金山町「太郎布高原 アザキ大根畑」 2018年 初夏

淡い紫の花が一面に咲き、アザキ大根の花が見ごろを迎えている太郎布高原に行こうとJR只見線の列車に乗って金山町に向かった。

 

太郎布(タラブ)高原は金山町役場や只見線会津川口駅の東3kmほどに位置し、カルデラ湖である沼沢湖を作り出した活火山・沼沢の内輪山と外輪山の間に広がる上野原台地の一部を指す。

高原を北南に流れ、徐々に深い渓谷となり只見川へと注ぐ杢(木)冷沢の左岸には畑が広がり、例年5月下旬から6月上旬まで、その南部の大半が自生するアザキ大根の花によって薄紫に色づく。

昨年11月に沼沢湖一周する「惣山・前山トレッキング」を行った際、このアザキ大根の花の事を知り、見たいと思っていた。*参考:拙著「金山町「惣山・前山」周回トレッキング 2017年 紅葉」(2017年11月6日)

 

アザキ大根は、松平会津藩の祖である保科正之が信濃高遠からもたらした「高遠そば」の薬味としてよく使われ、辛味が強い。私も何度か口にしたことがあるが、辛いが微かな甘みもあった。 

福島県のホームページに「アザキ大根」が以下のように記述されている。。*出処:福島県「ふるさと回廊あいづ(風景)<アザキ大根の花畑> 」

(引用)『アザキ大根は長さ20cmほどで辛味が強いのが特徴で、肉料理のたれ、ざるそばを食べる時に付け汁の中にアザキ大根をすりおろして食べると、特有の成分と辛 味がそばを一層引き立てます。大根に似ているが、根菜は硬くて食べられず、『人をあざむく』あざけ大根が、アザキの語源ともされています』

 

 

今日の旅程は、以下の通り。

・只見線に乗車し会津川口駅まで行く

・輪行してきた自転車に乗り(押し)、尻吹峠を目指し、その途上にある只見線の撮影ポイント「大志(オオシ)俯瞰」で列車を撮影

・太郎布高原に移動し「アザキ大根畑」を見る

・杢(木)冷沢の源流ともいえる堤→惣山国有林内の道→大栗山集落→杢冷橋→只見線・会津中川駅→道の駅「奥会津かなやま」→上井草橋と経て会津川口駅に戻る 

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日) 

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」 

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線の夏ー / ー只見線沿線の撮影スポット

 

 


 

 

仕事を終え、用意を済ませて郡山駅に移動。自転車を輪行バッグに入れて、構内に入り切符を購入し、改札を通り磐越西線の1番線に向かい、発車を待つ会津若松行きの列車に乗り込んだ。

11:38、列車は定刻に出発。

  

切符は、土曜日という事もあり「小さな旅ホリデー・パス」を久しぶりに利用した。

昨夜は業務の都合で3時間しか仮眠できなかった。車内では寝て過ごした。

  

 

 

12:59、会津若松に到着。連絡橋を渡り只見線のホーム向かう。連絡橋からは「磐梯山」の稜線ばかりか、山肌も見えた。空気が澄んでいるようだった。

  

13:07、只見線の会津川口行きが会津若松を出発。車内は土曜日という事もあってかほとんどの席は埋まり、立ち客も出ていた。

  

 

 

列車は、七日町西若松と市街地の駅で停発車を繰り返し、阿賀川(大川)を渡り会津盆地の田園地帯に入って行く。

   

会津本郷を過ぎ、会津美里町に入り、会津高田の手前では残雪の飯豊連峰が見えた。

  

列車が大きく右にカーブし北に進路を変えると、根岸手前では右手に「磐梯山」が見えてきた。

    

 

列車は新鶴から若宮を経て、会津坂下町に入り、会津坂下に停車し上りの会津若松行きとすれ違った。

 

七折峠を登坂し、塔寺から会津坂本と過ぎ柳津町に入る。会津柳津を出て、郷戸手前で“Myビューポイント”を車窓からの臨む。青空が広がり、これから向かう先の天候も大丈夫だろうと確信した。

  

 

