金山町「不動沢トンネル上の社」 2017年 晩夏
JR只見線の「第四只見川橋梁」の最寄り、会津水沼駅から会津若松方面に700mほどの場所にある不動沢トンネルの上に「社」がある。この存在が気になり、只見線に乗車して金山町に向かった。
只見線の不動沢トンネルは早戸~会津水沼間にあり、わずか26mの短いトンネル。
「社」は会津水沼側のトンネル上に建っている。
只見線の乗車は今回が31回目となるが、この「社」の存在に気づいたのは最近で、会津水沼を出発して早戸に向かう車内で、右側の車窓から只見川の風景を見ている最中、ふと目に入った。
設置場所とその佇まいに関心を持ったことが今回の旅の契機となった。
今日は、都内に宿泊するため、只見線の終点・小出駅まで乗車することにした。
輪行(折り畳み自転車の携帯)はせず、会津水沼~会津川口間(5.7km)は徒歩で移動。4度目の“只見線全線乗車”とはならなかった。
昨日に若松入りした。
若松のメインストリート「神明通り」。
老朽化で取り壊されたアーケードの再整備が確定し、先日5日に工事の安全祈願祭が執り行われたという。完成は来年2月末。
LED照明に照らされた明るい330mの歩道に、多くの人々が行き交う事を期待したい。
夜、会津若松駅から5分程の居酒屋で2種の純米酒(冩樂と会津娘)と地の料理などを楽しんだ。
夜が明け、今朝の会津若松駅。上空は厚い雲に覆われていた。
改札に入り、只見線の4番ホームに向かい、始発列車に乗り込む。
6:00、会津川口行きは定刻に出発。
七日町、西若松、会津本郷を経て会津高田を過ぎて、会津盆地の田園を見る。青空が顔を出してきた。
夏の日照不足で稲の実りを心配していたが、黄金色に色づき始めていた。
根岸、新鶴、若宮、会津坂下を過ぎ、列車は七折峠に向かい登ってゆく。
会津桧原のホーム上には若い栗が大きく実っていた。
続いて、先日下車した会津西方を過ぎると、まもなく「第二只見川橋梁」を渡る。
陽射しが、木々を照らすようになった。緑のコントラストがより鮮明になる。二度同じ色合いを再現しない自然美に車窓から目を離せなくなる。
会津宮下手前、国内唯一の「アーチ3橋(兄)弟」の“長男”「大谷川橋梁」を渡り、“次男”の「宮下橋」(県道237号線)を見下ろす。
金曜日の始発列車ということで心配したが、県立川口高校の生徒の他、殆どのBOX席に乗客の姿(一人ずつだが...)が見られた。旅行者と思われる方も多く、安心した。
会津宮下で会津若松行きの二番列車とすれ違いを行う。
滝原・早戸の両トンネルを潜り抜け、早戸を過ぎると、“八連コンクリートアーチ橋”を渡る。
川霧がうっすらと湖面(川面)を覆っていた。
下大牧の集落を通過し、今日の目的地である不動沢トンネルに入る。
通過する間際、振り返り「社」を撮影しようとするが、シャッターを切るのが遅く撮りそびれた。
7:56、会津水沼に到着。初めて下車する。
小雨が降る中、急ぎ国道252号線に出て只見川に架かる水沼橋に向かう。
今降りた列車が通過する「第四只見川橋梁」の様子を撮影するためだったが、橋のたもとで列車が鉄橋を渡る音が谷間に響いた。
荷物を持ち、300mを1分で走り切る体力はなかったようだ。
気を取り直して、橋上から「第四只見川橋梁」を撮影する。
水墨画のような光景に見惚れてしまう。
通過する列車と共に撮影できたら...と悔しい思いをした。
国道を引き返し、再び会津水沼駅に行く。
水沼橋から駅を俯瞰する。
保線工事の車両が停められていたが、“森の中の駅”として味がある。
駅舎内の様子。
木材が豊富に使われ、温もりのある待合室になっていた。
床の綺麗さ、置かれた座布団の状態にこの駅に関わる方々の思いやりを感じた。
長椅子の端に透明プラスチックケースがあり「只見線水沼駅ノート (水沼駅を愛する会)」なるものが入っていた。
