柳津町-三島町「石神峠」トレッキング 2019年 紅葉

(会津)若松城下の辻の札と沼田(伊北)街道の小林(現 只見町)を結んでいた「(会津)銀山街道」。今日、JR只見線の列車に乗車した後に「東北電力㈱柳津西山地熱発電所」見学を経て、「(会津)銀山街道」の「石神峠」を越え、三島町に向かった。

 

「(会津)銀山街道」は、会津若松市の大町札の辻を起点に小林(只見町)で沼田(伊北)街道(現国道289号線など)と接続する約72km の道。*下図出処:福島県「会津銀山街道地図」(https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/41340a/aiduginnzannkaidoutizu.html)


江戸時代には巡見使が通るほどの主要街道として賑わっていたが、只見川沿いの沼田(伊北)街道や鉄道(現在の只見線)が整備され、交通量は減っていった。

 

現在、「(会津)銀山街道」は県道59号と153号線が街道の大半をカバーしているものの、車両が通行できない箇所(未成区間)が残っている。

この未成区間では一部工事が行われたが、現在福島県は“歩く県道”として(会津)銀山街道」を踏破できるように、地元などの協力を得て道普請などで整備を進めている。*参考:福島県会津若松建設事務所 地域づくりニュース「歩く県道・会津銀山街道」(H30 Vol.1)(PDF)

 

「(会津)銀山街道」では、私が昨年参加した「銀山峠歩こう会」や今年台風の影響で中止となった「美女峠ウォーキング」などが開催されているが、何故か「石神峠」と「吉尾峠」は行われていない。 「石神峠」についてはルートが2本(もう1本は不明になっている)あるためか、理由は不明だ。*参考:福島県「旧街道を活用した地域づくり 「歩く県道」の道普請」(PDF)

 

今回、事前に「石神峠」の位置は確認できたが、“道”となっているか、自転車を持って通過できるかなどは不明なままチャレンジした。

*参考:

・福島県 生活環境部 只見線再開準備室:「只見線の復旧・復興に関する取組みについて

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF) (2017年6月19日)

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線沿線の“山”(登山/トレッキング)ー / ー只見線の秋

 

 


 

 

今朝は西若松駅から只見線の列車に乗車。

6:07、2両編成の会津川口行きが西若松を出発

 

 

滝谷駅までの運賃は680円。

 

7:16、滝谷に到着。

 

駅頭で自転車を組み立て、只見線の滝谷川橋梁の展望ポイントで上り列車を撮影。*参考:土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス滝谷川橋梁

 

8:39、西山温泉郷を見下ろす県道59号(会津若松三島)線の西山大橋に到着し、地熱発電所の水蒸気柱を眺めた。*県道59号(会津若松三島)線は「(会津)銀山街道」と一部重複している

 

10:12、「東北電力㈱柳津西山地熱発電所」に到着。冷却塔から立ち上がる水蒸気柱を見上げた後、PR館を見学した。*参考:東北電力㈱「柳津西山地熱発電所 PR館

 

地熱発電所を後にし、敷地(247,725㎡)内にある生産井や還元井などのサイトを見て回った。

 

「P2サイト」に向かう道の途中、「11Tサイト」越しに「東北電力㈱柳津西山地熱発電所」の全景を眺めた。

 


地熱発電所の各核施設の見学を終え、柳津町の「西山温泉山村公園 せいざん荘」に行き、まずは湯に浸かった。浴室は広々とし、露天風呂は開放的で素晴らしかった。

 

浴後。併設する食堂で名物「柳津ソースかつ丼」を食べた。ボリューム満点、且つ半熟卵とトンカツのやわらかさと衣のサクサク感で、満腹満足の昼食になった。

 

 

 

 

13:17、「西山温泉山村公園 せいざん荘」を後にして、「(会津)銀山街道」の「石神峠」に向かった。地図を広げ、ルートを再確認した。

 

 

13:55、県道59号(会津若松三島)線との分岐(簾沢口)に到着。真西に向かう側道の細い道を進み、「(会津)銀山街道」に入った。

 

まもなく、庚待供養塔があった。なぜか倒れていた。

 

街道は、林の中に延びていた。

 

しばらく進むと、左側に今は耕されていない畑が現れ、簾沢の水音も聞こえてきた。

 

 

