只見町「苧巻岳」登山 2025年 春

観光鉄道「山の只見線」”の利活用を目的とした、私選“只見線百山”候補の検証登山。今日は、二等三角点を持つ「苧巻(おまき)岳」(909.5m)に登るため、JR只見線・只見駅で列車を降り、輪行した自転車で蒲生川沿いの取付き点に向かった。

 

「苧巻岳」は只見町にあり、“会津のマッターホルン”こと「蒲生岳」の麓にある只見線・会津蒲生駅の北西西2.7kmに位置している。*下図出処:国土交通省 国土地理院「地理院地図」URL: https://maps.gsi.go.jp/

只見線の車内からもその山容を一部が見られ、会津若松駅発の列車が会津蒲生駅に近づくと、左車窓から「苧巻岳」の山頂と東裾を捉えることができる。

また、「蒲生岳」の登山道からは、蒲生川沿いの田園の先に、山塊の中で一番高い「苧巻岳」を認める事ができる。

おまきだけ 苧巻岳 (高)910m
福島県南会津郡只見町。只見線会津蒲生駅の西3km。
*出処:「日本山名事典 <改訂版>」(三省堂、p221)

 

ちなみに「日本山名事典」によると、全国に「苧巻岳」は二座記されているが、もう一座も只見町内にあり、田子倉ダムの北西約1kmに位置している。

田子倉(ダム)湖上らから見ると、こちらの「苧巻岳」は、はっきりとした凹型の印象的な山容を見せている。

 

今回は、魚沼市・小出駅から只見線の上り始発列車に乗って只見駅で下車し、輪行した自転車に乗って移動する旅程を立てた。

天気予報は晴れ。当地の残雪具合は不明で、取付きルートにどれほどの残雪があり急坂かは不明だったが、最短ルートを採ったため、山頂まで1kmほどどいうこで、さほど困難を感じず登頂できると考え、「苧巻岳」登山に臨んだ。

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト 

・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日) 

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ -只見線の春- / -只見線沿線の“山”-

 

 


 

 

今回の旅の出発は小出駅。

朝早く駅前の宿を出て駅に向かうと、まだ雪を多く残した“ハナコ”こと「越後三山」が見えた。*「越後三山」:「八海山」(1,778m、新潟百名山54座)、「中ノ岳」(2,085.1m、同53座)、「越後駒ヶ岳」(2,002.7m、同52座)

駅舎に入ると、「ふくしまデスティネーションキャンペーン(DC)」(2026年4月1日~6月30日)のプレキャンペーン(今年4月1日~6月30日)のポスターが置かれていた。*「ふくしまDC特設サイト」URL:https://www.fukushima-dc-cp.jp/

壁に掲げられた時刻表を見た。小出発・会津若松行きの始発列車は5時36分であまりにも早く、約7時間30分後に出る次の列車との間に、最低もう1本追加して欲しいと改めて思った。

時刻表の下には、現在区間(只見~会津川口)運休している只見線について、代行バスに関する案内が掲示されていた。

 

輪行バッグを抱え、改札口を抜けて只見線の4-5番線ホームに向かった。列車は東北本部色のキハ110の単行(1両編成)で待機中だった。

跨線橋を渡りホームに下り、ドアを開けて列車に乗り込んだ。

荷物を車内に置いてホームに出て、南端から「越後三山」を眺めた。今年、1泊2日の予定で「越後三山」に登りたいと思っている。

東に目を向けると、“権現堂山”(「下権現堂山」(896.7m)、「上権現堂山」(997.7m))から「唐松山」(1,079.4m )に至る稜線が見えた。*参考:拙著「魚沼市 “権現堂山” 登山 2020年 盛夏」(2020年8月13日) / 「魚沼市「唐松山」登山 2024年 初冬」(2024年11月25日)

 

5:36、只見線の上り1番列車(只見行き)が、小出を出発。「苧巻岳」の最寄りは会津蒲生駅だが、区間運休ということで只見駅までの切符を購入した。

列車が走り出してまもなく、「魚野川橋梁」を渡った。上流側には、「越後三山」などの山々が見えた。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス「歴史的鋼橋検索」

 

小出駅からの客は7人。結果、この私を含めた客は全て旅行者のようで、六十里越を越えて福島県に入っていった。

 

水が張られた田んぼが現れてまもなく、左車窓からは、昨日“登った”、二等三角点峰の“大平山”(319.6m)の平たい山容が見えた。


藪神を経て、列車は「第一破間川橋梁」を渡った。雪融け水の影響か、破間川の水量は多かった。

 

車窓からは、早朝ということで、山から昇る太陽が良い景観を見せてくれた。

越後広瀬付近では、水が張られた田に淡い陽光が映り込んでいた。

魚沼田中を出ると、ハウスに陽光が差し、面白い眺めだった。

 

列車は、越後須原に停車。須原スキー場を南東面に持つ四等三角点峰“西村山”(548.7m)が見えた。*参考:拙著「魚沼市「鳥屋ガ峰」ー 四等三角点「西村山」トレッキング 2023年 初冬」(2023年12月9日)

そして、越後須原を出てまもなく、右車窓の前方には「守門岳」山塊が見えた。*「中津又岳」(1,388m)、「大岳」(1,432.4m)、「青雲岳」(1,490m)、「守門岳(袴岳)」(1,537.3m、新潟百名山44座)

 

上条手前で、“撮る人”が見られた。一番列車は、空気が澄み、順光ならば車体に陽光が差し良い写真が撮れるようだ。

 

