只見町「柴倉山」登山 2023年 初夏

私選“只見線百山”の検証登山。今日は、JR只見線・只見駅の北東2kmに位置し、登山道の9割ほどが送電鉄塔の巡視路となっている「柴倉山」(871.1km)に登った。

 

“只見線百山”は“観光鉄道「山の只見線」”のアクティビティーで、乗客増や沿線振興につながるのではないかと思い、筆者が私的に選んでいる。只見線沿線2市6町1村(昭和村含む)の「会津百名山」「新潟百名山」を中心に、只見線に縁のある157の山々を候補とした。検証登山では、駅からのアクセスや、登山ルートやその状態、そして山頂などからの眺望を確認している。


 

「柴倉山」(しばくらやま)は、只見線の「第八只見川橋梁」から只見駅の間で、何度も車窓から目にする山で、“倉”が名に入る山が“峻険な斜面を持つ山”と言われることもあってか、山頂が特定できる“独峰”の山容となっている。

(引用)  *大正-昭和期に活躍した地理学者である松尾俊郎氏の論文より
地形語としてのクラ(倉, 蔵, 鞍など)には、山を意味する場合と、反対に谷をいう場合とがあることは、古くからの通説といえよう。(中略)クラのつく山には一般的な山の意でなくして、断崖や崩壞谷あるいは峻険な斜面をもつ山をさして、特にそうよんでいる例が非常に多い。 *出処:国立研究開発法人 科学技術振興機構「崖を意味する地名」松尾俊郎(1952年「新地理」1巻ー2号) URL: https://www.jstage.jst.go.jp/article/newgeo1952/1/2/1_2_1/_pdf


*「第八只見川橋梁」上から見える「柴倉山」


*只見駅から北東に望む「柴倉山」

 

*只見線「叶津川橋梁」の背後(南東)に聳える「柴倉山」

 

*「蒲生岳」登山道から見える「柴倉山」

 

また、「新編會津風土記」(1809(文化6)年編纂完了)の只見村の項で、山が「柴倉山」のみの記述となっていることから、当時は村を代表する山であったことがうかがえる。

●黒谷組 ○只見村 ○山川 ○柴倉山
村の寅の方八町にあり、頂まで九町黒澤村と峯を界ふ、雜木多し 

*下図出処:新編會津風土記 巻之四十六「陸奥國會津郡之十八」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第33巻」p272 URL: https://dl.ndl.go.jp/pid/1179202/1/143)


「日本山名事典」に「柴倉山」は次のように記述されている。

しばくらやま 柴倉山 (高)871m
福島県南会津郡只見町。只見線会津蒲生駅の南2km。
*出処:「日本山名事典 <改訂版>」(三省堂、p486)

ちなみに“柴倉山”は只見町の他、山形県に5座、新潟県に1座あり、読みが“しばくらさん”と違う山が秋田県に1座あるという。*漢字違いの「芝倉山」(しばくらやま)は秋田に1座、山形に1座、新潟に1座

 

 

「柴倉山」の山行記は、Web上にいくつかあったが、今回も「福島登高会」のハイキングレポートを何度も読んで、シミュレーションした。*参考:「福島登高会」ハイキングレポート 「柴倉山」 URL: http://www.ftk-ac.net/01_hik/3201_sibakurayama/3201_sibakurayama.htm

 

登山口は、只見町の市街地から只見川に架かる柴倉橋を渡り、林道柴倉線を進み行き止まりの終点にある。ここは、東北電力と電源開発の送電鉄塔の巡視路の入口で、巡視路が途切れた場所から「柴倉山」山頂が近い事から、“柴倉山登山口”となっているようだった。

巡視路“終点”から「柴倉山」山頂まで登山道は無く、藪漕ぎを強いられるということだが、地理院地図で確認すると、送電線の位置から山頂まで300mほどになっていたので、葉が繁っているこの時期でも問題ないだろうと思った。*下図出処:国土交通省 国土地理院「地理院地図」URL: http://maps.gsi.go.jp/


 

今日の旅程は以下の通り。

・(前日に只見町入り)宿をチェックアウトして、輪行した自転車で登山口に行き、「柴倉山」に登る

・登山途中、会津若松発・小出行の始発列車が只見駅に停車し、発車する姿を見送る

・「柴倉山」山頂から下山後、自転車で只見線・叶津川橋梁に向かい、観光列車「えちごトキめきリゾート雪月花」の走行風景を撮影する

・自転車で只見駅に向かい、停車中の「えちごトキめきリゾート雪月花」を撮影し、出発を見送る

・只見駅14時35分発・会津若松行の列車に乗って帰路に就く


*参考:

