会津若松市「アイヅテラス」 2021年 冬

鶴ヶ城内で開催されている「体感!光の杜ミュージアム(アイヅテラス)」を見に行こうと、只見線の列車に乗って、会津若松市に向かった。

 

鶴ヶ城((会津)若松城)では、先月開催された「第22回 会津絵ろうそくまつり~ゆきほたる~」や、2013年から開催されている「鶴ヶ城 プロジェクションマッピング はるか」(参考:NHKエンタープライズ)など、5重5階の城壁が活かされた“光のイベント”が多く開催されている。


今回訪れた「体感!光の杜ミュージアム(アイヅテラス)」は今年5回目を迎えたといい、「絵ろうそくまつり」が終わった後の週末となった2月19日から開始され、明日が最終日ということだった。LED電飾によるイルミネーションが庭園を彩り、グランドマッピングに仕掛けを施すなどエンターテインメントの要素も取り込まれているという。

 

新型コロナウイルスの影響の影響で、只見線沿線で毎年開催されてきた雪まつりが中止となる中、鶴ヶ城で開催された「絵ろうそくまつり」と「アイヅテラス」は貴重だと思っていた。*記事出処:福島民報 2021年2月21日付け紙面 (段組み一部筆者変更)

 

今回、会津美里町訪問に合わせて訪れる計画を立て、会津高田駅から只見線の列車に乗り、夕刻の鶴ヶ城に向かった。

 

*参考: 

・福島県:JR只見線 福島県情報ポータルサイト 

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF) (2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線の冬ー / ー只見線沿線のイベント

 

 


  

 

「生江食堂」と「CAFEかわぞえ」でランチを済ませ、会津美里町高田地区を歩きまわり、会津高田で列車を待った。30分ほどで、西部山麓を南進してきた会津若松行きの列車が、東に進路を変え、やってきた。 

 

16:56、私の他3名の客を乗せた列車が出発。先頭車両には10名を超える乗客の姿があった。

  

 

 

17:18、会津本郷西若松七日町を経て、終点の会津若松に到着。

 

改札を抜け、駅舎を出る。鶴ヶ城に行く前に立ち寄りたい場所があった。

  

歩いて5分ほどで、渡辺宗太商店「会津酒楽館」に到着。

 

会津地方の酒蔵の日本酒が全て揃っている、と言えるほどの豊富な銘柄がある。

 

半地下にある冷蔵庫には、色とりどりラベルが貼られた一升瓶と四号瓶が、びっしりと並んでいた。

目当ての日本酒は、この冷蔵庫にあった。私は、純米酒の四号瓶を手にしてレジに向かった。列車の中で呑む酒が決まり、安心した。

  

 

渡辺宗太商店を後にし、「鶴ヶ城」目指して、日が暮れた市街地を南に向かって歩いた。しばらくして、神明通り商店街のアーケード歩く。

 

時刻はまだ18時。冬の期間、街歩きをする方は少ないとは理解していたが、土曜日の夕刻にほとんど見られない人影に驚いた。さらに、シャッターの下ろされた店の多さに愕然とした。新型コロナウイルスの影響とは思ったが、アーケードが作り直された後の神明通り商店街の賑わいに期待していたので残念だった。新型コロナ禍の終息後の活気に期待したいと思った。

  

アーケードの終点で左折し市役所通りを進むと、ライトアップされた会津若松市本庁舎旧館が現れた。

 

会津若松市庁舎は、2025(令和7)年度の開所を目指し、新庁舎の整備が進められている。総額100億円を超える大型事業だ。この本庁舎旧館は1937(昭和12)年に建てられ、“登録文化財レベルの価値”があるということで、公募により決定された設計案では残されることになっている。*参考:会津若松市「会津若松市庁舎整備設計業務委託プロポーザル(公募型)の結果について」(2020年7月14日)

 

 

市役所通りから右に曲がり北出丸大通りを進み、しばらくすると前方に照らし出された鶴ヶ城が見えた。

      

 

 

渡辺宗太商店から30分ほどで、鶴ヶ城に到着。蒲生氏郷(1556~1595)が築いたと言われる石垣の上に建つ天守(1965年再建)は、重厚で風格があり、見惚れてしまう。*参考:会津若松市「甦る鶴ヶ城  干飯櫓の復元」(2018年10月1日)

