金山町「岳山」登山 2024年 春

私選“只見線百山”候補の検証登山。今日は、只見川(上田ダム湖)に突き出て、「かねやまふれあい公園」からは湖面に浮んでいるように見える、大志集落の背後に連なる山塊の三角点峰「岳山」(941.7m)に登ろうと、JR只見線の列車に乗って金山町に向かった。

  

「岳山」(941.7m)は只見線・会津中川駅の北西約3kmに山頂を持ち、越後山脈の福島‐新潟県境の稜線から延びる山塊にある山だ。*下掲出処:国土交通省 国土地理院「地理院地図」URL: https://maps.gsi.go.jp/

「岳山」山塊は、只見線を走る列車の中から見る事ができ、会津中川~会津川口間の会津川口寄りのカーブから、只見川(上田ダム湖)に突き出た大志集落の背後に荒々しい山肌を見せている。この景色は、“観光鉄道「山の只見線」”を代表する車窓からの眺めだ、と個人的には思っている。

またこの景色は、国道252号線沿いの「かねやまふれあい広場」から只見線の列車と一緒に見る事ができ、このアングルは鉄道風景写真はWeb上に多く見られる。

 

さらに、この風景を見下ろすことができる「尻吹峠」(603.9m)手前の“大志俯瞰”点は、著名な鉄道風景撮影ポイントになっていて、「岳山」山塊は低山ながら、ここでも独特な奥会津らしい山容で景色を魅力的なものにしている。

 

「岳山」は山頂からの眺望は未知で、三角点が“三等”ではあったが、これら大志集落の風景をより良いものにしている山塊で、名を得ている山ということで“只見線百山”の候補に入れた。


「岳山」は「日本山名事典 <改訂版>」(三省堂、p644)に次のように記されている。

たけやま(だけやま) 岳山 (高)942m
福島県大沼郡金山町。只見線会津中川駅の北北西3km。
*出処:「日本山名事典 <改訂版>」(三省堂、p644)

「日本山名事典 <改訂版>」によると、“岳山”と表記する山は全国各地にあり17座となっている。“岳山”最高峰は群馬県桐生市とみどり市の境にある山で1,070m、最低峰は石川県珠洲市にある37mの岩峰だという。ちなみに“嶽山”と表記する山は、全国に11座あるとなっている。 

 

 

「岳山」に登山道(登山口)は無く、国土地理院の地図を見るとと序盤は急坂で、さらに藪漕ぎが必須であるため『葉が繁る前のGW期間中に登ろう』と今日を迎えた。しかし、今冬は雪が少なく、訪れが早かった春は高温に続いているため、葉の繁り具合は心配だった。

今日の天気予報は晴れ。登山中に見られる景色は問題なく、急坂登坂と藪漕ぎ、そしてクマ出没の可能性に対して気を引き締めて「岳山」山頂を目指した。

*参考:

・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」 

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日) 

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ -- / ー只見線沿線の“山”(登山/トレッキング)

 

 


 

 

今回も磐越西線の始発列車に乗るために郡山駅に向かった。

 

輪行バッグに自転車を収納し駅舎に入り、切符を購入した後に列車の待つ1番線ホームに向かった。

5:55、会津若松行きの磐越西線下り1番列車が郡山を出発。

 

  

中山峠を沼上トンネルで潜り抜け会津地方に入っても、天気予報通り青空が続いた。猪苗代を出ると、山頂がわずかに雲で覆われた「磐梯山」(1,816.2m、会津百名山18座)が見えた。*参考:拙著「猪苗代町「磐梯山」山開き登山 2023年 春」(2023年5月28日)

 

 

7:11、会津若松に到着。鶴ヶ城の赤瓦を模した屋根を持つ駅舎上空には、綺麗な青空が広がっていた。

改札脇のスペースは、袴姿のあかべこ「ぽぽべぇ」が立ち、先月6日から運行を開始した観光列車「あいづSATONO」号に関する展示がされていた。

*下掲出処:(左)東日本旅客鉄道㈱東北本部「「あいづSATONO」の運行を開始します」(2024年2月15日) / (右)福島民報 2024年4月7日付け紙面


駅構内の売店で買い物を済ませ、再び改札を通り只見線のホームに向かった。跨線橋から見下ろすと、会津川口行きの列車は既に入線していて、右奥(北東)には「磐梯山」の稜線が見えた。

 

只見線の4-5番線ホームに降り、北にある車庫の方に目を向けるとトロッコ列車「風っこ」号が停車していた。

この「風っこ」号は、春の臨時列車として「風っこ只見線満喫号」として、GWの連休中(4/27~29、5/3~6)に会津若松~只見間で運行されている。今日も走る予定(9時12分発)だ。*下掲出処:東日本旅客鉄道㈱東北本部「春の臨時列車のお知らせ」*p1,2,4抜粋 (2024年1月19日) URL: https://www.jreast.co.jp/press/2023/sendai/20240119_s01.pdf

 

只見線の列車は、キハE120形+キハ110東北色の2両編成だった。私は先頭のE120形に乗り込んだ。

 

7:41、下り2番列車となる会津川口行きが会津若松を出発。今回、切符は往路・会津若松~会津中川間、復路・会津川口~会津若松間を購入し、料金は双方とも1,170円だった。

 

市街地の中の七日町西若松で部活に行くであろう高校生を多く乗せた後、列車は大川(阿賀川)を渡った。上流側を見ると、「大戸岳」(1,415.9m、同36座)の山塊が、会津盆地を閉じる“大きな戸”のようにそびえていた。

 