街道は、西から徐々に北に変わってゆく。途中、電柱が設置されていたが、この先に人は住んでいないと聞いていたため、違和感があった。

 

自動車の轍が続いていたが、側溝が整備されていないため、水が溜まっている場所も多かった。

この後、簾沢口から約20分で、柳津町から三島町に入った。

 

道は、側溝がある場所でも、メンテナンスされていなため、砂利の流出やぬかるみによる陥没があり、車高が高い車以外は通行はできないと感じた。自転車も途中から降りて押した。

  

 

14:23、“廃村”となった小野川原地区に到着。

 

廃墟が2軒見えた。この小野川原地区からいつ住民が居なくなったかは、帰宅後に調べても分からなかった。

 

廃墟の近く、集落の入口と思われる場所に大きなブナの木があり、そのたもとに彰功碑が設置されていた。旧小野川原村の飯塚辰次翁の功績が刻印され、建立は大正7(1918)年の天長節祝日(10月31日)だった。

 

この彰功碑の先から、一転道は整備され、砂利が締め固められ自転車に乗る事ができた。防災行政無線の設置工事が行われているようで、Y字路に看板が設置されていた。

 

手元の地図で、小野川原地区への分岐点となっているY字路だった。

 

 

地図に従い左に進み西に進路を取ると、道は整備された直道になっていた。電柱は立っていたが、民家が見えないだけに、不思議な感覚だった。

 

 

300mほど進むと林の中に入り、緩やかな坂を上った。

(...あとで気付くのだが、実はこの少し先に「石神峠」小野川原口があったのだが、標識を見落としどんどんと先に進んでしまった)

 

 

 

14:34、峠道の頂点に到着。地図を見て、ここが「石神峠」の頂点だと思ったが、西に向かい大谷地区に抜ける道(銀山街道)が周辺に見当たらなかった。

峠の先の道は北に向かっている感覚があり、不安になったが、この時点で選択肢がないため、やむを得ず緩やかな坂を下り始めた。

 

 

 

10分ほどで分岐に着き、西に向かう道が見当たらないため、正面に見える“道”を進む事にした。

 

“道”は明らかに、山の斜面を切り拓いたもので、不自然な形状と傾斜だったが、行けるだけ行こうと思い、自転車を押しながら上った。

 

そして、まもなく、目の前にプレハブ小屋とアンテナが複数取り付けられた柱が現れた。

 

上りきって、通信機が収められていると思われる小屋を見ると「三島町防災行政無線 大登中継局」と記されていた。

プレハブ小屋は工事用のもので、小野川原分岐点にあった工事看板と、ここまでの整備された道が結びついた。

 

中継局は山の頂上になっていて、周囲に他の道は見当たらなかった。ここで、ようやく道を間違った事を知り落胆したが、この頂からの眺めと木々の色づきに慰められた。

 

 

 

気を取り直して、道を引き返し「石神峠」の頂と思われる場所に戻った。

 

『この近くに街道の分岐がある』と思い、右(西)側を見ながらゆっくりと下った。すると、すぐに木々の間が広い空間が見え、道の脇に人工的な柱を確認した。

 

正面に回ってみると、「石神峠 小野川原登口」を書かれていた。私は、これを見逃して通り過ぎていたのだ。

昨年、「銀山街道 銀山峠ウォーキング」に参加していた為、『峠道は人が歩けるような様態になっている』と思い込んでいたため、周囲と一体化していた入口に気付かなかった。

 

地図上に「石神峠」付近の分岐点がある事は載っていた。注意深く見ておけば良かったと悔いた。


 

 

15:02、「(会津)銀山街道」に入り、「石神峠」道を進んだ。

 

街道は杉を中心に枯葉が積もり、枝も落ちていたため、自転車を押して進む事も出来ない場所もあり、時折、担ぎ上げながら進んだ。

 

道を塞ぐ倒木もあり、自転車を腰の高さまで持ち上げる事もあった。  

  

まもなく、大きく右にカーブする場所があり、先の木々の間がひらけていたため、街道の位置を見失うことはなかった。

 

このカーブのあと、街道らしい空間になり、

 

一部、人の手によって切られた倒木も見られた。今でも人が歩くか、関係者が手入れしているのだろう思った。

 

この倒木の後は、街道らしい空間が続き、往時を偲ぶ事ができた。自転車も、問題なく押して進むことができた。

 

 

