私選“只見線百山”候補の検証登山。今年最後となる山は、魚沼市の三等三角点峰「唐松山」(1,079.4m)を選び、JR只見線・越後須原駅から自転車で登山口に向かい、山頂を目指した。
「唐松山」は、「日本山名事典」(三省堂)によると全国に6座あり、最高峰は長野県飯田市にあり1,960mとなっていて、今回登る魚沼市の「唐松山」は2番目の標高になっている。ちなみに“唐松”と名が付く山で有名なのが、飛騨山脈に連なる「唐松岳」で、標高は2,695.9mとなっている。
からまつやま 唐松山 (高)1079m
新潟県魚沼市。只見線藪神駅の東8km。
*出処:「日本山名事典 <改訂版>」(三省堂、p283)
魚沼市街地からも「唐松山」は見えるが、有名な「猫岩」との間に似たようなピーク(ニセ唐松山)があるため、間違われやすい。
登山コースは、登山者が多い南の「手ノ又コース」、急坂直登の北の「松川コース」、そして“権現堂山”(「下権現堂山」(896.7m)、「上権現堂山」(997.7m))を縦走する、計3つのコースがある。*参考:拙著「魚沼市「権現堂山」登山 2020年 盛夏」(2020年8月13日) / 新潟県 環境局環境対策課「権現堂山・唐松山自然環境保全地域」
*上図出処:国土交通省 国土地理院「地理院地図」URL: https://maps.gsi.go.jp/ *筆者にて3カ所の登山口を緑字で記入
今回は、只見線の越後須原駅で降りて、松川登山口から「唐松山」山頂を目指すルートを選んだ。
天気予報は曇りのち晴れで天候に心配は無かったが、標高が1,000mを越えることを考えると、積雪の不安はあった。ただ、積もっていても新雪であるため、軽く登山には支障はないだろうと考え、「唐松山」登山に臨んだ。
*参考:
・(公社)新潟県観光協会:にいがた観光ナビ「JR只見線」
・(一社) 魚沼市観光協会:秘境を行く! JR只見線
・魚沼市 だんだんど~も只見線沿線元気会議:Facebook (URL: https://www.facebook.com/dandandomotadamisen )
・BSN新潟放送公式チャンネル:【そらなび ~にいがたドローン紀行~】「第73回「只見線(魚沼市)」2020年2月29日放送」
・福島県:只見線ポータルサイト
・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)
・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ -私選“只見線百山”候補の山行記- / -只見線の冬-
今朝、4時50分に起床。準備を済ませ、宿の窓から小出駅を見下ろすと、煌々と照明が点いていた。只見線の列車も一部見えた。
「ホテルオカベ」をチェックアウトし、小出駅に向かった。雨は降っていなかったが、地表は濡れていた。
無人の改札口を抜け、跨線橋を渡り只見線の4-5番線ホームに向かった。
ホームに下りると、会津若松行きの始発列車が、ディーゼルエンジンを蒸かし停車していた。キハE120の2両編成だった。
列車の乗り込むと、両車両とも既に数名の客が乗っていた。
5:36、只見線上り始発列車が小出を出発。切符は小出~越後須原間を購入した。
5:57、藪神、越後広瀬、魚沼田中を経て、列車は越後須原に停車。輪行バッグを抱え下車した。
ここも雨は降っていなかったが、雨が上がってまもない地面の濡れ具合だった。
今日は平日だったので、朝の只見線(小出行き)の利用状況を見てみたいと、大白川発小出行きの下り列車が来るまで駅舎内で待つことにした。小出行きの列車は6時44分の次が10時21分発ということで、到着を待つ6時台の列車が唯一の朝の通学列車ということになる。
6時30分頃から、次々に高校生が駅舎に入ってきた。最終的には20名ほどだった。
6:43、下り始発列車が入線すると、生徒達は列車に乗り込んでいった。
福島県では会津坂下駅を中心にこのような光景が見られるが、少子化が進む中で通学利用者が一定数いるうちに、“観光鉄道「山の只見線」”を確立させ、観光利用者を増やしてゆくことが欠かせないと、多くの高校生を乗せて小出に向かう列車を見送りながら考えた。
7:25、駅舎に戻り自転車を組み立てて、一息ついてから越後須原駅を後にして、「唐松山」松川登山口を目指した。
国道252号線に入り、300mほど大白川方面に進み右折。県道449号(松川須原)線の宮原踏切(只見線)では、強い陽光が差し、『晴れてくれるのかっ!』と思ったが、
