JR東日本の観光列車・びゅうコースター「風っこ」号がJR只見線全線で運行されることになり、会津若松~小出間(135.2km)を日帰りで往復した。
今回の「風っこ」号運行は、JR東日本グループの旅行会社が企画した旅行商品で、昨日(11/5)が会津若松駅(10:15発)・小出駅(14:28着)、今日(11/6)が小出駅(10:42発)・会津若松駅(15:38着)という2つのプランがあった。*下図出処:JR東日本びゅうツーリズム&セールス「日本の旅、鉄道の旅」 URL: https://www.jrview-travel.com
弁当付きに惹かれたが、日帰りで往路・復路ともに車窓から景色を眺めたい、と小出駅→会津若松駅の旅行商品を選択し予約した。
今日の旅程は、会津若松から只見線の始発列車に乗車し、小出に到着後すぐに「風っこ」号に乗り換え会津若松に戻るというもの。小出着が10時41分で、「風っこ」号の小出発が10時42分ということで、乗り換え時間が1分となっている。小出駅ホームでは向かい合わせになるため乗換は可能だと思ったが、一応旅行会社に事前連絡しておいた。
只見線の全線運転再開(10/1)後、「風っこ」号は会津若松~只見間で運行されていたが全線(会津若松~小出間)では初めてとなる。沿線は紅葉の見頃を迎え、「風っこ」号の大きな窓枠から見える景色に期待し、まずは普通列車(キハE120形)で会津若松から小出に向かった。
*参考:
・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)
・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)
・福島県:只見線ポータルサイト
・(公社)新潟県観光協会:にいがた観光ナビ「JR只見線」
・(一社) 魚沼市観光協会:秘境を行く! JR只見線
・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ -只見線の秋- / -観光列車-
今日の地元紙・福島民報では、連載「只見線全線再開通 つながったレール ~あき編~」で、金山町の「玉縄城跡」(金山町文化財)の第2ビューポイントからの写真を掲載していた。「袖の窪山」(952.8m)を背景に、東北電力㈱本名発電所・ダムとその下流側直下に架かる「第六只見川橋梁」、そして金山町本名地区の青や赤のトタンの大屋根が、只見線が走る奥会津を象徴する構図になっていた。
私は、この景観を初めて知り、“観光鉄道「山の只見線」”は、まだまだ人知れぬビューポイントがあるのだろうと思い、只見線の今後に一層の期待が持てた。
今朝、只見線の始発列車に乗るために5時前に起床し、宿を出て5時35分に会津若松駅に到着した。
改札を通り、只見線の4番5番ホームに行くと、20名近い方々が停車位置に列を作り並んでいた。
5:43、只見線の始発列車、キハE120形+キハE120形2両編成が入線してきた。並んでいた多くの方が、列車に向かってシャッターを切っていた。
列車が停車し、後部車両後方のドア開閉ボタンを押し、車内に入って1×1BOX席を確保した。その後、連絡橋に上って、構内を見下ろした。右(北東)に「磐梯山」(1,816.2m、日本百名山22座/会津百名山18座)の稜線が群青と曙の空に浮び、綺麗に見えた。ただ、驚いたのはカラスの大群。おそらく、会津若松市街地に大勢の観光客が来たため、早朝に出されるゴミの中にエサを期待しての行動だと思った。ここで始めて見る光景に、気味が悪いが喜ばしいという、複雑な心境になった。
ホームのベンチで朝食を済ませ、自席に戻った。今回は小出まで往復するが、復路はツアーで旅行代金(小出→会津若松間)を支払済みなので、「小さな旅ホリデー・パス」と只見~小出間の切符を購入した。
6:08、小出行きの下り始発列車が会津若松を出発。私が乗った後部車両には21人、先頭車両には12人の客で、運転再開前よりは混雑しているが、思いのほか空いた車内だった。
七日町、西若松を経て大川(阿賀川)を渡ると、地表は霧に覆われ「大戸岳」山塊は見えなかった。
会津高田を出て、右大カーブで進路が真北に変わると、正面の窓から「磐梯山」が霧の層の上に見えた。
