沿線の新緑(全線乗車(会津若松⇔小出)) 2023年 春

全線運転再開(2022年10月1日)したJR只見線が、初めて迎える新緑の季節。沿線の様子を見てみたいと思い、会津若松~小出間を全線乗車した。

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ  -只見線の春- / -只見線全線乗車-

 

 


 

 

今朝、前泊した宿を出て会津若松駅に向かった。会津地方や中越地方(新潟県)の天気予報は“くもり後雨”や“くもり時々雨”で下り坂だったが、駅舎上空には青空が広がっていた。『せめて、只見線に乗っている間は陽が差し、木々の葉を照らして欲しい』と願った。

 

切符を購入し改札を通り、只見線の4-5番ホームに向かう。連絡橋から見下ろすと、既に列車は入線していた。

 

ホームに下りて小出行きの列車を見ると、キハE120形の2両編成だった。

通常、会津若松発の始発列車は単行(1両編成)だが、今年のゴールデンウィークから5月の土日に臨時列車が運行されていて、この列車は小出到着後に只見行きの増発便になるため2両となっているようだった。増発便は只見で「只見線満喫号」(只見→会津若松)に連絡するため、1両では只見線全線乗車を目的とした多くの観光客に対応できないのだろうと思った。*下図出処:東日本旅客鉄道㈱「春の臨時列車のお知らせ」(2023年1月20日) URL: https://www.jreast.co.jp/press/2022/sendai/20230120_s01.pdf

 

6:08、只見線の始発列車が会津若松を出発。乗客は先頭が5人で、後部が私を含めて4人だった。


 

七日町西若松の市街地の駅を経て、列車は大川(阿賀川)を渡った。上流側には、「大戸岳」(1,415.9m、会津百名山36座)山塊の稜線が見えた。

 

会津本郷を出発直後に、会津若松市から会津美里町に入り、列車は会津平野の田園地帯を進んだ。所々代掻きが終わった水田越しに西部山地で突き出た「明神ヶ岳」(1,074m)、同61座)と、その南後方に「博士山」(1,481.9m、同33座)山塊の稜線が見えた。

 

会津高田を出た列車は、“高田 大カーブ”を駆けて、進路を西から真北に変えた。


根岸を出ると、田んぼでは代掻きをするトラクターが複数見られた。

 

 

新鶴を出て、しばらくして会津坂下町に入り若宮を出発後に右(東)に目を向けると、会津若松駅の連絡橋上から見えなかった「磐梯山」(1,816.2m、同18座)の稜線がうっすらと見えた。

 

また、左の車窓から進行方向の北に目を向けると、「飯豊山」(2,105.2m、同3座)を主峰とする飯豊連峰が霞の中にうっすらと見えた。山肌に、多くの雪が残っているのが分かった。

    

 

会津坂下に到着すると、すれ違いをする上り始発列車(会津川口発)が停車していた。キハ110系とキハE120形の2両編成だった。

 

 

 

会津坂下を出た列車は、会津平野と奥会津を隔てる七折峠に向かって、力強く駆けた。

 

登坂途中、木々の切れ間から会津平野を見渡し、近いうちに田植えを終え、陽光を浴び一面に輝く田園を思い浮かべた。

 

峠内の塔寺を経て、“七折越え”を終えた列車は、会津坂本に停車。貨車駅舎に描かれたキハちゃんに挨拶。おはよう! *参考:会津坂下町「只見線応援キャラクター誕生!!」(2015年3月13日)

 

柳津町に入った列車は、会津柳津に停車。

この駅は、先月JR東日本から柳津町に無償譲渡され、今後観光施設に生まれ変わる。日本三大虚空蔵尊である福満虚空蔵尊の門前であり、温泉が湧き出る市街地が近い当駅の賑わい創出の可能性は高いと思う。町は改修後の当駅に、越後三山只見国定公園や只見線沿線地域などの“インフォメーションセンター”としての役割を担わせるが、只見線奥会津区間の福島県側の入口として、町民と行政が一体となり会津柳津駅を盛り立てて欲しいと思った。*出処/下掲:(左)福島民報 2023年4月13日付け紙面 / (右)柳津町・東日本旅客鉄道㈱「只見線会津柳津駅駅舎譲渡に伴う調印式の実施について」(2023年4月5日)URL: https://www.jreast.co.jp/press/2023/sendai/20230405_s03.pdf


 

 

会津柳津を出た列車は、郷戸手前で“Myビューポイント”を通過。「飯谷山」(783m、同86座)がよく見えた。

 