まもなく雨が降り出し、次第に強くなった。私は近くの小屋の軒先を借りで雨宿りをした。
しばらく空を見上げながら、雨が止むのを待っていると、ランドセルを背負った小学生が近くに集まりだした。どうやらこの小屋の前は集団登校の集合場所になっているようだった。
そして、皆が揃うと、一列になって須原小学校に向かっていった。最後尾にはボランティアの男性が付いて、子ども達を見守っていた。
7:43、雨宿りをしてから15分ほどで、青空が広がりはじめ、雨脚が弱まった。ポツポツと雨粒が落ちる中、自転車にまたがり再出発した。
破間川を渡り、 県道538号(大栃山細野)線に入り松川集落に入ると、電源開発㈱黒又川第一発電所の2本の水圧管の上を渡った。
松川集落を抜けると、先日22日から降雪期通行止めを知らせる看板が立てられていた。ゲートの間が広く空いていたので、そのまま進んだ。
序盤は県道の傾斜は緩く、スイスイと自転車を進められた。雨も完全に上がり、前方には青空が広がっていた。
畑が途切れると、右に松川を見ながら進んだ。途中、松川に注ぐ沢を何本か渡ったが、栗の木沢の清らかなで勢いのある流れは目を引いた。周囲の大半は1,000mに満たない山々だが、これほど豊かな水を生み出していることに驚き、山の保水力は素晴らしいと思った。
県道の傾斜は徐々に増したが、自転車を押して進むほどのものではなかった。
8:25、前方の上方に、冠雪した尾根に突き出た岩塊が見えた。「猫岩」のようだった。
そして、初めて川を渡り300mほど進むと、前方のカーブの外側に広めのスペース、その右側に灌木に取り付けられたような看板らしきものが見えた。
8:30、「唐松山」松川登山口に到着。15分の雨宿りを差し引くと、越後須原駅から50分でたどり着いた。
登山口の先には高鼻橋が架かっているが、その先は行き止まりになっていた。橋を架けたということは、大栃山細野線の名が示す通り、この先の山を貫き、現在の黒又川第二ダム湖付近に終点がある県道500号(黒又山大栃山)線につなげる予定だったのだろうと思った。
高鼻橋のたもとの空地に自転車を停め、余計な荷物をバックパックから取り出すなどして、登山準備をした。
8:56、クマ除けの笛を吹き、電子ホイッスルを鳴らし、「唐松山」登山を開始。
登山口の看板には、「唐松山」まで120分と記されていた。整備された登山路があるので、妥当な所要時間だと思った。
登山路に入ると、さっそく急坂になった。尾根まで、一直線に続いているようだった。
息を切らしながら登り進むと、まもなく登山路の先に空が見えた。
9:06、尾根に乗ると、尾根筋に緩い傾斜の登山路が続いた。
右側、切れ落ち開けた場所に立つと、ぬりっこ沢の山肌が見えた。落葉が進み、紅葉の最終盤という色彩だった。
登山路を進む。
一部に崩れたような場所も見られたが、斜面下側に灌木があることもあり、危険を感じるものではなかった。
短い急坂を進むと、落ち葉が濡れていて、数度足を滑らせた。
急坂を登りきると、クマのお尻からの“落とし物”があった。風通しの良い場所はクマのトイレになっていることを過去の登山で知ったが、ここは“落とし物”の数が多かった。
登山路は、尾根筋に続いた。しばらく陽も差し続け、気持ちよく歩けた。
9:10、右(東)側上方の稜線に、「猫岩」(1,008m)が見えた。
「猫岩」は反対側、南東面の岩に鈴が取り付けられているという。今回、この「猫岩」にも行き、その鈴を見る予定だったが...。
登山路には鉈目も見られ、地元の方々によって整備されている事が分かった。
登山路は徐々に傾斜を増し、急坂も続いた。
落ち葉が積もった場所は、滑らぬよう慎重に進んだ。
急坂を越えると、スウーッと延びる直登区間になった。
傾斜は更に増し、休みながら進んだ。
9:30、登山路に土部が現れた。一部ザレ気味だったが、さほど滑らなかった。
ここで振り返ってみた。直登が続いたことで、短時間でかなり標高を稼げたようだった。
登山路周辺は、紅葉終期ということで彩りは無く、唯一見られたツツジも枯れ気味だった。
9:33、狭い平場に、銀色の物体が見えた。境界杭のようで、“筆界基準 国調”と記されていた。
この境界杭の先に少し進むと、「猫岩」のある稜線がより近く見えるようになった。
また、少し進むと、左側の眺望がよくなり、稜線に突き出た“マイナー12名山”「毛猛」(1,517m)の西側に連なる「太郎助山」(1,417.5m)と、鋭角な山頂を持つ「桧岳」(1,383.4m)が見えた。
