只見町「似蕪山」登山 2023年 春

私選“只見線百山”の検証登山。今日は、会津塩沢駅のホームから見える「似蕪山」(963.2m)に登ろうと、JR只見線の列車に乗って只見町に向かった。

  

只見線百山”は筆者が私的に選んだ、“観光鉄道「山の只見線」”の乗客増や沿線振興等を意図したアクティビティーのコンテンツ。只見線沿線2市6町1村(昭和村含む)の「会津百名山」「新潟百名山」を中心に、只見線に縁のある153座の山々を候補とした。検証登山では、駅からのアクセスや、登山ルートやその状態、そして山頂などからの眺望を確認しようと計画し、「似蕪山」が3座目となった。


「似蕪山」は“にかぶやま”と読み、「日本山名事典」には次のように記されている。ちなみに、同事典に同じ名を持つ山は無かった。

にかぶやま 似蕪山 (高)963m
福島県大沼郡金山町と南会津郡只見町の境。只見線会津塩沢駅の北東3km。東に現燈山がある。*出処:「日本山名事典 <改訂版>」(三省堂、p784 )

 

「似蕪山」は孤立峰ではなく、西側にピーク(872m *地理院地図の中心点より)を持つ山塊を形成し、会津塩沢駅(只見町)のホーム上から会津若松方面に目を向けると正面に、塩沢地区と十島地区を結ぶ町道の十島橋からは只見川(滝ダム湖)に映る山容が、それぞれ見える。

 

また、金山町側からは、撮影ポイントでもある「第七只見川橋梁」右岸から確認でき、「現燈山」(838m)より低く見える。

 

「似蕪山」に登山道は無く、藪山ということで、残雪期の登山を計画した。また、Web上で山行記を探したが見当たらず、2020年11月に只見線と只見川を挟んだ対岸に聳える「鷲ケ倉山」登山で山頂尾根から「似蕪山」方面を撮影していた写真と国土地理院地図を参考に、登り易いと思われる尾根に取付き尾根筋をルートを採る事にした。

 

天気予報は晴れで、只見町の残雪も少なく、標高が1,000m未満の「似蕪山」の雪もだいぶ融けて尾根筋は歩けるだろうと思い、仕事が休みとなった今日4月10日に登山を計画。「似蕪山」山頂からどんな景色が見られるか楽しみに、只見町に向かった。

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業 

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ -只見線沿線の“山”(登山/トレッキング)- / -只見線の春-

 

 


 

 

早朝、只見線の始発列車に乗るために会津若松駅に向かった。西の空には雲一つない青空が広がり、予報通り、只見町を含む奥会津の天気は良いと思った。

改札を通り、連絡橋を渡り只見線の4-5番ホームに向かった。ホームに降りると、既に前後のドア位置に合わせて10名ほどの客が列を作っていた。5時40分過ぎに列車(キハ110形単行)が入線し、ボタンが押されドアが開くと、全てのBOX席に客が入り、私はロングシートに座る事になった。

「青春18きっぷ」の春季期間の最終日とはいえ、『平日(月曜日)ならば、客は少ないだろう』と考えていたが、間違っていた。只見線が全線再開通をして初めての春ということで、特に「青春18きっぷ」利用可能期間は客は多く、おそらく“初めての夏”を迎える今夏も混雑は続くだろうと思った。


席を確保し、再び連絡橋に上り北東の方向を見ると、「磐梯山」(1,816.2m、会津百名山18座)の稜線が春霞の中にはっきりと浮んでいた。

6:08、只見線・小出行きの始発列車は、立客11人を含む52名の乗客を乗せて会津若松を出発。地元客は少なく、県立川口高校の生徒1名を含み数名で、9割以上が観光客(おそらく全線乗り通し)と思われた。


今回も、切符は「青春18きっぷ」を利用した。

この切符のおかげで、今春も只見線を多く利用することができた。“観光鉄道「山の只見線」”の可能性を探る旅を続ける身とすると、一日3千円以内で只見線を利用できることはありがたく、土日祝は「小さな旅ホリデー・パス」が使えるが、平日は自宅のある郡山から只見を往復すると6千円を超えてしまい、「青春18きっぷ」は春夏冬の各利用期間に只見線沿線訪問の回数を増やせるため重宝している。ただ、希望とすれば、「只見線利活用計画」を進める福島県が只見線に対する県民のマイレール意識を高めた後に、“只見線フリーパス”などの企画をJR東日本に提案し、一日券3千円/二日券5千円という設定で実現させて欲しい。
 