 

滝谷を出発直後、列車は滝谷川橋梁を渡り、三島町に入った。只見線内で最も高い橋上から見下ろす渓谷は、青々とした木々が覆い、藤の花がアクセントを加えていた。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋集覧1873-1960

 

 

会津桧原を出て桧の原トンネルを抜けると、「第一只見川橋梁」を渡った。車内放送による観光案内は無かったが、スピードを少し落とし“観光徐行”したようだった。只見川は青緑で、水面に波一つ無く冴えた水鏡が周囲の木々などを映し込んでいた。*只見川は東北電力㈱柳津発電所・ダムのダム湖

 

会津西方を出発直後、代掻きを終えた田越しに、今年3月に登った「洞厳山」(1,012.9m)の山塊が綺麗に見えた。*参考:拙著「三島町「洞厳山」登山 2023年 早春」(2023年3月20日)

 

この直後、列車は「第二只見川橋梁」を渡った。只見川の水鏡は冴え、上流側には「三坂山」(831.9m、同82座)もくっきりと見えた。

 

 

減速した列車は、“アーチ3橋(兄)弟”の長男・大谷川橋梁を渡った。次男・宮下橋との間の両河岸は青々と茂った木々に覆われていた。*参考:三島町観光協会(観光交流館からんころん)「『みやしたアーチ3橋(兄)弟』のビューポイント」(2013年6月16日) https://blog.goo.ne.jp/mishimakankou/e/e93620f5690ee4e3adf6d1124b2f46e5

 

会津宮下に停車して列車は、上り2番列車(会津川口発)とすれ違いを行った。5分ほどで入線した列車は、キハ110系の単行だった。また、移設新設された構内踏切は完成しているように見えたが、バリケードが置かれ、共用開始は先のようだった。

 

 

 

会津宮下を出た列車は、東北電力㈱宮下発電所の裏を抜け、宮下ダムの脇を通り過ぎ、宮下ダム湖(只見川)沿いを駆けた。水面は波立ち水鏡は出ていなかったが、湖面に張り出した新緑は見ごたえがあり、木々の生命力を感じさせてくれた。

 

まもなく、列車は「第三只見川橋梁」を渡った。上流側は、人工物が送電鉄塔だけという、緑緑緑の空間が広がっていた。

 

反対側の座席に移動し、下流側を眺めた。こちらは、中央に国道252号線の高清水スノーシェッドだけが見える新緑の壁になっていた。

 

 

 

滝谷トンネルと早戸トンネルを抜けた列車は早戸に停車。只見川(宮下ダム湖)を見ると、水鏡が現れていた。

 

振り返ると、水面に活火山・沼沢(835m)の外輪山の山肌などが映り込み、見ごたえのある風景になっていた。

 

 

 

早戸を出た列車は、金山町に入り8連コンクリートアーチ橋・細越拱橋を渡った。只見川の水鏡は冴えわたり、静かで美しい眺めだった。

 

列車が下大牧集落の背後を駆けると、トタン大屋根越しに、雪食地形のむき出しの岩肌を持った山々が見えた。只見線の車窓から見える、奥会津を象徴するのどかな眺めだった。

 

 

 

会津水沼を出発してまもなく、列車は「第四只見川橋梁」を渡った。只見川には、東北電力㈱上田発電所・ダムの直下ながら水紋が見られず、水鏡が現れていた。


  

第四水沼跨線橋を潜り国道252号線と交差した列車は、しばらく国道と並行して走った。国道の改良工事(水沼工区)で電柱・電線か地中化され、見晴らしが格段に良くなった区間だ。

 

この後、列車は上田ダム湖(只見川)に近づくが、ここは電柱・電線が残っていた。地中化はされないようだった。

上田ダム湖沿いを列車が駆ける距離は長くはないが、宮下ダム湖とは違い、対岸に雪食地形・アバランチシュートを持つ山肌が見える幅広の上田ダム湖の眺めは良い。*参考:国土地理院 「日本典型地形について」6.氷河・周氷河作用による地形 「アパランチシュート

今後、「只見線利活用計画」を進める福島県にはこの区間の“景観創出”、引いては只見線に沿うように伸びる国道252号線の電柱・電柱地中化を進め、乗客のための“景観創出”を実現させて欲しいと思っている。

  

 

私が乗っている後部車両は閑散としたままだったが、車内に陽光が落ちのどかな空間だった。だが、土曜日の列車であることを考えると、空席の目立つ車内に複雑な心境になった。

