乗り納め(全線乗車 会津若松⇔小出) 2022年 年末

2022年、最後のJR只見線乗車。会津若松ー小出間135.2kmを往復した。

 

今年の会津地方は、12月半ばから本格的な雪が降り、さっそく只見線が影響を受けた。15日に、塔寺~会津坂下間(上り列車)と本名~会津川口間(上り列車)が、それぞれ降雪の影響と思われる倒木と垂れ下がった木枝の影響で停車し、大幅な遅れが出た。

大雪は翌日以降も、連日金山町や只見町などの奥会津地域に断続的に降り、只見線を(計画)運休や遅延に追い込んだ。*下掲記事:福島民報 2022年12月16日~同26日付け紙面 *一部、筆者加工(赤線・枠入れ、段組み)

昨日も会津坂下~大白川間(87.6km)が終日運休になり、今日は“通常運転する見込みだが、天候により遅れや運休が発生する可能性”という状況だった。

 

“全線乗車は天候頼み”で、たとえ小出まで行けても、帰ってこられない可能性もあったが、運を天に任せて旅を決行することした。

*参考:

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」 

・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ -只見線全線乗車- / -只見線の冬-

 

 


 

 

昨日、会津若松駅に向かう前に実家に立ち寄るために郡山駅の2-4番ホームに行くと、2番線に“只見線専属”のキハE120形-4が、回送表示をして停車していた。郡山総合車両センターでメンテナンスを受けたのだろうかと思った。

 

18時前に会津若松に到着すると、駅頭の赤べこの向かいには、会津若松城公園で行われる「アイヅテラス」のオブジェが置かれていた。「アイヅテラス」は今年も新型コロナウィルスの影響で中止となったようだ。*参考:会津まつり協会「会津イベント情報」 URL: https://www.aizukanko.com/kk/festival/aizuterasu / 拙著「会津若松市「アイヅテラス」2021年冬」(2021年3月6日)

 

 

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今朝、5時に起床し、宿から会津若松駅に移動。雪は降っていなかった。

 

駅舎に入り、改札前のホワイトボードに掲示された運行情報(25日17時現在)を見ると、只見~大白川の六十里越(福島-新潟 県境)区間に遅れや運休が発生されるとの事だった。『遅れは良いが、運休だけにはなってくれるな』と祈った。

 

有人改札で検印を押印してもらい、只見線のホームに向かうと、客が1人列車の到着を待っていた。私は後部ドアから乗り込もうとホームを歩いていると、後方から小出行き列のキハE120形・旧国鉄色の単行が入線してきた。下り列車では、初めて乗る1両編成だった。

 

席を確保し、連絡橋に上りホームを見下ろした。只見線は今年10月1日の全線再開通から、乗客が多い事もあって2両編成を用いる日が多かったが、ダイヤ改正(10月1日)で始発列車は単行を予定していたという。

ちなみに、只見線の列車が階段から離れて停車しているのは、ワンマン化にともない運転手用の後方確認ミラーを設置場所が、階段から離れていたためだという。

 

6:08、小出行きの下り始発列車が定刻に会津若松を出発。客は、各BOX席に一人ずつ座り、計10名だった。

 

今回、切符は「青春18きっぷ」を使用。五十を超えても利用できる“青春”に感謝。

 

車内の掲示物の傾向は、“10.1”から変わらず、一部JR東日本の商用もあるが、ほとんどは只見線に関するポスターで、“観光列車”感が維持されていた(BOX席の吊革が撤去されれば言う事ないのだが...)。

そのポスターの中に、“ダイナナさま”というキャラクターが載った「第七只見川橋梁」再架橋工事の様子と知らせるものがあった。JR東日本の郡山土木技術センターが作成したポスターではないかと思った。

 

 

七日町西若松会津本郷と停車しながら、列車は未明の暗闇の中を走った。会津若松市から会津美里町に入った後会津高田を出て、“大カーブ”で西から真北に進路を変えると、東の空が明るんでいた。