 

列車は、七日町西若松でさらに数名の客を乗せ、大川(阿賀川)を渡り会津平野を進んだ。車内はほぼ満員の状態で、車窓の風景は背後の窓に振り向いて撮るしかなかった。

 

会津本郷を出発直後に会津若松市から会津美里町に入り、宮川を渡ると左岸堰堤の桜並木は満開だった。

会津高田で数名の乗降があり、列車は“高田 大カーブ”で進路を西から真北に変え、根岸新鶴で停発車を繰り返した。

 

若宮会津坂下町に入り、会津坂下では上り(会津若松 行)一番列車とすれ違いを行った。

会津坂下を出た列車は七折峠に入り、登坂途上で塔寺を経て、会津坂本を出発すると柳津町に入った。

 

会津柳津を出て、次駅の郷戸に停車。駅舎は、満開の桜に覆われていた。

 

 

列車は、滝谷出発直後に滝谷川橋梁を渡り三島町に入り、会津桧原の経て「第一只見川橋梁」を渡った。車内放送での観光案内は無かったが列車は渡河前に減速し、橋梁をゆっくりと渡った。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋集覧1873-1960

 

渡河中、只見線随一の景観美と言われることもある車窓からの風景を車内の全ての客が眺めると思ったが、ロングシートの大半の客を中心に、見向きもしない客の姿もあった。

この光景は、“観光鉄道「山の只見線」”を目指すために、車窓に背を向けてしまうロングシートの無い車両を増やすとともに、乗ることのみを目的に只見線の列車に乗車する客の満足や経済効果(物品の購入など)を促す施策が必要だと考えさせられた。

 

 

列車は、会津西方を出ると「第二只見川橋梁」を渡った。「三坂山」(831.9m、同82座)上空もすっきりと晴れ、登山日和だと思った。

 

 

列車は会津宮下に到着。登り列車とすれ違いをするため、10分ほど停車するためホームに降りた。

  

車椅子に乗ったまま横断できる、バリアフリー構内踏切の新設工事は終了したようだった。

 

まもなく、キハE120形旧国鉄色ラッピングの上り単行列車が、三島神社境内の満開の桜の脇を駆けてやってきた。

 

会津宮下を出た列車は、東北電力㈱宮下発電所の背後を通り過ぎ、県道237号(小栗山宮下)線沿いの桜並木の脇を駆けた。桜は“ぱぁ~”と堂々とした咲きっぷりだった。往路の、陽光を浴びた姿に期待が持てた。*参考:拙著「三島町「桜、桜、桜」 2021年 春」(2021年4月18日)

 

列車は、宮下ダム湖の脇を走り、「第三只見川橋梁」を渡った。

 

早戸を経て金山町に入った列車は、会津水沼出発後に「第四只見川橋梁」橋梁を渡った。東北電力㈱上田発電所・上田ダム直下で川床が見えることが多いが、雪融け水の影響か、今日は川幅一杯に宮下ダム湖が続いていた。

 

会津中川を出た列車は、大志集落の背後を進んだ後に只見川の縁を進み、減速しながら右に大きく曲がった。振り返って、只見川(上田ダム湖)に突き出た大志集落を眺めた。

ちなみに、背後に聳える山塊の中心の「岳山」(941.7m)は、“只見線百山”の候補に挙げている。


会津川口では、小出発・会津若松行 始発列車とすれ違いを行った。停車時間が10分あるため、列車から降りて、駅前の加藤商店に買い物に行った。

 

買い物を終え、ホームに向かうと、私が乗っている列車(キハ110形)の窓ガラスのくもりが目についた。乗客は車窓から風景を見るために、思い思いに窓を拭いたようだった。キハE120形は窓ガラスがくもることを見た頃がなく、この光景に驚いた。