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」 *2008年放送

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)

・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ -只見線沿線の“山”(登山/トレッキング)- / -只見線の夏-

 

 


 

 

今回、只見町で泊まった宿は、只見駅から南東に500mほどの場所にある「ますや旅館」。“深山(ミヤマ)料理”と言われる夕食は、田子倉(ダム)湖で釣れたというイワナ料理を中心に旨く、満足できるものだった。

 

今朝、起きて部屋の窓を開けると、上空は一面白い雲に覆われていたが、十分に明るいためこの霧のような雲は晴れるだろうと思った。

 

宿の朝食は軽めだったが、ワラビのお浸しや、大きな大根が入った味噌汁など山間の宿らしいものだった。

 

そして、只見の水で育ち、只見の水で焚き上げられた白飯は、香り立ち旨味抜群だった。3杯おかわりをして、「柴倉山」登山に向けて体力をつけた。

 

 

食後、出発の準備をして、会計を済ませて「ますや旅館」をあとにした。

私は“全ての宿に泊まってみたい”と只見町でも定宿は持たず、毎回別の旅館・民宿を利用している。今回泊まった「ますや旅館」は、只見町らしい山間の料理が提供され素晴らしかった。“深山料理”ではイワナの刺身が提供されることもあるようなので、いずれ再泊し食べてみたいと思った。

 

 

「柴倉山」登山を開始。

輪行してきた自転車に乗って、登山口に向かう前に只見駅に立ち寄った。宮道踏切から只見駅構内越しに「柴倉山」を眺めた。

 

国道289号線を引き返し、常盤橋の手前を左折し、只見川沿いに少し進んだ。伊南川合流点からも「柴倉山」は見えた。

 

 

1kmほど進むと、只見川に架かる柴倉橋が見えてきた。その後方には「柴倉山」が見えた。

 

柴倉橋を渡る。只見川の流れは清らかだった。

 

柴倉橋を渡り終えると、道は分岐した。山に向かって上り坂になる林道柴倉線を進んだ。

 

周囲には誰もおらず、林道の周りも葉が繁り見通しが悪いことから、熊鈴を身に着けた。

 

 

一気に傾斜が増した林道柴倉線を進む。勢いよく落水する沢も見られた。

 

3つのヘアピンカーブを過ぎると、林道は未舗装になり、スギの造成林の中に延びた。

 

 

只見駅から20分で、「柴倉山」登山口となる送電鉄塔巡視路入口に到着。奥には車5台は停められるような広いスペースがあった。

 

 

 

 

8:30、余計な荷物を自転車に掛けるなどの準備をして、「柴倉山」登山を開始。入口には東北電力㈱会津技術センターが設置した送電鉄塔巡視路の案内板が立てられていた。

 

電力会社が管理している巡視路ということで、道は踏み跡がはっきり見え、整備されていた。冬場に雪重など折れた幹や枝が道を倒れている場所もあったが、進路を塞ぐものは2箇所だけだった。

 

巡視路は、しばらく柴倉沢に沿って延びた。沢の左岸を見上げると大きなスラブが見えた。

  

 

巡視路を進む。

  

スギの倒木を越える。

 

微小な沢が数か所あり、水はけも悪く、靴を濡らしてしまった。

 

 

登山口から3分で、仮設材でつくられた長大な梯子が見えた。

近付くと、梯子は沢床に置かれていた。春先は雪融け水に浸るだろう、と想像した。

 

 

梯子を上りきると、柴倉沢沿いに向かう道との分岐になった。どちらに行くか迷ったが、山側に延びる左側に進んだ。

 

巡視路は急坂になったが、樹脂製の踏み板が設えられているため、歩き易かった。

 

急坂を上り終えて平場を進むと、まもなく下りの急坂になった。前方を見ると、柴倉沢沿いの道との合流があった。手前の分岐で、右に延びる道を進んでも良かったのだと分かった。

 

 

柴倉沢沿いの道に合流し、緩やかな坂を登り進んだ。巡視路は夏草に覆われていたが、丈の低いため踏み跡を見失うことは無かった。

  

小さな沢を越える。土面の両岸は階段状に削られていて、足元は安定していた。

 

 

柴倉沢の支沢に出会い、左に曲がった。

まもなく、この沢の渡渉点に到着。対岸は二股に分かれていた。

 

渡渉すると、鉄杭の上部が黄色に塗られ、“←17 16→”と手書きされていた。支柱が折れ曲がり倒れていた東京電力の案内には“35← →36”と記されていたので、この鉄杭は電源開発のもののようだった。