滝谷を出発すると直後に滝谷川橋梁を渡り、三島町に入る。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館歴史的鋼橋集覧

 

 

 

会津桧原を過ぎ、桧の原トンネルを抜けると「第一只見川橋梁」を渡る。只見川(柳津ダム湖)を中心に、人工物が目に入らない自然美はいつも通りに美しかったが、窓陽射しが強く、手が窓に映り込んでしまった。窓を開けて撮れば良かったと後悔した。

 

 

 

名入トンネルを抜け、会津西方を経て「第二只見川橋梁」を渡った。

  

 

列車は大谷川橋梁を渡り、会津宮下に到着。すれ違いを行わず、まもなく出発。東北電力㈱宮下発電所と調整池の宮下ダムの直側を走り、只見川(宮下ダム湖)を横に見ながら駆け抜けた。

  

第三只見川橋梁」を渡ると、正面に国道252号線のスノーシェッドが見えた。

 

  

滝谷と早戸、長い二つのトンネルを抜け、早戸を過ぎて金山町に入り、会津水沼を経て「第四只見川橋梁」を渡る。写真と撮ると、下路式トラス橋の鋼材が映り込んでしまうことがある。

 

 

東北電力㈱上田発電所・上田ダムをやや遠方に見ながら列車は進み、会津中川を経て大志集落の東側を駆け抜け、前方の上井草橋に向かって減速しながら大きく右にカーブしてゆく。

 

 

 

14:58、終点の会津川口に到着。車内はいつの間にか閑散としていて、乗っていた客は10名に満たなかった。

ここから、急いだ。

この列車が折り返す15時27分までに、標高約230m、距離約2.5kmを登坂し、尻吹峠手前の「大志俯瞰」まで行かなければならない。 

 

ホームから小走りで駅構内を抜け、駅頭で自転車を組み上げ、国道252号線から右折し急峻な国道400号線の坂を立ちこぎで上ってゆく。 

金山小学校の看板の示す場所で左折し、また坂を上り小学校のグラウンドの横に出る。そして、右斜めに延びる、自動車一台分がやっと通れる道幅の坂道に入り、さらに上った。

 

坂道はあまりにも急で、私は早々と自転車を押す事にした。さらに山の中ということもあり、私は激しく息を切らしながらも、持参した熊鈴と自転車のベルを意図的に鳴らしながら、可能な限り急ぎ足で進んだ。クマに出会いませんように!、と念じた。

途中、坂を下ってきた2台の自動車とすれ違う。ナンバーは県外で、私が乗ってきた列車を「大志俯瞰」から撮影した撮り鉄の方だと思った。

  

15:11、前方が開ける。まさかこんなに早くは着かないと思いながら進む。

 

崖崩れ跡のようで、擁壁工事がされているため、見晴らしがよかったようだ。木々が途切れると強い陽射しを浴び、汗が一気に噴き出す。過酷な登坂だとは覚悟していたが、6月の初めにここまで暑くなるとは思わなかった。

   

さらに進むと、田んぼがあり、6つの畝は田植えが終わっていた。おそらく沢水が確保できたため開墾されたのだろうが、この人里離れた斜面に田を切り拓いた住民の必死の努力に頭が下がった。

  

15:20、また前方が開け、今度は送電線と鉄塔が見えた。送電線の鉄塔の足元の小さな看板を見ると、「東北電力㈱只見線No.7 No.8」とあった。東北電力㈱にも“只見線”があるようで、調べてみると線路No.は「0658」だった。

  

また少し進むと、土砂崩れ箇所があり大型土嚢が並べられていた。このような往来が極めて少ない道でも保守がなされている。送電線管理の為に必要が道路である事が影響しているのか。

  

 

まもなく、二つの鉄塔の間に、私の進む道が大きく開けた。

 

 

 

15:24、「大志(オオシ)俯瞰」に到着。3分ほど余裕をもって着く事ができた。

 

この付近は全体的に開けていて、カーブにも余裕があった。2台ほどの駐車も可能だ。

  

肝心の眺めを確認するため、カーブの先端に進み見下ろした。感動! 一気に疲れが吹き飛んで、必死に登ってきた苦労が報われた。

 