9:42、ヒモ場が現れた。3mほどの段差を越えるためのものだった。
この段差を越えると、登山路の傾斜は更に増した。
そして、少しヤセ気味の尾根を直登した。
登り進むと、雪が見られた。
9:53、2つ目のヒモ場になった。
更に登り進むと、左側が大きく開け、「太郎助山」と「桧岳」山塊がよく見えるようになった。冠雪し、ゴツゴツした山肌を現す鋭角の「桧岳」は、魅力ある山だと思った。
10:05、積雪が途切れることなく続くようになり、上方に延びる登山道が浮かび上がった。
また、雪上には動物の足跡も見られるようになった。シカの足跡のようだった。
尾根の中央に延びる白い軌跡を、黙々と登った。
10:27、フカフカの新雪が深く積もる急坂になった。
新雪に足を取られ滑らせ登り進んでゆくと、ピンクテープが幼木に巻かれていた。
そして、その先に崖が現れた。4mほどの高さで3度ずり落ちながらも、雪にまみれ登りきった。
崖を越えると、さらに傾斜が増し、積雪も深くなった。
前方を見据えながら直登すると、灌木の間に何も見えなくなった。山頂尾根のようだった。
10:48、山頂尾根(ニセ唐松山)に乗った。正面に遮るものはなく、麓の山々が見え...、
右(西)には「猫岩」と「上権現堂山」(997.7m)...、
そして、左(東)には鋭角の「唐松山」が見られた。
さっそく、「唐松山」山頂を見つめながら、見晴らしの良い痩せ尾根に延びた登山道を進んだ。
登山道は尾根から外れる箇所もあったが、真っ白に浮び上がり間違いようがなかったが...、
新雪が40㎝ほどあり足を取られ続けたため、景色を楽しむ余裕は無かった。
10分ほど進むと、標杭の立つ山頂が見えた。
11:08、「唐松山」山頂に到着。松川登山口から2時間12分での登頂だった。
さっそく、“三等三角点標石”を探し、雪を払って表出させた。
そして、標石に触れ、登頂を祝った。ただ、この三角点標石は埋まっておらず、国土地理院の地理院地図「基準点成果等閲覧サービス」の当該三角点(東唐松:TR35539701501)について『成果状態が正常でない為、点の記は閲覧できません』と記載されている。
山頂からの眺望は素晴らしく、久しぶりに登頂の充実感を得られた。
東側の眺望。
南側の眺望。「越後三山」はそれぞれ山頂付近が雲に覆われ、同定はできなかった。
西側の眺望。右から“ニセ唐松山”、「上権現堂山」、小出地区が見えた。
そして、北側の眺望。
この北側から、少し東には大半を雲に覆われた「守門岳」山塊、そして県境の「浅草岳」山塊が山裾の位置から確認できた。
『只見線は見えるか⁇』と西から北にかけてよく見ると、“ニセ唐松山”の右側の麓に建物が見え、カメラをズームにすると、今朝出発した越後須原駅が見えた。駅に戻ったら、「唐松山」山頂を探してみようと思った。
11:21、「唐松山」山頂からの下山を開始。
11:29、“ニセ唐松山”に戻った。
少し西側に進み、「猫岩」と「上権現堂山」方面を眺めた。『猫岩まで行ってみようか』と思ったが、時間的にギリギリで、雪道で往復どのくらい掛かるか読めないため止めた。
下山を再開。
前方に無雪の山々を眺めながら、雪面に残った自分の足跡を追いながら下った。
11:47、登山道から雪が消えた。今後は、濡れた落ち葉に足を滑らせぬよう慎重に下った。
黙々と下り、尾根筋から登山口に延びる斜面を下ると、無葉の木枝越しに県道のアスファルト面が見えた。
12:27、「唐松山」松川登山口に戻った。下山は1時間6分だった。
下山では、積雪や湿った足元が心配で、折れ落ちていた枝を拾いストック代わりにした。だいぶ助かった。
「唐松山」登山を終えた。終盤以降の積雪は想定外で時間を取られたが、無事に登頂でき良かった。
「唐松山」は、登山道が整備され、山頂尾根から頂上の眺望が素晴らしいこともあり、“只見線百山”に当然入れるべき山だった。
登山道については、大きな困難を伴う場所は無く、道迷いしそうな箇所も無い事から改善点があるとは思わなかった。
只見線の駅(越後須原)から松川登山口までの約8.5kmのアクセスは、現状は徒歩か輪行した自転車になってしまう。登山者を増やす施設としては、登山イベントを企画しチャーターしたマイクロバスで駅と登山口を移動してもらうという方法が考えられる。“只見線を利用した「唐松山」登山”という文化が育てば、越後須原駅でのレンタルサイクル(電動アシスト付き)貸出などの、二次交通整備が進むのではないかと思う。