中を見てみると、県外のみならず、海外の方もコメントを残していた。
そして、一枚目のノートの最後には地元・水沼在住の方の感謝のメッセージが綴じられていた。
(引用)『地元の人は生まれてから見ている景色なのでさほど感じていませんが素晴らしいと褒めて下さる人がいると言うことですから私達ももう一度見直さなければなりません』
という一文は、只見線復旧後の復興を押し進めてゆく上で大切な事を示唆していると思った。
会津水沼駅を後にして、目的地である「社」に向かう。
小雨が降り続く中、国道252号線を会津若松方面に向かって歩く。
歩き出してから約10分。左側、除草された空間が現れた。
只見線は木々に遮られている。
標識の無いクランクしたポールの先に目を凝らすと、石段が見え、その先にトンネルが顔を出していた。
歩みを進めると、杉の木の間から「社」が見えた。
会津水沼駅から、歩いて15分で「不動沢トンネル上の社」に到着した。
思った以上に良い雰囲気に、感動した。
架線が無いため、全体が自然に調和して、雨に当たり色濃くなった苔が「社」に荘厳さを与えていた。
トンネル側面には“30”と彫られていたが、銘板には26mと記載。四捨五入したのだろうか。
苔むした石段を、足元に注意しながら登る。
「社」の前で振り返ると、参道と鉄路の配置が分かる。
ほぼ平行していることから、鉄道開業(1956(昭和31)年)を機に参道が作り直されたのだろうと考える。
石段は側面までも苔に覆われていた。
雨に濡れ、朱色の屋根が光っていた。
日光の当たり具合によっては、木々の間に只見川が見られるだろう。
この「社」。周囲を見たが名称を示すものが何も無かったが、施錠された引き戸のガラス越しに内部を見ると「大山祇神社」と書かれた紙が壁に掲げられていた。関連があるのだろうか。
土台の床の間には竹箒があり、ホコリをかぶらない一升瓶も転がっていた。おそらく人が出入りしているのだろう。
しばらく、周囲を探索し時間を潰す。
到着から約30分。会津水沼駅方面から列車の走行音が聞こえてきた。
鉄路から響く音を聞きながら、参道にしゃがみこみカメラを構える。
8:52、会津若松行きの列車の先頭車両が不動沢トンネルに入り、間もなくシャッターを切った。
列車がトンネルを通過する様が撮影できた。
本当は、最後尾がトンネルに入る直前の瞬間を撮りたかったが、早かった。
しかし、「社」の“静”と列車の“動”が一枚に収められたと考え直し、満足した。
「不動沢トンネルの上の社」は見る価値もある。またトンネルと“一体化”したような景観から、建立と只見線との関係史にも興味を引き立てるものがある。
そしてこの「社」は、只見線内で会津宮下駅直近の三島神社参道と並び、双璧を成す“建物と列車”の撮影ポイントだと感じた。
会津水沼駅から徒歩圏に「第四橋梁」と「不動沢トンネルの上の社」がある事は、只見線の乗客に下車する契機を与えるのではないだろうか。
そのような印象を持った。
「不動沢トンネルの上の社」を後にして、国道252号線を引き返し会津川口駅に向かって歩き出す。
途中、再び水沼橋から「第四只見川橋梁」を見る。
山の天気は変わり易い、とはよく言われるが、1時間前に霧に包まれた風景が嘘のように、青空が顔を出した緑映える光景に様変わりしていた。
さらに国道を進む。
水沼第二スノーシェッドを潜り抜ける。
歩道はあったが、10tダンプも頻回に通り抜け、構内に響く車の通過音に恐怖を感じた。
水沼スノーシェッドを出ると間もなく、車の待機所と思われる空間が現れ跨線橋が見えてきた。
そこから只見川の方(東)を見ると「第四只見川橋梁」が目の前にあった。
ガードレールを越え、見下ろす。
電柱があるが、ほぼ正面に「第四橋梁」を渡る列車を見る事ができる。
ここで、列車を撮影する事に。
構図を考え、ズームを利用し列車を待ち構える。