 

反対側、西部山麓に目を向けると、田園が姿を変えた無垢の雪原が広がっていた。

 

列車は根岸新鶴を経て会津坂下町に入り若宮を出た後会津坂下に停車。しばらく停車し、上り始発列車(会津川口発)とすれ違った。

 

会津坂下を出発すると、列車はディーゼルエンジンの出力を上げて七折峠を駆け上った。途中、木々の切れ間から会津平野を見下ろした。

 

雪の重みで倒れた枝木の影響を受けること無く七折峠の中にある、塔寺に停車。駅名標の表面には、びっしりと雪が付着していた。

 

無事に“七折越え”を終え、会津坂本に到着。貨車駅舎に描かれた只見線のキャラクター「キハちゃん」も雪を被っていた。*会津坂下町:「只見線応援キャラクター誕生!!」(2015年3月13日)

 

柳津町に入った列車は、会津柳津に停車。出発直後に町営柳津スキー場跡を眺め、『良いロケーションだなぁ』と改めて思った。私としては、キャンプ場にリニューアルして欲しいと思っている。

 

郷戸手前で、“Myビューポイント”を通過すると、会津百名山86座「飯谷山」(783m)の山容がはっきりと見えた。複雑に入り組んだ尾根筋が露わになる、雪の積もり始めのこの時期ならではの光景だと思った。

 

滝谷を出発し、列車は滝谷川橋梁を渡り三島町に入った。只見線一の高さを誇る鉄橋から見下ろす渓谷は、全ての木々が綿帽子を被り、美しかった。雪の降らない、早朝の気温が低い時間帯に見える光景だ。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋集覧1873-1960

 

 

 

会津桧原を出た列車は、只見川の“橋梁区間”に入るが、先月までの紅葉期に行われていた“観光徐行”は無かった。桧の原トンネルを抜けると「第一只見川橋梁」を渡った。下流側の見える日向倉山(605.4m)や杉峠付近には、うっすらと雪雲が掛かっていた。

 

上流側の駒啼瀬の渓谷は、両岸の綿帽子を被った木々がくっきりとし、冴えた濃紺の水面と良い景色を創っていた。*只見川は東北電力㈱柳津発電所・ダムのダム湖

  

 

会津西方を出た列車は、「第二只見川橋梁」を渡った。上流側には 会津百名山82座「三坂山」(831.9m)が、うっすらと陽を浴びていた。

 

下流側の両側は、綿帽子を纏った木々が、駒啼瀬よりくっきりとしていて、美しかった。手前の電線が見えてしまうのが、このような良い光景を見る度に『惜しい!』と思ってしまう。

 

 

列車は減速し、「アーチ3兄(橋)弟」の次男・宮下橋を見下ろしながら長男・大谷川橋梁を渡った。*参考:三島町観光協会(観光交流館からんころん)「『みやしたアーチ3橋(兄)弟』のビューポイント」(2013年6月16日) https://blog.goo.ne.jp/mishimakankou/e/e93620f5690ee4e3adf6d1124b2f46e5

 

会津宮下では上り列車を待って、すれ違いを行った。会津川口発・会津若松行きの2番列車は、キハ110形の単行だった。

 

会津宮下を出発すると、まもなく列車は東北電力㈱宮下発電所と宮下ダムの脇を駆け、「第三只見川橋梁」を渡った。下流側正面の、只見川左岸に穿かれ通された国道252号線の高清水スノーシェッドが、要塞のように見えた。

 

上流側に目を向けると、周囲の山の稜線が、少し波打った水面に映り込んでいた。

 

列車は滝原トンネルを抜け、早戸トンネルに入る手前の明り区間を進んだ。綿帽子の木々たちが、間近で見られた。

  

早戸に停車。眼前の景色も良かった。

 

早戸を出た列車は金山町に入り、不渡河の8径コンクリートアーチ橋・細越拱橋を左に緩やかに曲がりながら渡った。

 

下大牧集落の背後を駆ける。トタン製の大屋根から雪が落ちていた。

 