会津本郷を出発直後に会津若松市から会津美里町に入ると、水が張られる前の田園越しに、会津総鎮守・伊佐須美神社の山岳遷座地である「博士山」(1,481.9m、同33座)と「明神ヶ岳(明神嶽とも)」(1,074m、同74座)が見えた。*参考:伊佐須美神社「御由緒・歴史」URL: https://www.isasumi.or.jp/outline.html

 

会津高田で県立会津西陵高校の生徒を降ろすと、車内は県立会津農林高校の生徒が中心になった。

 

“高田 大カーブ”で進路が西から北に変わってまもなく、水を張った田が現れた。左車窓からは、鏡のような水鏡に映り込んだ西部山地が見えた。

右車窓からは、逆光だったが、“田鏡”にうっすらと映った「磐梯山」が見えた。

 

列車は、根岸新鶴を経て若宮手前で会津坂下町に入った。そして、町の中心部が近づくと、田起こしが終わった田園の向こうに「飯豊山」(2,105.2m、同3座、日本百名山19座)を盟主とする冠雪した飯豊連峰が見えた。*参考:公益財団法人 福島県観光物産交流協会「ふくしま30座」飯豊山  https://tif.ne.jp/yamafuku/mt30/18.html

 

 

8:19、会津坂下に停車。会津川口発・会津若松行きの上り2番列車と交換を行った。

ここで、県立会津農林高の生徒が降りて、構内踏切を渡り駅舎に向かっていった。

全ての高校が降りた車内は、空席が目立つようになった。

 

会津坂下を出た列車は、会津平野と奥会津地方を隔てる七折峠に向かって、右に大きく曲がりながら登坂した。

 

登坂中、塔寺手前で木々の間から会津平野を眺めた。

  

“七折登坂”を終え、第一花笠-第二花笠-元屋敷-大沢と続く四連トンネルを抜けると、“坂本の眺め”から飯豊連峰を眺めた。

 

会津坂本では、貨車駅舎に描かれた「キハちゃん」に見送られた。いつ見ても、良い笑顔だと思った。*参考:会津坂下町「只見線応援キャラクター誕生!!」(2015年3月13日) https://www.town.aizubange.fukushima.jp/soshiki/2/3337.html


 

8:41、柳津町に入った列車は、リノベーションを終えて先月13日にリニューアルオープンした会津柳津に停車。真っ白く塗り直された外観が、陽光に照らされてまぶしかった。

*下掲出処:柳津町・㈱JR東日本びゅうツーリズム&セールス・東日本旅客鉄道㈱東北本部「柳津町会津柳津駅舎情報発信交流施設のオープンについて」(2024年3月13日) URL: https://www.town.yanaizu.fukushima.jp/docs/2024031200015/

柳津町から奥会津に入り、陽は高くなり光量は増し、車内の床にはっきりとした影を落とした。

 

 

会津柳津を出ると、録音された只見線の橋梁を中心とする観光案内が車内に流された。

そして列車は、“Myビューポイント”を通過。「飯谷山」(783m、同86座)の山塊が背後に連なる田では、多くの人が繰り出し畔の草刈りをしていた。

 

郷戸に停車すると、リュックを背負った登山者らしい方が降りた。「飯谷山」に登るのだろうかと思った。

 

 

列車は、滝谷を出た直後に滝谷川橋梁を渡り三島町に入った。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋検索


会津桧原を出ると車内放送で『これから第一只見川橋梁渡る』と告げられ、桧の原トンネルを抜けた列車は減速して、「第一只見川橋梁」を渡った。*只見川は東北電力㈱柳津発電所・ダムのダム湖

上流側上方の鉄塔下に向けて、コンデジをズームにすると、「第一只見川橋梁ビューポイント」の最上段Dポイントに15人ほどの“撮る人”の姿が見られた。

反対側の座席に移動し下流側を見ると、先月登った「日向倉山」(605.4m)の新緑に包まれていた。*参考:拙著「柳津町「日向倉山」登山 2024年 春」(2024年4月13日)

 

会津西方を出発直後には、前方に“只見線百山”候補の「洞巌山」(1,012.9m)を見ながら進んだ。*参考:拙著「三島町「洞厳山」登山 2023年 早春」(2023年3月20日)

そして、列車は少し減速して「第二只見川橋梁」を渡った。上流側には「三坂山」(831.9m、同82座)が良く見えた。*只見川は柳津ダム湖

下流側は、「桧原丸山城」跡がある「丸山」(465m)と“只見線百山”候補の四等三角点「桧原」を持つ山(519.1m)に向かって、只見川がスーッとの延びて両岸の新緑を水鏡に映し込んでいた。

 

 

列車は、減速しながら「みやしたアーチ3橋(兄)弟」の“長男”大谷川橋梁を渡った。“次男”である県道の宮下橋は繁った枝葉でアーチがほとんど見えなかった。*参考:福島県土木部 まちづくり推進課「ふくしまインフラツーリズム」宮下アーチ3兄(橋)弟 URL: https://www.pref.fukushima.lg.jp/site/infra/miyashita-arch.html

 

9:07、会津宮下に停車。列車交換で5分間停車するためホームに降り、只見方面を眺めていると、列車が姿を現した。

上りホームに入線した小出発・会津若松行きの1番列車は、キハ110形2両編成で、後部はタラコカラーだった。乗客はこちらの車両よりは多かったが、3割ほどだった。

 

会津宮下を出て、東北電力㈱宮下発電所の背後と宮下ダムの脇を駆け抜けると、列車は「第三只見川橋梁」を渡った。*只見川は宮下ダム湖

上流側、下流側ともに、両河岸は生き生きと繁った新緑に包まれ美しかったが、この時期のとは思えない葉の繁り具合に、『「岳山」でもこれでは、大変になるぞ』と独り言ちた。

 

 

 