観光鉄道「山の只見線」”を目指すには、乗客に車窓から見える山間の風景を堪能してもらうことが、何より大切なことになる。福島県は、JR東日本に働き掛けて、窓のくもり止めをしてもらうようにして欲しいを思った。

 

 

会津川口を出発した列車は、西谷信号場跡の広い空間を抜け、復旧工事で2間の橋桁が施された「第五只見川橋梁」を渡った。只見川(上田ダム湖)には上弦のトラス橋が映っていた。

 

本名を出て、列車は東北電力㈱本名発電所・ダムの直下に架かる“新”「第六只見川橋梁」を渡った。本名ダムはゲート1門を開け轟々と放流していた。

  

本名トンネルを抜け、民宿「橋立」裏に差し掛かり、振り向いて駐車場脇に立てられた“こ こ が、只見線の真ん中だ!”看板を見た。只見線135.2kmの中間点を示すもので、ここに“会津橋立”駅を新設して欲しいと、個人的には思っている。

この後、列車は会津越川会津横田、“新”「第七只見川橋梁」、会津大塩を経て金山町を後にした。 

 

 

 

  

8:50、滝トンネルを抜けて只見町に入った列車は、只見川(電源開発㈱滝発電所・ダムのダム湖)の脇を駆け抜けて会津塩沢に到着。ワンマン運転のため、運転手に切符を見せて前部のドアからホームに降りた。会津若松方面を見ると、「似蕪山」上空には青空が広がっていた。

 

列車はまもなく出発し、その姿を見送った。全線運転再開後、初めて見る光景に感慨深かった。

 

待合室に入り、「似蕪山」登山の準備をした。時刻表を見ると上下3本だけの列車が載り、次にこの駅にやってくるのは、私が乗る予定の14時50分発(会津若松行)だ。

 

今回も、机上で設定したルートと高度を表示した国土地理院の地図を用意し、「鷲ケ倉山」登山時(2020年11月22日)に山頂尾根から撮影していた「似蕪山」の写真を別に印刷して持参した。

 

また、熊鈴は駅から付ける事にした。この陽気が続いている事もあり、クマたちは冬眠から目覚めていると思った。

 

 

 

 

9:15、準備を終えて、前方に見える「似蕪山」に向かって登山を開始。まずは、尾根の取り付き点がある塩沢観光ワラビ園を目指した。

 

国道252号線に出て北東に500mほど歩くと、左前方に「河井継之助記念館」(冬期休館中)が見えてきた。

 

戊辰役・北越戦争で軍事総督として奮戦した河井継之助(長岡藩家老)は、記念館から見下ろせる只見川(滝ダム湖)に沈むこの地で41年の人生を閉じた。彼の生涯を描いた小説「峠」(新潮社刊)の著者である司馬遼太郎氏も、生前に当館を訪れこの河井継之助の没地付近を眺めたという。

 

私は、この「河井継之助記念館」前に会津塩沢駅を移転するべきだと思っている。記念館と眼前に広がる只見川を取り囲む山間の風景は、観光客への訴求力が高まると考えるからだ。法面を垂直擁壁にしてホーム上に待合スペースなどを設けるなどのデザインにすれば、現駅と同じ1線1面の新駅設置は可能だと思う。只見町は、観光客向けの公共施設建設に対する補助などの国や県の制度を探り、JR東日本に申し入れて欲しい。

 

 

国道252号線を更に進むと、只見線のレール越しに「笠倉山」(993.7m、同66座)が見えた。

 

塩沢橋を渡り宮前踏切を渡った。

 

この宮前踏切には、警報機と遮断機が無い第四種踏切ということで、列車の通過時刻表が取り付けられていた。

 

宮前踏切を渡り、民家の前を通り過ぎると、まもなく塩竈神社が見えてきた。“塩沢”の名の由来を伝える社だ。

 

塩竈神社の少し先に町の水道施設があり、そこから、雪に埋もれた側道が、鋭角に折れ山の方に延びていた。ここが、塩沢観光ワラビ園の入口になる。

 

塩沢観光ワラビ園への道は、除雪されておらず、日向で無雪、日陰で残雪という状態だった。

 

一昨日(8日)から昨日の朝まで県内は冷え込み、私の住む中通り・郡山市にも雪が降った事から、只見町はどうだろうと思っていたが、一部路面には氷が張ったままだった。日中は気温が上がるものの、奥会津の朝晩は未だ冷え込みが厳しいのだろうと思った。