会津水沼を出た列車は、「第四只見川橋梁」を渡った。「第一」~「第三」と違い下路式のため、シャッターを切るタイミングが悪く鋼材が写ってしまった。

 

 

 

架道橋を潜り国道252号線沿いを入っていると、違和感があった。只見線と国道252号線の間に立ち並んでいた、電柱が無くなり、電線が消えていたのだ。

 

おそらく、「国道252号線改良工事(水沼工区)」に合わせて無電柱・電線地中化がなされたのだろうと思った。この区間は只見川が近付き、東北電力㈱上田発電所・ダムの直下ということで、水流が見られる場所で、以前は電柱と電線が景観を損ねていた。

工事を担当している福島県会津若松建設事務所は、「只見線利活用計画」の“景観創出事業”に関わっているが、この工事で乗客にとっての景観創出をしてくれたことに感謝した。今後も只見線付近の道を整備する際は共同溝を設置し、沿線の無電柱・無電線化を進め、“観光鉄道「山の只見線」”の質を高めて欲しいと思った。*参考:福島県 会津若松建設事務所 (Facebook:  https://www.facebook.com/AizuwakamatsuKensetsu/ ) / 国土交通省「無電柱化の推進

 

 

 

会津中川を出た列車は、只見川が近付く頃に減速した。カーブの途中で振り返ると、大志集落を取り囲む景色がなかなか良く見えた。

 

 

8:05、会津川口に到着。ここでは、小出からやってきた会津若松行き(キハE120形2両編成)とすれ違った。この列車が見えたことで『とりあえず小出までは行けるだろう』と安心した。

 

会津川口に10分程停車し、列車は出発。初めて、雪景色の復旧区間(会津川口~只見)に入った。小粒の雪が降り始めた

 

列車は西谷信号所跡を通り過ぎ、一部橋桁と橋脚が新設された「第五只見川橋梁」を渡った。

 

本名に停車。ホームは除雪され、一部アスファルト面も見えていた。客が利用している事が分かり、また復旧を実感した。

 

 

本名を出ると、架け替えられた“新”「第六只見川橋梁」を渡った。

 

上流側の目の前にある東北電力㈱本名発電所・ダムは、ゲート1門を開け豪快に放流していた。

  

 

会津越川付近の林には、倒木も見られた。

 

列車は、会津横田に停車。進むにつれて雪の量が増し、結晶の塊も大きかった。

 

 

“新”「第七只見川橋梁」を渡った列車は会津大塩を経て、滝トンネル内で只見町に入った。トンネルを抜けると、雪は一層激しく降っていて、視界が悪くなっていた。

 

車内で、この雪でも窓を開けて写真を撮る客がいた。どうしても、雪景色を綺麗に写真が撮りたいのだろうと思った。

 

列車は、会津塩沢に停車。駅舎には80㎝ほどの雪塊が載っていた。

 

会津塩沢を出ると、列車は「第八只見川橋梁」を渡った。只見町中心部方面も、雪雲に覆われているようだった。

  

会津蒲生で経て、叶津川橋梁を渡った。

 

 

列車は減速し、県立只見高校の脇を通り抜けた。今春センバツ高校野球選手権大会に出場を果たした只見高校野球部ナインが、4か月間グラウンドでボールを使う事ができず駐輪場や体育館で練習する姿を想った。*参考:福島県立只見高等学校「甲子園出場記念誌について」 URL: https://tadami-h.fcs.ed.jp/blogs/blog_entries/view/32/6a1b31af9f2b5833c4e06e2a3fcbeb15?frame_id=72

 

 

9:09、定刻をわずかに遅れ、列車は只見に到着。只見駅はJR東日本の東北本部と新潟支社の管轄境になっているため、乗務員の交代が行われワンマン運転から車掌同乗に切り替わる。そのこともあって、列車は20分ほど停車した。

 

 

9:30、列車は只見を出た。まもなく、手を振り見送ってくれる2人の姿が見えた。

 

