柳津町「柳津西山地熱発電所」 2019年 紅葉

かつて、単発ユニットの発電量が日本一だった東北電力㈱「柳津西山地熱発電所」の周辺に点在する生産井や還元井の様子を見ようと、JR只見線を利用し柳津町に向かった。

 

「柳津西山地熱発電所」は発電用のタービンを一つしかもたない単基ユニットで、運転開始当時は65,000kWの“日本一”の出力を持っていた。しかし一昨年(2017年)に 『地下から生産される蒸気量の減少に伴い出力が低下していることから(東北電力)』タービンを更新し30,000kWの定格出力に変更された。*記事出処:福島民報 2017年8月29日付け紙面


 

当地には、このタービン更新工事中に訪れたことがあるが、運転中の発電所を敷地内で眺めるのは今回が初めてとなった。

 

 

今日は、発電所とそこに併設されるPR館だけではなく、周辺に点在し大地とエネルギーの交換を行っている生産井、還元井などのサイトに訪れる事にした。 

旅程は、以下の通り。

・滝谷駅で降りて輪行した自転車で移動

・「滝谷風穴」に立ち寄り滝谷地区を通る

・「柳津西山地熱発電所」と関連施設(サイト)を見て回る

・(会津)西山温泉内の「せいざん荘」で日帰り温泉を利用

・昼食は柳津名物の「柳津ソースカツ丼」を摂る

・会津銀山街道の石神峠を越えて三島町に入る

・三島町宮下地区にある宿にチェックインする

 

この時期としては驚くほど強い陽射しの下、紅葉も見頃を迎えた奥会津・柳津町を巡った。

*参考:

・福島県:JR只見線 福島県情報ポータルサイト

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」 (2013年5月22日)

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線の秋ー 

 

 


 

 

昨夜は、大熊町で19時に仕事を終えた後に帰宅後、急いで富岡駅に移動し、JR-高速バスーJRと乗り継いで会津若松駅に到着。市内に泊まった。

 

 

 

今朝、鶴ヶ城を見てから駅に移動しようと思ったが、夜が明けず諦めた。 

最寄りの西若松駅に向かう途中に空が明るくなり、湯川放水路越しに会津盆地を取り囲む東側の山地の稜線が綺麗に見えた。

 

西若松駅に到着。降りた事はあったが、乗車するのは初めて。会津鉄道(旧国鉄会津線)の分岐で、橋上駅でJRと会津鉄道が共同で使用しているためか、駅舎は大きい。

  

 

輪行バッグに自転車を入れ、券売機で切符を購入し、無人の改札を通った。  

ホームに着くと、まもなく下りの始発列車が入線してきた。

6:07、2両編成の会津川口行きが西若松を出発。先頭はロングシート車両で、私は二両目のボックス席に座った。

 

今日の只見線の乗車は滝谷まで。運賃は680円。

  

 

 

列車は住宅街を抜けると、霧が立ち込める大川(阿賀川)を渡った。

  

 

会津本郷を過ぎ会津美里町に入ると霧が晴れたが、会津高田を過ぎると列車は再び幻想的な空間を進むようになった。

 

 

あたり一面の霧は根岸新鶴若宮(会津坂下町)、会津坂下でも晴れなかった。

   

列車がディーゼルエンジンを蒸かしながら駆け上がった七折峠も真っ白で、塔寺でも晴れる気配はなかった。

 

 

会津坂本を過ぎ、柳津町に入ると上空に青空が見え始め、会津柳津手前でようやく周囲の霧は晴れ、色づいた木々が見えるようになってきた。

会津盆地にある会津若松、会津美里、会津坂下が霧の中にありながら、柳津町を入口とする奥会津が晴天ということはよくあることなのだと、只見線の旅を繰り返すうちに実感するようになった。 

 

郷戸手前の“Myビューポイント”では、「飯谷山」(783m)山頂が見え、中腹の雲とその下で朝日に照らされた木々が良い景観を創っていた。

 

 

 

 