事前に見ていた数々の画像と違わぬ、『見たい』と思っていた光景だった。


 

そうこうしている間に、会津川口駅を出発した列車の汽笛が聞こえ、私はコンパクトデジタルカメラを構え、ズームを調節して、列車が映り込むタイミングでシャッターを切った。

 

次は少しレンズを動かし、ズームする。

   

列車は、一旦杉林の中に隠れ、まもなく会津中川駅に停車した。

 

ズームを最大にして停車中の列車を捉える。この画質が私のコンデジの限界。

  

 

この「大志俯瞰」は二箇所あり、さらに上のカーブ付近にもう一つがある。そこに行ってみると、事前の情報通り送電線が目の前を横切り、写真に写りこんでしまった。「大志俯瞰」は下段のカーブ、二本の鉄塔の間、となるようだ。

この景色は、秋の紅葉時も良いだろう。また、只見川に川霧が掛かっている瞬間も良い一枚となるだろう、と思った。  

「大志俯瞰」は、三島町の「第一只見川橋梁ビューポイント」に劣らない魅力を持つ、と思った。急な坂道を登る事になるが、会津川口駅から、ゆっくり歩いても40分ほどで着けるので、只見線を利用した集客も見込める。 

「大志俯瞰」の魅力は、只見川(上田ダム湖)と大志集落の家々の、ほぼ一様な屋根の形状と赤トタンを主とした色合いだ。天候に左右されず、一定の美しさを持つ写真を撮る事ができると私は思う。だから、ここに立てば、只見線の良さを表現する一枚が撮れるだろう。他の撮影スポットには無い良さが「大志俯瞰」にはあると、この場に立ち思った。

 

金山町にはこの場所を撮影場所として整備し、会津川口駅に案内板を設けるなどして誘客を図るべきだと思う。広く知られても耐えうるだけの価値がある観光スポットだから、投資は見合うだろう。滞在時間を伸ばす工夫や地産品の販売などを通じて地元への経済効果を示せれば議会などの理解も得られるだろう。金山町には是非挑戦してもらいたい。

 

「大志俯瞰」を後にして、「太郎布高原」に向かった。

事前にGoogle Mapで確認していたつもりだが、道を迷う。直進し続ける経路だったが、一旦直進して途中引き返してここを右折し、遠回りをしてしまった。

 

道の脇は平坦に切り拓かれ、耕運機で耕された跡があったが作物が植えられている様子は無かった。アクセスは悪いが、この広大な農地は可能性があるのではと思った。ただ、途中、別の敷地で二人の農家の方がトラクターを動かしていた。完全な休耕エリアではないようだった。

   

道は緩やかな上りの未舗装が続き、やがて森の中に入って行く。ここでも熊鈴と自転車のベルを鳴らす。クマが出てきませんように!、とここでも祈った。

 

尻吹峠を越え、道は一転緩やかな下り坂となり、ほぼまっすぐ延びてゆく。地元の方だろうか、途中一台の自動車とすれ違った。まもなく、左手が開け、横切る高圧電線と二つの山が見えた。惣山と前山のようだ。

  

 

そしてさらに開けた場所にゆくと、ほんのりと紫掛かった花畑が見えた。「アザキ大根畑」のようだ。道の途中で直角に左折し、この場所に向かった。

  

 

 

15:58、「太郎布高原 アザキ大根畑」に到着。

 

区画はされているものの、“自生”しているためか、アザキ大根の薄紫の花は丈も方向も一定ではなく、自然な形で咲き繁っていた。

 

初めて見るアザキ大根の花。一茎に複数の花弁をつけ、中心から徐々に紫になる四片の花びらは美しく可憐だった。

 

色合いと花びらの形に癒され、ときおり吹き抜ける微風に揺れる様も、何とも言えず良かった。今まで見た事のない花畑に出会い、感動した。

  

薄紫の花畑は、青空と白い雲と、緑の山の稜線に映えていた。

 