「唐松山」山頂と山頂尾根からの眺望は抜群に良く、只見線を利用した「唐松山」登山が定着することは、“観光鉄道「山の只見線」”の周知定着に大きく役立つはず、と今日の登山で確信した。
越後須原駅に戻るため、置いていた自転車に近づいた。自転車に付けていた荷物は、登山開始時と同じ状態だった。クマの攻撃を心配していたが、食べ物を入れて置かなかったせいもあって、杞憂に終わった。
12:33、荷物をまとめた後、自転車にまたがり、越後須原駅に向かった。
駅までは、鞍部の無い下り坂ということで、快調に自転車を進めたが、なんと登山口から2kmほどの左カーブで転倒してしまった。沢水が路面を濡らし苔むしていた場所での横滑りだった。
左肘をアスファルト面に強打し、激痛が走った。左肘と左大腿を擦りむき、左手首と左脛部分の服が破け、自転車もハンドルが傾くという、私にとっては人生最大の自転車事故だった。
擦り傷は傷みも少なく、ハンドルの傾きは可動部だったので直す事ができたが、左腕の損傷は大きかった。ハンドルに手を添え、ブレーキレバーを握るなどの動きは問題なかったが、それ以外の上下左右の動きをすると激痛が走った。骨の異常ではなく、筋肉もしくは腱からくる痛みだった。
左腕を押さえながら、転倒の原因となった苔むした地面を見てみた。『迂闊だった。確かにこの状態だと、スピードを出した自転車は横滑りするなぁ』と苔むした路面を眺め大きく後悔した。
そして、自転車にまたがり、左腕に気遣いながらスピードを落として先に進んだ。
12:54、破間川を渡った。路面は渇き、道に傾斜も無かったが、ゆっくりとペダルを漕いで進んだ。
13:00、越後須原駅に到着。極力左腕を使うことなく、駅頭で自転車を分解し、輪行バッグに収納。その後、駅前のスーパー、Aコープ守門店に行き買い物をした。
駅舎内で急ぎ昼食を摂り終えると、駅頭に観光バスが停車し、多くの客が降りた。只見線に乗車するツアー客のようで『混雑する前に』と輪行バッグを抱えホームに向かった。
駅舎を出て、魚沼北中学校越しに見える山々に向けてカメラをズームにすると...、
2時間前に居た「唐松山」の山頂を確認できた。山頂からも越後須原駅舎が見えたが、見立て通り駅からも山頂を拝めることができた。
ホームに着くとまもなく、ツアー客がやってきて、あふれた。今日は月曜日で小出からやってくる列車は空いているだろうと見込んでいたが、この人数を見て座れないことも覚悟した。
まもなく、レールを駆る音が聞こえはじめ、カーブを曲がってきた列車が入線した。キハE120を先頭に、後部車両がキハ110の2両編成だった。
13:34、会津若松行きの上り列車が越後須原を出発。ツアー客は先頭に集中した為、キハ110のロングシートの端に席を確保することができた。
切符は、昨日会津若松駅で越後広瀬~会津若松間を購入しておいた。
予定では、「唐松山」登頂後に「神湯温泉」に入り、最寄りの越後広瀬駅から乗車することにいていたが、今日も登山後の温泉は叶わなかった。
一息つくと、「唐松山」登頂祝いをした。Aコープ守門店で買ったスーパードライは、旨かった。
車外では柔らかい陽射しが注ぎ続け、列車の後部窓から一直線のレールを見て、『良い景色だなぁ』と思った。
13:56、上条、入広瀬を経た列車は大白川に停車。ツアー客はここで降りた。
13:57、大白川を出た列車は、破間川と別れ、県境まで16回渡河する末沢川沿いを進んだ。
「第三末沢川橋梁」(42m)を渡る際、車窓から外を眺めると、渓谷の木々は落葉が進んでいた。
「第六末沢川橋梁」(52m)を渡ると、国道252号線茂尻橋の下部アーチ鋼材の赤が際立って見え、良い眺めだった。
「第十四末沢川橋梁」(65m)を渡る際に上流側を見ると、電源開発㈱黒又川第二発電所の調整池となる黒又川第二ダムに分流させる末沢第二取水堰が見えた。
毛猛平踏切を過ぎると、「第十五末沢川橋梁」(18m)、「第四毛猛トンネル」(72m)...、
そして「第十六末沢川橋梁」(22m)とたて続けに駆けて、只見線最長の「六十里越トンネル」(6,359m)に入り新潟県を後にした。
国道252号線を潜ると、右前方に田子倉(ダム)湖の“只見沢入江”が見えた。
14:25、只見に停車。
10分間の停車時間を利用し、列車を降りて駅舎に向かう方が数名いた。
私も駅舎に向かい、駅頭に出た。“運転再開カウントボード”は、786(日)を示していた。