根岸が近付くと、一旦周囲の霧が消え、「明神ヶ岳」に続く西部山地の山容が見えた。会津総鎮守「伊佐須美神社」の最終山岳遷座地である「明神ヶ岳」とその右奥(南南)の“第二遷座地”「博士山」」(1,481.9m、会津百名山33座)を中心に見る山稜は、“観光鉄道「山の只見線」”に歴史の重みを与えている。*参考:伊佐須美神社「御由緒・歴史」 URL: https://www.isasumi.or.jp/outline.html
この後、七折峠に突入した列車は塔寺を経て、峠越えし会津坂本を出た後に柳津町に入り、会津柳津、郷戸と各駅停車しながら進んだ。
滝谷出発直後に「滝谷川橋梁」を渡ると、三島町に入った。上流側右岸に2箇所(林道と県道沿い)ある「滝谷川橋梁ビューポイント」に、カメラを構えた“撮る人”がいた。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス「歴史的鋼橋集覧1873-1960」
車内では多くの乗客が、カメラを順光の下流側に向けていた。ここから、只見町の「叶津川橋梁」まで福島県側の“橋梁区間”となり、その都度車内の“撮影会”が行われた。
会津桧原を出て桧原トンネルを抜けると、「第一只見川橋梁」を渡った。この時間帯、上流側は駒啼瀬の山々に朝陽が遮られるが、渓谷の木々の色付きは見頃で、只見川(柳津ダム湖)の水面は冴え美しい水鏡になり、見応えがあった。*柳津ダム湖は、東北電力㈱柳津発電所・ダムによるもの
列車は“観光運転”で橋梁の手前から減速し、橋梁上では徐行運転された。この“観光運転”は「第七只見川橋梁」まで続けられた。
上流側の山の斜面にある「第一只見川橋梁ビューポイント」は、大混雑だった。30名を越える方々が、鉄塔を越えて林の縁まで広がってカメラやスマホをこちらに向けていた。ここまで多い“撮る人”を見るのは、初めてだった。
会津西方を出て進行方向を見ると、青空の下、山間に雲は掛かっていた。この時、まさかこの雲が、只見線上をすっぽり覆ているとは思わなかった。
「第二只見川橋梁」を渡った。朝陽が眩しかった。
7:29、会津宮下に停車。下り列車とすれ違いを行った。
会津宮下を出ると、列車は東北電力㈱宮下発電所と宮下ダムの脇を通るが、ここでも車内では“撮影会”が行われた。*参考:東北電力㈱「水脈(みお)の里探訪~ダムの美しき世界~」URL: https://www.youtube.com/playlist?list=PL2fJtyg4ISoLUFG2sauq5jckq-sOjkzYF
この“撮影会”では、ちょっとしたトラブルが。乗客の一人が、撮影の度にBOX席にやってきて、断りの無く窓を開ける撮影者に向かって『寒いじゃないかっ!』と注意した。今日の外気温は寒いというほどのものではなかったが、走行中に窓を開ければ強い風が車内に入ってしまう。気持ちよく車窓から見える景色を楽しんでいたところに、無断で窓を開けて撮影し、それが続くとなれば不愉快極まりない。撮影者には自席に留まるか、人のいない場所で撮影するなど自制し、満足ゆく写真が撮れなかったならば、繰り返し只見線の列車に乗って欲しいと思った。
列車は「第三只見川橋梁」でも、ゆっくりと走行。上空は白い雲に覆われ、陽光は遮られてしまった。只見川(宮下ダム湖)両岸の紅葉は最盛期だったので、ちょっと惜しい気がした。
早戸を出た列車は、渡し舟の早戸船着き場を見下ろしながら進んだ。川岸に居た2人の船頭は、列車に向かって手を振ってくれていた。
国道252号線を見下ろしながら列車は進み、金山町に入り細越拱橋の緩やかな左カーブを駆けた。
会津水沼を出ると、「第四只見川橋梁」を渡った。
8:05、列車は会津中川を経て、会津川口に到着。向かいには小出発・会津若松行の列車が停車していた。
会津川口に10分停車し、列車は只見川の縁をしばらく走った後、西谷信号所跡地を抜けた直後に「第五只見川橋梁」を渡った。新たに架けられた2間のブレードガーター桁と、旧橋の錆びついた曲弦ワーレントラスの鋼材が、復旧した路線であることを知らせていた。
只見川(上田ダム湖)の水鏡はまずまずの冴え具合で、右岸の色付いた木々を映し込んでいた。*上田ダム湖は東北電力㈱上田発電所・ダムによるもの
本名集落に入ると、ご夫婦(と思われる)が両手に持ったを団扇を振りながら列車に近づいてきた。
本名を出発後、新たに架けられた本名架道橋を渡った後に、新「第六只見川橋梁」を渡った。
「第六」は東北電力㈱本名発電所・本名ダムの直下に架かっているため、車内からその躯体と、放流時はダイナミックな水流が見られる。