送電線が上空を通り鉄塔も見えるが、これも一大水力電力供給地・会津を示す事になり、豊かな自然の証左となり悪くはないと思った。会津らしい風景でもある。

金山町のホームページには先月21日に見頃を迎えたと掲載されていたが、近頃の高温にも関わらず十分な花量があった。見頃は長く続くようだと思った。 

  

この「アザキ大根畑」は会津川口駅が最寄りだが、会津中川・会津水沼・早戸のそれぞれの駅からも遠くはない。しかし、二次交通は無く、徒歩では1時間を超えてしまう。現状で只見線を利用したアクセスは困難だ。

只見線の乗客がこの美しい草原の花畑を見るためには、送迎バスかレンタルサイクルの整備が欠かせない。送迎バスはデマンド式で、事前予約+ワンコイン(往復500円)という設定が理想ではないか。レンタルサイクルは電動アシスト機能付きのMTBが必須。登坂や悪路(砂利道)走破を考えると普通車(ママチャリ)は論外、軽量のロードバイクもベターだが、押して歩く区間が多くなると予想されるため抵抗感も出てくるだろう。ロードバイクとを導入するのならば、現地(太郎布高原)までの登坂は送迎バスで、その後はロードバイクという組み合わせが良いだろう。

   

この「アザキ大根畑」は二次交通が無く、只見線沿線の優良観光コンテンツだが埋もれ、活かされていない。付近には「沼沢湖」があり「惣山・前山」のトレッキングもできるという滞在時間の伸ばせる観光資源もある。これらを組み合わせれば、送迎バスや電動アシスト機能付きのレンタルサイクルを整備する価値があると思う。

 

金山町には、只見線を利用した観光客誘致、滞在時間の創出を目的に「アザキ大根畑」までの二次交通整備を検討してもらいたい。その価値は十分にある花畑だ。その際には、同時に、私有地につき立ち入りや撮影な可能なエリアを特定し、観光客が所有者の迷惑にならず楽しめるような対策を忘れずにお願いしたい。 

 

「アザキ大根畑」に30分ほど滞在した後、町道を進み県道237号(小栗山宮下)線につながる手前で振り返り、太郎布高原を見渡す。素晴らしい場所だったと改めて思った。

  

町道を左折し、県道237号(小栗山宮下)線に入り宮下方面に進んだ。

 

まもなく、右手にスキー場(フェアリーランドかねやまスキー場)の裏斜面が見えた。金山町若者交流センター「あすなろ館」とウォータージャンプ場が見えた。

   

16:38、直線でほぼ平坦な道を進むと、太郎布集落が現れた。

  

集落には入らず手前を左折。すると右手に池が現れる。杢(木)冷沢の源流と言われる堤だ。

 

堤の隅には年代物の構造物があった。田畑への水量を調整するものだろうか。

 

堤沿いに自転車を進めながら水面を眺めていると、何かが移動するのが見えた。水中をよく見ると大きな鯉だった。50cmは優に超える大物。鯉だが、この堤の主という貫録で優雅に泳いでいた。

  

堤を後にして、杢(木)冷沢の右岸を北上する道を進んだ。

林が途切れると巨大なハウス群があったが、1棟が潰れていた。冬場、雪の重みに耐えられなかったか。

 

道はしばらく開放的で、緩やかに下っていった。*下の写真は振り返って撮影したもの。

 

道は惣山国有林の中に入り、しばらくは緩やかに下ってゆく。

 

途中、右に登って行く分岐があった。地図で確認したところ、電波塔の密集地となっている惣山頂上に通じる保守用道路のようだった。

 

 

16:56、大栗山集落に到着。

 

北東にある惣山の稜線に目を向けると、広い面積を伐採した斜面があった。

 

昨秋に「沼沢湖一周 惣山・前山トレッキング」で知った、“大栗山の眺め”が見られる場所だ。

 

 

大栗山集落を後にして、中川地区に抜ける町道中川大栗山線を通る。その後、深く切り込まれた杢(木)冷沢にかかる杢冷橋を渡った。

 