7:16、列車は滝谷に到着。降りたのは私一人。

駅は、1971(昭和46)年まで貨物取扱いをしていただけに3線3ホームの堂々とした敷地を持つが、使われているのは1線1ホーム。

 

 

ここからは自転車で移動。向かい側の廃ホームの赤もみじを見ながら組み立てた。

まずは、駅前を通る県道32号(柳津昭和)線を300mほど南に進み、只見線の滝谷川橋梁の展望ポイントで、私の乗ってきた列車が会津宮下駅ですれ違う上り列車の通過を撮る事にする。


 

 

3分とかからず到着すると、2人の先客があった。車で来られたようで、一つが福島ナンバーで、一つが県外ナンバーだった。

滝谷川橋梁は全長155m、ワーレントラスとプレートガーターの上路式。会津若松から出発した場合、“只見川 八橋”の露払いをすることになる橋梁だが、只見線内随一の渓谷美と鉄橋の組み合わせとなっている。*橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館(http://www.jsce.or.jp/library/archives/index.html)「歴史的鋼橋集覧

  

 

7:43、汽笛も無く、レールを駆る軽い音が聞こえ、まもなく会津若松行きの列車が姿を現した。

2人の間にレンズを向けシャッターを押したが、朝日が強く、露出の調整ができず列車をくっきりと撮る事ができなかった。

 

2人に挨拶をして移動を再開した。


 

 

県道32号線を進み、まもなく三島町に入る。

 

撮影ポイントでは眼下にあった滝谷川が、すぐ脇を流れるようになる。前方の木々は朝日に照らされ映えていた。

 

まもなく、左前方に看板が現れ、「滝谷風穴」に到着。訪れるのは三度目だ。

コンクリートの擁壁に取り付けられた鉄筋製の梯子を使い敷地に入る。

 

風穴に設けられた「貯蔵室」は、昨年、体験室を併せ持った「滝谷風穴小屋」に建替えられた。

 

昨秋は雪囲いがされて、入る事ができなかった体験室に入ってみた。

 

今朝は冷え込んだこともあってか、中の方が温かく感じた。室温は5℃で湿度は99%だった。

  

隣りの貯蔵室には、蕎麦粉や米、ワインなどが置かれていた。

ここで寝かされた品々は、“風穴そば”などの特産物としてお披露目されるという。

 

自転車にまたがり、先に進む。 

 

 

 

まもなく、滝谷集落の中を通り抜ける。滝谷川の清流沿いに広がる、小さな集落だ。

滝谷は、中世に会津四家の横田・山ノ内家から分家して巖谷城主となった滝谷山ノ内氏の集落。氏は豊臣秀吉の奥州仕置き後に土着した。その後、宿駅として栄え、旧沼田街道の要所として明治初期まで賑わっていたという。只見線の滝谷駅が、柳津町にありながら“滝谷”を名乗る事も頷ける。

 

 

 

集落を抜けると、県道366号線と接続するT字路の直上に上館山が聳える。この北側に巖谷城を守った小館山狼煙跡があり、今では滝谷集落を見下ろせるとして地元の小学生も学校行事で訪れるという。

これら巖谷城跡や小館山狼煙跡を巡るイベントが昨年から行われている。来年も開催されるようならば、是非参加したいと思っている。 *参考:三島町観光協会「沼田街道滝谷宿と巖谷城・丸山城址巡りハイキング」(2019年11月5日)


 

 

上館山直下のT字路を左折し、滝谷スノーシェッド中を進み潜り抜け、しばらく坂を上る。

一旦、平坦となった県道は再び坂となり、その途上で再び柳津町に入った。

 

そして、この先の電柱の上には、これから向かう「柳津西山地熱発電所」の案内看板が初めて現れた。

この後、県道は湯八木沢スノーシェッド-湯八木沢トンネルまで上り坂となり、その後は湯八木沢集落に向けて、緩やかな下り坂を気持ちよく進んだ。

 

 

 

