昭和村「鍵金山」登山 2024年 初冬

私選“只見線百山”の検証登山。今日は二等三角点峰「鍵金山」(1,042.1m)に登ろうと、JR只見線の列車を利用し、会津川口駅から昭和村に向かった。

 

「鍵金山」(かんかねやま)は、昭和村の南東、両原地区と小野川地区の深淵部にある。「奥会津昭和の森キャンプ場」から両原地区に下る際に、正面に二等三角点峰らしい孤立した山容を見ることができる。


「日本山名事典」によると“鍵金山”と記す山は全国に無く、“鍵金”を“かぎかね”ではなく、“かんかね”と読む珍しい山となっている。

かんかねやま 鍵金山 (高)1042m
福島県大沼郡昭和村。会津盆地南部、安山岩質凝灰岩からなる丘陵上の一峰。北西に喰丸峠と大仏山がある。
*出処:「日本山名事典 <改訂版>」(三省堂、p290)


「鍵金山」近辺は、北側に聳える「博士山」山塊の影響からか、雪の降り出しが早い。2021年11月末、「鍵金山」の北西3㎞ほどの位置にある「大仏山」に挑んだ時は、降雪と積雪で喰丸峠から引き返した。たが、今回は天気予報を見て、雪で登頂を断念することはないだろうと考えた。*下図出処:国土交通省 国土地理院「地理院地図」URL: https://maps.gsi.go.jp/  *「色別標高図」 

 

今日は、会津若松駅から只見線の列車に乗って会津川口駅で下車し、輪行した自転車で登山口となる「喰丸峠」両原口に移動し、「鍵金山」山頂を目指した。

*参考: 

・福島県:只見線ポータルサイト

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」 

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日) 

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

 

 


 

 

磐越西線の始発列車に乗るため、未明の郡山駅に向かった。

駅頭で自転車を輪行バッグに収納し、改札を通り1番線に待機中の列車に乗り込んだ。

5:55、磐越西線の始発、会津若松行きの列車が郡山を出発。

 

沼上トンネルを抜け会津地方に入るが、上空は鼠色の雲に覆われたままだった。会津の象徴「磐梯山」(1,816.2m、会津百名山18座)も、すっぽりと雲に覆われていた。

 

磐梯町を出てまもなく、強い陽光が車内に差し、これから晴れる事を願った。

 

 

7:11、会津若松に到着。駅舎上空には青空が見えた。

駅構内の売店で買い物を済ませ、改札に向かった。改札脇には、袴姿の“ぽぽべぇ”が変わらぬ愛らしい姿で立っていた。

 

改札を通り抜け、跨線橋から待機中の只見線の列車を見下ろした。先頭がキハE120形の2両編成だった。 

4-5番線ホーム下り、列車に乗り込んだ。

切符は、明日魚沼市で私選“只見線百山”候補の「唐松山」に登るため、会津若松~小出間を購入した。区間が100kmを越えるため途中下車可能、ということで会津川口駅下車も問題ない。

7:41、会津川口行きの上り列車が会津若松を出発。


列車は七日町西若松を経て、大川(阿賀川)を渡った。上流側には「大戸岳」(1,415.9m)、同36座の山塊が稜線が見えた。

 

会津本郷を出発直後に会津若松市から会津美里町に入った。左(南側)の車窓に目を向け、刈田越しに「博士山」(1,481.9m、同33座)の山塊と西部山地の「明神ヶ岳」(1,074m、同61座)眺めた。

「博士山」は雲に隠れていたが、「明神ヶ岳」は八合目付近から上部がうっすらと冠雪しているのが分かった。これから登る「鍵金山」も1,000mを越えるため、『雪は大丈夫だろうか?』と心配になった。

 

会津高田を出て、列車は“高田 大カーブ”で進路を西から北に変えた。

この後、根岸新鶴を経て、若宮手前で会津坂下町に入った。

 

8:19、会津坂下に停車。上り列車との交換を行った。

ここでは数名の乗降があった。

構内の待機線には、除雪車が置かれていた。雪の季節が近い事を感じた。


会津坂下を出た列車は、七折峠に入る右カーブの手前でディーゼルエンジンの出力を上げ、登坂を開始した。

登坂途上、塔寺の手前の木々の間から会津平野を見下ろした。

 