入広瀬を出ると、右車窓から私選“只見線百山”の候補にしている二等三角点峰「ほとら峯」(623.9m)が見えた。この連休の魚沼遠征で登りたいと思っていたが、叶わなかった。

 

列車は、「第三平石川橋梁」を渡った。左車窓からは破間川沿いに築かれた国道252号線柿ノ木スノーシェッドの真っ赤な鋼材が見えた。*破間川は、源流から旧大栃山村と旧穴沢村の境界(黒又川合流点付近)までを平石川と呼んでいたため、橋梁名にその名残がある

「一ツ橋トンネル」を抜けると、破間川のエメラルドグリーンの激流が見えた。雪融け水が豊富な、この時期に見られる眺めだった。

 

6:20、新潟県側最後の駅、大白川に停車。大白川始発・小出行きの列車が待機していた。

破間川の激流の先には、今回の魚沼遠征で「ほとら峯」とセットで登る計画を立てていた、二等三角点「大白川」(797m)が置かれていた山が見えた。

 

6:32、小出行きを見送った後、列車は大白川を出発。直後に破間川に架かる最後の橋である「第五平石川橋梁」を渡った。右前方には、これから16回渡河する末沢川が見えた。

 

「第六末沢川橋梁」を渡ると、下部アーチ鋼材の赤が眩しい、国道252号線の茂尻橋が右車窓から見えた。

この先、末沢川は“渓谷感”が増していった。狭隘な谷に見える水勢と急峻な河岸の残雪と鮮やかな新緑は、福島県側では見られない光景だった。

そして山裾に近づいた場所では、再び根開きと幼木の新緑が見られた。

車窓から雪深い地の早春の光景が見られる只見線は、“観光鉄道「山の只見線」”を名乗るに相応しい、と改めて思うとともに、列車が“観光徐行”すれば、この風景に魅せられる客は増え只見線全体の価値は更に高まるのではないかと思った。

 

列車が「第十四末沢川橋梁」を渡ると、上流側に電源開発㈱の末沢川第二取水ダム...、

毛猛平踏切を通過した直後には、すっかり雪融けして姿を現した保線用の作業小屋が見られた。

 

6:44、列車は、「第十五末沢川橋梁」‐「第四毛猛トンネル」‐「第十六末沢川橋梁」とたて続けに通過し、“会越国境”の「六十里越トンネル」(6,359m)に入り、魚沼市を後にした。



6:51、トンネルの中程で上りから下りに変わり、列車はディーゼルエンジンの出力を落とし軽やかに駆け抜け、福島県南会津郡只見町に入り只見沢を渡った。新潟県側と変わらぬ空模様で、朝の穏やかな陽光が残雪と若葉を照らしていた。

渡河後、左車窓の正面には雪を多く残した只見四名山「浅草岳」(1,585.4m、会津百名山29座)が見えた。

 

国道252号線を潜り抜けた列車は、田子倉駅跡が残るスノーシェッドを抜け、余韻沢橋梁を渡った。右車窓からは電源開発㈱田子倉発電所・ダムのダム湖が見えた。禿げた湖岸がかなり剥き出て、山々からやってくる融雪水のために貯水量を減らしているのだろうと思った。

 

この後、列車は下り坂を軽やかに駆け、「第二赤沢トンネル」抜けた直後に右車窓から振り返ると、電源開発㈱只見発電所・ダムの洪水吐ゲートと、奥に谷間を塞ぐ田子倉ダムの巨大な堰堤が“寝観音”様を背後に据え見えた。

 

「上町トンネル」を抜けると只見町の市街地が見え、列車は減速した。只見スキー場のゲレンデの雪は融け、山肌が露わになっていた。

列車は宮道踏切を通過すると、「駅前旅館 只見荘」の女将さんが手を振り出迎えてくれた。上下3本、到着と出発毎に列車に手を振ってくださる女将に、感謝の意を込めて手を振り返した。

 

7:01、現在の終点・只見に、定刻に到着。

ここから先会津川口までは、今年の2月4日から列車が走っていない。今冬の雪は確かに多かったが、5月になっても復旧しないとは思いもしなかった。

列車を降りて、輪行バッグを抱え駅頭に出ると、会津川口駅行きの代行バスが停車していた。列車から降りたほとんどの客が乗り込んでいた。

駅頭に、只見線全線運転再開(2022年10月1日)のカウントボードは947(日)と表示していた。

そして、「只見線広場」の脇に立つ案内板越しに、「猿倉山」(1,455m)から「横山」(1,416.5m)の稜線に現れる“寝観音*”様が見えた。*「猿倉山」が横顔、「横山」は座禅し組んでいる両手を表している

 


7:23、輪行バッグから取り出した自転車を組み立て、只見駅前を出発。今回の“三連休山行”は、移動距離が10㎞未満ということで、少し重いが、自転車は収納・組立が容易なDAHON社の折り畳み自転車にした。

駅舎から少し北に移動し、「要害山」(705m、同91座、只見四名山)を背景に、私が乗ってきたキハ110東北色を眺めた。

この後は国道252号線に入り、北に進んだ。途中、只見線の線路を潜る、沢を眺めた。『水量が多いなぁ』と思った。

さらに進むと、只見川に近づいたが、国道と隔てる木々がほとんど無くなっていた。

この付近は河岸の拡張工事をしているようだったが、越水時の減勢の役割をするであろう木々を伐採するとは思わなかった。

だた、只見川に近づき、河岸工事が済んだ状態を見ると、河道はかなり広げられたようで堤防が国道の近くに設けられていることから、必要な伐採だったのだろうと思った。

只見線を11年2カ月もの間運休に追い込んだ「平成23年7月新潟・福島豪雨」を受けて、福島県は只見川などの河川で被害をもたらした箇所に大規模改修を進めている。この工事は30年かけて、築堤嵩上げ・掘削・築堤などを施すことになっている。*下記事出処:福島民報 2014年9月8日付け1面