9:20、列車は早戸に停車。上流側の「縦峰」(851.6m)から先の山肌は雪食地形で、新緑との対比ではっきりと見えた。*参考:国土交通省北陸地方整備局 阿賀野川河川事務所「雪崩によって作られる地形~奥只見」/ 国土地理院「氷河・周氷河作用による地形」アバランチシュート

下流側を見ると、活火山「沼沢」北東の急斜面にも多様な緑が繁っていた。

 

この早戸駅では、何と私以外の全ての客9人が降り、近くにある観光和舟の乗り場に向かっていった。

会津川口駅止まりの下り列車の乗客が少ないのは恒例だが、途中駅とはいえゴールデンウィークに乗客が1人になってしまうとは、寂しい限りだった。

 

 

早戸を出ると、金山町に入り8連コンクリートアーチ橋の細越拱橋を左に大きく曲がりながら渡った。


会津水沼を出発直後には、「第四只見川橋梁」を渡った。「岳山」に取付く斜面が見え始めた。

 

渡河後に潜り抜けた国道252号線と並行して駆けた。国道の線形改良工事で電柱・電線地中化され、見晴らしが各段に向上した。

そして、上田集落と東北電力㈱上田発電所と上田ダムの洪水吐ゲートが見えてくると、下流側に取付き斜面と想定していた下部に、発電所送電設備からの“第一送電線鉄塔”が確認できた。

今回のまずその鉄塔に行きそこから斜面を登るつもりだったが、葉は繁りその斜面のピーク(698m)から「岳山」山頂に向かう稜線も新緑に覆われているようだった。葉の繁った藪を漕ぎながらの急坂登坂となりそうで、気合を入れた。

 

列車が上田ダム湖に近づくと、「岳山」山塊が正面に見えた。新緑の時季ということもあり、山塊斜面の雪食地形の岩肌は際立ち見ごたえがあった。

 

 

 

9:37、定刻をわずかに遅れ、会津中川に到着。私が降り、“乗客ゼロ”となってしまった列車を見送った。

ホームからは「岳山」山塊が見え、698m標高点と812m標高点から続く山頂(941.7m)が奥まって認められた。

ここで、印刷してきた断面図入りの国土地理院の地図と、「岳山」山塊の稜線とを見比べ山行のイメージをした。

 

会津中川駅前には桜の木があり、春には尾根筋にスギが立ち並ぶモザイク模様の「岳山」山塊を背景に、駅舎を包み込むような桜を観る事ができる。駅の南側にある荻付第一踏切を渡った場所からはこの眺望が得られ、只見線の撮影ポイントになっている。

  

 

9:50、駅頭に移動し輪行バッグから取り出した自転車を組み立て、会津中川駅前を出た。今回も移動距離が短い事から、Dahon社の折り畳み自転車を持ってきた。

駅前から国道252号線に入り、一旦300mほど南進し、道の駅「奥会津かねやま」に立ち寄った。敷地を同じくする東北電力奥会津水力館「みお里」の大屋根の背後には、「岳山」山塊が見えた。

 

道の駅「奥会津かねやま」を後にして国道252号線を北上し、中川集落の抜けると前方に上田ダムのゲートが見えてきた。

国道から側道に入り、ダムに向かった。

 

10:11、東北電力㈱上田発電所・上田ダムの右岸に到着。天端の南端には東北電力㈱初代会長・白洲次郎の自筆『建設に盡力したみなさん これは諸君の熱と力の永遠の記念碑だ』が刻まれた石碑が立っていた。

左岸に行くため、ダムの天端を渡った。中央で止まり、柵の間から上流側のダム湖を眺めた。上田ダム湖は、大志集落に関わるビューポイント、会津川口駅前と「第五只見川橋梁」の眺望などを創り出している。

下流側も眺めてみた。右岸に上田集落、左岸に発電所の送電施設があり、ダムが放流していないため川面は発電所側だけに小さい波紋が見られた。

左岸に渡り、少し坂を下ると発電所全体が見えた。タービン建屋がダムと一体化した外観は、只見線沿線の柳津・本名の両発電所・ダムと似ているが、ここは色合いが同じで“工場にダムがつながっている”ように見え面白いと思った。

 

送電施設を見ながら、さらに坂を下り只見川左岸を進んだ。目指す空き地には2台の車が停まっていた。「国土山」登山の方だろうと思った。

 

 

10:16、「岳山」登山の開始点としていた場所に到着。自転車を停めて準備をした。

 

葉の繁った藪山で、かつ福島県全域に「ツキノワグマ出没注意報」が出て、地元紙では『早起き熊にご用心』『暖冬など影響か 動き活発』との報道もあったため、熊鈴、笛、そして音楽を鳴らし準備を進めた。さらに、急坂登坂があるということで準備したピッケルを、万が一の熊対峙用に手に持った。*下掲載記事:福島民報 2024年4月17日付け1面と社会面

2020年12月、同じくここを出発点に登山を開始した「国土山」では、途中で真新しいクマの足跡をたどり進む事になり、彼の存在を感じ続ける事になった。「岳山」が「国土山」新潟県との県境で峰が続くとはいえ、“クマが居る山岳地帯”と強く意識して今日を迎えていた。*参考:拙著「金山町「国土山」登山 2020年 初冬」(2020年12年5日)

*上掲出処:福島県自然保護課「ツキノワグマ出没注意報を発令しました(令和6年4月1日)」 URL: https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16035b/kumahaturei.html


 

10:25、準備を終えて、「岳山」登山を開始。登山道のない「岳山」で、この付近の斜面から取付こうと考えていたが、斜面前には東北電力㈱只見川ダム管理所による立ち入り禁止の看板が立てられていた。 

只見川に面する斜面からの取付きをあきらめ、先に進み取付き点を探そうと思った。

 