県道に架かる新湯八木沢橋から滝谷川の渓谷を見る。「湯の岳」(729m)の裾野は朝日を浴び、輝いていた。

橋を渡り左折すると、一昨年訪れた「久保田三十三観音」に向かう県道59号(会津若松三島)線に入る。*参考:拙著「柳津町「久保田三十三観音」2017年 夏」(2017年7月22日)


 

 

 

8:39、西山温泉郷を見下ろす西山大橋に到着。正面に「柳津西山地熱発電所」の水蒸気柱が立ち上っていた。

 

 

西山大橋から滝谷川に続く急峻な歩道を下り、「下の湯」から西山温泉街を抜けて、地熱発電所を目指した。 

 

途中、「奥会津地熱㈱西山事業所」があり、門は開かれ、事務所内の照明を点いていた。

 

ここは「柳津西山地熱発電所」に蒸気を売る会社で、三井金属鉱業の関連会社になっている。*下図出処:東北大学大学院環境科学研究科震災フォーラム講演 (2011年7月7日)「柳津西山地熱発電所への 地熱蒸気供給の概要と 今後の展望」奥会津地熱㈱ 安達正畝氏


  

 

さらに森の中の緩やかな登り坂を進むと、“あと1KM”看板があった。一昨年のものから、写真入りの新しいものに変わっていた。

 

 

道が下りになると崖に蒸気輸送管が見られた。

 

先に進むと、この配管は崖を斜面から直角にコンクリートの構造物につながれ、道路の下を横断していた。


蒸気輸送管は蒸気と書かれ、管は太く矢印は地熱発電所の方に向けられていた。



この管は、湯ノ沢に架かる千石橋に取り付けられ対岸に伸びていた。

 

この中を通る蒸気は、まもく発電所にたどりつく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10:12、東北電力㈱「柳津西山地熱発電所」に到着。標高は400mほどで、南側以外に近接した高い山は無い。

只見線・滝谷駅からは約9km。前回は50分程で到着したが、今回は敷地の東側を見てから来たために、3時間ほど掛かった。

 

 

少し進み、巨大な冷却塔を見上げた。前回はタービン更新で噴出していなかったが、水蒸気柱を見る事ができた。気温が上がってきたからか、ロケットの噴射口のような豪快な水蒸気柱ではなかったのが、少し残念だった。

  

 

隣りにはタービン・発電建屋があり、蒸気の配管はここにつながれていた。冷却塔や建屋を含め、「柳津西山地熱発電所」の外壁は茶色になっている。地元住民から“景観に配慮した外観”という要望に応えたものと言われている。

周辺の生産井で地下1,500~2,600mから汲み出された200~350℃の熱水が、約165℃の蒸気に気水分離され、敷地に張り巡らされた蒸気輸送管を通ってこの建屋内でタービンを回し、シングルフラッシュ方式で発電している。*参考:東北電力㈱ 柳津西山地熱発電所リーフレット(PDF)

 

そして発電された電力は、送電線に送られ、会津若松市の会津変電所に送られている。

驚く事に、これだけの大きな施設だが、常時有人監視は行っておらず、なんと秋田県にある秋田火力発電所で24時間遠隔監視しているという。

 

 

前述した通り「柳津西山地熱発電所」は一昨年(2017年)にタービンの更新を行い30,000万kWの定格出力に変更された。 

現在、地熱発電所の東北一は岩手県の東北電力㈱葛根田地熱発電所(2機で定格80,000kw)、日本一は九州電力㈱八丁原発電所(2機で定格110,000kw)となっている。 *参考:日本地熱協会「日本の地熱発電所

 

 

 

PR館に向かう。東北地区唯一の地熱発電所のPR館だ。*参考:東北電力㈱「柳津西山地熱発電所 PR館


PR館前には、一昨年に交換された、当時日本一の出力(定格65,000kw)を誇ったタービンの現物が置かれていた。

説明板には“平成7年5月から平成29年4月まで、約22年間使用した蒸気タービン(実物)です”と記されていた。型式:単気筒衝動式複流形復水タービン、重量:20,500kg。 

 

 