上町トンネルと4基のスノーシェッドを抜け抜けるが、すぐそばにある電源開発㈱只見発電所・ダムさえ見えないほどの雪量だった。

 

田子倉トンネル(3,712m)を抜け、余韻沢橋梁を渡る。新潟との県境上空は、濃い雪雲に覆われていた。

 

直後に列車は、スノーシェッド内に設置された田子倉駅跡を通過した。*参考:拙著「只見町「田子倉駅」跡 2017年 秋」(2017年10月14日)

 

その後、冬期通行止になっている国道252線を潜り抜けた後只見沢を渡り、“会越国界”の六十里越トンネル(6,359m)に突入した。

 

 

 

 

 

6分42秒でトンネルを抜け、新潟県魚沼市に入った。積雪は2mを越えているようで、今年の雪の多さを実感した。

 

六十里越トンネル以後は下り坂になるため、列車のスピードは速く、末沢川に架かる16基の橋梁から見える渓谷の景色をゆっくりとは見られなかった。

 

また、トンネルを抜けてからしばらくは、車窓の外側に付着した雪が融けて水滴が現れ、写真もうまく取れなかった。

“観光鉄道「海の五能線」”のように専用観光列車(リゾートしらかみ号)を持たない只見線は、普通列車でも窓の汚れ落とし水滴が列車走行時の風圧で吹き飛ぶようにしなければならないと思う。「只見線利活用計画」を進める福島県はJR東日本と協議し、窓の汚れ除去・撥水加工をがなされるようにして欲しいと思った。

 

 

列車は快調に雪の中を進み、減速しながら「第五平石川橋梁」を渡り、大白川に到着。“遅れや運休の可能性がある”只見~大白川間を、列車はほぼ定刻で駆けてくれた。

 

列車は大白川を出発し、一の橋トンネルを抜け「第四平石川橋梁」を渡った。国道252号線・柿ノ木スノーシェッドが、まさに“紅一点”で際立っていた。

 

 

入広瀬では、除雪車がスタンバイし、多くの除雪作業員がいた。窓越しに車掌が、作業員の一人と会話を交わしていた。この列車の後、私が乗る予定の上り列車まで走行する列車は無いので、雪の降り具合などから、除雪のタイミングがあるのだろうと思った。無事、上り列車が走行できるように、彼らの仕事に期待した。

 

この後列車は、破間川沿いの平坦な地を進む。上条越後須原魚沼田中越後広瀬を経て、「第一破間川橋梁」渡った。

 

藪神に停車。積雪は60~70㎝ほどで、只見町より少ないようだった。

 

 

終点を告げる車内放送が入り、列車は減速。魚野川橋梁を渡り、上流側を見ると「越後三山」(越後駒ヶ岳、中ノ岳、八海山)の頂は、雪雲に覆われ見えなかった。

  

 

 

10:41、会津若松発の一番列車は、定刻に小出に到着。キハE120形の先頭には、びっしりと雪がはり付いていた。この雪の中で定刻運行がなされたこと、心から感謝した。

 

隣りの4番線にはキハE120形2両編成が、エンジンを掛けずに停車していたが、駅舎に向かう連絡橋の階段を上り案内を見て合点した。この列車が私の乗る13時12分発の会津若松行きになり、私が乗ってきた単行は16時12分発の会津若松行きの最終列車になるようだった。

 

列車の発車時刻まで約2時間30分。当初の計画では、「見晴らしの湯 こまみ」に行くことにしていたが、小出駅からの最短路が除雪されない道ということで断念した。

 

今日は、地酒を求めて小出駅から750m離れたスーパー「サカキヤ」に行った。魚沼市庁舎のある小出地区中心部の雪は少なく、30㎝程だった。

 

 

 

小出駅に戻り、待合室で読書をして待ち、12時40分頃に『そろそろ待機中の列車に乗れるだろう』と思い只見線の4-5番ホームに向かった。キハE120形はエンジン掛けていて、行き先表示には“会津若松”の文字が見え、ドア開閉可能をしめす列車側面上部の赤ランプが点いていることから、後部車両に向かい乗り込んだ。