さらに国道を進み、叶津地区に入り堅盤橋を渡り只見線最長の「叶津川橋梁」(372m)を眺めた。

堅盤橋の反対側に移動し、上流側に「浅草岳」を眺めた。「六十里越トンネル」を抜けた直後に、只見線の列車内から見た山容とは大きく違うことに、改めて『不思議だなぁ』と思った。

  

「叶津川橋梁」を潜り、八木沢地区の住宅地を抜け、国道の八木沢スノーシェッドを潜り抜けてまもなく、前方正面に“会津のマッターホルン”こと「蒲生岳」(828m、同83座、只見四名山)が見えた。そしてT字路を左に曲がり、町道真奈川線を進んだ。

少し町道を進み、真名川踏切手前で「蒲生岳」を眺めた。ここは、蒲生川橋梁を渡る列車の撮影ポイントになっている。

 

踏切から400mほど町道を進むと、集落を離れた人気のない場所になったので、熊鈴を身に付けた。

スギ林の中に残雪があり、町道の両脇には除雪面が見られた。


国道252号線から分かれて800mほど進むと、前方に「苧巻岳」が現れた。登る前に、山頂を含めた山全体が見えると、目標がはっきりして良いと感じた。

さらに町道を進み蒲生川が近付くと、前方に建物が見えた。形状から、農作業用の小屋と思われた。

この小屋の前い到着し状態を見ると、未だ今春は使われていないようだったので、自転車を置かせてもらうことにした。そして、余計が荷物を自転車に取り付け、登山の準備をした。

準備を終えると、印刷してきた地理院地図を取り出し、取付き(登山)ルートと等高線を確認した。取付き点から山頂まで距離は短いが急坂、ということで気を引き締めた。

 

 

8:10、小屋の前から「苧巻岳」山頂を見据え、登山を開始。

町道を進むと、まもなく用水路が見られ、山側から勢いよく水が流れていた。今冬の大雪は、只見線沿線の山々に豊富な水資源をもたらすだろうと思った。

そして、山裾が町道に近づいている場所があり、町道には鉄板が敷かれていた。このあたりを取付き点としていたため町道から離れ枯草が覆う、緩やかな斜面を進んだ。

50mほどで雪が残る斜面となり、ここから「苧巻岳」山頂に向かって取付いた。

斜面には、薄紫のイチゲと、花開いたフキノトウが地表から顔を出していた。


取付いた斜面は激藪で、左側の沢に残る雪渓に逃げた。

雪渓は急坂だったが、登り進めないことはないと思い、しばらく雪上を進むことにした。

雪面は固く靴底が滑り出したので、軽アイゼンを足裏に取り付けた。

 

軽アイゼンの爪を確実に雪面に刺しながら、雪渓を進んだ。

まもなく斜面には、灌木を生やした岩が複数見え、少し気味が悪かった。

そして少し進むと、雪渓は上方まで延び、500mはあろうかという長さだった。

事前に想定したルートは尾根を進む事になっていて、『雪崩や滑落(滑降)の可能性のある雪渓は避けた方が良いのでは』と考えたが、この雪渓はしっかり締まって歩き易く、激藪の尾根を進み体力を消耗するよりは良いだろうと、雪面を登り進むことにした。

 

雪渓を進む。

雪融けした箇所からは、根曲がりした幼木や灌木が突き出ていた。“根曲がり木”がどのようにできるかよくわかる構図だった。

 

雪渓は傾斜があり、私にとって過去最高の急坂直登だったが、足元は安定し続け、雪上を吹き抜ける風の冷気も気持ちよく快調に登り進められた。高度はどんどんと上がり、振り返る度に、見下ろす景色の変化に感嘆した。

 

雪渓といえば、雪崩。今日は強い陽射しがあり、気温が上がるとの予報だったため、雪面のひび割れや、雪塊が擦れあう音などに注意しながら登り進んだ。途中、雪面に窪みはあったが、他に異変は見られず、感じられなかった。

 

8:53、左側の尾根越しに「蒲生岳」と「鷲ケ倉山」(918.4m、同71座)が見られた。*参考:拙著「只見町「鷲ケ倉山」登山 2020年 晩秋」(2020年11月22日)

そして、麓の方に目を凝らしデジカメをズームにすると、自転車を置かせてもらった作業小屋も確認できた。

 

また、少し進むと、雪渓上に巨木が見られるようになった。

この急斜面で雪重に耐え、さほど根曲がりせずに育ったブナの巨木を見上げ、感動した。

   

9:04、前方に枝ぶりが左右均整の取れたブナが現れた。

この先、雪渓は二手に分かれた。真ん中の藪が濃い尾根に取付くのも考えられたが、『可能な限り雪渓を進み、高度を稼ぎたい』と思い、雪渓の終端が見える右側を進むことにした。

 

右側の雪渓は、見た目より傾斜があった。滑落の危険を感じたため、雪融けしている右の藪に近づき、慎重に登った。

途中、振り返ると斜面の傾斜に慄いた。『下山時、雪渓を下るのは危険だなぁ。藪尾根を下るしかないようだ』と考えた。

 

また、進むと雪渓の縁が崩れていて、大きな雪塊や...、

雪融け水による陥没や、切れ目が見られた。このルートは下山時に選択できない、と考えながら足元に注意し慎重に登り進んだ。

雪渓の脇の藪が薄い場所では、藪の中を進んだ。

 