 

 

5分ほどで前方が開けた。

   

9:37、塩沢観光ワラビ園に到着。

  

敷地は広く、「似蕪山」山塊に広がる尾根が数筋つながっているように見えた。

 

一瞬、どの尾根に取付けば一番良いか、と考えたが、当初の予定通りの手前の枝尾根に取付くことにした。

 

なだらかに傾斜しているワラビ園の敷地を直進し、取付き点に向かった。途中、春の芽吹きがあった。

足元にはフキノトウ、

 

目の高さにはヤナギの芽があった。

 

まもなく、ワラビ園の縁に到着し、木立の中に入った。

 

表面の固い雪が残る短い林の中を抜けると、一面薮に覆われた枝尾根の斜面が眼前に現れた。登山道が無く、藪山であることは想定していが、全面藪の迫力に少し怯んだ。

 

9:47、枝尾根に取付いて、「似蕪山」登山を開始。最初は、アオキの群生に行く手を塞がれ、藪漕ぎしながら直登した。

 

アオキ群生を抜けると、枝薮が密集していた。夏から秋にかけての有葉期は、登るのに大変な労力を要する場所だと思った。

 

枝薮密集帯の中程に、開けた岩場があり、一息付けた。

 

岩場を登る途中で振り返ると、右から「蒲生岳」(828m、同83座)、「柴倉山」(871.1m)、「鷲ケ倉山」(918.4m、同71座)の特徴的な山容が綺麗に見えた。

枝薮は続いたが、この付近は雪に埋もれていたためか、枝はしっとりしていて強力な弾性が無く、思いのほか難儀はしなかった。

 

枝薮の先に、マツが見えた。

 

このマツは岩場に生えていて、藪をのけながら登攀した。

  

登攀を終えて岩場に立つと、眼下にワラビ園と蛇行する只見川(滝ダム湖)が見えた。

 

マツ林の中を登る。マツの根元も薮に覆われ、藪漕ぎをしながら進んだ。

  

途中、左(西側)の枝木の切れ間を見ると、「蒲生岳」越しに「浅草岳」(1,585.4m、同29座)が見えた。

 

 

10:19、枝尾根を登りきり、「似蕪山」西側ピークの本尾根に到着(標高608m *地理院地図Webの中心点データより(以下、同じ))。本尾根は北東に緩やかに続き、南東側の縁には枝を押し倒した雪塊があった。

 

雪塊の縁に行くと、蛇行する只見川の様子が見えた。

 

 

本尾根を進むと、足元に鮮やか緑の葉と淡いピンクの点が目に入った。

 

イワウチワの群生だった。

 

その先には、紫の立ち姿が凛々しい、孤高のカタクリもあり、これらの花は色の乏しい空間に確かな春の訪れを感じさせてくれた。

 

本尾根を進む。雪重で押し倒された灌木上は歩きづらかったが、まもなく、雪庇が続き、その上を快適に歩くことができた。雪面は固く、持参したワカンを使わずに歩き進む事ができた。

 

雪庇の先には、藪に包まれた“マツ尾根”が待っていた。

 

藪漕ぎを覚悟したが、藪は薄く、本尾根をスイスイを進むことができた。

 

本尾根の傾斜が増し、前方に別の枝尾根が合流するピークへと続いた。

 

  

10:37、四等三角点「塩澤」(656.3m)に到着。三角点を探そうとすると、枝に巻いてあるピンクテープが目についた。

 

そして、ピンクテープの下には、三角点石標があった。

 

 

四等三角点「塩澤」の先に続く本尾根は、しばらく薄薮で、残雪期らしく歩き易かった。

 

しかし、傾斜が増すにつれて藪の密度も上がり、少々難儀な山行になった。

 

ただ、時折踏み跡と思われる空間があり、勇気づけられた。「似蕪山」の山行記はWeb上に見られなかったが、登った方は少なくないようだった。

 

 

高度が増し、背中に開けた空間の気配を感じ、振り向くと「鷲ヶ倉山」を中心に、麓が見えた。山々に残る残雪のモザイクと、蛇行するエメラルドグリーンの水面の只見川(滝ダム湖)は、春の奥会津の無二の眺めだった。