 

天守正面に広がる公園に進むと、城郭は赤く照らされていた。

 

公園内の木々にはLEDが装飾され、動物などの置物もあった。

  

場内は家族連れが多く、子供たちはグランドマッピングの装置の下で、元気よく走り回っていた。

  

ハート形のオブジェの前では、途切れることなく撮影が行われていた。

  

青、赤と照らし出される鶴ヶ城天守を背景にしたイルミネーションは美しかった。

  


今回、夜景撮影には慣れず、光をうまい具合に撮ることができなかったが、美しい光景を見ることができ良かった。鶴ヶ城と光のイベントの親和性は高く、新型コロナウイルスが終息したら、今まで以上の方々に見てもらいたいと思った。

「体感!光の杜ミュージアム(アイヅテラス)」は今回で5回目。LED電飾は、装飾に関わる人件費や電気代など、思いのほかコストが掛かると聞いている。このイベントが続いてゆくためには困難があるだろうが、来年、再来年と見られるようなって欲しい。

 

只見線を“観光鉄道「山の只見線」”として宣伝し、乗客増や沿線の観光客による経済効果を目指す施策を打てるのも、国内屈指の歴史・観光都市である会津若松市が沿線(起点)にあるからだ、と私は考えている。この会津若松市の歴史・観光の中心、強固な礎は鶴ヶ城だ。

鶴ヶ城が国内外の多くの観光客に認知されることで、会津が積み上げてきた重厚な歴史・文化への関心への広がりが期待でき、新たな観光客への訴求と、リピーターの獲得につながり、ひいては只見線の乗客増と沿線経済効果にもつながるのではないか、と私は考えている。だから、鶴ヶ城でのイベントは重要であり、観光客の期待を裏切らないよう、定期的・継続的に開催されて欲しい。そのために、只見線利活用の中心にいる福島県は、国内外に対する訴求力が群を抜いている会津の価値を再評価し、その中心にある鶴ヶ城で開催されるイベントの維持や創出に助力して欲しいと思う。

   

 

鶴ヶ城を後にし、本日の宿の最寄りである早戸駅に行くために、歩いて西若松駅に向かった。駅前のスーパーで夕食を調達し、駅舎に入り停車中の列車に乗り込んだ。

19:54、会津川口行きのキハE120形2両編成が西若松を出発。先頭車両には多くの客が居たが、私が乗った後部車両は他2名だった。

  

 

おにぎりと総菜で夕食を済ませ、渡辺宗太商店で手に入れた日本酒を呑むことにした。「会津男山 純米酒 -わ-」。幕末期に創業しながら製造を止めていた酒蔵が、約20年振りに世に出した酒だ。

  

この酒の蔵元である、会津美里町の(資)男山酒造店は1865(慶応元)年創業。しかし、日本酒離れによる売り上げの減少などの影響で、1998(平成10)年に6代目が亡くなり製造を取りやめた。

このような状況の中、6代目の孫で、7代目の甥にあたる小林氏が2018年11月に東京から会津美里町に移住し、会津若松市内の鶴乃江酒造で修業した後、2019年から清酒アカデミー職業能力開発学校(福島県酒造組合)に通い、昨年7月に8代目を継いだ。そして、今年1月に純米酒と純米大吟醸の「会津男山 -わ-」が発売され、約20年振りに男山酒造店が復活を果たした。*記事出処:福島民報 2018年12月30日付け紙面、福島民友新聞 2020年11月17日付け紙面

  

瓶には、“蔵明け”と書かれた縦ラベルが貼られていた。

 

キャップは、四号瓶には珍しい王冠で、銘柄ではなく“蔵元直詰”との文字。

 

会津地方には、「男山」という蔵元がもう一つある。南会津町の蔵元は開当男山酒造。こちら、「わ」は会津美里町の(会津)男山酒造。

  

銘柄につけられた「わ」という名について、ラベルに説明書きが記されていた。“心をなご(和)やかにする”、“みんなが「わ」になれる”酒にしたいという、8代目小林氏の意志が感じられた。

 

酒米は、福島県が独自に開発した酒造好適米「夢の香」(*参考:福島県酒造協同組合HP)。「純米酒 -わ-」には、100%会津産の「夢の香」が使用されている。

  