「柴倉山」登山では、

・電源開発「田子倉本名線」のNo.17送電鉄塔
・東京電力「越後線」のNo.35送電鉄塔

を通過することになる。 

ちなみに送電鉄塔のNoについて、「田子倉本名線」は(南西の)田子倉発電所方面から1,2,3・・・17、「越後線」は(北東の)本名発電所方面から1,2,3・・・35、とナンバリングされているようだった。

 

 

分岐を左に曲がり、電源開発のNo.17送電鉄塔に向けて支尾根に取付いた。急坂の入口には福島県南会津農林事務所から電源開発(発送変電ネットワーク㈱)に対する保安林内作業許可済み標杭が立っていた。

 

急坂を少し進むと、倒木ゲートを膝を完全に折って潜った。森の栄養になるため、巡視路であるが、倒木を取り除くことなくそのままにしているのだろうと思った。

 

巡視路は夏草に覆われていたが、定期的に刈り払いされているようで、見通しは良く迷う気はしなかった。

 

巡視路周辺には、種類は少ないものの、花が見られた。

黄色いヤマニガナ(山苦菜)。

 

陽光を浴び、朱色が鮮やかなヤマツヅジ(山躑躅)。

  

 

 

登山口(巡視路入口)から22分で、急坂に初めてヒモ場が現れた。ロープを掴まなくても登れる足元だったが、下山時や雨の日は必要だろうと思った。

 

第1ヒモ場を登り、背中に陽光を浴びたため振り返ると、「浅草岳」の南に連なる“鬼が面”が見えた。

 

 

この後、ヒモ場は続いた。第2ヒモ場。

第3、第4ヒモ場。

第5、第6ヒモ場。間断なく取り付けられたロープに、社会インフラを支える送電鉄塔巡視路を作業員が安全に利用できるようにとの配慮が伺い知れた。

 

 

9:00、登山口から30分で、開けた場所から「柴倉山」山頂が見えた。

 

 

ヒモ場は、また、続いた。第7ヒモ場。

登りきって振り向くと、木枝越しに、山肌の一部に残雪を載せた「浅草岳」が見えた。

 

 

...ヒモ場はもう終わったか、と思いながらマツの根に足を掛けながら登った。

しかし、正面が開けた場所の右には直登坂が延び、第8ヒモ場になった。

第9、第10ヒモ場と続く。

 

 

急坂を登ると、傾斜が緩やかになり、前方に大きな岩が現れた。

近付くと、亀の顔のように見えた。勝手に“亀岩”と名づけた。

 

 

“亀岩”の後も、急坂でロープが無いなぁ...と思っていたら、

まもなく、ロープが見えた。第11ヒモ場を通過。

 

 

 

第11ヒモ場の終盤、左側にあるナラに青いビニールテープが巻かれ、上方が一気に明るくなった。

 

木立を抜けると、鉄塔が見えた。

鉄塔目指して登り進んだ。

 

前方が大きく開けると、「柴倉山」山頂が見え、かなり近づいているのが分かった。


 

9:10、開けた場所の急坂の少し登り、電源開発㈱の送電線「田子倉本名線」の送電鉄塔No.17に到着。

鉄塔の塗装には光沢があり、塗られてまもないのだろうと思った。

 

 

送電鉄塔No.17を背に押して振り返ると、圧巻の眺望だった。只見駅のある只見町市街地を囲むような奥会津最深部の山々が見え、素晴らしい景色にしばし見入った。

 

山座同定。

(右から)
・「守門岳」(1,537.3m、新潟百名山44座)
・“只見四名山”の「要害山」(705m、会津百名山91座)
・“只見四名山”の「浅草岳」(1,585.4m、同29座)と、それに連なる「鬼が面山」(1,465.1m、同34座)
・「前毛猛」(1,233.4m)から「毛猛山」(1517m、新潟百名山50座)に続く山塊
・田子倉ダム湖の“杉村半島”山塊の「横山」(1,416.7m)から「猿倉山」(1,455m)に続く“寝観音”様の稜線
・“只見四名山”の「会津朝日岳」(1,624.3m、会津百名山27座) 

 

左(東)に目を向けると、柴倉沢の左岸に、雪食地形が美しい尾根が続いていた。*参考:只見町ブナセンター 公式Youtbeチャンネル「雪食地形」 URL: https://www.youtube.com/watch?v=JBzi_I7g7S4

 

正面を見て、送電線の行く先を眺めた。電源開発「田子倉本名線」(左)と東京電力「越後線」(右)が、並走して、山々の尾根を越えていた。

「田子倉本名線」は電源開発㈱田子倉発電所止まりで、「越後線」は東京電力㈱長岡変電所(新潟県長岡市)まで続いているという。


 