送電線巡視路として管理されている道を進むと、崩落箇所に駆けられた単管による逆台形の仮設橋が架けられていた。

仮設橋を渡ると、巨岩を切り崩した場所を通過した。

左に曲がり右に北の湖沢の沢音が大きくなると、まもなく分岐になった。右の仮設階段を下ると「国土山」に向かうが、直進できる踏み跡があったとは思っていなかった。

「国土山」登山道が重なる送電線視路は、仮設階段の先に北の湖沢に架かる鋼鉄製の吊り橋となり、斜面の九十九折れの道を登ってゆくことになる。

この分岐を直進した。刈り払いされ踏み跡があることから、もしからしたら上田発電所からの“第一送電線鉄塔”につながっているのではないかと思った。

 

一つヘアピンカーブを過ぎると分岐となり、直進の先に青空の一部が見えたが、送電鉄塔の位置としては低いと思い右に折れた。

右に進むと、両側の灌木の葉はしっかりと繁り、密度が濃かった。ここから、熊除けの笛を吹き、「北大クマ研」の“ポイポーイ”を連呼しながら進んだ。*参考:北海道新聞「「ポイポーイ」クマよけのかけ声が響く北大天塩研究林 地図とコンパスで広大な山林を調査して歩く北大クマ研のヒグマ調査に同行」(2022年9月15日) URL: https://www.hokkaido-np.co.jp/article/730946/?pu

登り進むと、先が切通しになりY字に分岐していた。位置的に送電鉄塔があるのでは?、と思った左に進んだ。

すると、まもなく鉄塔が見えた。

平場の端に移動し見下ろすと、送電線が上田発電所の送電設備と繋がっていることがわかり、これが“第一送電線鉄塔”だった。そして、北の湖沢の分岐から続く踏み跡は、この送電鉄塔の巡視路のようだ、と思ったが、

右の斜面を、下草が枯れた踏み跡が上方に続いていた。さらに、踏み跡の両脇は刈り払いされ歩行空間が確保されていた。

地理院地図には、ここから上方に送電鉄塔の記載は無く、この踏み跡は送電線保守用の巡視路ではないようだったが、事前計画で取付いた後に登り進むとしていた斜面に踏み跡が見え、『藪漕ぎせずに済む‼』と歓喜した。この踏み跡がどこまで続くか分からなかったが、序盤の体力と時間の消耗が軽減できることは間違いなかった。

 

 

10:47、急坂の踏み跡を進み始めた。

刈払いされた歩行空間には、ナンバープレートが貼られた境界標石らしいものが等間隔で埋め込まれていた。また、直近の灌木などにはピンクテープが巻かれ、時折朱色の細い鉄棒が標石の脇に突き刺ささり、『何なのだろう、この踏み跡は? 標石は?』と思いながら進んだ。

斜面は地理院地図の等高線通りの急坂で、薄く積もった枯葉の下は乾き、細かい石が目立つザレ場のようでよく滑り、灌木などにつかまりながら慎重に直登した。

  

踏み跡は続いた。下草が目立つ場所はあったが、両脇の密集度とは大きく違い、足元が滑る以外は、問題なく登り進められた。

 

急坂の踏み跡を黙々と登ってゆくと、足元の光量が増し、振り返ると只見川と国道252号線が見えた。

 

踏み跡上には、倒木もあった。太い幹だったが、取り除かれずにそのままにされていた。森の栄養となる倒木に触れ、感謝した。


 

11:02、列車の汽笛のような音がこだまし、急ぎ枝木が開けた場所まで登り只見線の路盤に目を向けると、会津若松駅の車庫でみかけたトロッコ列車「風っこ只見線満喫」号が只見方面に駆けていった。

 

踏み跡上には、時折ピンクの点が続いた。イワカガミの群生で、この後山頂まで何度も見かける事になった。

 

 

11:03、前方に、傾斜がかなり緩んだ、陽光をたっぷり浴びた空間が見えてきた。

 登り進み地表を見ると、頭が赤く塗られていない標石を認めた。

三角点標石で、地理院地図通り四等三角点「岳山」(376.3m)だった。今目指している「岳山」山頂にある三角点は「嶽」ということで、ちょっとややこしい事になっている。

*四等三角点「岳山」
基準点コード:TR45639148301
北緯 37°29′08″.1416
東経 139°32′21″.0414
標高(m) 376.30
造標 昭和27年8月28日 *点の記より
*出処:国土地理院地理院地図「基準点成果等閲覧サービス」URL:https://sokuseikagis1.gsi.go.jp/)

 

三角点「岳山」の後も、踏み跡と刈払いされた歩行空間は続き、境界杭とピンクテープもほぼ等間隔で見られた。

 

登り進むと、左側、枝葉の間から上田ダム湖の湖面が見え始めた。

この後、踏み跡が痩せ尾根に続き、右側が開けていた。

開けた場所からは、送電鉄塔が立ち並び、「国土山」登山道と重なる送電線巡視路が延びる山裾が見えた。

  

さらに踏み跡を進むと、33のプレートが貼られた境界杭があり、側面に彫られたマークがはっきりと見えた。どうやら、この境界杭は東北電力㈱が埋設したようで、上田発電所の敷地域との境界を示すためのものではないかと思った。

 

 

 

11:19、前方が開け、平場が見えてきた。

登りきると平場は意外に広く、踏み跡と刈払いされた空間はまっすぐ延びていた。

だが、平場の先に進んでみると、かなり急な斜面に下り落ちていた。ここが踏み跡最高点だと分かった。*下掲出処:国土交通省 国土地理院「地理院地図」URL: https://maps.gsi.go.jp/ *筆者にて文字(赤色)入れ

  

 

 