会津坂本を出て柳津町に入った列車は、細長い刈田の間を進んだ。

 

会津柳津に停車し、1人の乗降があった。町の情報発信交流施設(あいべこ)生まれ変わった、駅舎の白壁が目を引いた。

 

会津柳津を出て郷戸手前では、“Myビューポイント”を通過。「飯谷山」(783m、同86座)の色付いた山容が見えた。

 

滝谷を出発直後には、「滝谷川橋梁」を渡り三島町に入った。渓谷は紅葉終期のモザイク模様だった。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋検索

 

会津桧原で、強い陽光が車内に差した。この時、乗客は私の他1人になっていた。

 

桧の原トンネルを抜けた列車は、「第一只見川橋梁」を渡った。

下流側の木々は陽光に照らされていた。今年の紅葉最盛期の美しさを伺い知れる、両岸の色付きだった。*只見川は東北電力㈱柳津発電所・ダムのダム湖

上流側、右岸上方にある鉄塔下の「第一只見川橋梁ビューポイント」にカメラを向けズームにすると、3人の“撮る人”の姿を確認した。

 

会津西方を出発直後には、「第二只見川橋梁」を渡った。上流側の「三坂山」(831.9m、同82座)山頂には雲の影が落ちていた。*只見川は柳津ダム湖

 

列車は減速し、県道237号(小栗山宮下)線の“次男”・宮下橋を見下ろしながら、“長男”・大谷川橋梁を渡った。*参考:福島県土木部 まちづくり推進課「ふくしまインフラツーリズム」宮下アーチ3兄(橋)弟 

 

9:07、会津宮下に停車。反対側のホームには多くの人の姿があった。会津若松方面に向かう団体の旅行客のようだった。

ここでは、小出発会津若松行きの1番列車と交換を行った。

 

会津宮下を出ると、東北電力㈱宮下発電所の背後、宮下ダムの脇を駆けた。ダム湖(只見川)の水鏡はまずまずの冴え具合で、周りの木々を映し込んでいた。

この後、列車は「第三只見川橋梁」を渡った。

下流側の中腹に国道252号線の高清水スノーシェッドが貫く「三坂山」南側の山裾も、まだ木々の色付きが残っていた。*只見川は宮下ダム湖

  

滝原トンネル、早戸トンネルを抜けた列車は早戸に停車。

 

早戸を出ると金山町に入り、左大きく曲がりながら細越拱橋を渡った。

 

只見川から離れ、下大牧集落の背後を通過。山間の細長い土地に佇む、大屋根の家々に情緒を感じた。

 

会津水沼を出発後まもなく、下路式の「第四只見川橋梁」を渡った。*只見川は宮下ダム湖

渡河後、列車は道路の線形改良工事で電柱・電線地中化が行われた国道252号と並行した。

ここを通る度に「電柱・電線地中化」の車窓景観への好影響を実感するとともに、只見線沿線では「電柱・電線地中化」を積極的にすすめ、“観光鉄道「山の只見線」”の大きな武器にして欲しい、と思っている。

 

列車が会津中川を出て大志集落の背後を駆けると、只見川右岸縁を進み、前方に林道の上井草橋(154m)が近付いてきた。

ここで右車窓から振り返ると、只見川に突き出た大志集落と、その背後に連なる「岳山」山塊などが冴えた水鏡に映り込んで、上下対称の風景を見せていた。*只見川は、東北電力㈱上田発電所・ダムのダム湖

「岳山」(941.7m)の山頂を見ると、うっすらと冠雪していた。*参考:拙著「金山町「岳山」登山 2024年 春」(2024年5月4日)

  

9:43、終点の会津川口に到着。 

会津川口駅からは、昭和村に路線バス(川口車庫~大芦線)が出ているが、私が乗ってきた列車には連絡していない。上下3便とも、会津若松~小出間全線を走行する列車に乗り降りする客に向けたダイヤになっている。*参考:会津バス 路線バス 時刻表「山口管内」大芦⇔昭和温泉⇔玉梨⇔川口(PDF) 

 

10:00、輪行バッグから取り出した自転車を駅頭で組み立て、会津川口駅前を出発。

 