 

カメラをズームして只見駅を見ると、下り始発列車(会津若松6時8分発ー只見9時7分着)が停車していた。キハ110系キハ40色の単行(1両編成)だった。

 

ズームを解除して、只見町を代表する「浅草岳」と只見駅を一緒に撮影した。「浅草岳」の位置と、その標高から、只見駅と同じ構図で写真を撮る事ができるとは思っていなかったため、感動してしまった。*参考:只見町「浅草岳

山に登ると視点が変わり、今まで見えなかったものが見え都度新しい発見があるが、この構図は「柴倉山」登山の一番の収穫だと思った。  


 

列車の発車時刻は9時30分。まだ時間があるため、できるだけ高い場所から景色をみようと、尾根に立つ送電鉄塔を見上げながら巡視路を登り進んだ。右が電源開発「田子倉本名線」No.18で、左が目指す東北電力「越後線」No.35だ。

途中、コンクリート製の階段があった。細尾根のザレ場で急坂ということで、設えたのだろうと思った。

 

 

列車の発車時刻が近付いたので、巡視路より少し小高い場所に立ち振り返った。巨大な送電鉄塔に上空に並ぶ空中架線、只見町市街地と囲む山々、そして尾根に延びる巡視路の白い踏み跡。「柴倉山」登山を象徴する風景だと思った。

 

 

9:30、只見駅のホームから、小出行きの列車が動き出した。数名の“撮る人”がカメラを向け、駅員は手を振っているようだった。

 

列車は険峻“六十里越”に向かって進む。このような構図の写真を撮る事ができたのは、幸運だと思った

 

 

 

9:32、「柴倉山」登山を再開。

巡視路を進むと、前方に木立が現れ、左にあるマツには青いビニールテープが巻かれていた。No.17鉄塔付近から続いた見晴らしの良い区間(自称“はだか尾根“)で、このテープはその境界を示すものだろうかと思った。


巡視路が木立に入る前に、振り返って景色を見てから先に進んだ。

 

 

しばらく巡視路はなだらかな斜面で、マツの枯葉が落ちている事もあり、歩き易かった。


足元には、ギュウリョウソウが顔を出していた。久しぶりに見た。

 

 

巡視路の傾斜が増してくると、ロープが見えた。第12のヒモ場だ。

急坂には、コンクリート製の階段も見られたが、下段が傾いていた。中段以降はしっかりしていて、利用することができた。

  

第13ヒモ場。

 

再び、コンクリート階段。しかし、ここは最下段が地面から浮いていたため、避けて通った。

 

 

9:36、大きな岩に立てかけられた鉄製梯子を昇った。

 

少し進むと、岩を上を歩くことになった。岩の表面は、階段状に刻まれていた。

 

また少し先には、大きな岩があり、第14ヒモ場になった。

この岩の上からは、空中架線が視界に入らないこともあり、開放的な眺望が得られた。

 

 

岩の先は、第15ヒモ場になった。

 

第16ヒモ場のロープは、岩盤の上に立つ木に結び付けられているようだった。

岩壁沿いに延びる巡視路の先を見ると、上方が明るくなっていて、ヒモ場のある急坂は終わりか、と思ったが、

その先には第17ヒモ場があった。結果、ここが最後で、「柴倉山」の巡視路には17箇所のヒモ場があった。

 

 

最後のヒモ場を登りきって、根曲りしたブナを越えて、斜めに進むと、尾根筋が見えた。

 

 

9:45、前方に東京電力の送電鉄塔の位置を示す標識が見え、巡視路は分岐した。

標識は倒れていたが、巡視路の位置から、No.36方面から登ってきて、No.35に向かう事を確認できた。

 

 

No.35送電鉄塔に向かう巡視路は鞍部に進むようで、下り坂になっていた。

 

傾斜が緩やかになると、木々の間に鉄塔が見えた。

 

鞍部を進むと右(北東)が開けていて、只見線の「第八只見川橋梁」が見えた。

 

 

9:49、東京電力「越後線」No.35送電鉄塔に到着。

北東に目を向けると、送電線は「鷲ケ倉山」(918.4m、会津百名山71座)の方に向かっていた。

 

 

 

巡視路はここで終了。ここから「柴倉山」山頂までは、藪漕ぎになる。クマ除けの笛を大きく鳴らし、気合いを入れて送電鉄塔の脚の真ん中付近から藪に突入した。 

  

藪の手前で足元を見ると、土が削れた踏み跡があった。事前の情報通り、登山者はそこそこいるようだった。

そして、藪に入ると、直ぐにナタ目が見えた。実際は電動ノコギリだろうが、人の手が確実に入っていることが分かり安心した。

さらに、藪が薄くなると、踏み跡やその空間も見え、平尾根の藪だが、迷う事は無いと思った。

 