雪渓の終端が見え、その先には岩肌とマツの生えるピークが見えた。

 

9:28、雪渓の終端に到着。振り返ると、素晴らしい眺望だった。雪渓の白、ブナの新緑、蒲生川の青い筋、麓の田園を取り囲む雪食地形の岩肌や芽吹きを待つ木々。奥会津の早春の良き風景だった。

 

雪渓に別れを告げ、岩肌が顔を出す急坂に取付いた。斜面にはケモノ道か“登山路”か不明な踏み跡が見え、土面に足を滑らせたと思われる痕跡もあった。

急坂には、カタクリの花が点々と咲いていた。春の訪れを告げるこの紫の花は、陽光を浴びていると美しさが増し、元気がもらえると思った。

 

斜面の踏み跡は続いたが、行く手を遮る逆木が何本かあり、越えるのに難儀した。

 

9:44、眼前に岩壁が現れた。岩が突き出て、剥離しそうな壁でとても登れるような場所ではなかった。

そこで、右(南)にトラバースした。かなりの急斜面を横切ることになったが...、

斜面下には、びっしりと灌木が生えていたため、さほど恐怖を感じなかった。

 

まもなく、左前方に「会津朝日岳」(1,624.3m、同27座、只見四名山)の山塊が見えた。

 

斜面には、滑り台のような、直線に地表が削れている場所があった。雪崩が作ったにしては、幅が狭いので、どのような原理でこうなったのだろうと思った。

また、エメラルドグリーンがひと際目引いた緑色凝灰岩(グリーンタフ)も見られた。*参考:只見ユネスコエコパーク「只見の自然と暮らし」-只見の自然環境-

 

斜面を横切り進む。前方にマツが見え、『あのあたりが肩で、一息つけるだろう』とまっすぐ進んだが、マツの幼木の逆木に行く手を阻まれた。

やむなく、斜面を上方に登り進んだが、すぐに岩場に前を塞がれた。この岩場、四角岩を積み上げたようで、人為的に造られたもののように見えた。

この岩場から再び斜面を横切り進むと、目指したマツが現れたが、何と急坂の中に立つ孤木だった。

『ここでは一息付けない』と、斜面を直登することにした。そして、藪を掻き分け進むと、雪渓とその上方に尾根筋が見えた。

足元のイワカガミの群生に元気をもらい、シューズを地面にしっかりと固定し、さらに藪を掻き分け進んだ。

 

10:21、肩が現れ、一息ついた。トラバース開始点から、感覚的に100mにも満たない距離だったが、激藪・逆木に阻まれて30分以上掛かってしまった。

この肩からの眺望は、良かった。只見町を中心とする奥会津特有のアパランチシュートを持つ雪食地形が、瑞々しい新緑に彩られていた。*参考:国土交通省北陸地方整備局 阿賀野川河川事務所「雪崩によって作られる地形~奥只見」/ 只見町ブナセンター 公式Youtbeチャンネル「雪食地形」 URL: https://www.youtube.com/watch?v=3GlGRpgXHoY

後方に連なる山稜は、一等三角点峰「貉ヶ森山」(1,315.1m、同49座)を主峰とするもので、その手前には“登山路無し・急坂激藪”の「笠倉山」(993.7m、同66座)が確認できた。*参考:拙著「金山町「貉ヶ森山」登山 2021年 秋」(2021年10月23日) / 「只見町「笠倉山」登山 2021年 紅葉」(2023年11月13日)

「会津朝日岳」も、只見町只見地区の街並みとともに良く見えた。また、眼下の残雪に映えるブナの鮮やかな新緑との構図も素晴らしく、『この風景を見るために登るだけでも価値がある』と独り言ちた。*参考:拙著「只見町「会津朝日岳」登山 2022年 紅葉」(2022年10月20日)

街並みに向かって、カメラをズームにすると伊南川が只見川に合流する場所で、入浴施設「ひとっぷろ まち湯」が確認できた。

 

登山を再開。

尾根の傾斜は緩やかになったが、膝丈のシャクナゲ群がすぐに現れ、灌木の藪も濃くなった。

根倒された灌木を横目に、『もう少し雪が残っていれば...』と思った。

救いは、灌木が無葉だったこと。有葉期であれば、先も見えず、登り進むのは更に大変だろうと思った。

また途中、地面の土が見えている箇所が見られた。カモシカかクマが最近通ったようで、ケモノ道になっている場所だった。

 

10:30、藪を掻き分けて進むと肩部になり、奇妙な場所に突き当たった。掘り出されたような大きな岩が転がり、斜面には横穴があった。横穴は『クマが冬眠できるのでは?』と思えるようなスペースがあった。“熊の寝床”と名づけた。

この“熊の寝床”周辺は灌木が繁っていたものの、まずまずの眺望が得られた。

「会津朝日岳」方面。

「蒲生岳」「鷲が倉山」方面。

「貉ヶ森山」方面。

 

登山再開。

“熊の寝床”を出て、上方に見える山頂尾根を目指し、激藪の尾根を進んだ。

綺麗なシャクナゲの花が見え、『ナゲ場かっ‼』と一瞬恐怖したが、シャクナゲは一塊だけだった。

登り進むにつれて藪は濃くなったが、前方の様子から『山頂尾根の稜線が近づいている!』と思い、気合を入れて藪を掻き分け、足を進めた。

  

10:41、ピークに乗った。地理院地図から標高は810mで、南側には真っ白なタムシバの花が咲き誇っていた。

ここからは、南南西に「猿倉山」(1,455m)から「横山」(1,416.5m)の稜線に現れる“寝観音”様が見えた。*“寝観音”様:「猿倉山」が横顔、「横山」は座禅し組んでいる両手を表している