8:29、列車がこちらに向かってくる音がして、「第四橋梁」に入った瞬間に通過音は渓谷に響く乾いたものに変わった。
下路曲弦ワーレントラスを通過した瞬間にシャッターを切る。
列車の撮影に正解は無いのだろうが、ほぼ自分のイメージ通りの一枚が撮れた。
また、国道を歩き出す。次の目的地は上田ダム。
まもなく、木冷沢に架かる只見線の「木冷沢橋梁」を見上げる。
10tダンプがすれ違う時は、たまらなく恐ろしい。
運転手も減速はしてくれるが、直側を通り抜けられるのは気が気では無い。
除雪の関係もあるだろうが、比較的交通量があり、ほとんどの車がスピードを出す国道252号線には歩道は必要だ。
只見線の利用者には駅間を歩いて沿線の観光資源を散策する方もいる。
“歩くスペースの無い道路”は道とは呼べない。車優先では観光客は惹きつけられない。
只見線沿線に観光客を呼び込むには歩道の整備も欠かせない。
復旧と「上下分離」の運営費用を搬出する沿線自治体や県には対応を期待したい。
恐怖から逃れるよう、車が通過しない間は国道を駆け足で通り過ぎ、間もなく上田(ウワダ)集落に続く右側の側道に入る。
集落を抜け、上田ダムと東北電力㈱上田発電所に到着した。
「不動沢トンネルの上の社」を出てから約50分かかった。
ゲートが一部開かれ、1mほどの幅の“白滝”が落ちていた。
平時、只見川の水のほとんどが奥の水力発電所に利用されている。
ダムの天端道に入口には東北電力㈱の初代会長を務めた白洲次郎(享年83歳)の自筆記念碑があった。
[碑文]
“建設に盡(尽)力したみなさん
これは諸君の熱と力の
永遠の記念碑だ
上田発電所竣功に際して
白洲次郎”
上田ダムはの概要は以下の通り。
着手:1952(昭和27)年
竣工:1954(昭和29)年
形式:越流型直線重力式コンクリートダム
堤体高:34m
堤頂長:283.7m
工事では多くの殉職者を出し、慰霊塔の裏には10名の名が刻まれていた。
この上田ダムと一体化し、取水口を持つ東北電力㈱上田発電所の概要は以下の通り。
運用開始:1954(昭和29)年3月
認可最大出力:63,900kW
最大使用水量:284.0㎥/s
有効落差:26.3m
ダム下流の様子。
発電所側には流木止めがあり、それを境に湖面の表情が違っていた。
右手に見える構造物は何かは分からない。
ダム湛水時に水没した施設だろうか。
この上田ダムの貯水量は、会津川口駅と、現在不通の「第五只見川橋梁」の景観を左右している。今日は“満水”のようだ。
30分ほど滞在し、上田ダムを後にする。国道252号線に戻り、先に足を進める。
約30分後に、会津中川駅に到着。
春は桜に包まれる駅だ。
駅舎は木造のままで、緑の屋根が愛らしい。
この駅舎は遠景が素晴らしい。
田んぼ越しに駅舎を捉えると背部に雪食地形をもった低山が連なり、味わいのある景観が見られる。
荻付第一踏切の中央に立ちシャッターを切ると、迫力ある一枚を撮る事ができる。
会津若松行きの列車であれば、踏切が開いてから、列車が映り込んだ構図で撮影する事ができる。
次の機会にチャレンジしてみたい。
この会津中川駅から国道を挟んで南へすぐの所に「道の駅 奥会津かなやま」がある。
隣りには移築された県指定重要文化財である旧五十島家がある。
「金山町老人福祉センターゆうゆう館」の中にある温泉施設だ。
そこに向かってみる。
金山町のゆるキャラ「かぼまる」が置かれた受け付けで、入湯料300円を支払い中に入る。
金山町社会福祉協議会の事務所が同居しているようで、内部は観光施設の趣きではない。
脱衣所と浴室は小さく、タイルが温泉成分で茶褐色になってはいたが、清潔感があった。
泉質はナトリウム-硫酸塩・炭酸水素泉で源泉掛け流し。
源泉温が48.8℃と異常に高く、足を浸けただけだったが5分も我慢できないほどだった。