本名トンネルと抜けると橋立地区に入り、国道252号線本名バイパス工事のために移転した民宿「橋立」の敷地に、“只見線の車窓から探そう 自分だけの宝物”と記された看板が現れた。看板の裏には“こ こ が、只見線の真ん中だ!”と記されていて、橋立地区のこの辺り(本名~会津越川間)は只見線135、2kmの中間点になっている。
会津越川を出た列車は、東北電力㈱伊南川発電所敷地内に入り、伊南川発電所橋梁で3本の水圧鉄管を越えた。この鉄管の中には、ここから南に約8km離れた只見町小林地区で取水された伊南川の水が流れ落ち、発電建屋内のフランシス水車を回転し発電(最大19,400kw)させ、只見川に注いでいる。
住宅が多く見られる会津横田を出ると、列車は“新”「第七只見川橋梁」を渡った。只見川(本名ダム湖)左岸の紅葉が綺麗に見えた。
会津大塩を出発し町境が近付くと、前方上方の雲が鼠色に見え、天候が気になった。
会津塩沢を出た列車は、前後1kmにおよぶ「第八只見川橋梁」区間に入る。只見川(滝ダム湖)の水面は波打ち水鏡は出ておらず、前方の「蒲生岳」は六合目ぐらいから上が雲に覆われていた。
「第八」自体は371mの橋梁だが、前後する護岸や深沢橋梁(143.9m)が一体化しているためか、「平成23年7月新潟・福島豪雨」被害の復旧工事も、資料上は1.1kmを一つの工事として示されていた。
「第八」の向かい、只見川左岸には滝ダム浚渫用の巨大な泊地が「平成23年7月新潟・福島豪雨」後に設けられ、ドッグには浚渫船が停泊していた。
会津蒲生を出発し、「叶津川橋梁」に差し掛かると、一時陽が差した。
只見線最長(372m)のこの橋梁は、只見川に注ぐ叶津川の扇状地を、曲線半径250mで大きくカーブしながら越えてゆく。
橋梁の終盤で振り返って「蒲生岳」を見ようとしたが、変わらず雲に隠れていた。
左側に住宅地が多くなり、県立只見高校に続いて町立只見小学校の大きな建物が見え、列車は減速した。
9:10、列車は、定刻から少し遅れて只見に停車。
停車時間が20分あるということから、犬の散歩をする明るい髪色をした幼い兄弟がいた。大胆にも、彼らは保線作業用の引き込み線の上を歩いていた。注意するほどの数の駅員がいない、ローカル線の長閑な光景だった。
列車が出発すると、多くの方が手を振って見送ってくれた。よく見ると、以前お世話になった駅前旅館「只見荘」の女将さんもいらした。
列車はディーゼルエンジンの出力を上げ登坂し、3kmを越える田子倉トンネルを抜けて余韻沢橋梁を渡る。上方には「浅草岳」の“鬼が面眺め”南端にある「南岳」(1,354m)が見えた。
左側(南)の田子倉ダム湖を見ると、湖面は陽光を浴び輝いていた。湖岸が20m以上剥き出しになっていたが、通常水位より上の紅葉した木々との組み合わせは、なかなか見ごたえがあった。
田子倉駅跡を覆うスノーシェッドを抜けると、山々の荒々しい岩肌を背景に、露わになった“只見沢入江”の湖底が見えた。
振り返って“只見沢入江”を見ると、只見沢は用水路ほどの水量だった。渇水期のこの光景から、降雪(融雪)・梅雨・秋雨など“水”の恵みのありがたさを感じた。
国道252号線と交差した列車は、岩肌に穿かれた“会越国界”を貫く六十里越トンネル(6,359m)に向かった。
冒頭にも掲載した地元紙・福島民報の只見線全線再開通特集「つながったレール 」の秋編のオープニングで一面を飾ったのが、六十里越トンネル只見口を抜けた列車だった。このトンネル口は国内屈指の山岳景観を見せてくれ、“観光鉄道「山の只見線」”を象徴する一つの場所でもあるので、多く方に只見線に乗って、只見町に訪れて見て欲しいと思う。*下掲記事:福島民報 2022年10月23日付け一面
9:43、福島県の景色を見納め、六十里越トンネルに突入。
9:50、六十里越トンネルを抜け、「第十六末沢川橋梁」を渡り新潟県魚沼市に入る。トンネル内の2/3以上は下り勾配なので、列車はスピードを出して駆け抜けた。
「第十四末沢川橋梁」上で左(南東)を見ると、末沢第二取水ダム(電源開発㈱)が見え、渓谷の木々は落葉が始まっているようだった。
ただ、「第六末沢川橋梁」を渡り国道252号線の茂尻橋越しに見えた、渓谷の紅葉は未だ見頃で美しかった。福島県側の只見川のダム湖が連続する景色とは一転し、新潟県側は橋梁上から渓谷美と河床を流れる清流が見られる。この景色の多様さが、“観光鉄道「山の只見線」”135.2kmの魅力になっている。
また、「第二末沢川橋梁」上からも、左岸の山肌を覆う色付いた灌木が綺麗に見えた。