そして、正面(西)には「苧巻岳」山頂の手前のピークが見え、目指すべき方向と距離がはっきりした。

 

先に進んだ。

背丈は無かったが、尾根は激藪に覆われていた。

激藪を泳ぎながら抜けると、まもなく鞍部への下りになった。マツを避けながら、ササに覆われた尾根をを下った。


鞍部に近づき、ササ群を抜けると前面が開け、「苧巻岳」山頂尾根の全貌が見えた。双耳峰とまでは行かないが、凹型の山頂尾根は特徴的だった。*右奥(北西)は三等三角点峰「大倉山」(984.5m)

 

鞍部に達すると、右側(北)が幅広く切れ落ち、麓まで一気に見通せた。北北東の上流側に延びる蒲生川の両側には開けた真奈川集落跡も確認できた。

この鞍部の南側も眺望良く、再び雪食地形越しに、「会津朝日岳」山塊を見晴らせた。

 

鞍部から登り返すと、まもなく岩場が現れた。

足元には、鮮やかな黄色い花が一輪咲いていた。

岩場を登り進むと、岩壁が行く手を阻んだ。『これを登るのか⁉』と呆気にとられたが、左側に回ると割れ目があり、そこに体を入れ登り進むことができた。

岩壁の割れ目を登りきると、前方に“双耳峰”手前(東)のピークを見ながら藪を掻き分け進んだ。

ピーク手前には、小さな雪塊があった。


11:07、東ピークの乗った。山頂尾根は、ハイマツなどの灌木を中心とする藪に覆われていた。

東ピークから、浅い鞍部に下った。

 

11:12、鞍部に到達する前に左後方(東)の麓に目を向けると、赤や青の集落の屋根が見えた。

カメラをズームにすると、只見線レールが見えた。会津蒲生駅の手前(会津若松寄り)、宮原集落付近だった。

この眺めから、列車の中から見える「苧巻岳」に居ることを実感した。

 

鞍部からの登り返し。幼木・灌木が密集していたが、無葉で未だ幹が柔らかいため、見た目ほど行く手を阻まれなかった。『藪山は早春に限る』としみじみ思った。

だた、まもなくハエマツなどの常緑低木の激藪に入った。ここは、キツかった。

 

激藪を抜けると、“双耳峰”西ピーク、「苧巻岳」山頂が見えた。

そこには、やや尖った岩、“尖がり岩”が突き出ていた。

 

11:22、“尖がり岩”の背後に登り立ち、麓を眺めると、孤立峰ならではの素晴らしい見晴らしの眺望が得られた。

雪食地形に残るモザイクの残雪と鮮やかななブナの新緑という、“早春の奥会津の山並み”を堪能できた。

北東に、「貉ヶ森山」の山稜を背景に、幾重にも連なる山々。

南には、「会津朝日岳」から尾瀬方面に連なる山々と、只見川とその支流・伊南川。

そして、南西には一等三角点峰らしい稜線を見せる「浅草岳」(1,585.4m、同29座)があった。

 

“尖がり岩”眺望から力をもらい、山頂の三角点標石を目指し、先に進んだ。灌木が密集し、ナゲ場もあったが、灌木は無葉でナゲは膝下程度だったため、見た目より楽に進めた。

GPSを見ると、三角点標石まで30mだった。

 

まもなく前方が、藪に覆われているようだったが、平らになった。そして、中央に白く、四角いモノを認めた。

少し近づくと、形がはっきり見え、三角点標石と確信した。

 

11:32、「苧巻岳」山頂に到達。作業小屋から3時間22分掛かった。想定時間より20分ほどオーバーしたが、三角点標石が露わになった山頂に到達でき、ホッとした。

屈んで標石の側面の腐葉土を除けると、“二等”の刻印をはっきりと確認できた。

*「苧巻岳」:二等三角点「苧巻岳」
基準点コード:TR25639026401
北緯:37°23′14″.3039
東経:139°18′12″.2574
標高(m):909.53
埋定:明治38年10月25日
*出処:国土地理院地理院地図「基準点成果等閲覧サービス」
(URL:https://sokuseikagis1.gsi.go.jp/) 

 

二等三角点「苧巻岳」に触れて、登頂を祝った。

 

山頂は籔に低い籔に覆われ、三角点標石からの眺望は良く無かった。

北側。マツが生えている事もあり、眺望は得られなかった。

登ってきた東。密な藪で、眺望無し。

西側。灌木で視界は良くないが、無葉なため、少し先に進むと...、

新潟県魚沼市、只見線・大白川駅の北6.4kmに位置する、「袴岳」(1,537.3m)を主峰とする、「青雲岳」(1,490m)、「大岳」(1,432.4m)の「守門岳」山塊が見えた。

 

南側も灌木に覆われていたが、南西は開け...、

「浅草岳」(1,585.4m、同29座)の、一等三角点峰らしい山容が見えた。

灌木を掻き分け、南側の斜面の縁に行くと、「猿倉山」から「横山」にかけての“寝観音”様が見えた。只見駅前や、只見ダム堰堤から見える“寝観音”とは違い、山塊の両裾が一望できた。

 

一通り眺望を楽しみ、軽く腹ごしらえ。ミニドーナツを2ヶを食べた。三角点標石に触れられ、奥会津や福島‐新潟県境の山々を見られ、格別なミニドーナツだった。

 

11:49、「苧巻岳」山頂を後にした。

 