谷はかなり深かった。先程訪れた堤から流れた沢が谷底深い川になっているとは驚く。

約11万年前から約5千年前まで6回の噴火を起こしたと言われる沼沢(活火山)から噴出された堆積物が積み上がった土壌を、杢(木)冷沢が長い年月をかけて削っていったというこの渓谷。その悠久な時の流れによりこの谷が出現したと思うと、感慨深い。

  

杢冷橋を渡りきって、横から見る。二本の橋脚が長く伸びていた。 *杢冷橋は2000(平成12)年3月に竣工

  

この杢冷橋の下を流れる杢(木)冷沢は只見川に注ぐが、只見線も河口付近で木冷沢橋梁で渡っている。ここから上流付近に「木冷滝」という美しい滝があるが、遊歩道は整備されておらず藪をかき分けて行かざるを得ないという。

この「木冷滝」や、深く削られた渓谷、源流の堤や太郎布高原などの存在を考えると、杢(木)冷沢沿いにトレッキング道を整備すれば、誘客を期待できるのではないか。「(仮称)杢冷沢トレッキング道」は歩道が無く通行量の多い国道252号沿いではなく、会津水沼駅を起点として線路脇を歩き、「第四只見川橋梁」で只見川を渡り、杢(木)冷沢に入り上流の太郎布高原を目指してゆくというルートを想定したい。JR東日本の理解と協力を仰がないと実現できないが、検討すべき魅力が杢(木)冷沢にはある。 *参考:奥会津書房 朝日新聞福島版「奥会津に棲む神々ー木冷沢 静寂を縫う「蛇の化身」」(2000年11月16日)

 

杢冷橋を後にして、会津中川駅方面に向かって町道を進んだ。

長く急な坂を進むと「アザキ大根畑」に通じる杢(木)冷沢左岸の道路への分岐に着く。T字となっている付近に目を凝らすと、碑があった。近づいて見ると「宮崎栗団地跡」と刻まれていた。「宮崎栗団地」は宮崎地区の栗団地ということで、このあたりで栗が栽培されていたのだろうか。

  

この先の町道は拡張工事が行われいるようで、路側帯まで持った幅広の道路とグレードアップし、途中まで緩やかに下っていた。

 

大カーブに進むと、旧道が現れ見比べられた。道幅や傾斜、カーブ径が一目瞭然だった。この先の集落の規模を考えると、旧道の不都合がピンとこなかったが、我々が想像できない冬場の積雪や凍結などの障害があるのだろうと思った。

 

更に下って行くと工事看板があり、福島県発注の道路新設工事である事が分かった。

 

旧道の上の崖を崩し、道路幅を確保するという大掛かりな工事で、町道にもかかわらず県が工事主体となっているのだろうか。

 

旧道の様子。確かに急カーブが多く冬場は大変だと思う。バイパス貫通は地元の悲願なのだろう。

   

 

17:24、町道を進み、只見線の中川構内踏切を渡り国道252号線に入った後、会津中川駅に到着。屋根が工事中だった。

  

駅のロケーションはなかなか良い。

 

乗っているとさほどでもないが、列車が含まれる風景は秀逸だ。春は、桜の巨木が駅舎を包むみ風情がある。いずれ列車との写真を撮りたいと思っている。

 

 

会津中川駅から100mほどの場所にある道の駅「奥会津かねやま」に向かった。

 

できれば、ここに併設された食堂(こぶし館)でアザキ大根おろしのついた「高遠そば」を食べたかったが、営業時間が15時までと今回は叶わなかった。次回の楽しみにしたい。

 

道の駅の売店をのぞく。ここには野菜も売っているが、アザキ大根は無かった。だが“只見線応援商品”として「只見ポンせん」なるものがあった。

  

一通り売店を見た後、喉が渇いていたため、「奥会津金山 天然炭酸の水」を購入。敷地内にある県重文の旧五十嵐家を見ながら、一気に飲み干す。柔らかい刺激で、他の炭酸飲料では感じたことがなかった爽快感を味わった。

   

道の駅「奥会津かねやま」の敷地の南は、中川農村公園(天文年間遺跡の宮崎舘跡)に接し、只見川(上田ダム湖)と大志集落を見る事ができる。


「道の駅 奥会津かねやま」を後にして、会津川口駅に向かった。

国道252号線を自転車を走らせると、まもなく、約2時間30分前に見下ろした大志集落に入った。

 