 

 

この「似蕪山」は、何度も『ピークかっ‼』と思ってしまう場所があった。

 

このピークに見えた肩部の先には、アオキの群生があった。尾根一面を覆っていたため、避けるわけにもゆかず、漕ぎながら進んだ。

 

アオキと格闘しながら登ってゆくと、再び、背中に開けたような感覚があり振り返ると、木枝越しであるが、只見町の西側に連なる福島ー新潟県境の山々の稜線が確認できた。「浅草岳」を中心とするもので、標高が上がり、開けた場所での眺望に期待が持てた。

 

アオキ群生は続いたが、斜面の凹部に残雪があり、そこを登った。この時期の藪山は、残雪のお陰で登坂が容易になり、労力が軽減される。

 

 

この後、本尾根は傾斜を増した。しかも、斜面には一昨日降ったと思われる新雪が残り、気温上昇で融けて滑りやすくなっていた。ここでは、厄介者だった藪につかまりながら、滑落せぬように慎重に登坂した。

 

急坂には太目の逆木もあり、「笠倉山」登山の“バケモノ逆木”を思い出した。*参考:拙著「只見町「笠倉山」登山 2021年 紅葉」(2021年11月13日)

 

急坂を息を切らしながら進んで行くと、右側が開け「似蕪山」山頂と思われる山塊が見えた。

 

少し右(東側)に目を向けると、正面奥に「志津倉山」(1,234.2m、同50座)山塊を覆うように鎮座する「博士山」(1,481.9m、同33座、“”遷座第二峰”)と、右の手前に「戸板山」(957.8m)が見えた。

 

そして、完全に振り返り後方(南)を見ると、「鷲ヶ倉山」山頂尾根越しに、「会津朝日岳」(1,624.3m、同27座)の山塊も認められた。

 

 

急坂を進み、前方に見えたマツに到着すると、目の前にはクマザサの群生が続いていた。春先で弾性の弱いクマザサだったが、夏場は登山者の行く手を阻み、かつ視界が視界が悪化するためクマの存在を気にしなければならないポイントだと思った。

 

クマザサ群生を進んで行くと、頭上がかなり開け、陽光を強く感じた。立ち止まって振り返ると、驚きの光景が飛び込んできた。「浅草岳」を頂点とする福島ー新潟県境の山々の稜線が広がり、「浅草岳」の存在感が際立つ眺めに絶句した。

一等三角点とはいえ、1,500mほどの山が山岳地帯の“盟主”として見えるこの眺望は、駅から登山開始2時間ほどで得られるもので、“観光鉄道「山の只見線」”の価値を高めるものであると思った。

 

 

ガサガサと音をたてながらクマザサ群生を抜けると、前方に青空が広がる雪塊が見えた。この雪塊は雪庇になっているようで、藪を挟んで先に続いていた。

 

 

11:23、藪を抜けると、驚きの光景が目の前に広がった。巨大な雪庇が延びていたのだ。ここは「似蕪山」西側ピーク(872m)で、尾根の雪庇は幅広く長さも100mを超え、さらに踏み抜きの心配不要な強固なものだった。

1,000m未満の低山に、これほどの雪庇ができ、しかも今春の続く高温にも耐えて残っている事にびっくりし、そして、広がる光景に感動した。

 

そして、この雪庇からは「似蕪山」の均整の取れた山頂の稜線が見えた。

 

雪庇からの眺めは良く、振り返ると、“寝観音”様のお顔となる「猿倉山」(1,455m)から、「村杉岳」(1,534.6m)、「会津朝日岳」、「三岩岳」(2,065.2m)などの雪を多く残す山並みが見えた。

 

雪庇の表面は固く登山靴が沈み込むことはなく、気持ちよく雪上トレッキングができた。振り返り足跡を見て、この雪庇が毎冬に形成されるならば、「似蕪山」登山の魅力は高まるだろうと思った。

 

 

 

西側ピークの雪庇は、「似蕪山」山頂に続くコル(鞍部)の下りの途中まで続いていた。

  

雪庇が途切れると、マツが茂る痩せ尾根の藪を漕ぎながらしばらく下った。

 