 

藪を50mほど進むと、右(北東)が大きく開けた。広い範囲で枝打ちされていて、ビューポイントを作ったようだった。

 

このビューポイントの目標は、「第八只見川橋梁」ということがすぐに分かった。橋梁の背後には、「笠倉山」(993.7m、同66)と、今年3月に登った“只見線百山”の候補としている「似蕪山」(963.2m)の山塊、さらにその奥には県境の一等三角点峰「貉ヶ森山」(1,315.1m、同46座)が見えた。

「柴倉山」は、「第八只見川橋梁」を渡る列車の中からはっきりと見える。帰宅後に、過去に撮った写真から、この枝打ち地点を特定してみた。

 

 

藪は途切れることなく続いた。


すると、緑の葉の中に、ピンクが際立って見えた。

近付くと、先人が取り付けていったピンクテープだった。藪道でこの目印は助かり、『進む場所を間違えていない』と安心できる。

 

 

藪に横たわった木の樹皮は剝がれ、登山者が越えたものと思われた。

ナタ目は続き、切り口が新しい物も見られた。

  

越えるのがやっかいな逆木は、1箇所だけだった。

 

ナラの巨木は、回り込むように通り過ぎた。

 

 

覚悟していた藪漕ぎも、それほどでなく、スイスイ進むことができた。時折、アオキの群生が行く手を覆った、足元を良く見ると踏み跡が続き、迷うことなく進めた。

 

藪漕ぎが必要無く、“登山道”といえるような踏み跡が続く場所もあった。

 

傾斜が緩いためか、逆木は少なく、枝打ちされていることもあり、見た目ほどには苦しめられなかった。


 

結果、藪の中に急坂と呼べる区間は無く、小さな崖越えがあっただけだった。

 

 

 

 

前方の、葉を照らす光量が増してきた。

 

 

そして、平場に到着した。山頂だと思い三角点を探すが見当たらず、藪が少し薄めの右側に進んでみた。

すぐに、丈の低い籔や夏草に覆われた空間になり、『ここが山頂に違いない』と思い、足元を探索してみた。 

すると、緑の葉の中に、石材らしい灰色の物体が見えた。三角点だった。

 

 

10:28、三角点石標に触れて、「柴倉山」登頂を祝った。巡視路入口からの山頂まで、所要時間は1時間58分だった。

「柴倉山」(871.1km)に設置されている三角点は三等。*「柴倉山」:三等三角点「柴倉」、基準点コード::TR35639023601 *出処:国土地理院地理院地図「基準点成果等閲覧サービス」URL:https://sokuseikagis1.gsi.go.jp/)  

 

 

山頂からの眺望は、全く無かった。

北側。

 

南側。

 

 

  

 

10:42、下山を開始。藪の中を、コースアウトしないよう、往路を忠実にたどり下った。

 

10分とかからず、東京電力「越後線」No.35送電鉄塔の足元に抜け出た。

 

 

この後は、巡視路を進んだ。

 

往路では、ほとんど利用することがなかったヒモ場のロープを、適宜使いながら、慎重に下った。

 

 

下山では、前方に只見町市街地を長く見続けた。山頂から眺望は得られなくても、長く良い景色を登下山時に見る事ができるので、「柴倉山」は“眺めが良い山”と言えるのではないかと思った。

 

 

連続して現れる急坂では、靴底のグリップを確認しながら、膝を曲げ、腰を落とし、滑落せぬよう慎重に下った。山登りは下山が危険、という格言を実感した。

 

 

11:05、「浅草岳」を前方に見てから、鉄製梯子を降りた。

 

斜面にコンクリート階段が残る場所は、上から見ると、かなりの急坂だった。時折、ロープを頼りながら下った。

 

 

 

11:08、電源開発「田子倉本名線」No.17が立つ、“はだか尾根”に出た。

 

只見町市街地を取り囲む、山々の素晴らしい眺望を楽しみながら下った。「柴倉山」は登下山口が同じピストン登山となるが、復路は良い景色を長く見ながら歩けるため、一筆書き登山のような感覚で臨める山だと感じた。

 

途中、振り返って「柴倉山」山頂を眺めた。

 

 

 

電源開発No.17送電鉄塔の下を通過し、“はだか尾根”の見晴らし区間を終えた。

 

急坂を慎重に下り、木立の中に入った。

途中、前方から熊鈴の音が聞こえ、“亀岩”付近で2人組の登山者とすれ違った。結局、他の登山者はこの2人だけで、“はだか尾根”の見晴らし区間の眺望の良さと巡視路の歩き易さを考えると、日曜日にしては残念な登山者の数だった。