山頂尾根を進み、“尖がり岩”の上に立ち見下ろした。個人的には、ここからの眺望が一番良いと思い、『この早春の奥会津の山々の景色は、周知されれば多くのファンを得るだろう』と考えながら見入った。

 

鞍部に下り、“双耳峰”の稜線を進み、“大岩の割れ目”を下った。

大岩を越えると、麓が藪越しに見えた。

カメラをズームにすると作業小屋が見え、自転車が無事であることが確認できた。

 

12:22、810mピークに着く。左は往路(登山時ルート)で急坂を下る必要があるということで、右側に下り進んだ。

左手に往路のルートを見ながら、急坂を慎重に下った。

 

50mほど下ると前方が開け、ほぼ直角に切れ落ちていた。岩壁の上だった。先に勧めない事は明白だった。

止むを得ず、引き返した。ここの急坂にはシャクナゲも自生していたこともあり、登り返しは難儀した。

6分ほどで、810mピーク手前に戻り、ピークには乗らず、横移動し隣りの尾根を下る事にした。

隣りの尾根も急坂だったが、灌木が密集していたため、滑落の危険を感じず進めた。

しばらく下って振り返ると、ここが往路(登山時ルート)であることが分かった。

右に目を向けると、先ほど引き返した場所が正面にあった。切り立つ岩場に、『そのまま進まなくて良かった』と安堵しながら眺めた。

 

往路ルートには“雪渓終端の急坂岩場”があるということで、ここから右側にルートを採り、すこしでも傾斜が緩やかな場所を探しながら下り進む事にした。

斜面側に延びる逆木の灌木を越えて進むと、まもなく大きな雪渓が現れた。

 

12:52、雪渓の上端に座った。下方を覗くとかなりの急坂で、全身が強張った。雪渓の下端は麓まで続いているようで、長さは500m以上あるような感覚だった。

『こりゃ、滑落(滑降)したら、大ケガ間違いなしで、最悪死ぬな』と思い、お尻を雪渓に付けながら少しずつ下ろうとすると、滑ってしまった。滑落だった。 

『やばい!、やばい!、このまま滑り落ちたら大ケガか、最悪死ぬっ!』と思い、『どうしよう』と考え、『これしかないっ!』と右手に持ったピッケルのヘッド部のブレードを雪面に刺し、スピードが落ちたのを見計らって、ブレードを更に強く雪面に押し込んだ。

すると、止まった。冷や汗が出ているのを感じながら、慎重に振り返ると、100mほど滑落していたようだった。

ピッケルのブレードを雪面に刺しながら、どうしたものかと下方を見ると、右前方に雪上に延びる逆木群があった。『とりあえず、そこに行って、軽アイゼンを登山靴に取付けよう』と思い、雪渓を静かに右に横移動した。 

そして、逆木群が正面に見下ろせる場所になったところで、『ここから、ゆっくり下ろう』と前に進もうとしたところ、また、滑りだしてしまった。

『やばいっ!やばいっ!減速!減速!』とピッケルのブレードを雪面に刺し減速し、太めの逆木に叉を乗せて何とか止まった。

振り返ると、今回も70~80mほど滑落したようだった。3分前いた滑落ポイントは、ずっと上方だった。

ピッケルを見つめ、“命の恩人”に感謝した。今回の「苧巻岳」登山は残雪+急坂という条件だったので、ピッケルを購入し帯同しておいた。道具の大切さを痛感した。

 

『さて、軽アイゼンを取り付けて、雪渓をゆっくり下るか』と思ったが、乗っている逆木は不安定で、装着できなかった。

止むを得ず、安定した場所まで、意図的に滑り落ちる事にした。ブレードを雪面に刺し、スピードを殺しながら、灌木が突き出た融雪面まで進んだ。振り返ると、ここでは100mほど滑っていた。

そして、またスピードをコントロールしながら50mほど滑り落ちて、ナラの巨木の根元に到達した。

ここで、ようやく軽アイゼンを装着できた。

 

ここからは、雪面を軽アイゼンの爪で削り、段を作りながらゆっくりと降りた。

 

13:15、左側に見覚えのある均整の取れた“美ブナ”を認めた。

近付くと、表面が僅かに融けた自分の足跡があり、この“美ブナ”は登山時に見たものだと分かった。この先は、足跡を辿って下る事にした。

登山時、この“美ブナ”の右側を進んだが、結果どちらも急坂の雪渓を進む事になり、今回採ったルートは上級者向けだった。この両雪渓の間にある融雪した尾根は逆木の激藪に覆われていた事もあり、「苧巻岳」登山で今回取付いた斜面は広く勧められないと思った。

 

“美ブナ”を背にし、自分の足跡を辿りながら、ゆっくりと下った。

雪面は、今日の好天でかなり柔らかくなっていた。滑落より、踏み抜きが怖いと思い進んでいると、ズボッと右足が股下まで埋もれてしまった。ケガは無かったが、この残雪期の登山の怖さを再確認した。

  

踏み抜きの後は、より慎重に下り、傾斜が幾分緩やかになった雪渓の下部に無事到達。方々に木々が突き出ていたため、『これで万が一滑落しても、短い距離で止まり、ケガしても軽く済むだろう』とホッとした。

 

13:31、登山時に、雪渓に乗った場所に到着。

薮に覆われた尾根には乗らずそのまま雪渓を進むと、沢音が徐々に大きくなり、雪渓の終端で小さな沢が見えた。

 

13:34、雪渓から藪尾根に移動し、少し進むと前方が開け、登山時の取付き点になった。滑落があったが、なんとか無傷で戻る事ができた。

町道に合流し、前方に見える青い屋根に向かった。

 