列車は16本の末沢川に架かる橋梁を駆け、減速しながら合流する破間川の「第五平石川橋梁」を渡った。かつて下流の黒又川合流点までが平石川、それ以後を破間川と呼ばれていたために橋梁名にその名残りがある。
9:59、新潟県の最初の駅である大白川に到着。向かいには回送列車が停まっていた。ホームには2人の“撮る人”がいて、駅舎2階の「そば処 平石亭」ではご主人が窓を開けこちらを眺めていた。
大白川を出発した列車は破間川沿いを進み、一つ橋トンネルを抜けると「第四平石川橋梁」を通り、破間川と直角に交差した。
「第四平石川橋梁」は 1937 (昭和12)年に供用され、充腹式アーチ橋として日本最大の最大径間 (40.0m)で、昨年(令和3年)に「只見線鉄道施設群」の一部の構造物として土木学会の選奨土木遺産に認定された。*参考:只見線ポータルサイト「只見線鉄道施設群が選奨土木遺産として認定されました!」(2021年9月28日)
「第三平石川橋梁」では、下流側を眺めた。
「第二平石川橋梁」では、振り返って上流側を眺めた。
「第一平石川橋梁」では、下流側を眺めた。
黒又川と合流した破間川を、「第三破間川橋梁」で渡る。上流側を見ると、左岸を通る県道500号(黒又山大栃山)線には、3人の“撮る人”がいた。列車に陽が当たり順光なので、良い写真が撮れただろうと思った。
入広瀬を出て、鷹待山(339m)を巻くように、列車は北西から南西に進路を変える大カーブを曲がった。
上条を出てしばらくすると、水を湛えた田んぼがあった。水面は綺麗な水鏡で、青空を映していた。
越後須原出発後、破間川(薮神ダム湖)が近付くと、「大倉沢橋梁」を渡った。
この橋梁は大倉沢を渡るというより、破間川の縁に架かる“不渡河橋”のようなもので、この点「第八只見川橋梁」に似ている。*薮神ダム湖は東北電力㈱薮神発電所(水路式)・第二薮神発電所(貯水池式)のダムによるもの
魚沼田中、越後広瀬を経て、列車は「第一破間川橋梁」を渡った。左奥(東)には、東北電力㈱薮神発電所が見えた。
河原をよく見ると、一人の“撮る人”がいた。
藪神を出て左の車窓からは、“権現堂山”(「下権現堂山」(896.7m)、「上権現堂山」(997.7m))の山容が綺麗に見えた。登る前は“余裕”と思っていた山頂間の距離は、意外に長く、当時炎天下の下で苦労したことを思い出した。*参考:拙著「魚沼市「権現堂山」登山 2020年 盛夏」(2020年8月13日)
上越線の架線が見えてくると、前方に「越後三山」(「越後駒ヶ岳」(2,002.7m)、「中ノ岳」(2,085.1m)、「八海山」(1,778m))が見えた。「越後駒ヶ岳」と「中ノ岳」は、うっすらと冠雪しているようだった。
列車が直線に入ると、前方に乗り換える「風っこ」只見線号が見え、向かい側のホーム停車していて、間に合う!と独り言ち、ホッとした。
10:41、定刻に終点・小出に到着。扉が開くと同時に、ホームで待っていた添乗員に詫びを入れ「風っこ」只見線号に乗り込んだ。びゅうコースター「風っこ」号の乗車は、3度目になった。
添乗員から『先頭車両です』と案内されたが、車内を見て驚いた。まず空席が多く、乗客が全て男性であったことに。各BOX席に一人ずつ(1箇所だけ2人)座り、13人だった。2両編成の後部車両は20名ほどの乗客だったが、空きBOX席も見られた。
確かに、小出~会津若松間の運賃が2,640円のところ、今回の「風っこ」只見線号乗車は5,000円で、指定席料金とおみやげ代が込みということを差し引いても割高感は否めないが、連日立ち席が出ている状況から、満席になっているかと思っていた。3,500円の価格設定で、車内販売で沿線みやげの購入を促す、という企画が良かったのでと思った。
10:45、「風っこ」只見線号会津若松行きが、小出を出発。切符は、ツアー団体客用の特別なものだっで、座席は運よく往路とは逆で、進行方向の左側のBOX席だった。また、列車は快速運転のため停車駅は只見、会津川口、会津宮下、会津柳津となっていた。
7分前に渡った「魚野川橋梁」では、破間川の合流点となる下流側を見る事になった。
「風っこ」号は、外気温が低いこの時期はガラス窓を嵌め込んで運行されるが、それでもガラス面は広く、枠も細いためまずまずの開放感があった。陽もたっぷりと注ぎ、木製の調度品や剥き出しの天井の白熱灯が旅情を感じさせてくれた。