駅前を通る国道252号線を少し進み、右折し急坂の国道400号線に入った。町役場への分岐を過ぎると傾斜は緩やかになり、住宅地を抜けると野尻川の水音を聞きながら緩やかな坂道を上り進んだ。

 

駅を出発してから25分ほどで、前方に玉梨八町温泉郷が見えてきた。

休業中だった「旅館 玉梨」は外観が改装され、“金山旅館”という看板を大きく掲げ営業しているようだった。


国道400号線を進み、玉梨スノーシェッドを潜り抜け野尻川に架かる小綱木橋を渡った。上流側、右岸には「乞食岩」が見えた。

 

 

10:40、昭和村に入るが、このあたりからポツポツと雨が降り始めた。

再び綱木橋で野尻川と交差。綱木渓谷は紅葉の名所だが、落葉した木々を眺め、今年も見事に色付いたのではないかと思った。*参考:昭和村観光協会「綱木渓谷」/ 福島県会津若松建設事務所「ふるさと回廊あいづ(風景)」<綱木渓谷

 

野尻一号橋上で停車し、振り返って「大妻山」(942.8m)を眺めた。一年ほど前に登った時、山頂に雪が積もっていて、雪を掻き分けて二等三角点の標石を探したことを思い出した。*参考:拙著「昭和村「大妻山」登山 2023年 初冬」(2023年12月3日)

渡河後に松山第三スノーシェッドに入ったが、雨が強くなってきたので、雨宿りすることにした。

空は明るかったが、雨に勢いがあった。

ただ15分ほどすると、上空に青空が見え、雨脚が弱くなった。

更に雨粒が小さくなった時、松山第三スノーシェッド出た。

 

野尻集落に入り岩本橋を渡ると、前方の雲の間に青空が見えた。『もっと青空が広がって欲しい!』と思った。

野尻川沿いに少し進むと、「美女峠」(782m、会津百名山85座)の入口となる県道153号(小林会津宮下停車場)線(未成線)の分岐となった。

ここで野尻川を見ると、数羽のカモが水面を滑っていた。

 

11:26、「高館山」(847.7m、同78座)の登山口入口前を通過。*参考:拙著「昭和村「高館山」登山 2021年 春」(2021年4月29日)

また、しばらく進むと「大仏山」(994.3m、同65座)が見えてきた。

  

11:36、道の駅「からむし織の里 しょうわ」に立ち寄った。

ここでは、少し早かったが、売店でカップめんを購入し昼食を摂った。

  

12:10、少し休んで再出発。

国道400号線を進むと「館の腰山」(1,042.1m)が正面に見えた。「鍵金山」はすっぽりと覆われ見えなかったが、左側に登山ルートになっているピークは見えた。

 

12:18、旧喰丸小学校(現 交流・観光拠点施設 喰丸小)に立ち寄った。大イチョウは落葉していたが、前庭が一面黄金色で良い光景だった。

  

国道400号線に戻り、500mほど進んで左折し国道401号線に入り、急坂を上った。

  

 

3か所のヘアピンカーブと2つのスノーシェッドを抜けると、スノーキーパーが設えられた大きな右カーブが見えた。

12:47、スノーキーパーの間に開けた、「喰丸峠」両原口に到着。ここは「大仏山」の登山口にもなっている。

自転車をスノーキーパーの中に置いて、登山準備をした。クマは冬眠には早いと思っていたので、熊鈴と笛、そして電子ホイッスルを取り出し、身に付けた。

 

 

13:00、「鍵金山」登山を開始。峠道脇には「峠路とけやきの森案内図」と小さな「森の巨人たち100選」(林野庁選)の看板が立っていた。峠道沿いにはケヤキの古木群があり、樹齢は300~500年という。

福島県のホームページには『樹高30m胸高直径1m前後のケヤキの巨木が数十本林立』と書かれている。*参考:福島県会津若松建設事務所「ふるさと回廊あいづ(名木)」<峠路のケヤキ


両原登山口から喰丸峠の頂まで登るのが3度目ということで、整備された峠路をスイスイと進んだ。

階段を上る。蹴上が高く、上り辛さは変わらずだった。

 