13:38、自転車を置かせてもらった作業小屋に到着。下山は1時間49分だった。

結果、今回の登下山の所要はは5時間28分だった。4時間30分~5時間を想定していたが、改めて登山路無しの藪山は時間が掛かるな、と思った。

 

「苧巻岳」登山は、只見線沿線の登山を開始した2016年10月以降、初めて“死”が頭をよぎったものになったものの、好天の下で無事に二等三角標石に触れ、素晴らしい眺望が多く得られ満足のゆくものになった。

  

登頂を終えて、今回採った取付き(登山)ルートは薦められないものの、「苧巻岳」自体は“只見線百山”に入れるべきだと思った。

その理由は、次の4点。

①山頂尾根に乗ると山頂まで、孤立峰ならではの開放的が眺望を得られる

②山頂尾根から雪食地形・アパランチシュートを持った山々の眺望を得られる

③山頂尾根で「只見四名山」が見られる

④急坂が続くが、孤立峰だけに尾根が入り組まず、道迷いの可能性が低い


肝心の登山ルートは、今回私が採ったルートは危険なので、等高線の幅があり、比較的傾斜が緩やかと思われる北面が良いと思われた。

「苧巻岳」の「点の記」を見ると、当時も北斜面から取付いたようだ。具体的なルートは不明だが、「苧巻岳」山頂から北斜面を見た限りでは、より安全ではないかと感じた。

私は今回の登山で会津蒲生駅からの移動距離を考え、近い東斜面に取付いた。しかし登ってみて、滑落(滑降)を経験してしまった事もあるが、斜面はかなりの急坂で、尾根にいたっては急斜面特有の逆木の激藪が間断なく続き、薦められるルートでは無かった。

唯一、東側斜面を進むと、「蒲生岳」と「鷲が倉山」を終止見られる利点があるが、この点は、北側斜面を登っても山頂尾根の東端に行けば見られるので、「苧巻岳」登山の楽しみが減る事は無さそうだ。 

北斜面も激藪や“逆木のバケモノ”は、かなりの確率であると思われるので、“只見線百山”として集客を期待するのであれば急坂へのヒモ場の設置と合わせ、これら急坂に生える木々の伐採が必要だと思う。

ただ、「苧巻岳」の北東約7kmに位置する会津百名山「笠倉山」(993.7m)が、登山道未整備で、ヒモ場無しの急坂に激藪・“逆木のバケモノ”が途切れない事を考えると、『そのままを楽しむ』という方向もありで、登山路整備には意見が分かれるかもしれない。

 

二次交通について。

会津蒲生駅から輪行した自転車を利用すればベストだが、徒歩移動も無理ではない。今回の東斜面の取付き点までは約2kmだが、北斜面の取付き点となる「あがりこブナの森」入口へはさらに1kmほど進む事になるものの、蒲生川沿いの道は平坦で、1kmほど進むと「苧巻岳」も見えてきて、『あれに登るぞ!』と気持ちが高まり良いのではないだろうか。

 

今回登山を終え、早春(残雪期)の「苧巻岳」は只見線の駅から近しい奥会津の醍醐味を味わえる山、ということで“観光鉄道「山の只見線」”の価値を高める可能性を感じた。また登山道が整備されれば、会津蒲生駅を最寄りとする「蒲生岳」とセットで一日登山も可能になるということで、只見線乗車+登山の代表的コンテンツになり得るのではと思った。

 

13:50、荷物をまとめ自転車にまたがり、只見駅に向かって移動を開始。

途中、振り返って「苧巻岳」を眺めた。

ここは、山頂尾根東端の“尖がり岩”付近から見えた場所だった。

山頂に向けカメラをズームにすると、“尖がり岩”が確認できた。


さらに町道を進むと、まもなく蒲生集落が見えてきた。

町道から右折し国道252号線を進み、八木沢スノーシェッドが近付くと、正面に「浅草岳」が見えた。

そして、八木沢集落の終端からは「会津朝日岳」の山塊が見えた。

   

14:16、途中、国道沿いの松屋で買い物をして、只見駅に戻った。

駅舎の脇で、「苧巻岳」登頂祝いの缶ビールを呑みながら、着替えや自転車を輪行バッグに入れるなどの準備をした。

準備を終え、急ぎビールを呑み干し、駅頭に付けられていた会津川口駅行きの代行バスに乗り込んだ。

 

14:35、会津川口行きの代行バスが、乗客13人を乗せ只見駅を出発。

 

国道252号線を進んだバスは、蒲生橋で只見川を渡った。*只見川は電源開発㈱滝発電所・ダムのダム湖

少し進むと、只見川左岸に沿って延びる只見線に向かって、雪の筋が見えた。只見線を区間運休にしている雪崩箇所だった。

*下記事出処:福島民報 2025年4月19日付け紙面

雪崩防止柵は確認できたが、今冬の大雪は容易にこの柵を越え、なぎ倒した木々を含んだ雪塊を只見線の路盤に流出させたのだろうと考えた。この雪崩が発生した沢付近の木々を伐採するか、柵をより大きなものにするか、自然災害に対する対策は難しいと思った。

 

代行バスは寄岩橋を渡った。橋上からは「第八只見川橋梁」の全体が見えた。*只見川は滝ダム湖

渡河後、まもなく会津塩沢駅が見えた。駅舎(待合室)の壁には、2020年3月まで只見線を掛けていたキハ40とヒマワリの絵が描かれていた。

この壁画は、只見町が舞台となった映画「青春18×2 君へと続く道」で絵本作家志望のヒロインが描いた絵を担当した、絵本作家・吉田瑠美氏によるもの。ヒロインの“後輩”のあたる只見中学校の生徒が、吉田氏に劇中の壁画のような絵を只見線の無人駅に描いて欲しいと要望し、実現したという。*下記事出処:福島民報 2024年9月29日付け紙面