PR館の入館料は無料。受付の方に挨拶をして見学を開始。最初の展示は、前回から変わっていた。

正面には、柳津町出身の版画家、斎藤清氏の作品が掲示され、略歴を示したパネルが置かれていた。*参考:柳津町「やないづ町立斎藤清美術館

 

続いて、柳津町のPRパネルが南北の壁いっぱいに設置されていた。

「柳津西山地熱発電所」は、設置準備段階から地元住民、柳津町と交えた密度のある協議を重ねてきたと言われている。この展示の変化を見て、発電所が稼働開始から四半世紀を経ようしている中でも地元の振興に協力している事が察せられた。

 

 


奥に進むと、前回とほぼ同じ展示構成になっていた。「地熱発電所のしくみ」というパネルでは簡単な色使いで分かりやすく説明されていた。


地中の熱(蒸気、熱水)を効果的な取り込みに欠かせない“曲げ堀”の説明では、ハンドルを回すとトリコンピットが回転する実演具が設置されていた。

 

実際に使われている「曲げ掘り用掘削機器」も展示されていた。これが地中を2,000m以上掘り進む姿を想像し、改めて感心した。

 

棚には掘削当時の状況を映した写真が置かれていた。石油、温泉などの掘削で見慣れた光景とは言え、見えない大地の中を相手にする作業員の工夫と苦労を思った。

 

掘削で採取した、各地層のサンプル。色合い、質感、など素人目にも違いが分かる。これら地層の特性から貯留層を探り当て、発電に必要な蒸気を得たのだと思うと、また感心した。

 

 

前回の訪問で見られた「地熱構造模型」は見当たらなかった。地層の具合と、そこに掘られた生産井と還元井の様子がわかり良かった。

一見、線が多く、面白みにかけ興味を引かなかったが、一本の生産井を地上からたどりながら見てゆくと、そのスケールの大きさと、地熱発電の奥深さを知る事ができ、良かった。この模型は、是非、再展示して欲しいと思った。

 

 

囲われたミニシアターに行き、上演ボタンを押すと、スクリーンが降りて照明が落ち、スチーム君と博士による、「柳津西山地熱発電所」の説明VTRが流れた。

 

途中、噴火のシーンでは轟音とともに、照明が赤く点滅するという演出もあった。

内容は、よくまとまっていて、分かりやすかった。

 

 

展示の終盤には、会津地方の水力発電の概要を示したパネルがあった。

 

会津は水力を筆頭に、ここの地熱、風力に太陽光と豊富で多様な自然エネルギーがあり、電力を生み出している。電源開発㈱の水力発電所は首都圏に電力を供給している。

   

「柳津西山地熱発電所」では、このPR館の他に、予約制で施設見学ができる。*参考:東北電力㈱柳津西山地熱発電所「見学のご案内」 


 

 

見学を終えPR館を出て、西側にある2つの2,500KLの原水タンクを見上げた。地中に戻す還元水にも用いられているという。

 

取水は西側を流れる滝谷川で行われている。

 

神の湯橋にたもとにある取水場。

 

水利権の許可権者は(国土交通省)北陸地方整備局になっていた。滝谷川は阿賀野川水系で、新潟県に河口を持つためだろう。

只見川も阿賀野川水系であるため、只見線内から見える水力発電所の水利権も北陸地方整備局だ。河川行政の複雑さが分かり、面白いと思った。

 

 

 

「柳津西山地熱発電所」の敷地面積は247,725㎡、主な蒸気輸送管の総延長は2,137mになる。敷地内には熱水を取り出す生産井や蒸気を取り出した後の熱水などを地中に戻す還元井など、奥会津地熱㈱が管理する多くの蒸気の関連施設がある。


 

「P1基地」に行く。Pはプロダクションの略だ。14本の生産井がある(2012年値)。

 

この「P1基地」には、各設備の名が記された看板が設置されていた。予約制の発電所見学会ではここに訪れるという。

 

 

 

「P1基地」から10分を坂を上ると、「2tサイト」があった。

 

蒸気輸送管は、道路を乗り越え、法面を下り、P1基地に向かっていた。

 