貴重な温泉なので、湯温の設定は検討してもらいたいと思った。
「中川温泉」を後にして、再び国道252号線を歩く。
まもなく、只見川上にコンクリートの構造物と、その向こうに緑に囲まれた公園が見えてきた。
コンクリートの構造物は、ダム湖の堆積石砂の浚渫施設で積み出し用の泊地と思われる。
公園は「宮崎館跡」で戦国時代にこの地を治めていた山内氏の家臣・宮崎右近が1550(天正19)年に館を築いた場所だという。
さらに、国道252号線を歩く。
大志集落を抜け、只見線の跨線橋・第五沼田橋を渡る。
橋上から振り返って一枚撮る。
下る国道と登る只見線。その背後にある只見川と1,000m級の山々の稜線。
絵になると思った。
珍しく、橋には“只見線”の銘板が取り付けられていた。
「中川温泉」を出てから、約30分で只見線と只見川を跨ぐ町道の上井草橋が見えてきた。
手前の茂みの間からは大志集落が見えた。
只見線の代表的な“借景”だ。
上井草橋から下流(会津若松方面)を見る。
大志集落がわずかに見え、只見線が大きく弧を描いている。
湖(川)面は水鏡となり、周囲の自然を映し出していた。
下流(会津川口方面)を見る。
上井草橋から国道に戻り、10分程で会津川口駅に到着。
そこから徒歩2分、昼食を摂るため食堂「おふくろ」の暖簾を初めてくぐる。
お目当ては「カツカレーミックスラーメン」
昼食時で店内は混んでいた。
カウンターに座り、注文してから15分。
「カツカレーミックスラーメン」が出てきた。
小ぶりのカツの下には濃厚なカレールー。
その下は太縮れ麺の醤油ラーメンだが、なんと御飯入りだ。
カツカレーライスとラーメンが“ミックス”された、驚きの組み合わせだ。
それぞれの味を楽しめて、想像以上に旨い逸品だった。
濃厚なカレールーは絶品で、カレーライス単品で食べたいと思った。
次に訪れたと時は、カレーライスとラーメンのセットを注文したい。
「おふくろ」を後にして、会津川口駅に向かう途中、国道252号線に面した店の軒先に金山町特産の赤カボチャが積まれていた。
今日は、生のままで椅子に座っていた。左胸には只見線復旧を願うバッチを付けていた。
カウンターに並べられていた、米焼酎「ねっか」の只見線限定ボトルを購入。
只見町の蒸留所が作り出したものだ。
ボトル表面には只見線を走るキハ40系が彫られていた。
ラベルの裏面には鉄道風景画家である松本忠氏の「緑が生まれ来る場所へ」が印刷され、旅愁を誘うボトルデザインだと思った。。
14:10、私一人だけを乗せた只見行きの代行バスが出発する。
代行バスは国道252号線を進み、5分ほどで右手に橋梁が一部流出した「第五只見川橋梁」が現れる。
“本名駅”を出発して、東北電力㈱本名発電所・本名ダムの天端を走り、橋梁がほぼ流出した「第六只見川橋梁」を見下ろす。
“会津越川”、“会津横田”、“会津大塩”、“会津塩沢”を経て不渡河橋である「第八只見川橋梁」が現れる。会津川口駅を出発してから約35分だった。
15:00、“会津蒲生駅”を経て、代行バスは定刻に只見に到着。
私が乗る、小出行きの列車だ。
只見駅のホームは駅舎から離れているため、“連絡道”を歩く。
ホームの端に行き、会津川口方面を見る。
レールは錆び、その先は雑草で覆われていた。
この視点で列車を捉えられることができるのは、2年後か3年後か。
復旧工事が順調に進む事を願う。
15:40、小出行きの列車が定刻通りに出発。
駅員と緑の法被を着た只見町観光まちづくり協会のスタッフが手を振り見送ってくれた。
この“儀式”は、只見駅発の3便(9:30、15:40、18:35)全てで行われているようで、スタッフの熱意に頭が下がる。
列車が只見スキー場の前を通過する際、左手に分岐し延びる空間が見えてくる。
これは、電源開発㈱田子倉ダムの建設工事で使われていた田子倉発電所専用鉄道線跡だという。
