロープが垂らされていた。ここからこのような“難所”が続き、本格的な“下山道”となった。
天候が悪ければ、ロープに頼らざるを得ない傾斜だった。
11:35、「糸滝」に到着。岸壁をはうようにチョロチョロ流れていたが、雪融け時など水量が多い時は綺麗な流形が見られるという。
「糸滝」の前にも、ロープが張られた急傾斜があった。
“最難所”の「ハシゴ坂」に到着。金属製で法面に打たれた“梯子”に足を掛け、ロープを握りながら降りてゆく。
ここには、登山側のスラブ横断箇所に居た志津倉山の会の方がサポートに回って下さっていた。
まだ続く、急傾斜。ロープを掴み、慎重に進めば滑る事はなかった。ただ、地面が濡れていたら、数倍の時間と神経と体力を使っただろうと考え、晴れて良かったと思った。
この先は、ロープが垂らさるような急傾斜が終わり、この後はなだらかなコースが続いた。
ブナ林の中には、奇妙な三本の木があった。
三本とも岩に木が生えている。“岩木三兄弟”といったところか。
「ブナ平 登山口」という標柱があったが、ここもクマの攻撃を受けていた。『クマはペンキが好きだから...』とある登山者が言っていたが、確かに文字の所の被害が大きい。
足元を見ると“一輪”のギンリョウソウが顔を出していた。やはり何度見ても、不気味であり惹きつけられた。
緩やかに下ってゆくと「志津倉山 巨木三兄弟」の“次男”である“次男・ブナ志津男くん”が現れた。樹齢約400年のブナだ。
50mほど先に進むと“長男・栃太くん”が居る。樹齢約500年の栃の木だ。
ここから少し下ると“長女・沢クルミちゃん”が姿を見せる。樹齢約250年のサワグルミだ。
登山道は「ブナ平」のメインストリートに入る。
歩きやすく、素晴らしい空間だ。ここまでこればゴールまでの距離感がつかめ、うまい空気を吸い込みながら、心地よい気分で歩く事が出来た。
しかし、ここでとんでもない事が起こった。タバコの臭いが辺りに漂い始めたのだ。
先を進むと、何とタバコを吸いながら歩く男性が居た。おそらく、この周辺にはしばらくタバコの臭いが漂い続け、多くのハイカーを困惑させ、残念な思いを残すだろう。彼一人の常軌を逸した行為が、多くの不愉快を生み出した事は間違いない。私はこの場で喫煙をした彼を許せない。そして、残念ではあるが、主催者には開始前に喫煙は厳禁であり、山火事を発生しかねない非行である事を伝えて欲しかった。
両側の沢が迫ってきて、「ブナ平」の平坦部が先細ってゆき、最後の急な下りとなった。
慎重に下りて、沢の合流点を見る。この水は直後に大沢に合流し、大谷川と名を変えて只見川に注ぎ、そして阿賀(阿賀野)川を経て日本海に注ぐ。
クマの攻撃が痛々し標柱が現れた。往路「大沢コース」との合流点に着く。
ゴールが見えてきた。
12:17、無事に下山を終えた。下山時間は1時間17分。
広いスペースではテントが張られ、地元・間方地区のお母様方が山賊汁を振舞っていた。私は地鶏の出汁を選んでいただいた。
山菜はアク臭さがなく、それぞれの香りと味、食感を楽しむ事が出来た。汁も地鶏の風味が上品に出ていて絶品だった。酒の肴にもなりそうな、至極のご馳走に志津倉山登山を満足な形で締めくくれた。
スタッフに『送迎バスは会津宮下駅に行くのですか?』と尋ねると、Yesという事なので、待機中の大型バスに乗り込んだ。
12:40、送迎バスの第一便が出発。
30分ほど掛けて、山道を下り三島町町民運動場に到着。車が駐車場から溢れ、グラウンドにまで停車していた。
私一人を乗せたバスが駅に向かって出発。5分と満たない乗車時間で、申し訳ない気がしたが、駅までの長い下り坂を歩く気力が無かった。
13:14、会津宮下駅に到着。バスは早々と帰っていった。
只見線の列車は15時26分発。タップリと待つ時間がある。まずは「志津倉山」初登頂祝う為、祝杯用のビールを買おうと思い街中を歩いた。
駅を背に道を進むと県道237号線に接続するが、その角には三島町観光交流舘「からんころん」がある。ここには先月に貸し出しを始めた、電動自転車が整然とカバーを掛けられ並んでいた。
屋根につけられたソーラーパネルで得られた電気で充電されており、料金は4時間までが500円という。 *記事出処:福島民報 2018年4月10日付け紙面
県道を西に進むと今年4月にオープンした「サンプソン」が現れた。
「サンプソン」は飲食もできる交流施設で、元地域おこし協力隊の方が副社長になっているという。『生ビールあります』と書かれた黒板があったが、太陽の下で缶ビールをプシュっというイメージがあったため、我慢した。 *記事出処:福島民報 2018年4月11日付け紙面より
宮下のメインストリートを国道252線付近まで歩くが、缶ビールを売っている店は閉まっていた。旅館ならば売っているか、「宮下温泉 栄楽館」に行くことにした。
ビールに代わり、役場入口前にある「あかぎ清水」で喉の渇きを癒すことにした。冷たく、口当たりが良く、一気に飲んだ。
入山受付時に頂いた日帰り温泉の入浴割引券を使う先に選んだのは「宮下温泉 栄楽館」。二度目の訪問だ。
大谷川が只見川に注ぐ河口付近に立ち、男子風呂からは只見川が見える。ゆっくり湯に浸かり、「志津倉山」登山の汗を流した。
「旅館 栄光館」温泉概要
・源 泉:宮下温泉 第二源泉
・泉 温:60.9℃
・湧出量:126.9L/min
・泉 質:ナトリウムー塩化物・硫酸塩・炭酸水素塩温泉
風呂上りに、自動販売機で缶ビールを買わせていただき、「宮下温泉 栄楽館」を後にした。
10分ほど歩き、アーチ三“橋”弟の展望所に着く。ここで、缶ビール(発泡酒)で志津倉山登頂の祝杯を挙げた。