11:24、平場を少しうろつき、どこから山頂をめざそうかと考え、結局、平場の中程に見られた少し開けた場所を取付き点として、さらに登り進むことにした。

この先は、ブナの幼木や灌木が密集し、踏み跡は全く見られなかった。ここからが事前に想定してた「岳山」登山だと思い、熊除けの笛を大きく吹いて、時折“ポイポーイ” を連呼し登り進んだ。

   

 

しばらく、進むと痩せた尾根筋になった。踏み跡かと思えるほど、足元は歩き易かった。

  

11:37、左側が開け、上田ダム湖越しに会津中川駅や奥会津水力館「みお里」など中川地区が見えた。

 

痩せ尾根が終わっても、登り進む尾根は籔が薄く、しばらく歩き易かった。

倒木も何箇所かあったが、行く手を阻むようなものではなかった。

途中、何度か『踏み跡かっ⁈』と思える場所もあり登り進むのが楽になったが、過去の登山者達が残したものかは判別はできなかった。

標高が上がってくると、こちらに枝幹を伸ばす逆木も増えた。「笠倉山」(993.7m、只見町)で私を苦しめた“バケモノ逆木”ほどのものは無かった。*参考:拙著「只見町「笠倉山」登山 2021年 紅葉」(2021年11月13日)

 

 

定期的に笛を吹き“ポイポーイ”と叫びながら、黙々と登り進んだ。

踏み跡と思えるような、歩き易い空間を進んだり、

突然、藪が濃くなった場所を越えたり、 

事前の調査で、GoogleEarth®で確認できた、尾根に立ち並ぶスギの木の間を抜けたりした。

痩せ尾根に逆木が生えている場所もあり、トラバースできず越えるしかなかったが、それほどの苦労はなかった。

  


前方の尾根先に見える青空の面積が増え、傾斜も緩やかになった。濃い藪を掻き分けるなどして、尾根筋から離れすぎないように、歩き易い場所を見つけ登り進んだ。

  

12:22、新緑が美しい、傾斜が緩やかな痩せ尾根に乗った。地理院地図に記された標高点698mのようだった。

そして、登り進むとまもなく、ブナ林の中に突入した。

ブナ林は平尾根全体を覆うようになり、淡い新緑に陽光が降り注ぐ空間は美しく、気持ち良かった。

 

10分ほど歩き進むと、ブナ林の傾斜が増した。

途中、森に“栄養補給中”と見られる倒木もあった。

 

 

12:39、ブナ林の傾斜が緩やかになった。

ところどころみ見られたナラには、巨大な根元を持つものもあった。

強い陽光を受けた新緑のコントラストは素晴らしく、吸い込む空気をより旨く感じた。

 

 

12:45、ブナ林を抜けると、鞍部になった。登り始めて、初めて下る事になった。

 

12:47、鞍部は浅く、再びブナ林になり、緩やかな傾斜を登り進んだ。

この鞍部は起伏がほとんど無く、“ブナ広場”といった趣だった。ブナの巨木もあり、「岳山」登山での特筆すべき見どころだと思った。

地上から見上げた際には想像もつかなった長く続くブナ林に驚き、山頂を待たずして「岳山」は“只見線百山”に相応しいと思ってしまった。 

 

 

12:52、ブナ林の新緑を堪能し、鞍部から傾斜の増した斜面を登り始めた。

平尾根の斜面だったが、徐々に痩せてきて、登り進む方向は迷わなかった。


痩せ尾根になりスギが連なった場所では、直登できなかったため斜面を少し下り、根曲がりした幼木を越えた。

 

 

13:05、尾根が平たくなった。標高点ではないが、地理院地図で調べると770m地点だった。先に延びる尾根にはスギが立ち並び、根元には薄い藪が繁っていた。  

少し進むと、左の木々の間から残雪の山塊が見られた。その山容から「会津朝日岳」(1,624.3m、同27座)のようだった。*参考:拙著「只見町「会津朝日岳」登山 2022年 紅葉」(2022年10月20日)

 

平たい尾根は、まもなく鞍部への下り坂になった。

鞍部は浅く、すぐに緩やかな登り返しになった。標高点812mに続く斜面のようだった。比較的薄い籔の空間を選び、登り進んだ。

薮の空間を抜けると、一旦、藪がさらに薄く全体に陽光が落ちる平尾根になった。巨大なナラの倒木があり、これがこの開けた空間を創っていると思った。

  

 

13:25、登山を開始して3時間が経過。初めて現れたクマザサの群生の中を進んだ。「黒岩」(昭和村、1,055.5m)のクマザサ群生でクマと“ニアミス”した時の事を思い出し、笛を大きく吹き、“ポイポーイ”と叫び続けた。*参考:拙著「只見町「鳥越山」登山/昭和村 二等三角点「黒岩」 探索 2023年 紅葉」(2023年11月9日)

だが、クマザサの群生は10mもなく、抜けた。ホッとした。

...しかし、この少し先でGPSを見ようとしたところ、それが無くなっている事に気付いた。『やってしまった』と焦った。今回の登山では、ハンディGPSに頼る事が多くなるだろうと思い、見やすいようにリュックの肩ベルトに掛けていたが、カラビナではなくS字フックを使ってしまった。藪を抜ける際に抜け落ちてしまったようだった。

さっそく、GPSを最後に見たナラの倒木まで引き返し、自分が歩いたと“思われる”場所を地表を見ながら探してみた。しかし、全体に黒と灰色しか色を持たないGPSは大半が枯葉の地面で目立つはずがなく、藪の中ということで100%同じ場所を辿る事もできず、結局GPSは見つからなかった。

下山時に、もう一度探してみようと思い、GPS紛失を気付いた場所に目印を付けて、「岳山」登山を再開した。

 

 