途中、藪の切れ間から振り返って、西側ピークの雪庇を見上げた。雪庇は、比較的緩やかな藪の斜面上にできていることが分かり、一気に崩落することはないのではないかと思った。この雪庇の安全性を専門家に検証してもらえれば、雪庇上のトレッキングの安全性は高まるだろう、とも考えた。

 

コル底にも雪庇があり、その上を「似蕪山」山頂を見ながら歩くことができた。

 

コルは、まもなく上りになり、斜面に広がる雪渓を登り進んだ。

 

雪渓は先細り、痩せ尾根に戻った。雪重を受け続け倒れたままになった灌木が多く、登坂はそれほど苦にならなかった。

  

 

11:40、しかし、中盤あたりに尾根を覆うシャクナゲの群生(ナゲ場)が現れ、一気に登坂は苦しくなった。

 

登山者泣かせのナゲ場を苦悶の表情で抜け出すと「似蕪山」山頂はぐっと近づき、荒々しい尾根が続いていた。

 

藪を抜け、斜面に大きく残る雪渓に立つと、塩沢地区が正面に見え、会津塩沢駅も確認できた。ホームから「似蕪山」を見た時に、この辺りが見えているのだろうと思った。

 

 

雪渓から尾根から離れる場所で、再び痩せ尾根に乗って、山頂を目指した。前方には、枝尾根が見えた。

 

痩せ尾根の藪や薄かったが、急坂で融け始めた新雪が載っていたため、何度か足を滑らせながら、登り進んだ。

 

 

12:00、枝尾根が合流するピーク(914m)に到着。ここは只見町と金山町の境界線上で、枝尾根を境に、双方の風景が見えた。


右(西側)の只見町は、マツの間から塩沢地区が見えた。

 

会津塩沢駅も確認できた。この後、尾根は北東に延びるため、会津塩沢駅のホームから、厳密には「似蕪山」山頂は見えないことが分かった。

 

そして、左(東側)は大きく開け、只見川の谷底平野に延びる金山町の滝沢地区と大塩地区と、それらを包み込む奥会津の山々が綺麗に見えた。

 

只見線も容易に確認でき、会津大塩駅が見えた。

  

  

先に進む。

「似蕪山」山頂に続く、町境の尾根は2箇所のコルがあり、傾斜は緩やかだったものの激藪に覆われていた。

 

ナゲ場もあり、前方に見える山頂に勇気づけられながら、藪と格闘しながら進んだ。

 

藪が薄い場所には、踏み跡らしい痕跡もあり、これにも元気をもらえた。

 

 

2つめのコルを越え、上方にマツを見ながら登坂した。

 

マツの手前では、逆木の歓迎を受けた。

 

マツを越えると平坦な尾根になり、前方は大きく開けた。ここから山頂の平尾根のようで、このマツは最後のピークの目印だった。平尾根を覆う藪は雪重で倒れたままになっているようで、足を大きく動かし、跨ぎながら進んだ。

 

まもなく現れた雪庇の乗ると、山頂に着いたようで、前方はより開けた。

 

 

 

 

12:14、灌木の中心に雪が載った「似蕪山」山頂に到着。会津塩沢駅のホームから、3時間で登頂することができた。

 

三角点は、すぐに見つかった。石標上部を藪が覆っていたが、雪が融けて露わになっていた。

 

藪を持ち上げ雪を払ってから、三角点石標に触れ登頂を祝った。

 

石標は傾いていたが、北東側の側面上部には“三等”の文字が見えた。*三等三角点「似蕪」(基準点コード:TR35639039001) *出処:国土地理院 地理院地図「基準点成果等閲覧サービス」URL:https://sokuseikagis1.gsi.go

  

  

山頂からの眺め。

 

南東を中心に、180度以上の眺望が得られた。


山頂平場の南東の縁に立つと、金山町滝沢地区と大塩地区が見えた。

 

会津大塩駅と「第七只見川橋梁」も確認できた。「第七只見川橋梁」は、只見川左岸の小出方が正面に見えた。

 