 

 

13:12、会津若松行き上り列車が小出を出発。後部車両は6名の乗車だったが、先頭車両は下校する高校生らしき7名を含む16名だった。まもなく、列車は魚野川橋梁を渡る。下流側、魚野川に破間川が合流する河口の様子が見えた。

 

復路では、只見線全線乗車の恒例となった、“会越の酒”を呑むことにした。

まず、越後の酒。今回は、メジャーな日本酒となった「八海山」の八海醸造株式会社が作る「金城山」醸造酒を選んだ。金城山とは、醸造所から南に約10km離れた1,369kmの山だ。

吞み口はすっきりだが、後に残る醸造アルコールの味が少し気になった。だが、コストパフォーマンスは高く、新潟県の日本酒の層の厚さを感じた。

 

 


13:57、大白川に到着。往路では見られなかったが、駅舎には1mを越える積雪があった。ただ、降雪は往路時より少なく、懸念だった遅延は無いに等しい運行で、運行休止を告げる車内放送も無かった。この瞬間に、『無事、只見線全線往復乗車ができる』と思い、ホッとした。

 

大白川を出ると、六十里越に向かって上り坂となるのでスピード控え目で、車窓から外が良く見えた。末沢川の渓谷の厳しい冬の風景は、福島県側の只見川沿いとは大きく違っていて、“観光鉄道「山の只見線」”の見どころの豊富さを改めて感じた。

 

 

列車は、平石川取水ダムを取水池とする水路式の電源開発㈱末沢発電所の目の前を通り過ぎた。

 

「第六末沢川橋梁」を渡り、アーチ鋼材の赤が際立つ、2m近い雪が載った国道252号線の茂尻橋を眺めた。国道252号線の六十里越区間(只見町石伏~魚沼市末沢間(約28km))は、冬期は除雪されず通行止めになる。

 

只見線の列車内から一番近くに見える大雪崩沢2号スノーシェッドの入口にも、どっさりと雪が積もっていた。

 

 

14:08、列車は「第十六末沢川橋梁」を渡り六十里越トンネル(6,359m)に入った。

 

 

 

 

 

14:14、トンネルを抜け福島県只見町に入った。トンネルの大半は上り坂なので、普段上り列車は9分ほど掛かって通過していたが、今日は6分36秒で駆け抜けた。降雪のため遅れた分を、六十里越トンネルで挽回する運用がされているのだろうか、と思った。

 

 

余韻沢橋梁を渡り、田子倉ダム湖を眺めるが、往路と同じような雪景色だった。

   

しかし、田子倉トンネル(3,712m)を抜けてびっくり。なんと雪がほとんど止んでいて、上空には青空が見えたからだ。

 

第二赤沢トンネルを抜けて振り返ると、うっすらと只見ダムの洪水吐ゲートも見えた。

 

 

列車は減速し、只見町市街地の家々が見えてきた。

 

 

14:26、定刻から1分ほど遅れ、只見に到着。ホームは綺麗に除雪されていた。只見駅では車掌が降り、運転手が交代し、ワンマン運転に切り替わった。

 

 

14:35、列車は只見を出発。ここから会津の酒を呑むことにした。今回、会津若松駅近くの渡部宗太郎商店で手に入れたのは宮泉銘醸㈱の「會津 宮泉 純米にごり」。

開封時に、ちょっとしたトラブル。アルミ製の冠頭を外した瞬間、シャンパンのコルクのように、王冠が吹っ飛び、酒が少しあふれ出てしまったのだ。クーラーバッグに入れていたとはいえ、発酵を抑えるほどの低温ではなかった点と、横にして持ち歩いていた点が原因のようだった。迂闊だった。

ただ、酒自体は、べらぼうに旨かった。酸味がピリッとしながら、爽やかな香りとスッキリとしたのど越しで、ぐいぐい呑めた。


 

