会津若松市「宮古そば処 分家 吉兵衛」 2023年 春

只見町塩沢地区の「似蕪山」に登った後、JR只見線の列車に乗車し車窓から沿線の桜を眺めた。その後、会津若松市内の西若松駅で下車し桜の名所・鶴ヶ城内を散策し、「山都そば」の店「宮古そば処 分家 吉兵衛」で旅の〆の蕎麦をいただいた。

*参考:

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)

・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ -只見線沿線の食と酒- / -只見線の春-

 

 


 

 

只見町の「似蕪山」登山を終えて会津塩沢駅のホームで待っていると、まもなく上り列車が入線してきた。*参考:拙著「只見町「似蕪山」登山 2023年 春」(2023年4月10日)

 

レールの先に「似蕪山」を見ながら、先頭のキハ110形の後方ドアから列車に乗り込んだ。

 

車内は往路と同じように、2両ともほぼ満席で、立客もいた。私は2両目のキハE120形に行き、ワンマン運転で開閉する駅が限られるドア前に立ち、左右両方の車窓から景色を見ることにした。

14:50、会津若松行きが会津塩沢を出発。

  

 

滝トンネルを抜け、只見町から金山町に入り、会津大塩に停車すると、後方に「現燈山」(838m)と、その奥に「似蕪山」山頂(963.2m)が見えた。

 

列車は復旧工事で架け替えられた「第七只見川橋梁」を渡り、会津横田に向かった。

 

会津越川を出て、しばらく駆けた後に本名トンネルを抜けると、列車は「第六只見川橋梁」を渡った。架け替えられた下路式の上弦トラス橋が川面に映り、東北電力㈱本名発電所・ダム直下で浅瀬となっている只見川に清らかで勢いのある流れが見られた。

 

本名では、満開の桜が見られた。4月上旬に満開となった金山町の桜を観て、今年の桜開花の異常な速さを実感した。

  

 

「第五只見川橋梁」は、後方の運転台のフロントガラス越しに、復旧工事で付け替えられた新しい2間の橋桁と、継続使用となった一部が錆びた下路式トラス橋の様子を眺めた。

 

 

15:25、会津川口に到着。小出行きの列車とすれ違いを行い、10分停車した。

 

会津川口を出ると、只見川に突き出た大志集落が見えた。*只見川は東北電力㈱上田発電所・ダムの上田ダム湖

 

会津中川を出て会津水沼手前では、「第四只見川橋梁」を渡った。午後の陽射しを受け、下流側左岸の木々の早緑が鮮やかに見えた。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋集覧1873-1960

 

早戸手前で三島町に入った列車は、早戸・滝原トンネルを抜けて「第三只見川橋梁」を渡った。上流側を見ると、金山町ー三島町境を流れる界の沢が滝となって只見川に落ちていた。*只見川は東北電力㈱宮下発電所の宮下ダム湖

 

列車が宮下ダムの脇を通り過ぎると、県道237号線沿いに満開の桜並木が続いた。見事な咲きっぷりに、目を奪われた。

 

会津宮下の直前で通過した三島神社境内の桜も、陽光を浴び美しく見えた。

 

 

会津宮下出発後には、「第二只見川橋梁」を渡った。*只見川は東北電力㈱柳津発電所・ダムの柳津ダム湖

 

会津西方の旧駅前広場の桜も満開で、丈が高いため、青空に浮ぶようで美しかった。

 

 

会津西方を出て、名入トンネルを抜けると「第一只見川橋梁」を渡った。*只見川は東北電力㈱柳津発電所・ダムの柳津ダム湖

 

カメラのズームを最大にして、「第一只見川橋梁ビューポイント」の最上部・Dポイントを見ると“撮る人”や観光客の姿は無かった。*参考:公益財団法人 福島県観光物産交流協会 福島県観光情報サイト「ふくしまの旅」第一只見川橋梁ビューポイント URL:https://www.tif.ne.jp/jp/spot.html?spot=6651

 

 