 

 

 

「P2基地」は発電所の東1kmほどのところにあった。ロープが張られ、全体像は見られなかった。ここには7本の生産井がある(2012年値)。

 

わずかに、坂の途上から気水分離機が見えた。

 

 

 

「P2基地」の北500mほどのには「R1基地」。

 

配管は目立たず、一見、地熱発電所の関連施設には見えなかった。

  

 

 

「R2基地」は、「P2」基地と「R1」基地の間にあった。

 

ここでは“熱水還元管”が確認できた。

 

 

 

「P2基地」の南200mほどの場所には「22tサイト」があった。入口にはロープが張られ、設備をよく見る事はできなかった。

 


 

各サイトに向かう途中では、配管が空中横断している箇所が見られた。

 

発電所につながる道では地下を通していたが、この辺りはアーチ式が目立った。

 


これら配管の固定法は一様ではなかった。下から支えられているものや...

 

釣り上げられているもの、などが見られた。

 

 

 

配管のが目立たないところを通されていたが、道に近接する場所には、警告表示が見られた。

 

 


 

「P2基地」からの伸びる蒸気輸送管では、断熱材をはぎ取る工事が行われていた。

 

メンテナンスは欠かせないが、広い範囲に伸びる配管の維持管理は大変だと思った。


 

 

 

「P2基地」に向かう道の途上から、「11Tサイト」越しに「柳津西山地熱発電所」の全景が見えた。周囲が色づく中、外壁の茶色が溶け込み、一体化していた。自然エネルギーというものを象徴的に表す光景ではないかと思った。

 

 

「柳津西山地熱発電所」は2度目の訪問となったが、今回は生産井など、関連施設を巡り、敷地の大きさを実感することができた。

 

地熱発電は、相手が見えない大地の中だけに、生産井のスケール(カルシウムやマグネシウムなどの堆積物)付着対策に苦慮したり、蒸気量の減少で新たな生産井の掘削などを検討するなど、この広大な地中相手に、今でも関係者の努力が続けられている。

2011年の東日本大震災・原子力発電所事故後に、ベースロード電源として地熱発電はクローズアップされたが、実際の現場を見ると、そう簡単ではないと思った。

  

さらに、地熱発電は、リードタイムが長いという特徴がある。「柳津西山地熱発電所」も例外ではなかった。

【柳津西山地熱発電所の歴史】*一部
1956(昭和31)年 三井金属鉱業㈱による真珠岩(パーライト)の調査
1974(昭和49)年 三井金属鉱業㈱による地熱予察調査
1976(昭和51)年 NEDOによる地熱開発基礎調査で初の調査井掘削(600m)
1980(昭和55)年 柳津町が西山地区(13行政区)と西山温泉組合への説明会を実施
1981(昭和56)年 町が三井金属鉱業㈱に地熱調査・開発の要請を行う
1983(昭和59)年 三井金属鉱業・三井建設・東芝で奥会津地熱開発を設立
1984(昭和59)年 資源調査工事着工
1986(昭和61)年 東北電力㈱と奥会津地熱㈱が共同調査開始
1987(昭和62)年 噴気試験(→発電に十分な蒸気量を確認)
1991(平成 3)年 東北電力㈱と奥会津地熱㈱が共同開発基本合意
1992(平成 4)年 電源開発調整審議会承認
1993(平成 5)年8月 建設工事着工
1995(平成 7)年5月 営業運転開始 *生産井14本、還元井3本
 
2017(平成29)年8月 出力変更 65,000kw→30,000kw
2019(令和元)年度 「涵養技術」長期実証試験開始(2年間)

 

 

福島県内では、“地熱発電有力候補地”と言われていた磐梯朝日国立公園内の計画が、地下水の貯留層が確認できず、調査技術の開発も現状困難ということで、事実上の凍結となったとの報道もあった。*記事出処:福島民報 2018年5月3日付け紙面より

 