今回の「風っこ」只見線号乗車でも、“会越の酒”を呑む事にした。今回、越後の酒は八海山にした。「渡辺宗太郎商店」(会津若松駅近く)には、越後の酒の500ml以下の商品が少なく、コンビニで入手した。八海山という名の影響もあるかもしれないが、普通酒でありながら香り高く飲み口はすっきりで、癖がなく、おいしく頂いた。
出発してまもなく、地元・魚沼市で只見線に関する活動を行っている「だんだんど~も只見線沿線元気会議」の方が車内放送をして、沿線の見どころを案内した。
そして、上条を過ぎると、そこのスタッフがカートを押して、魚沼産コシヒカリや切り餅などを販売した。*参考:だんだんど~も只見線沿線元気会議 URL: (Facebook) https://ja-jp.facebook.com/dandandomotadamisen/
スタッフからは、魚沼市観光協会などが発行する観光案内一式入った袋が、一人一人に配られた。中には、今年8月に見た「石川雲蝶」作品群を紹介するパンフレットも同封されていた。*参考:魚沼市観光協会「日本のミケランジェロ 石川雲蝶を探求する」
列車は、柿ノ木駅跡地を過ぎ「第一平石川橋梁」を渡った。往路では見られなかった、取水堰が上流側に あった。下流にある東北電力㈱上条発電所の調整池となる黒又ダムに水を送るための施設だ。
「第四平石川橋梁」で下流側を見ると、国道252号線の真っ赤なで長大な柿ノ木スノーシェッド(以下、SS)が、景色の中央を貫き良い絵を作っていた。
11:19、大白川に時間調整のため停車。駅舎2階の「そば処 平石亭」のは多くの客が見られ、1階では待ち客が「風っこ」号を見学してた。
大白川を出発後は、山間を末沢川を交差しながら緩やかに駆けあがってゆく。ただ残念な事に、上空は薄い雲に覆われ、色付いた木々を陽光が照らす事はなかった。
「第七末沢川橋梁」を渡り、上流側を眺める。国道252号線の、小雪崩第1SSの一部が見えた。
「第九末沢川橋梁」を渡る際は、上流に沿って延びる国道の大雪崩沢SSが見えた。
「第十二末沢川橋梁」では下流側を眺めた。
11:33、六十里越トンネルに突入し新潟県を後にした。白熱灯が車内を照らし、しばらく良い雰囲気が続いた。
11:43、約10分で福島県側に抜けた。六十里越トンネルは、会津若松方面に向かっては2/3ほどが上り坂になっているため、往路より時間が掛かった。上空は変わらず、雲に覆われていた。
田子倉駅跡のSSを潜り抜け、余韻沢橋梁を渡り、原頭部にあたる800m級の尾根を眺めた。手前から奥に向かって木々の色合いが変わって行く様に、“会越国界”の山間に厳しい冬が近づいている事を感じた。
直後に田子倉トンネル入り、列車は下り坂になるためディーゼルエンジンの音を控え、滑るように駆けた。
上町トンネルを抜けると、右の車窓(東側)には只見町の市街地が見えてきた。
列車が減速に駅舎が見えてくると、カメラを構えた多くの人がいた。
11:56、只見に到着。車内放送では“停車時間が1時間以上あるので、駅前の「只見線広場」などで昼食を摂ってください”という旨が告げられた。
私も駅舎を抜けた。先月、10月1日から駅頭の掲示物は変わらず、“カウントボード”は(只見線全線運転再開から)36日を示していた。
駅舎から北東に歩く。「風っこ」号が停車するホームの背後には「要害山」(705m、只見四名山/会津百名山91座)があるが、山頂の木々は落葉していた。
上野原踏切に行き、「風っこ」号を眺めた。背後の“寝観音”様(猿倉山(1,455m)から横山(1,416.7m)の稜線)は、全身のシルエットをお出しになられていた。
「只見インフォメーションセンター」と売店・カフェを併設するハウスには、多くの方がいた。
駅周辺を歩き、買い物を済ませて駅に戻った。
只見駅のホームには、複数の写真が金属製の板に印刷されているものが置かれているが、SLが走行していた時代(~1974(昭和49)年10月30日)の只見駅を写したものもある。駅前は未舗装で、ホームは駅舎に近く、貨車への積込場建屋が健在で、駅舎は当時とほとんど変わっていない事が分かった。
13:15、「風っこ」只見線号が只見を出発。車内では、駅チカにある「三石屋」で手に入れた、プリンとサブレ(鬼が面山)を食べた。
プリンはハチミツ入りで風味が豊かで、鬼が面山サブレはしっとりとし口どけも良く、どちらも気に入っている菓子だ。