この先は国道252号線と重なる箇所もあり、当時をしのぶことはできないが、田子倉ダムの直下(宮渕地区)には転車台だったと思われる円形の構造物が見られ、専用線がつながっていたのだろうと思い描く事ができる。
列車が田子倉トンネル(3,712m)を通過すると空模様が急変。
青空は消え、田子倉(ダム)湖周辺は灰色の空と霧に包まれ、小雨が降っていた。
期待した、車窓からの光景も、いまひとつだった。
直後に田子倉駅跡を通過。
田子倉(ダム)湖は満水ではないようで、土がむき出しになった山肌が見えていた。
列車はスピードを緩めずに、只見線の最難所を貫通している「六十里越トンネル(6,359m)」に向かってゆく。
天候も変化し、雨も降っておらず、薄陽が差していた。
新潟県に入った只見線は渓谷を流れる末沢川を16回渡河し、次駅の大白川に向かう。
末沢川は破間川に合流し、30分走り続けた普通列車は、駅に停車するため減速する。
16:09、大白川にゆっくりと入ってゆく。
只見~大白川間は20.8kmで、JR北海道を除くJR管内で二番目の駅間距離になっている。
この駅の2階には「そば処 平石亭」がある。なかなか訪れる機会が無いが、次回は是非、蕎麦とどぶろくを味わってみたい。
大白川以後、列車は破間川との8度交差繰り返し、終点の小出を目指す。
破間川は只見川とは違った渓谷美を見せてくれる。
上條を出て5分程すると、沿道に列車に手を振る人達の姿が見えた。
...と思ったら人形だった。
近所の住人が、只見線の乗客を楽しませるために製作したのだろうか。微笑ましい光景だった。
列車は、本格的な“魚沼の田園”を駆けてゆく。
稲は西陽を受け、黄金色に輝いていた。
越後須原~魚沼田中のほぼ中間地点で大倉沢橋梁を通る。
只見川では見慣れた水鏡が現れた。藪神ダムによるものだ。
列車は破間川の最後の渡河をする。8度目だ。
奇しくも、この“8回”は只見川の鉄橋数と一致する(第一只見川橋梁~第八只見川橋梁)。
しかし、「第八」は“不渡河橋”のため、只見線は7回只見川を渡る。
ただし、先ほと通過した大倉沢橋梁も“不渡河橋”で、只見線の福島・新潟双方には“不渡河橋”が存在するという奇遇がある。
私は今回の乗車後に地図を眺め、この事実を知った。
135.2kmの長大路線には、まだまた埋もれたネタがありそうだ。
藪神に到着。
昨年12月17日の大雪で、ここから引き返した事を思い出す。
四季を感じる事ができるのも、ローカル線の魅力だ。
列車は、遠くに小出市街地を見ながら、終点を目指し田園の間を進む。
車内放送が流れ、列車は減速しながら、魚野川に架かる魚野川橋梁を渡る。
この鉄橋は、直線のプレードガーターを10基組み合わせた、珍しい構造だという。
魚野川は、この鉄橋のわずか下流で破間川と合流し、越後川口駅付近で信濃川に吸収され、日本海へと注いでゆく。
16:53、終点の小出に到着。
金曜日だが、意外と多くの客が乗っていたようだ。
改札を出て、駅舎を見る。
雪国に関わらず、傾斜の無い平屋根を持っている。
*参考:鉄道建築協会
新駅舎を見るのは二度目だが、積雪や融雪にたいする工夫があるのか、屋根の上を見てみたいと思った。
駅構内には下校時間に重なり、多くの高校生の姿があった。
その後、再び改札を入り、引き込み線を中心に見る。
17:08、水上行きの電車に乗り込み、今日の宿泊地である八王子に向かった。
只見線の新潟県側(只見~小出)に乗車するのは4度目で、「平成23年7月新潟福島豪雨」で部分運休してからは昨年末に続き2度目だった。
県境の「六十里越トンネル」で車窓からの風景は変わるが、只見線が自然美を堪能できる路線であることを改めて思った。
只見線の“利用者増・収益増・沿線活性化”には、路線の3/4以上を占める福島県側の努力が何よりも大事だ。