 

 

巡視路を順調に下った。

11:22、“倒木ゲート”を潜り抜ける。

その後、急坂の下りを終えて、渡渉。

 

 

足元を見ると、往路気づかなかった紫の小さな花が咲いていた。スマホで調べてみると、トキワハゼ(常盤爆)らしいが、独特の花びらの形状に見入ってしまった。

 

 

11:29、往路で、無駄に上り下りしてしまった道との分岐に到着。沢沿いを歩いてみようと、直進した。

まもなく、柴倉沢沿いに出た。右岸には大きな倒木があったので、沢の石を踏んでトラバースした。

沢を渡り終えて振り返ってみると、倒木の河岸寄りに踏み跡があった。沢をトラバースしなくても、この区間は通過できるようだった。

 

 

11:34、仮設材の階段を下った。

階段を下りて巡視路を進むと、まもなく、柴倉沢の左岸の巨大スラブが見えてきた。

雪塊が落ちてきそうな様だったので、“雪崩岩”と名付けてみた。

 

 

 

 

11:38、巡視路入口に立つ案内板が見え、登山口に戻ってきた。山頂から1時間とかからず(56分)下山することができた。

私選“只見線百山”の検証登山。「柴倉山」登山を無事に終えた。

事前の情報通り、送電鉄塔巡視路が整備されているお陰で、快適にそして安全に登る事ができた。東京電力No.35送電鉄塔から山頂までの藪漕ぎも、急坂と逆木という難所はほとんど無く、想定以上に枝打ちされていたため、苦痛は感じなかった。登山道については、現状でも経験と老若男女問わず登られる山という認識を持った。

また、登山口まで、只見線・只見駅から2kmほどで、徒歩でも行き来することは苦にならない距離と思われる。道中、国道252号線沿いには商店もあり、食料や水分の調達も容易だ。

「柴倉山」は、山頂が藪の覆われ360度眺望は全くないが、電源開発No.17送電鉄塔からの“はだか尾根”からの眺望などは素晴らしく、只見駅や只見線を走る列車も見えることから、“只見線百山”に入れるべき山だと思った。

 

「柴倉山」により多くの登山者を誘う課題については、山頂付近の藪対応を中心に次の項目を考えた。もちろん、対応には地権者の同意が必要となる。

・東京電力No.35送電鉄塔から山頂までの藪に登山道を整備する(枝打ちや、平尾根など迷い易い場所に案内板を設置)
・山頂の、三角点標石付近の刈り払いと枝打ち
・三角点標石付近に、山名標の設置
・3箇所の二股(仮設材階段上、渡渉点、東京電力送電鉄塔No.35とNo.34の分岐)に案内板の設置

これらの対応で、只見線の利用者が、次の列車の長い待ち時間の間に「柴倉山」に快適に登られるようにもなるだろう。只見町には、“只見四名山”(蒲生、要害、浅草、会津朝日)に「柴倉山」も加え、登山客誘致の施策を行って欲しいと思った。


 

「柴倉山」登山を終えて、次は観光列車「えちごトキめきリゾート雪月花」(以下、「雪月花」)の撮影。自転車に掛けて置いた荷物をパッキンし、「柴倉山」登山口を後にした。

 

国道252号線に出て、以前利用した民宿「しばくら」を背に、「柴倉山」を眺めた。

 

 

 

国道沿いの店で飲み物などを調達し、只見線の「叶津川橋梁」付近に到着。国道252号線堅盤橋から「叶津川橋梁」越しに「柴倉山」を眺め、その後、撮影場所に移動し列車の到着を待った

 

 

12:50、ゆっくりと「叶津川橋梁」を渡り始めた「雪月花」が、叶津川の上を進んだ。

「浅草岳」を背景に、想定通りの一枚を撮る事ができた。

  

 

撮影後「叶津川橋梁」を後にして只見駅に向かい、30分停車予定の「雪月花」を見て、出発時刻に見送る事にした。

 

丸みを帯び、大きな窓を有した朱色の車体は印象的で、素晴らしい列車だと思った。

 

只見駅の南西にある宮道踏切からは、「雪月花」と「柴倉山」を眺め、写真に収めた。

 

 

13:20、「雪月花」は多くの人に見送られ、只見駅を後にした。

今回(6月17日・18日)乗り入れた「雪月花」の席は、旅行代金8万円という高価格ながらも両日とも36席があっという間に完売してしまった。私も予約しようとしたが、予約開始3時間後のその時には既に満席になっていた。この盛況は、只見線と「雪月花」の魅力の相乗効果によるものだと思うが、只見線への専用観光列車導入に向けた好材料になると感じた。