 

 

会津中川を出た列車は、大志集落の背後を駆け、減速しながら右に大きく曲がった。振り返ると、只見川(上田ダム湖)に突き出た大志集落を包む雄大な景色が見られた。水面の水鏡も冴え、素晴らしい景観だった。

 

減速した列車は、只見川沿いをゆっくりと進んだ。 

 

8:05、会津川口に列車が停車。先に到着していた、小出からの始発列車(キハ110系+キハE120形)とすれ違いを行った。

 

 

 

会津川口を出た列車は、復旧区間(2022年10月1日~)を走った。初めて、この区間をこの新緑の時季に乗り通す事になった。


只見川(上田ダム湖)の水鏡の冴えは続き、河岸の新緑を映し綺麗だった。

 

西谷信号場跡の広い空間を抜けた列車は、2間の橋桁が付け替えられた「第五只見川橋梁」を渡った。

 

上流側の大きく蛇行した幅広の川面にも水紋は見られず、冴えた水鏡になっていた。

 

 

本名を出発してまもなく、下路式トラス橋に架け替えられた「第六只見川橋梁」を渡った。上流側には東北電力㈱本名発電所・ダム直下に見られるが、ダムのゲートは開放されていなかったが、発電所側の放水口には水紋が見られた。

 

下流側は浅瀬になっていて、只見川が初めて“川”らしい姿を見せているが、ここではブロッケン現象のような虹の輪が見えた。

 

  

本名トンネルを抜けた列車は、民宿「橋立」の駐車場端に立つ、只見線(135.2km)中間点を示す看板(ここが、只見線の真ん中だ!)の脇を駆け抜けた。

   

列車は、会津越川に近づくと、前方に未だ雪が残る「浅草岳」(1,585.4m、同29座、只見四名山)が見えた。

  

会津横田を出発し、列車は下路式トラス橋に架け替えられた「第七只見川橋梁」を渡った。

  

会津大塩を出た列車は滝沢集落を抜け、町境の滝トンネルに向かった。

 

 

 

滝トンネル内で、列車は只見町に入り、トンネルを抜けると只見川(滝ダム湖)の左岸を駆けた。前方には、「蒲生岳」(828m、同83座、只見四名山)と、その向こうに「浅草岳」の一部が見えた。*滝ダム湖は電源開発㈱滝発電所・ダムのもの

 

また、対岸(右岸)には「鷲ケ倉山」(918.4m、同71座)の堂々とした山塊が見えた。

 

 

会津塩沢を出発すると、列車は「第八只見川橋梁」を渡った。只見川(滝ダム湖)の水面は波立ち、残念ながら水鏡は鮮明ではなかった。

 

宮原集落を抜け、列車が右に大きくカーブすると、蒲生原集落越しに「浅草岳」が綺麗に見えた。このビューポイントは、復旧区間内では屈指のものでないかと改めて思った。

 

会津蒲生の手前では、前方奥に「苧巻(オマキ)岳」(909.7m)が見えた。二等三角点峰で、私選“只見線百山”の候補にしているが、山肌は雪食地形の岩肌露出で険しい山だと見て取れた。『登るなら、早春の残雪期か』と思った。

 

会津蒲生出発直後に蒲生川橋梁を渡ると、振り返って「蒲生岳」を眺めた。

 

 

列車は蒲生トンネルを抜け、国道252号線の八木沢スノーシェッドの直上を走った。川床の石が見えるようになった只見川で進められている川幅拡幅工事(水害対策)は再開されたようで、右岸には数台の重機が置かれていた。また、上流側をよく見ると、田子倉ダムの背後に聳える“寝観音様”(猿倉山(1,455m)から横山(1,416.7m)の稜線)が見えた。初めて知った。

 

また、列車が少し進むと、「会津朝日岳」(1,624.3m、同27座、只見四名山)の山塊も見えた。

 

 

八木沢集落の背後を駆けた列車は、只見線最長(372m)の叶津川橋梁を渡った。

 

反対(右)側を座席に移動すると、叶津川の上流側に「浅草岳」が見えた。

 

叶津川橋梁を渡り切ると、左側の車窓には、「蒲生岳」が“会津のマッターホルン”の名に相応しい稜線を見せていた。

  


 

 

この後、列車は林の中を抜け、只見町の市街地に近づいた。県立只見高校の向こうには、「会津朝日岳」の荒々しい山容が見えた。

 

 