ただし、新潟県との協業により、只見線全体135.2kmの“利用者増・収益増・沿線活性化”を図れば、より大きな成果が得られる可能性も感じる。
福島県と新潟県に共通し、国民の多くにも共感が得られるであろう“自然(山・川)・コメ・日本酒”を軸に只見線の“利用者増・収益増・沿線活性化”が為せる案について、今後も考えてゆきたい。
【只見線の上越新幹線・浦佐駅乗り入れについて】
只見線の“利用者増・収益増・沿線活性化”に上越新幹線の浦佐駅乗り入れは必要だと私は考えている。観光路線として東京直結の高速鉄道とのアクセス向上は欠かせないからだ。
1988年までは浦佐発着の「急行奥只見」が運行されていて、実績もある。
小出駅構内を見ると上越線に向かって連絡線の痕跡があった。
一部が切断されていた。
上越線のホームから見る。
浦佐方面を見ると、上越線の上り線(浦佐方面)と接続していた痕跡が見られた。
しかし、右端の下り線(長岡方面)と接続していたかは確認できなかった。
帰宅後に調べてみると、上越線の下り線に接続はしていなかったようで、写真に見えるポイントは上越線の引き込み線用だった。
さらに、浦佐発着の列車はこの小出駅で乗客を乗せたままスイッチバックを繰り返していたという。
上越新幹線・浦佐駅乗り入れの実績はあったが、スムースな乗り入れではなかったようで、実現のためには施設変更などの多大な費用が掛かる事が分かった。
また上越線は新潟と首都圏を結ぶ貨物大動脈で工事も貨物列車の運行時刻に配慮した難しいものになるだろう。
上越新幹線・浦佐駅乗り入れを実現するためには、まず現状での観光客利用増加と福島県と新潟県の沿線自治体の意思統一、そして住民と利用者を中心とした世論の高まりが必要だ。
上越新幹線・浦佐駅乗り入れの実現を願い、これからも只見線の利用者が増える情報を発信してゆきたいと思う。
...最後に、東京に向かう列車の中で、嬉しい事があった。
阪神タイガースの鳥谷敬内野手が、プロ野球(NPB)通算50人目の2,000本安打を達成した。
スマホのリアルタイム動画で見る事ができた。
『早稲田の大先輩である岡田監督が居る事、ホームグラウンドの甲子園が土である事がタイガースに決めた理由です』と語った2004年ドラフト以来、球団とともに背番号1を応援してきた。
おめでとう、鳥谷! (了)
・ ・ ・ ・ ・ ・
*参考:福島県 「只見線の復旧・復興に関する取組みについて」/「JR只見線 福島県情報ポータルサイト」
*参考:政府 インターネットテレビ「見どころたくさん 福島に来てくなんしょ!」(2017年1月26日)
【只見線への寄付案内】
福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。
・福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法
寄付金の使途は以下の通り。
・お寄せいただいた寄附金は、福島県、会津17市町村や新潟県などで 組織する「福島県JR只見線復興推進会議」で協議の上、只見線の復 旧や利活用促進のため使われます。(「只見線復旧復興基金寄附金募集」チラシより)
・ 寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、 只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 日本一と言われるロケーションだけに頼らない観光振興を推進し、 新たな観光収入の増加を図ります。 (「JR只見線企業版ふるさと納税(地方創生応援税制)の御案内」より)
よろしくお願い申し上げます。
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