「叶津川橋梁」を渡ると、往路では見られなかった“会津(東北)のマッターホルン”「蒲生岳」(828m、只見四名山/会津百名山83座)が、線路が延びる先に見えた。
国道252号線の八木沢SSの上方を通過し、只見川を見下ろした。ダム湖ではない只見川が見られる貴重な場所で、「平成23年7月新潟・福島豪雨」を機に洪水対策で、右岸の岩盤を掘削し川幅を広げる工事が行われた様子も見られる。
蒲生川橋梁を渡ると、前方に「蒲生岳」が見えた。
車内では、新潟県側同様、観光案内の車内放送が流れ、車内販売も行われた。事前にツアーのスタッフから、車内販売の品揃えが記載された用紙が配られた。
列車は「第八只見川橋梁」を渡った。
ここでは、法被を着た車内販売のスタッフも、景色を眺めた。
会津塩沢を通過後に、小塩沢橋梁を渡ると只見川(滝ダム湖)に陽が差した。この景色は「河井継之助記念館」(只見町)の目の前に広がるが、会津塩沢駅を移転しこのロケーションを活かして欲しいと私は思っている。*参考:越後長岡「河井継之助記念館」
滝トンネルに入る前に、只見町の風景を見収めた。「蒲生岳」と「鷲ケ倉山」(918.4m、会津百名山71座)に挟まれた只見川が輝き、良い眺めだった。
会津越川を出て橋立地区に入り、「地蔵岩」を左(西)に眺めた。国道252号線沿いに立つ説明板には“(前略)一部の岩が地蔵菩薩に似ていることから地蔵岩と呼んでいます。地蔵尊と子供の結びつきは強く、親しみを深め子守地蔵とも呼び(以下、略)”と記されている。
民宿「橋立」が近付くと、“こ こ が、只見線の真ん中だ! 金山町”の立て看板が見えてきた。下り列車内からも見えるように、反対側も同じフレーズにした方が良いと思った。
本名トンネルと抜けた直後に“新”「第六只見川橋梁」を渡った。鋼材は「第五」などの開業当時からある下路式のものより細い気がした。
本名ダムはゲートを1門開放しているようだったが、水量は少なかった。
本名を出て、“新”「第五只見川橋梁」を渡った。只見川(上田ダム湖)には波が出ていて、水鏡は出ていなかった。
ただ、西谷信号所跡地を過ぎて只見川沿いを進むと、一部で水鏡が現れていた。
14:02、会津川口に到着。5分ほど停車した。
会津川口を出発すると、只見川(上田ダム湖)に突き出た大志集落を眺めながら進んだ。水面は波打ち水鏡は出ていないのは残念だったが、“観光鉄道「山の只見線」”を象徴するに相応しい、長閑で見ごたえのある風景だった。
ここで、会津の地酒を呑んだ。今回は、山口合名会社(会津若松市)の「会州一」の純米吟醸を「渡辺宗太郎商店」で手に入れた。*参考:山口合名会社 URL:(Facebook) https://www.facebook.com/people/%E4%BC%9A%E5%B7%9E%E4%B8%80/100057230719842/
会津中川を出発すると、再び只見川が近付き、上田ダムが見えた。
上田ダム湖の下流域では、国道252号線の改良工事が進められている。
ここは、列車の中から只見川と野趣味ある左岸が見られる“景観区間”なので、電線・電柱を地中化して欲しいと思っていた。電線共同溝らしきものが埋設されていたので、完工後が楽しみだ。*下図出処:福島県 会津若松建設事務所「工事に関する情報」国道252号線【水沼工区】URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/539327.pdf
列車は国道252号線の架道橋を潜り、「第四只見川橋梁」を渡った。
トラス鋼材の間から上流側を眺めると、うっすらと陽が差し、只見川左岸の紅葉は美しかった。
細越拱橋を渡り三島町に入り、只見川は右側(南西)に近づいた。
只見川(宮下ダム湖)には和舟が浮かび、全ての客がこちらに向かって手を振ってくれていた。
早戸と滝原の二本の1kmほどのトンネルを抜け、「第三只見川橋梁」を渡る。下流側も見事な色付きだった。
列車は、只見川(宮下ダム湖沿い)を走る。水面に突き出た木々が色付き、良い眺めだった。
14:31、列車は会津宮下で停車し、下り小出行きとすれ違いを行った。列車は、立ち客の姿も多く、満席どころか満員に近かった。今月1日に地元紙・福島民報の一面を飾った“まるで「通勤列車」”の状態がまだ続いているようだった。*下掲記事:福島民報 2022年11月1日付け紙面