13:55、クマザサ群生から引き続き斜面を登り進み、812m標高点に到着。再び、尾根が平坦になった。

少し進むと右側が開け、北の湖沢を隔てた向こうに福島県ー新潟県境となる山嶺から延びている、アバランチシュートを持つ尾根がが見えた。ここが奥会津であることを、改めて実感した。

さらに進むと、踏み跡と思えるような“道”がほぼ平らな尾根に続き、ヤマツツジを見ながら快適に足を進めた。

  

 

 

14:02、左側の灌木に広い範囲で陽光が当たる場所に差し掛かった。

ここで、木々の間から見える景色に感嘆。「岳山」登山で期待していた「大志集落」の風景だった。

只見川(上田ダム湖)に突き出た「大志集落」を、その背後に延びる只見線のレール。見たかった光景だった。スマホで、地理院地図を見ると、この場所の標高は803mだった。

この光景が「岳山」から見えるのか?見えないのか?、そして見えるのならばどんな構図になるのだろう、と考え今回の登山に臨んだが、まだ山頂手前とはいえ、一番気になっていた絵が見られて良かったと、ホッとした。

 

カメラをさらにズームにすると、「大志集落」の上方(上流側)に「かねやまふれあい広場」があり、人の姿を確認できた。実は、登山序盤でも見た只見線を走る「風っこ」号が、只見駅から折返し運転でここを通過したのが3分ほど前だった(会津川口駅13時58分発)。

まさか、ここで“大志集落ビューポイント”を見つけられるとは想定しておらず、GPSを紛失しなかったら、列車が駆ける「大志集落」の風景を撮る事ができたのに...と少し悔やんだ。

14:07、“大志集落ビューポイント”を後にして、「岳山」山頂を目指し登山を再開した。地理院地図を見ると、この先に鞍部は無く山頂まで登り続けるようだった。

 

 

尾根は平場から傾斜が増し、さっそく密集した常葉低木が尾根筋を塞いだ。名は特定できなかったが、シャクナゲやアオキのような枝の密集度と弾力があり、越えるのに覚悟が要った。

尾根は再び痩せ始め、前方の光量が増してくる山頂に続くような雰囲気になってきた。

 

 

14:12、斜面に大きな白い花が見えた。

タムシバで、花びらも花弁も素晴らしく綺麗に鮮やかで、この花本来の美しさに見惚れてしまった。

 

 

さらに、登り進んだ。

登り易い空間もあったが、

藪や杉の巨木が覆い、トラバースしようと斜面を下りて、右側を進んだり、

左側を進んだりした。

短い“トラバース区間”を過ぎると、再び尾根筋を薄い籔を掻き分けて進んだ。

 

 

 

14:26、登山開始から4時間を越えた。「会津朝日岳」(1,624.3m)で登山口から3時間17分で登頂していたため、まさか...と思いつつ斜面を登り進むと...、

黒い塊があった。今回の「岳山」登山で、始めて見るクマの“お尻からの落とし物”だった。全体的に乾いておらず、新しいものと思われた。クマは冬を越し活動し始めていて、今自分が彼等の生息域を歩いていることを改めて強く認識し、笛を吹き、“ポイポーイ”を連呼した。

  

気を引き締めて登り進んだ。

スギ木立の間の痩せ尾根を行くと、目の高さに青空が見えるようになった。『山頂は近い』と思い、進んだ。

そして、陽光が差し、尾根の傾斜が一旦緩んだ。地理院地図通り、尾根筋は北北西から西に向かうようになったようで、陽光に照らされた薄い籔を掻き分けて進んだ。

 

 

周囲がスギやブナの混成林に覆われ、傾斜が増した平尾根を進んだ。すると、前方に平たい空間が見え、『山頂だ!』と思った。この、山頂の平場が明るく見えるこの光景は神々しく、苦しい山行が報われる瞬間だ。

斜面を進むと、その空間はかなり広いのが分かった。

 

そして、平たい空間に乗ると、三角点標石がすぐに目に飛び込んできた。灌木や幼木が数本生える程度で、平場になっているため、すぐにそれと分かった。

 

 

14:34、「岳山」山頂に到着。上田ダム下流側の出発点から、4時間9分掛かっての登頂となった。想定タイムより1時間遅れてしまった。

さっそく、標石に触れて、登頂を喜んだ。標石は三等三角点ながら大きく、苔むした堂々とした角石は、「貉ケ森山」や「鳥屋山」に埋設されていた一等三角点に通じる風格を感じた。

スマホを取り出し、国土地理院「基準点成果等閲覧サービス」を開き三角点検索すると、中心点が画面の中央に表示され、間違いなくこの三角点は「岳山」山頂のものであることが確認できた。

*「岳山」:三等三角点「嶽」
基準点コード:TR35639149101
北緯 37°29′42″.5191
東経 139°30′51″.9704
標高(m) 941.68
造標 明治41年7月7日 *「点の記」より
*出処:国土地理院地理院地図「基準点成果等閲覧サービス」URL:https://sokuseikagis1.gsi.go.jp/)


 

山頂からの眺望。周囲はスギ木立に囲まれて、眺望は得られなかった。

北側。

只見川、只見線がある南側。正面に密集するスギがあり、晩秋から早春にかけての無葉期でも、眺望は期待できない状態だった。

山頂から、南側に少し下り繁った枝葉の間から、僅かに麓の風景が見えた。カメラをズームにすると、中川地区の諏訪神社の鳥居だった。


「岳山」は孤立峰ではなく、北西に延び、北北東から南南西に分岐した尾根に972mと906mの標高点を持っている。三角点の先、北西には平たいスギが立ち並ぶ尾根が続いた。

*下図出処:国土交通省 国土地理院「地理院地図」URL: https://maps.gsi.go.jp/

 