列車は会津桧原を経て、滝谷川橋梁を渡り柳津町に入り滝谷に到着。駅周辺の桜は満開で、数名の“撮る人”が列車と桜を一緒に撮ろうとカメラを向けていた。

 

次駅の郷戸も、駅舎が満開の桜に包まれていた。ここにも“撮る人”が数名いた。桜と列車は順光の西陽を受けているようで、良い写真が撮れたのではないかと思った。

  

 

郷戸を出ると、只見線随一の“観桜区間”になる。

圓満山 月光寺(真言宗)境内で桜のトンネルに入ると、車内の客から歓声が上がった。

 

この桜のトンネルには撮影ポイントがあり、下の写真のように良い一枚が撮れる。

  

福満虚空蔵菩薩 園蔵寺の裏には枝垂桜の並木があり、淡いピンクの花が陽光を受け穏やかな美しさを見せてくれた。

 

会津柳津に停車。駅前通り(県道225号(会津柳津停車場)線)の桜並木も、満開だった。

郷戸~会津柳津間の“観桜区間”は見ごろで、素晴らしかった。来年以降は桜の開花に合わせ、この区間で減速運転されるよう、「只見線利活用計画」を進める福島県は柳津町と協同し、JR東日本に提案して欲しいと思った。 


今年の三島町と柳津町の桜の咲きっぷりは、近年では最高なのでないかと感じた。今後、只見線の列車の車窓から間近で見られる両町の桜が、もっと周知され、『桜を見るために只見線に乗ろう!』と思ってくれる旅行者が増え、旅行会社によってツアーが企画されることを願う。

 

 

 

列車は会津柳津を出て、会津坂本手前で会津坂下町に入った。往路では忘れてしまった挨拶を貨車駅舎の「キハちゃん」に一言。さようなら、また来るよ! *参考:会津坂下町「只見線応援キャラクター誕生!!」(2015年3月13日)

 

七折峠を越えた列車は、塔寺を経てディーゼルエンジンの出力を抑えて下った。木々の切れ間から会津盆地を見下ろすと、雲一つ無くすっきりと晴れ渡り、「磐梯山」(1,816.2m、会津百名山18座)もはっきりと見えた。

  

 

列車は会津平野に入り、会津坂下若宮を経て会津美里町に入り、新鶴根岸、そして会津高田に停車した。車窓から北に目を向けると、「飯豊山」(2,105.2m、同3座)を主峰とする飯豊連峰の、まだまだ雪融けが遠い山容が見えた。*参考:*参考:公益財団法人 福島県観光物産交流協会「ふくしま30座」飯豊山

 

会津本郷手前で会津若松市に入った列車は、大川(阿賀川)を渡った。上流側には、往路で霞んで見えなかった「大戸岳」1,415.9m、同36座)が堂々とした山塊を見せていた。

 

 

 

17:11、鶴ヶ城(会津若松城)最寄りの西若松に到着し、私は下車した。駅舎を抜けて駅頭に立つと、「背炙山」(863m、同80座)を持つ背炙高原にある「会津ウィンドファーム」の風車が回転している姿が見られた。*参考:コスモパワー㈱「会津ウィンドファーム

 

西若松駅の北で交差する城南通り(県道211号(西若松停車場南町)線)に入り、東に進み湯川橋を渡ると「奴田山(青木山)」(723.3m、同89座)も、青空の下で稜線をくっきりと見せていた。

 

 

湯川に架かる天神橋の袂で左に曲がり、20分ほどで鶴ヶ城二の丸公園に到着。桜はだいぶ散り、花びらが地面を覆っていたが、夕暮れ時ということもあり良い雰囲気だった。

 

廊下橋で三岐濠を渡り、本丸に入った。

 

本丸の城址公園に入り、高石垣に向かった。途中、 麟閣(茶室)の外壁を覆う枝垂桜を見上げた。

 

高石垣に上がり、桜越しに鶴ヶ城天守閣を眺めた。なかなかの見ごたえだった。

 

日本の城と桜の相性ば抜群だが、鶴ヶ城で桜を観ると、それを実感した。

  