9:00、列車は只見に到着。1番線に入線したため、列車越しに“寝観音”様が綺麗に見えた。

 

乗務員の交代で停車時間が23分あることもあり、駅舎を出た。駅頭の運転再開“まで”が“から”に変わったボードは224日になっていた。

 

駅前広場から、停車中の列車越しに「要害山」(705m、同91座、只見四名山)を眺めた。会津百名山では、最も只見線の駅から近く、登り易い山だ。

 

駅の南側にある宮道踏切に移動し、列車が停車中の駅構内を眺めた。のどかで心落ち着く、良い風景だと改めて思った。

 

駅頭に行くと、復旧区間を走っていた代行バスと似たマイクロバスが停車していた。貼られていたステッカーを見ると、只見線の二次交通として運行されている観光周遊バスだった。

このバスの運行は列車の発着に合わせて、周辺の観光地への“足”を乗客に提供するサービスで、今年12月3日までの土日祝日に運行されている。運賃は一律200円で、利用しやすくなっている。*下図出処:只見町インフォメーションセンター「観光周遊バス「自然首都・只見号」の運行について」(2023年4月6日) URL: https://www.tadami-net.com/topics/20230406/17654

  

 

駅舎に入り、窓口で切符を購入した。今日は土曜日ということで、会津若松から「小さな旅ホリデー・パス」を使ったが、利用可能エリアが只見までということで、只見~小出間の切符が必要だった。

 


8:30、列車は只見を出発。上町トンネル、3基のスノーシェッドを抜けると、前方に電源開発㈱只見発電所・ダムの洪水吐と、同田子倉発電所・ダムの巨大な躯体、そしてその背後には“寝観音”様が見えた。

 

第二赤沢トンネルと田子倉トンネルの間の明かり区間では、小赤沢の狭隘な谷に茂る木々が見えた。

 

 

田子倉トンネル(3,712m)を抜け、列車は余韻沢橋梁を渡った。田子倉ダム湖岸の木々も青々と茂っていた。

 

列車はスノーシェッドに入り、田子倉駅跡を通過した。この駅跡はロケーションが良いので、“観光駅”として復活させて欲しいと思っている駅跡だ。*参考:拙著「只見町「田子倉駅」跡 2017年 秋」(2017年10月14日)

 

田子倉駅跡を覆うスノーシェッドを抜けると、雪食地形の荒々しい岩肌を見せる山々の間に「浅草岳」南端の「南岳」(1,354m)が見えた。*参考:福島県生活環境部自然保護課「ふくしまグリーン復興構想」六十里越雪割り街道からの田子倉湖 URL: https://www.pref.fukushima.lg.jp/w4/fgr/perfectview/p30/

  

列車は、只見沢橋梁を渡り会越国境(福島ー新潟県境)の六十里越トンネル(6,359m)に入った。只見沢の上流側には、「浅草岳」が雄大な稜線と山肌を見せていた。


 


 

 

六十里越トンネルは序盤で上りから下りになり、列車は軽やかに駆け、中間点手前で新潟県に入った。*下掲地図出処:国土交通省 国土地理院「地理院地図」(電子国土Web) URL: http://maps.gsi.go.jp/


7分ほどでトンネルを抜け、列車は魚沼市を進んだ。天候は変わらず陽光が届く薄曇りで、末沢川渓谷の新緑はまずまず映えて見えた。

 


列車は「第十二末沢川橋梁」を渡った。末沢川に架かる橋からの眺めは、福島県側、只見川のダム湖にかかる8本のそれとは全く違うもので、新緑がより近く感じられて良かった。

 

「第十一末沢川橋梁」上からの眺め。

 

「第六末沢川橋梁」上からは、国道252号線にかかる茂尻橋の真っ赤な下部トラス鋼材が見え、新緑中で一層映えていた。

 

電源開発㈱末沢発電所の前を通過。

 

「第五末沢川橋梁」上からの眺め。狭隘な渓谷の新緑が眩しかった。

 

 

 

列車は、左に大きく曲がりながら、末沢川が合流する破間川に架かる「第五平石川橋梁」を渡った。

列車は、末沢川に架かる16基の橋梁区間を走り終えた。

只見線の末沢川に架かる橋梁上からは、福島県側のダム湖の連続とは違い、渓谷と清流が見られるため新緑の時季や紅葉期は見ごたえがある。しかし、列車は六十里越を通過するため、上り列車はディーゼルエンジンを豪快に蒸かして駆けあがり、下り列車は惰性運転で軽やかに進み、それぞれスピードが出ている。そのため、じっくりと橋梁上からの景色を楽しめない。