落葉樹が続く場所では、見頃を迎えた紅葉の間を進んだ。

 

 

街道の路盤が傾斜する場所を通過。雪や雨の影響で斜面が崩れ、街道を塞いだのだと思った。

 

さらに進むと、街道は塞ぐ痩せ尾根になった。当時は木々は生えていなかったと思った。

 

次の尾根道は、一転し、気持ちの良い直線だった。

 

 

地図には、途中に一里塚があることが記載されていたが、見つからなかった。ただ、斜面の上に巨石が置かれていた。人為的な感じがしたが、一見、表面に文字などは刻まれていなかった。

 

この巨石を過ぎると、街道は斜面を九十九折りに下っていた。  自転車は、抱えて進んだ。

 

 

九十九折れを過ぎると、平坦な場所が続いてが、落ち葉は厚く、かえって歩きにくい区間となった。

 

 

さらに進むと、丈の低い笹などが茂る区間になった。ここでは、自転車を抱えた。

  

 

この後、前方の木々の間に青い色が見えた。

 

集落の屋根だった。大谷地区に違いないと思った。

 

 

すると、まもなく街道の前方も開け...

 

左の崖下にはアスファルト舗装の道が現れ...

 

畑も見え、峠道の終点であることが分かった。

 

 

 

15:44、「石神峠」大谷登口に到着。

  

「石神峠」大谷登口は、全体が刈り払いされ、小野川原登口より分かり易い状態だった。

小野川原登口を見落とし、一時はどうなることかと思ったが、日が暮れる前に峠道を超える事ができホッとした。


前述した通り「会津銀山街道」では、「銀山峠」や「美女峠」、「吉尾峠」で福島県会津若松建設事務所が関わる道普請も行われているが、何故か「石神峠」は行われていない。

 

今回、実際に「石神峠」道を歩いてみて、一日程度の道普請で、快適に通行可能な道になるのではと思った。

・小野川原登口の視認性を高める

・倒木の除去

・痩せ尾根の障害物(木々)の除去

・九十九折区間の傾斜改良

 

未だ「銀山峠」「美女峠」「吉尾峠」の道普請は必要で、「石神峠」は優先順位が低いのかもしれないが、「会津銀山街道」が“歩く県道”として整備を終え、多くのハイカーがロングトレイルができるように整備して欲しいと思った。そうなれば、行きはトレッキング、帰りは只見線乗車というルートが確立され、只見線利活用に大きく貢献するのではないかと思う。



大谷登口の前には、樹皮が剥された丸太が置かれていた。事前情報では道普請はしていない、との事だったが、道普請の材料でないかと思った。

 

この後、三島町市街地に向かう経路は、今まで2度通った事があるため気が楽だった。「石神峠」を押して抱えて進んだ自転車にまたがり、舗装道を快調に下った。

 

2つのヘアピンカーブを抜け、神社の前を通り過ぎると、前方に県道59号(会津若松三島)線が見えてきた。

 

突き当りを右折し、大谷川に架かる春日橋を渡り県道59号線を進んだ。道は緩やかな下りが続き、快調に自転車を進め、宮下地区を目指した。

 

 

しばらく下り、国道252号線に向かう県道59号線から分かれ町道を進むと、まもなく「三島町町営スキー場」への道を示す標識が現れた。

 

丁字路を左折し、桑原集落を過ぎるとまもなく「三島町町営スキー場」に到着した。建物は一つで、管理室を兼ねたロッジは大屋根の切妻だった。

 

ゲレンデは小さく、ロープウェイは無かった。地元の小中学生の教育用の施設だと感じた。

 

 

「三島町町営スキー場」を後にすると、前方の山の上が西陽に照らされ、輝いて見えた。

 

桑原集落を抜け、町道に入る手前で三島町に市街地となる宮下地区を眺めた。

 

 

16:21、町道を進み只見線の踏切を渡り、今日の宿となるゲストハウス「ソコカシコ」に無事に到着。「石神峠」小野川原登口を見失うトラブルがあったが、ほぼ予定通りに旅を終える事ができた。

 

 

(了)

 

 

・  ・  ・  ・  ・

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)  (2013年5月22日)

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日) 

  

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以上、宜しくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)し、2022年10月1日(土)、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、車窓から見える風景写真を中心に掲載し、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す只見線の乗車記や「会津百名山」等の山行記、利活用事業に対する私見等を記します。

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