峠路の地面は濡れていたが、落ち葉が適度なクッションで、歩きやすく気持ちよく進めた。

途中、文政五年(1822年)建立と刻まれた馬頭観世音菩薩像に一礼。石像の前には、前回無かった名木板が立てられていた。

また、この石像の先には、登山路をショートカットする丸太階段が作られていて、登り口には“推定樹齢五百年の古木群”と記されていた。

 

黙々と九十九折れの路を登ってゆくと、地表に雪が見え始めた。

そして、頂が近づくと、峠路全体が真っ白になっていた。

 

13:15、「喰丸峠」の頂に到着。

左側の斜面、「大仏山」に向かう丸太階段の先には、「山之神」を祀る祠があった。*参考:拙著「昭和村「大仏山」登山 2022年 春」(2022年4月16日)

 

「山之神」に一礼し、印刷してきた国土地理院の地理院地図を見て、「鍵金山」山頂までのルートを確認。登山路は無いが、無葉期に尾根筋を辿るルートなので藪に阻まれなければ問題なく登られるのでは、というのが登山計画時の見立てだった。

 

 

13:17、「喰丸峠」頂の右の斜面に取付き、「鍵金山」登山を開始。山頂を目指し尾根筋を南東に進んだ。

 

序盤は、なだらかな傾斜の平尾根だった。藪は薄かったが、表面の雪で何度も足を滑らせてしまった。

まもなく、色褪せたピンクテープ、“先人の痕跡”が枝に付いていた。登山路の無い山では、これを見ると安心できる(正しいルート上にあるかは定かではないが...)。

 

さらに進むと、明らかにクマのものと思われる足跡が、私の進む方向に続いていた。少し前のものとみられたが『まだクマは活動中』との思いを強くし、電子ホイッスルを鳴らし、時折「北大ポイポーイ」を叫んだ。*参考:北海道新聞「「ポイポーイ」クマよけのかけ声が響く北大天塩研究林 地図とコンパスで広大な山林を調査して歩く北大クマ研のヒグマ調査に同行」(2022年9月15日)

 

浅い鞍部を越え、少し急な傾斜を登り進むと、更に色褪せた“先人の痕跡”が幼木に付いていた。

 

13:26、前方に標石が埋まっていた。位置的に、915mの標高点を示すものだと思った。

この先は尾根が痩せ、進むべき方向がはっきりしたが、藪が少し濃くなった。

 

尾根を進んでいると、左側の木々の間から小野川地区の集落が見えた。「博士山」は雪雲に覆われているようだった。

  

13:35、また、標石が現れた。

この標石は細く苔むしていたが、文字などは刻まれておらず、何を示すものかは不明だった。

 

三たび、鞍部となり、小高いピークの右(南)側に稜線が延びていた。地理院地図の等高線通りの形状だった。

鞍部を過ぎ、足を滑らせながら急坂を登った。

 

13:50、小ピークに乗る。その先には、なだらかな稜線が続いた。

ここの痩せた尾根の藪は薄く、歩き易かった。

 

13:56、短い急坂を登った。

小ピークに乗ると、尾根筋は少し南側に折れ、傾斜はなだらかだった。山肌が雪に覆われていると、尾根筋がはっきりと見えて分かり易い、と改めて実感した。

 

14:00、薄い藪が続き、青々とした笹が現れ始めた。

そして、再びクマの足跡が現れ、100mほどそれに沿って進むことになった。

 

尾根が、少し丸くなった。葉が生い茂る季節ならば、ルートロスしてしまそうな形状で、下山時の注意ポイントとして記憶した。

また、徐々に足元の雪も厚くなり、しかもサラサラの新雪で踏み出す足は完全に埋もれた。スパッツは付けていたが、ローカットの登山靴だったために、雪が入り込み靴下まで濡れてしまった。晩秋の昭和村の山では雪対策が必須だ、と濡れた足の冷たさを感じながら心に刻んだ。


 

14:16、尾根が筋が南東から南南西に折れた。地理院地図上の標高は約950mの地点だったが、広めの平場で、ここもルートロスの可能性があるポイントだった。

 

この先も平尾根が続いたが、積雪で尾根の形状がはっきりと視認できたため、間違うことなく進めた。しかし、雪の深さが30㎝を越え、登り進むスピードは各段に落ちた。

また、先に行くと笹が背丈ほどの高さになり、葉に付いた雪や氷水が容赦なく全身を濡らした。

 