青空の下、緑を見ながら、登頂の達成感に浸りながら、喉に麦の恵みを流し込んだ。そして、真ん中の“長男”大谷川橋梁(只見線)を通過する会津川口行きの列車を待った。
この場所は、福島県が行なっている「コードF 8」のチェックポイントとなっているようで、私がいる間4組の方(家族)がやってきた。*参考:コードF8 URL:https://takarush.jp/promo/fukushima8/
アーチ三“橋”弟の展望所を後にして、駅に向かった。
県道から駅前通りに入り、まもなく駅という場所で残念な事実を知らされた。お好み焼き「まつやま」が閉店していたのだ。昨秋に初めて訪れ、プロ野球のベイスターズファンのご主人と色々話をさせていただいた。また、来たいと思っていたが、残念だった。
会津宮下駅に到着。時間をつぶしてからホームに移動すると、まもなく列車が入ってきた。
驚いたことに、側面の塗料が剥がれていた。
15:54、会津若松行きの列車が出発。
車内では、もう一本の缶ビールを頂いた。列車移動だからできる醍醐味。
「第二只見川橋梁」からの風景を、往路と反対側(下流)から眺めた。只見川(柳津ダム湖)がスゥーと伸び、順光で綺麗に見えた。
会津桧原を出発し、原谷トンネルを抜け滝谷川橋梁を渡った。北側(上流)は緑に包まれている。
その後列車は順調に走り、七折峠を下る。会津盆地に入り、田園の間を駆け抜けた。
会津高田手前で東に目をやると、「背炙山」の尾根に「会津若松ウィンドファーム」の風車が見え、全てが回っていた。会津を駆け抜ける風が、電気を作っている。*参考:コスモエコパワー㈱「会津若松ウィンドファーム」URL:https://cosmo.eco-power.co.jp/wind_power/aizuwakamatsu/
右側(西から南)の田んぼには何人かの撮り鉄諸氏がいて、私の乗る列車にレンズを向けシャッターを切っていた。列車が順光を浴びる時間帯で、まだ現れている水田の水鏡に映り込む列車の姿も期待できるのだろうと思った。
17:19、終点の会津若松に到着。
連絡橋を渡り、改札を抜け駅前の駐輪場に停めておいた自転車を輪行バッグに収め、駅舎に戻り1番線で列車を待った。
18:13、喜多方からやってきた列車に乗り込み、郡山に向けて会津若松を後にした。
西陽が強く輝いていた。終日天候に恵まれた事を感謝した。
19:29、列車は順調に進み郡山に到着。駅前は送迎の車に出入りが頻回で、人の流れもあり賑わっていた。
初めての「志津倉山」登山は、天候に恵まれたこともあり、楽しく充実していた。ただ、下山中、ブナ平でタバコの煙を吸わされた事が、唯一の悪い出来事で悔しく腹立たしく、残念で仕方がなかった。
今回、只見線を利用して登山に参加したのは、私を含め3名だったようだ。列車の本数が少なく、下山後にすぐ帰られないなどの制約はあるが、運転から解放されて帰宅でき、下山直後に缶ビールなどのお酒が飲めるなどメリットも多いと思う。自家用車ならば登山の装備を解いて、汚れたままであっても誰に気兼ねなく帰ることもできるという点もあるかもしれないが、東京圏では電車に乗って登山という客の姿も少なくない。
「志津倉山」は往復4時間程度なので、9時30分までに会津宮下駅に着き、下山後に15時54分発の会津若松行きに乗車可能だ。中通りの中心都市・郡山を5時55分に出発すれば、9時10分に会津宮下に到着する。試しに『只見線に乗って志津倉山登山!』を企画してはどうだろうか。もちろん、只見線に乗って訪れ、三島町内に泊まり、只見線に乗って帰ってくれることが一番良い。しかし、車を利用した登山者が多い事を鑑みると、まずは日帰り登山という文化を創り出してゆく事も必要だと思う。
只見線沿線には、4時間程度で登下山できる山が多い。只見線の利用推進に関わる方々には、人口が多く只見線に接する事が少ない中通りからの集客を意識し「只見線の日帰り登山文化」を創出して欲しい。「志津倉山」はその先鋒になれるだけの、地理的位置と登山道の質、そして温泉という下山後の楽しみを持つ資質のある山だと、今回の登山を通して思った。
(了)
[追記]
「志津倉山」は「会津百名山」の第50座で、「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社)では以下の見出し文で紹介されている。*出処:「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社)p178
志津倉山 <しづくらやま> 1,234メートル
志津倉山は三島町、柳津町、昭和村に境を接し、奥深く中に大きなスラブや岩を抱き、多くの伝説に囲まれた神秘的な山である。[登山難易度:中級]
・ ・ ・ ・ ・
*参考:
・福島県 只見線再開準備室: 「只見線の復旧・復興に関する取組みについて」
・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)(PDF)
【只見線への寄付案内】
福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。
①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/
②福島県:企業版ふるさと納税
URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html
[寄付金の使途]
(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。
以上、よろしくお願い申し上げます。
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