沿線風景の多様さを乗客に楽しんでもらい、車窓からの眺めを充実させ“観光鉄道「山の只見線」”を確立するために、六十里越区間を“観光徐行”して欲しいと改めて思った。

 


9:58、大白川に停車。只見~大白川間は20.8㎞で、 この駅間は在来線で全国7位、本州に限れば山田線(岩手県)上米内~区界間の25.7kmに次ぐ第2位になっている。

  

駅の南側には、ホームと並行するように破間川が流れている。今日は水量が豊富で、川床の岩にぶつかった清流が、いくつもの水しぶきを作っていた。

 

 

 

大白川を出た列車は、破間川沿いを駆けた。

一ツ橋トンネルを抜け「第四平石川橋梁」を渡ると、下流側に見ごたえのある光景が現れた。新緑や山の斜面の岩肌に、破間川の淵のエメラルドグリーン、国道252号線柿ノ木スノーシェッドの鋼材の赤が映えていた。

*注:破間川は、かつて黒又川の合流点までを平石川と呼んでいた。そのため、橋梁名に“平石川”が付けられている。  

 

「第二平石川橋梁」を渡った。

  

「第一平石川橋梁」では振り返って、豪快に越水している破間川取水堰(東北電力㈱)を眺めた。

 

 

「第三破間川橋梁」を渡った。

  


入広瀬が近付くと、国道252号の新入広瀬橋越しに「藤平山」(1,144m)の山塊がくっきり見えた。この山は、「守門岳」(1,537.3m、新潟百名山)の登山ルート(大池)上にある。

  

入広瀬を出ると、左に「鷹待山」(339m)が見えた。

 

 

列車は破間川の河底平野に延びる田園地帯に入り、水田の間を駆けた。

 

上条を出て、越後須原が近付くと、左前方に「唐松山」(1,079.4m)から“権現堂山”(「下権現堂山」(896.7m)、「上権現堂山」(997.7m))に続く稜線が見えた。

 


越後須原を出た列車は、沿線の魚沼市内で唯一車窓から見られるダム湖(藪神ダム)の縁に架かる「大倉沢橋梁」を渡った。

 

魚沼田中を経て、越後広瀬を出ると、前方に越後三山(「越後駒ヶ岳」(2,002.7m)、「中ノ岳」(2,085.1m)、「八海山」(1,778m))が見え始めた。

 

「第一破間川橋梁」を渡ると、左前方に東北電力㈱薮神発電所の放水口が見えた。

 

 

藪神を出て、列車は開けた田園区間を駆けた。越後三山を背景に、良い眺めだった。

  


列車は減速しながら、「魚野川橋梁」を渡った。破間川はここから300mほど下流で、この魚野川に注ぎ込んでいる。

 

 

 

10:41、小出に到着。観光客の他、地元の方と思われる客が次々と降り、一時、ホームは混雑した。

  

連絡橋を渡り、改札がある1番線のホームに行くと、テーブルが置かれ臨時観光案内所が開かれていた。物販も行っていて、客が法被やオレンジのジャンパーを着たスタッフと言葉を交わし、賑わっていた。 

 

新緑の中、初めての全線乗車を終えた。天候にも恵まれ、福島県側、新潟県側それぞれの沿線の早緑や川の水鏡や清流を堪能でき、只見線の観光力の高さを改めて思った。と同時に、只見線が一本につながり、両県の多様な山間の自然美を同じ列車で眺め続けられる価値の高さを実感した。

 

只見線は、紅葉期や降雪期の訴求力が高く多くの観光客を惹きつけるが、新緑の時季の認知度は低いような気がする。一年を通して観光客を呼び込み“観光鉄道「山の只見線」”を確立させるためには、新緑期など山が勢いづく緑の季節を乗客に楽しんでもらう必要がある、と私は思う。

そのためには、車窓に流れる景色を、高いホスピタリティーで楽しめる専用観光列車の導入と、山間部の勾配区間での“観光徐行”が欠かせない。

 

「只見線利活用計画」を中心となって進める福島県は新潟県と協業し、只見線の緑の季節に多くの客を呼び込み、“観光鉄道「山の只見線」”を確立させて欲しいと思う只見線全線乗車の旅となった。

 

 

(了)

 

 

・  ・  ・  ・  ・

*参考:

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日) 

・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法

*現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

 [寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

 

以上、宜しくお願い申し上げます。  

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

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