 

しばらく進むと、前方正面に1022mピークが見え、地理院地図通り、「館の腰山」(962m)に通ずる尾根が右側に確認できた。

  

14:46、1022mピークに到着。予定より、30分遅れた。

「鍵金山」方面に延びる尾根を眺めた。藪は濃くなり、丈のある笹も続き、びしょ濡れの足と時間を考えると断念し引き返したくなった。しかし、ちょうど強い陽光が差したことで気力が湧き、弱気は吹っ飛び、山頂に向けて足を踏み出した。

 

笹を掻き分けながら進むと、周囲が靄に包まれ、幻想的な雰囲気になった。

 

尾根は痩せていて迷いなく進めたが、柔らかい新雪に沈み込んだ足が一層濡れ、上半身も笹の葉から雪と冷水の“攻撃”を受け、一段と体を冷やされた。

また、急坂では笹の上に新雪が載っていたため、踏み込むと容易に滑り、体力と神経を使った。

  

 

15:00、ピークに乗ると、前方に鋭角な稜線が見えた。「鍵金山」山頂に違いないと思う事で、再び気力が湧いた。

少し進んでから、浅い鞍部に下り...、

鞍部を少し進むと、最後の急坂登坂となった。雪重で倒れた笹に覆われた斜面が続いたが、弾力がある笹を掴みながらズンズンと進めた。

急坂の半ばを過ぎシャクナゲが現れ、一瞬『えっ』と落胆した。しかし、植生は一部だけで、登坂を妨げるものではなかったので、ホッとした。

  

 

斜面の傾斜が緩やかになり、地理院地図通り孤立峰の山頂のような形状になった。

 

15:27、前方の傾斜がほぼ無くなり、「鍵金山」山頂に着いたようだった。

念のため先に進んだが、20mも進むと下り傾斜になり、その先にここより高いピークが見られなかった。手前のピークが、山頂であることは間違いなかった。

 

引き返して、まず「鍵金山」山頂からの眺望を確認。だが、360度木々や笹に覆われ、見るべきものは無かった。

南西、両原地区側の眺望。

北東、小野川地区側の眺望。


ただ、山頂から、少し登ってきたルートを戻ると、開けた場所からは集落の一部が見えた。

カメラをズームにすると明和中学校小野川分校跡と、大乗寺が確認できた。

  

『次は二等三角点の標石!』と視線を地表に向け、細長い30mほどの山頂尾根の探索を行った。

...15分ほど、三角点標石を探すが、見つからなかった。靴をこまめに動かし、登坂途中で拾った枝で地面を突きながら移動するなどしたが、標石の感触は得られなかった。そして、日没が迫っていることもあり、三角点標石の探索を断念した。*下図出処:国土交通省 国土地理院「地理院地図」URL: https://maps.gsi.go.jp/  *「色別標高図」


 

15:47、「鍵金山」山頂から下山を開始。クマの出現が無いとは言い切れないので、陽が暮れるまでには国道401号線の登山口まで下りたいと思った。

 

雪面に残った、自分の足跡を辿りながら、急ぎ下った。

ルートロスしそうなポイントには、雪面に足跡があり問題無く下る事ができた。しかし、日暮れは早く、16時30分頃には暗くなり、雪が無い場所ではその暗さが増し、目を凝らし尾根筋を確認しながら慎重に下った。

 

17:01、無事に、喰丸峠の頂に戻った。陽は完全に落ち闇の中だったが、ここから国道までの峠道は、1箇所を除き危険の無い登山路なので、大きな心配は無かった。

ライトの類は持ってこなかったため地表を凝視しながら、そして危険な1箇所の幅狭の場所に用心し、国道沿いの登山口を目指した。

 

 

17:14、道迷いや滑落などせず、国道401号線に面した両原登山口に戻った。

「鍵金山」登山を終えた。

二等三角点標石を見つけられず、暗闇の中で下山する事態となり、思い通りの登山とはならなかったが、無事に登頂できてよかった。

「鍵金山」山頂は木々に覆われ眺望は無かったが、山頂手前から「博士山」の南面が見られた。伊佐須美神社の“遷座第2峰”であり、堂々とした「博士山」の山容が南側正面から見られるのは貴重で、二等三角点峰という点も考慮すると登る価値がある山で、“只見線百山”に入れるべき山だと感じた。