少し歩き、停車中の列車越しに、「要害山」(705m、同91座、只見四名山)を眺めてホームに戻った。
14:35、列車が只見を出発。
叶津集落に入ると、陽光を浴びた「蒲生岳」(828m、同83座、只見四名山)が見えた。
そして、只見線最長の「叶津川橋梁」(372m)を渡った。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス「歴史的鋼橋検索」
会津塩沢手前では「第八只見川橋梁」を渡った。*只見川は電源開発㈱滝発電所・ダムのダム湖
15:14、会津越川を出てしばらくして、橋立集落に立つ只見線(135.2km)中間点を示す看板(ここが、只見線の真ん中だ!)の前を通過。
「本名トンネル」(1,473m)を抜けた直後には、「第六只見川橋梁」を渡った。東北電力㈱本名発電所・ダムは、ゲート2門を開けて豪快に放流していた。
本名を出て、列車は「第五只見川橋梁」を渡った。*只見川は東北電力㈱上田発電所・ダムのダム湖
15:25、会津川口に停車。小出行きの列車と交換を行った。
15:35、会津川口を出てまもなく、只見川に突き出た大志集落が眺めた。背後の「岳山」(941.7m)山塊に西陽が差し、無数の山襞を浮かび上がらせていた。*只見川は上田ダム湖
会津中川を出た列車は、国道252号線と交差した直後に「第四只見川橋梁」を渡った。*只見川は東北電力㈱宮下発電所の調整池・宮下ダム湖
会津水沼を経て、8連コンクリートアーチ橋「細越拱橋」を小さく曲がり抜けて三島町に入った。
早戸を出発し、「早戸トンネル」(980m)と「滝原トンネル」(1,026m)を抜けて「第三只見川橋梁」を渡った。*只見川は宮下ダム湖
会津宮下を出て、「第二只見川橋梁」を渡った。*只見川は東北電力㈱柳津発電所・ダムのダム湖
会津西方を出て「名入トンネル」と抜けると、「第一只見川橋梁」を渡った。
右車窓に移動し、上流側、駒啼瀬渓谷の上方にカメラを向けてズームにすると、「第一只見川橋梁ビューポイント」の最上段・Dポイントにはこちらにカメラを向ける4つの人影があった。
会津坂下を出た列車は、進路を東から南に変えて、若宮を出て会津美里町に入った。陽は落ち、暗闇は増していったが、西部山地の茜色の層の上には藍色の美しいグラデーションが見られた。
この後、列車は新鶴、根岸を経て、“高田 大カーブ”で進路を南から再び東に変えた。
会津高田を経て、会津本郷直前で会津若松市に入ると、大川を渡り市街地にある西若松、七日町で停発車を繰り返した。そして、車内放送が流れ、運賃表のディスプレイに“まもなく 会津若松”と表示された。
17:24、列車は終点・会津若松に到着。多くの客が降りて跨線橋に向かった。
この後、私は磐越西線の列車に乗り換え、自宅のある郡山に戻り、今回の只見線と私選“只見線百山”候補の登山の旅を終えた。
(了)
・ ・ ・ ・ ・
*参考:
・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)
・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)
・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」
・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)
・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業
【只見線への寄付案内】
福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。
①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法
*現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/
②福島県:企業版ふるさと納税
URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html
[寄付金の使途]
(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。
以上、宜しくお願い申し上げます。
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