桜が散り始めた平日の夕刻であったが、園内にはレジャーシートを敷いて花見を楽しむグループが見られた。満開の時期は、大いに賑わっただろうと思った。

 

新型コロナに関する規制緩和で、鶴ヶ城公園内でのレジャーシートを敷いての花見飲食を4年振りに認め、観光需要回復策で本丸では10年振りに解禁された。*下掲記事:福島民報 2023年4月1日付け紙面より

 

西陽が天守閣に当たり、花びらが散り赤身を帯びた桜と天守の赤瓦の相性は良く、雲一つない青空を背景にした風景をしばらく眺め続けた。只見線の起点に、このような魅力ある場所があるのは素晴らしいことだと、改めて思った。


 

例年、鶴ヶ城では桜の開花に合わせ、ゴールデンウィークまで「鶴ヶ城さくらまつり」が行われているが、今年は想定外の早咲きでイベントの関係者は頭を悩ませているのではないか、と椿坂に立てられた看板を見ながら考えた。*参考:会津まつり協会「鶴ヶ城さくらまつり」URL: https://www.aizukanko.com/kk/festival/sakura-matsuri

  

桜を堪能し、北出丸堀越しに夕陽を見ながら鶴ヶ城を後にし、「宮古そば処 分家 吉兵衛」に向かった。 


 

 

  

北出丸通りを直進し、市役所通りの交差点を過ぎてまもなく、目当てのビルが見えた。

 

18:05、鶴ヶ城北出丸から10分ほどで「宮古そば処 分家 吉兵衛」が入居するビルに到着。階段前に青い看板が置かれていた。

 

「宮古そば」とは、喜多方市山都町の名物「山都そば」の“起源”で、「宮古そばの里組合」のホームページには次のように記載されている。

*出処:宮古そばの里組合 URL:https://miyakosoba.jimdofree.com/ 
(引用)「宮古そば」とは
福島県喜多方市山都町にある、宮古そばの里は、国道459号線の福島県と新潟県との堺近くに位置しております。標高450m~500mにそば畑が広がり、寒暖差や土壌のおかげで、上質なそばの栽培がおこなわれいます。また宮古集落地には、8軒のそば店が営業をおこなっており、各店舗ごと様々な工夫やこだわりを持ち、お客様をお迎えしています。
 よく、そばで有名な信州ですが、宮古は信州よりも標高は低い分、信州よりも北に位置しており、同じ様な気候になっています。
 宮古そばは会津そばの発祥の地とも言われ...(以下、省略)

 

そして、「宮古そば」と「山都そば」の関係については、喜多方市ふるさと振興㈱の 「いいで と そばの里」というホームページに詳しく記述されている。

*出処:喜多方市ふるさと振興株式会社 山都事業所 「いいで と そばの里」URL:http://www.sobanosato.jp/buckwheat/
(引用)「山都そば」の起源
 昭和50年代に「山都町商工会」が「むらおこし事業」で着目したのが「飯豊」と「宮古そば(つなぎを一切使わない透明感のある比較的白っぽいそば)」でした。それまで「幻のそば」と言われていた「宮古そば」を町全体の誇れる物として売り出したのが「山都そば」です。
 「宮古地区」は、標高が高く米作には不適のため「そば」をより多く常食としていました。
 「越後裏街道」筋にあるため、行商などで逗留する人々には、「家庭で食するそば」より贅沢に挽いて振舞っていたと言われています。昭和30年代より「県道工事」などが盛んになると、「工事関係者」や「県職員など」が訪れると、農家にお願いし「そば」を食していました。
 その後、(保健所の届出をして)予約での営業を始める農家が増え、今日に至ります。

 

「宮古そば処 分家 吉兵衛」は、この宮古地区の「そば処 西村屋(吉兵衛)」の姉妹店で、宮古のそば粉を使用し十割蕎麦を提供している。*参考:JA会津よつば「会津ランチ情報 - 宮古そば処分家 吉兵衛」URL: https://aizuyotuba.jp/lunch/473/ 