 

只見線利活用計画」を進める福島県は、今年4月に「第2期只見線利活用計画」を策定し、10項目の重点プロジェクトの最上位に“只見線オリジナルの観光列車の定期運行を目指す”とした。

専用観光列車の導入には、新造で10億円前後、改造でも数千万円の費用が掛かると言われている。只見線への専用観光列車導入は、“観光鉄道「山の只見線」”が広く国内外に認知され確立ためには必要不可欠であるため、福島県はJR東日本と話し合いを続けながらも、“県が観光列車を保有し、JRに貸し出す”ぐらいの熱意と覚悟を持って早い時期に実現させて欲しい、と「雪月花」の姿を見て改めて思った。

 

 

 

会津若松行きの列車の出発まで時間があるので、国道252号線沿いの松屋で買い物をして、駅頭のベンチで昼食を摂った。駅頭に置かれた全線運転再開からのカウントボードは、260日目を示していた。

 

昼食を終えて、輪行バッグに収めた自転車を抱えてホームに向かい「柴倉山」を眺めた。

カメラをズームにしてみると、電源開発「田子倉本名線」No.17鉄塔と巡視路がはっきりと見えた。

 

 

列車の到着を待っていると、駅頭に停められた大型観光バスから下車していた客が、ホームにやってきた。どうやら、只見線の一部乗車が組み込まれたツアーの客のようだった。

30名ほどの客だったが、第八から第一までの橋梁区間を走破し会津柳津駅で降りるのか、他、駅頭に大型バスが横付けできる会津宮下駅、会津川口駅での下車なのか分からなかったが、やってくる小出発・会津若松行きの列車が休日は多くの客を乗せていることが確実だと考えると、『おそらく相席以外は座れないだろう』と観念した。

 

 

ホームで10分ほど待っていると、小出方面から列車がやってきた。キハE120形の2両編成だった。

 

列車がゆっくりとホームに入線すると、車内は混雑しているのが窓越しに分かった。後部車両に乗り込むと、全てのBOX席には1人以上の客が居て、空いているのはロングシートの優先席だけだった。ツアー客は先頭車両に乗り込んでいたが、相席でも座れない方が後部車両に移動してきたため、車内は一層賑やかになった。

休日のこの列車(小出13時12分発)がある程度混むのは分かっていたとはいえ、これだけ多くの客が乗っている只見線の列車を見ると嬉しくなった。

と同時に、現在、朝‐昼‐夕に3便しかない会津若松~小出間の直通列車を、週末・休日の日中帯に増発するのが喫緊の課題だと改めて思った。この増発便に“只見線専用観光列車”を充てれば一石二鳥となるので、「只見線利活用計画」を進める福島県には万難を排して実現させて欲しいと切に願った。

 

 


14:35、列車が只見を出発。まもなく、水田越しに「柴倉山」の均整の取れた山容が見えた。

 

列車内では、ワンマン運転のため開閉するのが会津若松まで5駅しかない、一番後ろのドア付近に折り畳み椅子を置いて座った。そして、ようやく「柴倉山」登頂祝いのビールを呑む事ができた。旨かった。

  

今回の只見線乗車は2日間にわたったため、「小さな旅ホリデー・パス」は使えず、郡山~会津若松間は「Wきっぷ」、会津若松~只見間は普通乗車券を往復で購入した。この組み合わせの方が、郡山~只見間を往復で買うより、若干安くなる。

 

 

列車は、「雪月花」の撮影でも訪れた「叶津川橋梁」を渡った。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋集覧1873-1960

上流側を見ると、「浅草岳」にも雲は掛かっておらず、まだ山頂付近が見えた。

 

列車は、国道252号線八木沢スノーシェッドに近づき、只見川を見下ろしながら進んだ。

 

 

会津蒲生を出た列車は「第八只見川橋梁」を渡った。*只見川は電源開発㈱滝発電所・ダムのダム湖

 

会津塩沢を出てまもなく、只見線は国道252号線と只見川(滝ダム湖)と並び、列車は町境となる滝トンネルに突入した

 

 

滝トンネルの中程で只見町から金山町に入り、列車は会津大塩に停車。ビールを呑み切ったので、会津酒造(南会津町)のワンカップを開けた。

 

 

会津大塩を出た列車は、“新”「第七只見川橋梁」を渡った。「第六」とともに、旧工事で上路式から下路式に変更され、トラス材が目立つ橋梁となったが、もう景色に溶け込んでいると感じた。

 

 

 