代行バスは滝トンネルを抜けて只見町から金山町に入り、快調に国道252号線を駆けた。西谷地区を過ぎると坂を上りはじめ、左側には「第五只見川橋梁」が見えた。*只見川は東北電力㈱上田発電所・ダムのダム湖

 

15:25、代行バスが会津川口駅に到着。全ての客が降車すると、折返し只見駅行きになるバスに客が乗り込んだ。

私は輪行バッグを携え駅舎を抜け、列車が待つホームに向かった。

 

15:35、会津若松行きの列車が、会津川口を出発。私が乗り込んだ先頭キハE120に8人、後部のキハ110に8人という客数だった。切符は、会津若松~郡山間はWきっぷを使うため、只見~会津若松間(1,690円)を只見駅で購入した。

列車が出発してまもなく、左車窓から只見川に突き出た大志集落を眺めた。少し傾いた陽光を受けた「岳山」山塊は、尾根の襞が浮かび上がり、奥会津らしい景観を創っていた。*只見川は上田ダム湖

  

会津川口駅からは、“只見線おもてなし企画”の観光案内人が2人乗り込み、前後の車両で車内を行き来しながら沿線の見どころを説明していた。


会津中川を出た列車は、会津水沼手前で「第四只見川橋梁」を渡った。


早戸手前で三島町に入った列車は、早戸・滝原の両トンネルを抜け「第三只見川橋梁」を渡った。 *只見川は東北電力㈱宮下発電所の調整池・宮下ダムのダム湖

渡河終了直前に右車窓を振り返ると、上流側に「荒倉山」が見えた。*参考:拙著「金山町「荒倉山」登山 2025年 早春」(2025年3月22日)

 

会津宮下を経て「第二只見川橋梁」を渡った。上流側には、「三坂山」(831.9m、会津百名山82座)の稜線が見えた。*只見川は東北電力㈱柳津発電所・ダムのダム湖

 

会津西方を出て、名入トンネルを抜けると「第一只見川橋梁」を渡った。*只見川はダム湖

上流側、駒啼瀬の右岸上方にある「第一只見川橋梁ビューポイント」に向けてカメラをズームにすると、Cポイントと最上段のDポイントには数名の“撮る人”が居て、こちらに向けてカメラやスマホを向けていた。

列車は“観光徐行”で減速していたため、下流側も見る事ができた。西陽を受けた新緑越しに見る只見川を包み込む風景は、良かった。

  

会津桧原を出て滝谷トンネルを抜けると、「滝谷川橋梁」を渡り柳津町に入った。

 

橋梁区間が終わり、地酒を呑むことに。只見町の松屋で選んだのは開頭男山酒造の「純米酒生 貯蔵酒」。純米酒ながら濃厚で、思のほか香りが立ち、旨かった。

 

郷戸を出ると、“Myビューポイント”を通過。左車窓から振り返ると「飯谷山」(783m、同86座)が見えた。

  

会津柳津を出て、会津坂下町に入った直後に会津坂本に停車。貨車駅舎に描かれた「キハちゃん」が、満面笑みで迎えてくれた。*参考:会津坂下町「只見線応援キャラクター誕生!!」(2015年3月13日) https://www.town.aizubange.fukushima.jp/soshiki/2/3337.html / YouTube「キハちゃんねる」URL: https://www.youtube.com/channel/UChBGESkzNzqsYXqjMQmsgbg

 

塔寺を出てると、木々の間から会津平野が見えた。

 

奥会津とを隔てる七折峠を下り切り、列車は晴天の会津平野に滑り込んだ。正面には会津の象徴でもある「磐梯山」(1,816.0m、同18座)が見えるようになった。


会津坂下に停車。駅名標には、名物の馬刺しと日本酒のシールが貼ってあった。*参考:拙著「会津坂下町「馬肉・地酒」 2018年 冬」(2018年12月26日)

  

会津坂下を出た列車は、進路を南に変え、田植えの準備が進む田園の間を進んだ。若宮手前では、代掻きの終わった田越しに「磐梯山」が見えた。

 

会津美里町に入って、新鶴根岸を経ると西部山地の最高峰である「明神ヶ岳」(1,073.9m、同61座)と、その奥に「博士山」(1,481.7m、同33座)が見えた。

そして、列車は“高田 大カーブ”で進路を東に変えた。

会津高田に停車すると、冠雪した飯豊連峰が北にうっすらと見えた。

 

会津美里町から会津若松市に入った直後に停車した会津本郷では、左車窓の前方から「磐梯山」がよく見えた。

この後、列車は阿賀川(大川)渡り、住宅地の中に入り、西若松七日町で停発車を繰り返した。

 

17:24、列車は終点の会津若松に到着。只見線を利用した「苧巻岳」登山の旅を終えた。運休区間で代行バス利用はしたが、只見線を全線乗車することにもなった。

 

只見線の列車を降りた後は、磐越西線の列車に乗り換え、自宅のある郡山市に向かった。猪苗代付近では「磐梯山」全体が見え、会津に別れを告げた。

 

 

(了)

 

 

・  ・  ・  ・  ・

*参考:

・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

 ①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金

・只見線応援団加入申し込みの方法

*現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/



②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。



以上、宜しくお願い申し上げます。


次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)し、2022年10月1日(土)、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、車窓から見える風景写真を中心に掲載し、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す只見線の乗車記や「会津百名山」等の山行記、利活用事業に対する私見等を記します。

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