14:47、「岳山」山頂を後にして、下山を開始した。山頂に“大志集落ビューポイント”はなく、「岳山」登山唯一のそこは標高803mポイントだと分かり、そこに向かい風景を再確認した後に、落としたGPSを探そうと思った。

 

下山時、痩せている尾根は下り進む方向を間違えることなく、ここでも安心し、藪を掻き分けながら進んだ。 

途中目の高さに、白い花の群生があり、よく見るとオオカメノキだった。登山時は気づかなった。

 

 

15:03、標高803mポイントに到着。

尾根が切れ落ちる場所に立ち、「大志集落」を眺めた。

裸眼では「大志集落」は小さく見え、“尻吹峠・大志俯瞰”のようなバランスの良い構図にはならないが、カメラをズームにすると、まずまずの絵になると感じた。

...下山後に気づいたのだが、実はこの場所を6分前に小出行きの列車が通過していた(会津川口駅着14時58分)。今回は、登山中に「大志集落」が見えるかも不明で、まして、そこを通過する列車の時刻まで気が回っていなかった。“只見線百山”の検証登山ならば、想定しておくべきだったと、深く反省した。

 

 

 

“「岳山」大志集落ビューポイント”を後にして、下山を再開し、GPS紛失場所の目印で速度を緩め、探した。

結果、ナラの倒木までを往復して足元を探すが、ハンディGPSは見つからなかった。

2020年5月に「博士山」登山を前に購入したモノで、丸4年私の登山を支えてくれた。残念だったが、今後の教訓にして、下山を再開した。

  


15:45、“ブナ平”に入った。陽光は変わらず降り注ぎ、気持ち良かった。

 

5分ほどで“ブナ平”を抜け、濃い籔の中に突入した。『ここまで濃い籔が、「ブナ平」にあったか⁈』と違和感を覚えたが、藪を漕いで進んだ。


藪を漕いで先に進むと、斜面が切れ落ちる場所から上田ダムの天端の一部が見えた。

さらに進むと、中川集落が見えた。

...この上田ダム天端と中川集落を見て、また藪の状態と尾根の形状から『ここは登山時に通っていない』と思い、ルートロスしてしまったと確信した。 

 

16:05、藪の中で、“ブナ平”から北東東に進むべきところを南西に進んでしまったことを確認し、『北側に尾根があるはずだ』と、斜面を横切った。すると、枝葉越しに、尾根の稜線がうっすらと見えた。

さらに斜面を、滑落しないように慎重に進むと、その尾根がはっきりと見えた。ホッとした。

  

16:09、尾根に乗った。既視感はあまりなかったが、尾根の痩せ具合と傾斜から、本来のルートに違いないと思った。

 ...この後、再びルートロス。この尾根筋を、ズンズンと真っすぐ進んでしまった。しかし、直ぐに急坂になった事でルートロスに気づき、南東に延びる正規ルートの尾根に戻った。

 

藪山「笠倉山」でも大きくルートロスしたが、木々が密集した、極端に痩せていない尾根は下山時は注意が必要だと再認識したとともに、往路のルートを記録したGPSは必須だと痛感した。

*上掲地図:国土交通省 国土地理院「地理院地図」URL: https://maps.gsi.go.jp/ *赤字・青字、線は筆者にて記載

 

5分ほどで、本来のルートに戻り、下った。灌木や幼木が密集していたが、尾根が痩せていたので、迷わず進めた。

登山時はそれほど気にならなかったが、下山時は葉が繫っていると、目印となるものがなくなり、尾根の状態をよく確認しながら進まないとルートロスが頻発する山だと思った。「岳山」に登るのならば、残雪期を含む無葉期が無難だと感じた。

 

16:36、右側が大きく開け、中川集落が見えた。

往路でも立ち寄った場所だったが、じっくり見ると、会津中川駅を、ほぼ正面に見られることが分かった。

 

 

16:41、東北電力の作業路に合流した。ここからは、急坂での滑落だけに注意しながら下った。


16:49、三角点「岳山」を通過。

 只見川が見えた。

 

16:55、上田発電所からの“第一送電鉄塔”が見えた。


“第一送電線鉄塔”脇を通り過ぎ、北の湖沢に架かる鋼製鉄塔を見下ろした。

 巡視路を進むと、只見川と上田ダムが見えてきた。

 そして、逆台形の仮設階段を下り、上った。

 

 

17:01、出発点に戻った。下山は2時間14分。今回の「岳山」登山は6時間36分掛かってしまったが、落としたGPS探しで約30分ロスしたので、山行としては約6時間だった。

「岳山」登山を無事終えた。

GPSの紛失、2度のルートロスはあったが、滑落に見舞われずクマにも出会わず無事に登下山を終える事ができた。

今回の登山で、「岳山」は“只見線百山”に入れるべき山だと感じた。期待された大志集落などの高所からの見晴らしの良い眺望は得られなかったが、所々に及第点な眺望があり、“大志集落のビューポイント”からは列車が走る姿を撮影することが可能だった。そして、何より“ブナ平”と貫禄ある三角点標石は、『こんな藪山に⁉』という意外性があり、魅力的だった。

「岳山」は、東北電力の作業道は急坂で滑りやすく作業道を離れると藪漕ぎが続くが、それ以上に得るものがあり、“大志俯瞰”などで多く鉄道風景写真に収められていることを考え合わせると、“只見線百山”に相応しい山だった。

 

「岳山」が登山者を惹きつけるための課題は、次の3点。

①作業道から痩せ尾根までの藪の伐採

作業道終端は平場で木々に覆われているため、「岳山」山頂に続く尾根が見えず、取付き点に迷う。取付き点を明確にし、尾根に乗るまでは籔の伐採が望まれる。

②“ブナ平”の登山口側の案内表示

今回下山時に最初にルートロスした場所は、“ブナ平”が終わり先の尾根が不明だったため、直進してしまい大きくルートを外れてしまった。あの場所で、左に向かうことが本来のルート、とは思えず、注意喚起のために案内表示、もしくはルートロス防止のロープが必要。