「宮古」について。

「新編會津風土記」(1809(文化6)年編纂完了)の耶麻郡木曽組の項に、宮古村の記述がある。明治以後、他村と合併し蓬莱村になったようで、以後、木幡村→山都町→喜多方市(2006(平成18)年1月)となった。なお宮古地区の「いしいのそば」の住所表記には、“宮古”が残っている。*出処:新編會津風土記 巻之六十八「陸奥國耶麻郡之十三 木曽組」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第32巻」p279 URL: https://dl.ndl.go.jp/pid/1179212/1/146)

宮古村
府城の西北に當り行程八里三十町、家數三十七軒、東西二町四間南北三町二十九間、宮古川を夾み住す、
東は堂山村の山に連り、界域分ちがたし、西五町吉田組宮野村の山界に至る、其村まで一里十町、南十四町十九間中反村の界に至る、其村は辰巳に當り一里八町十間餘、北一里十八町吉田組極入村の山に界ふ、叉申の方七町五十八間吉田組大船澤村の山界に至る、其村まで二十八町、 



3階に上がると、左手に庇と暖簾が印象的な和風の店構えが見えた。

店頭に小さな自転車が置かれていた事を不思議に思い、引き戸を開けて中に入ると合点した。中央のテーブルで子供がノートを開いていたからだ。夜営業帯の開店間もない時間で、また飲食店が入居するビルの3階ということで、酒宴後の〆の蕎麦を求める客が多いため、店主の御子息が宿題をしていたのだろうと思った。

 

店内は、カウンターと8人が座れる大テーブル、そして小上がりに座卓が2卓という大きさだった。先客はおらず、私は座卓に案内された。

 

メニューを手に取り、一通り見てから、天婦羅ざるそばに決めた。

 

そして、地酒。冷酒が呑みたいと思い、名倉山の「純米吟醸 月弓 かほり」を選んで、蕎麦と合わせて注文した。

 

まもなく、日本酒が運ばれてきて、アテに冷奴がついてきた。

「純米吟醸 月弓 かほり」は、中通りのコンビニでもよく見かける酒だが、初めて呑んだ。よく冷えて、キリッとした口当たりだが、のど越しに香りや旨味が感じられる酒だった。


酒が進み、冷奴がなくなる頃合いに天婦羅ざるそばが運ばれてきた。

 

蕎麦は、店内の照明が電球色だったため見た瞬間に『あれっ⁉』と思ったが、よく見ると“透明感のある比較的白っぽいそば”であることが分かった。

 

天婦羅は山菜、茄子、海老など7種盛りで、薄い衣でカラッと揚がっていた。

  

天婦羅ざるそばを食す。

まずは、純米吟醸酒の肴として天婦羅を食べた。揚げたてで、衣が奏でるサクッサクッという音と、山菜など素材から香りが立ち上り、酒が進んだ。


そして、宮古そば。延しべらの切り口で、一見薄いのでどうかと思ったが、香りとコシがしっかりとしていて、タレをつけずに飲み込むと気持ち良いのど越しで、笑顔になった。旨い蕎麦で、大盛りにすればよかったと悔いるほど、あっという間に完食した。


蕎麦湯は湯筒ではなく、湯呑に注がれ食中に給仕された。つけダレの椀に濃厚な蕎麦湯を注ぎ入れ、宮古そばの余韻に浸った。

只見線の起点である会津若松市内で山都(宮古)そばが食べられる、ということで「宮古そば処 分家 吉兵衛」を選んだが、大当たりだった。この経験で、本家である喜多方市山都町宮古地区に行って、蕎麦を食べたいと思った。この先、“只見線百山”の検証登山で「飯豊山」(2,105.2m、会津百名山3座、日本百名山19座)に挑む際に、宮古地区の蕎麦店の暖簾をくぐりたい。


 

 

食後、すっかり暗くなった市街地を歩き、会津若松駅に向かった。そして、磐越西線の郡山行きの列車に乗って帰宅し、只見線の旅を終えた。

 

 

(了)

 

 

・  ・  ・  ・  ・

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業

  

【只見線への寄付案内】

 福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

 ①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金

・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

 [寄付金の使途]

 (引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

 

以上、宜しくお願い申し上げます。




次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

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