右(南側)に目を移したが、只見町側は会津塩沢駅や塩沢地区の家々は見えず、寄岩地区の一部と「第八只見川橋梁」の対岸にある電源開発㈱の滝ダム湖浚渫用の泊地を木枝越しに見ることがでっきた。

 

 

山々を見る。 

南には「浅草岳」を中心とする会越界(福島ー新潟県境)の、美しい山並みが確認できた。山頂付近が真っ白に冠雪したままの「浅草岳」の存在感は抜群で、“会越界の盟主”と呼べる偉容だった。

 

「浅草岳」の左(南側) に連なる、「北岳」(1,472m)ー「鬼が面山」(1,465.1m、同34座)ー「南岳」(1,354m)の“鬼面の眺め”の険しい山容も確認できた。

  

北東には、どっしりとした「博士山」山塊の全体が確認できた。また、ここでも「志津倉山」山塊は「博士山」に同化しているように見えた。

 

北には、「磐梯山」(1,816.2m、同18座)が霞んで見えた。この山が見えると、会津を実感できる。

 

 

他方、西側は正面に一本マツの幼木が立つなど、見晴らしは良くなかった。

 

ただ、南に少し移動すると「笠倉山」が、

北に移動すると、「貉ケ森山」(1,315.1m、同46座)の山塊が、それぞれ見えた。

「似蕪山」山頂の眺望は素晴らしく、会津百名山を中心とする只見町ー金山町の主要な山々も見えた。“只見線百山”に入れるべき山だと思った。 

 

 

 

 

12:45、「浅草岳」を中心とする会越界の山並みを見ながら、下山した。

 

列車の出発時刻(14時50分)まで2時間というこで、急いだが、さっそくルートロスしてしまった。南西に下るところを、西に進んで尾根から外れてしまい、尾根筋を見上げながら、急斜面を這うように本来のルートに戻った。

 

 

山頂尾根を下り、西側ピークのコル底の手前の斜面から、塩沢地区を眺めた。

 

ここが、「似蕪山」登山で塩沢地区や会津塩沢駅を悠々と見られる、最後の場所であることを再確認した。

 

 

西側ピークに登り、雪庇の上を歩いた。高い気温は続いていたが、登山靴は融けた雪に沈み込むことなく、素晴らしい景色を眺めながら快調に歩くことができた。

 

この「似蕪山」西側ピークの雪庇は素晴らしい、と改めて思った。

 

雪庇上からは、只見線の滝トンネルが貫く、只見町ー金山町境に連なる山の様子もはっきり見えた

もっと、この雪庇上に留まり、景色を眺めていたいと思ったが、後ろ髪をひかれる思いで先を急いだ。 

  

 

西側ピークからの斜面では、1mほどの滑落を2度し、尻餅を4度ついて、藪の“顔面パンチ”を無数に受け下った。藪山の下山は危険が伴う、とは「笠倉山」で学んでいたが、列車の時間が気になって注意散漫になってしまった。

 

その後、塩沢観光ワラビ園の南端が見える尾根の肩に着いて、『列車の出発時刻には間に合うだろう』と一息ついた。

 

三角点「塩澤」に続くなだらかな尾根に下りて、雪庇を歩いた。

 

13:50、三角点「塩澤」に到着し、往路で触れなかった石標にタッチした。

 

時間はギリギリだったが、今回は検証登山ということで、三角点「塩澤」から延びる枝尾根を下りてみることにした。

枝尾根の大半はマツに覆われ、藪は薄く、足元はマツの落ち葉でふかふかで歩き易かった。

 

ただ、枝尾根が切れ落ちた急坂部の傾斜は、往路で選んだ枝尾根より急だった。

 

急坂にもマツの枯葉が落ち、乾いていたため足を滑らすことはなかったが、慎重に急いで下った。途中、マツの切れ間から、往路に歩いた本尾根が見えた。

 

 

14:04、マツ尾根が終わると、前方にワラビ園が見え『列車に間に合う』と思った。たが、前方から沢音が聞こえてきて、行く手は一面激藪になった。

 

『まさかっ!』と思い、藪漕ぎをしながら下ってゆくと、目の前にワラビ園が見えているのにもかかわらず斜面は続き、アオキの群生に突入することになった。

 