今後、メガ級の地熱発電所建設は県内で難しいかもしれないが、沸点の低い液体を使用するバイナリー地熱発電は各地の温泉地で設置が進む可能は高い。

「柳津西山地熱発電所」は温泉街を近隣に抱えながら“共存”できた成功例と言われている。発電所の規模は違うかもしれないが、多くの人に当地に訪れ、大地の恵みを電力に変える施設群を見て、温泉に入り、両者の共存を感じて欲しいと思う。 

*参考:環境省「平成27年度地熱発電と温泉地の共生事例調査委託業務」ヒアリングメモ(柳津町役場)(PDF)/環境省「平成24年度生活衛生関係営業対策事業 地熱発電と温泉地との共生に関する調査報告書」(PDF) *柳津西山地熱発電所p183


 

 

 

 

「柳津西山地熱発電所」を後にし、地熱発電所と共存してきた(会津)西山温泉を利用するため、「せいざん荘」に向かった。

  

神の湯橋の東側には析出物が見られた。国土地理院の地図には、この付近に神の湯という泉源があると記されているが、これがその湯成分であるかは分からなかった。

  

長く急な坂を上り、まずは西山温泉神社にお参りをする。

 

社には地熱発電所に続く道の脇、切取の平面部に建っていて、鳥居は無かった。おそらく移設されたのだろう。

 

この温泉神社の前にあるのが柳津町「西山温泉山村公園 せいざん荘」。地熱発電所の設置の際に、住民の要望で作られた施設(町営)だ。

 

施設は西山温泉郷の中では一番高いところにある。鉄筋コンクリート造の堅牢で大きな施設で、内部は回遊できる構造になっていた。

館内に入り、受付で入浴料¥300(税込み)を払い、さっそく浴室に向かう。 

 

内湯は大きく、前面はガラス張りで明るく、開放感があった。

 

露天風呂もあり、眼前には砂子原地区の背後につらなる低山を眺めながら、湯に浸かる事ができる。

打たせ湯が二つあり、源泉は浴槽内部の手前の位置から、勢いよく出続けていた。泉質は無色透明で滑らか、湯温も申し分なく、素晴らしい露天風呂だった。

「西山温泉山村公園 せいざん荘」温泉概要
・源泉名:柳津温泉 荒湯
・源泉所在地:柳津町五畳敷字荒湯350
・泉質名:ナトリウムー塩化物温泉

 

 

 

入浴を終え、昼食を摂るために併設された食堂に行く。ガボチャ、ニンジンの葉、アロエの天ぷらのサービス品があり、ありがたく頂いた。

注文は食券制で、入館の際に受付をした場所で買い求め、給仕のご婦人に渡した。メニューは“柳津町名物”に決めていた。

 

10分ほどで、「柳津ソースカツ丼」が運ばれてきた。丼は平たく大きく、フタを開けた瞬間の視覚効果は絶大だった。

ソースが掛かった豚カツ+半熟タマゴ+千切りキャベツ+ゴハンという、「柳津ソースカツ丼」。昼メシはこれに決めていた。

 

今まで5つの店舗で「柳津ソースカツ丼」を食べたが、カツは今までで一番の厚み、大きさかと思えるほどで、タマゴの半熟加減、ソースの量はほどよく、食べる前から期待が持てた。

いただく。

カツはやわらかく、半熟タマゴとソースの香りが、食欲をあおった。ゴハンとをつなぐ千切りキャベツもシャキシャキで、飽きる事の無い食感だった。

旨かった。

お腹も満たされ、大満足だった。量が半分のメニューもあれば、「柳津ソースカツ丼」は多くの方に楽しんでもらえる名物であると、改めて思った。

 


 

 

 

 

「せいざん荘」では、眺望の良い露天風呂があり、名物も大当たりで、良い時間を過ごす事ができた。

 

(会津)西山温泉には、8つの源泉があり「神の湯」は利用できないものの、旅館を中心に他5つの施設で、宿泊の他立ち寄り湯でも楽しむ事ができる。

①「神の湯」:(なし)

②「荒湯」:せいざん荘、旅館 新湯、旅館 中の湯、滝の湯旅館 *地熱発電建設に絡み、掘削された

 