国道を少し進み前方を見上げると「大志俯瞰」の二つの鉄塔が見えた。かなり高い所である事が、より実感できた。

   

国道を進み第五沼田橋を渡り、只見線を超えた。

   

18:12、上井草橋に到着。 ここで会津若松からの列車が通過するのを待った。列車の写真を撮るためだ。

    

18:45、会津中川駅を出発した列車の汽笛が聞こえる。そして、レールを滑る音がして、大志集落に2両編成の列車が現れた。列車が橋を潜る手前まで待って、シャッターを切った。

2両目がほとんど映らず、シャッターは早かったようだ。でも、個人的には期待していたものに近い構図となり、満足だった。  


更に、橋の反対側に行き、会津川口駅に入って行く列車を撮った。撮ってから気づいたが、水面に映る列車の極一部が欠けていた。もう少しシャッターを遅く切れば、より良いものになっただろうと、鉄道風景写真の難しさを改めて思った。

 

 

撮影後、すぐ会津川口駅に向かった。駅に到着後、自転車を輪行バッグに入れ、構内に入り営業終了した売店の前で“Youはどこから?”ボードを見た。

 

アイルランドの男性がやってきたようだった。前回(5月22日)には書き込みが無かったので、この間に訪ねてきたのだろう。自然豊かなアイルランドに暮らす方が、金山町や只見線沿線の風景をどう思ったのか聞きたいと思ってしまった。

   

 

改札を通り、先程撮影した列車が停車するホームに向かった。構内踏切に立ち、「只見ユネスコエコパーク」の“新ラッピング車両”を正面からじっくり眺めた。パーク内の山の稜線やイヌワシなど生息する動植物、そして三石神社などの絵が、只見川をイメージしたという青緑色の車体に描かれているのが分かった。

  

車内には乗客がおらず、出発時には私の他1名だけだった。只見線の現状に落胆した。

19:09、会津若松行きの列車が定刻に会津川口を出発。 

 

陽が落ち、大志集落と山々の稜線と映した只見川の水面は、静かでありながら確かな美しさを見せていた。

    

車内では、列車旅に欠かせない酒を頂く。今日は名倉山のワンカップ。車窓に目を向けながらちびちびと呑んだ。

  

 

20:58、列車は順調に進み、会津若松に定刻に到着。今夜は若松で泊まり、明日の「志津倉山」山開き登山(三島町)にそなえた。

  

今日の旅は、尻吹峠の登坂は時間に追われている事もあり相当きつかったが、真夏を思わせる強い陽射しの元、初夏の心地よい風を浴びながら「大志俯瞰」から「アザキ大根の花畑」を巡る事ができ、充実したものになった。 

  

金山町の「大志俯瞰」と「アザキ大根の花畑」は、天候が良かったこともあったが、見ごたえがあり、また訪れたいと思わせる“リピート力”があると感じた。

この二つの場所は、只見線の乗客には是非訪れて欲しい場所ではあるが、やはり二次交通の問題が出てくる。二次交通の整備無くしては、宝の持ち腐れになってしまう。また、このような複数の観光資源を組み合わせ、只見線の乗客の滞在時間を伸ばす仕掛けも必要だ。関係者には『泊まって、もっと観たい』という最高の結果を目指して、策を練って欲しいと思った。

   

「大志俯瞰」と「アザキ大根の花畑」のような、“知る人ぞ知る”埋もれた観光資源が活かされ、只見線の乗客が増え、沿線の宿泊客が増えるよう、今後も私は自分なりに行動したいと思う。

 

 

(了)

  

 

・ ・ ・ ・ ・

*参考:

・福島県  生活環境部 只見線再開準備室:「只見線の復旧・復興に関する取組みについて

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

  

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

  

以上、よろしくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)し、2022年10月1日(土)、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、車窓から見える風景写真を中心に掲載し、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す只見線の乗車記や「会津百名山」等の山行記、利活用事業に対する私見等を記します。

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