乗客が多いのは喜ばしいことだが、只見線の良さは、座席に座ってゆったりとした気分で、車窓から奥会津の素朴で長閑な景色が眺め続けられる事だ。立ちっぱなしの乗車では疲れが先行し、“また乗りに来よう”とは思えないだろう。「只見線利活用」を中心となって進める福島県の関係者は、JR管内で屈指の赤字路線に連日これだけの方々が乗車している事を僥倖ととらえ、乗車した方がリピーターになる、奥会津のファンになるような準備や対策を、強い気持ちをもって行って欲しい思った。
会津宮下を出て、「第二只見川橋梁」を渡った。上流側には「三坂山」(831.9m、会津百名山82座)の山容が良く見えた。
会津西方を出て名入トンネルを抜けると、「第一只見川橋梁」を渡った。「第二」「第一」ともに、見頃はまだ続くだろうと思った。
反対側の車窓から、「第一只見川橋梁ビューポイント」の最上部Dポイントにカメラのズームをすると、4名の“撮る人”がいて、カメラとスマホをこちらに向けていた。
郷戸を出ると、“Myビューポイント”を通過。車窓から振り返って「飯谷山」(783m、会津百名山86座)を眺めた。
会津柳津では、車内販売員や車内放送で観光案内をしたスタッフ降りていった。列車が発車すると、地元の方が横断幕を掲げ、手を振り見送ってくれた。
今回の「風っこ」只見線号会津若松行きのツアーでは、お土産が配られた。
まず、紙袋に入っていたのが、「只見ポンせん」と「南郷トマトジュース」。
そして、会津柳津駅で積み込まれた「あわまんじゅう」セット。いなばや菓子店(つぶあん)と小池菓子舗(こしあん)の2個入りだった。
冷めてはいたが、表面を包む粟の食感は残り、期待通りの旨さだった。この銘菓は蒸したてが最高なので、多くの方が只見線に乗って柳津町に訪れて欲しいと思う。
“七折越え”を終え、前方に「磐梯山」が見えた。この後、列車は会津平野を軽やかに駆け抜けた。
会津本郷の手前で会津若松市に入り、大川(阿賀川)を渡ると、朝は見えなかった「大戸岳」(1,415.9m、会津百名山36座)の山塊が見え、山肌の襞が西陽を浴びて浮かび上がっていた。堂々とした山だと、改めて思った。
15:38、「風っこ」只見線号が、定刻に会津若松に到着。只見線往復の旅が、無事に終わった。
一旦、改札を抜け駅舎を抜けると、駅頭は多くの人が行き交い賑わっていた。福島県第一の観光都市である会津若松に活気が戻りつつあることを感じた。
びゅうコースター「風っこ」号の只見線全線乗車は、良い旅になった。只見線が一番魅力を発揮する紅葉期の乗車ということもあったが、車窓から見える山間の風景、福島県のダム湖と新潟県の渓谷・清流という違った川の風景を、大きな窓越しに見られたのは良かった。
ただ、「風っこ」号はトロッコ列車ということで椅子は木製で、背もたれは直角の設えになっている。今回、この椅子に対して事前に座布団の持ち込みを推奨したり、乗車時は座布団の貸し出しもあったが、約4時間の乗車は快適とは言えなかった。車窓の素晴らしい景色をトロッコ列車乗って楽しめるのは、2時間程度ではないかと思う。
「風っこ」号で味わえる大きな窓による開放感を、只見線全線で快適な乗車環境で堪能するためには、やはり、只見線専用の観光列車の導入が欠かせない。現状、只見線の収支を考えるとJR東日本が投資に積極的になるとは思えず、まず福島県が専用観光列車を調達・保有し、JR東日本に貸し出す、というスキームが早期実現につながると思う。
車両は、観光鉄道のトップランナーであるJR五能線を走る「リゾートしらかみ」号で使用されている、ディーゼルハイブリットのHB-E300系(1編成約14億円とも)の導入が理想だが、“観光鉄道「山の只見線」”が確立されるまでは既存車両の改造で対応になるだろう。ベース車両は、只見線で長らく運行されたキハ40形で、JR東日本と交渉し無償譲渡してもらい。改造費は県費とクラウドファンディング(以下、クラファン)を組み合わせる。改造内容にもよるが、4,000万円ほどを確保し、窓枠の拡大とトイレの改修を優先して行う。
列車に関するクラファンは全国で行われている。福島県では、南会津町と栃木県日光市を結ぶ野岩鉄道が既存車両を観光列車化するために1,500万円を募り、2か月あまりで達成している。野岩鉄道は第三セクターで、福島県は株式の1/4以上を持つ筆頭株主でありクラファンのノウハウは共有できるはずだ。*下掲記事:福島民報 2022年8月19日付け紙面
また、兵庫県の北条鉄道(第三セクター)ではキハ40を購入し、移送・改造などの費用調達のために実施した。