列車は、叶津川橋梁を渡る。往路では見えなかった「蒲生岳」の姿が、前方奥にうっすらと確認できた。

 

会津蒲生の手前では、「蒲生岳」(828m、会津百名山83座)の全体が見えた。

 

列車は「第八只見川橋梁」を渡った。

 

会津塩沢を出て、「河井継之助記念館」の前を通過。只見川沿いには、良い景色が広がっていた。
*ダム湖は、電源開発㈱滝発電所・ダムのもの

 

対岸(只見川右岸)には、会津百名山71座「鷲ケ倉山」(918.4m)も、その輪郭をくっきりと見せていた。

 

 

滝トンネル内で金山町に入り、しばらく進み会津大塩に到着。国道から駅までは除雪されていた。

 

会津大塩を出発後、“新”「第七只見川橋梁」を渡った。

 

「第七」を渡り、会津横田が近付くと、雪の中に人影が見えた。スマートフォンを構え、写真を撮っているようだった。平日ということもあって、列車の中から確認できた“撮る人”は、この方だけだった。

 

 

15:17、会津越川を出発した列車は、金山町橋立地区を通過。只見線135.2kmの中心点を示す、『こ こ が、只見線の真ん中だ!』と記された看板が見えた。 

 

本名トンネルを抜けた直後、“新”「第六只見川橋梁」を渡った、雪が降っていないお陰で、本名ダムの放流の様子が、はっきり見えた。

 

「第六」の新設された下路式トラスを抜け、振り返ると只見川のせせらぎと中州が見えた。本名ダム直下ということで、只見川が上田ダム湖になるまでの間の貴重な“清流区間”だ。

 

 

列車は、本名を出てると「第五只見川橋梁」を渡った。只見川は上田ダム湖になっていた。

 

 

15:26、会津川口に到着。会津若松発・小出行の二番列車が、すれ違いのため待機していた。

 

会津川口出発直後に緩やかな左カーブを進むと、前方に大志集落が見えてきた。只見川(上田ダム湖)に突き出た大志集落を包み込む、荒々しい山肌やそれを映し込む水面の水鏡の風景は、なかなか良かった。気温が上がらない空気が冴え続ける只見線沿線の冬場は、一日を通して良い景色に出会える確率が高い。

 

会津中川の駅舎脇にある農業用倉庫には、“只見線10.1”の全線運転再開を祝う横断幕が掲げ続けられていた。

 

 

列車は只見川に近づき、上田ダム直下を国道252号線を挟んで進んだ。往路でも確認した道路改良工事(水沼工区)では、長い区間にわたって無電柱・無電線化がなされていることが分かった。

 

無電柱・無電線化の効果は高く、“観光鉄道「山の只見線」”の確立を目指す福島県と沿線自治体にとっては重要な事業だと感じた。

  

 

“無電柱・無電線化”区間を過ぎ架道橋を潜り抜けて、列車は「第四只見川橋梁」を渡った。

 

会津水沼を出て細越拱橋を渡り、列車は金山町から三島町に入った。

  

 


16:41、列車は奥会津地域を順調に駆け、七折峠を越えて会津平野に入った。会津盆地を取り囲む山々には雲が掛かっていたが、雪原や街並みははっきり見えた。

会津坂下で高校生を中心に10名ほどの客が乗り込んだ後、車内は賑やかになった。

 

 

列車は東から真南に進路を変えた。西部山地で陽が遮られ、周囲は徐々に暮れてきた。若宮手前では、田んぼに張られた防風雪ネットが西陽でうっすらと浮かび上がり、情緒ある光景が見られた。

  

 

会津坂下町から会津美里町に入ると、上空は青みを増し、「明神ヶ岳」(1,074m)から北に続く山々の稜線上に延びる茜色の空とのグラデーションが美しかった。

 

 

 

17:25、列車はほぼ定刻に終点の会津若松に到着。出発前の“遅延・運休”の懸念は杞憂に終わり、無事に只見線全線往復乗車できたことに感謝した。

 