③「新湯」:旅館 新湯(シンユ)

 

④「老沢」:老沢(オイザワ)温泉旅館

 

⑤「中の湯」:旅館 中の湯

⑥「杉の湯」:旅館 中の湯

 

⑦「滝の湯」:滝の湯旅館

 

⑧「下の湯」:下の湯

 

(会津)西山温泉は会津正統記に717(養老元)年に発見されたと記述され、開湯1300年以上の歴史を持つ。それぞれの湯を一巡りすると万病も一遍に治る「神の湯」とも言われているが、これは伊佐須美神社(会津美里町)を守護するために大和朝廷が遣わした善波命(ゼンナミノミコト)が、当地の豪族・千石太郎と激しく戦い、その際の傷を癒した伝承に由来しているという。*参考:拙著「柳津町「会津西山温泉」 2018年 冬」(2018年12月22日)

  

「柳津西山地熱発電所」と歴史ある(会津)西山温泉には、是非、只見線を利用して多くの方々に訪れて欲しいと言いたいのだが、二次交通が無く、会津柳津駅からタクシーを使う必要があり、只見線とパッケージにして広く集客を図るのは難しいのが現状だ。

 

私は、まずはレンタルサイクルを二次交通として整備すべきだと考えている。自転車は電動アシスト付きのロードバイクがベストで、最低でも軽量で変速機の付いたロードバイクが必要だ。滝谷川沿いに続く道はサイクリングロードとしても魅力的で、「柳津西山地熱発電所」へ向かう坂は少々きついが、電動アシスト付きであればさほど苦にならないと思う。このレンタルサイクルで、個人旅行などの需要はある程度カバーできると思う。

 

将来的には、デマンド型のバスの整備が望まれる。冬場の雪に道や、自転車に乗れない(乗りたくない)方に対応するためには、自動車による二次交通を整備し、只見線のダイヤに配慮した乗客に使い勝手の良いデマンド型のバスが必要だと私は考えている。行き先は、駅から10km未満で、観光資源として特異性があり集客の需要創造が見込める場所、などの条件設定は欠かせない。「柳津西山地熱発電所」と(会津)西山温泉は、この条件では適地になる。

このデマンド型バスの運営は沿線自治体ではなく福島県やNPO法人など沿線全体を管理できる組織に委ねる。ここで必要なのはの運行収支をそのまま評価するのではなく、只見線の乗客増加数や滞在時間の延長、沿線の宿泊利用や消費金額など総合的に計る事だ。

現在、「只見線利活用事業」として福島県が中心となり、只見線の二次交通問題を解決しようとしているが、利用者目線に立ちつつ、沿線の潜在力の高い観光地・観光資源へのアクセスを切り拓く、という強い信念をもって臨んで欲しい。

   

  

 

「せいざん荘」を後にして、“対岸”にある砂子原地区に着く。振り返ると、発電所の一部が見えた。

 

地熱発電所と共存してきた、地域の方々は、日々この水蒸気柱をどのような気持ちで見ているのだろうかと思った。

   

 

 

13:55、柳津町砂子原地区から、三島町に抜け今日の宿がある宮下地区に向かった。今回は、県道59号(会津若松三島)線で大谷峠を越えず、「(会津)銀山街道」の「石神峠」越えた。*参考:拙著「柳津町-三島町「石神峠」トレッキング 2019年 紅葉」(2019年11月9日)

 

 

 

16:21、一時迷ったものの「石神峠」を越え、日没前に宿となるゲストハウス「ソコカシコ」に到着。予定を消化し、旅を終える事ができた。


 

(了)

 

 

・ ・ ・ ・ ・ ・

*参考:

・福島県 生活環境部 只見線再開準備室:「只見線の復旧・復興に関する取組みについて

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(2017年6月19日)

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。


よろしくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)し、2022年10月1日(土)、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、車窓から見える風景写真を中心に掲載し、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す只見線の乗車記や「会津百名山」等の山行記、利活用事業に対する私見等を記します。

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