結果、この北条鉄道のクラファンは1,300万円を集め成功し、今年3月13日からキハ40形が定期運行されるようになった。*参考:読売新聞「東北走った旧国鉄車両「キハ40」、播磨で予想以上の人気に…「まだ20年は使えます」」(2022年3月14日) URL: https://www.yomiuri.co.jp/economy/20220313-OYT1T50168/ / NHK 政治マガジン「キハ40がやってきた!なぜ東北から兵庫・北条鉄道へ?」(2022年7月25日) URL: https://www.nhk.or.jp/politics/articles/statement/86540.html
実は、この北条鉄道の“キハ40形調達”について、筆頭株主である加西市が補正予算を計上したのだが、修正動議が提出された。この動議は否決されたが、その内容は妥当性もあるので、只見線が県費(予算)とクラファンを併用し、観光列車の調達をする場合の参考になるのではないかと思う。
*出処:兵庫県加西市議会 第291回定例会(令和3年6月議会) 「令和3年度加西市一般会計補正予算(第2号)に対する修正動議」より URL: https://www.city.kasai.hyogo.jp/uploaded/attachment/13542.pdf
(修正理由)
北条鉄道の中古車両の購入については、市の負担ありきではなく、北条鉄道株式会社としての企業努力がまず必要と考える。別途資料に記述しているようにクラウドファンディングの予定があるならば、先に資金調達をすべきである。法華口駅の行き違い設備への投資に加え、さらなる投資に市民の血税を投入することは納得しがたい。
また、ディーゼル車を購入するとのことであるが、令和3年2月26日に西村市長が表明した「ゼロカーボンシティ宣言」に相反するのではないか。市長が社長を務める北条鉄道が宣言に基づいて、どのような取り組みをするのか明確にすべきと考える。
“観光鉄道「山の只見線」”の確立のためには、只見線の専用観光列車の調達を、全線運転再開による熱が冷めないうちに、可及的速やかに必要がある。専用の観光列車を通年・定期運行させ、予約して必ず座れて、大きく綺麗な窓越しに景色を見続けられ環境を、一日でも早く乗客に提供しなければならない。
復旧費用の約81億円と年間維持費の約3億円に対する投資を、『無駄にした』と国民や県民・市町村民が思わぬよう、「只見線利活用計画」の中心となる福島県は専用観光列車を調達し、乗客のベースと沿線の象徴を創り出す施策に情熱を持って取り組んで欲しい。
(了)
・ ・ ・ ・ ・
*参考:
・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)
・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内) / 「只見線の復旧・復興に関する取組みについて」
・魚沼市 だんだんど~も只見線沿線元気会議:Facebook (URL: https://www.facebook.com/dandandomotadamisen )
・BSN新潟放送公式チャンネル:【そらなび ~にいがたドローン紀行~】「第73回「只見線(魚沼市)」2020年2月29日放送」
・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」
・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)
・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業
【只見線への寄付案内】
福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。
①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/
②福島県:企業版ふるさと納税
URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html
[寄付金の使途]
(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。
以上、宜しくお願い申し上げます。
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