 

会津若松からは磐越西線の列車に乗換え、自宅のある郡山に着いた。駅前のイルミネーション(第17回ビッグツリーページェント)は、綺麗に駅頭を彩っていた。

 

2022年の只見線乗車を、全線乗車(往復)で締めくくることができた。復旧区間(会津川口~只見間)の冬の乗車は初めてだったが、なかなか良い雪景色を車窓から見られて良かった。

 

今回、“只見線10.1”以後、会津若松~小出間全線乗車は二度目だったが、片道4時間越えの乗車で感じたのは、やはり専用の観光列車の必要性だった。大きな窓とリクライニング可能な座席、そして座席毎に用意されたテーブルなどのホスピタリティが列車に備わっていれば、車窓から見える景色は良さがストレス無く堪能できると思ったからだ。

先月、JR東日本は現行の観光列車「リゾートあすなろ」号(運行:青森県・津軽線。岩手県・山田線)を「SATONO」号に改造し、南東北エリアに2024年春ごろから導入する計画を発表した。*出処:福島民報 2022年11月25日付け紙面(*筆者、段組み加工) / 東日本旅客鉄道㈱「東北の文化・自然・人に出会う旅へ「SATONO」がデビューします」 URL: https://www.jreast.co.jp/press/2022/sendai/20221124_s01.pdf

おそらく、只見線にも運行されると思われるが、なんせ南東北三県(福島、宮城、山形)内で兼用されるので、只見線入線は限られてしまう。「SATONO」号の運行は喜ばしいが、只見線の“観光力”と、“観光鉄道「山の只見線」”を確立させるためにも専用の観光列車が必要だ。

 

今月2日に行われた「第5回 第2期只見線利活用計画検討会議」で「只見線利活用計画」に関する、基本方針と重点プロジェクト(PJ)のたたき台が示された。重点PJの一部変更があり、それぞれの内容に追加があり一層“総花感”が高まった印象があるが、『オリジナル観光列車の導入に向けた運行方策等の検討』という項目があり、只見線専用観光列車の運行を目指す方針に変化はないようだった。*下掲記事:福島民報 2022年12月3日付け紙面

 

また、23日に会津広域観光推進議員連は福島県知事に、観光車両としてキハ40やSLの運行を含めた要望をしたと地元紙が伝えていた。*下掲記事:福島民報 2022年12月24日付け紙面

このように、観光目的の列車の導入に向けて各方面の動きがあるが、私には『JRさん、お願いします』との姿勢が見え、動きに熱が感じられない。JR東日本管内屈指の赤字区間を、上下分離(官有民営)方式(会津川口~只見間)を導入し復旧させるという政治的決断をしたのだから、“観光路線化一丁目一番地”の施策である専用観光列車の導入は相応の予算を付けた後、JR東日本と交渉し、早期に導入して欲しいと私は思う。

もちろん、専用観光列車の導入は、“観光鉄道「山の只見線」”確立に向けた基礎作りに過ぎない。だが、定期運行により、より多くの乗客に只見線の車窓から見える景色を快適な環境で楽しんでもらい、ファンや“推し”になってもらえる機会は各段に増える。さらに、車内販売や車内イベントの実施で沿線に興味をもってもらい、関係人口の獲得から経済効果につなげることもできる。

「只見線利活用計画」を中心となって進める福島県には、只見線専用観光列車の導入を、最優先課題とし取り組んで欲しいと思う。

  


 2022年の只見線には、全線運転再開という歴史的イベントを中心に、多くの良い思い出を作ってもらった。

ありがとうございました、只見線! また来年も、宜しくお願いします!!

 


(了)

 

 

・  ・  ・  ・  ・

*参考: 

・福島県:只見線ポータルサイト/「只見線の復旧・復興に関する取組みについて

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

・福島県:只見線管理事務所(会津若松駅構内)

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。 

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

 ②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。


以上、宜しくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

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