「会津男山 純米酒 -わ-」をお猪口に注ぐ。まず、フルーティーが香りが立った。酒は十分に冷えていたが、それでもしっかりとした、甘く深い香りに、表情が崩れた。

呑んでみる。うすにごり、ということで思った通りの濃厚さがあったが、のど越しは純米酒のキレががあり、さっぱりとしていた。20年振りに稼働した蔵から出された酒ではあるが、懸念していた雑味などは感じられず、手にした価値が感じられる、旨い旨い酒だった。

今後、(資)男山酒造店が、本醸造酒を手掛け幅広く商圏を得てゆくのか、純米酒や吟醸酒などのプレミアム路線の高価格帯で勝負するのか定かではないが、只見線沿線の会津美里町“3軒目”の酒蔵として、多くの方々に素晴らしい酔いを提供することを期待したい、と思った。

  

 

列車は快調に進んだが、何と会津坂下で他全ての客が降りてしまい、2両編成に乗客は私一人になってしまった。車掌に話を聞くと、いつもは会津柳津会津宮下までは通学の高校生が居る、ということだった。以前も一人で列車を“占有”したことがあったが、あの時は会津宮下だった。まさか、会津坂下で“占有”してしまうとは...。

この列車は終電一本前だが、只見線が部分運休に追い込まれた「平成23年7月新潟福島豪雨」以前から、会津川口止まりで、翌朝の上り始発になるという運用をされている。車両回送という意味合いからすれば乗客ゼロでもよいかもしれないが、営業運転している以上、車掌乗車や照明などのコストが発生しているためゼロはまずい。

乗客に乗ってもらうためには、泊まって翌朝から活動をしたいと思わせる観光コンテンツが必要になるだろう。また、この列車を只見まで延伸させる必要も感じる。1990年3月改正ダイヤを見ると、終電一本前の列車は、会津若松18時42分発~只見21時12分着(12月1日~3月31日は会津川口~只見間運休)になっていた。

取り組むべき課題は多く、只見線利活用の本道である乗客増への道は険しいが、沿線の観光資源を考えると不可能ではない、と私は思っている。只見線の現運休区間を保有することになる福島県は、貴重な財源の投下を誤らず、乗客を増やし、下車した後に確実に沿線で時間とおカネを使ってもらう施策を進めて欲しい、と思った。 

  

 

 

21:14、早戸に到着。もちろん降りたのは私だけで、誰も乗らなかった。脇を走る国道252号線を通る車も少なく、しぃーんと静まりかえっていた。

 

駅舎内も照明が点けられていた。無人でも、維持コストは発生している。現不通区間を税金により支える福島県民は、只見線を“Myレール”として定期的に乗車し、観光需要を下支えする必要がある、と感じた。

  

坂を上り、国道から駅舎を眺めた。街頭の光だけが、暗闇を照らしていた。

 

  

歩き出し、国道252号線を南に進み、早戸温泉郷トンネルを抜けると、ライトに照らされた早戸温泉「つるの湯」の看板があった。右に入り、坂を下った。

  

 

駅から10分とかからず、本日の宿となる「つるの湯」湯池棟に到着。

二重扉の入口を進み、受付で鍵を渡され、宿泊代5,440円を支払った。湯池棟ということで、夜間は宿直のスタッフ1名で、その方から部屋まで案内してもらった。

 

部屋は2階の西端の「栃」号室。湯池棟は2018年4月にリニューアルオープンしたということもあり、まだ新しさを保っていて、綺麗で清潔感があった。

この後、22時まで入浴可という温泉に浸かり、布団を自分で敷いた。明日は只見駅から只見線の不通区間を約8km歩く予定だ。 

  

 

(了)

 

 

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*参考:

・福島県 生活環境部 只見線再開準備室:「只見線の復旧・復興に関する取組みについて

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日) 

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)復旧工事の完了時期について」(PDF)(2020年8月26日)

  

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

  

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。


以上、よろしくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)とし、2022年10月1日(土)に、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す、只見線の車窓からの風景や沿線の見どころを中心に、乗車記や「会津百名山」山行記、利活事業に対する私見等を掲載します。

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