会津横田会津越川を経て、列車は“只見線135.2km中間点”を過ぎた。「民宿 橋立」の北端に置かれた、『ここが、只見線の真ん中だ!』と記された看板の中心でシャッターを切った。

 

本名トンネルを抜けると、トンネルに直結した“新”「第六只見川橋梁」を渡った。下流側には、「柴倉山」登山で見上げた、送電線「田子倉本名線」の起点となる東北電力㈱本名変電所があった。

 

 

本名を出ると、2間の橋桁が架け替えられた「第五只見川橋梁」を渡った。*只見川は東北電力㈱上田発電所・ダムのダム湖

  

 

列車は野尻川橋梁を渡り、ゆっくりと会津川口のホームに滑り込んだ。反対側の番線には会津若松(13時5分)発小出行きの列車が停車していた。

列車が停車すると、只見から乗車したツアー客が降りた。このツアーは只見線の復旧区間(会津川口~只見間)乗車が組み込まれたものだった。

 

待機中の小出行きの列車が、29分の停車時間を終えて去っていった。ホームでは、和服姿に背中に赤べこの絵と“赤べこ発祥の里 会津柳津”と記された法被を着た女性が列車に手を振り見送っていた。

 

 

15:35、10分間停車した列車が、会津川口を出発。林道の上井草橋を潜ると、まもなく前方に只見川(上田ダム湖)に突き出た大志集落が見えた。川面は波打ち水鏡は現れていなかったが、「岳山」(941.7m)を中心とする山塊の稜線と荒々しい山肌が見え、まずまずの眺めだった。

 

車内には、会津川口駅のホームで見送りをしていた和服姿の女性が、もう一人同じ法被を着た方と沿線の観光案内と柳津名物「あわまんじゅう」の販売を始めた。“只見線「おもてなし企画」”のようだった。


 

会津中川を出た列車は、上田ダムの下流側にある「第四只見川橋梁」を渡った。

 

会津水沼を出ると、列車は細越拱橋を渡り、金山町から三島町に入った。*只見川は東北電力㈱宮下発電所の宮下ダムのダム湖

 

早戸を出て早戸・滝原トンネルを抜けると、「第三只見川橋梁」を渡った。*只見川は宮下ダム湖

 

会津宮下を出ると、「第二只見川橋梁」を渡った。*只見川は東北電力㈱柳津発電所・ダムのダム湖

 

会津西方を出て名入トンネルを抜けると、「第一只見川橋梁」を渡った。*只見川は柳津ダム湖

列車は只見川の橋梁区間を終え、会津桧原を経て滝谷の手前、滝谷川橋梁を渡り三島町から柳津町に入った。

 

 

 

郷戸を出ると“Myビューポイント”を通過。「飯谷山」(783m、同86座)の稜線がくっきり見えた。

 

会津柳津では、車内で“おもてなし企画”を務められた法被姿の2人も降り、ホームで見送って下さった。「雪月花」が当駅にも停車した際に送迎した方々も多く繰り出し、一緒に横断幕や団扇を持ち手を振ってくれていた。

 

柳津町から会津坂下町に入り、会津坂本に停車。「キハちゃん」は満面の笑みを向けてくれていた。*参考:会津坂下町「只見線応援キャラクター誕生!!」(2015年3月13日)

 

 

 

列車は、七折峠に入り塔寺を経て坂を下りきると、「磐梯山」(1,816.2m、同18座)を前方に見ながら会津平野を進んだ。

 

会津坂下を出て、列車は進路を真南に変え西部山地を右手に見ながら駆けた。若宮を出て会津美里町に入ると、「明神ヶ岳」(1,074m、同61座)や「博士山」(1,481.9m、同33座)の山塊が見えた。

 

新鶴を経て根岸を出ると、左(東)には水田越しに「磐梯山」が見えた。

 

 

“高田 大カーブ”で進路を真南から東に変えた列車は、会津高田を経て会津本郷の直前に会津若松市に入った。会津本郷を出発後に大川(阿賀川)を渡ると、上流側に「大戸岳」(1,415.9m、同36座)山塊の稜線も良く見えた。

 

 

 

17:25、定刻をわずかに遅れて、終点の会津若松に到着。多くの降車客が連絡橋に向かった。

只見線の1泊2日の旅を、予定通り終える事できた。天候に恵まれ、良い旅と山行になった。 

 

 

 

磐越西線の列車に乗り換え、郡山に到着。会津地方と変わらぬ好天で、空がうっすらと色付いていた。

 


(了)

 

 

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*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。  

 ①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金

・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/


②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

 [寄付金の使途] 

 (引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。


以上、宜しくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

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