③ビューポイントの整備

「岳山」の大志集落ビューポイントは、木々の間から眺望点で、只見線の列車はカメラなどをズームにしないと見えなかった。

太いアカマツが4本、細いアカマツが3本、斜面の灌木、これらが無くなれば眺望はかなり改善されると感じた。山頂は少し奥まっていたので、角度的にこの場所が、最も大志集落と只見線のレールを見られる(撮る事が可能な)場所だったので、眺望創出する価値はあると思った。

 

「岳山」登山開始点を後にして、上田ダムの天端を渡り、自分が歩いた尾根筋を見上げた。

 

国道252号線に合流し、“中川田園”の間を抜けて会津坂下消防署金山出張所の少し先で右に曲がり側道を進むと、白い建物が見えてきた。

福祉センターゆうゆう館に併設された「中川温泉」に到着。上田ダムから5分ほどかかった。

「中川温泉」を訪れたのは、2017年9月以来二度目になった。「国土山」登山後も訪れたいと思ったが、当時は新型コロナウィルスの流行を考慮し断念していた。

館内に入ると、思いのほか多くの利用客が居た。特別養護老人ホームと同一敷地にあるため穴場的な温泉だが、只見線・会津中川駅のみならず、道の駅(奥会津かねやま)や東北電力水力館(みお里)が近いこともあり、利用者を増やしているのだろうと思った。

肝心の温泉は、良かった。前回は『熱いっ‼』と短時間で湯舟から出てしまったが、今回は適温に感じ新鮮な温泉の香りを楽しみながらゆっくりと浸かることができた。登山後に利用できる温泉が多いのも只見線のよいところだ、と改めて感じた。

金山町「中川温泉」の主な特徴
・泉温:49.5℃ (pH6.7)
・泉質:ナトリウム-硫酸塩・炭酸水素塩泉 

 

17:40、「中川温泉」を出ると、会津中川駅ではなく、一つ先の会津川口駅に向かった。

途中、国道252号線を進み、途中大志集落を抜ける直前に振り返って、「岳山」の山塊を眺めた。

また、少し先に進み第五沼田橋の上からは、只見線のレールの先に「岳山」山塊を眺めた。

  

18:03、「中川温泉」から2kmほどで、「かねやまふれあい広場」に到着。

柵の前に移動し、只見線のレール、只見川(上田ダム湖)、大志集落、そして「岳山」山塊の4点セットをしばらく眺めた。

 

 

18:12、会津川口駅に到着。 

自転車を駅頭に停め、駅舎に入り窓口を見た。

会津川口駅は昨年の12月1日から駅員の常駐が無くなり、窓口業務はひと月に数日の限られた時間と大幅に縮小された。

しかし、金山町と金山町観光物産協会が先月1日から乗車券や定期券の販売などの一部業務を担うことになり、時間限定(7:50~15:40)ではあるが、毎日窓口が開かれることになった。*参考:金山町「会津川口駅で乗車券等の通年販売を行います」(2024年4月1日)

また、構内には“Youはどこから?”の台紙が掲示され、台湾の欄に一番多くのシールが貼ってあった。

 

 

18:48、駅構内で少し止んだあと、再び自転車にまたがり「かねやまふれあい広場」に行き、小出行きの列車を撮影した。

 

列車撮影後は、駅前の加藤商店で買い物をしてから駅に戻り、自転車を収めた輪行バッグを抱えてホームに向かった。私が乗る会津若松行きも入線していて、ホームの両側には列車が並んでいた。

それぞれの列車の中を見て、驚いた。会津若松行き(キハE120形+キハ110)の客は2人。 

小出行き(キハE120形+キハ110東北色)の客は、何と1人だった。

双方とも、この時点での客数だったが、休日のこの時間に会津川口駅から多くの客が乗り込む可能性は低く、乗客の少なさに意気消沈した。ゴールデンウィークでも外の景色が見られない最終列車に、もう少し客を呼び込むような対策が必要だ、と改めて痛感した


 

19:08、会津若松行きの列車が会津川口を出発。乗客は先頭車両が私を含めて2人、後部が1人だった。

車内では、「岳山」登頂の祝杯を上げた。駅前の加藤商店で買ったばかりだったので、しっかりと冷えていて、旨かった。

列車が走り出してまもなく、夜更け前のそらにくっりきと稜線を浮かび上がらせる「岳山」山塊を眺めた。登った山を見ながら呑むビールは、格別だった。

この後、読書をするなどし、時折車窓から漆黒の外を眺め、車内でゆっくりと過ごした。

 

 


20:55、金山町から三島町柳津町会津坂下町会津美里町を駆け、そして会津若松市に入った列車は、定刻に会津若松に到着。途中で少しずつ増え10人ほどになった客が連絡橋に向かっていった。

この後、私は磐越西線の列車に乗り換え、自宅のある郡山に向かった。 


 

(了)

 

 

・  ・  ・  ・  ・

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業

 

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*現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/ 

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

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 以上、宜しくお願い申し上げます。

次はいつ乗る? 只見線

東日本大震災が発生した2011年の「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で一部不通となっていたJR只見線は、会津川口~只見間を上下分離(官有民営)し、2022年10月1日(土)、約11年2か月振りに復旧(全線運転再開)しました。 このブログでは、車窓から見える風景写真を中心に掲載し、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す只見線の乗車記や「会津百名山」等の山行記、利活用事業に対する私見等を記します。

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