14:14、底に到達し、陸地を隔てる沢の流れに、一時呆然としてしまった。帰宅後に調べると、ここは笹幹沢という名だった。

 

気を取り直し、渡渉点を探して下流側に少し歩き、沢底に大石のある場所で対岸に渡り、気合を入れて崖を登った。

 

帰宅後に撮った写真を見てみると、笹幹沢の上流に幅の狭い場所があったようで、渡渉点はこちらの方が良かったと思った。

 

 

なんとか笹幹沢右岸の登攀を終え、ワラビ園の縁に立った。

 

14:25、ワラビ園に戻ってきた。列車の発車時刻まで25分で、十分に間に合うと思い安堵した。

 

 

 

14:42、会津塩沢駅に戻ってきた。下山は1時間57分だった。

 

ホームでは、周囲の残雪で冷やしておいたビールで「似蕪山」登山の完了を祝った。

 

ビールを呑んで一息ついていると、上り列車がやってきた。先頭がキハ110形、後部がキハE120形の2両編成だった。

14:50、会津若松行きが出発し、会津塩沢を後にした。

 

滝トンネルを抜け金山町に入り、会津大塩に到着すると「似蕪山」山頂がはっきりと見えた。

この後、沿線の桜を列車内から見て、西若松で下車。鶴ヶ城(会津若松城)の桜を観てから、市内の「宮古そば処 分家 権兵衛」で夕食を摂って帰宅した。*参考:拙著「会津若松市「宮古そば処 分家 吉兵衛」 2023年 春」(2023年4月10日)

 

 

私選“只見線百山”、藪の“攻撃”などで小さな傷は負ってしまったが、検証登山を大過なく終える事ができ、「似蕪山」は“只見線百山”に入れるべき山だと思った。

「似蕪山」は登山道は整備されていないばかりか藪山で、有葉期は終始藪漕ぎを強いられるため、登山は晩秋や早春の残雪期が勧められる。山頂からの眺望は良く、晩冬や早春の残雪期であれば“西側ピークの雪庇”を歩くことが可能かもしれず、魅力的な山だ。

登山口は、今回のように塩沢観光ワラビ園になるが、取付くポイントは手前の枝尾根か、笹幹沢を渡って「塩澤」三角点から分岐する枝尾根か、どちらも急坂なので登山者の選択になるだろうと思う。

 

登山道の整備案。

ヒモ場が“絶対必要”となるような場所はなかったが、ルートロスを防ぐため、①西側ピーク手前の急坂の数区間、②本尾根~山頂平場間、にはヒモ場を設置した方が無難だと感じた。

藪やナゲ場については、許容される範囲で、枝切をして欲しいと思った。急坂や痩せ尾根で行く手を塞ぐ藪やナゲ場は滑落の危険性を引き起こすためだ。

「似蕪山」は越後三山只見国定公園のエリア外なので、地権者の許可が得られれば、登山道の整備は可能ではないかと思う。

 


「似蕪山」は会津塩沢駅から歩いて登る事ができるため、二次交通の心配がない。また、飲食店は、「そば処 しおさわ庵」と「やまいちコーヒー」がある。但し、両店をも「河井継之助記念館」の営業(4月下旬~11月中旬)に合わせてオープンする為、西側ピークの雪庇が見られるであろう晩冬から早春は閉店している。

会津塩沢駅周辺には、「鷲ケ倉山」と「笠倉山」の2つの会津百名山があり、「河井継之助記念館」の前からの只見川(滝ダム湖)の眺望が良いということから、私は駅を記念館前に移転し待合室と公共スペースを兼ねた施設を作るべきだと思っている。駅が移転されれば、冬場の光熱費などの維持コストの問題もあるが、「河井継之助記念館」が通年営業する名分が立ち、観光客の定着に寄与するのではないかと思う。*参考:拙著「只見町「会津塩沢駅 周辺」 2020年 晩秋」(2020年11月22日)

 

いずれにせよ、「似蕪山」の良さが知れ渡り、只見線に乗って只見町を訪れ、会津塩沢駅で下車し登山をする方が増える事を期待したい。


 

(了)

 

 

・  ・  ・  ・  ・

*参考:

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日) 

・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法

*現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html 

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(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

 

以上、宜しくお願い申し上げます。


次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

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