また「鍵金山」は登山道は無く、尾根筋には笹が多かったが、藪はさほど濃くないようで、ヒモ場が必要な急坂もないことから、平尾根や尾根が分岐する場所に案内を設ければ容易に登山が可能な山という印象を受けた。登り返しが何度かあるが、鞍部は浅く、適度な負荷を得られるという点も良いと思った。

 

只見線を利用したアクセスだが、会津川口駅から路線バスに乗って、

①国道400号線と国道401号線の分岐手前で降り、喰丸峠登山口まで2.8㎞を歩く
②喰丸小学校前で降りて、電動アシスト付きのレンタル自転車を借りて登山道に向かう
*路線バス(川口車庫~大芦線)は、区間乗降自由でバス停に関わらず、経路上の好きな場所で乗降ができる。

という2つの手段が考えれる。

今回、私が採った会津川口駅から輪行した自転車で登山口に向かうという手段は、走行距離が26㎞ということで体力が要り健脚向きだ。

 

更に、今回は時間的に無理だったが、会津川口駅~両原登山口間には「しらかば荘」(昭和村)と「せせらぎ荘」(金山町)などの日帰り温泉施設があるので、登山後の楽しみもある。

「鍵金山」は、喰丸峠を中心に西の「大仏山」と併せて、適度な距離と標高の登山が楽しめる。日が長い季節、早朝に出発すれば日帰り登山も可能だ。この点でも、「鍵金山」は“只見線百山”に相応しい山だ、と今回の登山で思った。

 

急ぎ自転車にまたがり、会津川口駅を目指した。

乗る予定の小出行き列車は19時01分発で、ここから駅までの距離は26.4km。1時間30分以上の時間があり、下り基調なので時速25km前後の巡行は容易だが、自転車の収納や夕食の買い出しなどがあり18時30分までには駅に到着したいと思い、必死になってペダルを漕ぎ続けた。

 

 

18:33、無事に会津川口駅に到着。 

自転車を輪行バッグに収めてから、駅前の加藤商店で買い物を済ませホームに向おうとすると、ちょうど両方向の列車が入線してきた。私が乗る下り・小出行きはキハE120の2両編成、上り・会津若松行きはキハ110東北本部色の単行(1両編成)だった。

後部車両に乗り込んで、暖かい席に着いた。車内の客は私1人だった。最終列車ではありえる光景だったが、やはり寂しい思いがした。

19:01、小出行きの最終列車が、会津川口を出発。

 

列車が動き出してまもなく、「鍵金山」登頂祝いをした。加藤商店で調達したビールは、冷えて旨かった。呑みながら、登頂+往復50㎞超の自転車走行を、齢半世紀を過ぎても完遂した丈夫な身体を授けてくれた親に感謝した。

アルコールで身体が軽く弛緩し、身体が温まった事もあり、濡れた登山靴のケアをした。靴を脱ぎ、丸めた新聞紙を入れて、両足は新聞の上に載せた。

 

列車は暗闇の中を快調に駆け、「六十里越トンネル」を抜け新潟県魚沼市に入り、大白川入広瀬上条越後須原魚沼田中越後広瀬藪神の各駅で停発車を繰り返した。

  

21:26、途中客の乗降も無く、終点・小出に到着。輪行バッグを抱え跨線橋を渡った。

上越線の最終列車はまだ先だったが、駅には人影もなく静まり返っていた。

 

今夜の宿は、駅に隣接した「ホテルオカベ」。明日の「唐松山」登山に向けて、早めに休むことにした。

 

 

(了)

 

 

・  ・  ・  ・  ・

*参考:

・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)

・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線沿線の“山”(登山/トレッキング)ー / ー只見線の冬

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

 

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

  

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

  

以上、宜しくお願い申し上げます。 

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)し、2022年10月1日(土)、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、車窓から見える風景写真を中心に掲載し、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す只見線の乗車記や「会津百名山」等の山行記、利活用事業に対する私見等を記します。

0コメント

  • 1000 / 1000